辰野登恵子/柴田敏雄展
─与えられた形象─
 

 

2012年8月22日(水) 国立新美術館

夏休みが終わって、会社で仕事をするようになると、冷房の効いた室内に長時間いる生活に戻り、休み中快適だった体の調子が再び変調の兆しを見せ始めたとき。外出の用事ができたの機に、早めに会社を出た。幸い用事は順調に終わり、都心に出たついでに、と国立新美術館に寄ることにした。教科書に載っているような作品が展示される名画展とか、著名な芸術家の回顧展といった展覧会は、沢山の人出があるが、こういう、現役の、しかも、現代芸術とかいわれるものは、閑散とている。平日の5時過ぎという時刻ゆえかもしれないが、天井の高い、倉庫みたいな展示室で展示室内に1人とか2人というような贅沢な空間にいることができた。

この二人の作家については、私はほとんど知らないので、いつのようにパンフレットから引用します。「情感に満ちた色彩豊かな画面により、現代日本を代表する抽象画家として、30年以上にわたり第一線で活躍してきた、辰野登恵子(1950年生)。山野に見出される土木事業を重厚なモノクローム写真に定着した「日本典型」連作などにより、国際的な高い評価を受けている写真家、柴田敏雄(1949年生)。一見すると、表現メディアも作風も異なっている二人ですが、東京藝術大学油画科の同級生として、在学中はグループ展などの活動をともにしていたという、意外な接点を持っています。─(中略)─二人の芸術には見過ごしにすることのできない共通点があるように思われます。それは、外部世界の中に見出された偶然的な形象から出発しながら、高度な抽象性をもった、造形的に自立した作品を生み出していることです。展覧会では、1970年代の学生時代から現在に至る、二人の作品の中から作品やシリーズを精選し、基本的にはそれぞれの作家の特質を明らかにしながら、時折は両者の作品を併置し、ポップ・アートとミニマル・アートの影響を受けて自己を形成した最初の世代が、質の高い独自の芸術を作り上げていった様を紹介いたします」辰野が第一線で活躍しているとか、柴田が国際的な高い評価を受けているとか、そう言うことは全く知らず、たまたま、この日、この時間で仕事の場所から、比較的行きやすいところという検索で引っ掛かったというのが、この展覧会にきた理由です。

二人展ですが、柴田敏雄の写真については、あまり興味が湧かず素通りに近い、眺めて終わってしまったので、感想はありません。ネットで、この展覧会を検索してみると、柴田の写真作品に対する好意的な感想が多いようで、私の行った日も展示を見る人は柴田の作品の方が何となく多かったような気がしますが。私の個人的印象ですが、柴田は絵画の感覚で写真を撮っているのではないか、本質的に写真して見るべきものではない、と思えたのです。絵画ですべきことを写真で行うだけなら単に奇を衒っているだけで、数点観て、その時だけ驚けば、それでいいだけで、そういうものとしてみました。ちなみに、本質的に写真として撮っていないというのは、光と影で時間を感じることができなかったからです。つまり、同じ対象を見るといっても、写真の場合は一瞬をカメラで写し取るので、とくに屋外の風景を取るときは外光の対象に当たる角度や方向、光の強さ、どの部分に光がよくあるかは時々刻々変化するので、シャッターを押した時刻によって、全く違う写真になる可能性があります。風景写真を生業とするプロの写真家は、画家と違って写した写真に自分で手を加えることができないので、その瞬間を辛抱強く待ち、それを捉える最適の絞りや焦点に集中する、そこにその写真家でないと撮れない作品が生まれてくると私は思っています。柴田の作品の趣旨からすると、風景にある形象を浮かび上がらせたいということなら、これに最適な光やその影の最適の瞬間を写し取ったかというと、何時撮ったか分らないような写真ばかりでした。画家は、自分で描くので風景のような対象を見る時に、瞬間に固執する必要はありません。むしろ、個別的な要素に捉われることなく、抽象化してその風景のそうならしめている本質のようなものを剔抉しようとするのではないか、と思います。柴田は、その本質を形象によって見極めようとして、個別の写真的な瞬間を切り捨てたように思えました。ただし、後で触れることになると思いますが、この展覧会で二人の作家を並べて展示することで、もう一人の辰野との共通性というのが、展覧会パンフレットにある形象ということではなくて、作品とか制作の反復ということが、互いに写真として、あるいは絵画として中途半端さに共通点を見出す契機にはなったと思いました。

パンフレットに写った辰野の作品は、その文言にあるように「情感に満ちた色彩豊かな画面」に見えました。しかし、実際に見た作品の第一印象は、汚いというものでした。汚いと感じたのは色彩です。また、仕上げが粗雑ということも思いました。私は玄人ではないので、現代アートとかいうものの理論とか方法論は知らないので、技法とか、そういう画家なりの基準があって、それをクリアしているものでしょう。パンフレットにあった「情感に満ちた色彩豊かな画面」という文言には、どこが?という反語的な疑問符を感じました。実際に見る画面上に塗られた絵の具の色は重く、鈍く、塗り残しが各処にみられ、それが問う効果を生み出しているのか、その価値が全く分かりませんでした。しかし、同じ作品を、例えば、パンフレットに印刷されたコピーで見ると、たしかに「色彩豊かな画面」に写っているのです。印刷で誤魔化しているのか、と少し疑いましたが、少しでも印刷に近い見方ができるようにと、会場で可能な限り作品から離れて、眼鏡を外して眺めてみると、印刷されたものと近い印象になりました。これは、ほとんどの辰野の作品に当てはまりました。しかも、同じ展示室で眺めるよりも隣の展示室でその部屋で展示されている作品を見ながら、横目で遠く斜めに眺めるとさらにいいのです。それで、辰野の作品のサイズが大きい理由が分かった気がします。つまりは近くで見ると全体が見渡せなくなるから、自然と距離を置いて作品を見ることになる。そして、作品は離れれば離れるほどよくなる。つまり、観る者に作品から離れさせるために大きな作品にした。大きなサイズで遠くから眺めると細かな写生のような作品は何が書かれているか見る者は分らない。それならば、大雑把な形象を象徴的な大きく、画面の中心にデンと置いてやれば、遠くからもそれと分かる。そういう構成になっている。私のかなり偏った、主観的な解釈です。しかし、コピーした方がよく見えるというのは、かつて芸術様品のオーラといった、現物にその場で対峙することを主張した思想家もいましたが、コピーの方がいいということは、そこで言われていたオーラというものがどこへ行ってしまったのか、ということになります。そういう、芸術作品の一回性ということは辰野の作品からは感じられませんでした。いままで、名画と言われる作品では、画集等で見るよりは現物の方が良いというのが、辰野の作品では逆なので、そういう有名作品とは、違う。同じような外形をしているが、本質的な所で絵画というものとはズレているのではないか。と思いました。そに印象を補完したのが同時に展示されていた柴田の写真です。

展示は会場レイアウトの都合か、それに意味があるのかは分かりませんが、年代順に並べてありませんでした。カタログもそうなっているので、何かの意図があるのでしょう。ちなみに、順番はつぎのようでした。

T.辰野/1980年代

一.柴田/日本典型

U.辰野/円と丸から

二.柴田/シカゴ現代美術館の25店

三.柴田/堰堤

四.柴田/アーカイブス

両者の初期作品

V.辰野/1970年代

五.柴田/ナイト・フォト

六、柴田/三角形

Y.辰野/版画

W.辰野/1990年代

X.辰野/2000年代

七.柴田/カラー

両者の新作

こんな、順番です。できれば、展示の順番に従って観て行きたいと思います。ただし、先に書いた通り、柴田の作品は除外し、辰野の作品を見ていくようにします。

 

T.辰野/1980年代        

この<Color>の展示は、何かとって付けたような感じは否めません。

会場で真っ先に目に入った作品群です。予備知識も何もなく見たので、大きい、汚いというのが、第一印象です。小文字のfかSのような形と花のようなのがゴチャゴチャ五月蠅いほどに書かれていて、下に塗られている色が汚いとしてか感じられず、塗り方が乱雑に感じられて、尚更投げやりなる。こう書いていくと、作品を罵倒しているとか思えませんね。正直、この先どうなるのかと、多少うんざりしたのも事実です。

多分、辰野の作品もジャンル分けをすると、そこに入るのでしょうし、パンフレットにも現代日本を代表する抽象画家と紹介されているので、抽象画ということになるのでしょう。私は学者や評論家ではないので難しい理論的なことは分かりませんが、抽象画と一括されますが、様々な潮流があり、あまり単純化した議論は誤解を招くことになるかもしれませんが、独断と偏見で語らせてもらうと、カンディンスキーにしろモンドリアンにしろ、丁度同時代に、文学でいうとマラルメたちの言葉だけの閉じた世界で詩を組み立てる試みや小説からストーリーを削除してしまうようなジッドの純粋小説とか、音楽の世界でも絶対音楽というように、本質的なものを残して余計なものを削ぎ落とした純粋芸術とでいうような風潮があって、絵画でも長い歴史の中で伝統に縛られ、作家たちが縛られて動きをとれないなかで、本質的と思われるものを残して、それ以外の要素を次々と捨て去って残ったものが、彼らの抽象的な作品だったというような捉えかたをしています。丁度、近代的な思想の開始を告げるデカルトが方法的懐疑という手法で、疑わしいことを全て否定して、最後に、こう考えている自分の存在だけは否定できないという究極に辿り着いたように。それだけに、彼らの作品に共通しているのはシンプルで、その残された要素に着目すると、これこそが絵画だということが実感させられる、というものだったと思います。言葉の意味で抽象化という作業は、個々の事象から本質的なところを取り出して、普遍的に通用する概念を作り出すことです。そこに共通しているのは、余計なものを削ぎ落として本質的なところだけを残すということです。そこで残された作品は本質の塊というもので、概念を抽象化した数式のようなもので、意味とか感情とかそういう付随的なものは削ぎ落として、真とか美としか言いようのないものです。

そういう見方で、辰野の抽象をみると余計なものを削ぎ落として、本質だけが残されているという感じはしません。むしろ、最初にいったように、ゴチャゴチャして五月蠅い。方向性としては、削ってきたというのは逆に、追加追加で画面を作ってきた、そう見えました。見方を変えれば、それまでにはなかった遊びの要素が加わったとも言えるかもしれません。しかし、私には、それ以前に残すべき本質というものがないではないか。だから、モンドリアンたちのような作家の画面作りは、言うならば引き算で余計な要素を取り除いていくものであったのに対して、辰野の場合は、足し算で、何もないところに要素を加えていくというもののように見えます。例えば、WORK84-P-1(左図)という作品では、花模様のような形象とSの字のような形象が、画面上に何か所も配置されていますが、これがなくてはならないという感じはしません。仮にこれらの形象が無くなっても画面はそれなりに、なれなりのようにも見えるし、別の形象に代わってもそうですか、という感じです。こうでなくてはならない必然性のようなものは、画面を見る限りは感じられません。そうではなくて、たまたま、こうなったというような即興的な結果として提示されているような感じです。色々な可能性が考えられる中で、たまたま、こうしてみましたという感じです。となると、即興的にできるだけ早く画面を作ってしまおうということで、まるで殴り書きのように形象が急いで書かれているように見えるのも納得できます。辰野は、画面を完結したものと見ずに、仮初の一時的な状態とみれば、仕上げるのは、その先になります。

画家自身は花模様のモチーフと言っていますが、これは鋳鉄製の階段の羽目板のくりぬき模様から来ているとのことで、このころの画家の関心は連続性、その連続性の遮断や断絶だったそうです。このころの画家は、抽象表現主義を継承する新たな絵画を描きたいと考え、その後の展開、その後の絵画空間を模索していたそうです。絵画空間を仕切ることで、内側と外側の関係性が生まれ、差異が生じる。境界線ばかりでなく、色、マ、ティエール、何によっても、そこにはイリュージョンが生まれる。内側と外側の空間の温度差、密度の違い、(具体的には暖色と寒色といった色使いや濃淡か)のようなものは画家にとって重要な課題だったといいます。パターンを取り入れることでこのような空間の変質を願っていたともいう。つまり、画家にとってのパターンは、複雑な絵画空間やイリュージョンを生み出し、操作するためのきっかけのようなものだったそうです。

そのように作者が言っている割には、ここで描かれている形象に魅力がないのはどうしてでしょう。例えば、音楽ではあるフレーズ反復されて曲が構成されていますが、いい曲というのは、反復されるフレーズが再現されるたびにわくわくするものです。そして、反復の仕方も手慣れた音楽家はそこに様々な仕掛けをしていて聴き手を飽きさせないものです。しかし、この画面を見ていると、作者が言っているほど工夫も見えない。せめて反復するほどその形象に愛着があるようならば、もう少し丁寧に描いてもよさそうなものなのに、と素人は思ってしまうのです。反復を画面の中心として位置付けるならば、反復する形象を、これを反復すると強調してもいいのではと思います。

 

U.辰野/円と丸から

最初のT.1980年代の展示が、受付を入ってすぐに目の前に広がり、大きい、キレイでない、という印象のまま、あまり好感を持てずにいるうちに、次の区画に入り柴田の写真の展示を見て、少し落ち着くことができました。柴田の写真の展示に関しては、最初のところでまとめて書いたので、ここでは書きませんが、作品として出来上がったものをこうした展示で見るよりも、作者がこんなことをしているというような、この一連の作品について意図を語ったり、文章で書いたのを読んだりする方が、ずっとエキサイティングのような気がしました。アィディアは面白いと思いますが、それに作品が追い付いていないと思いました。これなら、風景写真を画像ソフトを使って手を加えて、あたかも現実にあるかのような人工的で、抽象的な風景を写真の形で提示してくれた方が徹底しているように思えます。もとより素人の浅はかな思いつきですが、写真を見ていて、中途半端に印象が先に立ちました。

それに比べると、まだマシ(というとお二人には失礼ですが)ということで、辰野登恵子の作品を柴田の展示区画から入り口を通して遠く視界に入ってくると、はじめて、その作品が汚くないことに気づきました。

これらの作品は時期的には、Tの1980年代の作品の後に当たります。まず、ゴチャゴチャしたものがなくなりましたが、かといって、だからすっきりしたというのでないです。

画家自身は、円とか丸をテーマとして意識していたわけではないようで、曲線で囲まれたものとかかたちを、抽象性の高い円とか球というものではなくて、もっと丸いものという感じで描きたかったようです。カタログには、円とか丸というモティーフは、まったくフラットなものから、陰影とヴォリュームを施されたものまで、同じ外形を保ちながら様々な度合いのイリュージョンを付与することが可能だったと書かれています。

例えば「UNTITLED94−8」(左上図)という作品では紫とピンクの細長い球のようなものが交互に並べられ、それぞれの紫やピンクが球体ごとに濃淡の変化や陰影の加え方の変化により立体感や重量感が加わるがそれぞれに変化が付けられ、それらが積み重ねられ、壁とも山とも見えてくる。そして、それらの球体の隙間の色が変化し、右下の部分のオレンジ色の部分は見方によれば光が差し込んでくるようにも見える。と説明していけば、そうなのです。しかし、だからどうなの?という問いが浮かんでくるのです。丸いというモティーフを使っていることは、本人やカタログの説明から理解できるのですが、そこから分かるのは、たんに便利に使っているということでしかありません。この作品の場合でも、さまざまな技法を用いて絵の具を画面に置いているのでしょうし、見た目でいろいろな塗られ方、絵の具の定着のされ方をしているということは分かるのですが、それが画面上のヴァリエイションとなって目を楽しませるとか、そういうことはなくて、画面の汚さを助長しているようにしか見えないのです。

しかし、先ほど言ったように他の区画から遠く眺めるとか、とにかく距離をできるだけとって、作品に対して正対しないで漫然と眺めると、汚い色の塗り方は一種の揺らぎのように映り、輪郭の曖昧さ不揃いさは不定形な動きを内包しているように映るのです。多分、この文章をネットで読み、作品をコピーされた画像で見ている人は私が上に書いたような汚さはあまり感じないと思います。それが、とうしてなのか、どういうことなのか、会場で辰野の作品に対して、出来る限りの距離を開いて眺めて眺めることで、これから追求していきたいと思います。 


V.辰野/1970年代

展示は、この後、柴田の写真がしばらく続き、二人の初期作品として学生時代とその後の作品が展示されていました。それらを見て感じるのは、若さゆえか、もともとそういう性格なのか、ある種の軽薄さというのか、当時の流行に敏感で、それなりに距離を置こうというセンスらしさは感じられるのですが、誰かが言っていましたが、日本の西洋絵画というのは当時のヨーロッパの流行を最初に持ってきた人が、その芸術運動の紹介者ということで一つの権威となるという構図、そのシステムを作っているのが東京藝術大学と画壇と政府ということで、言ってみれば、カタログに二人の対談にもありましたが、学生時代、ひたすら新しいことを追いかけていたようで、穿った見方かもしれませんが、そういうシステムが体現化されていたと言えなくもない、されは、初期作品も地に足がついていない、だからといって実験する、試している楽しさが伝わってこない。習作に目くじらを立てるのはどうかと思いますが。そのあと、1970年代の辰野の作品の展示になりました。

ある程度の大きさのドローイング(この人は大きいということ好きなのですね)クリーム色のファブリアーノ紙の上に事務用の赤鉛筆で引いたグリッドの上を、さらにグワッシュや水彩の面相筆による描線によって丁寧になぞっている。色鉛筆によるグリッドは、紙面全体を均質に、規則的におおって丹念に引かれている。フリーハンドで引かれた、白や水水色のグワッシュや水彩の線は、赤鉛筆の線を消し去っているように見えるし、赤やオレンジのグワッシュや水彩の線は、逆に赤鉛筆の線を強調しているように見える。絵の具の線は、溜まりをつくって盛り上がったり、逆にかすれたりしており、画家の呼吸や腕の動きを伝えながら、画面上に起伏を、表情を作り出している。とカタログで解説されている「WORK78−17−7」(右図)という作品。

辰野はこう言っています。「普通の罫線やマス目のノートを開いたとき、右側と左側のページは、連続していながら、同時に断絶があります。ページが重なると、重なったがゆえに線がずれたり、とじ目があるので線が消えたりすることもあります。もともとそういうノートとか原稿用紙は子供の時から好きで、ただただ見入ってしまったり、それに色を塗ったりとか、逆にはみ出すように塗ってみたりとか、していました。1970年代は、概念的でコンセプチュアルなものしか認められていない時代で、何をするにも理由が必要でした。それで、自分がもともと気になっていたものにとことんこだわってみようと思ったのです」

ミニマリズムの影響だそうですが、赤い方眼紙に細工を加えたようなと言ってもいいもの。辰野本人やよく分かっている人の解説を読むと、そういうものか、ということは分かります。画家本人も言っているようにコンセプチュアルということで、概念として言葉で説明できるものになっています。しかし、そこで執拗に引かれたであろう画面の赤い線に魅力が感じられないのです。あるいは線の赤に魅力を感じられない。線が生きていないとしか言えない。鉛筆できちっと引かれているはずの線ですが、そういう精密さというものが見る者に迫ってこない。だから、グワッシュや筆で引かれた線の揺らぎとの対照が際立ってこない。解説にあるような画家の呼吸や腕の動きを伝えるに中途半端になっていて、観ている私には伝わってこない。むしろ、下手な線に見えてしまう。総じて、初期と言えるでしょう、1970年代の作品は、私には面白くなかった。抽象画に技術とか技能というのはおかしいのかもしれませんが、そういうものが付いて行っていないような印象が強かったです。社会的には、批評家や画廊に高い評価を受けたのでしょうから、私の見方はたぶん偏っているのでしょう。

 

 

W.辰野/1990年代        

柴田の写真展示を挟んで辰野の1990年代の作品に入ります。ここまで、ゆっくり見て30分くらいかかり、ちょうど柴田の写真展示の区画に椅子があって腰を下ろしました。すると、入り口越しに辰野の例によって大きな作品が垣間見えます。そこからの眺めがよく、実際、ここの区画に展示されていた大作数点から、私としては面白くなってきました。

展覧会場の区画の広さは十分あるので区画いっぱいに離れると作品と距離を取ることができます。そうやって離れて眺める作品は、それなりに楽しめるものでした。その最大の理由は、色塗りや色遣い、あるいは線の引き方といった技能的なことが、下手は下手なりにこなれてきた、つまりはヘタウマのような感じで見れるようになってきたことではないかと思います。つまりは、決してきれいと見えない色遣いは描かれた形象に陰影のような彩を与えることにより、その形象に立体感とか重量感(鈍重さ)のようなものを感じさせる効果がでてくるようになった。そこでは抽象的に形態が重量感なく画面に浮いているような感じから重さとか画面の奥行といった要素が加わるようになったことです。形とか色といった平面的な要素を抽出して構成する抽象画に、あえて奥行や重量を感じさせられ、しかも形、というよりも物体が浮かんでいるようなものとなりも何か抽象画とてしてのチグハグ感というのか。さらにムラのあめ色の塗り方が遠く距離を置くと陰影とあいまって細かな動きを画面生んでいるような、つまりは全体の重いシンプルな画面の細部がそれとは異なる動きを処々で生み出しているような印象を受けるようになっています。粗い筆のタッチが、それを助長して、今までになかった画面の生き生きとした感じがでてくるようなのです。しかも、これは近くで作品に相対するよりも、コピーした画像で見るほうが、尚更いいです。

一応それらしいことを言うと、高度資本主義の経済社会で大衆消費社会が一部で実現し、大量生産によるコピー製品が大量に出回ると、一部の限定されたエリートを対象として、ライブで作品を通して鑑賞するということは、効率が悪いものとなってきます。作家だって儲けが薄いし、知名度は上がらない。だから印刷のような大量の頒布システムができ、それによってポスターや画集、複製が大きな意味を持ってきてもおかしくない。ポップアートやミニマリズムの反復というキーワードも、このような事態と切り離せないだろうし、シルクスクリーンに複写する技法等はコピーそのものを技法として取り入れているわけでしょう。とくに、コンピューターとそのネットワークの発展により絵画も画像情報として現物不在の情報が肥大化ということが、そういう事態を増幅させているわけです。そういう事態で作品の作り手の側として、そういう事態に副った制作をしてもいいのでは、と思います。例えば、現物に対してコピー等の二次的なものは、一時的な現物に合ったライブな生々しさが消失する、ベンヤミンはオーラがなくなると先駆的に言いましたが、とよく言われます。しかし、それはこういう事態に批判的な立場のコメントです。逆にコピーした方が価値が高まるようなことがあってもいいのではないか。低俗な議論かもしれませんが、いわゆる泰西名画の場合、得てして本物よりも複製の方が見た目が見栄えがするものです。もう、どちらがいいかは、観る人の価値観の問題にすぎません。その中で、辰野の作品は現物よりも複製の方が価値が高い、と私は思います。画家はそんなことは考えてないだろうし、そういう制作はしていないと思います。しかし、私には、そういうところが、辰野という画家の作品の一番「売り」ではないかと思います。

具体的には、こういうことです。「UNTITLED97−5」(左中図)について、解説はこう説明しています。この作品に描かれているのは分断された環のモチーフのヴァリエーションである。同じものが連なるところにずれが生じる状況は、1970年代の罫紙を写真製版した版画においても辰野が関心を持っていたものであり、作家の基本的レパートリーのひとつであるということができる。対になった黄色い形は、全体としては大きな木の幹にうろが空いているようにも見えるし、切り欠きのある細長い柱のようなものが2本、寄り添っているようにも見える。ふたつに分かれた黄色い塊は、輪郭線の内側に、おおむね陰影が施されているが、それは決して均質ではない。開口部の内側のように、比較的暗く急激な陰影のところもあれば、なだらかで面積の大きな陰影の所もあり、また、ほとんど陰影のないところもある。背景は、印象派ふうの柔らかな筆致で埋められているが、この部分は必ずしも後退していくようには描かれていない。黄色い領域の輪郭を侵して、筆触は相互に浸透し合っている。この印象は、黄色い領域の輪郭線が曖昧なことにもよっている。輪郭線が、黄色い形象と背景との境界としてはっきり黒い線で引かれているところもあれば、陰影と一体化しているところもあり、ほとんど認められないところもある。絵の上部では、背景はやや緑味を帯び、黄色い形態にかぶさるように前面に出てきているし、左側では、黄色い形態が比較的突出ししているように見える。

これは、私の考えを際立たせるために、まず美術展のカタログに書かれていた、いうならば芸術的な観方です。でも、コピーで見る場合は、何が描かれているかのような意味とか内容というのは、観るのに時間がかかるため、はっきりいってそんなのんびりとは見る時間がありません。パッと見てどうだという世界です。そういう視点で見ると抽象と具象という美術界の区分はどうでもいいことなのです。だって、何が描かれているかは、大して重要なことではないからです。では何が重要なのかと言えば、効果です。観る者に、どういう効果を、いかに生じさせるかということです。この作品で言えば、形象の黄色と背景の青または白とのコントラストです。そして、色の塗りが一様でなく波打つように筆致が浮いていて、色がそれぞれムラができていることが細かな変化とダイナミクスを与えています。これを現物で見ると筆致の不揃いさや塗りの下手さが目立って見苦しいのですがコピーはそういう生々しさが消えてしまって、却って洗練されたように映ります。言うならば、画家の肉体性が邪魔だったのが、コピーされることによって捨て去られ、つまりは抽象化されたというわけです。ちょうど、画面の構成も単純化されて、そういう効果を味わうには程良いテイストになっているのです。

少し脱線しますが、辰野という画家の経歴を考えれば、これらの作品をデータ化し、それを例えば、フォトショップやイラストレーターのようなソフトを使って手を加え、作品に微妙な差異を作り出して、作品番号に枝番をつけてシリアルで頒布したっていいのではないかと思います。ポップアートがシルクスクリーンで似たような画像を貼り付けて反復を作品化したように、データをそれを行って、画像データの広がり自体を作品とすることはできるのではないか。これまでの画家の経歴の流れからみれば、それ程突飛なことなとは思えません。ただし、これが商売として成立するかは問題かもしれませんが。でも、そういう可能性を考えさせるほど、ここに展示されている作品は面白かったと思います。それが画家の意図している方向とは違うでしょうけれど。

 

X.辰野/2000年代        

この前、版画作品の展示がありましたが、それは省略します。

1990年代のいたって空疎な作品群から、2000年代の作品に移ってくると何か鈍重になってしまったのと、へたうまの効果がより洗練されたのとで、折角の1990年代の統一感が減退したような印象を受けました。前回の私の受けた印象とは逆のことを画家は志向していただろうということが何となく分かります。それは、おそらく1960年当時の画家というイメージが原初的にあって、この人はその中で制作し、考えているということでしょうか。その割には、作品にたいして拙劣という印象をずっと拭えないでいて、素朴ではなく、その点が、すごく違和感が離れないでいます。

カタログでは、こう説明しています。辰野登恵子は、2000年代に入る頃からは、以前よりも具体性の強いモティーフをしばしば用いるようになった。たとえば箱のようなかたちがそのひとつである。「Red Line・Blue Line」(左図)を見てみよう。大きな画面は、ほとんどが黄色で埋め尽くされている。モティーフとなっているのは、前後が開口となっているように見える箱のような形象で、その堆積がふたつ見える。堆積は前後、左右にずれていて、右前方と左後方に分かれて立っている。右前方の堆積には箱が4個、左後方の堆積には5個が、それぞれ部分的にせよ見えている。このようなモティーフの設定条件は他の作品にも繰り返されている。ずれは初期から親しいものであった。したがって、ずれは偶発的なものではなく、作品にとって本質的な偶発性と言ってもいい。「Red Line・Blue Line」でも、箱のようなものの堆積が左に5段、右に4段見えているのは、ある情景を切り取ったアングルの中に、たまたまそのように見えたのではなく、最初から数がそのように設定されているのである。とはいえ、それは作品のテーマ、描かれる絵の内容というわけではない。それらはスポーツにおけるルールのような、あらかじめ定めた制約の中で、最高の表現をしようとするもののようだ。「Red Line・Blue Line」では、箱のような形象が重なった状況のイリュージョンを作り出すことが、ひとつの大きな課題である。水平のエレメントと垂直のエレメントがあり、それぞれの位置関係がある。さらにこの作品では、ほとんどすべてが黄色い水平のエレメントも垂直のエレメントも背景も、画面上ではほとんどが黄色い四角形に変換される。画面全体では、それが40以上も存在しているのである。どのパートの色彩がどのような彩度であり明度であるべきか、どのような筆触で、絵の具の固さで塗られるべきか。画家は、画面の中で、それぞれのパートをどのように作り上げ、どのように相互に関係づけるかを、すべて決定し実践していかなければならない。それは何もないところから絵筆と絵の具だけで、一つの伽藍にも匹敵するような構築物を作り上げる行為に他ならない。セザンヌの場合、モティーフを前にしながら、眼前モティーフは単なる口実であり、絵を描くことは抽象的に絵を組み立てることに他ならなかった。絵画とは、再現ではなく構築されるべきものであり、そのために画面上に正しい筆触をおいていくことが求められるし、必要なことはただそれだけなのだ。

引用が長くなりましたが、そう言うことだそうです。つまりは、反復と切断を画面上で追求していくためには、反復させるものがないとできないわけで、それを持ち込むために形式、あるいは制約が必要で、そのために箱というような形象を持ち込んだということでしょうか。しかし、そのために、この形象は何かとか箱かということに注意が行ってしまうリストを画家はどう見ていたのでしょうか。空間とか環境全般を描きたいとか、自分の作品は抽象でも具象でもないというようにことを述べているようです。多分、全体の関係が重要視しているのでしょう。しかし、私にはこの作品の魅力は、むしろ細部にあって、黄色の筆致というのか不定型な筆の動きが、コピーされると画面に波が生じるように不定形に動きを与えているところです。画面に動きが感じられるというのでしょうか。それがコピーされた黄色が鮮やかな所だけが残って印象を強くします。そういう効果の点です。そういう効果の点がより前面に出ているのが、「Emerrald1/2」という作品(右図)で、背景を点描のように描いているところが、これまた下手くそで点描というほど揃っていない筆使いが、かえって不規則で、一定しない色がそれを助長し、落ち着いた感じがしないのが、印刷物や画像データでみるとうまく洗練されて、動きを与えられていて飽きさせないのです。これを計算してやっているようだったら超絶テクニシャンです。また、構成とか、そういうことならばカタログの解説が取り上げた作品よりも「室内」(左図)という作品の方がスリリングで面白いです。もっとも、「Red Line・Blue Line」は展覧会のチラシやポスターで使われているものなので、今回の目玉なのでしょうから。

展示空間は広く、ゆったりしていて、鑑賞する人影もまばらで、現代ものの展覧会はこんなものなのでしょうけれど、静かな時間を過ごせました。展覧会カタログは豪華な感じですが。大きすぎます。帰りの荷物になることを考えてほしいと思いました。

このあと、最近の作品の展示がありました。まっいっか、という感じです。

 
絵画メモトップへ戻る