ラファエル前派のイデオロギー
ジョン・ラスキンとその影響
 

 

 

ラファエル前派について「反抗」というキーワードを提示し、彼らの理念が先行している姿勢が特徴的であるという議論を進めてきました。だいたい二十歳に達するか否かという年齢の若者は、現代であれば血気に逸ってしまう傾向があるものです。だから、彼らが大人に反抗するという場合でも、一時的には大きく盛り上がるのですが、その場で発散してしまうように時の経過とともに急速に萎んでしまうことが普通です。したがって、「反抗」という姿勢を長期間にわたり保ち続け、それを運動として複数の人間により組織的に維持させるためには、何かプラスアルファが必要です。ラファエル前派の場合には、彼らの姿勢に対して思想的なバックボーンを与え後押ししたり擁護した人物がいました。その中で、最も有名な人がジョン・ラスキン(1819〜1900)という美術・社会批評家です。ここでは、ラスキンについて、ラファエル前派と交錯するところを中心に議論を進めたいと思います。

ジョン・ラスキンは富裕な葡萄酒商人の家に一人息子生まれました。彼の母親が福音派の信仰篤かったため、幼い頃から聖書に深入りする等、学校へ通うことなく、両親のもとで家庭教師によって教育を受けたそうです。そのため、友人もなく、子供らしい遊びをすることもなかった代わりに、膨大な読書とともに自然観察やスケッチの習慣を身に着けたといいます。両親にスポイルされ、過保護に育てられた、ひよわだが膨大な知識を持ち、感覚が鋭敏な、現代で言えば、ひきこもりのオタクみたいな人だったのではないかと思います。

そういう育ち方を大きな要因として、ラスキンは「見る」ということを中心に物事を考えていく、つまりは彼の思想の根底には「観察」ということが大きな位置を占めていたと考えられます。彼の大きな関心の対象が建築や美術という見るものであったのは、そのような「見る」という志向に沿うものだったと思います。ラスキンは、美術や建築だけでなく社会批評も行いましたが、ここではラファエル前派との関係で議論をすすめているので、そこまで議論は広げないことにします。

 

(1)「見る」ことを根底に置いた思想

ラスキンという人にとって見ることは呼吸することと同じくらい生きていくために不可欠な行為だったのでしょう。彼は見るために描き、書いたのではないでしょうか。彼のこの特別な視覚、つまり、たんに見るだけではなく、どのように見るのかという意味での視覚能力は、その子供時代にルーツを探ることができると思います。

そういうラスキンだからこそ、すべての真実は視覚的に解釈することができると考えることができたのだと思います。かれは、このテーゼに次のことを付け加えます。何かを学ぶためには、人は自らそれを見ることが必要だ。ラスキンの美学理論は、このように直接見るということから始まります。それが、次の有名な指針に表われています。

「決意を固めて自然のもとへ赴きたまえ。そして心を尽くし、心を傾けて彼女とともに歩め。彼女の深淵な意味の深きに心を留めよ。何ひとつ拒否することなく、何ひとつ選ぶことなく、何ひとつおろそかにすることなく(中略)真実の中でとこしえの喜びを感じるのだ」

ラスキンは、私たちが見ているものを描くのではなく、描けるものをみているのだと考えます。人は慣例によってものごとを見ている。そして画家は、このような日常生活で視覚を縛る慣例と、芸術上の表現方法を縛る慣例によって二重に縛られている、と彼は考えます。そして、画家がこのように縛られてしまうと、その画家による作品を鑑賞する人々も同じことになってしまうのです。だから、芸術家も鑑賞者も両方とも、ものごとがどのように見えるべきかということを一旦忘れて、慣例通り表現法に頼ることなしに見ようと努め、無垢な目で見ようすることが大事だということになります。これは、当時の産業革命後のオートメーションが進んだ工場で工員が機械に縛られるようにして個性のない規格品を生産することに通じているという社会批判を胚胎させていたものでもありました。

このような束縛から解放し、無垢な目で見るために、自然の中に赴き「そこから何も選ばず、何も拒まず、何も蔑むことなく」謙虚に自然を写し取るということが一つの方法として、ラスキンが一つの提案をしました。これがラファエル前派の若いかがたちにとっては、ラファエル主義という権威に反抗する際の拠り所として、その後の彼らの制作活動に大きな影響を与えていったのでした。それは、ラファエル前派の画家たちがアトリエから飛び出して自然を自然の中で写生すると言う行為であり、自然の草花を細部に至るまで精緻に描くということでもありました。

しかし、だからといって、ラスキンは写真のような写生をスタイルとして、こうすべきだと主張しているのではありません。

 

(2)見えないものを「見る」〜光と影

ラスキンは自分の目で見るということを思想の根底に置きました。しかし、物事でも自然でも単に目で見ただけでは見えないところがあります。光が当たっているところは見ることができますが、その影になってしまっているところには、どうしても視線が届きません。このような光と影はラスキンの思想の大きなポイントです。光があるから影がある。この二つは互いに支え合います。光の明るさは影の暗さによって引き立つのであり、外が明るければ明るいほど、光の差し込まない部分の暗さはその奥すら測り知れないものとなります。それは彼の宗教に基づいた自然観にそのままつながっています。自然の中には神によって目に見える形で現わされた部分と人間の観察によって明らかにされるべき隠された部分がある。それこそが自然を美しくさせているのであり、また人間の観察眼を促しているのです。だから、その影を解くりが私たちの義務なのです。それが解釈という行為です。解釈とは、目に見えるものに何らかの意味があるという記号論的な世界観を前提にしています。それは、芸術に対する姿勢について、ラスキンが単純に写実主義の芸術を称揚したのではなくて、象徴主義的な想像豊かな芸術に身も心も捧げた理由でもあるのです。だからこそ、ラファエル前派のバーン=ジョーンズに対してイタリア旅行をすすめてヴェネツィア派の作品を紹介することもできたのです。そこまで行かなくても、初期のラファエル前派の作品が自然の写実的描写をする一方で、文学や伝説の象徴的な場面を題材として取り上げ、画面で描くモチーフに物語の様々な意味づけを与えていったという写実と象徴という相反する要素を含ませていたことを、思想的に正当化させるものでもありました。

ラファエル前派の画家たちがラスキンの著作の中でとくに重視したのが『近代絵画論』第2巻でした。そこで、ラスキンはまさに写実的な自然描写に象徴的なシンボリズムを注入させることについて説明しています。それは、例えば、ヴェネツィアにあるティントレットの『受胎告知』(右下図)という作品について、ラスキンの水際立った解釈の説明によく表われています。

ラスキンは、『受胎告知』の画面の見た目の説明から始めます。この作品を見る人は、まず、処女マリアが廃墟の只中で、「身を寄せる家もないまま、崩れ、見捨てられた宮殿入り口の間の屋根の下に」座っていることに注目する、とラスキンは指摘します。さらに、人々は「痛ましく、かつ無造作に前景に押し出された絵画中央の物体、つまり苔むして漆喰が剥げ落ちた、今にも崩れ落ちそうな煉瓦積みを見て、不快感を覚えてまず目を逸ら」してしまうでしょう。ラスキンは、このような風俗画的な細部の表現は、ティントレットが「マリアの夫の職業と境遇を大まかに説明するために、見慣れたヴェネツィアの廃墟から実に容易に借りてくることのできる」ような場面の習作程度にしか見る人の目には映らないと言います。ラスキンは、ここにおいて、この絵の人目を引く部分に注目してから、徐々に目立たない部分に注意を移していきます。さらに、彼は目に見える形態は、意味と分かち難く結びついていると信じているので、これを見た人が最初に想像する意味内容を提示して見せるのです。それは、当時のヴェネツィアでのティントレットをとりまく状況と画趣に富んだもの惹かれるティントレットの近代的な感性、つまり廃墟の中に美を見出すロマン主義的な芸術様式です。しかしもラスキンは、この作品の意味する。もっと深い意味を探究していきます。つまり、「この絵の構成を」細かく見ると、「その全体のシンメトリーの均衡は、射し込む光の細い帯と大工用具の矩尺の直線で形成されていることが分かるだろう。この矩尺は、これらの使われていない大工道具類をつないで煉瓦積みの上のあるものへと導く。つまり正方形の白い石、この古い建物の隅石、その支柱の礎石である。」ここでラスキンは『詩篇』第118節を引用します。これによって、ラスキンは細部によって、この絵そのものが救世主を予表させる意味を潜めていることを明らかにします。したがって、ティントレットの『受胎告知』では、「廃墟はユダヤ教の時代を表わし、空を染める夜明けの暁の中からはっきりしない形で現れるのはキリスト教の時代である。しかし、古い建物の隅石は、そのそばに大工道具が放置されたままの状態でそこに残っている。建築者たちが放棄したその石は、結果として『隅の礎石』となるのである」

ここで、光と影というキーワードに戻って議論をしますが、影の部分である見えないところが豊かであれば、それは精神性とか内容が多く含まれ、深遠だったり神秘的だったということなるでしょう。しかし、影はあくまでも光が当たってこそ生まれるものです。光が強ければ影も濃くなる。いわばコントラストです。だから光をさしおいて影だけを膨らませようとすると、それはコントラストが弱くなり、影自体も弱くなってしまいます。それは芸術においても、対象を見ることを軽視して、主題とかメッセージだけを重視するような傾向をラスキンは批判しました。それは現代社会に置き換えれば、職人の手触りを軽視して図面通りに機械が生産する工場への批判にも連なるものと言えます。このように、ラスキンの考えには、どこか現代社会に対する批判が含まれていると言えます。この点も、ラファエル前派の画家たちが吸収していったと考えられます。

 

なお、ここで紹介したのはラスキンの膨大な思想的営為のほんの一部のラファエル前派に相通じるところだけです。しかも、私が主観的に曲解し、極端に単純化したものです。それをご了解願います。

 

 
ラファエル前派私論トップへ戻る