ラファエル前派の画家達
エドワード・バーン=ジョーンズ
『赦しの樹』『マーリンとヴィヴィアン』
 

 

これらの作品は、構図がよく似ているので、並べて取り上げて見ようと思います。

「赦しの樹」という作品から見ていきましょう。オウィディウスの「名婦の書簡」の2番目の手紙で、デーモポーンはトロイ戦争に参加しトロイの木馬に入った戦士の一人で、偉大な英雄テーセウスの息子でした。彼はトロイア戦争の帰途でトラキアに立ち寄り、トラキア王の娘ピュリスと結婚の約束をします。しかし、結婚式の次の日に彼は去らなければならなくました。できるだけ早く帰り、妻も後で一緒にアテーナイに連れて行くことを約束した。彼が出発した後、ピュリスは毎日、海辺に通い、彼の船の帰還を期待していたが、徒労に終わります。帰る約束の期日が過ぎ、彼女は悲しみのあまりアーモンドの木で首を吊って自殺します。すると奇跡によって彼女は、アーモンドの木に変えられます。その後、心から後悔したデーモポーンがその木を抱きしめると幹からピュリスが出てきて愛情深い赦しを与えて彼を包み込んだという話です。この作品は、その物語の最後のピュリスがデーモポーンを赦して、彼を包み込んで行く場面が描かれています。

また、「マーリンとヴィヴィアン」は、アーサー王の顧問である魔法使いマーリンは、湖水の乙女ヴィヴィアンに恋をするのですが、ヴィヴィアン魔法の秘密を教えることを恋人となる条件として要求します。マーリンが求めに応じると、ヴィヴィアンはその教えられた呪文をつかって、彼を封印してしまうのです。アーサー王伝説では、そのことが、アーサー王がマリアンから助言をうけることができなくなってしまい、それが彼の死の遠因となるのです。この作品では、ヴィヴィアンがマーリンに呪文を掛けて眠らせる場面を絵描いています。

これらの作品は、両方とも、二人の人物、非常に劇的な状況にいる男女の関係を描いている作品です。これらの作品の男女は両性間の永遠の闘争にかかわる者として描かれています。これらの作品で、バーン=ジョーンズはこのような闘争的な愛の力を認めて、愛による覇権争いに巻き込まれた個人を表現しています。「マーリンとヴィヴィアン」では彼は彼女を誘惑者にして征服者として示しているのに対して、「赦しの樹」では自身が相手に拒絶されていることを察知した女性を描いています。これら二つの作品で注目すべきは主人公たちの無力さであり、ギリシャ悲劇におけるように、人物はあらかじめ運命づけられた役を演じているにすぎないのだと感じさせるものがあります。人は運命の女神の操り人形なのだ、と。例えば、「赦しの樹」のピュリスは悲しくも自分が相手に拒絶されていることを察知した女性です。彼女は、どんなにデーモポーンのことを思っていてもどうにもならない。無力な存在です。それを、バーン=ジョーンズは、まるでギリシャ悲劇のように人物は運命づけられた役を演じるに過ぎない、言うならば運命の女神の操り人形なのだとでもいいたげな、彼女の表情はデーモポーンに向けられ、見る者は荒涼としているが起伏に富む風景のなかに配されており、ピョリスの髪の毛と衣文は線的な付属物として用いられており、抑制されたリズミカルな流れが生み出す雰囲気にアクセントをつけている効果で知ることになります。一方、デーモポーンは、彼が通り過ぎるときに人間の姿に変わったピュリスにあらがっているように見えます。彼女は、愛しながら、また許しながら、彼を自分の腕にかき抱こうと願っている。しかし、彼の方は、恐怖して、逃れようともがいている。ふたりの悶えるように、身体をくねらせている様子が二人の人物の緊張関係を体現していて、ほとんど裸体ですが、彼の足には衣服がまとわりつき、花が包み込むように取り囲んでいます。この画面では、彼女の髪の毛と花が人物と同じくらい画面の構成要素となっています。

これに対して、「マーリンとヴィヴィアン」では「赦しの樹」以上に背景による雰囲気つくりがかなりの程度まで展開されています。風景は削除され、奥行きがなく、カンヴァスの各部分が等しい重要性をもっています。もだえるように曲がりくねった樹木が二人の人物間の緊張を語るかのようであり、衣服のひだは二人の体にまきついて動き続けている。とくに「マーリンとヴィヴィアン」では線が強調されており、その線が人物と同じくらいこの作品の構成要素をなしているのです。樹の鋭くてアーチ形の枝がヴィヴィアンの首の曲線を反映しているので、ヴィヴィアンのポーズは樹木によって示される画面全体の渦状の流れのなかにハマっています。さらに彼女の着ている服の襞が、その流れに細かく連動するように強調されています。その服の暗い色は背景の草花の淡い茶色と白と対照的になっていて、垂直に立つヴィヴィアンと無防備で静止を印象づける水平姿勢マーリンが十字形を成しているので、ヴィヴィアンの姿と草花の茂みの動きが、マーリンを地面に近づけ、まるで圧力がかかっているかのように見せています。豊かでビロードのようなインディゴとバイオレット、そして背景には無彩色のボーン、ベージュ、そしてグリーンの色を並べることで、バーン=ジョーンズは閉じ込めのムードを生み出しています。このようにバーン=ジョーンズは、単に物質世界を模倣するだけでは状況を再現できないと考えていたので、それを表現するために視覚的な媒体の特性そのものを活用しました。同様に彼は、このような媒体を使用することによって、両性間の衝突という出来事についての彼個人の感情的な解釈の力を伝えることができました。同じようにこの作品で見られる十字型の構図も「赦しの樹」をさらに推し進めたものであることがわかります。ヴィヴィアンの垂直の形とマーリンの水平の像の間に劇的な衝撃力があり、二人が合わさってカンヴァスの方形が見事に利用されているのです。さらにもうひとつ印象的なのは男女の役割の興味深い逆転です。ヴィヴィアンは立ち姿で、通常は積極的男性を象徴する主要な垂直面を占めているのに対して、他方マーリンは受動的に横たわっており、弛緩し、魔力が失せてしまっています。

 
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