ラファエル前派の画家達
フォード・マドックス・ブラウン
『労働』
 

 

ブラウンの作品の中でも、最も有名で、代表作とされている絵画です。この作品には2つのバージョンがあり、ひとつは1865年に12年の歳月をかけて完成させた作品で、通称マンチェスター版(左図)といい、画家自身による詳細な説明が記された図録も作られてました。もう一つは1863年に完成した小型版で、こちらはバーミンガム版(右図)と呼ばれています。

この作品で描かれているのは、19世紀のイギリスで鉄道や道路など土木作業に当たった「Navvy」と呼ばれた肉体労働者たちです。一般的には、この作品ではロンドンの下水道の拡張工事の一環で、彼らは、そのトンネルをつくるために道路を掘っているところです。場所はロンドンのハムステッドにあるヒース通りのマウント・オン・ヒース・ストリートで、大通りの上に脇道がそびえ立ち、その脇道と並走しています。ブラウンは、この風景を正確に描写していると言われています。画面の中央では、労働者たちが下水のトンネルをつくるために道路を掘っていて、その両脇には失業者や有閑階級の人々が作業を見物しています。また、労働者の後ろには馬に乗った二人の貴族がいますが、彼らは工事のために、通行止めに遭っています。このように、画面は全体として3つの部分に分かれています。すなわち、画面右側には富裕な人々が集う公園の風景、中央部分の労働者、そして左端の都会の貧しい人々の雑踏です。しかも、3つの部分は均等ではなく右から左へとだんだん狭くなって空間が圧縮されて窮屈になっていきます。それは、それぞれの部分で描かれている人々の状態を隠喩的に表しているとも考えられます。右から左に行くにしたがって余裕がなくなり窮屈になっていくのです。これらの3つの部分の人々は互いに分断されており、とくに右と左の人々は中央の労働者たちが分断しています。中央の奥には馬に乗った貴族が一段高いところに位置していて、貴族の下にブルジョワや労働者がいる社会構造を暗示しています。しかし、その貴族は奥の背景の日陰に追いやられ、工事のため立ち往生させられています。むしろ、前面に出て、光を当てられているのは労働者たちです。画面奥と右側の富裕で労働していない人々は影になっています。また、右側の部分と中途の間には柵が作られており、これは中央から左の忙しい仕事の部分と余暇を楽しむ部分との境界を作っています。このような画面構成は、ウィリアム・ホガースの選挙の風刺画(右図)がイギリス社会の活気と腐敗の両方を描き、版画は貧困と繁栄の間のコントラスト強く浮き上がらせたものを参考にしていて、というより、その構成をちゃっかりパクっています。ブラウンでは、労働と余暇(怠惰)とば対照されています。しかも、労働者と富裕な人々を画面の中で近接させているため、その対照がなおさら際立たせられています。ここには、教訓的で道徳的な傾向が濃厚に現れていると思います。女性たちが左側を通り過ぎるとき、裕福な男女が無関心のように見ているとき、そして構図の右側にいる二人の男性が身を乗り出して観察しているとき、ブラウンの構図は、それにもかかわらず、画面を見る者の視線を絵画の中心に引き寄せています。ブラウンは比喩的にも文字通りにも、労働者階級を作品の中心に据えています。彼は彼らを理想化するのではなく、印象的なリアリズムで描き、最終的には上流階級が提供することのできない敬意に値するものとして彼らを提示しているのです。

細かいところを見ていきましょう。画面中央の部分の労働者たち。中央左の若い労働者(左図)は、穴の中にぶら下がっている台の土を後ろの大きな山の上に押し込んでいます。地下の立坑の中で彼らの下方では、別の労働者が土を掘り、台の上に土を押し込んでいます。彼の姿は手とシャベルの形だけで、穴の中から現れます。穴の右には、年配の労働者がふるいにかけられていない石灰を押し込んでいるのを見ています。ふるいにかけられた石灰の細かい粉は左側に山のように溜まっています。石灰はモルタルを作るために使用されるもので、そのモルタルは右側にいる他の労働者によって混ぜられています。最初に示した中央左の若い労働者の後ろに見えるホッドキャリアーがレンガを穴の中に運んでいます。

中央部の右、つまり、最初に紹介した若い労働者の右側にいるのは、最近町に引っ越してきた田舎者(右図)で、それは田舎のスモックを着ているのがわかるようになっています。彼はブリックホッドを持ち、地元のパブで雇われている「用心棒」と思われる赤いウエストコートの男から提供されたビールを飲んでいます。ビール売りの衣装には、安物のブルマゲムのジュエリーの例が含まれています。脇にはタイムズ紙のコピーを抱えているなど、彼の人格は紳士的な遊び人を模したものです。彼の後ろにいる二人の男性は、アイルランドからの移民労働者であり、それは彼らの衣装を見れば一目瞭然です。この点は、ホガースの「ビール街」に直接影響を受けています。

手前には、最近死別を経験したぼろぼろの子供たち(左下図)がいて、赤ん坊の腕の黒い帯がそれを物語っています。彼らのボロボロの状態は、死んだのは母親であることを示唆している。一番上の子供は、彼女のためにあまりにも古い借りた服を着て、労働者の手押し車で遊んでいる彼女の道端の弟を制御しようとします。下の子はダミーの代わりにニンジンを吸って、作業員の作った穴を覗き込んでいます。彼らが連れている雑種の犬は、おしゃれな女性のペットのチョッキを着た犬を睨みつけています。赤ん坊は、見る者を挑発的に外に見ているが、構図の中心的な位置を占めています。このような描写は、一人称の物語から二人称に突然移行することで、この挑戦を強調しています。

右手前では、二人の男性が柵にもたれかかっています。彼らは教養ある知識人として労働者の一歩上にいる。彼らはジャケットを着ていて、昼休みに見物しているようにも見えます。この二人はトーマス・カーライルとフレデリック・モーリスの肖像画だそうです。モーリスはキリスト教社会主義の創始者である。彼はブラウンが働いていた労働者教育機関を設立しました。カーライルは有名な著述家です。カーライルの頭の後ろに彼の代理にが現れ、彼の名前を書いた看板を持って街を歩くように地元の「アイドラー」を促しています。左側の「Vote for Bobus」のポスターには泥や糞のボールが当たり、「Don't」とチョークで書かれているとのことです。

馬に乗った二人の人物は、絵の奥の方にあるこの通行止めに出くわしたばかりの人物で、貴族でしょう。彼らは、左側部分の上品な女性や右手前の知識人と同様に、労働に従事しているのではなく、彼らの周りで起こっている仕事の観察者として描かれています。彼らはこのシーンを通過しているだけなので、一時的な不便さ以外は、直接彼らに影響を与えることはありません。

画面の左側に移りましょう。最初に紹介した若い労働者の左上に青いボンネットの女性が伝道しようとして宗教の小冊子を右脇に抱えています。それは、『ホドマンズ・ヘブン』(The Hodman's Haven or Drink for Thirsty Souls)と呼ばれる小冊子です。そのタイトルの「飲み物(Drink)」への言及は、禁酒運動の勃興を反映しています。右側の海軍兵はビールを一気飲みしていて、その禁酒主義の否定を強調しています。伝道の小冊子を抱えた青いボンネットの女性にいる日傘をさした女性は、埃を避けるようにスカートを上げて歩いている上品な魅力を表しています。

その女性の手前を歩いている人物は、伝道とは正反対の聖に対して賤という社会的スケールの反対側の端を象徴しています。彼は、当時のロンドンで最も犯罪者として悪名高いホワイトチャペルのフラワー&ディーン・ストリートにある食堂に住むボロボロの旅人です。彼は植物や動物の売り子で、田舎から花や葦、小動物を手に入れて都心部で売る都会の労働者の一形態ですある。これらの人物はすべて、労働者のそばを通り過ぎていく細い通路を通り、ふるいにかけられた石灰の粉に直面しています。

画面の右側の部分に目を転じてみましょう。境界の柵の右下すぐのところでは、農村の失業中の労働者の一団(左下図)が不安そうな姿勢で眠っています。保護ロープに包まれた大鎌が手すりの上にぶら下がっており、生産的な人物と非生産的な人物を分けているのが分かります。木のそばで赤ん坊にお粥を食べさせているアイルランド人の夫婦と、木のそばに立って憤慨している年配の男性がいます。これらの人物の下では子供たちが遊んでいる姿が見られ、陽に照らされた下の通りでは、上品なカップルやサンドイッチを運ぶ人たちがぶらぶらしています。右端では、警官がオレンジ色のカゴをボラードの上で休ませている女性の売人を押しています。

ブラウンは、ヴィクトリア朝社会のさまざまな階級の労働者がさまざまな労働行為を行っている様子を、人物が密集した構図で表現した社会的写実主義絵画を制作しました。この作品は、ヴィクトリア朝労働者階級の現実を非常に正直に描いている一方で、ホガース的な風刺のトーンも持っています。ホルマン・ハントの『良心のざめめ』と比べると、この作品は明らかにこのリアリズムをさらに推し進めている作品であると思います。

 
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