小川千甕 展
─縦横無尽に生きる─
 

   


 2015年4月19日(日) 泉屋博古館分

長期出張の帰り、少し早く東京に着いた。おみやげもあるし、沢山の荷物を抱えて、疲れが大分残っているが、都心に出たついでの帰宅するにはちょっとした時間があいたので、手近な美術館をネットで物色して寄ってみることにした。年寄りの冷や水と言うなかれ、とはいえ、この齢では、案の定きつかった。後で、疲れがたまって、数日間、身体のだるさが抜けなかった。

ちょうど美術館に着いたところで、プレミアム・トークというイベントが始まるところで、ゲストの画家が学芸員と美術館の展示室を歩きながら、展示作品の前で解説がてらフリー・トークをするというイベントで、多数の人だかりができていた。とはいっても、この美術館は上野あたりの美術館に比べると小規模で入場できる人数も少ないので、人でいっぱいということにはならない。以前に来た別の展覧会のときは人かけのまばらな静かで落ち着いた空間だった。今日は、その前回にくらべて、そのせいもあってか人の多く、にぎやかさだった。しかし、その画家という人の話は展示作品について、その魅力を語るというのが趣旨なのだろうけれど、自分の方法論とか芸術観、あるいは、美術展の画家である小川千甕の近くにいた安井曽太郎や梅原龍三郎のことばかり語っていた。あつまった人々は、この画家という人のファンとか関係者のような人々が多かったようだった。つまり、私のような人間が時間を工面して、展覧会に来る人間にとっては邪魔でしかなかった。美術館が狭くて、画家のトークがうるさいからといって、避けることもできなかった。そのせいか、落ち着いて作品を見ることができず、作品の印象に影響がなかったとは言えない。だいたいにおいて、美術展でついでのように開催されるイベントは概してつまらない、主催者の自己満足でおわってしまうことが多いということがよく分かった。

さて、小川千甕という人は、私は知らない人であったので、展覧会パンフレットの説明を引用します。“小川千甕(1882〜1971年)は、明治末期から昭和期までの長きにわたって、仏画師・洋画家・漫画家・日本画家として活躍しました。京都に生まれた千甕は、少年時代は仏画を描いていました。1902年(明治35年)からは浅井忠に洋画を学ぶ一方で、新感覚の日本画も発表し始めます。明治末、28歳で東京へ越してのちは、『ホトトギス』『太陽』などに挿絵、漫画を発表して人気を博しました。さらに1913年(大正2年)には渡欧し、印象派の巨匠ルノアールにも合っています。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活動しました。旅を愛した千甕は、各地を訪れ、その自然や風俗に共感を寄せて、自ら「俗画」と称したダイナミックな筆遣いの南画(文人画)風で愛されました。洋画と日本画、漫画と南画、美術と文芸などを自由に行き来し、その枠にとらわれない縦横無尽な仕事ぶりは、現代の我々に爽やかな印象を与えます。”この説明を読んでも、どのような絵を描いていたのか分かりません。とりあえずは、色々なことをやったということは分かりますが、では何をどのように描こうとしたのかは、分かりません。埋もれていた画家を今回の展覧会で発掘して見せたということらしいので、ここでの説明は、評価が定まっていないので、どのように書いていいのか、という手探りで書いている印象です。そして、展示作品を見ていて、全体として掴みどころのないというのが感想です。良く言えば融通無碍、悪く言えば一貫性がなくフラフラして落ち着かない。ティーンエイジャーのころの精緻な仏画『孔雀明王図』(右図))を見ると、描くことの技量は高い人であるようなので、器用に描けてしまうので、どんな方向でも、それなりに描けてしまうのでしょう。本人も、「これ!」という確固とした方向性とか志向がなかったのか、探しても見つからなかったのか、それとも、器用なので他人から求められれば、それなりのものが描けてしまうので、様々な注文があって、それに応えているうちにそうなってしまったのか、蓋を開けてみればそうなったのか。そして、晩年の作品を見てみると、最後は開き直りというのか、「堅いこと言うな」とでも言っているかのような、良く言えば自由闊達、悪く言えば遊び半分のようなものを描いたという感想です。この画家がどうこう、というより、雑誌等のカットやどこかのインテリアに飾られているのを何気なく目にする、という程度のスタンスのタイプ、美術館で鑑賞するとかいう画廊というより骨董店にあるような、そんなタイプのように見えました。

若い頃の仏画をみれば一目瞭然ですが、デッサンの巧さなど技量の高い人なので、『浅草寺の図』(左図)のような風俗を描いた掛け軸でも、ひとりひとりの人物の造形はしっかりしていて、日本画の巨匠といわれる人の群像画の頼りなさに比べて、はるかに安心して見ていることができます。画面左中ほどでかがんで子供を追いかけている女性の姿勢などは重心がしっかりしていて、洋画のデッサンの基礎の上で描かれていることが分かります。日本画を見ていて往々にして目にする無理な姿勢が、小川の作品ではまったく見られません。そして、少し上から見下ろすような視点で、その視点が一貫しているのは、そこに画家の主体が明確にあるので、構成が明確です。その上で画面の上部を鳥の飛ぶ空間として、人は描かず、ここでははっきりとは描いていませんが、水平線の存在が分かるようで、平面の画面に3次元の空間がきちんと把握されているのが反映されています。描線とか絵の具は日本画ですが、構成としては洋画の構成になっています。だから、全体として、ほのぼのとした雰囲気なのですが、全体の構成などをみると卒なくまとまった印象です。こういう題材をと扱った日本画では、多くの場合には、様々な人物たちを画面に登場させ、その人物たちを描き分けることが優先されて、画面上には、その人物たちをうまくレイアウトすることに注意が注がれます。それに比べて、この作品では、まず場面である空間がしっかりと把握されて、画面の中に空間がつくられて、その中の構成として人物が配置されている。だから、様々な人物が描かれているだけでなく、人物相互の空間の関係も分かるようになっています。それゆえに、空間への統一的な視点、つまり、画家の主体が分かるのです。ここでは、こころもち上方から見下ろす視点が取られています。ここで感じられるのは、近代日本画と教科書に出てくるような画家たちの作品には、ついぞ感じることができなかった、写生ということです。作品全体のトーンがほのぼのとしたマンガのような描き方ではあると思いますが。私には、興味深いものでした。というのも、洋画であれば背景の風景や建物が物体として描かれて、それによって空間の区画も同時に描かれることになり、空間の枠が実体のあるように見えてくるのですが、この小川の作品では、背景が一切描かれることなく、人物の配置やそれぞれの人物の描かれる角度(視点)、大きさ、あるいは空の部分を大きな余白にして(敢えて地平線を描かずに)、画面上部に飛ぶ鳥を配して空間の枠組みを見るものに想像させるようになっています。洋画の、とくに油絵の、マチエールということばもあるように物体の事物としての存在を画面に積み上げて、その存在をベースにそれらが隙間なく描かれることによって、物体の存在との関係が空間の外枠として意識されるのに対して、この小川の作品は何もない空間という洋画であれば虚無といかいいようのないのをベースにして、人物の配置関係がまずあって、それが空間を想像させるという、私からみればたいへんスリリングな試みを行なっているように見えるのです。

だけど、これを日本画オンリーの人が見たらどうでしょう、味わいというと漠然としますが、そういうものを感じにくかったのではないかと思います。巧いかもしれないが、それ以上ではなく、この作品を見ていると成る程とは思うが、その場かぎりで印象に残るということになったかもしれません。日本画としては、頭でっかちで知的な操作をゲームのように楽しむなどということは、おそらく、評価されなかったのではないか。

『釣人』(右図)という作品です。日本画では珍しく水平線をしっかりと描き込み、それによって空間をはっきりと描き分けて、画面構成を意識的に行なっている作品です。まず、画面の外形が横長の長方形で水平線が目立つ画面になっているのが特徴です。釣り人を描くような場合、掛け軸のような縦長の画面に、釣竿をもって立っている釣り人の姿が、岸辺の立木などを背景に描かれることが多いように思っていました。しかし、この作品は、茫洋とした海面の広がりのなかにポツンと海面に突き出た櫓に釣人が一人描かれているだけのシンプルな画面です。それだけに水平線の目立つのです。しかも、この水平線が画面の下三分の一ほどの位置にあります。これより下の位置に水平線があれば空の広がりが印象的になり、反対に、水平線が二分の一より上の位置にあれば水面が強調され、それぞれ空間の広がりが印象的になるのですが、そのどちらでもない。ちょうど、そういう効果の生じない、最も凡庸とも思える位置に水平線があります。それだけに安心感を与える安定した空間の割り振りと言えます。それがゆえに海面の奥行きをある程度描くことができるようになって、その向こうに広がる空も広がりとして描かれています。日本画としては珍しいほど、絵の具が濃く、厚塗りのように波が、とくに白波がたてて描き込まれていて、その大きさが遠近的な、画面奥になるに従って小さくなっていくので、否が応でも奥に向かって広がっていく海が印象付けられます。しかし、そんな中で釣人は水面に立っているのではなく、櫓の上の少し高い位置にいます。しかも、立ち姿ではなく、櫓の上に座った、身をかがめた姿を背後から描いています。これによって、釣人は、海と空という水平方向と奥行きという方向に広がっていく面としての空間に対して、立ち姿の縦線ではなく、面の広がりも線の延びもない点になっています。また、櫓の上にいるということで、空でも海でもどちらの空間に属していない、空間から浮いた姿となっています。さっき、水平線の位置が凡庸とのべましたが、この釣人がいる水平線から突き出た櫓のてっぺんの位置が画面の上三分の一にして、画面が縦に三分割されるような位置関係が、意識した構成として考えられていた結果ではないかと思います。これにより、釣人が空間から浮いて、独立した姿、孤独な姿が強調されます。釣人は後姿で、肩を落として蹲っているように見えるのが、なおさらその風情を際立たせています。この画面を縦に三分割したのは、この作品を描いている視点が、ちょうど真ん中あたりで、水平線を見下ろしていながら、櫓の上の釣人は見上げる視線になっているということです。これにより、釣人の画面の位置がいっそう特異なものになり、その存在が際立たせられています。これは、さきほどの『浅草寺の図』で人々の位置関係で空間を想像させるということをしているのと同じように、釣人と言う人物自体を描き込むのではなくて、釣人の位置する空間の位置関係によって描くものを想像させることをしているのです。しかも、『浅草寺の図』の場合と同じように、『釣人』でも視点を一点に統一することで、作者の主体がはっきりさせられています。つまり、ここでは釣人を描く視点が明確にあるということであり、作者は釣人と一体ではなく、どの角度から描くかを明確にする客観的な姿勢でいるのです。そのため、この作品では釣人が自立した存在となって、海にも空にも属さない、孤高な姿を描いているといえるにしても、感傷が混ざっていないのです。それは、たとえば若山牧水の「白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染ずただよふ」という歌に感傷性とは対照的に映るのです。

これらのようなユニークな空間を扱った作品を制作することのできる画家でありながら、『西洋風俗大津絵』(左上図)という作品も描いています。これは、ヨーロッパ遊学の際に描いたスケッチ風の作品で、挿絵かカット用のものでしょうか、それでもダンスをしている女性の躍動感とユーモラスな姿、そしてそれでも造形が崩れないのは上手い人であるのが分かります。この巧さとか、軽妙洒脱さというのが、便利というのでしょうか、挿絵の注文が増えたということでしょうか。小川も食べていかなければなりませんから、そこで画家として生活できる方向性を見出していく、それが、この後から晩年に向けて「俗画」と自称する南画と解説されるような作品を描いていくことにつながっていったのでしょうか。小川は、求められて挿絵や漫画といったものを数多く制作して、売れっ子ということになっていったといいます。生活の糧と言うのは、切実なことで、霞を食って生きていけるわけではありませんから。それにしても、私には小川という画家は、芸術家タイプで自分の芸術をつきつめて追求するタイプというよりは、絵画を目的としてまつりあげるのではなくて、絵画を介したコミュニケーションを、むしろ好んでいるのではないか、つまりは、作品を見て人々の喜ぶ姿を見たいタイプなのではないかと思いました。

泉屋博古館分館は展示室がニ室あって、その間にロビーがあるという建物なのですが、これまでの作品は第一展示室とロビーに展示されていた作品で、第二展示室に入ると、作風は一変します。『炬火乱舞』(右図)という作品です。院展に出品した作品で、小川が南画のような表現に可能性を見出した契機となった作品ということです。こんな感じの作品がこっちの展示室にたくさんありました。こうなると、構図とか構成とかいったことをキッチリ考えるということがなくなって、筆の赴くままに融通無碍に描いているよう見えます。これまで見てきたような、構成によって空間を感じさせ、それが表現に結び付いていくという、比較的明瞭でキッチリしたものがなくなってしまっているように見えます。多分、このような方向を、味わい深いとか滋味豊かとか、逆に感じる人が多いということなのでしょう。鞍馬の火祭りを描いているということですが、中央の炎の赤と、寺の山門の赤がまわりの夜の闇の黒と対比的にみえる、と言ったらいいでしょうか。

『蘭亭曲水』(左図)という掛け軸の作品です。こうなると、構成とか、視点とか、描写とかいったものはどうでもよくなって、崩しの味わいといったところに興味が行くということでしょうか。こういうのを愛でるというは、否定しませんが、私にとっては対象外になったという感じです。あえて誤解を避けずに言えば、もはや絵画ではなく、骨董とか室内装飾とか、そういったもの、私は分類します。それだけのことで、私が偏狭なのは、わかりますが、かといってこの作品を貶めるつもりは全くなくて、例えば、手塚治虫の作品原稿を美術館や博物館で見たくないのと同じような心情です。 
 

 
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