宇野亞喜良展─AQUIRAX UNO
 

2024年5月5日 東京オペラシティ・アートギャラリー

おそらく、会社員として最後のゴールデンウィーク。休日に出かけるという習慣はなく、旅行などしたいとも思わないので、いつもは家で本を読んだりして、ゴロゴロしているのだが、そんな事情もあって、1日だけでも外出することにした。事前に予定も計画も立てていないので、混雑もいやだし、手近なところをネットで調べて、この展覧会に行ったのだった。玄関を入って、受付で列ができているのにびっくりした。上野の美術館のメジャーな展覧会は、依然に大混雑で痛い目を見たから、その二の舞を踏まないように気をつけて、割合マイナーっぽい展覧会を選んだつもりだったが、展示室も人の列ができて、その列に流されるように、マイペースで作品を見ることができない。そしてまた、展示作品のほとんどが撮影可能となっているため、客のほとんどすべてがスマートフォンを手に、順番に展示作品の前に立つと撮影し、撮影すると、次の作品に移るという規則正しい行進をしている。まるで、カシャッという客たちシャッター音が規則正しいリズムを刻んでいるよう。私などは、そのリズムに合わさせられているように感じられる窮屈さのなかに入り込んだかのようだった。その窮屈さから逃げたくなったりして、落ち着いて作品を見るというこがあまりできなかったという感想。でも、せっかく美術展に足を運んで、現物があるのに、直接見ることを惜しんでスマートフォンで撮影して、さっと素通りしてしまうと、作品の直接的経験という身体的なかかわりができる機会を逃してしまっていいのだろうか。もったいないと思う。実際のところ、スマートフォンで写した画像を通りのと作品を直接見るのとでは情報量が格段に違うのだけれど、情報量のずっと少ないスマートフォンの画像で満足できてしまうのだろうか。例えば、イラストの原画の線の引き方などは、そこに作者の息遣いが明確に感じられるはずなのだが、画像データでは力の入り方、抜き方なんかは見えてこない。などと老婆心を起こしてしまう。あっ!でも、この人の作品は印刷されたりする複製が前提だから、スマートフォンで撮影した画像という複製を見る方が本来的な在り方なのかもしれません。でも、そうであれば、このような会場に展示する展覧会は無意味ということになります。ネットでアップロードすればいいんですから。どうなんでしょうね。

私は、宇野亞喜良という人のことは知らないので、いつものように、その紹介を兼ねて主催者挨拶を引用します。“日本を代表するイラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍を続ける宇野亞喜良(1934〜)。1960年代の日本において「イラストレーション」「イラストレーター」という言葉を広め、時代を牽引してきたレジェンドでありながら、常に進化し続けています。その創作は、イラストレーション、ポスター、絵本、書籍、アニメーション映画、絵画、舞台美術など多岐におよび、1950年代初めのデビュー以来、活動の範囲は限りなく広がっています。本展は、宇野の初期から最新作までの全仕事を網羅する、過去最大規模の展覧会です。1950年代の企業広告をはじめ、1960年代のアングラ演劇ポスターや絵本や児童書、近年の俳句と少女をテーマとした絵画など、多彩で貴重な原画や資料等を紹介します。「魅惑のサウスポー」から生み出される、時代を超越した宇野の華麗で耽美な創作世界に迫ります。”

展示は、宇野の多岐にわたる仕事を、グラフィックデザイン、企業広告、ポスター、本の挿絵や装丁、版画、絵画といったジャンル別に紹介していました。今回は、上述の事情もあって、あまりじっくり個々の作品を見られなかったので、見た記憶のあるものを個々に述べていくことにします。

展示の最初に学生時代のスケッチが数点展示されていましたが、普通にちゃんと勉強している。しっかりしているという感じでした。ただ、そこに才能のきらめきがあるとか、個性が感じられるというものではなく、堅実なものという印象です。この印象は、この後の展示を見ても変わることがなく、この人は、強烈な個性とか天才というタイプではなく、顧客の注文に堅実に応えで実績を積んでいった人なのだと思えたのでした。

グラフィックデザインの展示にあった読書週間のポスターです。これは1959年の作品ですが、これを見ていると1960年代後半に手塚治虫がだしていたCOMというマンガ雑誌を思い出してしまったのです。宇野の方が時代が前なので、COMの方が、宇野の影響を受けたのかもしれませんが、感覚的なものですが、共通するところが多いように私には見えます。あるいは、この後の作品ではより濃厚になりますが、金子國義とも似ているところ。それは、作家性らしさというか、アングラ(この当時は、今で言えばインディペンデントというのをアンダーグラウンドを略してアングラと称して、それに独自のイメージがあたえられていました。)っぽい雰囲気とでも言ったらいいでしょうか。そういうパターンを踏んでいるというか、もしかしたら、このパターンは彼が創ったのかもしれませんが。金子國義は澁澤龍彦つながりの線が見えてきます。並べて展示されているカルピスの広告もそうですが、前衛的な抽象ではなく、あくまでも具象でハイアートのリテラシーに通じていない人々の目に優しいのがベースになっている。カルピスの広告のキャラクターは可愛らしい印象を与えます。とは言っても、人間の子どもでも動物でもなく、人間の子どもと植物を組み合わせて、既存にないキャラクターをつくっています。今でいえばファンタジー的とでも言えるでしょうか。これが、当時では尖がったところど言えると思います。それがアングラ感とでもいうか、見る者に特別な感じを与えるスパイスになっている。

企業広告の展示にあった国策パルプ工業の1965年のカレンダーのイラストです。この鋭敏な線と鋭角的なデザインはビアズリーのペン画を思わせる。あるいは小林ドンゲのエッチングを思わせる。ビアズリーは澁澤龍彦つながりで分かるような気がしますが、この人は澁澤の紹介した世紀末の象徴主義的な絵画などの影響を取り込んでいたというわけでしょう。それが主催者あいさつにあった“耽美”と受け取られるようなものとなっていったのかもしれません。

それは同じころのマックスファクターのポスターもそういうところがあります。マックスファクターのポスターでは、ピーター・マックスによるビートルズのイエロー・サブマリンのアニメ・デザインを思わせるサイケデリック的な雰囲気のものもあります。あるいは、同時代のイラストレーター、例えば粟津潔の影響もあるようにも見えます。この展示されている原画では、既に別のところで描いた画を切り取って貼りつけることもしています。それは手法ではあるのですが、おそらく、作品を作成する際には、手法に限らず、画面作りにおいても、切り貼りのイメージでつくっていたのではないかと思わせるところがあると思います。この場合は、ビアズリー等のおそらく世紀末の退廃的な画像をパーツの一つ、また、ピーター・マックスに代表されるような当時の同時代としてのサイケデリックな画像を別のひとつのパーツ、これらを組み合わせて、結果として一部でちょっと尖がっているけれど、見る者に抵抗感を抱かせるほどではない安心して眺めていられるものを作っている。回りくどい言い方ですが、この人の耽美は、人々が耽美だと思うパターンを見つけて、それにうまく沿っている。だから、見る人は、彼の画像を見て耽美だと思っても、それで不安になったりすることはないというわけです。前世紀の世紀末の耽美主義者が反社会的存在とみなされたような危険なものではない。いわば、耽美は趣味趣向のひとつです。

その一方で、この人の絵は絵画の素養がない私のような一般人から見て上手な絵を描きます。例えば、週刊現代の挿絵のひとつです。具象で何が描かれているか分かりやすく、我々がそれに抱いているイメージをそのままであるように過不足なく画面に描いている。最初に見た修学時代の自画像のスケッチのころから、上手な絵を描く力量は備わっていたのでしょう。それが、彼のさまざまな描画のベースとなっているのだろうと思います。それは上手ということもそうですが、見る者に分かりやすく伝えるという、いわば、見る者のニーズを的確に読み取り、それに応えるという点ではないかと思います。例えば、別の雑誌、「母の友」の表紙絵では全く趣の異なった風情になっていて、それは雑誌や読者の性格に適応しているのでしょう。しかし、絵自体は崩れることなく、しっかりとして、安定しています。だから、安心して見ていられる。というより、目の邪魔にならないから、見ているようで見ないでいられるわけです。宇野亞喜良の作品は、作品として見ることもできるが、見るという集中をしないで、漫然と眺めるというより見ているようで見ないでいるようにことについても適している。目に優しいところがあります。何か回りくどい言い方になますが、例えばこういうことです。部屋の模様替えで壁紙を張り替えたとき、下手な選択をすると違和感が生まれて部屋にいても落ち着かなくなますが、上手くいったときは最初からそうであったかのようにしくりいく感覚があり、部屋でリラックスすることができます。そのとき、部屋で壁紙の柄を見ているわけではなく、壁紙を意識しているわけではない。しかし、下手な選択をして壁紙の場合は、その壁紙が違和感を起こさせているのだから見ていないわけはない。宇野亞喜良の作品は、そのような接触の仕方をしたときも、違和感を起こさせないとこがあるように周到に計算されていると思います。

そして、大広間のように展示室には所狭しとたくさんのポスターが展示されていました。それだけ沢山の仕事をしてきたということでしょう。ここではシャンソンのポスターでも貼っておきましょう。この後は人の多さと、沢山の人が作品の前でポーズをとったり、撮影したりする落ち着きのなさに辟易して、足早に通り過ぎてしまいました。その後、階段を上がって、サブギャラリーで難波田史男の作品展示を見て、ようやく気分がよくなりました。

 
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