イギリス風景画の巨匠
ターナー 風景の詩
 

2018年6月1日(金)損保ジャパン日本興亜美術館

午後から用事があって都心に出た帰り、この美術館は金曜日で閉館時間が7時なので、間に合うと思って、立ち寄った。ターナーは、5年前に東京都美術館のターナー展以来ということになる。ターナーという画家には、様々な見方、見せ方があるとおもうので、まずは主催者のあいさつをいんようして、どのようなスタンスで展示しようとしているのかを確認したいと思います。“ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851)は、イギリスで最も偉大な画家であり、風景画の歴史において最も独創的な画家のひとりです。卓越した技法によって、海の風景、崇高な山、穏やかな風景など、自然の多様な風景を描くとともに、歴史的風景画にも取り組みました。光と空気に包まれた革新的な風景表現は、今日においても多くの芸術家にインスピレーションを与えています。ロンドンに生まれたターナーは20代の若さでイギリス美術の最高権威、ロイヤル・アカデミーの正会員となりました。イギリス国内はもとより、フランス、スイス、イタリア、ドイツなどヨーロッパ各地を旅行し、多くの風景画を描きました。また、詩集の挿絵や地誌に関する出版物など多くの版画も残しています。本展は、4つの章(地誌的風景画、海景、イタリア、山岳)を設定し、各章にふさわしい作品を、スコットランド国立美術館群などイギリス各地と日本国内の美術館から選りすぐって紹介、最新の知見をもとにターナー芸術を再考し、その核心と魅力に迫ります。”引用したあいさつでは、総花的というのか、可もなく不可もないもので、展示も風景画の巨匠ということで、風景画を並べました、というものでした。私にとっては、ターナーという画家は、それだけでは終わらない人で、風景画という枠を風景画を描いていて超えてしまったという人です。今回の展覧会では、そういう視点はなくて、しかし、展示されていた作品には、超えてしまう要素の萌芽が見られる作品もあり、それなりのボリュームもありました。

 

第1章 地誌的風景画

若い頃のターナーは、個々の土地や地形を正確に再現、記録することを目的とした地誌的風景画を描くことに取り組み、画家としての出発は素描家、水彩画家だったそうです。言ってみれば、見ればそことわかる絵葉書的な風景を正確に丹念に仕上げたという職人仕事のような作品です。

「マームズベリー修道院」(右図)という17歳の水彩画ですが、慥かに上手いのだろうと思います。しかも、19世紀のロマン主義の廃墟趣味が入っていて、ピクチュアレスクな演出もある。これは受けるだろうなあ、と思います。

ここに展示されている地誌的風景画というのは、上の「マームズベリー修道院」は若描きの作品だからと別にすれば、写真で言うと広角レンズで撮影したような横長の画面に左右にひろがっていくような構図になっています。しかも、そのほとんどで画面の中央を遠近法の消失点のようにして、その中心がへこんで、画面の左右の端に建物や樹木、あるいは山岳の崖が屹立するように迫力をだしていて、中央にむけて、それがへこんでいくと、視線がそこに導かれるようにして、奥行きを感じるとともに、その向こうへ視線を誘導されるようになっています。たいていは、画面真ん中の下部、つまり見る者には手前と感じられるところに人の姿が描かれていて、それが見る者に親近感とか、身近に感じさせる、つまり見る者の側に近いところにいて、そこから、その上の方の消失点に見る者の視線が導かれていくと、その点の先、つまり向こう側は何も描かれているわけではありませんが、向こう側、つまり彼岸といっていいのか、ある意味、現実の人が行くことのできない憧れとか、憧憬の先のようなもの、それが画面下の手前に感じられるところから、そこに見る者の視線が導かれるように構成されています。例えば、「並木道、ファーンリー・ホール」(左図)という作品では広い道の両側には並木が左右から被さっているようになっていて、それで道が薄暗くなっていて、真ん中はその道が向こうに向けて真っ直ぐに、向こう側にのびています。その伸びた先は明るくなっています。その向こうに向けて、人が一人、こちらに背を向けて歩いています。また、「スタンフォード・リンカシャー」(右下図)という作品では、町の風景ですが、大通りの両側は並木ではなく建物です。向こうに伸びている道の先には教会の塔がそびえています。

「ソマーヒル、トンブリッジ」(左図)という作品は、この展示コーナーでも最大の作品のひとつですが、上述のパターンの変形で、両側から真ん中にへこんでいくのと反対に、両側からまんなかに凸っていくという逆パターンなこと以外は、パターンとおりです。手前の池の水面の透明な水の感じなどは、巧いひとだなあという印象がとても強いですね。

全体として、このコーナーの作品をみていると、たしかに上手いし、人々に受け容れられて評価されているのは分かります。しかし、このために入場料を払って、わざわざ出かけてまでも見たいと思うかどうか、そういう作品になっているのか、そういう作品、と私には思えます。

 

第2章 海景─海岸国家に生きて

島国のイギリスでは、海景画は主要な芸術のジャンルで、海を愛したターナーは、海が持つパワーを絵で表現しようと果敢に挑戦し、絶大な人気を博したと言います。このような説明がされているところから、この展覧会はターナーを人気を博した、上手い風景画家というスタンスで展示を考えていることが分かってきます。私のように絵画の一線を超えようとした人という視点はとってはいないようです。なぜなら、海を描いた作品からターナーの飛翔が始まっていくはずですから。そう私は思っています。

「ファルマス港、コーンウォール」(右図)という作品は、上述のパターンを踏襲した作品で、こういうのであれば安心して見ていられます。画面右端の手前の左端から真ん中に向けて山が海に落ちていく下り坂の稜線と、雲の線が、同じ向きになって、海の波のように繰り返しになっていて、それが、画面真ん中下の海の水平の白い線、つまり波があって、そこが中心でその先に島が盛り上がって、向こう側を隠しています。一方、画面左側には手前で人々が海を眺めている。画面の左右で対照が作られています。前のコーナーの作品でも、またこういう作品でも、ターナーという人には、単に風景を写すように描くだけでなく、はるかな向こう側への憧憬、というとロマティックですが、そういう彼岸への志向性があって、それが自然と、このようなパターンを作ってしまっていたのかもしれません。

「嵐の近づく風景」(左図)という作品。上のようなパターンにはまった作品を描く一方で、若いターナーは、こんな作品を描き始めていた。町や谷の風景は、海の波のようなダイナミックな動きはないので、それとは違った描き方をする。ここには、牧歌的な風景とは異なる人間のささやかな努力を圧倒するような強大な自然の力をロマンティックな手法で描く、左から右へ覆い始めた暗雲、強風で横倒しになる船、急いで帆を下げようとする人の動き、強大な力を今にも爆発させようとする波のうねりといったものです。また、海には水平線という横の線があって、その向こうは見えないというのは、陸の消失点をわざわざ作らなくても、水平線で向こう側があるということも、特異なところでしょうか。「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」(右下図)という作品は、波の描き方が、より激しいものとなって、雲の渦巻く様子など、画面のいたるところにダイナミックな動きが人間ささやかな努力を圧倒する自然の力なんですが、それは人間の視点から自然の凄みみたいなものを描くということを超えて、その向こう側にいこうとしている、そういう志向があるように見えます。人間の視点で、ということは自然科学もそうだし、これからそれを克服していこうというポジティブに冷静さみたいなものが底流にある、それが近代的な視点なのですが、これらの作品には、そういうのが追いつかない、もっと圧倒的なもの、人間を超えた超越的な視点に行こうとしているように見えます。それが、私が独断と偏見で見ているターナーの始まりではないかと思います。

「オステンデ沖の汽船」(左下図)という作品では、これまでのパターンが雲散霧消というよりも、すべてがもやもやしていて、海と空、雲そして汽船の煙との区分が曖昧になって手前の木造の船の一部らしきもの以外は、形が分かるものが何もないという、抽象画みたいになってきています。これが、ターナーが一線を超え始めた作品であることは確かでしょう。この展覧会では、このような超えてしまったターナーの作品は少なく、いかにも風景画といった作品が大半だったので、この作品とともに数点が集まって展示されていた一画は、私には、この展覧会の白眉と言えるものでした。それが、この展覧会で、ここまでのパターンの上手い風景画を見てきて、この一線を超えた、「オステンデ沖の汽船」や「海と空の習作」 「波の習作」といった抽象画のようになってしまった作品というのは、それまでのターナーの風景画にあって、消失点のあちら側とか海の水平線の向こうとか、山に隠れてみえないあっちの方とか、要するに、ターナーの風景画にある、遥かな向こう側への憧れのようなものが常にあって、それは描くことが出来ないけれど、憧れ、画家として描きたいという思いがずっと作品に流れていたように思います。他の画家であれば、それは遂げられない片想いのように、そのまま大切にしておいて、その思いを作品に投影するようにするのでしょう。しかし、ターナーはそれだけでは満たされなかった。そこで何とかして向こう側に・・・。そこで一線を超えた。しかし、超えたことはいいとして、それはどう描くかということになった。ターナーは超えたかも市内が、他の人はこっち側にとどまっている。だから超えた先を描いたとしても、こっちの人にはそれが分かるはずもない。しかし、それをこっちと同じに描いたら、あっちとは思うはずもない。そういうところで、こっちでありえない画面であることが最低限必要になるわけです。だからというわけではありませんが、今までの描き方で描いてもしょうがないわけです。そのことがターナーの背中を押した。少なくとも、そういうことはあったのではないかと想像できるのです。それまでの彼の風景画を見ていると。

 

第3章 イタリア─古代への憧れ

40歳をすぎてはじめてローマを訪れたターナーは、古代の世界の美を感じさせ、物語性のある風景スケッチに取り組んだと説明されていました。

「モンテ・マリオから見たローマ」(左図)という作品は、その時のスケッチをもとに描かれたもので、歴史のある都市が日没時の光を受けて浮かび上がる。北部にある丘からローマの中心部を眺めた。右手にはサンピエトロ大聖堂の威容。左手にはテヴェレ川とカンピドリオの丘。田園地帯からはたき火の煙がたなびき、前景の少女と笛を吹く少年の存在とともに牧歌的な雰囲気を醸し出すという、言ってみれば観光案内のパンフレットの挿絵のような目的で描かれたような作品です。右手前の前景を別にすれば、横にひろがるパノラマのような広角の、これまでに見てきたターナーのパターンです。イギリスとは異なる南欧の明るい陽光とローマの風景をそれと分かるように正確に描いているところは、さすがにターナーという人が上手な画家であることが分かります。

「キリスト教の黎明(エジプトへの逃避)」という作品は、もやもやした雲のような画面に、両側が黒く川の両岸のようなものなのか、何が描かれているのか形がぼんやりして判然としない、これぞターナーといった作品。人の顔も、色使いも、筆運びもベタタッとしている。水面と空の雲に境目がなくてつながっていて、そこに黒い両岸があるという、何か宙に浮いているのか、神話の世界のものなのか、現実でない彼岸の風景というのか、前のコーナーでも触れましたが、ターナーの形のない風景というのは、そういうものへの憧れが含まれている。そこに、この作品では宗教的な背景もあるもというよりも、こういう神話を題材にすると、もっともらしくなる。しかし、エジプト逃避というのだから旧約聖書の物語のばずだすが、右の木の下にマリアらしき人影のようなものがありますが、これを見てその物語を塑像することはできないと思います。

あとはスケッチや版画がたくさん。

 

第4章 山岳─あらたな景観美をさがして

山岳に魅せられたターナーは、スケッチのためにスコットランドの高地からアルプスに至るまで足を運び、崇高な山岳風景を描いた。交通手段があまりなく、気軽に遠方に旅行ができない当時の人々にとって、それは視覚的な驚きと新鮮な感動をともなうものだったと説明がありました。当時は、山岳風景が美しく観賞の対象になるということが定着していなくて、風景画の対象とするひとも少なかった。そういう新規の市場に着目したのはターナーという人のマーケティングセンスと言っていいと思います。この前のコーナーのローマの観光案内風の作品なども、そうで産業革命による経済成長で大衆市民社会が生まれてきて、絵画の新しい消費者への売り込みというのが、ターナーの画家としての顧客拡大、当然画家としての名声につながるわけでしょうから、そのためのマーケティングセンスのあらわれたのが、ここで展示されているような作品を制作して売りさばくことができたということではないかと思います。

「スノードン山、残照」(左図)という作品は、画家の20代の頃の作品で、上手いです。横広の画面で、手前に丘が描かれていて、そこから谷が落ち込んで、その谷を隔てて遠景にして、そこに夕方の残照かあたることで山をクローズアップするような効果を生んでいる。そういう演出は巧みです。

「ローレライ」(右図)などはヨーロッパ大陸の観光名所を、物語で脚色されたような感じではなく、今では観光ポスターのような実際にそこに行って見える風景のような描き方をしています。岸壁の描き方などは丁寧ですが、屹立する岩の崇高さというより、川が水平に流れている横の広がりがパノラマ風景のようなものとなっています。それが臨場感を生んでいるのかもしれません。他にもたくさんのスケッチや版画。

このターナー展は上手い風景画家としてのターナーの作品をみていて、その中に数点の一線を超えた作品があって、私の場合は焦点は、どうしてもそっちにいってしまったのですが、それだけでも見られて良かったとおもいます。

 
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