ロセッティとバーン=ジョーンズについては、他でまとめて見ましたので、ここでは彼ら以外のラファエル前派と周辺画家たちを見ていきます。
■ウィリアム・ホルマン・ハント「甘美なる無為」 (右図)
まず、ウィリアム・ホルマン・ハントは、ラファエル前派の創設者の一人です。ロセッティやミレイとアカデミーの美術学校で知り合い意気投合してラファエル前派兄弟団を結成した人です。宗教的な題材を細部まで精緻に描いた作品を多く残している人ですが、この作品はそんな宗教的なものや教訓的な象徴とは区別されるものと言えます。ある人は、“ロセッティ的美人画のハント版”と評したということです。背景にある円形の鏡は、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」からの引用のようです。その鏡に映っているのは暖炉の炎であり、この女性の視線は絵のこちら側である観客に向けられているのではなくて、暖炉の火を見つめているのが分かります。しかし、そのことが、こちらを見ているようで、実はそうでない微妙なずれを鑑賞者に感じさせ、それが女性の視線が夢見がち、もっといえば思索的に映るのです。それはまた、鑑賞者を画面に誘い入れるような錯覚を生みます。そこにある種の倦怠感を伴う雰囲気を醸し出し、ハントには珍しい唯美主義てきな作品になっています。しかし、描き方は緻密に描き込んであり、ハントの真骨頂がよく出ていると思います。
■フォード・マドックス・ブラウン「ロミオとジュリエット」
フォード・マドックス・ブラウンは、世代的にはラファエル前派の師匠に当たります。ラファエル前派に影響を与えたと言われるナビ派をロセッティらに伝授した人と言うことですが、逆にラファエル前派に共鳴して逆に影響を受けることになりますが、ラファエル前派に参加することはありませんでした。それにより、現代生活や社会的なテーマの作品を残しています。この作品は、シェイクスピアの有名な悲劇の一場面で3幕5場の別れの場を表わしていると言います。“もう行っておしまいになるの。まだ夜は明けていないのに”というジュリエットの言葉がロミオを少しでも長く留まらせようとしますが、最後の口づけを交わしているうちに夜が明け始め、ロミオが急いで立ち去らねばならす、見つかれば彼女の父親であるキャピレット卿に殺されてしまう、という場面です。ペンで描き込まれたスケッチで、彩色された油彩画が別にありますが、精緻に描き込まれていることが、こちらの方がよく分かります。どちらかいうと、明瞭な輪郭と明るい色彩で社会的な題材を描いた画家が、ジュリエットの陶酔的な表情をここまで官能的に描き込むとは意外な気がしました。とくに半眼となった目の表情と上胸から頸にかけての筋肉の波打つ様が息のはずむジュリエットの官能の疼きをあらわにしています。それが、一瞬の官能に溺れようとする極限的な状況を象徴しています。
■アーサー・ヒューズ「心のいたみ─涙流すな、嘆くな乙女─」 (右図)
アーサー・ヒューズは、ラファエル前派の機関誌を読んで感銘し、ミレイらと知り合い近いところにいたものの、ラファエル前派には直接参加しなかった人です。その作風は、ラファエル前派の影響を大きくうけたもので、終生その姿勢を貫いたと言います。書物の挿絵を多く手がけた人でもありました。
この作品はシェイクスピアの「から騒ぎ」のバルサザーの歌にヒントを得て描いたとされています。その歌は以下のようなものです。
涙流すな 嘆くな乙女
男心は移り気なもの
今日は海辺に あしたは山に
求めさまよう 浮気もの
泣くな乙女よ 未練は捨てて
明るい笑顔を 作っておくれ
どうせ悲しい 人の世ならば
せめて楽しい ふりをしよう
少女が不幸な恋がもたらす悲しい想いから逃れることができないことに気づいたときの憂鬱な混乱状態を表わしていると言います。彼女がタペストリーに写していた散った薔薇の花びらは、喪失、とりわれ処女性の喪失を象徴しているとみなされるそうです。また左上の窓の外にいるツグミがその鳴き声を暗示していて、少女の雰囲気が鳥の声により惹起されていることが仄めかされていると言います。この作品の何よりの特徴は少女の衣装の紫色と髪の赤が暗色系の全体の色調のなかで、妖しく映える色彩効果です。これが象徴的な雰囲気作りに大きく寄与して印象を強くしていると思います。