ラファエル前派周辺の画家
チャールズ・オールストン・コリンズ
 

 

 

ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハントといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。

 

(1)コリンズ、画家と作風

チャールズ・オールストン・コリンズ(1828〜1873)はイギリスのハムステッドに生まれました。父は画家ウィリアム・コリンズ、兄は「白衣の女」を書いた小説家ウィルキー・コレンズです。ロイヤル・アカデミー美術学校で学び、1840年代後半ミレイと出会い、ラファエル前派の影響を受けた「夫リチャード獅子心王の安否を心配するベレンガリア妃」を描きました。ミレイは、1850年5月にラファエル前派兄弟団を脱退したJ・コリンソンの代わりとしてコリンズをメンバーに推薦したのですが、彫刻家のウルナーとW・M・ロセッティが拒んだということです。1850年にミレイとオクスフォード近郊に滞在中に描き始めた「修道院の思索」には高教会派への傾倒が表われています。1850年代には「5月、リージェンツ・パークにて」、「1854年の豊作」などを発表します。コリンズは謙虚な性格で理想も高く、自らの望みに対して満足することはなかったといわれています。50年代後半には著述の方に関心を寄せ、小説や旅行記、エッセイを出版するようになり、画業から次第に離れていきました。したがって、コリンズの作品で見るべきものは、50年代の画家に専業していたころのものということになると思います。

 

(2)コリンズの主な作品

■修道院の思索

コリンズの代表作と言えるこの作品は、中世の彩飾写本から図像と粗食のモティーフを採り入れて制作されたものと思われます。描かれているのは、塀に囲まれた庭をひとりの若い修道女が黙想しながら庭を歩き、ふと池の傍で歩みを止め、一輪の花を見つめている情景です。彼女が手にしているのはトケイソウ、英語ではPassion flower と呼ばれ、この「パッション」はキリストの「受難」という意味をもつことから、キリストの磔刑を象徴する花として知られています。たとえ、トケイソウの知識がなくても、この関連は修道女が左手に持つ時禱書によっても示唆されています。聖処女、聖ヨハネ、そし、マグダラのマリアに三方を囲まれ、十字架にかけられたキリストの姿を賑々しく描いた時禱書のページを見ることができるからです。また、この時禱書のページと、この作品の画面全体はよく似ていて、関連性を想像させるようにもなっています。

視線を修道女の周囲に転ずると、庭に咲く植物で、白百合は純潔を象徴し聖母マリアのイメージに重なりますし、その傍らに咲く赤い百合はこの世における苦難、修道女の右に咲くアガパンサスは「天上的な愛=Agape アガペ」を、その背後に咲くオダマキは英語名 Columbine(=鳩)から、精霊を象徴しています。水面の睡蓮は「神から与えられた清い水があれば、泥の中からでも美しい花を咲かせることができる」というキリスト教的な考えを暗示しています。また、修道女の服が水面に反射し、その色が深紅の魚を白く染めてしまうほど純粋であることが強調されています。そして修道女の背後には高い垣根が巡らされ、愛の象徴であるバラが生い茂っています。(しかも、この高い塀自体も下のほうは茂みに多い尽くされて、煉瓦の壁の地肌は上部だけしか見えません。このように塀も限定されています。その上の青い空もそうです。つまり、閉ざされたというシンボルは何重にも折り重なるように示されているのです)この「閉ざされた庭」のテーマはキリスト教絵画によく登場しますが、旧約聖書のソロモンの雅歌の一節「わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。封じられた泉・・・(雅歌4.2)」に由来し聖母マリアの処女性にも通じています。ソロモンの雅歌の一節(雅歌2.2)は額縁の中央上にも刻まれ、このラテン語「SICUT LILIUM」すなわち「百合のごとく」という言葉も聖母を象徴しています。

これらのひとつひとつが徹底的に精緻に描きこまれていますが、不思議なことに、その稠密さがアピールされることはなく、全体に静寂さがあります。おそらく、これがコリンズの特徴的な作風なのでしょう。そのなかで、中心の修道女は持っている時禱書を見つめるわけでもなく、天上を見上げるわけでもなく、右手の一輪の花を見つめています。つまり、コリンズは修道女に直接的な神のシンボルに視線を向けさせるのではなく、一見関係のなさそうな花を見させているわけです。

■5月、リージェンツ・パークにて

コリンズの代表作「修道院の思索」では、その植物描写のディテールの精緻な見事さで、ラスキンの賛辞も受けました。コリンズは、それに先立つ1851年に、ディテールをはるかに控えめに、しかし印象の鮮烈さでは少しもひけをとらない「5月、リージェンツ・パークにて」を、家族の住まいから描いています。これは、ラファエル前派の風景画でロンドン中心部を対象にして、自然の姿を忠実に写すことで同派の基本方針を守りつつ、あからさまな宗教的もしくは社会的なテーマを一切含まずに首都の公園の個性を記録したものです。このような作品はラファエル前派では他にありません。

つまるところこの絵は、特権的な人々のみが見ることのできる現実逃避の情景であり、建築家ジョン・ナッシュが公園沿いの家並みを設計したときに意図したものでもあったと言えます。人けの絶えた公園は、短く刈り込まれた芝生と植生からなり、それが花壇、園路、道、垣根、池、植樹の列が織りなす厳格な水平線と、人物、柵の杭、木の幹の黒っぽい垂直線とで整然と区分れ、風景を独占するコリンズの視線とよく馴染むものです。そこに見られるのは、拡張を続ける首都のただ中に設けられた、牧歌的な隠遁所の昼下がりの景観であり、大都会の煤や労働者の姿は念入りに排除されています。これは、彩り鮮やかで極めてラファエル前派的な絵であり、伝統的な、窓から望む庭園の画趣に富む景観の絵などとは正反対のものです。ここには、窓枠のように景色を縁取ったり、前景の脇に背の高いモティーフを描き入れて空間を限定したり、視線を奥へ、遠景へと導く線などの仕掛けは見当たりません。ここにあるのは、現実の風景を描写するということをタテマエとして、手法として掲げながら、その現実とは何かというと、その現実を見る目にフィルターをかけていることに気づいていないか、そのことを見ようとしていない、ということです。むしろ、意図的にそのようなことをして、見る人には気づかせないと言えるかも知れません。

■夫リチャード獅子心王の安否を心配するベレンガリア妃

リチャード1世(1157〜1199年)はプランタジネット朝の第2代の王で、フランス王との確執や十字軍への参加など生涯の大部分を戦闘の中ですごし、その勇猛さから獅子心王とも呼ばれた人物です。王妃ベレンガリア・オブ・ナヴァールはリチャードの転戦に伴い居所を転々とし、イングランドの地を踏むことがなかった人です。この作品では、おそらくローマでしょうかリチャードが出征した留守でベレンガリアが夫の安否を気づかっている場面、彼女の夫リチャード獅子心王の帯がローマで売りに出された光景により提起された、その安全に対するベンガリアの警告として描かれています。作品のタイプとしては歴史の場面を題材としている作品で、そのような体裁になっていますが、実は宗教画の象徴的な類型が使われています。

コリンズは、王妃の夫の帯に対する認識を象徴的な状況の中で定式化しています。商人が王妃をはじめとする婦人たちに帯をかざしています。その背後の壁には2枚のタペストリーが掛けられていて、創世記37章の「夢見るヨセフ」の物語がそこに描かれています。かいつまんで言うと、その物語は、ヤコブは息子たちの中で末っ子のヨセフを溺愛し、多彩な色の裾の長い服を着せます。このような服は農作業には不向きで、いわば農作業を免除されたことになるわけです。これに対して、同じ兄弟の兄たちは粗末な服で農作業に従事しています。その不公平な中で、ヤコブの目の届かないところで、兄弟たちはヨセフの服を脱がせて、エジプトの商人に売ってしまいます。そして、脱がした服を持ち帰り、ヤコブにその服を証拠にヨセフが死んだと伝える。そういう話です。タピスリーで色とりどりの布がかけられているのは、そのヨセフの服がヤコブの前で広げられているところです。つまり、このタペスリーは服でヨセフの死を知らせていることに、ことよせてベレンガリアの前で商人により帯が見せられているのを、夫リチャードの死を知らされているということに引っ掛けているわけです。

ヨセフの兄たちがヤコブに多色の裾の長い服を持ってきて、彼の溺愛するヨセフが死んでいることを彼に納得させるように、商人の行動は夫であるリチャードが死んでいるか、大きな危険にさらされているかをベレンガリアに告げていることになるわけです。これを補強するかのように、ベレンガリアの足元の床には創世記と福音書が広げられて、その物語だということを示しています。画家は、タペストリーと創世記を使ってリチャードとの関係を確立し、これを見る者が画面の前の象徴主義を理解させようとしました。

 
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