ラファエル前派の画家達
ウィリアム・ホルマン・ハント 『イタリア人の少女 (藁を編むトスカーナの少女)』 |
ハントは1868年6月に、前年に亡くなった妻ファニーの墓碑を建設するという悲しい目的のためにフィレンツェを訪れます。墓はフィレンツェのポルタ・ピンティ近くのプロテスタント墓地に建てられましたが、ハントは街の上の丘にある静かなフィエーゾレに滞在することを好んでいました。彼はフィエーゾレの空気をより新鮮に感じ、風景を愛し、「Sunset in the Val d’Arno, from
Fiesole」や「A Fiesta at
Fiesole」などの風景画を描いきました。フィエーゾレでは、ハントが愛するルネサンス期の絵画に登場する人物を彷彿とさせる農耕民族のモデルたちにも出会うことができたのでした。そこで出会ったヴィラ・メディチ家の庭師の娘の1人が、この「イタリア人の子供(藁を編むトスカーナの少女)」(左図)のモデルとなりました。 「イタリア人の子供(藁を編むトスカーナの少女)」に関連した3枚の鉛筆によるスケッチは、「トスカーナの少女が藁を編む」という主題が、画家の想像ではなく、ハントが目撃した実際の出来事であることを示唆しています。鉛筆で描かれたラフスケッチのうち2点は、少女が藁を編む様子 フィエーゾレにいる間、ハントは「イタリア人の子供(藁を編むトスカーナの少女)」でポーズをとった少女の妹も描いています。「Caught」(左図)と題されたこの小さな絵には、罪悪感と驚きの表情を浮かべた幼女が、開け放たれたドアから差し込む光の中に立って隠れている姿が描かれています。サイズの異なる2枚の絵は、ペアで描かれたようには見えませんが、並んで描かれたように見えます。しかも、額縁のデザインも同じです。 作品の中では天使のように見えるこの子供ですが、ハントは作品を描く際に、いかに扱いに苦労したかを手紙に書いています。彼女らは半分は野性的な田舎の子供たちで、若者の落ち着きのないエネルギーに満ちていて、ハントが描いている間、スタジオでじっとしているように言われても、外で遊びたがっていたので、あまり楽しめませんでした。 また、少女の肩にとまっている鳩のモデルはさらに非協力でしたが、彼らの種は画家にとって特別な魅力を持っていました。ハントは1865年、キャンプデン・ヒルのトー・ヴィラズの自宅の裏庭にある鳩小屋を描いた「The Festival of St Swithin」を描いています。ハントは生涯の終わりに向けて、1905年に完成した「The Lady of Shalott」で、タペストリーの糸が浮かんでいる間を飛ぶ鳩を再び描きました。ハントの作品から宗教的な象徴性が完全に排除されているわけではなく、鳩はキリストが幼い子供たちに与える特別なケアの模範となっています。「イタリア人の子供(藁を編むトスカーナの少女)」は、キリストの祝福に守られた子供の無垢な姿を完璧に捉えています。ます。 |