3.(4)その他
1)IRツールとしての株主通信
 

 

株主というのは企業に投資してくれている投資家であると考えれば、SRなどということを持ち出すまでもなく、IRの対象となります。現時点では、会社の株式を保有して株主であっても、持ち株を売却すれば投資家ということになります。この人は投資家となっても再度、会社に投資する可能性もあるわけです。また、IR活動といって投資家を対象に情報開示をしていますが、ここでいう投資家とは主に会社に未だ投資をしていない人達を対象にしています。これに対して、会社に投資をしてくれている株主という投資家に対しては、会社の所有者でもあるわけで、未だ会社に投資をしていない投資家に比べて、少なくとも同等かそれ以上の情報が提供されるべきであると考えられます。したがって、株主に対しては、一般的なIR活動による情報提供を行い、株主を対象として、それにプラスαの何かをすべきであると考えます。

そこで、企業が株主に送る文書としては、この株主総会の招集通知が一番重要な書類ということになっています。しかし、多くの会社では、これ以外に、株主に対して「事業報告」だとか「株主通信」だとか「ビジネス・レポート」だとかのタイトルで1年に1〜2回冊子を作成して送付しています。株主を対象として企業が作成する文書で、このようにプラスαのためのIRツールとして考えられるのは、この「株主通信」ということになるでしょうか。また、株主総会招集通知は目的が限定されていて、しかも法的な制約がおおきいため、IRには向かないと思います。

この株主通信について作っている側から、IRの視点で考えていきたいと思います。一般的に「株主通信」というと、A5版くらいの大きさで16〜20ページくらいの小冊子です。カラー印刷が増えてきましたが、そこに社長のあいさつだったり企業の事業の報告や財務諸表、そしてそれ以外の企業の活動の紹介等が載せてあります。近年は、IRの一環として企業への理解を深め親近感を持ってもらうため、写真を多くしたり、見易いデザインになっていたり、中にはグラフ誌のような洗練された体裁で作られているケースもあるようです。

では、私の勤め先の「株主通信」はどうなっているかというと、年2回、中間と期末決算ということで作っています。その内容は事業報告が主体で、その事業報告の情報量が多いことを前提に、説明の文章が細かな字で埋められた体裁になっています。ビジュアルなデザインの点からいうと洗練とは程遠いもので、活字離れが行き渡った現在では、字がビッシリ詰まった冊子は、“取っ付きにくい”という意見も聞かれるほどです。

しかし、株主通信をこのような“取っ付きにくい”ものにしたのは、そこに意図があったからです。端的に、誤解を恐れずにいえば、他の会社と同じことをしていてもしょうがないということです。株主通信について、“取っ付きにくい”ものとすることで確実に間口は狭まります。何の気なしに手に取った人が手軽に眺めようというものではないです。しかし、株主通信が郵送される株主の側に立ってみると様相は変わるのです。

株主の自宅に株主通信が会社から郵送されてきたとします。それを、株主が封筒から出して、見てみようとするのは、かなり積極的な動きなのです。何気なく手に取るというような中途半端な姿勢では、株主通信は見られない。そこには、ある程度の株主個人の自発性がないと、封筒からわざわざ出すことはしないはず、私はそう考えました。ここで、少し想像力を働かせてみましょう。ある株主の自宅のポストに株主通信が郵送で届きました。その人は、何社かに分散投資をしているため、一度に何通もの株主通信が郵送されます。半月前には株主総会の招集通知が同じように一度に何通も届きました。今度は同じようにまたきました。数年前ならば配当金を受け取るための配当金領収証が入っていたので、必ず届いた郵便を開封して中身を確認していました。そして、配当金領収証を取り出すついでに株主通信にも目を通すことがありました。しかし、最近はすべて証券会社の口座に振り込みになっているので、その必要はなくなります。そうなると、開封もせずに放置されるか、捨てられることが多くなってしまいます。だから、株主通信を敢えて見たいという人が郵便を開封して株主通信を読むというところに辿り着くことになるわけです。私は、このようなところに辿り着くのは全株主の3割に満たないのではないかと考えています。だから、株主通信を誰に向かって作るかということを考えると、この3割に満たない株主を対象すべきと考えます。残り7割の見るかどうかわからない人達を対象にしても努力は無駄なことになるのではないでしょうか。

そして、この3割の人は積極的に株主通信を見たいという人たちです。そういう人に対して、見るか見ないかの中間的な姿勢の人達を対象にしたような手に取りやすさとか、取っ付きやすいものにしても、効果は変わらないと考えます。そのようなことに努力するならば、積極的に見ようとして、見てくれた人が実際に見たあとで満足するような内容の充実に努力を振り向けた方が効率的であると考えます。

この時点で“取っ付きにくい”という第一印象は少しクリアされたのではないでしょうか。つまり、“取っ付きにくい”と思うような人は最初から手に取らないと考えてもいいということです。そうしたら、今度は、多少でも“見よう”という意志のある人が見たときにインパクトがある方がいい、ということにならないでしょうか。ばっと開いてみてインパクトがあるというのは、他の会社の株主通信と明らかに違って見えるということです。そこで、打ち出したのが、字が多いということです。文章の中身は別にして、稠密に文字が並んでいる様子は、それだけで一種の迫力、何かを伝えたいという熱気をも感じさせるものがあります。これまでが株主通信の入口です。このような狭い入口にしたのは、たしかに読む人を限定することに他なりません。しかし、最初から手に取られることもなく放置される可能性が高いなら、そういう人を対象から除外し、多少でも見る意志のある人を対象に絞ることも理があると思います。

さて、狭い入口を入って来てくれた株主としては、当然のこととして何らかの期待を持っているはずで、その期待に応えること、あるいは期待以上の満足感を与えることに全力を尽くさねばなりません。それが、この株主通信で最も力をいれているところです。

日本の多くの会社の株主通信は、写真やカットを多用して、株主に企業に対する親しみを持ってもらうことを第一に考えられているようです。それ自体は悪いことではないと思います。しかし、実際に手に取って見てみるとPR誌(お役所が行政に親しんで理解してもらおうという?意図で出している)と似たものになっています。株主通信を送る株主というのは、会社に投資をしてくれている人です。身銭を切って投資している人が投資先である会社に対して最も知りたいことは、その会社がどのような事業や経営をしていて、これから具体的にどのように経営していくのか、ということではないかと思います。このような認識から、株主通信では会社のビジネスモデルなどの経営の仕組みや業績の説明(今期はこのような施策を打った、努力した)、そして将来に向けての経営計画を具体的に、そして課題なども含めて、できる限り丁寧に説明していくことを最優先と考えたのでした。

余談ですが、中には今書いたようなことを端折って、トピックスを中心にしている会社もあるようです。往々にして、そういうケースは写真やカットが多くレイアウトも洗練されていて、親しみやすい感じがします。しかし、個人的には、肝心なことが誤魔化されているよう感じられてしまうのです。往々にして、そういうケース代理店とかエージェントのような外注によって制作されていると聞きます。そのような場合、客観的な姿勢は保たれるでしょうが、だからといって客観性を担保する必要があるのでしょうか。つまりは、会社に投資した人が綺麗で洗練されたデザインを美しいといって、それだけで満足するようなことがあるか、です。ほとんどの場合、上辺は綺麗にまとまっているようだけど、それを読んで投資しよう思うほど惹かれるものがあるかというと、感じられない。例えば、そういうので作られた株主通信によく見られるような、本業の事業をさし措いて、社会貢献だの環境に配慮だの(それが本業の場合には、難も異存もありません)といった説明にページを割くのは誤魔化しのように見えます。投資をしている人を対象にしているのですか、本業やその実績、将来に大きな魅力があるのなら、それだけをタップリと伝えれば、それで十分なはずで、その本業を伝えようとしないということは、事業に魅力がないとか、自信を持っていないとか、変なことを考えてしまうのではないか。

これで何を載せるかははっきりしました。しかし、どのように載せるかは、さらに大きな問題です。決算短信や有価証券報告書のようなものは投資の専門家を対象としているようなものですが、株主通信は、もっと分かりやすさを求められるとも考えられます。そこで、より丁寧な説明を心がけました。企業の説明について、分かりやすい説明とは、どのようなものか。しかし、分かりやすいからといって内容を薄めてしまえば、何の意味もない。その点が、大きな悩みです。それは、具体的に各ページに即して、明らかにしていきます。


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