後期ラファエル前派のイデオロギー
絵画における唯美主義
 

 

 

1860年代末のイギリスの文学、美術にあらわれる唯美主義について、「芸術のための芸術」という用語を、はじめてスウィンバーンがウィリアム・ブレイクについての評論に用いたのは1867年のことで、1868年、ウォルター・ペイターは、評論「ウィリアム・モリスの詩」において「芸術のための芸術」への愛を説き、「万物が足元で溶けてゆくあいだに、精妙な情感や、視野を高めて一瞬精神を自由にしてくれるかとも思える知的な貢献や、不思議な彩り、珍奇な香など感覚を揺さぶるもの、あるいは、芸術家の作品や、友人の顔をしっかりとらえるのがよい」と語りました。ペイターはこれを「ルネサンス」の初版の結論部分に再録している。つまり、感覚で認識できる美自体が芸術の目的であり、その他の意思伝達とか教化といったことは副次的なことにすぎない。これが一般に言われる唯美主義です。文学に起こった唯美主義が絵画の世界では、どのように具体的に興ったのでしょうか。

ラファエル前派兄弟団が設立された1840年代では、絵画に対しては、ラスキンが『近代画家論』で述べていたような表現様式より表現内容を重視するという考え方が一般的でした。絵画は単に見るものの感覚に快く訴えるだけのものであってはならず、何らかの明確で有用な教訓や主題によって、見る者を啓発するものであらねばならなかったのです。そうした機能があってはじめて、絵画はその存在価値を認められていました。ラファエル前派の作品についても、その考え方の基で宗教的な説話やシェイクスピアの物語をとりあげて、主題(テーマ)であるとか物語であるとか、そういうものを描くということで、作品を制作していました。その意味で、ラファエル前派というのは、伝統的な絵画観に従いながらも、その表現様式で大きな変革を起こそうとし、取り上げる主題の選択においても新しい傾向を打ちたてようとする運動だったと言うことができます。

このような状況の真っ只中の1850年代半ば、ミレイは、絵画の存在価値である物語性、主題性を欠いた作品を制作しました。例えば、「谷間の安息」の夕暮れの風景は、そこに描かれた細密でリアルな尼僧の表情と相俟って死の深い意味、ときに甘美とも錯覚させる誘惑的なささやきによって深みを増す死の意味をイメージさせるものとなっています。この作品の中で尼僧たちは何を行っているかとか、そのような内容ではなく尼僧もいる全体の雰囲気で、それは歴史的意味内容とか道徳的な教訓とは異なるものでした。ここでのミレイは物語的な細かな道具立てを弄して主題を語ろうとはしていません。それはあくまでも夕暮れと尼僧との対比によって、そして画面全体の色調やムードによって暗示されているだけです。しかし、このミレイの試みは主題を否定してわけではなく、ストーリーではなくムードで語ろうとしたものと言えます。

 

(1)ヴェネツィア派への接近

一方、1840年代以降、ラファエル前派の影響によって初期ルネサンス絵画への関心が高まりました。しかし、1850年代も後半になるとラファエル前派が画壇に地歩を築き始めると、次第に自然の刻明な描写にのみ心を砕く多くの追従者やエピゴーネンを輩出することになります。これに対する反発が広がり始めます。それは自然の細部に対する忠実さを追求するあまり、絵画の美というものから逸脱してしまっているという批判です。

そのような自然や細部の真実より、美や全体的効果を求める声が大きくなっていった背景には、生物学や地質学などの自然科学の発達によって、従来の自然神学と結びついた自然観が、根底から覆されつつあったことが大きく作用しると思われます。自然科学の発達が、聖書の歴史的信憑性に対する深い疑念を生み、神の創造物としてのNatureがnatureという現象界へと天下ることになります。つまり、自然はもはや神の知恵の現れとか、それ自体が美というものではなくなっていったというわけです。したがって、ラファエル前派流の自然観察に対しても疑念が湧き起こり始めたのも当然です。ラファエル前派の自然観察は、その写実性において時代の実証精神を反映するものでしたが、その反面、根底において自然を神の知恵の現れと見る自然神学とも密接に結びついていたからです。

そのように神と自然の意味とを見失われつつあったとき、代わって叫ばれたのが美でした。堅苦しい宗教的シンボリズムに依拠することなく、また細心刻明なリアリズムに拠るでもない、ただ純粋な美への配慮が求められたというわけです。このとき、美を語る際の格好の方便として採り上げられたのがヴェネツィア派の絵画でした。ヴェネツィア派は、フィレンツェ絵画の理想化・神聖性に対して、個性的で世俗的です。ヴェネツィア派の個性や世俗性は、その表現の特徴である豊麗な色彩が加わると濃密な官能性を生み出します。当初は、ヴェネツィア派のこの官能性や感覚的なところが知的で精神的であることと相容れないと考えられていました。しかし、1950年代後半から、自然や真実よりも純粋な美を重視する機運が起こってくると、ヴェツィア派の色彩美を愛でる人々の中から、主題性など取るに足らないという考えが生まれてくることになります。純粋な美を成り立たせるためには、思想性や精神性というものが、却って邪魔になると捉えられるようになってきたというわけです。ここに至って、ヴェネツィア派の感覚性や官能性は非難されることではなくなり、むしろ道徳的・宗教的な要素などの余計なものに煩わされることなく、純粋に美を追求するものとして肯定されるようになっていきます。これは、当時の『フォートナイトリー・レヴュウ』という雑誌のコルヴィンという人の批評にも述べられています。“私は美こそが画家の至上の目的であるべきだと確信する。絵画芸術というものは、直接視覚に訴えるものであり、感情や知性へは視覚を通して間接的に訴えるに過ぎない。そして、我々が視覚を通して直接認識し得る唯一完全なるものは、形態と色彩のそれである。したがって、形態と色彩の完全性、つまり美こそが絵画芸術の最も重要な目的であるべきなのである。ギリシャ人たちが形態美において成し遂げたことを、まさしくヴェネツィア人たちは色彩美において成し遂げた。つまり彼らは自分たちを取り囲む世界の中にある美しいもの、調和のとれたもの、荘厳なるものすべてに感応し、それを再現したのである。”

芸術というものは、何らかの意思伝達あるいは強化の手段としての使命を離れ、その美自体を目的とすべきだという唯美主義に対して、このようなヴェネツィア派への関心はひとつの契機をなしたと言えます。

 

(2)古代ギリシャへの憧憬

一方で、こうした唯美主義の主張の背景には、ヴィクトリア朝時代の繁栄を謳歌していた英国の、その裏側の醜悪な近代社会、すなわち物質万能主義や功利主義に対する反感や、宗教の衰退などの風潮をあげることができます。また、この時期は美術批評家のプロフェッショナル化の進んだ時代でもあり、この人々は自分たちを特別視し、美的センスを欠く人々を素人、俗物扱いするエリート主義が生まれてきた時代でもありました。彼らは、英国の進歩や繁栄を謳歌しながらも、キリスト教の束縛から自分たちを解放し、近代主義に毒されない無垢な古代ギリシャや古代を復興したルネサンスに美を見出し賞賛していったということができます。

1860年代半ば、英国の画壇ではギリシャ神話や古代社会に画題を求め、古典的な美の理想を追求しようとするヘレニスティックな動向が現われ始めます。GFワッツ、Fレイトン、Eポインター等の古代への憧憬を謳う画家たちの出現は、1850年代半ば以降のヴェネツィア派に対する関心がそうであったように、まさしくラファエル前派の自然主義に対する反動と言えます。彼らは若き日に受けた美術教育や審美的経験において、大きくラファエル前派の画家たちと異なっており、青年時代の一時期をイタリアをはじめ大陸各地で過ごし、実地に古代やルネサンス期の作品に触れながら、当時いまだ支配的であった新古典的な芸術規範を深く呼吸していました。彼らの大陸で培われた眼には、ラファエル前派の営みが、その斬新な視覚で一時代を画したことを認めながらも、どこか英国一国のみでしか通用しないような偏狭なものに見えていたことでしょう。むしろ、彼らの関心は個別的な自然の真実より理想的な美に、そして同時代の宗教的・道徳的論議よりも神話の普遍性に向かいました。そうした関心こそが、卑俗な写実や凡庸な物語から英国美術を救い出し、高める途だと考えても不思議はありません。そして、ラファエル前派の「多様性」に代わる「純一性」、「究極の形態と色彩の純粋さ」の範を、彼らは古代彫刻とイタリア絵画(ヴェネツィア派)に求めようとしました。ヴェネツィア派と古代彫刻とに理想を見た彼らが、多かれ少なかれこうした唯美主義的な思潮に共感を覚え、芸術にとって道徳的使命といったものが二義的なものに過ぎないとする見方に与していきました。

この背景には古典文学や考古学に対する関心の高まりがありました。古代文化を受け入れる土壌は、ヴィクトリア朝の高等教育に一貫して見られる高等教育の重視によって涵養され、パブリック・スクールではギリシャ語やラテン語の授業が必修でありギリシャやラテンの知識は教養ある人士にとって欠くべからざる素養となっていました。このように古代ギリシャの文明は、一部の好古家や芸術家にとどまらず、ヴィクトリア朝の知識人の心に深く訴える要素を持っていた。彼らは明白な歴史的な距離や風土的な差異を超えて、古代人に自分たちとの強い類縁性を見ようとしたと考えられます。こうした態度の根底にあったのは、自分達こそ古代ギリシャ人の正統な嫡子であり、またそうあるべきだという民族主義的な意識でした。西欧文明の基礎を築いた種族の血を受け継いているという民族主義的な優越意識は、近代社会の覇者をもって任じる彼らのプライドを快くくすぐるもの以外の何者でもありませんでした。古代ギリシャに由来する普遍的な美の理想をヴィクトリア朝に実現しようとする情熱の裏には、甚だ危険な民族主義的イデーが伏在していたことを忘れてはならないと思います。

 

 
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