ラファエル前派周辺の画家 イーヴリン・ド・モーガン |
ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハント、バーン=ジョーンズといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。この人は、バーン=ジョーンズのフォロワーの一人です。 (1)ド・モーガンの伝記的事実 イーヴリン・ド・モーガン(1850〜1919)は、ロセッティやバーン=ジョーンズのようによく知られたビッグ・ネームではないため、その紹介も含めて、いつもとは違って、この人の伝記的な事象を追いかけてみることにします。この人の場合、自身の育った境遇が作風などにも影響しているも強いと思われるからです。それは、この人が、当時としては珍しい女性画家であったということも関係していると思います。 イーヴリン・ピッカリング(1850〜1919)はロンドンの裕福な法律家の家に生まれました。彼女の父親は自由党のウィリアム・グラッドストーン首相と友人だった。ということは、自由で進歩的な思想の持ち主だったことが分かります。それが、後に彼女が平和主義やフェミニズムに傾倒していく下地になっていったと想像しても無理はないでしょう。また、彼女の母親の兄は、ラファエル前派の画家ロドダム・スペンサー・スタナップで、スタナップは彼女をロセッティ、ワッツ、ホルマン・ハントなどに紹介し、画家の道に導きました。 彼女の両親は、彼女に教養ある女性に期待されるものの一環として、絵を描き、ペイントすることを学ばせました。彼女は、芸術だけでなく、古典派など、非常に教育を受けていました。しかし、彼女は将来の良妻賢母となるための準備としてではなく、プロの画家になるためのものとして、受けとめて行ったのでした。1872年、彼女は、わずか17歳で、ロンドンに新しく設立されたサウス・ケンジントン国立美術学校(現ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に通い始めます。そして、1873年にスレイド・スクールに入学し、そこに3年間在籍しました。そして、日付は明確ではありませんが、彼女は1875年にイタリアを訪れ始め、ローマ、ペルージャ、アッシジに一人旅しました。そして、フィレンツェのウフィツィ美術館でルネサンスの画家たち、とりわけボッティチェッリの作品に出会います。それが彼女の作品の主題と技術にとって決定的な出会いでした。彼女の成熟した絵画のスタイルは、細部の精密さと神話主題への好みで見分けることができますが、それはある点でスタナップと、親しい友人だったバーン=ジョーンズの作品に由来していると言えます。しばしばスタナップのもとで描きましたが、とくに、彼が1880年にトスカーナに移った時には同行しています。 1877年に新しく創設されたグローヴナー・ギャラリーに作品の展示を要請されその年に「ナクソスのアリアドネ」(右図)が批評家に認められ、1888年まで毎年グローヴナー・ギャラリーの重要な出品者として活動を続けます。1887年、デザイナーで陶芸家のウィリアム・ド・モーガンと結婚。彼の作品は、主に東方のイメージからインスピレーションを得て、彼女のイメージにも影響を与えました。ウィリアムの父親はロンドン大学の数学教授であり、批評家のジョン・ラスキン、哲学者JS・ミル、レディ・バイロン、社会改革者エリザベス・フライといった著名な知識人と親しい友人であり、新しい教育機関の熱心な選挙人でもあり、女性のためのクイーンズ・ベッドフォード・カレッジズの設立に寄与しました。ウィリアムは、結婚当初から精神主義者で、これはイヴリンの精神主義的傾向に大きな影響を与えました。これは今日、奇妙に見えるかもしれませんが、多くのビクトリア朝の知識人はそのような問題に魅了されていたのです。 作品は仲間の芸術家たちに称賛された。ウィリアム・ブレイク・リッチモンドは彼女についてつぎのように言っている。「彼女の勤勉さたるや驚くばかりであり、彼女が成し遂げた量はたいへんなものである。とりわけ、あらゆる細部について学ぶ際限のない注意力は特筆される」。ワッツは彼女を「今日最高の女性画家」と称しています。 (2)作風の特徴 ド・モーガンは、ロセッティ、ミレイ、ハントたちがラファエル前派兄弟団を結成した頃に生まれています。したがって、彼女は、ロセッティやミレイのようにラファエル前派の絵画スタイルを創っていった人々とは違って、絵を描き始めたころにはラファエル前派の絵画スタイルが既にあったということになります。おそらく、彼女はラファエル前派の絵画を所与のものとして当然のように受け取った。そういう前提の上に立って、自身のスタイルを考えていったと思われます。その具体的な表われは、一見してバーン=ジョーンズと見紛うスタイルで、彼女は、その上で、自身を差別化して、自身のスタイルを形成させた。それは、ラファエル前派という絵画運動が成熟し、その中であらわれた画家、つまり、ロセッティやミレイのような第一世代の画家に対して、第二あるいは第三世代に属する画家と言えます。 @ボッティチェリの影響 ド・モーガンはフィレンツェを訪れ、当地のウフィツィ美術館でボッティチェリに出会い、以後、作品に強い影響をうけることになります。しかし、そうなるのには、以前から受け入れの土台がありました。というのも、彼女がスレイド・スクールで絵画を学んでいた時の師がエドワード・ポインターで、彼はボッティチェリの賛美者であったからです。ポインターは、意味よりも美しさを追求し、「芸術のための芸術」を創造しようとした美術や装飾芸術の運動である、人気のある美的スタイルで描いていました。この運動は古典様式やルネサンスのモチーフを借用したもので、ボッティチェリの芸術の神秘性と荘厳さは美学者の間で特に賞賛されるようになりました。彼女に影響を与えた、バーン=ジョーンズもスタナップもボッティチェリの賛美者でした。ド・モーガンが作品を発表し始めたのは、この運動の人気の高さにあった頃でした。 散りばめられたドレス、花の絨毯、古典的で優美なポーズを組み合わせて、この女性たちは姉妹のようです。スタイルの違いにもかかわらず、デ・モルガンの芸術はボッティチェリの作品と非常に多くの共通点を持っています。例えば、「Flora」(左図)という1894年の作品を見てみましょう。この作品は、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」(右図)と「ヴィーナスの誕生」(右上図)の両方からインスピレーションを得ていると考えられます。「Flora」に描かれたフローラの姿勢はヴィーナスを想わせるものですし、フローラのガウンを「プリマヴェーラ」のフローラのガウンに似ています。他方、ド・モーガンとボッティチェリとの間には違いもあります。ボッティチェリの作品とは異なり、デ・モルガンはフローラの周囲に人物を一切配置せずにフローラを描いています。フローラは単独で描かれており、彼女が唯一の焦点となっています。 Aバーン=ジョーンズの影響 ド・モーガンがバーン=ジョーンズの強い影響を受けているのは、両者の作品を見比べれば一目瞭然です。そっくりですから、とくに人物の描き方とか、とくに女性の顔とか優美な曲線、あるいは着ている服のドレープのなびいている感じとかに顕著です。また、描く題材が寓話的な場面であったり、神話や伝説に材を取る点でも共通するところがあります。例えば、ド・モーガンの「Gloria in Excelcis」の天使のためのスケッチ(左図)と、バーン=ジョーンズの「怠惰の庭」シリーズのためのスケッチ「Largesse and
Richesse」(右図)とを見比べてみましょう。どちらのスケッチでも、ドレープは直線的でコラムのような形で吊るされており、女性の被写体は歴史的な情報に基づいたドレスを身につけています。「Largesse and
Richesse」の左側の女性は、中世のチュニックと帽子を身につけており、彼女はより古典的なドレスを着ている女性の手を握っています。この古典的な姿は、同じバーン=ジョーンズの「欺かれるマーリン」で描かれているニミュエに通じているものです。一方、デ・モーガンはこれらの技法を融合させ、直線的なドレープリーのひだと胸の上部の数本の垂直線を使って、楽器を演奏している女性の衣服を描いています。彼女の天使のポーズは、バーン=ジョーンズの「水車小屋」に登場する、壁を背にして右側に立ち、同じく精巧な楽器を演奏している女性に似ています。折り目に沿った陰影と光のグラデーションは、どちらのスケッチも非常によく似ており、唯一の顕著な違いは、デ・モーガンがバーン=ジョーンズよりも線と角度を柔らかくしていることくらいです。 一方、さきほどド・モーガンの「Flora」を見ましたが、バーン=ジョーンズにも同名で同じ題材を扱った作品があります。両者を比べると、ド・モーガンの作品のフローラは優雅に立っているスタティックな姿ですが、バーン=ジョーンズのフローラは花びらを撒き散らすように動くダイナミックな構図で、そこに両者の本質的な資質の違い、つまり、フローラの身体性を重視するバーン=ジョーンズと現実の身体よりもその象徴性を重視するという違いが表われていると思います。 B精神主義と象徴主義(寓意的表現) 彼女は、1887年にウィリアム・ド・モーガンと結婚してから、それまでの神話や伝説を題材に描いていたのを、寓意的表現による精神主義的あるいは神秘的な象徴主義的な作品に作風を変化させていきました。もともと、彼女は子供のころから生の中に死が偏在することに夢中になったり、キリストの復活をテーマに詩を書いたりと人間の魂とか生死に深い関心を持っていました。それが、ウィリアムとの結婚、とりわけ熱心なスピリチュアリストであり、スウェーデンボルグの崇拝者であったであった義母のソフィアとの出会いにより、自身のそのような志向を肯定されたことで、自身の精神主義的な面を積極的に表すようになったと言います。ソフィアは、プラトニックな(ほとんどグノーシス的な)物理的世界観を娘婿に紹介したのでしょう。イーヴリンの作品は、精神的な世界の明るさとは対照的に、物理的な世界の暗さについての考えを表現するようになっていきました。 たとえば、1895年の「Lux in
Tenebris」という作品では、新約聖書ヨハネによる福音書1章5節の「光は暗黒(くらき)に照る」というラテン語の文言をタイトルとしています。絵の中の光の中心人物は、光と月桂樹の枝の光輪によって示されるように、光、善の希望、平和の擬人化です。彼女は金色に輝くローブを着て、右手に平和のオリーブの枝を持っています。彼女の光は地球の暗い隅に輝き、光の端には暗闇があり、荒れ果てた水の中には邪悪なモンスターやクロコダイルが隠れています。これは、地球上のすべてが暗闇の中にありますが、天上に光があり、すべてに到達するために開かれている、ということを寓意的に描いていると言うことができます。 あるいは、地上の狭い空間に閉じ込められたヒロインが、そこから脱出する手段として死(例えば殉教)の場面が取り上げられます。例えば「SOS」という作品では戦争への恐怖を人々と共有するということと精神的なメッセージが結び合わされ、ヒロインが孤絶した海の岩場の露頭に追い込まれたように、神話的な獣に取り囲まれています。これは侵略戦争の際の悲惨さと、楽観主義の象徴としての女性の贖い人格に対する精神主義者の信念の点でも読むことができます。ド・モーガンの色の使用は非常に特徴的で、心理的および非現実的な状態を表すために使用されます。虹の色合いが彼女の作品の多くに現れます。虹は神話の中で死後の魂のための橋を形成すると考えられていたもので、これは彼女のスピリチュアリズムに沿うものなのです。ド・モーガンの作品は、ヴィクトリア朝の重要な課題やアイデアについての魅力的な洞察を提供します。彼女のスピリチュアリズムへの関心は、彼女のフェミニズムと反戦主義に結びついており、多くの作品のインスピレーションをもたらしています。 C二次創作? @〜Bの特徴は、ド・モーガンについて調べていく見つけられる要素ですが、これは私の主観的印象に基づくもので、このようなことは、ここ以外のどこでも見つけられる指摘ではないと思います。客観的な指摘であるとはいいきれません。しかし、私には、この特徴が彼女の作品の本質的なものであり、彼女の作品の魅力の根幹となっていると思えるものです。 その特徴というのは最初にも述べましたが、彼女の作風は自身がオリジナルで創造したものではなくて、すでにあったバーン=ジョーンズやラファエル前派の土俵の上で、それを巧み使って自身の作風を作っているということです。そういう特徴を「二次創作?」というように挙げたのは、現代の日本のマンガやアニメで、人気作品のファンが、その作品の設定やキャラを使って、新たに物語をつくるということに、ド・モーガンの創作のあり方が似ているように思えたからです。ただし、パロディとは違います。ド・モーガンの作品はとくにバーン=ジョーンズが描いたかのような作風を利用して、彼女自身の精神主義的な、あるいは象徴主義的なものを表わしている。絵画を手段として位置づけているように見えます。それゆえに、表現が突出することがない。すべてがバランスよくおさまっている。だから、見た目はキレイで、安心して見ていることができる。深刻で切実な考えを寓意的に表現しているかもしれないが、描かれた画面を表面的にみていると、鮮やかな色彩で、生々しくない二次元的な親しみやすい表現で描かれている。それゆえ、見る者に強く訴えかけるところはない。しかし、反発を覚えるものでもない。そういうものになっていると思います。 とくに、晩年の象徴主義的な寓意に満ちた幻想絵画のような作品は、無数の顔が並んでいたりとグロテスクに近いような節操のなさと、透明であるために目立たないが色遣いはどぎつい感じで、それを表層の滑らかさで悪趣味にしないようにしている。この一線を越えてしまうと、「エイリアン」をデザインしたHRギーガーに近いとこにいると思います。その点で、もはやラファエル前派の枠に収まり切らないところに至った人だと思います。 (3)ド・モーガンの主な作品 ド・モーガンの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。。 ■Cadmus and Hamonia(1877年) この作品はオウイディウスの「変身物語」に基づくものです。カドモスはかつて聖なる泉を守っていた竜を殺しましたが、後にテーバイの王になり、ゼウスから妻としてハルモニアを与えられました。しかし、生涯の終わりに、竜の死をあがなうために彼は蛇体になってしまいます。しかし、ハルモニアとカドモスを結び付けていた愛は非常に強かったため、彼女はすすんで夫をまといつかせ、それでも彼を夫と認めます。そして、彼女は自分もまた姿を変えたいと神々に祈り、ふたりはいっしょに近くの木立のなかに這っていくのでした。 自分の棲みかであるかのように彼女の胸を這い廻り 首にまといつき、愛に満ちた抱擁をわかちあう。 画面では、完全にヌードの女性がまるで展示されているかのように、絵の中心に直接立っています。彼女はまた、前景に近いところに立っていて、彼女の周りの岩の層と比べて異常に大きく見えます。彼女は古い記憶や過去の恋人を考えているかのように、悲しみの中にいるように横に見えます。彼女には人間の居場所がなく、小さな花を足に振りかけるだけで、穏やかな水は彼女の左には見えません。ヘビは両足に巻きつき、彼女を動けなくするかのようにして緊縛しているかのようです。その上で、彼女にまといつき魅了するという仕事を完了する準備ができています。彼女の薄い肌は、シルバーグレーのタッチで描かれ、ヘビの腹の下面との共通性を感じさせます。CadmusとHarmoniaの物語は、夫が蛇体に変化してしまうという悲しみの瞬間に高齢の夫婦の献身に焦点を当てています。しかし、はっきりと見ることができるように、ハーモニアは美しい若い女性であり、老人ではありません。 おそらく、この作品でのハルモニアは主人公として、精神的な超越の象徴として再現されています。そして、作品を見る者は、そのハルモニアだけに焦点を当て、彼女の中で起こっていなければならない変化の感覚を得るからです。それは、彼女の体に加えて彼女の魂がどのように変化するのかということです。彼女の体が異常に大きく、絶海の縁にいて、蛇に緊縛されているようなのは、閉じ込められている象徴で、そこから彼女が脱出する、つまり変わっていくドラマがここで描かれようとしていると捉えることができるのではないかと思います。彼女の叔父のスタナップの「Eve Tempted by the Serpent」(右図)が同じように蛇にまとわりつかれた裸体の女性を描いていますが、これに比べると、ド・モーガンの作品ではエロチシズムをあまり感じさせないものになっていると思います。スタナップの作品の方が、図案のように平面的で、裸体にまとわりつく蛇などもリアルさとは程遠い様式的な描かれ方をしています。しかし、スタナップのイブが蛇にまとわりつかれて、身をくねらせている身体のねじれや、腰のあたりの肉感的な肉付きの描き方が、生々しい肉体を見る者に想像させます。これに対して、ド・モーガンの描くハルモニアは立体としての陰影が描き込まれていて、柔らかな肌ざわりのような裸像ですが、そこに動きがないんです。ポーズはとっているのですが、直立しているかのように動きがなく、蛇がまとわりついているのに、身体は反応していない。姿勢を変えていないのです。したがって、生々しいエロチシズムを想起させられることはないのです。むしろ、ここではそういう生々しさはシンボルを想像するに際して邪魔になります。 ド・モーガンは、この作品のハルモニアのモデルとなった女性を、別の作品で、似たような構図で描いています。1884〜85年の「The
Dryad」(右図)という作品です。ハルモニアが蛇にまとわりつかれているのと同じように、この作品のドライアドは木に抱かれています。両者のポーズは、よく似ています。ギリシャ神話に登場するドライアドは、神話上の木の精霊であり、樫の木の守護者である。エブリンは、木自体に結合されているニンフのタイプであるハマドリュアデス(木の精)を描いたように見えます。この絵の中では、足を幹の中に隠したまま、木から出てくる小さなニンフを見ることができます。伝説では、木が死ねばドライアドも死ぬと言われており、そのために神々は木を傷つける人間を罰すると言われています。ドライアドの足元にある紫色の花菖蒲は、ギリシャの女神アイリスを象徴しています。アイリスは神々、特にゼウスとヘラの使者です。彼女はまた、虹の擬人化であり、海と空の女神として、植物や木々に栄養を与えるために世界に雨を降らせるために水と雲を提供しています。この作品の制作にあたって、ド・モーガンはバーン=ジョーンズの1870年の有名な水彩画「ピュリスとデーモポーン」(左図)を想起していたと思われる。その絵ではピュリスの身体がアーモンドの木の幹から現われており、彼女から自由になりたいと言っていた恋人デーモポーンに腕をまきつけている。ド・モーガンとバーン=ジョーンズを比べると、ド・モーガンの動感のなさ、人形のように動かない人物の特徴が際立ちます。 ■Night and Sleep(1878年) 夜の薄暗くなった空に二人の人物が浮かんでいます。赤い長いローブを着ているのは多分若い女性でしょうか、目を閉じていて、右手で大きな茶色の外套を掴んでいます。その外套は、二人の上に浮かんでいて、これが二人を空に浮かせているようにも見えます。スーパーマンのマントみたいに見えます。彼女の左手は、多分若い男性の右腕と腕を組んでいるようで、それで二人は離れないでいるようです。男性は茶色の短いローブを着て、彼女と同じように目を閉じています。そして、左手で抱きかかえるようにして大量のポピーのピンク色のケシの花を抱え込んでいますが、それを空から地上にばら撒いているようです。ケシの花は精製すれば阿片のような眠りを誘うものとなります。二人が目を閉じているのは、眠っている状態なのかもしれず、ケシの花の象徴される眠りを地上の世界に供給しているようにも解釈できます。 女性の来ている長いローブの紅色、バックで風にあおられてひろがるマントのブラウン、その間に見え隠れするグリーンの帯。これらの色の透明で鮮やかなところは、画面を印象的にしています。これは、初期のラファエロ前派の人々が、色を強調するために白で絵を描き始めたことを思い出します。実際にデ・モーガンを見た時、色彩が光り輝いていて、画廊の向こう側から見る者を呼んでくるような、陽気な色の爆発で、おそらくホルマン・ハントの酸性光を放つキャンバスに匹敵するものです。このような色彩の鮮やかさは彼女の独特な魅力だろうと思います。 彼女は古典の素養が高かった人で、古代ローマの詩人ウェルギリウスの「アイネイアス」から次の有名な詩句を想定しているという解釈もあるそうです。 hinc mihi Massylae gentis
monstrata sacerdos, Hesperidum templi custos,
epulasque draconi quae dabat et sacros servabat
in arbore ramos, spargens umida mella soporiferumque
papaver. haec se carminibus promittit
solvere mentes quas velit, ast aliis duras
immittere curas… また、この二人が抱き合うようにして空を飛んでいる様が、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」に描かれているゼィフロスが花を吹いて撒き散らしながらクラリスを抱いて空を飛んでいる様子とよく似ているので、参考にしていると考えられます。なお、この作品での二人のポーズは横から描いていますが、1896年の「Boreas and Oreithyia」(右上図)という作品では、同じようなポーズを正面からのスタイルとして描いています。こちらの方が、ボッティチェリとの関係が、よりストレートに見えます。散りばめられたドレス、花の絨毯、古典的で優美なポーズを組み合わせて、この両作品の女性たちは姉妹のようです。スタイルの違いにもかかわらず、デ・モルガンの芸術はボッティチェリの作品と非常に多くの共通点を持っているのが、こちらの方がよく分かります。「Boreas and Oreithyia」の女性は、足首に翼を持った男に担ぎ回されている間のポーズがヴィーナスそっくりですが、このカップルは「プリマヴェーラ」のクロリスとゼファー(左図)です。私は、カップルがどれほど完璧であるかと比較して、風景がどれほどギザギザしていて恐ろしいかのコントラストが好きです。バーン=ジョーンズ」のモチーフのように見えるドレープの渦巻きは、ボッティチェリが描いた青い渦巻きのように人物の周りに描かれていますが、サンドロは彼の足に翼を付けていません。 ■Queen Eleanorand and Fair Rosamund(1880〜1919年) この二人の女性はラファエル前派の画家たちが好んで取り上げた題材です(例えば、ウォーターハウスの「フェア・ロザムンド」(左下図))。ヘンリー2世は愛人ロザムンドを妃であるアキテーヌのエレナール女王から守るためにオックスフォード近郊のウッドストックに館を建てます。エレナール女王はロザムンドを殺そうとしていたので、その館は迷路を張り巡らし、Labyrinthusと呼ばれていました。しかし、女王は糸を使って迷路を通り抜け、ロザムンドに短剣か毒かで自害を迫り、ロザムンドは毒を飲んで死んだという話しです ド・モーガンの作品では、エレナール女王は左手に迷路を通り抜けるための赤い糸を持って、右手に毒薬の入った瓶を持っています。画面左隅のドアの開いた先の暗黒は彼女が通り抜けてきた迷路でしょう。そして彼女の悪意を表わすために、彼女の通ってきた迷路と、彼女のいる周辺には黒い霧が漂い、頭と肩の辺りにはドラゴンと猿がいて、足元には血の色をした赤いバラが散らかっています。対照的にロザムンドの足元には、平和と無邪気を象徴する白いバラが置かれています。ロザムンドの右側には白いハトと子どもの天使が飛んでいます。そして、ロザムンドは運命を認識して、エレナール女王の持つ毒の入った瓶を見つめています。背後のステンドグラスは、木の下で恋人が抱き合う内容で、ロザムンドとヘンリー2世が愛し合っていることを暗示しています。これは全体として、魔女の登場するおとぎ話の画面のように見せていて、象徴的なアイコンを多用し、物語としての要素を強めています。 あるいは、エレナールが左手で持って右下に伸びている赤い糸の細い線と、それと交錯するように何本も平行に並んでいるドラゴンの黒い線、そしてロザムンドの金髪の一本一本の紙が散り散りに乱れて、あるものはロザムンドの腕に絡まったりしている。そういう線が絡み、乱れる様子は、運命の糸が交錯しているようでいて、しかも、その様々な色の線が乱れている様子は、それだけで、画面を華やかにしています。これは、花びらを散らして舞わせたり、ドレスのドリーブがひらひら舞うように揺れるようのと同じ、あるいみ少女趣味ともいえる装飾的な効果で、とりわけ、ド・モーガンの作品には、このような装飾がよく見られます(これは、同じ題材を扱っていねウォーターハウスの作品には見られないものです)。 なお、史実は全く異なっていて、エレナール女王は息子の反乱に味方したため、ヘンリー2世によって幽閉されてしまいます。一方、ロザムンドは同じ頃に修道院に入って尼僧となり、そこで生涯を終えました。 トロイ王のプリヤム王の娘カサンドラはアポロンによって愛されました。カサンドラはアポロンから予言の力を贈られます。しかしも彼女はアポロンの愛を拒んだため、誰も彼女を信じることのない呪いを受けてしまいます。やがて起こったトロイ戦争で、彼女はギリシヤ人のトロイの木馬を予言しますが、トロイの人々は彼女が気が狂ったとして予言を信じません。彼女の名前は運命の預言者の代名詞となっています。ギリシヤの伝説をもとにウェルギリウスは「アイネイアス」を書いています。 ド・モーガンは、トロイの街が彼女の後方でに燃え上がり、左端でギリシヤの兵士がトロイの木馬から出てくるのを遠景で、描いています。彼女の足のまわりには深い赤いバラがあり、流出した血を指しています。炎は、彼女の散り散りに乱れている赤毛の髪と重なるようにして、実際に燃えるような怒りと失望に苛まれるカサンドラの印象を際立たせるように構成されています。比較的静的なシーンなのですが、ド・モーガンは、ドラマを高めるストーリーに視覚的な参照を集め、彼女の表情やボディーランゲージの使用は非常に熟練している。これはまた、カッサンドラが深く不穏な思考に迷いこんでいくことを示しています。 同じ題材でも、フレデリック・サンズの「カッサンドラ」(左図)は怒りと失望にさいなまれ、狂気の様相を呈する姿が、鬼気迫る迫力で描かれています。こういう作品と比べると、ド・モーガンの作品の静かな性格が際立つように、よく分かります。 なお、この作品のカサンドラのポーズには、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスや「プリマヴェラ」のフローラのポーズをうまく取り入れているように見えます。また、ド・モーガンの他の作品、例えば1894年の「Flora」や1898年の「Helen of Troy」(右下図)といった伝説のヒロインを単身像として描いた作品で共通するようなポーズで描いています。 ■The Kingdom of Heaven Suffereth Violence(1878年) このような幻想性の高い作品は、初期のラファエル前派では全く見られないし、バーン=ジョーンズですらここまでやっていません。ここまでくると、ド・モーガンの世界と言う他はないと思います。 この作品は、そのタイトルを新約聖書マタイによる福音書11章12節「バプテスマのヨハネの時ときから今に至るまで、天国ごくは激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」から取ったもので、地球に結ばれた体から球体の霊界への魂の旅の寓話です。この引用は様々な方法で解釈されています。ある人によると、天の国は地上にあることを意味しています。また、来世のことを指していると理解している人もいます。 場面は明らかに魂が進化し、より高いレベルに上昇している死後の世界に設定されています。ド・モーガンの作品の大部分がそうであるように、これらの魂は女性であると考えられます。また、これらの魂は力ずくで天国に行った形跡はありませんが、その代わりに、彼女ら自身の精神的な成長によって天国に到達するのです。洗礼の時代よりも前に生きていたこれらの魂は、それにもかかわらず、信仰と希望のために天国に入る許可を与えられています。そのうちの一人は、変身して天国にふさわしい者になるために、短期間だけ肉に戻ることさえできた。 画面には、さまざまなレベルの霊的進化を遂げた人物が描かれていますが、そのすべてが天国に入る過程にあるわけではありません。最下段にある翼のある人物の一群は、濁った雲の中に浮かんでいます。この部分の主な色はグレーとスレートブルーで、人物もその色彩を帯びています。これらの浮遊する人物はケルビムであると言われています。旧約聖書の記述によれば、ケルビムは青くて、4枚の翼と頭を持っていますが、体はありません。しかし、ド・モーガンのユニークな描き方では、このケルビムは悩んで落ち込んでいるように表現されています。彼らは暗闇の中に群がっていて、誰も光の方を見上げようとしませ。 ド・モーガンはこれらの不幸な人物を堕落した天使として描いていて、ルシファーと共に地上に降りてきて悪魔となったものを彷彿とさせるが、それは失われた混乱した「地上行き」の魂のイメージです。これらの土に還った魂はしばしば灰色で表現され、ここでのケルビムはすべて青灰色として描かれています。しかし、彼らが暗闇の中にいることを好む兆候がないので、スウェーデンボルグが「悪魔」と呼んだ絶望的に堕落した魂である可能性は低い。彼らは悪には見えませんが、疲れていて、不幸で、暗闇の領域に閉じ込められているように見えます。「悪魔」と違って、ほとんどの人は最終的に光を見ることができます。 これらの苦しみに満ちた「堕天使」の間に散らばっているのは、完全な体を持ち、翼を持たない3人の女性の魂です。全ての女性は様々な灰色の服を着ていて、下を向いて地球に向かっています。1人は落胆して座り、もう1人は落胆のしぐさで胸に手を当てて奈落の底にもたれかかります。3人目は絶望的な姿勢で、曲がった頭を両手で抱えて立っている。この3人の魂の未来はどうなっているか。彼女らは出世する運命なのか、「堕天使」の仲間入りをする運命なのか、それとも別の人生のために地上に戻る運命なのか。 画面の下半分は雲で上層部と隔てられています。屈んで絶望している3人の魂とは対照的に、直立した人物が障壁を越えようとしています。彼女は金色の王冠と濃いピンク色のローブを身に着けており、手首からぶら下がっている壊れた鎖は、彼女が新たに達成した地上の絆からの離脱を表しています。彼女の左に位置するもう1人の魂は、影の領域の一部と一部の外に立っています。紺色のローブを着て目隠しをしているこの魂には、後光があります。おそらく彼女は、霊的には進んでいるが、まだ光の領域に慣れていない魂なのだろう。彼女の上には、進化のより発達した段階にある他の2つの後光を持った魂が、より明るい色のカーテンに包まれて、上に移動し続けています。 最後に、絵の最上部では、後光と白い衣をまとった3人の魂が、天の同心円状の層を通って自由に舞い上がっています。彼女らは光の領域に向かって上昇している間、赤い翼を持ち、体を持たない後光を持つ天使たちの長い曲線の列を伴っています。これらは伝統的に赤いと表現されるセラフィムです。画面の下の方にいる堕落したケルビムとは異なり、彼女らはすべて光の世界に向かって上を向いています。霊的なスペクトルの最上位に位置する彼らの対照的な位置は、スウェーデンボルグやデ・モルガンの自動書記に見られる「天使」、つまり進化した魂を表していることを示しています。 ■Hero Holding the Beacon for Leander(1885年) この作品はギリシャ神話の「ヘーローとレアンドロス」の物語を基にした作品です。ヘレスポントス(現在のダーダネルス海峡)のヨーロッパ側セストスとの塔に住むアプロディーテーの女神官ヘーロー海峡の対岸アビュドスに住む青年レアンドロスの不幸な恋の物語です。レアンドロスはヘーローに恋し、毎晩彼女に会うためにヘレスポントスを泳いで渡りました。彼を導くために、ヒーローは彼女の塔の頂上で松明を灯したのでした。ヘーローはレアンドロスの耳に快い言葉と、アプロディーテーは愛の女神として処女崇拝など軽蔑する筈だという主張に折れて、彼の愛を受け入れたのでした。この日課は暖かい夏の間中続いたのですが、ある冬の嵐の夜にレアンドロスは波に巻き込まれ、風がヘーローの明りを吹き消し、レアンドロスは方向を見失い溺死してしまいました。ヘーローは彼の死体を目にして発狂し、恋人の後を追って塔から身を投げて、彼の後を追ったのでした。 ド・モーガンはヘーローが一人で、リンの松明(後述)とほぼ同じ位置にライトを掲げ、恋人を見守っている姿を描いています。不思議なことに、彼女の左手の下に赤い糸があります。この赤い糸は「Queen Eleanorand and Fair
Rosamund」のエレナール女王が指に結んで左画面左に伸びているのと似ています。 一方で、ド・モーガンは。この作品と同じようなポーズで松明を掲げてあたりを照らすポーズの人物を描いた作品を制作しています。1881年の「Phosphorusand
Hesperus」(左図)です。フォスフォラスは、朝の星であり、通常は明け方の空が明るいときの金星(明けの明星)を意味するように取られています。ラテン語では、光の運び手であるルシファーとなり、後には悪魔とも呼ばれるようになりました。ヘスペルスは、夕方の空に明るく見える惑星金星を意味する夜の星で、ラテン語ではヴェスパーです。ギリシア人は同じ天体であることに気づきましたが、異なる伝説上の人物像をあてていました。ド・モーガンは、フォスフォラスが上昇し、彼の松明を空中に掲げ、絡み合ったヘスペルスが眠りにつき、彼の松明が地面に落ち、その炎が溝を作っているのを示しています。このフォスフォラスが松明を掲げるポーズは、「Hero Holding the Beacon for Leander」のヘーローと、よく似ています。 また1887年の「Hope in a Prison of Despair」(右図)です。黒衣の絶望は、牢屋の窓際で頭を下げている女性として描かれていて、男性でも女性でもよいホープが入ってきて、その光をもたらすためにオイルランプを持っている。このホープのオイルランプをかざしている姿は、上記の2作の松明を掲げているポーズとよく似ています。 ■The Gibled Cage(1900〜1919年) ド・モーガンは同時代の画家たちが芸術至上主義者であったのに対して、自己平和や社会改革への志向性も持っていました。この作品でのように女性の参政権はド・モーガンの場合は重要なテーマのひとつでした。ただし、直接的な描き方はせずに象徴的な画面にメッセージを込めていました。この作品では、豪華な金の服を着た若い女性が、外にいる人をうらやましそうに見ています。彼女の足もとの床には宝石や本が捨て置かれています。室内に閉じ込めるように指示される家父長制社会における彼女の境遇は、右上に黄金のケージに閉じ込められたカナリアによって反復されることによって強調されます。しかし、紳士の気難しげな顔を見ると、この婦人参政権のシナリオに満足していないことが示唆されています。おそらく、彼は後になって、青年時代の愚かさを嘆きます。そして、若い女性に提供しなければならない知識と富を拒絶するでしょう。。 ■Daughters of the Mist (1910年) 「Daughters of the
Mist」(右下図)は、ド・モーガンの象徴主義的なスタイルの代表的な作品と言えます。虹の霧の渦巻きは、「The Cadence of
Autumn」のように解釈を助けるのではなく、象徴的な色であることへの彼女の新しい関心を示しています。虹は聖書の物語の中で大洪水の後の平和の到来と同義で、ド・モーガンはこれを人生の激動の果てに魂が見つけた平和と解釈しています。この絵に描かれた4人の女性像は、触れ合うことはあっても、交流することはありません。彼女たちの人間的な姿は純粋に表現するために利用されており、画面には方向性や物語性がありません。一番上の女性のように、彼女たちから光が差し込むように、絵を見る者は作品と対話することで、彼女たちの精神的な目覚めを感じることができるようになっています。 この作品はハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」に基づいている言う人もいます。というのも、ド・モーガンは1886年に「The Sea
Maidens」(左下図)という人魚を描いた作品を残しています。ここで、「人魚姫」の物語をざっと復習してみましょう。15歳の人魚は難破船で遭難した王子と恋に落ちる。人間になるために、彼女の愛を彼に伝えることができないように、彼女の足を与える薬のために彼女の声を交換します。王子は後に他の誰かと結婚し、彼女は海に戻ることを望んで、心に傷を負って絶望します。試練に続いて、彼女の4人の姉妹は、小さな人魚は彼女の尾を取得するために王子を殺す必要がありますとナイフと引き換えに自分の髪を販売しています。彼女は王子を殺すことができず、船から飛び降りて溺れ、彼女の体は泡に溶解します。彼女は存在しなくなる代わりに、光の精霊、「空気の娘」に変身します。ド・モーガンの1886年の「The Sea
Maidens」には5人の長髪の人魚が描かれています。尾は水の中にあり、上半身は外にあります。彼らは愛情を込めて手をつなぎ、そのうちの4人は抱き合いそうになり、グループから少し離れた5人目の人魚に手を伸ばしています。姉妹性を繊細に表現しており、女性らしさの象徴としての力強さが感じられます。 一方、「Daughters of the Mist」では、「人魚姫」のより深い象徴的意味を追求していると言えます。アンデルセンの「人魚姫」は死についての思考が含まれている。「人魚姫」から約70年前に書かれたフリードリッヒ・デ・ラ・モット・フーケの「ウンディーネ」の物語は、同じようなプロットで、水の精霊は魂を持つために人間と結婚しなければなりません。人魚姫は彼女の死すべき愛との結婚に失敗し、王子を殺して元の身体に戻ることができないので自殺することになったとき、ミストの娘たちは彼女を歓迎し、不死のチャンスを提供するわけです。ミストの娘たちは透き通ったカーテンに身を包み、雲と虹の中に座っています。4人目の娘は立って、彼女の後ろの星まで、そして彼女を取り巻く光の中にまで伸びようとしています。彼女が彼女の不滅の魂に到達したことを示唆しています。 ■The Passing of the Soul at Death (1910〜1919年) ド・モーガンの作品の多くが水、特に海を背景にして描かれているのですが、彼女にとって海というモチーフは、比喩的なものと物理的なものの両方を包含していると考えられます。ド・モーガンは、例えば、美しい熟考や暴力と死などのムードを作り出すために、この装置を使用していると思います。それは、誕生と再生、または人生の終わりを示す寓話のための乗り物である可能性があります。ワニ、恐竜、ドラゴンなどの悪を代表する生き物や、人魚のような美しさと神話の生き物が描かれています。この作品では、死の瞬間に魂の本質、または精神が肉体を離れて来世の光に移るという彼女のスピリチュアリストとしての信念を説明するために海が使用されています。 そして、山間の不毛の風景の中に二人の女性像が描かれています。一人は細身の玉虫色の女性で、右手を広げて立っています。魂を表すこの人物は、画面左側の瀕死の身体に呼びかけているように見えます。そのもう一人の女性は比較的大きくて重い身体で、顔を上げて目を閉じたまま、ぐったりとして座っています。意識が完全にその中に移っていく中で、彼女は自分の魂を視覚化しているように見えます。二人の姿は、魂を包み込むような光の流れによってお互いにくっついていて、後光のようなものを形成しています。 肉体が座る物質世界は暗く、岩だらけで、大きな爬虫類のドラゴンが主宰しています。右側の、新たに現れた魂の背後にある風景もまた岩場ですが、夜明けの太陽の光に照らされています。両側は虹色に輝く青の細い川で仕切られており、岩の間から青や紫の山並みへと遡っています。この輝く死の川は浅く、簡単に渡ることができるように描かれています。この特定の魂は、光の領域に簡単に通過するでしょう。 瀕死の女性の服は濃いピンクから青に濃淡をつけ、頭にはバラの王冠を被せています。彼女の手からは、部分的に消えた松明(物理的な生命?彼女の王冠は、後に残されるであろうこの世の快楽を象徴しているのかもしれませんが、より可能性が高いのは、彼女が精神的に成功した人生を送ってきたことを示すものです。燃えるような命の松明が彼女の手から落ち、まもなく水の中に消えていく。悪を代表するドラゴンの暗い影が瀕死の女性を脅かしていますが、彼女の魂は無事に水を渡り、プールの向こう側にある霊界の陽光へと向かっています。 ■S.O.S(1914〜1916年) 上方からの光に映えて虹のように輝くような白衣をまとった女性が、波打つ海原の立っているのがやっとの狭い岩に立っています。彼女の足下の海面には恐ろしげな怪物が今にも彼女を捕まえて食べてしまおうと、口を開けています。彼女は星が瞬き、七色の光が降り注ぐ上空に顔を向けて、両腕を左右に広げている姿は、十字架に架けられて神に祈るキリストの姿を彷彿とさせます。あるいは、助けを求めて祈っているのかもしれません。いずれにしても、彼女が無実で、悪意がない存在であることを示しているのは最低限分かります。作品タイトルの「SOS」というのと、このシチュエーションから、彼女が助けを求めているというメッセージを発していることは明白で、それらを合わせて、この場面の緊張感を高めています。 この画面は、さまざまに象徴的な解釈を生むことができるでしょう。「SOS」という近代的な意匠のタイトルから、緊急事態と、制作された時代が第1次世界大戦の最中ということ、画家であるド・モーガンが平和主義者であったということから、波高く、沢山の怪物がいて、人を殺して食べてしまおうとしている状況は戦争そのものに置き換えることも可能です。戦争のすべての罪のない犠牲者の象徴として画面の彼女は、きれいな白いローブを着て、助け(救い)を求めていることを意味しているかもしれません。当時のヨーロッパ(例えばセルビアまたは中立のベルギー)の攻囲された国から未熟な若い兵士まで。彼女は、障害の軍隊によって、包囲中で文明を代表するかもしれません。 もう一つの可能性は、数字が第一次世界大戦の間に無実の英国の自身の損失の象徴であるということです。その罪のない人が生贄として捧げられていると同時に、ド・モーガンは最終的な救済に対する望みを絵の中に虹の聖書の象徴を置くことによって抱かせます。 氾濫の後虹が慈悲深い神からの安心の象徴としてノアと彼の家族に現れたちょうどその時、この犠牲者は最終的な救出の徴候も提供されています。 |