英国ロマン派展 アルバート・ジョージ・ムーア |
■「ソファー」 (上図) ムーアの伝記の著者が作品について、次のように書いています。“若い女性が身にまとう襞のある薄布の白さは、半透明の茶色の柔らかい織物がかけられた金色に輝くオレンジ色のクッションや淡い黄色のソファーを背景に、ひときわその輝きを増している。右手の女性の膝のあたりにはやや白色を帯びた茶色の布がかけられ、この女性は首の周りに赤いビーズのネックレスを付けている。壁と床は茶系統でまとめられている。手前には茶色の壷がふたつ、青いビーズ、ソファーに立てかけられた白い扇が描かれ、床には白・黄・オレンジ・青の縞模様のマットが置かれている。”そして、続けてこう書いています。“これらの作品を制作した時にアルバート・ムーアが色彩の使い方にいかに心を砕いていたか、また色彩の重要さに比して主題というものをいかに軽視していたか”が分かる。つまり、ムーアは、古典古代風の情景を描きながらもその人物像の構成を抽象的な造形要素に分解しようとしていたと考えられます。とういうことは、彼の描く人物群像は、線と形態が構成する建築や風景の中に配された単なる彫塑的なフォルムにすぎなかったと言えると思います。だから作品の基調は色彩によって決定されることになります。画家は、文学的主題に煩わされることがなくなります。むしろ、そういう主題をなくしてしまうことで、鑑賞者は自由に想像力をはばたかせることができるわけです。そのために、ムーアは色彩こそ画家に与えられた手段として考えていた、と思われます。 この作品でも茶色を全体の基調てきな色として、そのグラデーション的な使い分けに、青や赤をアクセントとして効果的に使っているのが分かります。とくに人物の肌色にまとわりつくような半透明の白が全体の雰囲気を柔らかなものにして、襞の効果を巧みに生かして、女性の肌の暗示と身体の曲線の仄めかしがちょっとしたエロチシズムを醸し出しています。 ■「きんぽうげ」 (右図)
この作品は、ムーア独特の画面の表面の感触が表れています。一見、粗い感じで、見方によっては点描のようにも見えなくはないのです。多分、周到に計算されたものだろうとは思いますが、そういう表面で、背景の木々の葉の一見乱雑に描き散らされたようなのも、葉のひとつひとつが粒のようになって、前景下の小さな花、左手の女性の衣装の模様が粒のようになり、そして、点描のように見える粗さが、それぞれ、点や粒として画面を構成していて、その流れるような配置が、画面全体に動きを生み出しているようです。このように、点や粒に分解されるということは、この画面の中でも人物とか木々とか、そのようなものは、題材というものから、点や粒によって構成された結果つくられた模様のようなものになっているわけです。 ■「稲妻」 (下図) ムーアは何もしない寡黙な人物像を繰り返し描いているうちに、このような作品が単なる飾りとなってしまう危険があることを感じていたと言います。だから、絵を観る者の関心を引きつけておくことを、ムーアは考えることになります。それは、たとえ人々がすぐには気づかないような微かな趣向であったとしても、想像力を掻き立てるような雰囲気を作品の中に漂わせることになるはずです。それをこの作品では、雷鳴の轟く烈しい嵐を遠く望む3人の女性の反応に注意を引かれるような工夫が施されています。それは、三人の女性の雷に対する態度が三者三様に描き分けられていることです。中央で足をベンチの上に伸ばしている横たわる女性は、3人の中でも最もリラックスしているように映ります。この女性はその肩に手をかける左の女性に見守られているように見えるからです。右側の女性は縫物を一時中断して、稲妻に驚き椅子から身を引いています。これら二人の女性は、画面の奥に注意を向けています。これに対して左手の女性は、頭の向きを変えて、まるで絵の中から、絵を観ているこちらを見つめているように見えます。この女性は、作品を見る者を画面の中に引き入れるように、嵐と雷を見るように導こうとしているかのようです。このように、ムーアは人物を見ているうちに、見る者の注意を画面の中に引き込もうという工夫をしているようです。
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