2.株主総会とは何か
(2)株主総会はどのようにして
位置づけられてきたのか
 

 

株主総会とは、どのようなものかという概要は前節でのべたので、ここでは理解を進めるために、前章で株式会社の歴史的な成り立ちを遡ったように、ここでは株主総会が会社という経営形態のなかで、どのようにして成立してきたかを追いかけてみたいと思います。ここでは、参考文献にも挙げてありますが、松井秀征という人の『株主総会制度の基礎理論』での議論を紹介しながら進めて生きたいと思います。


 

@イギリスにおける商人ギルドからジョント-ストック・カンパニーでの起源的な株主総会

イギリスにおける商人ギルドの発生とレギュレイティッド・カンパニー、ジョイント-ストック・カンパニーへの変遷については、1(2)のところで説明しました。ここでは、それぞれの組織の特徴と株主総会について見て行きたいと思います。

@)商人ギルド

商人ギルドは中世都市の中心階層である商人や職人が生活範囲である地域の市場の統制、管理のために形成したものです。そのため強力な排他性、地域性を有していたと言うことができます。もともとのギルドは宗教的・社交的な目的で人々の間から自然発生的に作られた団体でした。しかし、商人ギルドには市場の独占という経済的特権が与えられていました。この根拠は中世都市が領主から与えられた特権を実際の経済の場で扱う機関として役割を果たしていたことに付随したもので、ギルド自体が法人格や特権を持っていたのではなかったのでした。

このような商人ギルドの内部組織は一定の自律性を確保していました。ギルドの団体としての純粋に私的な人的結合であったことから、団体の意思決定の正統性のために構成員による平等な決議による決議がされていました。さらに団体しての社交的・宗教的性格のゆえに意思決定を行なう会議は、会食を伴い、社交的な構成員の紐帯を確認する場でもありました。

A)レギュレイティッド・カンパニー

しかし、イギリスでは毛織物貿易が進展し商人ギルドの排他的な市場の統制が、新たな業者の参入を拒んだり、他の地域から労働者を雇用して生産を拡大することに対する障害となっていました。そこで設立されたのがレギュレイティッド・カンパニーと総称される団体です。この団体は織物工や商人が、従来の都市におけるギルドの地域性から逃れることを目的とした団体です。しかし、組織の主たる目的は構成員でない貿易業者による取引や、規制外の取引を阻止することにあったので、ギルドの排他的性格も残ったものでした。カンパニーへの加入はギルドに比べて緩やかで、加入金の支払イにより加入できたので、排他性はギルドほど厳しいものではなくなっていました。ここに、ギルドという地域に密着した個別的・特殊的な団体形態から定型的・一般的な団体形態への展開の端緒が現れた言うことできます。そして、このレギュレイティッド・カンパニーという団体の制度的な特徴を考えてみると、ギルドが実体は私的に形成されながら自らは法人格を持たず、特定の都市と密接な関わりを有することで地域性や排他性をもつことで都市の経済的特権に依拠していたのに対して、都市の領域を越えたレベルとなったため、都市に権威に依拠することはできず、都市に替わって国家=王室に権限を付与された、つまり特権を許可されるという国家の制度的な基礎付けを与えられた団体となっていました。

このようなレギュレイティッド・カンパニーは、団体の実体形成の点から見れば、私的性格を残すものでありました。したがって、ギルドと同じように構成員による意思決定のための内部機関を有していました。しかし、ギルドと違って都市との連関が切断されたため、団体内部の社交的・宗教的な要素を維持すべき要請は乏しくなりました。このような、地域との結びつきを失ったレギュレイティッド・カンパニーは、都市という共同体での紐帯を確認する場としての機能は失っていったと言えます。ということは、ギルドでは構成員による意思決定のための総会に求められた場は、レギュレイティッド・カンパニーでは必然性を失い、形式化していくこととなりました。

B)ジョイント-ストック・カンパニー

16世紀になるとヨーロッパの植民地進出が本格化します。スペインが新大陸から銀を獲得するために毛織物を輸出しました。実は、その毛織物を生産していたのがイギリスで、新大陸の銀はイギリスにも流入します。このスペイン経由で新大陸に毛織物を輸出していたのは新興のレギュレイティッド・カンパニーの構成員でない闇の商人たちでした。そしてまた、植民地活動と強い関係のもとで商業活動を進めるということは、国家の関与が格段に強化されることになりました。したがって、この闇商人たちを取り込んで活動するジョイント-ストック・カンパニーは国家の政治・外交的な介入がつよまり、その結果として個々の商人の活動が制約され、団体自らが経済活動の主体となっていきました。このことが、対外貿易の必要上、団体に構成員の拠出する財産を集約する、つまりジョイント-ストックすることが必然的になったと言えます。このようなジョイント-ストック・カンパニーという団体の制度的特徴を考えてみると、個別の団体に国王の特許が付与され、特権とともに法人格が付与されていた点はレギュレイティッド・カンパニーと同じです。しかし、団体の実体形成の点で大きな変化がありました。ジョイント-ストック・カンパニーは構成員の出資を受け、団体自体が主体となって事業を行うという事業主体性が新たに備わったところに大きな特徴があります。つまり、団代の存在それ自体もその行使する権限も、いずれも国家による基礎付けを必要としたという制度的状況において、団体は特定の地域から切り離され、当然地域性は希薄化することになります。しかも、事業主体が団体の構成員である個々の商人から団体そのものに吸収されることになり、それ以前の意味での団体の内部の各メンバーの主体的活動に対する統制、すなわちメンバーの利益に向けられた市場独占を守るための排他性も、意味を失っていきました。このようにして、ジョイント-ストック・カンパニーは、ギルドに見られた地域性・排他性に由来する団体の個別的・特殊的性格はさらに後退し、広域性・開放性に由来する団体の定型的・一般的性格が強まりました。

このようなジョイント-ストック・カンパニーの内部組織は、以前の組織形態を引き継ぎ、出資者による総会で意思決定が行なわれました。そこでは、経営者の選任、定款の作成や配当の決定が行なわれていたと言われています。しかし、ジョイント-ストック・カンパニーの総会では主要出資者の発言力が強くなっていました。それは出資者が個として平等ではなくなり、出資した資本比率により団体の意思決定が左右されるようになっていました。その理由として団体の実体が国家からの特許に依拠してたため、団体の私的性格がなくなり平等な多数決で意思決定する必然性がなくなったということと、社交的・宗教的性格を失い「場」としての意味を失い形式化が進んだことによるものと考えられます。このように、主要出資者の発言力が強くなることに伴い、これと結び付いた経営者の権限の濫用を招くことになりました。そこで、主要出資者に対する牽制が制度化されていきました。そのなかで、実際に経営を動かす取締役の実質的な権限が強まり、総会の機能は形式化していきました。


Aアメリカにおける株式会社制度の確立

@)ビジネス・コーポレーション

イギリスにおいて発達したジョイント-ストック・カンパニーは、アメリカで引き継がれ、資本主義経済の拡大とともに近代的な株式会社として確立していきました。それが、ビジネス・コーポレーションです。ジョイント-ストック・カンパニーは貿易や公共事業といった事業の政治性が濃く、国家が介入することに意味がある事業に特許を賦与されましたが、そうでない製造業は伝統的なパートナーシップの形態で行なわれていました。これは小規模な生産を行なう限りのもので、大量生産にために多額の資金を必要となってくると間に合わなくなります。それを引き継いだのが、ビジネス・コーポレーションと言えます。これはパートナーシップの制約を超えた合本企業の形態です。この制度は、植民地から独立したアメリカで確立し発展していくことになりました。そのことに大きく寄与したのが鉄道業です。鉄道建設には莫大な資金を必要とするもので、公共的な事業であるため特許状を賦与するにたる政治性もありました。しかし、鉄道事業はインフラの建設と整備だけに留まらず、運送事業は私的な契約を基礎として行われました。つまり、公的事業と私的な事業が同一事業体で行われていたわけです。その結果として政治性は希薄化することになります。さらに、大陸横断鉄道がフロンティアである西部に拡大していくと建設資金が桁違いに多額となって、資金調達の対象が大きく拡散し多様化していきます。その結果、株主やその代表者が経営の管理に口出しできなくなっていきます。同時に鉄道会社の管理そのものが複雑多岐になり、常勤の俸給管理者だけがもつ特別な技能と訓練を必要とするものになっていきました。そこで、所有と経営の分離が進んでいくことに成りました。そして、特許状によらず、基本定款の提出によって会社設立を可能とする準則主義への転換が1830年ごろに各州で進み、1870年には一般化しました。

ビジネス・コーポレーションにおいて政治性が希薄化し、国家による特許から準則主義により認可に変わって言ったベースには、公共目的のために特権を賦与するということでは目的が限定されてしまいます。運送業や製造業といった私的領域は対象となりません。そこで、出資によって団体が形成されるというのは契約に基づく結合であるという所有と契約を基礎とした考え方に変わってくるのです。その契約関係を守るために会社は一定の要件を備えていなければならないわけで、それに従わせるために準則主義が採られるようになっていったということになるわけです。

この場合の株主総会の制度的形態に関しては、ジョイント-ストック・カンパニーから引き継いだ会議体の形態でした。このベースとなる考え方はビジネス・コーポレーションは、営利目的の存在を前提として出資者の契約によって成立した団体であり、それゆえ団体としての権能も契約者である出資者の意思決定によるというものです。したがって、株主総会における多数決の決議が正統性をもつことになるわけです。

A)現代に連なる巨大化

19世紀中盤以降のアメリカでは鉄道の建設で要求される資本の額が巨大であるだけでなく、運営に当たっても、比較にならない複雑な管理業務が生まれてきた。これは株式会社という組織に管理階層が出現したと言える。

鉄道会社は輸送取扱量の増加を目指して企業間で競争を激化させていきますが、そのために周辺の会社を買収し、内部化させていきます。それにより組織が一段と巨大化、複雑化させていき、専門的な管理者の経営に任す以外になくなっていきます。これは鉄道会社だけに限ったことではなく、19世紀以降の展開は規模と範囲の経済を追求することと、生産における単位費用の減少を図るものとなって行きました。とりわけ、1870年以降、当時の技術革新を基礎として、生産、流通、その管理機構に対する大規模な投資が行なわれました。このような買収などによる統合と巨大化によって、所有と経営の分離は不可避のものとなり、一方で生産から流通にいたる経営上の管理に関する専門家が不可欠であり、他方で、企業活動に必要な資金を個人投資家か集めるようになっていました。このことは、企業において実質的に株主の影響力が希薄化して経営者に権限が集中し、これに対する監督が機能しなくなってきたということでした。ここに、企業の大規模化を認めながら、これに伴う経営監督を考えていく、コーポレート・ガバナンスの議論が始まることになりました。

このような企業の変化に伴い、株主総会では、とくに議決権のもつ意味合いが変化していきました。そのひとつが一株一議決権の原則です。その大きな理由は企業統合により企業規模が巨大化する中で少量しか出資しない者が会社を支配することへの懸念が生まれたためです。パートナーシップの企業体であれば人的結合体としての性格から株主の頭数応じた議決権の方向に寄っていくことに成ります。これに対して、企業統合が進展するとパートナーシップ的な傾向が希薄化し、一株一議決権の方向に進んでいったのでした。もう一つの理由は、会社の目的の基本的な変更は株主の全員一致が必要とされてきましたが、このような企業の変質に伴い、それでは基本的事項の変更は困難となったため多数決による決議が導入されていくことになりました。このことは、とりもなおさず、株主が会社の所有者だとはいっても会社を自分の思い通りに動かすということは叶わず、経営と所有が分離し、経営者の選解任により経営者をコントロールいる以外にはできなくなっていきました。そのため、経営者の権限濫用を抑えるための役割を株主総会が担っていく(コーポレート・ガバナンスの始まりとして)ことになったわけです。また、株主の側も、パートナーシップの企業形態の実際に経営して者が出資をすることから、個人投資家や機関投資家といった、企業経営の実態とは距離を置いて、投資という企業の事業の現場とは離れ、所有の意味合いも変化するとともに、株主総会では意見のやり取りや議論が形式化していくことになりました。

 

参考文献 松井秀征「株主総会制度の基礎理論


 


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