ラファエロ展
 

 

2013年3月6日(火) 国立西洋美術館

都心で、証券取引所主催のセミナーがあって、出かけました。上場会社にとっては、強制ではないのですが、ある程度、そういうのに顔出ししておかないといけないこともあるのです。たまた、終了が中途半端な時間を予定していたので、どうしようか(直帰してしまうか、会社に戻るか)迷っていたのですが、終了予定が大幅に遅れたため、会社に戻るのをあきらめ、気が付くと時間的に、上野の西洋美術館なら閉館の1時間前に着けることがわかり、思い立って行ってきました。

最近、美術展を見て、感想を書き込むことが習慣のようになってきているようで、ある程度は美術館の予定はチェックするようになり、また作品を見る場合にも、後で言語化することを意識するように変化してきているような気がします。

とは言うもののラファエロか…、と我ながら思ってしまうわけです。私はいつからミーハーになったのだろうか、と多少自嘲気味に上野の駅に降り立ち、西洋美術館に向かうと、美術館からは大量の人々が吐き出されるようにでてきました。大変な混雑が予想されました。止めようかとの思いが一瞬よぎりましたが、気を取り直して、券売所で、残りが1時間しかないことを念押されながら、「別に1時間もかかることはないだろう、何せラファエロだから」などと意味もないことを考えていました。美術館は、5時を過ぎると大半の客は帰ってしまい、閑散まではいきませんでしたが、予想された混雑はなく、静かに作品を、時には立ち止まることで可能で、見て回ることができました。

ルネサンスの三大画家などと高校の授業で習った記憶があります。とはいっても、他の二人、ダ=ヴィンチとミケランジェロに比べると影が薄い印象でした。彼ら二人に比べて圧倒的な代表作がない、シンボルマークを欠いたようなもので、しかも、「これがラファエロだ!」というのがありませんでした。ラファエロが語られる時、私も、高校自体以降、彼について書かれたものに触れたことは何回もありますが、その際の書かれ方、「優雅」ということを特徴としていることは共通していたようですが、その「優美」さというのが具体的に、どのようなもので、作品のどのようなところに見つけることができるのか、という説明は一切なく、その「優雅さ」の説明については、ミケランジェロにはできなかったとか、そういう他の画家との比較のうえで、比較される画家の否定という形で語れることが殆どでした。つまり、ラファエロのことを語る場合には、絶対的なラファエロを持ち出して、その特徴や卓越している点をポジティブに並べていくという行き方ではなくて、他の画家に比べて、その比較の上でラファエロを紹介するというものでした。

例えば、名高いヴァザーリの紹介は、ラファエロをミケランジェロの激烈さと比較してラファエロの上品さを紹介しています。ラファエロの「優雅さ」は、「美」というダ=ヴィンチ以降のルネサンス美術を特徴づける、大きさや色彩、性質の調和、規則に基づく合理的な性格のものとは区別され、ラファエロと言う画家の主観的な判断力、センスに由来する、規則に基づく美の中の自由さ、とでもいうような比例などのような美の規則を測らなくても、多少規則を逸脱したとしてもあるものということです。しかも、このような「優雅さ」は努力によって獲得できるものではなく、天与のものと考えられていたようです。そこにもラファエロという人物に備わった上品さとか優雅さと作品を結びつけて考えることが、行われていたようです。とすれば、その点に、ルネサンスからバロックへの糸口があったのかもしれません。

実際、今回の展示を見て、ラファエロの個性というのか、これがないとラファエロではない核心のようなものは、ついぞ見極めることはできませんでした。かりに、この美術展をペルジーノ展だと言われも、私は何の違和感もなく作品を見て回るのではないか、と思います。ヨーロッパでは歴史上の巨匠として絵画のスタンダードになっているということですが、いわゆる教科書とか優等生というようなイメージを慥かに感じるのではあります。作品を見て回って、どれもそう思いました。実際のところ優等生であるということは大変な努力を伴うものではあるのですが、それはほとんど認識されず、通り一遍に、苦労を知らないだの、人間的な面白みがないだの、冷たいだのという先入観で見られてしまう、少しだけ印象をもちました。とは言っても、掴みどころのない、個性を見つけ出せない画家という先入観は崩せませんでした。ということは、こういう画家というのは言葉にしにくいわけです。「こうだ!」と言葉で明確化しにくいからです。なので、今回の書き込みは、私にとって挑戦になるかもしれません。

例えば、展示の最初に飾られている『自画像』です。画家20代前半ときの姿と言われ、フィレンツェに移った初期の頃の作品と説明されています。顔とその周辺は長めの栗色の髪の毛や肌合いの微妙な感じとかが丁寧に仕上げられていて、陰影のつけ方も細かく、スケッチも丁寧にされたのが分かり、非常に技術の高い画家が丁寧な仕事をしているのが素人目にもハッキリわかります。それに、若々しい肌の色の明るさを引き立てるような黒いベレー帽と黒い衣装、その中で、襟元からシャツの白がアクセントのようにのぞかせて、若々しさとともに落ち着きを漂わせています。ただ、この若者はどちらを向いているか分かりません。まっすぐ、こちらを向いているのか、こちらを振り向いているのか。それは首から下が顔ほどに丁寧に描かれていないためです。証明を向いているには首の位置が斜めすぎるし、振り向いているには首が捻じれていないし太すぎる。

絵画がリアルな写実的表現を獲得したのは、おそらく革命的に全面展開したのは、レオナルド・ダ=ヴィンチによる解剖学的なスケッチを基に描かれた絵画作品が一つの大きな転機になっているのではないかと、個人的には思っています。そもそも、絵画は見た目そのものを描くものではないし、人が見た目といっても現代の写真と同じ光景を人が見ているとは限りません。リアルな写実と言うのは、一つの見方でしかなく、それを機械的に追求したのが写真というものです。(写真と言う言葉にそのままでていますが、事実の姿が映されているという人々の意見が一致しているから、写真というものが成立しているので、そういうコンテクストが成立してはじめて受け入れられているものです)。比例とか、遠近法とか自然科学の法則のように規則化により、美と言う基準をつくり、それによって絵画を制作して行こう方法論です。ここでの、ラファエロはこの自画像で顔を描く際に、その影響を取り入れているようです。しかし作品全部ではなく、そこで生まれるギャップが顔の首が上手く繋がっていないように見えることではないかと思います。この『自画像』から見えてくる一つの姿勢は、折衷的、あるいは中庸志向ということです。革命には全面的には参加しないけれど、新しい波は取り入れる。しかし、従来のものも残しながら。これは本人の性格なのか、顧客である注文者に混乱を与えない配慮であるからなのか、わかりませんが、その点が、逆に後世の私などから見ると、個性が見えてこない、物足りない、という感じを持ってしまうことになってしまうのです。

展示は、下のプログラムで行われましたが、ラファエロ本人によるもの以外、あるいは工芸品には、私は興味がないので、ラファエロ自身によるものと紹介されているものを中心に見ていきたいと思います。

T.画家への一歩

U.フィレンツェのラファエロ

V.ローマのラファエロ

W.ラファエロの継承者たち

これから、このコーナーに分けて、実際の作品の感想をお話ししていきたいと思います。 

 

T.画家への一歩

ラファエロのウンブリアでの時代の作品を集めた展示ということでした。以前にも書きましたが、私は絵でも音楽でも、取敢えず作品を単独に取り出して見たり聞いたりするアプローチをする人です。ただし、作品の背後の情報を切り捨てるつもりはありませんが、作品を成り立たしめている背景くらいにしか考えていません。だから作者という存在は、一連の先品の系統をまとめるブランド程度のものと考えています。ここで言えば、ラファエロと言う人物の伝記とか、エピソードから人物像を推測して、そういう人の作品だからと、エピソードを作品に投影して、それを確認するような見方をしていません。だから、美術館でも、レシーバーで説明してくれる機器を借りることはありませんし、展示についている作品解説は、作品タイトルと製作年代と素材の材質以外は見ません。そこで、実際の作品を見てみて、印象とか感想が浮かんでくるのを後で思い出して、ここに描き込むと言うのが基本的姿勢です。

展示の目次の順番に書き込みをしているのは、もう一つ、展示の切り口というのか、美術展では作品の展示について、ひとつのプログラムをたててそれに基づいて展示しているわけです。それを見る私は、無意識のうちに、その視点の上で作品を見ていることになるので、それについても、私が違和感を持つこともあれば、自然に受け入れることもあるわけです。それは、ここに描き込んでいるのは画家に対する私の考えではなくて、あくまでも美術展の印象だからです。だから、ここで私が書いているのは、作品に対する感想であり、そこから演繹される画家のイメージ、そして展示への感想でもあるわけです。そして、無意識のうちにあらわれてくる、そういう私自身の絵画へのアプローチということになると思います。少し読みにくいことを書きました。このことは、私としても、上手く説明できるほど自分を掴み切れていないので、徐々に考えをはっきりさせたいと思っています。

『若い男の肖像』(左図)と言う作品です。前回の『自画像』とポーズなどがよく似ていると思います。自画像と同じように何かアンバランスな印象を受けます。顔ですが左側の輪郭を見ると瘠せているように見えますが、右側は面積が広くふくよかです。このアンバランスさは長い髪の毛が耳を覆うように描かれているので、それほど目立つことはありません。しかし、その髪の下の首は極端に太く長くなっています。その首の下に肩がハッキリせず、さらに左腕は肘の位置が不明です。つまり、リアルな人体としての辻褄が合っていないと言えます。これは、ダ=ヴィンチ的な解剖学に則ったような写実ではなくて、肖像画の型に従い従来の手法での効果にのっとったためかもしれません。ここでは、それよりも男性の赤い衣装と背景の青を主体とした色調とのコントラストといった色の効果的な使い方が魅力なのかもしれません。展示にはありませんでしだが、当時のラファエロが一時通っていた、師匠の一人にも数えられるペルジーノの若い男性を描いた肖像(右図)も比較のために見てもらうと、一応、ラファエロは師を超えて巨匠になっていくことになっていますが、二つの絵を見比べてみて、どちらが生き生きとして写実的かと言えば断然ペルジーノの方です。若描きの作品で比べられてはラファエロも可哀そうですが、早熟で若いころから天才的な絵を描いたという伝記を取り上げるつもりはありません。ま、そういうこととして、ここで両者を比べて見ると、薄ぼんやりながらラファエロの志向しようとする方向性のようなものが薄々感じられるような気がします。「優雅」と一言でいってしまえばそれまでですが、ラファエロなりの見えないものを形にしようとしていた努力が見えてくる気がします。それは、色の使い方だったり、女性っぽい男性の雰囲気だったりなどとしか言えないのですが。

それが、一つの作品に一応形になっていたのが『聖セバスティアヌス』(上図)と言う作品ではないかと思います。ペルジーノの『マクダラのマリア』(左図)のマリアの顔と似ているように見えますが、ペルジーノの方がリアルな女性の顔になっています。ラファエロの作品では、男性の聖セバスティアヌスが女性のようにえがかれ、真丸の顔の輪郭やふくよかすぎるくらいで、造作をを中央に集めたような顔立ちは、中世のイコンの形式的な顔を、写実的な表現技法を施して人間の顔らしく生気を吹き込もうとしたかのようです。聖セバスティアヌスは体中に矢を打ち込まれた殉教図で描かれるケースが多いのですが、一応矢は手に持っていますが、このような穏やかな図柄と言うのは珍しいかもしれません。ふくよかな顔立ち、そして矢をもつ右手の指の描き方や黒地や赤字に金色の刺繍が浮かび上がる描き方が細かく丁寧に施されています。作品自体が小さなサイズで、そこに細かく描き込まれていることや、画面に対する顔の大きさ、田園風景のような背景まで描き込まれていて、かなり力の入った作品であることが分かります。それだけに、見えないものを完璧に作り出そうという野心を感じています。比較のためのペルジーノの作品と比べてもらうと、肖像画のパターンを踏襲しているのは分かります。それをペルジーノは当時の現代風である写実的な仕上げにしています。これに対して、写実的な技法をラファエロも用いているようですが、効果は逆の方法を志向しているように感じられます。これは、ラファエロが写実以外の選択肢を持つ可能性があったのか、それともピエロ・デラ・フランチェスカのように写実に行こうとして細部では細密な表現を突き詰めるようなところまで行きながら、全体としては中世の構図から出られなかったというような折衷的なポジションにいたからか、何とも言えません。ただ、ここに見られるラファエロは、ダ=ヴィンチともミケランジェロとも違う方向性の作品を作り出していたことが分かります。もしかしたら、この方向性で技法の習熟と成熟により、写実に近い作品を作り出しながらも写実とは紙一重で異なる見えない世界を作ろうとしたのが、ラファエロの絵画の世界かもしれない。そういうことを考えされる作品ではあります。そう言う想像を促すのが、他に飾られた天使を描いた作品などに見られる様式性です。

 

U.フィレンツェのラファエロ

ラファエロがウルビーノの地だけに止まらず、フィレンツェにもたびたび出かけ、その地でレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと出会い、様々なものを吸収し、大きく自身の芸術を飛躍されたとされている時期のものを集めたということになっています。

この美術展の目玉にもなっている『大公の聖母』(上図)です。暗闇に浮かび上がるような聖母子像が何とも幻想的に映ります。青いマントのようなものを被るマリアの輪郭はマントの青が真っ黒な背景に融け込んでしまうように曖昧にされています。それに対して背後の光輪はくっきりと描かれ二人の金色の柔らかな髪や肌がそのなかで浮かび上がる様は神々しいという畏怖すら抱かせるものです。しかし、この背景の黒と人物の輪郭は後世の加筆ということだそうです。ラファエロの真筆では背景が描かれていたということですが、私は、別にこれはこれでいいと思いました。というのも、この作品を見ていて感じられたのは、重力がないかのような描かれ方をしていることでした。それは、キリストを抱くマリアの腕に力が入っておらず、抱かれたキリストもマリアの腕に支えられた部分に身体の荷重がかかっている感じがまったくなく、キリストがマリアに抱き着いている手の描写も単に添えられているだけで、しがみついているものにはなっていない。つまりは、キリストはマリアの脇を浮遊していて、それをマリアが遠くへ飛んで行かないように手でつなぎとめているかのような描かれ方になっているのです。そのような非現実的なあり方の背景には、暗闇の方がむしろ相応しい。というよりも、背景が暗闇であることによって、視線が二人に集中することによって、その不自然さが際立ってきて、それが非日常性に気が付かざるを得ず、人間を超えたさりげない神々しさに気付かされるという構成に結果的になっていると思いました。普通の人間ならば、“地に足がついた”というような重力の呪縛から解放され、浮遊するというだけで、日常の風景がどれだけ異質なものとなってしまうかというのは林ナツミという写真家の浮遊する人物の写真(左下図)を見ていると明らかです。ラファエロのこの作品では、キリストという幼子が、はっきりそれとは分らないながら、それとなく想像できるような感じで、結果的に普通の人の子でないところが見えてくる、ということに結果的になっていると思います。(ついでに書き添えれば、キリストの足の部分の描き方、とくにその小ささや足の指の不自然なほどの長さを執拗なほど精緻に描いているのは、この画家の偏執さを感じます。多分、そこにラファエロという画家の特徴が表われていると思います。それにしても、このような足では体重を支えきれないだろうと、しかし、神の子は宙に浮いていると考えれば、それなりに納得できます。)これは、似たような構図のペルジーノの作品(右図)と比べると、その違いが分かります。

また、同時展示で大公の聖母のためのスケッチの一つが展示されています(左上図)。これを完成した作品と比べて見ると、明らかに印象が違います。その一番大きな違いはマリアの視線ですスケッチでは、こちら向いて、こちらを見ている、見返しているように描かれています。これに対して、完成した作品では、マリアは俯いて視線を落としています。眼差しの違いだけで、こうも違うのかと驚かされるほどですが、スケッチのマリアでは、こちらを見つめることで表情がハッキリわかるのですが、完成した作品では、彩色もされているのにマリアからは具体的な表情、あるいは感情の動きが消えてしまっているかのようです。そこにあるのは抽象化された一種の神々しさというべきおだやかさとでいうべきものでしょうか。悪く言えば、曖昧な呆けたような顔になっています。よく考えてみれば、赤子を抱いていて、視線をそちらに向けないというは不自然です。しかし、そこで自然なものにしてしまったら、単なる普通の母子像になってしまい、それはスケッチに描かれた姿で、聖母子の超越的な姿にはならない。そこで、さりげなく普通の姿からズラシを行っている。それは、ラファエロが学んだであろうダ=ヴィンチの聖母子像のマリアが赤子の方を向いているのに対して、あるいはラファエロ自身の描いた聖母子像の多くとも、その点でこの作品が特異な点かもしれません。むしろ、ルネサンス以前の伝統的な構図に近いのではないか、例えば、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品(右下図)などのようか。しかし、これともキリストの描き方がまったく違っています。決然とこちらに視線をおくるフランチェスカに対して、ラファエロのキリストはマリアに倣うように穏やかに視線を落としています。

あえて深読みすれば、絵を見るということで、こちらからの視線を向けても、描かれた聖母子は、それに対して視線を返さない。ということで、信仰を捧げてもユダヤ、キリスト教の神はそれを返してはくれません。旧約聖書、たとえばヨブ記の中で、ヨブは何度も神に問いかけますが神は何ら答えることはありません。そういう超越的で、抽象的な存在として神があるというキリスト教の伝統から考えれば、この『大公の聖母』での、こちらに視線を合わせないで、何も答えない、曖昧に穏やかそうな顔をしているだけ、ということは伝統的な神のあり方に近いものかもしれません。

それもまた、暗闇という背景とうまくマッチしているように感じられてしまいます>。

今回のラファエロ展ではポスターやチラシで目玉として聖母像がフューチャーされていましたし、ラファエロのブランドの一つが聖母像というこがあったり、レオ10世等といった当時のローマ教皇に信頼されていたことからヴァチカンの壁画を多数手がけたということから、そういうレッテルも貼られていたと思います。「アテネの学堂」のような壁画が美術とか歴史の教科書に載せられたというこが、ラファエロという画家の一般的イメージが作られているのではないかと思います。今回の展示では、そういう壁画のコピーや模写が展示されていましたが、画集のような複製でなく実物で見ると、ラファエル本人による自筆の聖母像やその他の作品の筆遣いや色遣いの微妙なものと比べてしまうと平版で、勢いというのか覇気が見えてこず、単に構図を確認するのが精一杯という印象でした。ラインアップとしてフューチャーされて、それなりに紹介されていましたが、私なら見ても素通りしてしまう程度のものでした。

それよりも、今回の展示で印象深かったのが肖像画でした。とくに、この後のローマ時代のものに印象深い作品がありましたが、それはその時ということにします。このフィレンツェでの作品にも印象深いものがありました。ラファエロという画家は肖像画でも、上手い画家だったということが、あらためて印象付けられた次第です。ラファエロの肖像画を見ていて特徴的なこととして見つけたことは、この時、彼が多くのことを吸収したであろうレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった巨匠たちに比べて、細かいところまで丁寧に細かく描かれているということ、というより細かいところの描写とか表現の比重が、他の2人に比べて高い、というよりも突出して、時には作品全体が細部に引き摺られてバランスを失するギリギリのところまで行っているようなものもあるということです。

例えば『リンゴを持つ青年』と題された作品。全体をみていて何か変です。人物のバランス、というのか辻褄が合っていない感じが強くします。なんか左右の釣り合っていないし、顔と首と胴体の位置関係がちぐはぐだし、手と指が不釣り合いに小さい。多分、こんなデッサンを描いていたら、現代の美術学校では及第点をもらえないのではないか、石膏素描からやり直せといわれるのではないか、と思うほどです。当時は、ダ=ヴィンチ等の解剖学の要素を取り入れたデッサンといったような写実の手法は一般化していなかったという状況だったと思います。しかし、赤系統の衣装で茶の毛皮との取り合わせの色遣い、とくに赤地に金色の小さな四角の柄の鮮やかさの、その描き方、またそれぞれの生地の柔らかさの違いを描き分けてみせる所などは、この画家の真骨頂が出ていると思います。そして、リンゴを持つ手とその指を丁寧に描いているのは顔と同じくらい力が入っているかのようです。

そして、すごいのは『エリザベッタ・ゴンサーガの肖像』です。まず、モデルの四角い顔の輪郭を強調して、そして着ている衣装の四角を組み合わせた模様もそうなのか、長方形をベースにデザインしたような作品全体の画面構成になっていること。モデルの顔のつくりが四角い輪郭で彫が浅い平面的なものであるのを、真正面という角度で、しかもデザイン的にデフォルメしたような描き方で、さらに平面的にして、額にサソリの飾りを配することでアクセントをつけるという演出を施している。近代の画家の手法で描いたら抽象画かデザイン画のようになりそうな構成をしているように見えるのです。このような平面的なアングルを選んで、しかし顔を描くのに、図案化とは程遠く顔になっているのは、色遣いと細かなデッサンによるものとは思いますが、すごい力技を見せつけられた思いです。これに対して、髪の毛は様式化され。図案化されたように描かれているではありませんか。たとえば、型に被さっているところなどパターン化されています。また、首から下の肌が露出している胸部にかけての身体の凹凸を正面から見て肌の色の変化と首飾りの曲線の変化だけで表現してしまっている、微妙な細かさ。おそらく、モデルの女性は豊満な胸を強調できるような体型ではなかったでしょうが、首から肩そして胸にかけての曲線がこれだけで想像できる。そして、衣装の肌触りの描き方、肌との質感の違いの描き分け。その丁寧な仕事ぶりというのは、実物を見て初めて分かるもので、群を抜いています。今回の展示を見ていて、強く感じたのは、ラファエロ自筆の作品と、他の模写やフォロワーの画家たちとの違いは、この展示を見る限りでは本人自筆の圧倒的なほどの丁寧さ、細かいところまでの気遣い、労力のかかっているところです。これは、うまい下手という質的な違いというよりも、手を抜くなどいう次元ではなく、単位面積当たりに筆が触れた回数がけた違いに多いという量的な違いです。これを見ていると、ラファエロという人が37歳の若さで身体を酷使して疲れて亡くなったというのは納得できるほどです。こんなに丁寧すぎる仕事をずっと続けていたら、そりゃ体だった壊すと思えるほどの愚直さといっていいものが見て取れます。

そして、『無口な女』という肖像画。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ=リザ」とよく似たポーズで、ラファエロがダ=ヴィンチをよく勉強した成果がよく現われているという作品だそうです。「モナ=リザ」と比べて背景は『大公の聖母』と同じように黒く塗られています。しかし、こちらは幻想的にならずに現実の女性が描かれています。しかも、美人ではない。さっきの『エリザベッタ・ゴンサーガの肖像』のそうですが、決して美人ではなく、美人に描かれてもいない。当時は、現代の写真のようなリアルさは求められてはいなかったでしょうが、聖母像で定評ある画家ですから、モデルの女性をそれになぞらえて描くこともできるでしょうに、そういうことはされておらず、注文した側も、それでよかったのか、ラファエロというビッグネームだから文句を言えなかったのかは分かりませんが、そんなものなのでしょうか。この作品では『リンゴを持つ青年』にあったアンバランスさやちくはぐさは消えて、しかも、立体性が増して人物としての存在感の表現が大きくなってきています。相変わらず細部の丁寧さは変わりませんが、それが作品全体の中で突出せず、うまく納まっている感じです。ラファエロに特徴的な手の丁寧な描き方ですが、これは実用的要素もあって、手そのものの美しさを表現するものであると同時に、精妙に描写された宝石をはめ込んだ指輪を誇示するための手段ともなっているということです。つまり、富と地位を象徴するものとしての指輪を丁寧に描き込んで誇示したい、そしてそこに注目してもらうために、指輪が嵌められた手、指に見る人の視線を集める必要があった。そのためには、手が表現豊かに、丁寧に描かれるニーズがあった。ラファエロは、図らずも、そのニーズに最も応える画家の一人であったということでしょう。

そして、この3点の肖像画がわずか2〜3年の中で描かれていたということなので、ラファエロが肖像画において短期間で長足の進歩を遂げたということが分かります。

 

V.ローマのラファエロ

ラファエロはローマに移り、ヴァチカンでみるみるうちに頭角を現し、多くの壁画を手掛けます。この展示では壁画を持ってくるわけにはいかず、複製版画や他の画家による模写が展示されていました。たぶん、美術史なんかで言えば、壁画はラファエルの中心的な仕事なのでしょう。でも、ここで展示されているものは、形骸、ぬけがら、としか私には感じられず、ラファエロがどのような画面構成をデザインしたかを想像することはできる程度のもの、別に見なくてもいいようなものに思えました。それは裏を返せば、ラファエロという画家の作品が仕上げということに、多分の細部の表現とか、そういうところの要素が如何に大きなものかということを、改めて分らせてくれるものでした。その意味で、地味な作品ですが、ラファエロが自身で仕上げたと考えられる肖像画を見ることができたことが、今回の展示における最大の収穫だったと思います。

話を肖像画に持っていく前に、『エキゼキエルの幻視』という作品を見ていただきたいと思います。小さなサイズの油絵の作品です。サイズは小さな作品ですが、構図は壮大で神話的なストーリーをあらわしたもので、言うなれば壁画で扱うようなものを、求めに応じて小さなサイズにして描いたものではないかと思います。考えられた構図で、当時としては革新的なデザインだったのではないかと思います。ラファエロらしく細部まで丁寧に描かれています。しかし、それが何っていう感じなのです。私には。今回の書き込みを通してラファエロには辛口と思われるかもしれません。正直に申せば、ラファエロに対するイメージは、ピッグネームでたしかに上手だけれど、優等生的というのか卒がないとは思うけれど、心の琴線に触れてこない。そういうイメージでした。表面的な美しさといったものを否定するつもりはさらさらなく、そういうもので、あまりに美しくて、危うさすら感じさせられてしまう作品は、それだけで魅かれてしまうものです。ラファエロは、よく言えば中庸だが、そういう突出したものがない。そう思っていました。この『エキゼキエルの幻視』もそうなのです。当時としては斬新だったのかもしれませんが、それを除くと何が残るか。何か、とても偏見に満ちた言い方ですが、そう問いたくなってしまうのです。喩えは変ですが、よく高級官僚の人の記者会見で受け答えのような、優等生的で無難なんですが、何のリスクもとっていない、聞くものに迫るものがない、そういうもののようなのです。ただし、これはラファエロだから言えることで、普通の画家なら、こういう作品を卒なく仕上げること自体がたいへんなことであることくらいは認識していてのことです。

こういう話はこのくらいにして、肖像画のうちのひとつ『ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像』を見てみたいと思います。私にとって、今回の展示会の目玉は『大公の聖母』でも大作でもなく、この作品とこの後に紹介する2点の肖像画なのです。ヴァザーリの列伝やら伝記等に書かれているラファエロという人物は誰にでも好かれて、教皇から枢機卿、あるいは貴族から市井の庶民にいたるまで、だったそうです。気難しく人間嫌いなダ=ヴィンチやミケランジェロのような人とも親しく付き合って教えを受けたりと。それには、ラファエロという人物がもともと社交的な人だったのかもしれませんが、相手によって巧みに合わせることのできることのできる人だったのではないか、と思わせるものがあります。ラファエロの作品は多様で、様々な様式に対応しているように見えます。これは注文主のニーズに対応できるだけの柔軟性、いくつかのパターンを重層的に持っていたのではないかと想像してしまうのです。血液型のタイプでいえばAB型のタイプでしょうか。ラファエロの作品に、私が感じる“冷たさ”は、そういうところにあるような気がしています。そして、大規模な壁画のようなパブリックな場所で儀式とか不特定多数に見られるもの、あるいは多数がいる貴族の邸宅の広間で飾られるものは、そういうものとして描いたのではないか。『エキゼキエルの幻視』に感じた物足りなさなどは、そういうものとして私が見てしまったためかもしれません。それに対して、肖像画はもう少しプライベートな面があります。但し、この時代では肖像画は個人的に所蔵しインティメートに見入るものとは違い、公的な場とは、別の面で貴族個人の威光を示したりする公的な目的で使われた物でもあったと思います。しかし、例えば、この『ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像』でのラファエロには優等生的な要領の良さなど感じる余裕を与えないものであったと思うのです。かつてヴァルター・ベンヤミンが「複製芸術の時代」というエッセーの中で、現物のもつアウラ(オーラ)が複製になると消えてしまう、ということを言っていました(このエッセイ自体は、それを時代の変遷とし芸術そのものが変わることを説いているものですが、そうでなくては現代の文化はありえなくなります。)ラファエロのこの作品などは、カタログの美麗な印刷でもネット上の画像でも(当然、ここで貼り付けている画像でも)その良さは、上手く伝わらない体のものだと思います。それだけでなく、実物に触れても気づかない人は気づかないものだと思います。こんなことを書くと、そういうことに気付く俺は偉いと言外に言っているようですが…(実は自慢してます)その理由は何か問えば、圧倒的な情報量ではないかと思います。ラファエロの作品に全般的にいえることですが、作品の単位面積当たりの情報量が恐ろしく多いのです。それを印刷のドットやパソコンのディスプレイの粒子では粗すぎて情報が伝わりきれないのです。それは、あまりに微細な陰影とか、色の使い方のニュアンスとか、気が付かないと見落としてしまうものです。そのあたりに、もしかしたらラファエロは見るひとを試しているのかもしれない、などと想像を膨らませたりするのです。その細かさはいくら高精度の印刷でも追い付かないものです。そうなのです、それに気づいてしまうと、そういう細部が画面から溢れそうに見えてくるのです。例えば、画面の手前、長そでの衣装から出されている両手です。右手で書状を握る、その両手の指の表情。目は口ほどにものをいうという言い方がありますが、この絵を見ていると手は口ほどにものを言う、いいたくなるほど表情が豊かです。今までの展示を見てきて、他の作品では気が付かなかったのですが、この作品で気付かされて、遡って他の作品を見てみると皆、手に表情があるのです。例えば、アッシジの聖フランチェスコを描いた小品など、慎ましやかに描かれている指が異様なほど緻密に描かれ表情が感じられるのです。『ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像』にもどると、フランチェスコの小品で気が付かず、この作品で気付いたのはなぜかということなのですが。おそらく、ラファエロのバランス感覚によるものではないかと思います。つまりは、この『ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像』を書いたころのラファエロの成熟と画家としての知名度の高さがあってはじめて、細部が独走するほどのことを出来るようになった、ということではないかと思います。画家としての成熟が、多少細部が独走しても作品をまとめ上げることが出来るようになっていた。そういう細部がある程度、思うがままにえがかれることで以上に充実した情報密度の濃い作品ができてきた。このように細部の突出が起こった。別の例で言えば、着ている衣装の材質が肌触りの違いとして、目で見ているだけなのに、着ている感覚肌合いとして触覚で実感できるようなのです。それは、生々しさにも通じるものです。

しかし、作品全体を見ると何か変なのです。人物の頭部と上半身の身体のバランスが不釣り合いな感じがしますし、頭部が前に出過ぎな感じもして、どこかしっくりこないのです。これはラファエロの肖像画のほとんどに言えることで、こうなると下手というそういうことではなく、画家が意図的であったとしか考えられません。ラファエロが意識的だったかどうかは分かりませんが、ダ=ヴィンチのような解剖学的なリアルというものを、現代の私は常識として見ていますが、この時代はそうでなかったのかもしれないというのが第一で、第二には、ダ=ヴィンチ的なリアルさからズレていることは、細部で異様なほど緻密に描き込まれているものが全体の構図としては日常の視線からズレたものが入り込む、いわば異化という効果が生まれる、そこに通り一遍では納まりきれないような何かが、そこにあるかのような印象を見る者が受けてしまうことになるわけです。

そこで、全体として感じられるのは見るものを翻弄させようとでもいうような画家の悪意の視線です。そこにもはや優等生はいません。

『友人のいる自画像』(右図)という作品です。最初は、ラファエロの作品とは思えませんでした。展示会場に居並ぶ作品の中で、これは異彩を放っていました。他の作品との違いが大きいんです。華やかでないし、暗いし、繊細さも感じられないし…、これが聖母像を書いた同じ画家の作品なのか、と意外に思わせル作品です。カラバッジォの作品と言われても、信じてしまいそうなほどです。

灰色の虚無のような暗い背景から浮かび上がるような二人の男性。二人とも髪の色は黒で髭を生やし、暗い(黒に見える)色の上着をまとっている。さらに、画面左から光が差し、その光と影の対照が際立たせられているため(まるでカラバッジォを思わせるほど、間一髪でわざとらしさを感じさせないギリギリのところまで対比的にしている)画面右手がほとんど陰になって暗くなっている。そのため、二人の顔の光のあたる部分と白いシャツ、そして手の一部を除いた以外の部分は、すべて黒い系統の色で塗り込められています。その黒だけで、ラファエロの作品にある明るさとは正反対の作品となっています。明るく、派手な中に、これ一作ポツンと置かれていると異様な感じすら受けます。

そして、構図を見て下さい。この絵の中心は背後に立つラファエロと思しき人物です。しかし、彼は画面の中心に位置せず、しかも最前列ではなく、中景で左側に一歩退いたような位置にいます。その代わりに画面中央にいるのは若い男性で画面全体に占める面積はこの男性が多くて、左側から差し込んでいる光は専らこの男性に注がれています。形式上ではこの男性が画面の中心を成しているはずですが、視線を背後のラファエロに注ぎ、画面での存在を自ら主張していません。その視線は、ラファエロに頼り切っているかのようでもあります。さらに続けると、それではラファエロが中心かというと、彼に注がれる光は弱く、中央の若者に比べて人物全体が薄暗いなかにいます。心持ち存在感が薄く感じられもします。何となく顔色などから生気があまりなく、目は虚ろな感じすらしているのです。これは、若者がラファエロに視線を投げかけているにもかかわらず、その視線の強さが分かるように描かれているようなのとは好対照です。そして、画面右側は影となっています。明らかに、左右の均衡を欠いたように、人物は左に寄っているのです。ラファエロという人は洋式とか約束事には比較的忠実な人だと思いますが、このような構成は珍しく破格です。おそらく、何らかの意図はあったのではないかと思いますが、私には想像がつきません。

そして、ここに描かれている二人の人物の顔の部分、黒い画面の中で、不自然なほど浮いていて、顔の描き方がわざとらしい、なんか濃いのです。他のラファエロの作品での人物の顔のさりげなさとか、慎ましやかな描き方と対照的な、きっちりと輪郭を際立たせて(特に若い男性の目鼻立ちがキッチリし過ぎて、眼がバセドー病患者のように飛び出したように見える)、単純化をして、それとわかるようなデフォルメを加えて、ラファエロ本人が描いたというのではなくて、ラファエロの描いた顔をあまりうまくない若い画家が模写したものを、今度はラファエロが繊細な筆致で写したかのような感じがします。

しかし、そういうものを跳び越えて凄いのは、例えば二人の人物の肌の艶とか張りとか、そういうものが描き分けられていて、ラファエロの存在感の薄さに対応するように顔色とか肌の生気とかが中央の若い男性との違いがはっきり分かることです。そして、黒という色の使い分け。画面の大半の部分が黒系統の色で塗り潰されている、その部分が一様ではなくて、その黒の変化、使い分けの見事を見ているだけで飽きることはありません。例えば、同じ黒髪でもラファエロと若い男性の髪の毛は同じではありません。その微妙な違いを、描いているのです。そこからも二人の人物の違いがまた判ってきます。

この作品については、中央の若い男性は誰なのかということから、二人の関係は何なのかといったことが議論されてきたと言いますが、私には、それはあまり重要なことではなく、若い男性を置いたことで、対比的にラファエロの未だ若いながらも、何となく影が薄くなってきている様子が(本人にも自覚があったのではないか、それゆえにこのような作品を描いたのではないか、と想像してしまいます)、明らかに分かるのです。そして、穿って見てみれば、画面右側が影になっているのは虚無として、画家自身が死期の近いことを予感していた現われと妄想したくなるほどなのです。

 

この後、展示はラファエロ継承者たちということで、ラファエロの弟子や彼の影響を受けた人たちの作品展示に続きますが、ラファエロ本人の作品を見た後で、比べるように見ると、そういう先入観があるからかもしれませんが、「落ちる」との感は否めず、とくに感想を書くまでのところではありませんでした。

 
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