ラファエル前派の画家達
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
『祝福されし乙女
 

 

ロセッティ自身の同名の詩を絵画化した作品です。「祝福されし乙女」という詩は、詩人としてのロセッティの代表作とも言える作品で、1847年、彼が19歳の時の作品です。先に天国に逝った女性が、地上に残してきた恋人と再会する日を待つという内容の詩です。

この絵画は乙女を描いた部分と地上に残された恋人を描いた2枚のキャンバスと金色の額縁も含めた一体化した作品です。その金色の額縁の下の枠にもとの詩の中から4つの節が選び出されて、その詩句が書かれています。

上の方のキャンバスは祝福されし乙女が描かれています。神の家の外壁に立つ乙女は、地上の恋人を見下ろしています。神の家のなかは薔薇で埋め尽くされています。薔薇は、乙女が持つ白百合と並んで、聖母マリアの象徴です。乙女は、恋人と聖母を訪ねることを夢見ます。しかし、地上は遥か下方にあり、とても目にすることはできません。乙女は、恋人が未だ来ないことを「天国で、わたし、ちゃんとお祈りしていますよね?地球で、/ねえ神さま、あの人もお祈りしていますよね?/二人が同じことを祈ったら最強ですよね?/心配しなくてもいいですよね?」と不安に思います。彼女の周りでは、再び結ばれた恋人たちが、抱き合っています。乙女はさらに身をかがめるのですが、地上にいる恋人には願いは届かず、2人をつなぐ道は消えてしまいます。

この全体の構成は、聖母マリアの置き換えに見えます。たとえば、チマブーエの「荘厳の聖母(サンタ・トリニタの聖母)」と見比べると聖堂の屋根を境界にして下側にダビデ王とユダヤ人の祖アブラハムという地上の人間が天上の聖母に気がつかず前方を見ているという構図は、そのまま、この作品の天国で待つ乙女で地上の恋人の関係に置き換えることができます。聖母は天使に囲まれていますが、乙女は抱擁しあう恋人たちに囲まれています。しかも、この作品の抱擁しあう恋人たちの背後には天使の光輪のように金色に塗られています。従って、聖母をとりまく天使になぞられていることは意図的であることが推測できます。そして、ロセッティの独自なところは、聖母像の場合は神聖さをあらわしているところを、抱擁している恋人という愛と性、いってみればエロスに置き換えているところです。この抱き合う恋人たちは、魂となっていながらも、身体と唇を重ね合わせています。この恋人たちのリズミカルでシンメトリカルか配置はボッティチェリの「神秘の降誕」の前景に描かれた3組の抱擁する天使と人間の図柄の影響を受けていると言われています。ボッティチェリは天使と人間の接吻を深い感情を表わす身振りとして描いたといわれていますが、これに対してロセッティにとって接吻は、恋人たちの魂がひとつになるという神聖なニュアンスを含んでいたといいます。魂の交歓が行われるためには、言葉を放棄する接吻が必要だったというわけです。そして、この恋人たちは、ボッティチェリの図案のような描写とは違って激しい感情の動きをぶつけるようにして抱き合い我を忘れているように見え、アール・ヌーボー的な曲線で、それを表わしています。恋人たちの背後に金色の光があるように、中心である乙女のところだけが画面が明るくなって、彼女の顔の若々しい美しさが輝いているようです。しかし、この明るくなっているところには、光が差しているわけではく、そう描かれていないので、これは明らかに光は内側から発していると言えます。それに伴って、彼女の光によって背後の彼女近くの薔薇は真赤ですが、彼女の腕の周りと顔の下の薔薇は少し影になっています。その明るさによって、この画面は乙女が地上を見下ろしている部分(彼女は絵を見る者からは見上げられるように仰角気味に描かれています)と、彼女の上方のくらいところで抱擁しあう恋人たちの部分、そして、彼女の下の3人の天使たちの部分です。黄金の欄干の下には、中央に翼のある子供の顔で表現された智天使(ケルビム)、両側に天使(エンジェル)が描かれています。この智天使はドナテッロがサン・ロレンツォ聖堂旧聖具室におさめた智天使の浮彫りから示唆を得たと言われています。画面全体が空間の奥行きがなくて平面的で余白がないのですが、それぞれの部分は空間が別々になるので、それを画面の明るさ、そして、緑と赤と金色の色彩の使い分けで、その空間レベルを描き分けています。この3つ空間が画面では乙女を真ん中にして、その上下に抱き合う恋人たちと、3人の天使がはさむようになっています。乙女の下側の天使たちは人間ではないので、恋人を待つということはない存在です。つまり、乙女の情報は彼女の憧れる抱き合う恋人たちが、そして乙女と地上の恋人との間には、恋人を待たない天使たちが立ちはだかるように空間を占めています。乙女は恋人に再会することに憧れながら、それを阻止されているということです。それは、彼女が手にしている花が、白百合であり純潔の象徴で、彼女の周りには情熱の象徴である薔薇が取り巻いています。しかし、彼女は薔薇を手にしてはいないのです。

なお、同じ詩の第1文節の部分をバーン=ジョーンズも絵画化していますが、ロセッティとは違うので、見比べるのもよいでしょう。

参考に、ロセッティの詩を以下に紹介しておきます。

 

祝福されし乙女は身をのり出した、

天国の金の柵の上から。

その目は深く、夕暮れ時に

静まった海よりも深かった。

その腕にはユリが三本あって、

七つの星が髪に飾られていた。

 

彼女のドレスは首から裾までゆるやかで、

つくりものの花などついていなかった。

ただマリア様にもらった白いバラを

礼拝のためにつけていた。

彼女の髪は背中になびき、

熟れたトウモロコシのような黄色をしていた。

 

彼女は思っていた、「まだ一日もたっていないみたい、

わたしが神さまの合唱隊に入ってから」、と。

そんな不思議そうなようすが、

まだ彼女の目にはうかがわれた。

地上に取り残された者たちにとって、彼女にとっての一日とは

実際には十年のことなのだった。

 

(特別長い十年・・・・・・

でも、今さっき、まさにここで、

確かに彼女はぼくにもたれていた−−髪が

ぼくの顔にかかっていて・・・・・・

いや、ちがう、秋の枯れ葉が落ちてきただけ・・・・・・。

一年なんてあっという間だ。)

 

神の家の城壁に

彼女は立っていた。

その家があったのは、天のいちばん深く遠いところ、

空間のはじまりのところ。

本当に高いところにあったので、下を見ても、

彼女には太陽がほとんど見えなかった。

 

その城壁は、天のエーテルの川に

橋のようにかかっていた。

下では、昼と夜が、潮のように

満ち欠けしながら、炎と闇で

虚空を覆い、つつんでいた。ずっと下のほうまで、この地球が

落ちつかない虫のようにくるくるまわっているところまで。

 

彼女のまわりでは、再会したばかりの恋人たちが、

永遠の愛の喝采のなか、

たがいにずっと呼びあっていた、

心が覚えている名前で。

神のもとへとのぼっていく魂は、

細い炎のようになって彼女のそばを通っていった。

(37-42)

 

ずっと彼女は身をのり出し、下を見ていた。

輪になって歌う恋人たちのところから。

彼女がもたれ、その胸にあたっていた

手すりがあたたかくなるほどに。

ユリの花たちが、まるで眠るかのように、

彼女の腕に抱かれていた。

 

動かない天国から彼女は見た−−

〈時〉は、激しく脈打ちながら

世界中を流れていた。彼女は、

下の虚空を貫くかのように

じっと見つめ、そして話しはじめる。

まるで空の星たちが歌うときのように。

 

太陽はどこかに行ってしまっていた。髪のようにカールした月が

小さな羽のように

ずっと下のほうではためいていた。今、

音のない空間に彼女の声が聞こえる。

その声は、星たちの声のよう。

星たちがいっしょに歌っているときのよう。

 

(ああ、たまらない! 今、あの鳥の歌のなかで、

彼女も何か伝えようとしていたのでは?

聞いてもらおうとしていたのでは? あの鐘の音が

真昼の空に響いていたとき、

彼女の足音がぼくのところまで下りてこなかったか?

こだまの階段を下って。)

 

「あの人もここに連れてきてもらえたらいいのに。

いつか来るんだし、ね」、と祝福されし乙女はいった。

「天国で、わたし、ちゃんとお祈りしていますよね? 地球で、

ねえ神さま、あの人もお祈りしていますよね?

二人が同じことを祈ったら最強ですよね?

心配しなくてもいいですよね?」

 

「あの人の頭にも光の輪がついて、

そして白い服を着てここに来てくれたとき、

わたし、手をつないでいっしょに行くの、

光りの泉のところに。

そして川のなかにふたりで歩いて

入っていくの、神さまの前で。」

 

「わたしたち、神殿にいくの。

誰も知らない、行ったことがない、あの神秘的な神殿に。

そこの明かりの火はいつも揺れてる、

神さまのところにのぼってくるお祈りで。

そのなかには地上にいた頃のわたしたちのお祈りもあって、それはみんな

かなえられて、溶けて小さな雲のようになるの。」

 

「わたしたち、ふたりで寝転がるの、

あの神秘的な木の陰のところで。

あの不思議な葉っぱのあいだには、ときどき

聖霊の白い鳩がいるような気がする。

その羽がふれた葉っぱは、みんな

声を出して神さまの名前を呼んでいるわ。」

 

「そしてわたし、あの人に教えてあげる。

木陰で寝転がりながら、

わたしがここで歌っている歌を教えてあげる。あの人は

それを少しずつくり返して−−ゆっくり、とぎれとぎれに−−

でも、ひとこと歌うたびに、新しいことを知るの。

新しいことに気づくの。」

 

(あ! 「わたしたちふたりで」、「ふたりで」っていったね!

そうそう、君とぼくはふたりでひとりだった、

ずっと昔のあの頃。神さまは、天にあげて

くれるかな? 永遠にひとつに結びつけてくれるかな?

君のとは似ても似つかぬぼくの魂を?

愛という点だけは同じはずなんだけど。)

 

「わたしたち、ふたりで」、彼女はいった、「森に行くの。

そこには、マリアさまと、

五人の召使いがいっしょにいるわ。五人の名前は、

五つのきれいな交響曲みたい。

セシリア、ガートルード、マグダレン、

マーガレット、そして、ロザリスって。」

 

「みんな輪になってすわっている。髪はしばってあって、

花冠をかぶっててい。

そして炎のように白い、さらさらの布をつくっているの、

金色の糸を機で織って、ね。

それで産着をつくってあげるの。

生まれたばかりで、でも死んでしまった子たちのために。」

 

「あの人、びっくりして、だまってしまうかも。

でも、そしたらわたし、頬を

あの人の頬にくっつけて、好き、っていってあげる。

はずかしがらずに、はっきり、ね。

マリアさまもほめてくれるわ。

大胆ね、でもいいわ、もっといいなさい、って。」

 

「マリアさまは連れて行ってくれるの。手をつないだわたしたちを、

あの方のところに。あの方のまわりでは、魂になった人たちが

みんなひざまずいている。列になって、数えきれないほどの

透きとおった人たちが、頭を下げて拝んでいるの。光の輪がついた頭を、ね。

そして、天使たちは、わたしたちを見て歌ってくれるの。

シターンやキタラを弾きながら。」

 

「わたしは、そこで主なるキリストさまにお願いするの。

こんなふうに、あの人とわたしのために−−

昔、地上でそうだったみたいに、愛しあって

生きていきたい−−

地上では少しのあいだだけだったけど、これからはずっと、

わたし、あの人といっしょにいたい、それだけでいい、って。」

 

祝福されし乙女は、じっと見つめ、耳をすまし、そしていった。

寂しげ、というより、やさしい声で−−

「みんな、あの人が来てからの話ね。」 そして、口を閉じた。

光が彼女に向かってやって来た。その光のなかには、

力強く飛ぶ天使たちがいた。

乙女は目でお祈りをして、そしてほほえんだ。

 

(ぼくには、ほほえむあの子が見えた。) しかし、天使たちの光は、

遠くの空にかすんで消えた。

乙女は、両腕を

金の柵の上にのせて、

両手で頬づえをついて、

泣いた。 (ぼくには、涙が聞こえた。)

 

 
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