3.(4)その他
11)IRツールとしての決算短信
〜利益配分に関する方針及び当期・次期の配当
 

 

「財務状況に関する分析」については、資産、負債、純資産の状況に関する分析、キャッシュフローの状況、財務指標の状況と細かく項目が分かれますが、「経営成績に関する分析」における、当期の経営成績、次期の見通しほどに方向性が違うわけではないので、前回で、それら全般として考えたとして、今回は、「利益配分に関する基本方針及び当期・次期の配当」という項目に進みます。

まず、ここまでの項目の並べ方。「経営成績に関する分析」、「財務状況に関する分析」そして「利益配分に関する基本方針及び当期・次期の配当」と続く記述の順序ですが、私のような初老に近い人間は、現在の会社法ではなくて、旧商法で決算をしていた時代のことを思い出させるものです。つまり、旧商法では、決算によって期間損益を明らかにした後、算出された期間損益を利益処分として、貸借対照表の資本勘定に繰り入れたり、配当として株主に還元したり、役員賞与として報酬に回りたりということを決めるわけです。ちょうど、この順番が一致するように、見えるわけです。このように見るということは、つまり、株主還元というのは、経営成績、財務政策と直接的に連係して、経営者が動かしている、考えることができるわけです。とすれば、「経営成績に関する分析」、「財務状況に関する分析」そして「利益配分に関する基本方針及び当期・次期の配当」は企業の一貫した戦略として捉えることができる、逆に企業が成長していくためにはこの一貫した戦略が必要になってくるということになります。

実際の決算短信を参照しながら、「利益配分に関する基本方針及び当期・次期の配当」について考えていきたいと思います。この項目、これまで考えてきた項目に比べて、ボリュームは大きくなく、短信の中で小さい面積しか占めていません。大抵のケースでは最初に利益配分に関する基本方針として説明されるのは、安定配当を旨としていて、具体的には基準とする配当性向まで述べていれば、比較的説明している方ではないかということです。

このことは以前にあるセミナーで某薬品メーカーのIR担当執行役員の方が仰っていたのですが、このような説明で投資家は納得するのか、なぜ安定配当政策をとっているのか、あるいは配当性向30%を基準としているのなら、その30%という基準の理由を説明している企業はないということです。私も、そう思います。たとえば、アメリカの有名なIT企業は、高い収益と成長率を誇っていますが、株主に対して配当をしていません。かりに、配当を支払おうとしても、株主からは、その資金を成長のための投資にまわせ、配当の提案を拒否されてしまうでしょう。ということは、安定配当以外に企業には選択肢があり、それは株主の側からも安定配当以上に多くのリターンを得ることのできる選択肢があるということです。その場合、株主にとっては発行会社が選択する利益配分策が、本当に最大のリターンとなるのかを確認したいでしょうし、投資しようとする人は投資に対するリターンを企業がどのように考えているかを確認したいのは当然のことです。

そもそも、上場企業の8割以上が安定配当として、ほとんど一律のごとく配当性向30%前後で配当を続けている、もしくは定額の配当を支払い続けているというのは、日本的な横並びの風潮を超えて異常なことと言ってもいいと思います。このようなことになっているのは、歴史的な背景もあり、日本的経営の特徴とも言われているので、理由がないわけではないでしょう。少し長くなりますが、おさらいをしてみましょう。既に、ご存知の方は退屈でしょうから、次のパラグラフに跳んで下さい。

1937年の日中戦争により、日本国内は戦時体制に入りました。この時、小国であった日本にとって戦争遂行のための財源確保のために、企業の配当を通して消費に回された資金の流れを、資本を蓄積し、それを軍需産業へ集中的に配分することを行います。そのために、商法改正により株主の権限を制約します。さらに翌年の国家総動員法により企業の配当を制限し、増配企業には主務大臣への届け出が義務化されました。配当と利益の連動は切断され、資本家から企業を解放するとして、取締役は従業員出身者が占めることとなり、資本市場への依存度を下げ間接金融による資金還流のコントロールが始まりました。これがメインバンク制の源流と考える人もいます。当時の世界的なインフレを避けるため価格統制を行ったことにより企業の利潤が低下し、「経済新体制確立要綱」が示され、企業の目的は資本の要求に基づく利潤の追求から計画生産の達成に移りました。そのために経営者を株主の要求から解放し、増産に専念させる。限界ある国内の資源を効率的、集中的に軍需産業に振り向ける措置であり、この結果日本企業特有の従業員重視の経営スタイルや負債中心の財務構造はこのような事情で形成されたと考えられます。そして、太平洋戦争の敗戦により日本国中の資本蓄積は破壊された戦後の復興には、さらなる集中的資源配分が必要とされました。そこで、戦後の復興政策では戦時体制の資金提供者、経営者、従業員の企業内におけるパワーバランスをむしろ進展させ、銀行の監督下による企業再建を推進しました。いわゆる傾斜生産方式です。そこで、日本企業は株主資本に報いるというインセンティブを失い、国家指導の強い管理下で資源配分を余儀なくされるという市場原理とは全く異なる価値観によって経営理念が形成されていったことになります。この間、配当に対して政府による法的な規制が課せられ、企業は自由に配当を決められない状況が続きました。昭和25年の朝鮮戦争勃発に伴う特需が戦後復興のスタートとなりましたが、政府は経済自立のために産業合理化を推進する方策を打ち出し、鉄鋼業を中心として、そのための設備投資を進める政策を取ります。いわゆる傾斜生産方式と呼ばれるその政策は、鉄鋼業に集中的に投資を行い鉄材をエネルギーである石炭に振り向け増産した石炭を鉄鋼に振り向け、鉄鋼を材料とする機械や耐久消費財の製造に波及させていくというものでした。これらは、いずれも大型の長期投資を必要とする産業であったため長期資金の確保が必要となりました。これらの資金の源は家計に求める他はありません。一方では企業に巨大な資金需要がありながら、当時の家計には余剰資金は不足していました。そのため株式等に投資して長期資金を提供する余裕はなく、そのため、銀行が預金の形で家計から資金を吸収するための様々な制度設計(金融規制)がなされました。その結果、企業の長期資金の調達方法が主として銀行経由が主となっていきました。一方、財閥解体等の政策で持ち株会社の解体によって放出された株式の保有者はそれらの会社の社員が中心でしたが、徐々に市場で売却され、株式市場が押し下げられる結果となり株式市場は低迷します。そこで、各企業は安定株主対策を講じます。いわゆる持ち合いです。これを可能としたのは、資金調達の場として株式市場の必要性が低かったためといえます。高度経済成長の原動力となったのは企業の旺盛な設備投資活動でした。この設備投資により増産した製品はアメリカ等の海外市場に輸出され、さらなる生産量の増産を生み出していきます。その際に、資金は間接金融で限られた余剰資金を政策的に集中して低金利で投下されました。一方株主資本コストも人為的に抑えることで、設備投資の促進、国際競争力に資することとなりました。つまり、メインバンク制度、株式の持ち合い、生命保険や事業法人による政策的目的による株式保有という投資による財務リターンを主目的としない株式保有は投資の期待値を抑えることで資本コストを低く抑えることができました。その一環として安定配当を捉えることができます。その実際的な理由は、株主としてのメインバンクが株式を安定保有するための条件としても貸出の実効金利を下回らない配当利回りを要求したことです。また、生命保険などの株主は市場で頻繁に株式を売買してキャピタル・ゲインを求めないため配当が事実上経営的に投資リターンの中心であったため株式投資の元本を簿価で捉え、10%の配当が安定的に得られる仕組みは、株式を疑似確定利付証券として位置付けられることができたわけです。安定配当の理由は、これだけに限定されるものではありませんが、ひとつの考え方として受け取っていただきたいと思います。

以上、長々とおさらいをしました。

企業の担当者がこのようなことをいうのは奇妙なこと、不謹慎なことかもしれません。しかし、企業が市場で投資家を、他の企業ではなく自社に投資をさせようとするならば、通常の売込みであれば、他社と自社の違いを明らかにして、自社の方が他社よりいいことを強調する、つまりは差別化、を進めるものですが、この配当に関しては他社と同じことを敢えてしているわけです。これは、売込みの常識に反しています。それは、件の某薬品メーカーの執行役員氏が仰っていたように、海外投資家から見れば、日本企業は株主還元を本気でやっていない、と指摘されても反論できないことになります。だからこそ、ここで当社は他社と違って、安定配当をしているのは、このような理由がある、と明確に説明することは、たいへん有効ではないかと思うのです。このような指摘をされていた件の執行役員氏の某薬品メーカーの決算短信を見てみると、たしかに他社の一律のような利益配分に関する基本方針の説明のし方はしていませんでした。それは、配当の基準について新たな基準を提案するもので、そこに独自性を出して、その基準の説明に文章を費やしていました。その点で、他の会社との差別化を図っていました。しかし、なぜ安定配当をしているのかという本質的なことに対しての説明は、全く触れられていません。また、その会社が独自に打ち出した新しい基準はいいとして、その基準による指標の数値の理由が明確に説明されていません。その意味では、不十分ではないかというのが、私の率直な感想です。努力そのものは素晴らしいが、説明のピントが少しずれてはいないかと感じました。話は、そのような独自の試みをしている企業ではなく、その他の大多数の企業に戻りますが、配当性向30%を基準として定めているのならば、その理由も当然あわせて説明できると思います。それは、当然企業の資本政策や財務政策と密接に関係しているはずなので、企業の戦略の基本姿勢が明らかになるからです。そこでは、将来の成長のために、どのような投資の方針であるとか、財務の安定性をどの程度重視しているかであるとか、最適資本構成をどのように考えているか、などといったことに触れざるを得ないでしょう。投資家にとって、このようなことが明確に説明されていれば、投資判断をする際にはかなり役立つだろうと思います。また、企業としても明確な方針のもとに戦略を進めているという経営のアピールには最適の手段になると考えられます。そのとき、この「利益配分に関する基本方針及び当期・次期の配当」が「経営成績に関する分析」という大項目の中で、投資家にとって最も重要で、ぜひ読みたいものとなると思います。


(4)12)IRツールとしての決算短信〜事業等のリスク へ

 
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