ターナー展
 

2013年10月29日(火)  東京都美術館

都心でのセミナーの帰り、雨模様の天気だったが、展覧会の感想を書き綴ること、それを見てくれる人が現われたということが、動機の多くを占めるようになって、多少の無理をしてでも出かけるようになってきた、と自覚症状を認識している。また、これからは仕事で都心に出る機会も、それほど多くなくなるので、今のうちにという心持ちも働いている。そして、このところ抱え込んでしまっている屈託の捌け口として、効果はあるかどうかは分からないけれど。

夕方という時刻と雨という天気のせいか、予想された混雑はなくて(とは言っても、ひとはそこそこいたけれど)、落ち着いて作品を観ることのできる状態ではあった。ただ、閉館1時間前という制限があったので、どうしても限られた時間を考えてしまい、また閉館時間前のアナウンス放送も何度か入って、最後は急き立てられるように作品を観ることになってしまった。時間をかけてゆっくり鑑賞するとか、何回も会場に足を運んで、気に入った作品を繰り返し鑑賞するということもないので、一発勝負。カッコよく言えば一期一会。だった。今回の展覧会は、スケッチや習作の類もおおく、ターナーの作品は似たようなものが多いため、一回目で見たい作品を絞って、二回目以降でじっくり鑑賞するというやり方は適していると言えなくもない。

さて、主催者のあいさつの中では、次のように紹介されています。1775年に生まれたターナーは、10代で英国各地の風景や名所旧跡を描く地誌的水彩画家として出発しました。そして、26歳で早くも英国美術の最高権威であったロイヤル・アカデミーの正会員に選ばれるなど、若くして成功を掴みました。生涯にわたって風景表現の可能性を探求し続け、「崇高な」自然を描き出そうとした作品や、光と色彩に溢れる幻想的で詩情に満ちた作風から、ロマン主義を代表する画家の一人と称されています。…西洋美術史において風景画の可能性を広げ、英国絵画の地位を飛躍的に高めた巨匠の作品を間近で鑑賞し、その神髄に触れていただければ幸いです。ここに主催者の意思が感じられるか、微妙な気がしますが、とりあえず優れた風景画家としてターナーを捉えているようなのは、ターナーのスタンダードな伝記にしたがって網羅的なのだろうと想像できるだろうからです。

私にとって、ターナーという画家は晩年の茫洋としたような、輪郭の判然としないような、靄のような、ほとんど抽象画のような、数点の風景画を描いたということに尽きます。偏った見方であることは自覚していますが。それが、今回の展示を見てみると、作品は大半は絵葉書のような風景を紹介するような、型にはまった風景画というものでした。それが、晩年の作品を描いた画家と同じ人物とは到底思えないのでした。例えば、最初絵葉書や挿絵のような風景を描いているうちに、徐々に作風が変化してきたという軌跡は見つかりませんでした。では、何か転機があって晩年に突然画風が変わったのか。それとも、生計の糧を得るための絵と自分が描きたい絵を区別して、いうなれば二重生活のようなことをしていたのか、そんなことを想像したくなります。そんなことを頭の片隅に置きつつ、作品を観ていきました。 

 

T.初期│BEGINNINGS

ターナーは14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学を許され、厳格な履修過程に勤しみ、当時の職業的な画家必要な技能を短期間のうちに身につけたといいます。画家になりたての頃から、ターナーは歴史画を美術の最も高尚なジャンルとする既成の価値観に抗い、美術界の偏見を突き崩そうと試みる。ターナーは歴史画ではなく風景画に打ち込み、風景画を理知的な表現形式に高めようとして力を尽くす。これに加えて、主に素人画家や花を描く女性画家の領分とされていた水彩画を重視する姿勢を貫いたのも珍しい。と、後にターナーの芸術を特徴づける重要なテーマの多くが、画家として独り立ちしようとするこの時期にすでに芽生えており、海の情景を好むこと、旅好きなこと等もうかがえる。というように解説されています。

「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」(右図)という水彩画は、いわゆる絵になる風景となっていて、手前の木の枝ぶりや中央のヨットなどの道具立ては絵葉書のようです。「エイヴォン川の12の風景」という版画集として出版する計画があったということですが、今で言えば名所の紹介のようなものではなのいか、と思ったりします。比較できるものではないでしょうが、日本の江戸時代の歌川広重の「東海道五十三次」の版画集のような、なかなか旅に出られない庶民に名所の風景を紹介して見せるというようなものとして描かれているように、私には思えます。(両者の作品の型にはまったようなところに、共通点があると思います。)また、このターナー展を通して見てみると、この時代の画家が稼ぎをするときに一番便利なはずの肖像画が一枚もなかったのが驚きでした。自画像もほとんどない。それは、多分、ターナー自身が肖像画が上手くないことの自覚があって、早くから肖像画以外で収入をえることを考えていて、名所を紹介するようなとか挿絵のようなものとしての風景画を追求していったのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。解説では伝統的な絵画のヒエラルキーに抗ったようなことが書かれていましたが、歴史画を描くには歴史や文学の教養が必要だし、手間もかかるので、駆け出しの知名度もなく、生活の余裕もないターナーには着手するのが難しかったのではないか。事実、この作品を見ても、巧いという印象を先ず受けます。本人も、得意分野との自覚があって、そこで生きる道を探したのではないか、と思いたくなります。というのも、これを見ているとターナーの明らかな個性が分からないのです。

次の「ダラム大聖堂の内部、南側廊より東方面を望む」(左上図)という水彩画。これを見ると、後の船もそうなのですが、ターナーという画家が建築とか船とかの人工の構築物の描写が抜群に巧かったということが分かります。先に見た、「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」でも、樹木や森などの植物の生命感のあるものよりも、背景の岩壁の無機的な物体の方がキチッと巧みに描かれているように見えます。形態がカチッと決まって輪郭が明確な物体、揺らいだり、動いたりなどして形態が変化しないもの。柔らかさとか微妙さ陰影のようなグラデーションによるのではなくて、どちらかというと白黒のハッキリとした物体。これに太陽の光線が差し込むと、物体自体が固く表面に素材上の変化がないために、光線の反射を法則的に考えて、光線だけに留意して描くことができる。陽光の差し込む効果だけを考えて、つまりは光を抽象化させることができるわけです。ところが、人物では、皮膚の表面が微妙に変化していて、その変化の不規則さが生命感を醸し出すことになるのですが、ターナーは多分、それを表現するセンスに欠けていて、それを自覚していたのではないか、と私には思えます。むしろ、この作品のようなゴシック様式の複雑に建物の構造であっても、構成するパーツは単純なので、描くときは単純なパーツの組み立てとしてパターン化させることができます。だから、ターナーの風景画は構造とかパースペクティブを表現する志向が高くなっていきます。その反面、細部にこだわるような超細密のような方向性はありません。それは、水彩画という初期のターナーが盛んに描いたものの影響もあるかもしれません。

「月光、ミルバンクより眺めた習作」(左下図)という小さな油彩の作品。それまで、水彩画を描いていたターナーが油彩を描き始めたころの作品で、絵の具の塗りは薄く、水彩画の用法をなぞるかのようだと言われているようです。ロンドンを貫いて流れるテムズ川に降りる夜の帳、その静寂に満ちた詩情を喚起する見事な興趣に富む。””水面に映る月明かりのハイライトは、情景を照らす唯一の光源として揺るぎない筆捌きで描いた満月の白い円盤の下方に、この上なく繊細な白の絵の具のタッチで表現されている。と解説では、多くの言葉を割いて説明されています。月明かりの淡い光の中で、川辺の風景は影となって、輪郭の形態を抽象することができ、物質表面の質感とか、空気感とかは明るい陽光が当たってはじめて見分けられることで、さらには遠方を細かく見渡すこともではないため奥行も感じることはできません。それらの絵画要素を切り捨てることができて、ターナーはそれを積極的に活用して、平面的な光景で月だけをくっきりと描き、それ以外は影絵のように平面的にすることで神秘的な印象を醸し出していると思います。また、暗さのグラデーションを描き分けて、晩年の靄のような作品に通じると、後付けですが思わせるところも見せています。これを以って、晩年の作品の先触れと見るのは恣意的な気もしますが。下の作品は、ターナーが参考にしたかもしれない、ジョセフ・ライト・オプ・ダービーの「マットロック・トーの月光」(右下図)ですが、比べてみるとターナーの方が夜の暗さの中で、風景全体が見渡せないことを積極的に利用して、神秘性を強く感じさせるものになっているのが分かります。 


U.「崇高」の追求│IN PURUIT OF THE SUBLIME 

風景に対するターナーのアプローチに重要な影響を及ぼしたのが、見る者の心に畏怖を抱かせる自然の「崇高」さを美しいとみなす価値観だった。エドマンド・バークは『崇高と美の観念の起源』の中で、奔放に荒れ狂う自然を目の当たりにするとき、人の心にわき起こる強烈な不安や恐怖に思索をめぐらせた。「崇高」には古典的な美に劣らないほど、人の心に強く働きかけ、精神を高める力があるとバークは論じた。美術の分野では、これが視覚的な刺激の追求となって表われた。鑑賞者は雪崩や地震、激しい雷雨や時化の海など自然の根源的な力を描いた絵を見て、身を安全な場所に置いたまま、危険を体験することになった。絵描きとして出発した当初から、「崇高」を求めるこの独特の表現法はターナーの志すところと難なく一致した。ターナーは風景画も、歴史画と同じように、人の感情と知性に強く働きかけることができるということを実地に示そうと試みる。崇高な風景を描くうちに、ターナーは当然ながらドラマチックな自然現象が人の感情に与える力を探り当てるチャンスに恵まれた。何にもましてターナーの興味を駆り立てた地勢が山だった。と、この「崇高」さについて、長い解説が付されています。

「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」(下左図)という作品。雨雲に覆われた暗い風景の中で虹が輝かしくかかっているという作品。画面全体を前景、中景、後景に分けて、中景だけに雲の隙間から日が差している。それゆえに虹がかかったのだろうけれど。そこで日が差したところは陽光に輝き、まるで黄金の都のように映える。これに対して前景の湖は暗く、手前の樹木と湖面に浮かぶ船は影になっている。この大きさと中景、後景の大きさの対比が、奥の風景の大きさを対照的に強調している。そして、後景の山は暗い雨雲にけぶっている。ここでは、明と暗、遠と近、大と小が対照的に置かれて、この対照が劇的な雰囲気を盛り上げていると言えます。そして、後景の山容が真ん中がくぼむV字の形になっています。これは前回で見た「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」でもそうなのですが、ターナーは山を描くときに川や湖と一緒に描くことが多いのか、ターナーの志向性なのか、山容を真ん中て屹立させるような構図よりも、真ん中を溪谷や谷間して鋭く切り込ませる構図を好んで採っているようです。この作品でも、ちょうど虹の端がV字の底に落ちていて、そこに陽光が差して輝いていて、そこに視線を集めるような構図になっています。この構図について、後でゆっくり考えてみたいと思います。

「ナントレ湖越しに望むア・ガーン山、遠方にスノードン山」(左上図)「スノードン山と深い谷、隊列を組んで進む軍隊」(左下図)という、未完成の水彩画です。水彩画といっても、前の「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」という油彩作品しサイズは変わりません。これは、「崇高」という印象を与えることを考慮すれば、画面が小さければ人は見下す視線をとってしまい、自然の脅威に畏れる感情は起こりません。その効果を考慮しているのではないかと思います。この二つの作品の構図を見てみると「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」では、右手前のア・ガーン山と左遠景のスノードン山の間はV字に切れ落ちています。また、「スノードン山と深い谷、隊列を組んで進む軍隊」はVに鋭く切れ落ちた溪谷が中心にあって、そのV字の稜線が幾重にも奥に連なって、再奥にそびえるスノードン山の山容は真ん中ではなくて左手によっていて、真ん中は空にあてられています。解説では、ターナーは山を「崇高」さを表わす素材として見出したように説明されていますが、ターナー自身は必ずしも山を描きたいと思っていなかったのではないかと思います。参考にノルウェーの画家ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダールの風景画(右上図)を見て下さい。中央に白銀の険しい山岳が屹立するように描かれていますが、この山容そのものが人事を寄せ付けない厳しい自然の「崇高」さを感じられるのではないでしょうか。山そのものを描くことで、「崇高」さを表わすことが十分可能であることを、この作品は示していると思います。これに対して、ターナーは山を描くとしても、ダールのように中心に置きません。しかも、山をはっきりと描くことはせずに、遠景でどちらかというとぼんやりと霞むように描いています。もう一つ参考に、アルプスの画家ジョバンニ・セガンティーニの晩年のアルプス三部作のうち「生」(右下図)という作品です。この作品では、必ずしも山が中心に描かれているわけではありませんが、背景で遥かに聳えるアルプスの厳しい岩稜が手前の人の生活と対比的に見ることができ、自然の厳しさが想像できるものです。セガンティーニのように遠景の山を明瞭に描くこともできたはずなのに、ターナーはそれもしていません。それは、どうしてなのでしょうか。V字の構図、あるいは遠景の山を明瞭に描かないということは、V字の構図で生じている空隙を埋めている空、あるいは空気、もっと言えば虚無の空間を実はターナーは重視していたのではなかったのか、これは私の仮説です。このことを頭の片隅に置きつつ、これからの作品を見ていきたいと思います。

自然に寄り添うターナーの「崇高」の解釈は、歴史や神話の出来事をテーマに据える野心的な油彩画の大作の土台ともなった、「エジプトの第十の災い」には、神がエジプト人の初子たちに加える激しい懲罰の視覚的な隠喩として、崇高のイメージの中でもとりわけ厳しいものが用いられている。と解説れている「エジプトの第十の災い:初子の虐殺」という油彩の大作。ターナーはニコラ・プッサン(左下図)の画法を模倣した。平面を重ねて奥行を出したり、暗い色調を用いたりしているところに、プッサンの影響が明瞭に表われている。プッサン風の「歴史的崇高」に加えて、ターナーは「黙示録的崇高」と呼ばれる表現も採用している。前景で子ども死を悼む女たちの姿によって表わされる物語の詳細は、雷雲、強風になぎ倒される木々、劇的な光と影の対照などに圧倒されて目立たず、作品は全体として、ターナーが繰り返し主題とした、圧倒的な自然の威力の前でなすすべもない人間の無力さを強く印象づけるものとなっている。と解説されています。

私には、ここで見た風景画の書法に人物が加わり、サイズが大きくなったことで表面的な迫力を感じさせるようになったということで、基本的に風景画とは変わらないように見えます。ただし、歴史画ということで、絵画作品の背景に物語が既にあって、その物語を知っている人はその一場面として見るでしょうから、風景に対して過剰な意味づけをしようと。することになります。そのときに、ターナーが「崇高」ということを見る者に感じさせることを志向していたとすれば、このことは有利に効果的に働くでしょう。物語に崇高を感じていた人たちが、その場面を見れば、自ずと崇高を感じ取りやすくなるわけですから。それは。参考として見ていただいているプッサンに比べてターナーの作品で描かれている人物に動きがなくて、まるでビルディングの建設現場にある簡易予想図のイラストの人物のように建物の添え物の域を出ていません。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

V.戦時下の牧歌的風景│TUNERS PASTORALVISION IN A TIME OF WAR

ここでいう戦時下とはナポレオン戦争のことで、現実の世界が動揺しているのに対して、泰平、静穏な日々の営みを彷彿させる牧歌的な景観をターナーは描くようになったと言います。前章の「崇高」さを求めて大自然の厳しい姿を描いていたのと、180度方向転換したのでしょうか。美術史の教科書をみれば、ターナーと同時代のコンスタブルはバルビゾン派の先駆けとなるような牧歌的な田園風景を穏やかに描き、これに対してターナーはロマンチックな激しい風景を描いたとなっていましたが、これは、コンスタブルへの歩み寄りということなのでしょうか。このことは、後で触れたいと思います。

ナポレオン戦争時は、フランスは海軍力で劣るイギリスに対しては大陸側を封鎖して、イギリスをヨーロッパ大陸に入れない、つまり、実質的に海に閉じ込める戦略をとったはずで、イギリスは大陸との貿易ができなくなったはずで、物資の不足や経済の停滞と戦時体制で、大仰な歴史画や大自然の厳しい風景を描いた激しい作品よりも、ほっとさせる穏やかな平和だったころの日常的風景を描いた作品の方が受け入れやすいのではないか、そう考えたって不思議ではないと思います。それほど豊かではない生活状態だったはずのターナーにとっては作品が売れなければ生活ができないので、こういう方向の作品の傾向を移していくのは、正解だったのでは。この展覧会をみていると画家の生涯の時間的経過に沿って作品が並べられていますが、この時期と言い、戦後の平和が戻った後はイタリアに渡り、その外国情緒を描いた作品を売るという商売っ気ありありの、消費者ニーズを意識していると明らかに見えるところが、ターナーの才能を示していると思います。展覧会では、あまりそういうことには触れないで、芸術至上みたいな感じですが。例えば、これを機に、テムズ河畔のアイズルワーズに家を借り、周囲の牧歌的風景を戸外で制作するようになったと言います。こうした描き方をするには、筆の運びをある程度軽やかに、素早くしなければならない。それが目を凝らして観察した自然の姿を、そのまま絵に描きとめる手法とあいまって、新鮮で率直な習作を生み出す。

「河畔の家、木立と羊の群れ」(左図)は、上で説明されたような、アスルズワース周辺の風景です。カンバスをストレッチャーに張らずに板にピンでとめて持ち出して、薄く伸ばした顔料で、おおまかな筆遣いが一気呵成に描いたような印象を謳えます。とくに水面のさざ波や反映を描く躍動的な筆痕の連続によくあらわれている、言います。例えば、コンスタブルの「干し草車」(右図)という作品と比べてみると、ターナーの作品の方が、上で説明したような一気呵成に、悪く言えばコンスタブルほど丁寧に描かれていない感じです。しかも、コンスタブルに比べると画面がうるさい印象です。例えば、ターナーの作品では画面の左右で明暗の対比をはっきりとさせ、それが樹木の描かれ方が左側と右側とでは対照的になって、池の描き方も、左側の無人の船は日陰に打ち捨てられるようにあるのに対して、家畜の群れは左側の明るいところに言います。これだけで寓意的な想像するのは考えすぎかもしれませんが、そこに想像を掻き立てるような物語的要素が散りばめられているように見えます。陽光のうつろいとか、池の水面のさざ波とか樹木が揺れる様子とか。これに対して、コンスタブルは一つの場面を丁寧に切り取ったという印象で、ターナーとは逆に想像を掻き立てるような物語要素は感じられません。そこにあるのは、禁欲的な潔さのようなもので、絵そのものを見てくれと言わんばかりです。ターナーの作品に比べて、左側の空が切れてスカッとした爽快感があり、手前の車に視線が集まるようなポイントで安定した感じが穏やかな風景を印象付けます。これに対してターナーの作品には中心がなくて、しかも対立的要素によって構成されて、視線を動かすように工夫がなされ、端的に言えば“つくられた”感じが強いです。

「セント・ジョン村からハモウズの入江を望む、コーンウォール」(左図)という作品は下塗りされた紙に油彩で描かれた作品。屋外で手早く、まるで水彩画のように描かれた作品です。たしかに、穏やかな牧歌的風景ですが、バルビゾン派やコンスタブルのような人々の生活に密着した風景というよりは、絵画作品を購入してくれるであろう貴族や金持ちのブルジョワが郊外に館を構えて気晴らしに眺めるような風景、ハイキングや狩りの途中で眺めるような風景と言えるでしょうか。手前の人物は、地元の人間かもしれませんが、ここに眺める人物を配置することで、風景にそういう想像の余地を与えているように感じられます。「河畔の家、木立と羊の群れ」もそうですが、物語の一場面とでも言うような“つくられた”感じが、どうしてもつきまといます。それが、ターナーの作品へのとっかかりの良さになっているのでしょう。前の「崇高」といい、ここでの牧歌的といい、このころのターナーの作品には、言葉で表された気分のようなものが先に在って、その前提のもとに作品が構成されているように見えます。

そして、もしかしたら、これは後から思えばという発想の見方ですが、このような言葉による、視覚から出て来たのではない、気分のようなものから作品をつくっていこうとすることが、後年の靄のような作品に遥かつながっていくのではないか。そして、光と陰の移ろいや揺れる水面を描こうとした書法が突き詰められていって茫洋とした靄のような光景を描く筆遣いに発展して行ったのではないか、と想像してもおかしくはないと思います。  

 

W.イタリア│ITALY

ナポレオン戦争が終わり、イギリスにとって平和が戻った1819年、ターナーは43歳になって、初めてイタリアを訪問したそうです。当時のイタリアは、芸術・文化の先進地域であり、古代からの豊富な文化遺産に溢れ、グランドツアーの憧れの地でもあったでしょう。そこで、ターナーは多くの先人の遺産に触れたり、南欧の陽光を目にしたのかもしれません。また、画家の商売ということを考えればイタリアの名所旧跡を描いて帰国後に売ることは、目論んでいたとのではないか、個人的には、そうであったとしたら、理解しやすい人ではあると思います。

ターナー本人にとってもイタリアは憧れの地だったのでは、と思います。1928年にもイタリアを訪問していますが、このイタリア訪問の影響のもとにある作品は、ターナーの作品の中では、空が抜けるような青空で、いつものような陰影がなくすっきりしていて、輪郭のはっきりした風景になっているので、彼の風景作品の中では異質に見えます。とくに、この後の晩年の作品で、明確な輪郭とか鮮やかな色彩とかと正反対の方向に向かうことになるので、このイタリア訪問を契機にした作品は、突出した印象を与えます。

「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」(左上図)は1.7×3.3mの大作の油絵です。手前のヴァティカンの回廊の有り様を前景として、下に広がるサン・ピエトロ広場を見下ろすような中景になり、遥かにローマの街並みからアペニン山脈を遠景として見晴らすという三段階の平面を重ね合せたような構造で、細長の大画面を見飽きさせない工夫が為されているように見えます。前景の回廊は、まるで凸レンズで見るような真ん中がへこんで周囲の回廊に囲まれている様が見て取れるようになっていて、回廊に施された文様の装飾が見えやすいように、回廊の天井に描かれた壁画まで細かく描写されています。それは、そのさらに手前に赤い模様の入った布で覆われたテーブルを配し、あたかもその絵を観る者の目前にテーブルがあるかのようにテーブルを手前を省略して向こう側、つまりは絵の側の半分だけを描き、描かない半分は観る者の側にあると言わんばかりに、観る者が臨場感を以って絵に入り込みやすくする工夫が為されています。その点に立って目の届く回廊を見渡す、見えてくる光景が凸レンズで見たようなものになってくるというわけです。そして、回廊の手すり近くには人物を配し、その人物が見下ろすようなかたちでヴァティカン広場の様子が鳥瞰的に描かれています。つまりは、手前の細かな装飾まで観る者に臨場感を持たせるように描かれた前景から、今度は、その前景に描かれた人物の視線に乗り換えて、回廊の下に広がる広場を望むという構造です。ここで、中景という異なる平面にスムーズ移るために、視点の移動を人物を配することによって巧みに行っているように見えます。その橋渡しをしているのが、画面左側の建物です。ここが前景と中景の転換点で、これがなければ、前景と中景に断絶が生まれてしまうようになっています。以前に見たようにターナーは建築物とか船舶とか生命の温か味とか柔らかさを持たない、冷たいほど明瞭な輪郭を有したものを描写するのに巧みで、石造建築が密集しているヴァティカンからローマの光景は、田園風景よりも、ターナーには描き易かったのではないか、と思います。しかし、このようなものは、かっちりと描くことができますが、下手をするとそれで終わってしまう。逆に樹木とか川といった自然の曖昧な輪郭は、ある意味描く側がいくらでもスパイスを利かすことができる。前のところでも、ターナーの作品はコンスタブルのような見たままを描写するのではなくて、それに付加価値をつけて、例えば物語を想像させるといった何かつくりものめいたものであるところに特徴があるとおもうわけです。いうなれば、観る者を惹きつけようとする、よく言えばサービス精神のようなものです。それを、この作品では、視点の移動を巧みに用いることで観る者を飽きさせない工夫を施しているといえるのではないか、と思います。そして、実際のところ、ターナーの作品は平面的に見えることが多いのですが、それで書き割りのような立体性を持たせていると思います。さらに、こんな工夫をさせたのは、画面の3分の1を占める、抜けるような青空と、物体の形状をはっきりさせずはいられない燦々と降りそそぐ乾いた陽光です。イングランド重く湿った空気と光は背景に暈しを入れることができますが、この風景では、それができない。はるかに、遠景のアペニン山脈が遠く霞むようなのが、かろうじて暈しが使われているというところでしょうか。全体として、工夫が凝らされた大作ではあるのですが、制作期間が短かったのでしょうか、薄塗りで素早く描かれた感じがします、それが、どこか仕上げが甘いというのか、どこか大作の重厚感に欠けた印象もないではありません。

 ターナーは1828年に2度目のイタリア訪問をします。その時に制作されたのが「レグルス」(左図)という作品です。今回の展覧会ポスターにも使われた作品で、今回の展示の目玉ということなのでしょう。レグルスというのはポエニ戦争でカルタゴの捕虜となったローマの将軍のことで、かれは暗い地下牢に監禁され、瞼を切り取られた後、牢獄から引きずり出され、陽光に当たり、失明したという伝説があるそうです。ターナーはその瞬きできないレグルスの目に眩いばかりの陽光に晒さられる瞬間、レグルスの目に映ったであろう瞬間を描いたということです。レグルスにとっては目を焼き尽くす、燃え盛る白熱の太陽が、画面の中心にあって、絵を観る者は烈しい光は、あたりを神々しく照らす光の洪水にも見えなくもありません。この作品の構図はクロード・ロランの「夕日の港」(右図)を参考にした、というよりはパクッたものであることは明らかです。しかし、陽光の描き方がターナーの作品を違ったものにしています。「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」以上に風景を“つくった”のがこの作品ということでしょう。一応、歴史画ということなのでしょうが、形は風景画です。それに演出を加えるというターナーの制作方法は、ここで、かなりエスカレートして突き詰められたと言ってもいいのではないでしょうか。構図は、クロード・ロランの作品から持ってきたものではあのでしょうけれど、前の「崇高」な風景画を制作していたときに頻繁に用いられたV字型の構図そのものです。左側の帆船の帆柱と右側の港の建物は、「崇高」な風景画の深く切れ込んだ溪谷の岩肌とおなじ構図です。そしてV字に切れ込んだ中心の空虚に、この作品では太陽がある。ただし、太陽そのものは眩い陽光のゆえに見えません。描かれていないんです、太陽は。そこには光だけがある。というよりも光は物体ではないので、光に映える空気や、海面や建物や船があるだけです。つまりは、V字型の構図の中心には何もない空虚になっているわけです。だからこそ光という物でないものが強く印象的という以上に神秘的に表現できたと言えると思います。そして、強い陽光に目がくらんで「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」では明瞭に描かれた建物や船がぼんやりとしてしまって、ターナーがイギリスの風景を描いていた時と同じような霞む風景になっています。これまで、イギリスの風景を描いていたと同じやり方で、イタリアのどこまでもはっきりした風景を描いてしまったことになります。これは、ぼんやりとした風景を見慣れていたイギリスの人々にとっては却って馴染んだ風景でしょうし、それに伝説という想像の付加価値がついて、ぼんやりとして風景が正当化されている、ということで感動のお膳立てをしてもらっているようなものです。ターナーは、そういう絵を観る人々をみて、「してやったり」とほくそ笑んだのではないでしょうか。これは、私の想像ですが。そして、この想像をさらに進めれば、このような成功に気をよくしたターナーは、このような演出を加速させていって、演出の要素がどんどん大きくなって、しまいにはもとの風景がどうでもいいようになってしまった挙句が、晩年のもやもやして何が描かれているのか分らないような作品にまでエスカレートしていってしまったのではないか。これは、私の妄想です。

そして、「チャイルト・ハロルドの巡礼─イタリア」という作品も今回の目玉のひとつということでしょう。イタリアの風景を描いているのでしょうけれど、全体の感じは、以前にイギリスの風景を描いた「イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンス・リージェントの誕生日に」と似通っています。つまりは、この時点で描かれた風景の違いよりも、風景をどう描くか、どう演出するか、ということにターナーの主眼があったことの証になっているのではないか、と思います。ここから、描く対象となる風景そのものがなくなってもいいではないか、と考えることとは紙一重です。

展示は以下のように、細かく章立てられていました。

 

X.英国における新たな平和│BRITAIN;A NEW PEACE

Y.色彩と雰囲気をめぐる実験│EXPERIMENTS WITH COLOUR AND MOOD

Z.ヨーロッパ大陸への旅行│TURNERS EUROPEANTRAVELS

\.後期の海景画│TURNERS LATER SEASCAPES

ナポレオン戦争後のターナーの活動は、独立した画家としてイタリア訪問も行い、その成果も、それなりに発表したという、いわば功成り名を遂げた時期といえるのでしょうか。この時期の後、晩年の作品が制作されるわけですが、イタリア訪問による大作は別にして、この展示では完成し発表された作品の展示は殆どなく、スケッチや習作ばかりで、それはそれなりに参考になるのかもしれませんが、単に好奇心で見に来た私のような人間には、ターナーのことを研究しているわけでもなく、熱狂的なファンでもないので、素通りに近かったというのが正直なところです。研究者にとっては、この時期が晩年の作品に向けての過渡期ということなのか、その手のスケッチが展示の中心だったようです。

「三つの海景」(右図)は、とにかく完成した作品と言えそうです。そして、何が描かれているのか分らないようなものになっているので、目立つのでしょうが、タイトルの通りに海岸の波がうちつけてくる様子を三つ並べた、ただし中に上下逆になっているのがあるらしい、というもの。発表を前提にしていたかどうか。

ヨーロッパ大陸の旅行の際に描かれた「ハイデルベルク」(左下図)という作品は、風景画というよりも幻想絵画に見える作品になっています。.3×2mという大作です。その大きな画面で、これまで見てきたとは違うターナーが迫って来るようでした。今回の一連の展示で、私には馴染みとなったV字型の構図に、焦点となる中央には太陽の黄色い光がぼんやりと描かれ、このように太陽が目立つということは、全体に暗く淀んだような基調になっている。画面全体を見回して、明確な輪郭を持ったものは一つも描かれていない。すべてのものが隣との境界がぼんやりとしてしまって、まるで溶け合ってしまっているような薄ぼんやりして、人物すらも背景のなかに融けてしまっているような、実在感のないものになっています。そこに人間の生気は感じられず、現実の世界というよりは、冥界、死者の世界にいるような、幻想の世界に見えます。画家の大陸旅行を基にして描かれているのでしょうけれど、ハイデルベルクを想起させるような、現実の街の建築や名物は見て取ることができません。多分、イギリスがナポレオン戦争の勝利と経済的な成長によって、富裕なブルジョワが勃興し海外旅行がブームになって、それを対象に海外の風景や名物を紹介するというのが、ターナーのヨーロッパ旅行と作品制作の目的だろうと思います。しかし、この作品は、そのような目的に全く適っていません。これを見て、ハイデルベルクの景色を想像できないし、そもそもハイデルベルクに行きたいと思わせるものではありません。これまで見てきた作品は、たとえ実験的なことを試みているにしても、絵を売るという目的に適う売れ筋を意識しているのが見て取れるものでしたが、この作品は、そういうものが見えてこないものになっています。未完成の作品なのかと思いましたが、中央下に人々の集団がゾンビの行列みたいに並んでいるのをどうやって完成させるのか、を考えると、これはこれで、これ以上仕上げるのは無理なのかもしれません。この作品は、V字型の構図がしっかりしているので、風景画の体裁を一応とっていますが、それが崩れてしまえば、シャガールの幻想的な作品やカンディンスキーの初期のコンポジションに至る前の抽象的な志向を強めたころの作品(左図)に似たテイストを感じさせるものでした。今回展示されていたターナーの作品の中で異彩を放つもので、とくに印象に残った作品でした。

 

].晩年の作品│THE FINAL YEARS

いよいよ、晩年のモヤモヤの作品です。これまで見てきた作品は、ここでの作品と比べてみれば、たしかによく描かれた風景画とは言えます。でも、いうならば、その程度、別にターナーでなくても、その力量を持った画家なら描くことは出来たかもしれません。私の独断と偏見でいえが、これまで見てきた風景画は、英国でも、日本でも、どこでもいいですが、アカデミーとかの画壇の権威に昇りつめて、高い評価を得ていた画家で、死後十年もすれば忘れ去られて歴史から消えてしまう画家の作品の域を出ないものだったと思います。絵画鑑賞の消費者の、独断と偏見に満ちた勝手な言いぐさですが、この晩年のもやもやとした作品はターナーでなければ描けないオリジナリティの塊のような作品で、彼の他に、こんな作品を描こうともしなかった、他に類似をみないものだと思います。ターナー自身は、これを未完成として、展示された会場で直前に仕上げる用意をしていて、展示の機会がなく、仕上げの描き足しができなかったので、未完のまま残されてしまった、という説もあるそうで、それは、確かにそうだと思えるものではあります。しかし、絵画鑑賞の消費者である、私のような人間は、それを作品としてみて、面白がっていけないわけはないので、これらはそういうものとして、楽しむというのが私の姿勢です。

「平和─水葬」(右図)という作品。海景画の体裁をとっています。燃え上がる船のシルエットは、とくに帆柱や帆のところ等はきっちり形がとられていますが、左奥の白く描かれたのは船なのかどうか、また、中央の船が燃えて黒い煙が立ち上っているためか、また、船の影が伸びてきているためか、煙が流されたのか黒い不定形の形が左手前の海面のところにあったり、とよく分らない形があちこちにあります。また、背景の空の雲混じりのどんよりとした風景など、細部をよく見ると、不思議なものが、後から後から見つかるという作品です。タイトルのとおり、イギリスの高名な画家の遺体を水上で焼いて葬っているところを描いたとのことで、単なる海上の風景ではなくて、故人をおくる冥界の渡し船に擬しているとも解説されています。そうなのでしょうが。私には、シンボリックな意味づけよりも、前にも書きましたが、そこにターナー自身なのか、作品を見る人なのか分かりませんが、そこにある種の気分とか雰囲気、具体的で視覚的な発想ではなくて、言葉で、例えば小説なら“沈んだ気持ち”と一言で言えてしまうものが絵画では直接描くことができない。そのようなものを、ロマン主義の影響下にあったターナーは描く志向を持っていたのではないか。黒い煙と影のなかで、炎の色の鮮やかさや画面に散りばめられた不定形になにものか、あるいは全体の色調が何らかの言葉で表された気分というものを何とか画面で表わそうとした。しかし、具体的な見える形にしてしまうと、具体的なものを想像してしまって、気分を感じるには至らない。そうやって試行していったものの一つが、この作品ではないか。

そして、そのような試みを様々に繰り返しながら、出来て画面をみていると、今度は視覚的な面白さを発見した。そこで記号の逆転が起こった、とは考えられないでしょうか。悲しさを表わす涙が、いつか逆転して、涙を見せることが悲しんでいることを表現することになり、さらに嘘泣きというものに発展していく。そのプロセスで悲しいという感情はなくてもよくなっていく。ターナーのもやもやは悲しいという中心を虚った涙のようなものとは言えないでしょうか。つまりは、視覚的効果の塊です。

「フランス国王ルイ=フィリップのポーツマス到着、1844年10月8日」(左下図)という作品は、明らかに未完成なのでしょう。ここに描かれている、ポーツマスで到着を歓迎する人々の影の薄さというのは、背景の空や海と同じような不定形の一部のようです。ターナーの色遣いの特徴の一つである黄色がとても目立っています。この色彩のグラデーションは画面の中で微妙な変化があって、見飽きないものになっています。

そして、展示の最後にあったのが「湖に沈む夕陽」(左上図)という作品。タイトルをみれば、そんな感じとも思えるかもしれませんが、形らしきものは何もありません。赤系統の色と黄系統の色によるグラデーションと見ることができると思います。これは、例えば、マーク・ロスコの描く雲のような形態がモノトーンでグラデーションを施してあるのを連想させます。ターナーの方は2色使っているので、より派手で明るい感じがします。ロスコの作品が画面に吸い込まれて様な、静けさを湛えているのにたいして、ターナーの作品は動きがあって輝いているように見えます。もっと開かれた感じで、アピールするものが強い感じです。

 
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