生誕150年 横山大観展
 

2018年4月20日(金)東京国立近代美術館

この日は、終日用事で都心に出かけた。それも、午前と午後で別々の用事で、午前の用事が終わって、午後の要件までに2時間以上も時間が空いてしまった。会社に戻るのはできるが、往復だけで終わってしまう。その空いた時間で、もよりの美術館によってもるのもいいと、足が遠くなりがちな近代美術館に寄って見ることにした。一週間前に横山大観展が始まったばかりで、平日でちょうど昼の時間帯なので、まだ、それほど込み合っていないだろうと思ったことも。横山大観は5年前に横浜美術館の展覧会に行ったが、それほど感心したわけでもなく、評判のわりには・・・という印象でした。時間をつぶすにはちょうどいいと思い、立ち寄ることにしました。地下鉄の竹橋の駅の改札をでたところで、特設の椅子とテーブルで入場券の出張販売をしているのをみて、ギョッとした。地上に出て、毎日新聞社の前の信号で立ちどまっているひとたちは年配の(私も年配だが)いかにも横山大観を見に行きそうな人々の群れ、中に外人の旅行者のような人もけっこういる。この群れが美術館にすべて行くのであれば、会場は混雑しているかもしれない。美術館の入場券売り場は長蛇の列かと思っていたら、ガラガラだったが、人々は前売りを購入済みなのか素通りするように入口に向かっている。混み合うロビーを通り抜けて、会場に入る。老人ばかりかと思ったら、若い人も意外に多い。会場は、それなりに人が多かった。とくに人気作の前は人だかりになっていた。中には、いつも美術館では見かけないタイプの人も少なからず混じっていた。この人の人気はすごいものだと思った。もっと会期が進んで休日なんかだと、かなり混雑するのではないだろうか。でも、この人の作品は、そういう雰囲気の中で眺める方が似合っているのかもしれない。

で、会場で主催者あいさつは、どこに掲げてあるか見つけられずにいたし、展覧会チラシも見つけられなかったので、後でホームページを見ました。以下に引用します。“横山大観(1868〜1958)の生誕150年、没後60年を記念し、展覧会を開催します。東京美術学校に学んだ大観は、師の岡倉天心とともに同校を去り、日本美術院を設立。新たな時代における新たな絵画の創出を目指しました。西洋からさまざまなものや情報が押し寄せる時代の中、日本の絵画の伝統的な技法を継承しつつ、時に改変を試み、また主題についても従来の定型をかるがると脱してみせました。やがてこうした手法はさらに広がりを見せ、自在な画風と深い精神性をそなえた数々の大作を生み出しました。本展では、40メートル超で日本一長い画巻《生々流転》(重要文化財)や《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作に、数々の新出作品や習作などの資料をあわせて展示し、制作の過程から彼の芸術の本質を改めて探ります。総出品数約90点を展観する大回顧展です。”まあ、何も言っていないに等しいような形式的なもの、横山の作品には、このような儀礼的なものいいが一番ふさわしいかもしれません。一応念のために断っておきますが、いつも展覧会では作家の呼称についてはラスト・ネーム(名字)で呼んでいるので、例えば、ベラスケスとかルドンといった具合にです。だから、この人の場合も大観というファースト・ネームでなくて横山というラスト・ネームで呼んでいます。日本人画家は雅号と呼ぶとな場合分けが面倒なだけなのですが。あと、横山には儀礼的なのが似つかわしいといったのは、良い意味でも、この人の画風を反映しているかもしれないと思ったからです。その変のところは、作品を見ていきながら明らかにしていきたいと思います。

 

第1章「明治」の大観

会場に入って、まず人集りがしていたのが「屈原」(左図)という作品です。たしか、高校の教科書で見た覚えがあります。それだけ有名な作品だろうと思います。この作品にまつわるエピソードはいろんなところで語られて、それが作品にものがたりの衣装を着せて作品に付加価値を何重にも纏い付かせているようですので、そういう物語はここでは切り捨てることにします。だいたい、日本画ってそうなのですが、人物が個人としてまともに描けている作品がほとんどない(だから悪いというのではありませんか、あしからず)。横山も例外ではなくて、というよりも典型で、この人の描いているのは人間に見えない、というと言いすぎかもしれませんが、その中で、この作品は、とりあえずまともに見ることができるという作品、ただし、それじゃあ感心させられてしまうほどかという、そこまでいえない(いったい何様のつもりなのでしょうかね)。例えば、この人のポーズがチグハグで、プロポーションのバランスが取れていないような感じ、しかも、表情がノッペリしていて能面みたい。だから、作品にまつわるエピソードで先入観でも持たないと、この人が怒っているかどうかは判然としない。あるいは、まわり道具をつかって喩えで匂わす、例えば、そんな印象です。荒れ狂う風は屈原の悲愴な内面感情を、風にざわめく叢の陰に隠れる鴆には讒佞を、背後から屈原を上目使いに見る燕雀には小心さを象徴させた。屈原は右手に蘭を持つが、屈原に蘭を組み合わせる、蘭はほかならぬ屈原自身が『楚辞』のなかで高潔な君子の誓えとして詠み、以来蘭は屈原の高潔な気性をあらわす象徴物とみなされるようになったから、といったような。そんな回りくどいことするなら、当の人物をそれが分かるように描けよ、と思うのですが、おそらくそれが描けるひとではない。というより描き方が分からなかった。結局、このことは最後まで分からなかったようですが。何かボロクソに貶しているようですが、そんなものよりも、この作品では、画面右下の緑色の草の葉が全体の色調が不釣合いなほど浮いていて、描き方も咬み合っていない、そういう波乱要素が画面の中で過剰なものとして、それを作品の中に入れて、まとまりが崩れても、それで通してしまう、そういうところに横山の作品の特徴が感じられると思ったからです。そういう風に見ると、画面の中心は人物ではなくて、右隅の草なのです。屈原は、そのための引き立て役にすぎません。

「寂静」(右上図)という作品です。有名な朦朧体があらわれはじめて全体に霧がかかったような雰囲気ですが、画面上部の竹林の竹が線画なのでしょうが、刷毛で引いたような太い線で少し異様な感じがします、それが突出していて、その上の葉が乱雑に塗りたくったような、竹の葉を一枚一枚描いていくのでなくモヤモヤした塊のように描いています。それが見ていてへんな感じ、違和感を与えます。しかも、下部の水辺の蓮が、全体的なモヤモヤの中で、ハッキリと輪郭が目だって、しかも塗り絵をベタ塗りするように描かれています。大きさの点でも蓮は突出して目だっていますし、ぜんたいのバランスを失してハッキリ描かれています。まるで、アンリ・ルソーの幻想的な植物風景を想わせます。タイトル「寂静」とは、全く似つかわしくない画面で、それを臆面もなく通してしまう。そして見る者に違和感を敢えて与えるように描く(そうとしか思えないところがあるからです)。ある種のアバンギャルドなところ、そういうところが横山の作品の特徴なのではないかと思います。ただ、それは、横山が理念をイデオロギーのようにもっていて、それを画面で主張したというのではないと思います。むしろ、配慮して画面をまとめるのが面倒くさいといったような批評性を本質的に欠いている、そこが却って魅力となって画面に表われてくる。この作品には、その萌芽が見られるのではないかと思います。

「夏日四題のうち 黄昏」(左図)という作品です。これまで見てきた作品のようなチマチマした作品を描く一方で、小品ながら、このようなスケール感のある風景をあっさりと描いてしまうところ。この人は筋を通すとかいったところがないのか、と思ってしまう無節操なところが横山の作風と言えるのかもしれません。画面真ん中あたりに小さく鳥の飛んでいる姿が細かくハッキリとした輪郭で描き込まれています。それが小さいのですが、強調されるように目立ちます。それが、朦朧体で大雑把に描かれた森林のさまと対照的になっています。それが、風景の大きさを引き立てるようにスケール感を作り出しています。この作品を見ていると、朦朧体というのが、技法というよりも、ある種の手抜きというのか、丁寧に細かく描き込むことをしなくて、それが却ってスケール感を生んでしまった。そういう感じです。しかし。この作品の時点では朦朧体がひとり歩きして、技法のための技法になっていまで、画面にスケール感を作り出していると思います。

「月下牧童」(右図)という作品も同じように、画面上方の遠景で群れをなして飛ぶ鳥を黒い点のようにして描いて、画面下の手前の最前景では草むらに咲く花を白い点のように描いて、遠景の黒い点と前景の白い点を対照的に対比させています。その間の牧童がいる中景は前景、遠景との境目がなくて、その境目をぼかすようにして小さい画面の中に収めるのに朦朧なもやもやが機能している。さらに、黒と白の点と、そのもやもやが対比されていて、それぞれの小ささと大きさが強調されるようになっている。その結果、巧まずして小さな画面に大きな広がりがイメージされるようになっている。

「杜鵑」(左図)という作品。ホトトギス一羽を、爽やかな初夏の新緑を舞う鳥としてではなく、深山を飛翔する孤高の鳥として描いている。ホトトギスを小さく描いたがゆえに、まるでその鳴き声が山に響き渡るかのように広く空間を獲得している。ほとんど点のように小さく描かれた鳥(ホトトギス)は風景の一点で、この小ささならば鳥という生命の存在を描き込む必要はなくなります。その意味で、横山の苦手なところを巧みに回避した戦略的な構成と思います。しかも、空に舞う鳥ということで余白を取ることができて平面的な画面構成が許されることになります。とは言っても、下方の木々の描き方がいかにも平面的で、図案化が中途半端です。しかも遠くの霞んだ木々と同じようにもやのように描かれています。ただし、このもやもやが、その森の奥の空にかかる雲のもやもやと連動しているので、そのもやもやが画面にリズムを生んでいるのも確かです。ここでは、朦朧体のもやもやが動きや画面を構成するところまで機能するものとなっていますが、惜しむらくは横山が論理的に画面を構築することに意欲的でなく、それを突き詰めようとしていないようで、中途半端に出たとこ勝負になっている点です。

それが「帰帆」という作品では、もやもやが画面に一様に覆ってしまって、靄にかすんだ船の帆と月が中空に浮かんでいるような、バルザックの「知られざる傑作」の「美しき諍い女」のような何が描かれているのか分からないような作品になりそうな作品です。横山という人は、近代人のもっている批評性をあまり、持ち合わせていなかったでしょうか。描いてしまったら、えいやっと売ってしまうか、発表してしまうというような、しかし、それが横山という画家の特徴で、それは、同僚の菱田春草のような人との大きな違いではないかと思います。

「彗星」(右図)という作品です。薄墨で描いた夜空に、胡粉で彗星の核を、墨の塗り残しで彗星の尾を表現したといいます。「帰帆」と同じような朦朧で画面をいっぱいにしても、取り上げる題材によっては、うまくハマッて、こちらは見れる作品になっています。掛け軸の小さな画面の大部分を夜空にとっていて、月や星々では、それだけではもの足りないだろうし、雲では過剰なところがあって、彗星が尾を引いた様というのは、その意味では、ちょうど空の大きさを引き立たせて、画面に当てはまる格好の題材となったということでしょうか。

そして「山路」(左下図)という作品です。これは正直に言えば、汚い。乱雑に、絵の具をベタベタ塗りたくったような印象の作品です。“発表当時、西洋の印象派と南画の融合と評されたタッチを多用することで、明治30年代に大観らが試みた朦朧体を脱し、大正期に流行した新南画≠フ先駆けとなったといわれる重要な作品です。”とのことですが、それにしても、単なる実験とか、試みであれば、試すだけ試して、それで廃棄してお終いでいいと思うのですが。ただ、これは大正期に横山が色彩豊かな豪華絢爛な作品を生んでいく前触れのような作品のように、私には思えるので、あえて、ここで取り上げてみました。

 

第2章「大正」の大観

「夏並木」(右下図)という作品です。この作品は朦朧体のもやもやした画面は影を潜めて、それとは正反対の松の幹の表面の樹皮を太い線で、幹の輪郭よりも目立つように描いています。松の葉の繁っている様子ももやもやでなくて、輪郭をくっきりひいて塗り絵するようにのっぺり絵の具で彩色しています。掛け軸の小さな画面から描写が溢れ出してきそうな、朦朧体の作品の線のない画面とは正反対の線が過剰になって、詰め込んだ感じもしなくもない画面です。これは、また、朦朧体のときとは逆の意味で、奥行きを画面に感じさせない、空間の一部を切り取ってきたような場面です。そこから線が溢れ出るような描き方で、松の木の大きさが小さな画面で感じられるようです。しかし、それ以上に、この作品では、松の幹の模様のようになっている表面樹皮が割れたものが幹の上で反復するように描かれているということです。パターンの繰り返しになっているということです。松の葉を細かく描きこんでいるのも同じように繰り返しと見ることができます。これは、前のコーナーで見た作品とは180度方向転換したように見えます。ただし、横山という人は統一性とかそういうことはあまりこだわらないひとなのかもしれず、同時期に「瀟湘八景」のような朦朧体をつかった作品も制作しているのですから。

「焚火」(左下図)という三幅の屏風です。左右の人物は問題外なので無視して、中央の焚き火の部分です。燃やされている落ち葉が、同じパターンをコピーアンドペーストしたように繰り返しで描かれているようで、その上部の炎についても、くねくねした赤い色のパターンを反復させているようです。しかも、塗りはベタ塗りのようにグラデーションがなくて、貼り絵のようです。落ち葉は黒と茶色の2パターンで、これは葉の裏表の色分けなのかもしれませんが、その色のパターンは、左右に立っている人物の衣装の2色と同じです。このような細かいものを反復させて、画面を構成させる。また、これは屏風で金箔を貼った地に描いているので、背景を描く必要がなくて、画面に空間を構成させる必要がないので、奥行きとか平面的になるとかをあまり考えずに済むだろうから、パターンの反復をやり易かったのかもしれません。この大正期の作品展示では、屏風が増えてくるのですが、それが要因しているのでしょうか、平面的な画面にパターンの反復で構成するような作品が目立ってきます。

「秋色」(右下図)という作品は、そういうパターンの作品のひとつのピークをなしているのではないかと思います。以前の横浜美術館の展覧会でも見ているはずなのですが、今回の展示を見ていて、この作品が一番印象に残りました。とくに、鹿のいない右側の葉が画面を多い尽くしているような方がとくにすごい。写実とか構成とか空間とかいったことを無視するように、大量の葉っぱが執拗に描きこまれています。しかも、「秋色」という題名で、つる草の葉っぱであるだろうに、紅葉した色とりどりというのではなくて、紅葉している途中の、あまりきれいでない葉を描いています。それが生々しさをもった迫力を生んでいます。横山は、このような葉っぱを描いたのは、紅葉してしまったのであれば、赤とか黄色といった単色で葉を描かなくてはならないのに対して、このような途中であれば、緑から赤や黄色に変化していくので、それぞれの色や途中の色を使うことができるので、たくさん色を使えてバリエィションを多彩に派手にできるからかもしれません。しかも、その多彩な色が鮮やかな原色をそのまま使っているような感じで、感じ方によっては毒々しいほど、攻撃的なのです。この色彩だけでも強く印象に残るのです。色彩の氾濫というのか、フォービズムの作品に触れたような印象なのです。とても秋という季節の葉っぱが紅葉して枯れていくという、寂しげとか、そういうニュアンスは全くありません。秋の紅葉という題材は、赤や黄色といった原色を屏風に氾濫させるために便宜的に選んだと言った方が、この作品にはふさわしいと思えるほどです。また、この作品に琳派の影響を説明されているようですが、琳派のグラフィックデザインのようなスッキリしたシャープさや彩色の均一なところは、この作品にはありません。琳派の装飾的なところは隅々まで計算されたデザインのようですが、この作品の過剰な色彩によって感じられる、毒々しさとか異様さは琳派ではありえないものです。端的に言えば、ブッ飛んでいる、ハジけている、そういう作品です。私は、横山の作品の中で、このようなブッ飛んだものが、だいたいのこの作品と相前後して描かれた何点かの作品が、個人的には一番好きです。見ていて、ワクワクしてくるのです。

「群青富士」(左図)という作品も、「秋色」とほぼ同じ頃に制作されました。金泥地の上に、やや俯瞰的に、湧き立つ白い雲(中景)を両隻にわたって流し、左隻に繁茂する樹叢(近景)を、そして右隻にその頂にまだ数条の雪を残す富士(遠景)を描いた作品ということです。絵画というよりは、グラフィック・デザインに近い、ポップに図案化された作品。とくに富士山はリアルには山になっていなくて、青に近い群青色の凸型の図案です。白い雲の半円の反復の中に、緑の半円が同じリズムで富士の外輪山の頂上が顔を出しているということなのでしょう。この反復はポップアートと言ってもいいかもしれません。「秋色」と同じ時期に描かれたとは、とても思えない異なった方向にブッ飛んでいる作品です。この屏風を改まった席で、もっともらしく飾られていたら、思わず笑っちゃいます。「霊峰十趣」の連作も同じようにポップな作品です。

「柿紅葉」(右図)という作品です。右側の緑色から赤に徐々に色が変化していく様子を描いたといえると思います。緑色が青々と新緑で繁っているような清新な鮮やかさを出しているのに対して、赤は鮮やかでなくて少し毒々しい印象の色になっています。赤く紅葉した葉、赤が滲んでくるような描き方で、まるで腐食しているような感じさえ受けます。葉っぱが紅葉した木の幹は青い苔が取り付いているようで、他の幹にはついていません。そこに何か病的な感じといいますか。また、中には幹が赤くなっている木がいくつかあって、それも病的な異様さが感じられます。さらに、画面全体は、遠近とか、それぞれの木々の大きさのバランスがわからず、これらの木々がどのように生えているのか、全く考慮されていないのか、全体の空間を想像しようとすると目眩がしてきます。それほど空間としては支離滅裂です。この作品については、画面を言葉で記述しようとするとネガティブな言葉しかでてこないのです。それが凄いというのか、敢えて現代の言葉で言えば、パンクな作品で、大正時代に、よくそんな発想があったと感心するほどです(もとより横山当人は、意図的にやっているとは到底思えませんが)。

第二会場で「生々流転」という長大な水墨画の巻物の作品が展示されていました。よろしいんじゃないでしょうか。巻物を広げた長い展示のウィンドウの前に鑑賞する人々がズラッと並んでいるのを見ているのが面白かったです。その意味で、これもブッ飛んだ作品の一つに入るのでしょうか。

このコーナーの最後に「雪旦」(左図)という作品。薄闇の残る中に白い椿の花が。雀が一羽とまる。綿のような花びら。そして、立体感があって陰影まで丁寧に描き込まれた葉。この人も、ちゃんとした“らしい”日本画を描けるということが分かりました。やればできる人なのだということでしょうか。しかし、このような作品は少ない。従って、横山は、このような作品を描こうとしなかったということなのでしょうか。それよりも、上述のようなブッ飛んだ作品を描いていたということになります。その理由は分かりませんが、この「雪旦」という作品。たしかに、「やればできるじゃん」と言ってあげたくなりますが、この作品だけを取り出して眺めると「だからどうした?」と訊きたくなる作品でもあるのです。もっとハッキリ言うと「何が面白いの?」ということです。

 

第3章「昭和」の大観

このコーナーに入ると、作品は一気に陳腐化してつまらなくなりました。ただ、そういう陳腐な作品を臆面もなく量産したというところは、却って凄いのかもしれません。というわけで富士山を題材にした作品はすべてパスします。

「飛泉」(右図)という作品です。滝を描いた作品です。大正期のブッ飛んだ作品を見てしまった後で、このような作品を見ると、丁寧に描いているのでしょうが、無責任に見ているだけの側としては、別にこの人でなければならないとは思えて、敢えて言うと、お金持ちの床の間に、ありがたく飾られていて、本物であることの保証書がついていて、お茶でも飲みながら、感心して誉め言葉のいくつかももらって談笑している、そういう作品として、最適で、それとしていいのではないか、そういう印象です。このコーナーでは、他にとりたてて取り上げたいと思う作品もなく、数日前ですが、見たことも忘れてしまったので、この程度て端折ります。

私は横山のファンでもないし、私の見方は、かなり偏っているので、読んでいて違うと思う方は少なからずいると思います。明治期の日本画を変革していた頃の作品や昭和期の大家としての作品はどうでもいいから、大正期のポップな作品をもっと見たいと思いました。 

 
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