ラファエル前派周辺の画家 ヴァレンタイン・キャメロン・プリンセップ |
ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハント、バーン=ジョーンズといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。この人は、バーン=ジョーンズのフォロワーの一人です。 ヴァレンタイン・キャメロン・プリンセップ (1838〜1904)はインドのカルカッタでインド植民地の上級官僚の家に生まれ、教育は英本国で受けました。イギリスに戻ってきた家族の家は、ロンドンのケンジントンのオランダハウスにある小さな家、リトルホランドハウス、そして活気に満ちた芸術的な社会的グループの焦点でした。そこにラファエル前派の画家たちやGFワッツで出入りしていたことから、知り合いになり、画家を志すようになりました。1857年にはロセッティたちによるオックスフォード・ユニオンの壁画装飾に参加します。そのころはラファエル前派の影響を強く受けていたようです。例えば1860年制作の「The Queen was in the Parlour」は全くといっていいほどロセッティ風です。その後、プリンセップはパリへ行き、グレールのアトリエで修行をつみ、1859〜60年にはバーン=ジョーンズとともにイタリア訪問し、古典芸術に肌で触れていきます。プリンセップはしだいにラファエル前派の画家たちから学んだ作風を離れ、大陸を中心に展開する古典的な様式へと向かい、その画風はレイトンに非常に近くなっていきました。 (2)プリンセップの主な作品 プリンセップの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。 ■The Lady of the Tooti-Nameh, or Legend of Parrot(1865年) この作品のタイトルはもともとサンスクリット語で書かれていた説話集「シャカサプタティ」(鸚鵡七十話)を14世紀にナハシャビーがペルシャ語に翻訳した「トゥーティー・ナーメ」(鸚鵡物語)に由来するものです。その「シャカサプタティ」全体の枠物語によれば、賢い鸚鵡が飼主の旅行中、情人の許に行こうとする妻の外出を止めるため、70夜にわたって毎夜興味ある話を語り、最後に窮境を脱する方法を尋ね,妻が返答を考えているうちに夜が明けると、その解決法を語り、かくして無事に夫を迎えたというものです。そこに収められている話は多種多様ですが、浮気女の情事に関するものが多いといわれています。これが19世紀ヨーロッパに伝わり、翻訳出版されたようです。「アラビアン・ナイト」と同じようにエキゾチックで、特有のエロチシズムが加わった説話集という受け取られ方でしょうか。 この作品をみると、そうしたことが窺われるように思います。室内風景や女性のポーズに異国風の味付けがなされています。例えば画面右下には水パイプがありますし、テーブルの食器はトルコ風で、床の絨毯はペルシャ絨毯でしょうか。そして、女性の赤い幅広のベルトや金色のスカートはトルコ風のデザインといえると思います。また、女性の胸元はひろくひろげられて乳房がのぞけるように描かれていて、そこに肉体的な官能の要素が加えられています。女性が手にとまらせているオウムは、この絵画の原典の物語を象徴しています。だからと言って、特定の物語の場面を絵にしたのではなく、女性の姿勢や肌触りの質感といった画面を見せるといった唯美主義のありかたに連なる作品となっています。 マタイによる福音書第25章にある「十人の処女たちのたとえ」からの場面と思われます。新郎を門の内に迎えるために灯火を与えられた10人の処女がいて、そのうちの5人の愚かな娘は油を用意せず、5人の賢い娘は油を用意していました。愚かな娘らは、主人が帰って来た際に夜の闇の中で火を灯して迎える事が出来ず、油を買い求めに行っている間に門は閉ざされてしまいました。閉ざされた後で愚かな娘が門を開けるように求めても、主人から「我は汝らを知らず」と言われ、門を入ることができなかった。これは様々な解釈がありますが、イエスの再臨がいつになるか分からないが、いつでも備えておく(油を用意している)と、天国への門を入ることができるという譬えと言われています。 この作品は、その愚かな処女が門を閉じられて、締め出された場面です。画面の左下、大理石の床に転がっているのはオイルランプです。これが物語の中の油を切らしてしまった灯というわけです。そして、女性が扉に身体を凭れかけさせながら、俯いているのは、途方にくれているポーズでしょう。それが、物語の場面であることを示している、と言えば言えると思います。 しかし、作品の画面は聖書の物語を描くことよりも、インドのサリーのような鮮やかなオレンジ色の衣装に身を包んだ若い女性と、その背後に輝く黄金の門という豪華さが印象に残ります。サリー(?)を着ている女性は、明らかに白人の肌の色と顔つきで赤毛の髪で、インド系でもアジア系にも見えません。門の金色と女性の着ているサリーのオレンジ色と赤毛の髪の色は、近い色です。門の浮き彫りの幾何学的な紋のような模様は、サリーの襞、そして髪の毛の流れている(サリーの一部が髪の毛を覆うように頭上に引き上げられている)との親近性が感じられます。その一方で硬質の門と柔らかなサリーとの対照というように、黄金の門と女性を引き立て合うように画面を構成しています。 ■The First Awakening of Eve(1889年) プリンセプは、彼の最もよく知られた裸婦像です。もはやラファエル前派の影響から完全に脱して、さらに、フレデリック・レイトンらのような人工的に古代風の舞台装置に美をつくったというものからも脱して、一見しただけでは、自然にさりげなく裸婦を描いている風情を作り出しています。 ■At the First Touch of Winter, Summer Fades Away(1897年) 冬が最初に触れると、夏が消えてしまうというタイトルは、ギリシャ神話の豊饒の女神ペルセポネーを冥界の王ハーデスが連れ去ってしまう(ギリシャ神話での四季の始まりのエピソード)を連想させます。花の盛りの若い女性が黒ずくめの不気味な男に襲われそうな構図というのは、バーン=ジョーンズの「The Beguiling of Merlin」に似ているように見えます。バーン=ジョーンズの作品は平面的で装飾の文様のようですが、プリンセップの作品の人物はなまなましい存在感があります。例えば、女性は夏の象徴なのでしょうが、彼女の周囲は明るく照らし出されるようで、薄い衣装から乳房が透けて見えて、官能的な身体の線がうかがえます。彼女の肌はみずみずしくピンク色に上気していいます。風に吹かれるようい衣装の裾は翻り、花が舞っている様子はボッティチェリのフローラを想い起こさせます。これに対して、黒ずくめの男性の背後には黒く暗い雲がかかっています。そこに冬の苛酷さ、不吉さが表われています。彼女の視線と、右手をさし伸ばしているのは、冬の手からのがれられない悲しみを想わせます。そこに夏の儚さ、人生の夏の時期のはかなさ、とその後の冬、つまり老いが迫ってきて逃れられないという解釈も可能です。 ■Death of Siward the Syrong(1882 年) 歴史を叙事詩的に再構成したこの作品はマクベスを打ち破った猛者ノーサンバーランド伯、シュアードを描いた作品です。初めてロイヤル・アカデミーに出品されたとき、カタログには1055年ヨークで死去したシュアードの最期が次のように記されていました。 「…そして目前に迫る死期を悟ったノーサンバランド伯は生きも絶え絶えに叫んだ。『戦場での死をあれほど望んだにもかかわらず、それはとうとう叶えられなかった。ああ、何ということだ、野の獣のように天寿をまっとうするのは』。役者に命じて勇将ふさわしく甲冑に着替え、右手に戦斧、左手には盾を持ち、戸外へ運ばせ、そこでとうとう事切れた」。 プリンセップの大掛かりな場面を描く手際よさが、よく表われている作品です。 |