ラファエル前派周辺の画家
ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ
 

 

ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハント、バーン=ジョーンズといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。この人は、バーン=ジョーンズのフォロワーの一人です。

 

(1)スタナップ、画家と作風

ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップ(1829〜1908)はヨークシャー州のキャノン・ボールに生まれる。特権階級に生まれ、ファミリーには芸術の素養に恵まれた人たちが集まっていたといいます(例えば、姪は画家のイヴリン・ド・モーガン)。ラグビー校からオックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジというエリートコースの教育を受けたということになると思いますが、当人は画家を志し、GFワッツの助手となり、イタリアやギリシャにまでついていきます。帰国後の1857年に、ロセッティに紹介され、オックスフォード大学学生会館討論室にマロリーの『アーサー王の死』を主題にした一連の壁画を描いた際、他の画家たちとともにその壁画制作に加わりました。そこで、バーン=ジョーンズと出会い、親しい友人になったスタナップは、彼の作風から最も強い影響を受けました。1875から1879年にかけては、マールボロ・カレッジの礼拝堂に一連の壁画を描きました。喘息が重くなったため1880年からイタリアのフィレンツェに移住します。

スタナップの没後には次のように評されたといいます。“(スタナップの作品は)それら独特の力強さで想像力を掻き立てるが、その風変わりな美しさの中には、作品を印象づけようとするものも、大衆の鑑賞眼に訴えようとするものもない。彼が誘う世界は、ラファエル前派の画家たちが幻に見たものであり、そこにあるのはおとぎ話の雅趣と田園詩の神秘主義、そして想像をすることそれ自体の喜びに溢れた精神の自由な独創性である。”彼の作品を見て、すぐに気がつくのは彼にとって年下であるにもかかわらずバーン=ジョーンズの影響が大きいことです。人物の顔のフォームを見ていると、スタナップがバーン=ジョーンズのフォロワーであるとして見ることを避けることができません。ムシロ、バーン=ジョーンズの影響を受けて、その方向を過激なまでに追求して突き詰めた結果、リアリズムとはかけ離れて幻想画とかいった絵画の枠を突き抜けて、様式化の果てに文様とかデザインに近いところまで行ってしまったところがあると思います。

スタナップは、ミレイやハントたちラファエル前派のメンバーたちと同世代でありながら、かれらの影響のもとに自身のスタイルを形成した。それゆえにラファエル前派の一面、とくに平面的な画面構成と透明感のある色遣いの面を受け継いで、その方向で突出するようになりました。とくに、ウィリアム・モリスやバーン=ジョーンズがタペストリやステンドグラスのデザインを始めたことの影響を受けて、そのデザインの図案のような平面(二次元)的で様式的な画面を作っていくようになります。そのデザインの内容も、オリジナリティを独自に創作する方向ではなく、ラファエル前派やボッティチェリあるいはヴェネツィア派の画家たちの影響を巧みにブレンドしてつくられたものでした。そうなると、初期のラファエル前派がもっていたリアリズム志向とは離れていくことになります。それはお伽噺や神話の物語をデザイン的に視覚化した作品をつくるときには「つくりもの」の画面空間をつくる方向に進むことになります。簡単にまとめると、ラファエル前派の前提からスタートとして、その表層的という一面を追求し続けることで、ラファエル前派とは違う世界に入って行った画家と言えると思います。しかし、表層的ということは、別の視点でいえばハリボテと言えなくもない。例えば、この人の描く題材、主題としては、バーン=ジョーズや姪のド・モーガンが象徴主義的な内容へと物語から脱皮していったのに対して、スタナップは物語の視覚化の中にとどまり続けました。おそらく、何を描くかよりも、どう描くか、がこの人の描くことの重点だったのではないかと思います。

 

(2)スタナップの主な作品

スタナップの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。

■Thoughts of the Past(1859年)

1850年頃のラファエル前派もそうだったけれど、芸術家や作家たちが売春など社会問題と考えられるトピックや女性のための限られた雇用機会など、現代生活への関心を高めました。このころ産業革命の弊害が社会の表面にあらわれ始めただめで、ハントの「良心のめざめ」やロセッティの「見つかって」のような社会的なテーマを扱った作品も制作されました。文学ではディケンズが下層の人々を取り上げたりと、その代表的なテーマが“堕落した女性”つまり売春婦です。

1859年というスタナップでは初期の作品にあたり、ラファエル前派の影響のもとにあって、いかにもラファエル前派らしい画面になっています。ロセッティの「見つかって」やワッツの「found down」のような先行作品を参考にして制作したのではないでしょうか。部屋の中は当時の健全な生活態度からの転落を示すものでいっぱいです。派手な紫のドレッシングガウン、みすぼらしい化粧台、彼女の横のテーブルに散らかった宝石やお金(おそらく手袋の持ち主からの支払)、男の手袋と床に倒れている杖、生気のない鉢植えが陽光を得ようと蔓を延ばし、窓枠の黒くすすけたカーテンにかかっています。そのカーテンは破れ、窓ガラスはひび割れ、テーブルはベニヤが剝がれていて、彼女の生活が貧困の状態にあることを示しています。窓からはウォータールー橋をのぞみ、ビクトリア時代の売春婦に人気のロンドンの賑やかな道沿いのザ・ストランド(The Strand)も遠くないのでしょう。この眺めは、トマス・フッドの悲劇的な詩「ため息橋」(1844年)と、そこに歌われている堕落した女が泥水に身を投げ息絶える主題を連想させ、彼女の腐敗と彼女の差し迫った運命の両方を暗示していると言えます。当時の社会では売春は国内に脅威を与えることが認められ、その象徴的な風景として慢性的に汚染や悪臭を放つ都市汚物と病気の複雑な言語のテムズ川というイメージです。死は、売春婦の唯一の償還手段であると考えられ、溺死による自殺は、最も一般的に想像されるシナリオであり、川とその橋の描写を通じて示唆されています。

彼女の赤毛は、ラファエル前の画家の人気のある特徴でもあり、悔悛する売春婦の原型であるマグダラのマリアの伝統的なイメージに関連しています。彼女の足元の床には、スミレの小さな花束が置かれています。ヴィクトリア朝の人々が慣れ親しんだ花言葉では、スミレは誠実さの象徴であり、枯れてしまうために捨てられたという事実は、売春の現実である複数の関係を語っているのかもしれません。スタナップの、この作品では彼女は赤い髪をとかしながら、ぼんやりと虚ろな彼女は、題名のように過去を思い出しているのか、ラファエル前派にはない陰鬱さが漂っている作品です。

Thoughts of the Past」は、見る者に多くのことを考えさせてくれます。ロセッティによると、この作品はもともと二部作の一部として構想されたもので、彼女の人生の2つの段階に分かれた「不幸な人」を描いたものだという。もう一方のコマに何を意図して描いたのかを知るのは興味深いことです。もしかしたら、若い女性がどのようにしてこのような状況に陥ったのかを示すことができたのかもしれません。ヴィクトリア朝の絵画に典型的に見られるように、詳細な象徴性は物語を理解するのに役立つ。スタナップは、若い女性が将来の暗い状況に直面するよりも、青春の無邪気さを思い出しているという、心を揺さぶるようなイメージを私たちに与えてくれました。

Juliet and the Nurse(1863年)

この作品は、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の第3幕第2場から題材を取っています。ジュリエットが開いた窓の前に立っているのを見ると、その窓ガラスには3人一組の枢機卿の帽子が描かれた盾が飾られており、足元のカーペット敷きの床にはロープが巻かれています。ジュリエットの看護婦は右側の席に座っており、心配そうな表情で彼女の愛人を見ています。その先の部屋には、その夜ロミオとジュリエットが横たわるベッドがあります。壁には、聖人を抱いた母と子のトリプティーク(1315年頃のデュッチョの祭壇画)が、2人の結婚を祝福するかのように飾られています。このようにして、恋人たちの死につながる悲劇的な出来事が展開されます。画面右の看護婦が座っている黒檀と象眼細工の象牙の椅子は、ホルマン・ハントがスタンホープに貸与したもので、ハント自身が自身の絵「甘美な無為」にも描かれていました。

スタナップは幼い頃からシェイクスピアの戯曲を読んでいましたが、この構図を構築するために取った配慮は、スタナップがロセッティやバーン・ジョーンズの作品をよく知っていたこと、そしてワッツから受けた訓練に負うところが大きい。例えば、窓辺に立つジュリエットの姿勢はミレイの「マリアナ」「エステル」によく似ています。さらに、スタナップは古い巨匠たちの作品に興味を持ち、海外旅行中に美術館やコレクションを訪れ、そこから学んだことを自分の作品に取り入れる方法を常に模索していました。そこで、彼はティントレの天才は力強さと質の両面でシェイクスピアに非常に似ていると考えていた。「Juliet and the Nurse」は、ナショナル・ギャラリーに展示されている例や、ロー・カントリーへの訪問からイギリスの画家たちに親しまれている北欧ルネサンス美術の研究を示唆するような緻密さで、部屋の内部空間を表現しています。

この作品には素晴らしい深みと豊かな色彩があり、慎重に調整されていますが、コントラストも印象的です。エドワード・バーン=ジョーンズは、「スタナップの色彩はヨーロッパのどんなものよりも優れている」と言ったと言われています。何年も後、彼の死の直前に、バーン=ジョーンズはスタナップの芸術をこれほどまでに称賛に値するものにした特定の属性を評価しています。彼は後に、かつて彼が可能であった細部への細心の注意力を失っていると考えている。この作品は、おそらくバーン=ジョーンズが覚えていたスタンナップの作品のスタイルとしては、初期に描かれたもので、彼の色彩に対する叙情的な感覚が、まだ表面や質感の慎重な表現と結びついていた時期に描かれたものです。

■The Wine Press(1864年)

この作品は、スタナップの初期の作品の一つで、前期のラファエル前派の影響が強く表われていて、バーン=ジョーンズのようにイタリア・ルネサンスに触発された寓話を描くようになる前の作品です。後年のタペストリーの模様のような平面的で図式的なスタイルにはなっておらず、ホルマン・ハントや初期のバーン=ジョーンズを思わせるようなスタイルで描かれています。

額縁に「私は一人でワインプレスを踏んだ」という文言が刻まれていて、それが作品タイトルの由来とされています。この文言は旧約聖書イザヤ書63章3節の「わたしはひとりで酒ぶね(ワインプレス)を踏んだ。もろもろの民のなかに、わたしと事を共にする者はなかった。わたしは怒りによって彼らを踏み、憤りによって彼らを踏みにじったので、彼らの血がわが衣にふりかかり、わが装いをことごとく汚した。」によるものです。そこから、ワインプレスは神が人間を死で脅すときの神の罰をイメージさせるものと言われます。あるいは、ワインプレスは、19世紀に復活した象徴主義の一形態である聖書的類型論の一例とも言われます。聖書の類型論は、ラファエル前派の絵画で頻繁に採用されていましたが、旧約聖書では十字架上のキリストの苦しみがワインプレスを踏むイメージで伝えられていた。つまり、犠牲者であると同時に征服者でもあるキリストは、ワインプレスを踏んで、それによって押しつぶされるというわけです。ラファエル前派で聖書の類型論による作品としては、例えばホルマン・ハントの「死の影」では、大工のキリストが十字架につけられたような姿勢で腕を上げています。スタナップの、この作品におけるワインプレスの機械を動かすキリストのポーズに近いものです。また、同じハントの「世の光」はこの「The Wine Press」と並べて見ると、どちらの作品も、預言者、司祭、王としての役割を担うキリストの姿を、宝石で飾られた王冠、ユダヤ人の大司祭が身につけていた真紅の裏地のある「エホポッド」またはサプリス、そしてキリストの汚れのない人間性を表す白い下着の表現で描いています。また、画面全体の構成が箱の中の空間となっているのは、バーン=ジョーンズの同時期の作品である「慈悲深い騎士」に似ているところがある。とこれらのように、スタナップがラファエル前派の画家たちの影響のもとにあって描いていた作品と言えます。

Penelope(1864年)

ペネロペは、ホメロスの「オデュッセイア」に登場するイサカの女王であり、オデュッセウス王(ユリシーズ)の忠実な妻です。この作品は、ペネロペが、リンゴ園に座って機織り機で織っている姿を描いています。オデュッセウスがトロイア戦争で長年留守にすることになり、彼女の美しさにひかれて108人の求婚者が押しかけます。彼女は彼らの誘いを断り、様々な策略で彼らを遠ざけ、最後まで夫に対する義務を果たしました。その中の一つには、義父のために作っていた葬儀用の羽織を完成させたら、そのうちの一人と結婚するというものがありました。彼女は毎日タペストリーを編み、せっかちな求婚者たちが彼女の進行を見守る中、夜になるとこっそりとその日の編んだものを解きほぐしていました。それゆえ、タペストリーを編んでも、いっこうに完成しないのでした。スタナップの作品の中では、彼女は疲れ果てた頭を手の上で休ませ、最愛の夫の夢を見ています。彼女は地中海の太陽と求婚者たちの欲情的な視線から、赤い天蓋と木の枝に吊るされた黒いスクリーンに守られています。彼女の左手には、彼女が織っている「ユリシーズ」という言葉につながる糸が握られています。タペストリーに刻まれた碑文は、アキレスとアガメムノンの争いを描いたホメロスの「イリアス」からの引用であり、その中には、ユリシーズについての数少ない言及が含まれています。彼女の後ろには、果物を積んだ木からリンゴを摘んでいる女中の一人がいます。その金色の髪の少女は、おそらくペネロペの12人の召使の中で一番近くにいたメランソだろうと思われます。手前にある半分ほど食べられたリンゴは、ペネロペが果物を摘み取ろうと手を伸ばしている間に、彼女が果物を摘み取ろうとしている間に捨てられてしまった、彼女の淫らさを象徴していると思われます。リンゴの象徴は、トロイア戦争のきっかけとなったパリスの審判で賞品として授与された「不和の黄金のリンゴ」にも関係しています。ラファエル前派はしばしば、ロセッティの「ボッカ・バチアータ」や「ヴェヌス・ヴェルティコルディア」のように、リンゴを性欲の象徴として使用していました。

トロイア戦争の伝説は、1860年代のラファエル前派、特にロセッティ、サンズ、バーン=ジョーンズに関連した多くの絵の題材となっていました。しかし、これらの画家たちは、題材をヘレンの不貞とカサンドラの狂気に集中する傾向がありました。ロセッティの「トロイのヘレン」は、この作品の1年前に描かれた作品ですが、スタナップの作品とは表面的にしか似ていない。ロセッティはペネロペのチョーク画(右上図)を制作していますが、これはスタナップの作品に近いが、5年後に制作されたものである。スタンホープはバーン=ジョーンズの作品に影響を受けており、ペネロペの中の二人の人物のポーズは、バーン=ジョーンズの2枚の水彩画「シンデレラ」「緑の夏」からヒントを得ているのかもしれません。この作品の50年後にウォーターハウスが同じ題材の作品(右図)を制作しています。

■Love and the Maiden(1877年)

弓を手にした翼を生やした男性はキューピッドあるいはギリシャ神話の愛の神エロスでしょうか。そして、クラシックなイタリア風の衣装を着た少女(ギリシャ神話であればプシュケーの暗示ということになるでしょうか、どうやらそうではなさそうで、匿名の少女ということでしょうか)が出遭い、男性は跪いています。彼の右手はピンク色の花の枝を掴もうとし、左手は弓を握っています。そして、少女に近づこうとして、右手で花を差し出そうとし、左手は弓がぶつからないように上にあげています。これに対して少女は躊躇うような姿勢で、後ずさりしているように見えます。彼を見てはいますが。ナーバスになっているように見えます。二人の背景には、森の奥で4人の少女が集まって踊っています。その奥、画面左端には遠く離れた田園風景があり、丘陵の海岸に建てられたストーンヘンジに似た立った石が定期的に並んでいます。

このような画面は、特定の神話や物語をソースとしてはいないようです。少女には特定の名が付されていない(例えばプシュケーとか)し、神話の登場人物であればそれを示すキャラクターがあるのですが、それが意識して描かれていないようです。さらに「Love and the Maiden」(愛と乙女)という作品タイトルは特定の物語やキャラクターをしていないので、物語のキャラクターになぞらえることがありません。それだから、この作品を見る者は、物語であれば、この作品で描かれたシーンの前後が分かっていて、それを参照しながら絵を見るということがありますが、この作品では、それがありません。自由に解釈することができるわけです。これは、どんな女の人生でも起こり得る一般的な場面の寓意的描写として理にかなっていることではないでしょうか。見る者が作品の場面の前後に物語を作っても構わないわけです。

例えば、正面の少女と奥の4人を対比して、奥の4人は男女に無関心で暢気に踊りに興じています。そこに無垢さ、純真さがあって、対して、前の少女は、今まさに愛と出会って、無垢ではいられなくなる時の不安とおののきを示しています。彼女にとって、無垢であったのはところから、遥か遠くになってしまっています。しかしまた、4人の少女のいる森の奥の暗いところから、愛がいるところは花が咲き、明るく映えています。彼女は後ずさりしながらも、視線を反らすことは出来ない。そういう状態に見えます。

スタナップは、この作品でラファエル前派のスタイルと1860年代以降の新古典主義の芸術運動のスタイルという2つのスタイルの両方を融合させるようにして、いわば、スタナップのス様式の集大成のようにして制作しました。全体の平面的で透明な色彩を用いて細部を描きこむのはラファエル前派の様式ですが、ラファエル前派の特徴である自然主義的な写実の描写ではなくなり、左端の遠景や樹木の描き方はイタリア・ルネサンスの様式的なスタイルで幻想味が生まれています。森の奥で踊る4人の少女は、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」を想わせるところがあります。また、少女やそのイタリア風衣装の布地や襞の描き方はバーン=ジョーンズの「The Mirror of Venus」のようです。また、二人の男女についても、男性のポーズはレオナルド・ダ=ヴィンチの「受胎告知」の天使ミカエルを左右に反転した形に見えます。対する少女のポーズもルネサンスのポーズからきているように見えます。

また、色彩については、彼自身が調合したといわれていますが、テンペラで着色された色調は、油絵具に比べて質感はないものの、柔らかで透明感があります。その明るく柔らかい緑色の文様のような葉に対する青とピンクの花の対比が現実的でなく、まるでタペスリーの文様のように映って、それが画面全体が寓意である雰囲気を高めています。この色で雰囲気や感情的な効果を作っていくのは新古典主義の中でも唯美主義的な画家たちの間で音楽に倣って描こうとした試みに繋がっていたもので、ここにスタナップの独自の試みがあらわれていると考えられます。。

Pine Woods at Viareggio(1880年)

スタナップは、1853年に当時の教師であったG.F.ワッツと初めてイタリアを訪れ、その後20年間は慢性的な体調不良のために冬をイタリアで過ごすことが多くなりました。1873年にはフィレンツェ郊外にヴィラ・ヌッティという家を購入し、1880年にはそこに永住しました。この作品は、トスカーナ州ヴィアレッジョの松林でコーンや枝を集めている地元の3人の少女を描いたものです。この地域は今でも静かな森として知られていますが、スタナップは、まばらに配置された木々とその鬱蒼とした樹冠のイメージを目の前に浮かび上がらせています。スタナップは、乾いた草の房、雑草、枝、松ぼっくりのとがった表面を、少女たちの素足の柔らかな脆弱さと並置して、林床の葉を鋭いレベルのリアリズムで表現しています。少女たちの衣装の赤、ピンク、青は、その豊かさを維持しながらも、森の土のようなパレットに溶け込んでいます。

この作品は、古典的で聖書的な主題が多かったスタナップの作品の中では異例のものと言えます。文学や寓話、宗教的な題材を扱ったスタナップの作品とは異なり、この作品は風俗的な場面であり、特定の物語性を欠き、代わりに森の中で交流のために立ち止まる3人の農家の娘を描いています。しかし、画面構成は彼の他の作品と似ており、3人の若い女性の静かな対話は、聖書や寓話的な交流の静かな真摯さを思わせるものです。左端の少女の配置は、古典的なギリシャ建築のカリアティード(女人柱)を彷彿とさせ、彼の神話の神々が配置されているのと同じ脈絡です。

Why seek ye the living among the dread?(1896年)

この作品の意味深の題名は、新約聖書ルカによる福音書14章5節「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」から来ています。画面は、マグダラのマリアと仲間がキリストの墓に戻って、そのドアが開いていて、墓が空っぽであることを見つけるよく知られている復活のシーンを指しています。彼らはその後、キリストが死からよみがえったことを伝える2人の男性に迎えられます。スタナップはこれを挿絵風に描き、4人の人物が一枚の平行な平面に配置されています。非常に複雑な福音書の物語の一部であるにもかかわらず、彼は物語の中の限られた窓を描いているにすぎず、それによって彼の絵は、彼の初期の物語の作品よりもシンプルで直接的なものになっています。

■The Expulsion from Eden(1900年)

この作品は旧約聖書創世記のアダムとエヴァのエピソードから、善悪の知識の木の実を食べてはならないという神の教えに背いた罰として、主の御使がエデンの園からアダムとエヴァを追い払う場面が描かれています。二人は手をしっかり握り合っていますが、未来に立ち向かう覚悟が出来ていないかのように、目を覆い頭を垂れるアダムに対して、エヴァは額に手をやり、外に通じる門の彼方を見つめています。裸であることを恥じるようになったため、暗色の衣服を身に着けた二人は、労苦に満ちた不確かな未来に直面し、神が彼らのために創造した燦然と輝く美しい楽園を去らねばならない場面です。

バーン・ジョーンズの手本によって伝えられ、また自身の15世紀イタリア美術の研究によって裏打ちされたラファエル前派の造形的伝統を取り込んでいったスタナップの作風は、突き詰められていって、ある意味大げさで時代錯誤的なものになっていったと言われています。遠近感や空間の奥行き感という自然主義的な構成は試みられず、全面に散りばめられた草花や木の葉の装飾的なモティーフによって画面は艶やかさを得ています。しかし、細かく花が散りばめられ左手の人物の甲冑や、追放されるイブの髪の毛など、細密画のように、全体が過剰なほど細かく描きこまれている画面全体は、タペストリーの図案のように平面的で様式的、かつ装飾的です。この作品が、1900年にロンドンのニュー・ギャラリーではじめて展示された時、「不自然」、「説得力に欠ける」「情趣は描き方と同じくらい時代遅れ」などと酷評されたそうです。しかし皮肉なことに、こうした夢幻的で空想的なイメージが流行していたウィーンやブリュッセルといった都市の次世代を担う若い象徴主義者たちと同じように、スタナップは知らぬ間に自然主義絵画からの脱却地点に達し、後の象徴主義や、その影響を受けたシュルレアリスムの画家たちに連なる傾向を可能性を持ってしまっていたと言えます。

 ■Flora

ローマ神話の花の神フローラ。象牙のような滑らかな肌の美しい裸婦像です。題名はフローラですが、明らかにボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスから引っ張ってきたものと考えられます。彼女は小さな岩の上に立っていますが、ヴィーナスが乗っていた貝をなぞったような形をしています。その岩の下は水が流れていて、まるでヴィーナスが生まれてきた泡の海のようです。彼女の左足はヴィーナスの恋人アドニスの血から生えたアネモネの花の群落の上に立っています。彼女の後ろにはヴィーナスの象徴であるバラの花でいっぱいの木々でうめつくされ、下から見上げている翼をもった人たちはヴィーナスの誕生を祝う風神やニンフたちを模したように見えます。

同じ題材を、スタナップの姪にあたるド・モーガンが同じようなポーズで同じようにボッティチェリにならったように描いた作品があります。それと比べてみると、スタナップの特徴が際立ってくると思いますが、スタナップの作品はタペスリーの文様とかデザインのように平面的で模式のようになっています。フローラという女性の立体性はなく、髪の毛を金色の塊のように描いています。裸婦像なのですが、エロチックな生々しさを感じさせないものになっています。そして、スタナップはこの「フローラ」に限らず、ボッティチェリにならった女性像に少し手を加えて、背景などを置き換えて、別のテーマの作品を多数制作するということをしています。

Andromeda

オヴィディウスは、19世紀の芸術家にとって古典的なインスピレーションの最も豊かな源の一つである「変身物語」の中でアンドロメダの物語を語っています。彼女はエチオピアのセフェウス王の美しい娘であると言われ、その母親カシオペアは、アンドロメダはネレイド人よりも美しいと主張してポセイドンを怒らせました。彼女の母親の傲慢さはアンドロメダを海辺の岩に鎖でつないで神々をなだめるために海の怪物の生け贄にするというを宣告を招きます。幸いなことに、彼女は翼のある馬ペガサスに乗って頭上を飛んでいたペルセウスに目撃され、彼はゴルゴン・メドゥーサの切断された頭の魔法を使って、その生物を石に変えた。彼はアンドロメダを救い、報酬として彼女の結婚を認められた。

ロセッティとバーン=ジョーンズは、アンドロメダを描いた野心的な作品を残しましたが、後者の画家の作風の方が主題に適していた。ロセッティはヌードを描くことに自信がなかったので、岩に縛り付けられたアンドロメダを描こうとはしませんでしたが、ペルセウスが結婚後、アンドロメダに噴水の水に映るゴルゴンの頭を見せたという物語の後半の出来事の描写を好んで描いています。彼はこの構図を「アスペクタ・メドゥーサ」と題し、1860年代半ばに美しいドローイングを数多く描きましたが、ロセッティの後援者が切断された頭部という陰惨な題材を心配していたため、この題材の絵は実現しませんでした。バーン=ジョーンズは、1886年に同じ主題を「不吉な顔」として描くことができ、美しいイメージを描くことに成功しました。実際、バーン=ジョーンズはペルセウスとアンドロメダの物語を描いた意欲的な絵のシリーズを描いた。しかし、バーン=ジョーンズは「運命の岩」「果たされた運命」で岩に縛られたアンドロメダを描いていますが、どちらもアンドロメダの救世主ペルセウスが描かれており、アンドロメダの荒涼と孤独は描かれていませんでした。レイトンは1891年の「ペルセウスとアンドロメダ」でも、エドワード・ポインターが英雄によって自由になるアンドロメダを描いています。スタンナップの絵は、ポインターが描いたアンドロメダの描写の一つです。

この作品はサンドロ・ボッティチェリの作品、特に「ヴィーナスの誕生」の主要人物の流れるような髪や腕の位置、「パラスとケンタウロス」の岩場の描写に影響を受けています。

■Eve Tempted

Flora」と同じようなパターンの作品のヴァリエーションとして、旧約聖書「創世記」のエヴァが禁じられた知恵の実を食べるように蛇から誘惑されている場面を描いた咲く紺です。青と白と黄色の花と草の絨毯で、知恵の実のなる樹の下に裸のエヴァが立っています。一方は手のひらの後ろの土手のへりに寄りかかり、もう一方は頭の上にりんごをつかむ。イブは見る人に向かって、彼女の頭は絵の右側に、目は空ろで、左足を一歩前に出しています。彼女の長いブロンドの髪が背中を通って、ちょうど性器の領域をカバーするために彼女の右の股関節までつながって覆っています。人間の頭と赤い髪の青い蛇が木の幹と枝に巻きついて、息を吸うような誘惑をイブの耳にささやきかけています。赤い煉瓦の庭の壁の前には、小さなイタリア風のサイプレスの木と芝生を巻いた道が見えます。この作品には、他のヴァージョンもあり、スタナップは数点を微妙に変えながら描いているようです。この二つの顔のかたちはボッティチェリのフローラとゼフィロスの関係によく似ていて、エヴァのポーズは同じ作品のヴィーナスの姿によく似ています。

 
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