『反抗』というキーワード
ラファエル前派の特長と魅力
 

 

 

私は、ラファエル前派の主要な特徴を、彼らの反抗的な姿勢に見出しています。ラファエル前派といっても初期の主要なメンバー、とくにミレイ、ハントとロセッティとの間に様式的な共通性は、あまり見られませんし、バーン=ジョーンズのような人々が後に参加した頃と初期としては別のグループのようでもあります。たまたま、若い画家たちが集まってグループをつくったという事実はあったでしょうが、そこに共通の様式とか技法とか、そういうものを厳密に探そうとすると、必ず大きくはみ出すものが出てくる。そのため、ラファエル前派というグループをひとつのまとまった絵画の運動とか傾向とかいうのには無理があると思います。しかし、これだけの人々が一時的とはいえグループを組んだことには、何らかの理由があるはずで、その理由こそが、私にはラファエル前派の特徴と思えるのです。それは絵画の様式とか技法という表面に表われるものではなく、彼らの絵画に対する姿勢、スタンスだったのではないか、と私には思えます。その共通の姿勢がベースとなって、超細密とか神秘とか官能などといった要素が生まれてきて、私なぞはそういうものに魅力を覚えている、ということができると思います。

そのような、ラファエル前派の人々に共通しているベーシックな姿勢が、最初にあげた反抗的な姿勢です。これは、ラファエル前派という彼ら自身のネーミングにも端的に表われていると思います。つまり、ラファエルに反抗するということです。

 

(1)ラファエル前派は美術史上初めて反抗ということをアピールして現われたのではないか

今日では、新しい芸術運動が既存の芸術を批判して登場するということは普通に行われていることです。例えば、アメリカで1960年代にポップ・アートが登場したときには、マーク・ロスコなどの抽象表現主義を高踏的とか難解とかいって痛烈な批判を加えて、それに対する自分たちの立場を際立たせて(目立たせて)、世間の注目を集めました。しかし、このようなことは、最近の事ではないかと思います。例えば、ルネサンスやバロックといった時期に時代を画すような独創的な画家が現れましたが、彼らは当時の伝統的な権威の批判を主張したということは、あまり聞きません。そういう記録が残っていないというだけで、彼らも実は激しい批判を展開していたかもしれませんが。カラヴァッジョの影響を受けた人々がクループを作って、そうでない人々は対立したということはあったようですが、それでも絵画のあり方をめぐって批判し、論争したということではないと思います。それよりも、このような時代では、新しさとか独自性により既存の画家たちに対して差別化をはかり、絵画制作の注文を取ることの方が重要だったのではないかと思います。だから、レオナルド・ダ=ヴィンチのように既存の画家を批判する前に、自身の腕前を売り込むことの方が先だったのではないかと思います。レオナルドとポップ・アートのこの違いはどこからくるのでしょうか。それは、かれらのお客さんの違いによるのではないかと思います。言葉で既存の画家を批判してみせるということをして、それが記録として残されているということは、そのことが有効で、彼らの批判を受け容れて、彼らの作品を買ってくれる人が出てきたということです。これに対して、レオナルドの時代は単に画家が批判を口にしても、それをそのまま聞いてくれる人がいなかったか、批判をしただけでは金にならなかったのではないかと思います。というのも、レオナルドに絵の注文をしてくれたのは、当時の北イタリアの領主や高位の聖職者たちです。当時の最高の教養と識見を備えたような人たちでした。また、彼ら自身に識見がなくても、配下に才能ある人間がいました。かれらは自身の見立てで良し悪しを判断し、時には画家を指導して絵画を描かせていたといいます。そのような人々が、画家が他の画家を批判したからと言って、その主張をそのまま受け取るようなことはしないでしょう。だから、画家としては、他人の批判をする前に、他の画家よりも優れた、独創的で注文主の目を惹くような作品を作ることの方が先だったのです。このようなレオナルドの顧客の貴族や聖職者といった階級は次第に没落していき、それに代わって登場したのがブルジョワジーといわれる市民階級でした。新興成金である彼らは、経済活動を営むことに重点で、貴族のような文化活動についやす暇もなく、また文化的な伝統も持ち合わせていませんでした。だから、絵の良しあしを自分で判断するような識見を持つには至らず、どちらかといえば、絵の価値を自分で見立てるというよりは、世間の評判に判断が左右されることが多くなりました。その時に、画家たちが伝統的な画家を声高に批判して、それが話題になったとしたら、それが評判になり、評判が価値と錯覚されるようなことも起こったわけです。そのようなブルジョワジーが社会をリードする階級として定着したのが、イギリスではヴィクトリア朝時代、つまり、ラファエル前派が登場した時代だったと言えます。

ラファエル前派の画家たちが、そのことを意識していたかは分かりませんが、彼らがアカデミーの画家たちを批判したことは、奇しくも先駆的な役割を果たすことになったのではないかと思います。

 

(2)そもそもラファエル前派の人々はどうして権威の批判をしたのか

この小項目のタイトルは何か変ですよね。(1)では時代環境の変化によって批判ということが意味を持つようになってきたことをお話ししました。しかし、考えてみれば、現代においてでも、当時のラファエル前派の面々のような若くて技術的には未熟なくせに批判精神旺盛で、やたら先輩に楯突いて、理屈をこねるようなヤツら、うっとおしい以外の何ものでもないですね。もし、私の職場にそんな人間がいたら文句を言わずに結果を残せと、どやしつけたくなるでしょう。もともとヨーロッパ社会とは、そういう成熟した大人の社会だったはずです。ラファエル前派の若者のような面々は半人前として工房の親方の下働きの境遇に甘んじ、他人の批判など許されなかった、というものだったはずです。社会を構成するのは大人で、それ以外のものは半人前の人間とみなされなかった。半人前には発言権など認められないわけです。それが、近代化が進展し、社会が世俗化してくると、一つは社会が豊かになって余裕が生まれ、女性や子供といった以前なら人間とみなされなかった存在を認めようとする機運が生まれてくる、もう一つは例えば機械化された工場では熟練した一人前の職人でなくても簡単なパターン作業をすれば同じ価値を生み出すことができる、つまり大人の価値が相対的に減じることが起こるわけです。そのようなプロセスのなかで、例えばロマン主義の芸術大人でもない子供でもない青年という、どっちつかずの位置の人間を肯定的に描き出そうとし始めます。例えば、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」「ヴェルヘルム・マイスターの修業時代」あるいは、バイロンの「チャイルド・ハロルド」などです。そこでの主人公の若者は大人による既成の価値に捉われず、むしろそこからはみ出したり、反抗しようとします。このような文学が受け容れられていったという風潮が、ラファエル前派の若者たちがアカデミーの権威をおおっぴらに批判することができる土壌を培って行ったのではないかと思います。当のラファエル前派の人々も、そういう土壌の上で権威を批判するということを学んだのではないでしょうか。

また、話はかわりますが、ラファエル前派の主な画家たちの出自を見てみると、ミレイは地方の裕福な地主、ロセッティは亡命政治家と、倉庫管理人の家にうまれいったん事務員になったハントは別として、ある程度以上の余裕のある家庭で一定以上の教育を受けた人々と言うことができます。ルネサンスやバロックの画家たちのように幼い頃から親方の工房で絵の修業を始めるというのとは違うわけです。近代的な学校で基礎的な知識を修得し、そこで議論やものを考える基礎的なことを習ったのか、同年代の子供同士で議論をたたかわせたのか、少なくとも大人に頭を押さえつけられるような修行とは違った学習時代を持つことができた。しかも、時代の社会環境はそういう子供や若者に対し、かつてのような未熟な大人というのではなく、多少でも尊重してくれるようになってきた。そこでは、学校で理想に近いような机上の空論を教科書で習い、青臭い議論にうつつを抜かす、いうなればナマイキ盛りの跳ねっ返りが、バイロンの「チャイルド・ハロルド」に憧れて既成の権威に反抗して見せるのがかっこいい、とでもいうようなことを考え、軽薄なヤツがそれを行動に移すこともできた、ということではないでしょうか。私には、ロセッティなどは典型的なそういうタイプのように見えます。

そして、そういう彼らの権威への批判に、それらしい考えを与えバックアップするような、彼らに考えを提供する人や彼らに先んじてそういうことを行った人々がいたのです。(これについては、ラスキンを含めてラファエル前派に影響を与えたものとして別にお話ししたいと思います。)

語弊があるかもしれませんが、彼らのラファエル前派兄弟団というのは、アカデミーの附属学校の若い生意気盛りの生徒が一時の勢いと仲良し同士が互いに煽った一時的な遊びのようなもので、それを周囲が過剰に受け取って、当も本人たちもそれに煽られるようにして、あれよあれよと、嘘から出た真ではありませんが、事実ができてしまった、というのが本当のところではないでしょうか。そんな気がします。総じて、ラファエル前派の彼らの作品を見ていると、屈折していないというのか善い意味でも悪い意味でもストレートに伸び伸びと描いているという印象を受けるのです。

 

(3)ラファエル前派の人々が権威の批判をしたことが何を生んだか

さて、ここからラファエル前派の内容についての議論に入ります。

ラファエル前派の若い画家たちが、伝統的な画壇の権威を批判したこことで、かれらは注目されるようになります。注目というよりは要注意人物とでも見られたのでしょうか。彼らは画家を目指している画学生たちですから、たんに言葉で批判しているだけではいられません。彼らが批判していることが頷けるような作品を残さなければ、彼らの言っていることは単なる犬の遠吠えで終わってしまうことになるわけです。かれらも口先だけとか嘘つきということになってしまいます。だから、彼ら自身、自分はどうなのかということを真剣に考えざるを得なかった。既存の伝統的な絵画に飽き足らず、これを批判していた彼らが、自分たちはどうすべきかを打ち出すことを迫られたというわけです。それゆえにこそ、彼らは自身の方法論に意識的だったように見えます。例えば、後に路線対立のようなことが起こり、ハントがロセッティに対して「ラファエル前派ではない」という批判をします。このことは、ハントもロセッティもラファエル前派はかくあるべきということを強く意識していたからこそ、そのような議論が成り立つのです。だから、かれらの諸作品にある程度共通した、ラファエル前派の様式的特徴というのが何点か指摘できます。(これについては、別のところでお話ししたいと思います)これらの特徴というのは、彼らが試行錯誤しながら何度も描いているうちに、これがいいという選別を経た結果かち取られたスタイルというのではなく、言葉で考えられた理論をベースについて論理的に考え出されたものであるように見えます。つまり、いろいろ描いた挙句こうなった、というのではなく、予め考えて主体的に選択したスタイルだったと思われるのです。それは、ラファエル前派の様式的特徴についての説明は、スッキリしすぎていると思われるほど整然としていて、破綻がないのです。普通、感覚に身を任せると論理には追いつけない飛躍が出てくるはずなのですが、ラファエル前派の様式的特徴にはそれが見られないのです。だからこそ、かれらの様式の柔軟性がないのです。多少、様式から外れた作品があってもいいはずなのに、そういう作品が出てきた時点で、彼らはラファエル前派を脱退してしまう(ミレイの場合)か、その様式を捨て去ってしまう(ロセッティの場合)かするのです。

このようなことは、ラファエル前派に限ったことではなく、彼らの後の時代の何とか主義と名付けられる芸術運動で同じようなことが起こります。だから、ラファエル前派はそれらの先駆けだったかもしれません。

一方、ラファエル前派が自らにあり方に自覚的であったということは、さらに彼らの制作姿勢に次のような影響をもたらしたのではないかと考えられます。言葉で物事を考えるということは、どんどん突き詰めて行ってしまう傾向になりがちです。たとえば、キレイな風景を描いた場合、それを感じたまま技量に任せて描いたとするなら、技量の上達によってさらに美しいものが描けるとしても、それには長い時間がかかるものです。これに対して、こういうコンセプトで、このように描いてみようと考えていくと、なぜ、とか、いかに、等という点を言葉で突き詰めてしまう。例えば、ラファエル前派の特徴として細密な描写ということを言葉にしてしまうと、細密さということに置き換えられて、どこまで細密にできるかとエスカレートしていってしまうのです。そして、作品の制作を重ねるたびにもっと、もっととさらなるエスカレートをしていったあげく行き詰ってしまう。ラファエル前派の画家たちには、長い期間、じっくりと一貫した姿勢を保ち続け画家として成熟していったという人がいないのです。この点が少し時代はズレますが印象派などとは大きく違うのです。モネは印象派のスタイルを生涯貫き、晩年に、その成果としてスタイルを突き詰めた集大成のような境地に達しました。これに対して、ラファエル前派の画家たちには晩年の境地のようなものがなくて、どの画家も、せいぜいが10年くらいのスパンであるコンセプトを追求し、それが行き詰ると方向を転換してしまう、どこかせかせかして落ち着かないのです。言ってみれば、老人の落ち着きに対して青年の活力に溢れながら、その反面どこか焦っているというような姿勢が、ずっと続いているのです。ミレイにしてもロセッティにしてもバーン=ジョーンズにしても。それがあったがゆえに、彼らは当初の復古的な姿勢から、象徴主義的、神秘主義的、審美主義的、それがエスカレートしてエロチックなものへと突き進んで行くことができたのではないかと思います。いわば、ずっと青春をやっていたという感じなのです。青春に反抗はつきものです。

 

さて、言葉遊びのようになってきてしまい、実際のラファエル前派の絵画に具体的に触れることをしなかったので、雲をつかむような話に聞こえたかもしれません。別のところで、ラファエル前派の絵画の様式的特徴や個々の作品に触れていきますので、ここでの話を踏まえて読んでいただくと、私のラファエル前派の捉え方がお判りいただけると思います。

 
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