ラファエル前派の画家達 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 『ボッカ・バチアータ』 |
「ボッカ・バチアータ」(左図)というタイトルは、はボッカチオの「デカメロン」2日目第7話の一行“Bocca Baciata non perde venture, anzi rinnuova come fa la
luna”(接吻された口は、幸運を失うことなく、月のごとくつねに新たなり)から採られてます。この作品はロセッティの転機を象徴する作品となっています。この作品が描かれた1859年ころから、ロセッティの作風を大きく変化しました。つまり、ラファエル前派兄弟団のころから1850年代を通じて見られた、輪郭の強調された硬く平板な人体表現や、輪郭の間を細かな筆致で埋める賦彩法、あるいはものがたり的なシンボルを散りばめた主題性といった特質に替わって、滑らかな筆法と豊かな色彩によって華やかな女性美と色彩の饗宴が繰り広げられるようになります。画面の君臨するのは華やかな衣装に身を包んだ豊かな体躯の女性の半身像です。まるでその女性の美しさを讃えるかのように色とりどりの花々や豪奢な宝飾品が添えられています。画面一杯に配した女性の美しさと、髪や林檎、マリゴールドの花、欄干の煉瓦が醸し出すオレンジ色を基調とした色彩の調和に重点が置かれています。その反面では物語的な要素は希薄化しています。しかし、比重が女性美と色彩の調和に傾いたからといって、ロセッティは絵から意味の伝達ということを完全に葬り去ってしまったわけではないのです。このころからとりわけ花(植物)のイメージが画面の中で重要な意味を持つようになってきます。つまり、ロセッティは植物のイメージ(花詞)によって、画面の装飾性や女性美を損うことなく、むしろ一際華やかに引き立てながら、同時に描かれている女性のタイプや性格をも秘かに暗示しようとしたのです。この「ボッカ・バチアータ」にも、マリゴールドや薔薇や林檎が描かれています。これらの植物のイメージき、画面の色のバランスを巧みに操りながら、花詞によって彼女の人を惹き付けてやまない魅力ゆえの悲しみをそれとなく暗示しています。彼女の悲しげな表情はそれを裏付けているのです。しかし、誤解のないように、つけ加えておきますが、ここには以前のような物語も道徳的な意味づけもないのです。あるのは一種の暗示的な雰囲気なのです。 この「ボッカ・バチアータ」は、ロセッティ本人の言によれば、「人間の肌を細かな点描で彩色することはやめて」「すばやく肌を描く」方法への転換を試みた、という作品です。初期のラファエル前派の小区画ごとに下書きの上に白い地を塗り、その下地から透けて見える線に沿って細かい筆致で油絵具で描いていくという手法から、筆遣いをもっと大きなストロークで筆触を残しつつ肉付けをするようにたっぷり絵の具を残していく書法に替わってきています。この作品では、花や装飾品に満ち満ちた女性の半身像が、豊かな髪の流れ、肌の輝き、緩やかな衣の襞などによって受精の官能的な魅力が追求されています。ここにおいて、ロセッティは、このように初期のラファエル前派兄弟団の頃からスタイルで文学の一場面を題材とすることから離れていき、物語の意味内容とか道徳的な教訓よりも、雰囲気を味わい感覚を喜ばせるような、彼の有名な作品に多い官能的な女性の半身像のスタイルをここで見出したと言えます。彼女の前に置かれた棚の上のリンゴは彼女の旺盛な性欲を象徴しており、それはイヴと堕落を連想させるものでもあります。これは不思議なことに、無邪気さを象徴する白いバラの髪や、「花言葉」では悲しみや痛みを意味するマリーゴールドの背景と矛盾しています。したがって、この作品は象徴性や道徳性というよりも、ただ美的な鑑賞するためのものであるという考えをさらに強めています。 また、同じころロセッティは16世紀のヴェネツィア派の作品に出会います。ジョバンニ・ベッリーニ作と伝えられる「聖ドミニコ」(右図)の肖像を手本として、手前に手すりや窓枠を描いて作る画面内の浅い空間の中に、人物を大きな比率で描いていくようになります。その人物は、肌の量感や髪の流れ、衣の襞の表現に主眼をおいた、全体として官能的な女性像になっていきます。試しにティツィアーノやパルマ・ヴェッキオの同じような作品(右下図)と比較すると、ロセッティの1850年代以前の角張ったステンドグラス風の女性から、豊満で肉付きが良くて、官能的な女性に通じていることが分かります。ヴェネツィア派の絵画の特色の一つは、線描よりも色彩を重視する点にあると言いまが、ロセッティはこれに倣うように、ひとつの色の微妙な変化や、対照的な二色の調和による画面全体の感覚的な効果に力を注ぐようになりました。具体的に言えば、滑らかな筆のストロークが、色の艶や、限られた色からの多彩な諧調を作り出すことによって、全体の色調に統一感を持たせつつ、決して単調にならない豊かさを兼ね備えたものとなっています。このような傾向は、ロセッティの描く作品が、物語的な意味を内包したものから、純粋に絵画的な効果、感覚的な魅力の方向、言ってみれば唯美主義的な傾向を強めていくことになっていったと言えます。 このような「ボッカ・バチアータ」にシンボライズされたロセッティの作風の転換で注目すべきは、この唯美主義的な姿勢であると思います。ロセッティのヴェネツィア派絵画への傾倒も唯美主義的な絵画として性格から考えられると言えます。これには、ロセッティ自身が象徴的なシンボルを細かく描きこむことに伴う手間や根気、あるいは細密な表現に違和感を強く抱いていたこともあったと思いますが、時代環境がラファエル前派兄弟団のころから大きく変化していたと言うこともできます。それは、ロセッティが「ボッカ・バチアータ」を発表したのと同じ1859年、のちにヴィクトリア朝古典主義と呼ばれる古代ギリシャ風絵画の一大ブームを巻き起こすことになるフレデリック・レイトンがロイヤル・アカデミー展に「パヴォニア」(左図)を出品し、評判を呼んだことにもあらわれています。ちょうどそのころ、19世紀初頭に大英博物館がエルギン伯爵家から買い入れたギリシャのパルテノン神殿の大理石彫刻群の壮麗な美しさが再認識され、隆盛を極めた感のあるラファエル前派のあまりに自然主義的で瑣末な写生への一種の反動とも相まって、次第に古典主義的な理想の美を追い求める方向へと傾いていきました。同様に、そのような美そのものを追求したイタリア・ルネサンス期のヴェネツィア派絵画へのあらたな熱狂がおこりました。中世とルネサンス以前の芸術の魅力を世に知らしめ、ラファエル前派の理論的支柱となったラスキンでさえも、「近代画家論」最終巻においてヴェネツィア派を絶賛したと言います。そうした時代の流れと見事に合致したのが、レイトンの「パヴォニア」でした。抑制が効いてはいますが華麗な色調と、物語的主題ではなく人物の雰囲気を強調するその詩的な絵画性は、レイトンの初期作品のなかでも群を抜いてヴェネツィア派的なものとなっています。そして画中の蠱惑的な女性像が、ナンナ・リジという実在の女性をモデルとして描かれたこと、ファニーをモデルとしたロセッティの<ボッカ・バチアータ>同様、いかなるコンテクストももたない感覚的な美女の図であることは同じです。このようにロセッティとレイトンという持てる資質も受けた教育も、さらには以後積み重ねてゆくキャリアも全く異なる画家同士が、作品性の酷似する絵画をほぼ同時期に制作していたのです。これは、ラファエル前派、古典主義といった画風や流派をこえて、1850年代末以降の少なからぬイギリスの画家たちは、感覚的色彩美や形態美を尊び、美そのものを追求する唯美主義へと向かい始めていました。事実1860年代から80年代にかけて、ロセッティが描いた女性像とレイトンやワッツらヴィクトリア朝古典主義者たちのそれとの間には、次第に共通点が多くなってきます。19世紀後半におけるラファエル前派と古典主義は決して切り離して語られるべきものではなく、むしろ唯美主義という一大芸術思潮に包含され、その両極を形成していきました。そういう時代風潮の中で、1850年代末期にいちはやく唯美主義を実践していたロセッティの「ボッカ・バチアータ」はレイトンの「パヴォニア」と同じように、時代に敏感であったと思います。
〔ヴェネツィア派の復権〕 時代を遡ると、結成当初のラファエル前派の画家たちは、アカデミックな伝統や約束事という色眼鏡を外して、直に自然に向き合おうとしました。彼らは、自然はそのまま細大漏らさず忠実に写し取るべきだと考えました。その信条の背後には自然界の森羅万象をすべて創造主の知恵の顕れと見る18世紀の自然神学の影響がありました。したがって、ラファエル前派の克明細密な自然描写は、どんなに取るに足らない瑣細な事物であれ意味なく存在するものはなく、斉しくメッセージ伝達の重要な器となり得るのだという信念の現われでもありました。しかし、それは、次第に、事実や自然に対する忠実さを重視するあまり、美というものを蔑ろにしているといわれるようになっていきます。 このような、自然より美を求める声が強くなった背景には、近代科学の専門化による宗教との分化が起こり、自然は神の創造物として見ることがなくなっていったからです。そして、神や自然が据えられていた座に代わって就こうとしたのが美でした。むしろ迷いを深めかねないような宗教的・倫理的主題とは無縁な純粋な美が求められた。そのニーズがヴェネツィア派に格好の対象を見出したのでした。ヴェネツィア派は長らく以前から感覚的な美においては秀でてはいるものの、精神性にかけるという評価でした。それが逆に時代の要請に応えるものとして、ヴェネツィア派の評価が逆転したのでした。 |