ラファエル前派周辺の画家 ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ |
ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハント、バーン=ジョーンズといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。この人は、バーン=ジョーンズのフォロワーの一人です。 (1)スタナップ、画家と作風 ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ(1829~1908)はヨークシャー州のキャノン・ボールに生まれる。特権階級に生まれ、ファミリーには芸術の素養に恵まれた人たちが集まっていたといいます(例えば、姪は画家のイヴリン・ド・モーガン)。ラグビー校からオックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジというエリートコースの教育を受けたということになると思いますが、当人は画家を志し、GFワッツの助手となり、イタリアやギリシャにまでついていきます。帰国後の1857年に、ロセッティに紹介され、オックスフォード大学学生会館討論室にマロリーの『アーサー王の死』を主題にした一連の壁画を描いた際、他の画家たちとともにその壁画制作に加わりました。そこで、バーン=ジョーンズと出会い、親しい友人になったスタナップは、彼の作風から最も強い影響を受けました。1875から1879年にかけては、マールボロ・カレッジの礼拝堂に一連の壁画を描きました。喘息が重くなったため1880年からイタリアのフィレンツェに移住します。 スタナップの没後には次のように評されたといいます。“(スタナップの作品は)それら独特の力強さで想像力を掻き立てるが、その風変わりな美しさの中には、作品を印象づけようとするものも、大衆の鑑賞眼に訴えようとするものもない。彼が誘う世界は、ラファエル前派の画家たちが幻に見たものであり、そこにあるのはおとぎ話の雅趣と田園詩の神秘主義、そして想像をすることそれ自体の喜びに溢れた精神の自由な独創性である。”彼の作品を見て、すぐに気がつくのは彼にとって年下であるにもかかわらずバーン=ジョーンズの影響が大きいことです。人物の顔のフォームを見ていると、スタナップがバーン=ジョーンズのフォロワーであるとして見ることを避けることができません。ムシロ、バーン=ジョーンズの影響を受けて、その方向を過激なまでに追求して突き詰めた結果、リアリズムとはかけ離れて幻想画とかいった絵画の枠を突き抜けて、様式化の果てに文様とかデザインに近いところまで行ってしまったところがあると思います。 スタナップは、ミレイやハントたちラファエル前派のメンバーたちと同世代でありながら、かれらの影響のもとに自身のスタイルを形成した。それゆえにラファエル前派の一面、とくに平面的な画面構成と透明感のある色遣いの面を受け継いで、その方向で突出するようになりました。とくに、ウィリアム・モリスやバーン=ジョーンズがタペストリやステンドグラスのデザインを始めたことの影響を受けて、そのデザインの図案のような平面(二次元)的で様式的な画面を作っていくようになります。そのデザインの内容も、オリジナリティを独自に創作する方向ではなく、ラファエル前派やボッティチェリあるいはヴェネツィア派の画家たちの影響を巧みにブレンドしてつくられたものでした。そうなると、初期のラファエル前派がもっていたリアリズム志向とは離れていくことになります。それはお伽噺や神話の物語をデザイン的に視覚化した作品をつくるときには「つくりもの」の画面空間をつくる方向に進むことになります。簡単にまとめると、ラファエル前派の前提からスタートとして、その表層的という一面を追求し続けることで、ラファエル前派とは違う世界に入って行った画家と言えると思います。しかし、表層的ということは、別の視点でいえばハリボテと言えなくもない。例えば、この人の描く題材、主題としては、バーン=ジョーズや姪のド・モーガンが象徴主義的な内容へと物語から脱皮していったのに対して、スタナップは物語の視覚化の中にとどまり続けました。おそらく、何を描くかよりも、どう描くか、がこの人の描くことの重点だったのではないかと思います。 (2)スタナップの主な作品 スタナップの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。 ■Thoughts of the Past(1859年)
彼女の赤毛は、ラファエル前の画家の人気のある特徴でもあり、悔悛する売春婦の原型であるマグダラのマリアの伝統的なイメージに関連しています。彼女の足元の床には、スミレの小さな花束が置かれています。ヴィクトリア朝の人々が慣れ親しんだ花言葉では、スミレは誠実さの象徴であり、枯れてしまうために捨てられたという事実は、売春の現実である複数の関係を語っているのかもしれません。スタナップの、この作品では彼女は赤い髪をとかしながら、ぼんやりと虚ろな彼女は、題名のように過去を思い出しているのか、ラファエル前派にはない陰鬱さが漂っている作品です。 「Thoughts of the Past」は、見る者に多くのことを考えさせてくれます。ロセッティによると、この作品はもともと二部作の一部として構想されたもので、彼女の人生の2つの段階に分かれた「不幸な人」を描いたものだという。もう一方のコマに何を意図して描いたのかを知るのは興味深いことです。もしかしたら、若い女性がどのようにしてこのような状況に陥ったのかを示すことができたのかもしれません。ヴィクトリア朝の絵画に典型的に見られるように、詳細な象徴性は物語を理解するのに役立つ。スタナップは、若い女性が将来の暗い状況に直面するよりも、青春の無邪気さを思い出しているという、心を揺さぶるようなイメージを私たちに与えてくれました。 ■Juliet and the Nurse(1863年)
この作品には素晴らしい深みと豊かな色彩があり、慎重に調整されていますが、コントラストも印象的です。エドワード・バーン=ジョーンズは、「スタナップの色彩はヨーロッパのどんなものよりも優れている」と言ったと言われています。何年も後、彼の死の直前に、バーン=ジョーンズはスタナップの芸術をこれほどまでに称賛に値するものにした特定の属性を評価しています。彼は後に、かつて彼が可能であった細部への細心の注意力を失っていると考えている。この作品は、おそらくバーン=ジョーンズが覚えていたスタンナップの作品のスタイルとしては、初期に描かれたもので、彼の色彩に対する叙情的な感覚が、まだ表面や質感の慎重な表現と結びついていた時期に描かれたものです。 ■The Wine Press(1864年)
額縁に「私は一人でワインプレスを踏んだ」という文言が刻まれていて、それが作品タイトルの由来とされています。この文言は旧約聖書イザヤ書63章3節の「わたしはひとりで酒ぶね(ワインプレス)を踏んだ。もろもろの民のなかに、わたしと事を共にする者はなかった。わたしは怒りによって彼らを踏み、憤りによって彼らを踏みにじったので、彼らの血がわが衣にふりかかり、わが装いをことごとく汚した。」によるものです。そこから、ワインプレスは神が人間を死で脅すときの神の罰をイメージさせるものと言われます。あるいは、ワインプレスは、19世紀に復活した象徴主義の一形態である聖書的類型論の一例とも言われます。聖書の類型論は、ラファエル前派の絵画で頻繁に採用されていましたが、旧約聖書では十字架上のキリストの苦しみがワインプレスを踏むイメージで伝えられていた。つまり、犠牲者であると同時に征服者でもあるキリストは、ワインプレスを踏んで、それによって押しつぶされるというわけです。ラファエル前派で聖書の類型論による作品としては、例えばホルマン・ハントの「死の影」では、大工のキリストが十字架につけられたような姿勢で腕を上げています。スタナップの、この作品におけるワインプレスの機械を動かすキリストのポーズに近いものです。また、同じハントの「世の光」はこの「The Wine Press」と並べて見ると、どちらの作品も、預言者、司祭、王としての役割を担うキリストの姿を、宝石で飾られた王冠、ユダヤ人の大司祭が身につけていた真紅の裏地のある「エホポッド」またはサプリス、そしてキリストの汚れのない人間性を表す白い下着の表現で描いています。また、画面全体の構成が箱の中の空間となっているのは、バーン=ジョーンズの同時期の作品である「慈悲深い騎士」に似ているところがある。とこれらのように、スタナップがラファエル前派の画家たちの影響のもとにあって描いていた作品と言えます。 ■Penelope(1864年)
■Love and the Maiden(1877年)
例えば、正面の少女と奥の4人を対比して、奥の4人は男女に無関心で暢気に踊りに興じています。そこに無垢さ、純真さがあって、対して、前の少女は、今まさに愛と出会って、無垢ではいられなくなる時の不安とおののきを示しています。彼女にとって、無垢であったのはところから、遥か遠くになってしまっています。しかしまた、4人の少女のいる森の奥の暗いところから、愛がいるところは花が咲き、明るく映えています。彼女は後ずさりしながらも、視線を反らすことは出来ない。そういう状態に見えます。
■Pine Woods at Viareggio(1880年)
この作品は、古典的で聖書的な主題が多かったスタナップの作品の中では異例のものと言えます。文学や寓話、宗教的な題材を扱ったスタナップの作品とは異なり、この作品は風俗的な場面であり、特定の物語性を欠き、代わりに森の中で交流のために立ち止まる3人の農家の娘を描いています。しかし、画面構成は彼の他の作品と似ており、3人の若い女性の静かな対話は、聖書や寓話的な交流の静かな真摯さを思わせるものです。左端の少女の配置は、古典的なギリシャ建築のカリアティード(女人柱)を彷彿とさせ、彼の神話の神々が配置されているのと同じ脈絡です。 ■Why seek ye the living among the dread?(1896年)
■The Expulsion from Eden(1900年)
バーン・ジョーンズの手本によって伝えられ、また自身の15世紀イタリア美術の研究によって裏打ちされたラファエル前派の造形的伝統を取り込んでいったスタナップの作風は、突き詰められていって、ある意味大げさで時代錯誤的なものになっていったと言われています。遠近感や空間の奥行き感という自然主義的な構成は試みられず、全面に散りばめられた草花や木の葉の装飾的なモティーフによって画面は艶やかさを得ています。しかし、細かく花が散りばめられ左手の人物の甲冑や、追放されるイブの髪の毛など、細密画のよ ローマ神話の花の神フローラ。象牙のような滑らかな肌の美しい裸婦像です。題名はフローラですが、明らかにボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスから引っ張ってきたものと考えられます。彼女は小さな岩の上に立っていますが、ヴィーナスが乗っていた貝をなぞったような形をしています。その岩の下は水が流れていて、まるでヴィーナスが生まれてきた泡の海のようです。彼女の左足はヴィーナスの恋人アドニスの血から生えたアネモネの花の群落の上に立っています。彼女の後ろにはヴィーナスの象徴であるバラの花でいっぱいの木々でうめつくされ、下から見上げている翼をもった人たちはヴィーナスの誕生を祝う風神やニンフたちを模したように見えます。
■Andromeda オヴィディウスは、19世紀の芸術家にとって古典的なインスピレーションの最も豊かな源の一つである「変身物語」の中でアンドロメダの物語を語っています。彼女はエチオピアのセフェウス王の美しい娘であると言われ、その母親カシオペアは、アンドロメダはネレイド人よりも美しいと主張してポセイドンを怒らせました。彼女の母親の傲慢さはアンドロメダを海辺の岩に鎖でつないで神々をなだめるために海の怪物の生け贄にするというを宣告を招きます。幸いなことに、彼女は翼のある馬ペガサスに乗って頭上を飛んでいたペルセウスに目撃され、彼はゴルゴン・メドゥーサの切断された頭の魔法を使って、その生物を石に変えた。彼はアンドロメダを救い、報酬として彼女の結婚を認められた。 ロセッティとバーン=ジョーンズは、アンドロメダを描いた野心的な作品を残しましたが、後者の画家の作風の方が主題に適していた。ロセッティはヌードを描くことに自信がなかったので、岩に縛り付けられたアンドロメダを描こうとはしませんでしたが、ペルセウスが結婚後、アンドロメダに噴水の水に映るゴルゴンの頭を見せたという物語の後半の出来事の描写を好んで描いています。彼はこの構図を「アスペクタ・メドゥーサ」と題し、1860年代半ばに美しいドローイングを数多く描きましたが、ロセッティの後援者が切断された頭部という陰惨な題材を心配していたため、この題材の絵は実現しませんでした。バーン=ジョーンズは、1886年に同じ主題を「不吉な顔」として描くことができ、美しいイメージを描くことに成功しました。実際、バーン=ジョーンズはペルセウスとアンドロメダの物語を描いた意欲的な絵のシリーズを描いた。しかし、バーン=ジョーンズは「運命の岩」と「果たされた運命」で岩に縛られたアンドロメダを描いていますが、どちらもアンドロメダの救世主ペルセウスが描かれており、アンドロメダの荒涼と孤独は描かれていませんでした。レイトンは1891年の「ペルセウスとアンドロメダ」でも、エドワード・ポインターが英雄によって自由になるアンドロメダを描いています。スタンナップの絵は、ポインターが描いたアンドロメダの描写の一つです。 この作品はサンドロ・ボッティチェリの作品、特に「ヴィーナスの誕生」の主要人物の流れるような髪や腕の位置、「パラスとケンタウロス」の岩場の描写に影響を受けています。 ■Eve Tempted
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