ラファエル前派の画家達 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 『アスタルテ・シリアーカ』 |
1875年から1877年にかけてロセッティは、「アスタルテ・シリアーカ」を制作しました。その大きさは「ダンテの夢」に次ぐサイズで、何よりもこのことが雄弁に彼のこの作品にかけた息込みを伝えていて、ロセッティ自身が最も重要な作品と考えていたことは、これに生涯最高の値段をつけたことからも十分考えられます。 ここでのアスタルテとはアプロディーテの原型となったとされるシリアの豊饒多産の女神です。この作品の中で、アスタルテは、二人の有翼の精霊を背後に従えて、正面を見据え、手つきも妖しく薄明のなかにその堂々たる姿を現わしています。アスタルテを中心に二人の精霊がシンメトリックに配されることによって、画面にはイコンめいた厳しい落ち着きが与えられ、さらに精霊やアスタルテの腕の描く微妙な彎曲がそれにリズムを与えています。このころのロセッティの作品は<プロセルピナ>などにも顕著に窺われるように、女性の肩や腕の描く曲線が構図の重要なポイントとなっている例が多いのですが、右手を胸に左手を腰に下ろしたこのアスタルテのポーズは、いわゆるVenus
Pudica(慎みのヴィーナス)のポーズを踏襲したもので、これはアスタルテの素性を視覚的に暗示しようとしたものと考えられます。他方、アスタルテの長大にしてがっしりと逞しい体躯には、彼が1870年代少なからぬ関心を寄せたミケランジェロの影響が窺われます。彼女は手で胸と腰を飾る銀のベルトを弄んでいる。これが人の心のみならず神々の心すら虜にする力を持つという、ヴィーナスの“魔法の帯”であると言われています。しかも、そのデザインは、二つの薔薇と柘榴の連続モティーフで、この薔薇(愛)と柘榴(死と再生)というモティーフの選択は、ヴィーナス(アスタルテ)の愛の力の不滅製を強調するためと考えてもいいでしょう。 顔を仰け反らせて向かい合う二人の精霊の間には、松明の煙にかすむ太陽と月とが極めて図案化された形で描かれ、アスタルテの後光ともなっていて、また彼女の頭上には、さらに金星(ヴィーナス)が赤紫色に煌く八芒星として描きこまれています。この太陽と月については、この絵のために作られたソネットにも次のように歌われています。 シリア人のアスタルテ、アフロディーテ実生前の 女王ヴィーナスを。銀色に輝く二重の帯に 天と地とが語りあう至福の恵みを 無限につなぎとめ、 その花にたわめる茎にも似た頸に 愛充てる唇と不滅の瞳を宿せば、 心ははるか天界の調べに和してときめく。 麗しき供の乙女ら松明をかかげては 空と海の彼方なる光の御座を急きたてて 美神の顔を見よと呼ばわる。 その顔は無碍なる愛の呪の護符、 魔除け、神託─、 太陽と月の間なる一つの神秘。 金星(ヴィーナス)は、明けの明星として、また宵の明星して、昼(太陽)と夜(月)のあいだの薄明の空に現れて、燦然と輝くものです。言い換えれば、昼から夜へ、そして夜から昼へという日々の死と再生のサイクルの要として現れるのが明星であり、それを司るのがヴィーナス(愛)なのです。そうであればこそ、アスタルテは、その帯に薔薇と柘榴を形どり、その顔を遮るもののない愛の力の証しとして照り輝かすのです。そして、空にアスタルテの顔(明星)の約束を見ようとするものにとって、その光は愛の護符となり、神託となります。それはまさしく男と女、昼と夜、生と死、太陽と月のあいだの神秘を一身に体した愛の女神と言えます。 「アスタルテ・シリアーカ」は、ロセッティ晩年特有のマニエリスティックな人体表現や暗い彩色のため、作品としての評価が時に分かれるものの、女性美を通して愛の力の神秘を表現しようというロセッティ畢生のテーマの一到達点であったことは間違いないと思います。時に残酷に人の心を弄び、時に気高いふるまいに駆り立てる愛が、宇宙を支配する普遍的な原理であるというのは、おそらくロセッティ自身の実感でもあっただろうと思います。女性たちを愛し、愛したが故にロセッティは数奇な運命に弄ばれ、時に精神に支障をきたすことになりました。しかし、ロセッティは、否応ない愛の力の前でいかに自分が無力であるかを身をもって思い知らされたばかりではなく、その愛の力こそが自分の創作の糧であり源泉であることも十分自覚していました。この作品のアスタルテは、単なる外面的な美しさやリアリティを超えた妖しい力で見る者に迫ってくるのも、せめて愛する者の絵姿のうちに愛の理想を成就しようとする、彼の止むにやられぬ思いが籠められていたからであると思います。 |