ラファエル前派の画家達 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 『ヴィーナス・ヴェルティコルディア』 |
このころのロセッティは作品を展覧会等で公表することはほとんどなく、彼を取り巻く親しい人々やファンの注文に応じる形で作品を制作していたといいます。とはいっても、ホランド・パークの住宅地に集まった唯美主義の画家たちの動向にも敏感であったらしいです。その中で制作されたのが「ヴィーナス・ヴェルティコルディア」(右下図)です。 ロセッティの作品としては唯一と言っていい珍しい裸体像、とはいっても半裸体ですが、です。ヴィーナスのヌードの骨格は花と髪に埋もれて判然としない状態におかれていて、これはレイトンやムーアといった同時代の唯美主義の画家たちのような古代彫刻に表わされたような理想的な肉体の美に関心が向いていなかったことを示していると考えられます。この作品がヌード像としてあるのは、ヴィーナスの乳房が露になっていることからで、ロセッティの制作の焦点はこの乳房と、その柔らかな肌合いといったエロティックな表現にあったと思われます。ここでも、ヴェネツィア派的な豊麗な色彩や官能的な表現技法を活用しています。彫刻のような理想的なスタイルに関心を向けたレイトンのヴィーナスの大理石のような白いツルツルした肌とは裏腹の艶やかな柔肌で、おとなしく目を伏せるのとは反対に情熱的な瞳でこちらを見つめるかのようです。そして、肉厚の真っ赤な唇、慎ましさからはほど遠い長く梳かれ赤い髪。このようなヴィーナスの官能性を引き立てるように、背景には伝統的なヴィーナスの花、「愛」の薔薇が、そして画面下部にはスイカズラが隈なく一面に描きこまれています。スイカズラは一般に他の樹木に痕が残るほど強くからみつくため「堅固な愛情」や「愛の絆」を表すとされといいますが、むしろ蜜蜂たちを甘い香りで誘うhoney-suckleであると考えてもいいのではないでしょうか。これらの花は、ヴィーナスの赤褐色の髪と相俟って、見る者に画面の基調色である赤を鮮明に印象付け、ヴィーナスが他ならぬ「愛」の女神であることを感覚的に伝えています。そのヴィーナスの愛の力を証明するかのように、画面右上には一羽の鳥が、そして林檎や矢、ニンブスの周囲には蝶が描かれています。これらは、いずれもヴィーナスの魅力の虜となった男たちの「魂」の象徴である。 「ヴィーナス・ヴェルティコルディア」という名前は、ラテン文学では、美徳と貞操を鼓舞するヴィーナスの能力を意味していました。このフレーズは、オウィディウスの「祭暦」やヴァレリウス・マキシマスの詩にも登場します。しかし、ロセッティが意図したのは、男の心を貞節から遠ざけるヴィーナスの能力を示唆することでした。ロセッティの詩は、「フリジアの少年」、つまりトロイの王子パリスに言及することで、トロイア戦争に言及しています。画面の中のリンゴもまた、トロイア戦争に言及しています。これは、パリスの審判の際に、世界で最も美しい女性ヘレンの見返りとしてヴィーナスに与えられたヘスペリデスの黄金のリンゴです。リンゴを与えられた後、ヴィーナス・ヴェルティコルディアの介入により、パリスはニンフのオエノーネから心をそらし、ヘレンは夫のメネラウスから心をそらした。エデンの園の禁断の果実が人間の堕落を引き起こし、プロセルピナが冥界でその果実を食べたことで投獄されたように、一見何の罪もない果実がトロイア戦争の原因となったのです。ヴィーナスはリンゴを自分の黄金の肌にかざして保護していますが、それは彼女の心臓、つまり胸の視覚的なメタファーと見なすべきであることを示唆していると考えられます。 ロセッティは、この絵のために次のようソネットを作っています。 汝がためと彼女が差し出すは林檎、 されど心のうちなる躊躇に今にも引き戻すかと見える。 両の眼をじっと汝の魂の奥深く注いだまま 彼女は思いを凝らす。 折しも、口開き彼女は言う「彼は今安らいでいる、 だが見よ、林檎を口に押し当てて 甘さも束の間、矢が心を貫けば とこ永遠にさまよい続けるがさだめ」。 彼女の眼差は、いましばらくは含羞むかもしれぬ。 だが、呪いの果実を与える好機と見るや、 たちまちその眼は炎と燃える、かのフリギアの牧童を見た日のごとく。 さればまた声を限りに鳥は悲しみを告げ、 はるかに海は、一片の貝殻のごとくさざめき渡る。果たして、 小暗き森の木の間からトロイを焦がす火の閃き。 このソネットに歌われているように、作品の中でヴィーナスは決して林檎を潔く差し出してなどはいません。ヴィーナスはいったん林檎を差し出すと見せて、男がそれに手を伸ばし唇に押し当てたと見るや、愛欲の矢で心を貫こうと待ち構えているのです。この林檎は、ギリシャ神話の中で、不和の女神エリスが「最も美しいものへ」と記して、神々のいる広間へ投げ込んだという黄金の林檎のことです。これがもとで「誰が最も美しいか」という女神たちの争いとなり、やがてトロイ戦争を招くことになったのです。神話の中で、ヴィーナス「最も美しいもの」の審判者となったフリギアの純真な牧童パリスを誘惑することで勝利を勝ち取ります。それが「不和」の林檎なのです。だから、ロセッティにとってその「呪いの果実」は、フリギアの牧童であるパリスを愛欲の虜と化して、妻オイノーネのもとから美女ヘレーネへと走らせた「誘惑」の林檎でもありました。このように人の心に愛欲の炎を燃え上がらせ、己が意のままに心を操り、果ては戦争すら起こしかねないすさまじい愛の力のために、このヴィーナスはVenus Verticordia(人の心を変えるヴィーナス)と呼ばれることになりました。 つまり、ロセッティにとってヴィーナスは、清らかな精神的な愛の女神どころか、「誘惑」の林檎をちらつかせて男たちを翻弄する狂おしい愛欲の女神であったのです。 あらためて画面を見ていきましょう。 「ヴィーナス・ヴェルティコルディア」は、力強い女性の魅力の本質を捉えようとしたロセッティの欲求の頂点を表しています。彼女が右手で持っている矢は、恋人たちの心を貫き、愛を鼓舞する甘い毒で癒えない傷を負わせるために使われるエロース(ヴィーナスの息子)の武器を象徴しています。また、矢はトロイの戦場でパリスを致命傷にする矢として、パリスのさらなる象徴としても見ることができます。ヴィーナスは矢の軸を槍のように持ち、見る者に傷を負わせるために構えているかのように矢を引き寄せています。
りんごの木の間のやわらかな谷間で。 隠れた穴の上に彼女は立っている。 … 人生の目は彼女の額から輝いている公正な。 彼女の胸からは死の魅惑的な目が… リンゴを食べる黄金の蝶は、魅力と食欲を象徴しています。古典的な神話では、蝶は人間の魂を象徴しており、蝶の翼を持って描かれることが多いプシュケに代表されます。乙女のプシュケはヴィーナスの息子エロースの恋人であり、プシュケがエロースに背いたことで愛の女神の怒りを買ったのです。
私はスイカズラを摘みました。 高台の生垣は棘があって素早い。 そして、賞品のために登っていたのが、破れてしまった。 足を泥水で汚した 茨と風に打たれて 取った花は薄くなっていました。 それなのに私は甘くて公平だと思った この作品ではヴィーナスの頭の背後に後光やニンバスを描いていますが、これは一部の人にとっては、後光はこの官能的なヴィーナスと聖母を結びつける冒涜的なものと映りました。しかし、この後光は、ロセッティにとってヴィーナス・ヴァーティコルディアがどれほど重要な存在であったかを示しています。 唯美主義とヴィーナス
こうした状況のなかで、このような画家たちがヌード作品を制作したのは、かれらの描く裸体画が単なるヌードではなく、古代ギリシャの女神ヴィーナスを描いたとものであったということによるものです。言い換えるならば、それが古代ギリシャを連想させずにおかない存在であることが、何にもまして重要でした。つまり、古代ギリシャの風土と文化の連想は、裸体性を正当化するものだったわけです。ギリシャの風土と裸体に対する論調が、ギリシャのような風土では裸体は低劣な観念を呼び起こすものとはみなされないと評価され、一般の人々の心の中で裸体は、完璧な美の概念、高邁な理想主義、深い精神的洞察と結びついているのであると積極的な価値と結び付けられていきました。そのなかで、唯美主義の画家たちは、規制や偏見をすり抜けるようにヴィーナスを描いていきました。
これに対して、A・ムーアの「ヴィーナス」(右図)はレイトンのヴィーナスの2年後の1869年にロイヤル・アカデミー展に出品されたものです。しかし、当初審査委員会はおおむねこの作品の出品に難色を示したと言われています。審査員たちに出品を渋らせた要因の一つにはこの作品が“なめらかな仕上がり”を欠いていたことに求められます。仕上げや完成度は、グランド・マナーを奉ずるロイヤル・アカデミシャンにとっては、絵画の必須条件でしたし、レイトンのヴィーナスの「流麗さ」に較べれば、ムーアのヴィーナスは未完成と思われたとしても不思議はありませんでした。しかし、“なめらかな仕上がり”の欠如だけで酷評を招いたとは想像しにくい。ムーアの場合、致命的なことはヴィーナスを取り巻く場の設定でした。室内を仔細に見てみると、そこにはまったく古代ギリシャを思わせる要素が欠けていることに気づかされる。それどころか、画面左下にはいたって近代的な椅子さえ置かれているし、およそ場違いな東洋の染付はそれこそ1860年代の趣味に他なりません。つまり、この室内は、描かれた裸体がヴィーナスであることをむしろ妨げ、見る人によっては画家のアトリエとも見えかねないものとなっているのです。古代的な設定に対するこうした無頓着さは、彼の意図がレイトンのそれとは大幅に異なることを示唆するものですが、そのことは彼がこれをVenusではなく、A
Venusつまり「ヴィーナスのようなもの」と題したことからも明らかでした。ムーアにとってはヴィーナスという型が重要なのであって、ことさらギリシャ神話の女神ヴィーナスである必要はなかったのである。古代ギリシャのヴィーナスならぬ、近代的な画家のアトリエのなかにいるヴィーナスのようなものが非難されないはずはなかったのです。 ある意味でレイトンをはじめとする1860年代後半のヴィーナス崇拝現象は、近代産業社会の中で見失われつつあったのびやかな肉体と精神に対する憧憬の現われであったが、それはまた当代の上品ぶった趣味に対する古代ギリシャの威光を借りた挑戦でもあった。画壇の外で許されることと画壇のなかで許されることの差がほとんどなくなりつつある危機的な状況のなかで、再度画壇の特権的な地位を恢復する試みであったといってもよいだろう。
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