ラファエロ展 |
都心で、証券取引所主催のセミナーがあって、出かけました。上場会社にとっては、強制ではないのですが、ある程度、そういうのに顔出ししておかないといけないこともあるのです。たまた、終了が中途半端な時間を予定していたので、どうしようか(直帰してしまうか、会社に戻るか)迷っていたのですが、終了予定が大幅に遅れたため、会社に戻るのをあきらめ、気が付くと時間的に、上野の西洋美術館なら閉館の1時間前に着けることがわかり、思い立って行ってきました。
とは言うもののラファエロか…、と我ながら思ってしまうわけです。私はいつからミーハーになったのだろうか、と多少自嘲気味に上野の駅に降り立ち、西洋美術館に向かうと、美術館からは大量の人々が吐き出されるようにでてきました。大変な混雑が予想されました。止めようかとの思いが一瞬よぎりましたが、気を取り直して、券売所で、残りが1時間しかないことを念押されながら、「別に1時間もかかることはないだろう、何せラファエロだから」などと意味もないことを考えていました。美術館は、5時を過ぎると大半の客は帰ってしまい、閑散まではいきませんでしたが、予想された混雑はなく、静かに作品を、時には立ち止まることで可能で、見て回ることができました。 ルネサンスの三大画家などと高校の授業で習った記憶があります。とはいっても、他の二人、ダ=ヴィンチとミケランジェロに比べると影が薄い印象でした。彼ら二人に比べて圧倒的な代表作がない、シンボルマークを欠いたようなもので、しかも、「これがラファエロだ!」というのがありませんでした。ラファエロが語られる時、私も、高校自体以降、彼について書かれたものに触れたことは何回もありますが、その際の書かれ方、「優雅」ということを特徴としていることは共通していたようですが、その「優美」さというのが具体的に、どのようなもので、作品のどのようなところに見つけることができるのか、という説明は一切なく、その「優雅さ」の説明については、ミケランジェロにはできなかったとか、そういう他の画家との比較のうえで、比較される画家の否定という形で語れることが殆どでした。つまり、ラファエロのことを語る場合には、絶対的なラファエロを持ち出して、その特徴や卓越している点をポジティブに並べていくという行き方ではなくて、他の画家に比べて、その比較の上でラファエロを紹介するというものでした。 例えば、名高いヴァザーリの紹介は、ラファエロをミケランジェロの激烈さと比較してラファエロの上品さを紹介しています。ラファエロの「優雅さ」は、「美」というダ=ヴィンチ以降のルネサンス美術を特徴づける、大きさや色彩、性質の調和、規則に基づく合理的な性格のものとは区別され、ラファエロと言う画家の主観的な判断力、センスに由来する、規則に基づく美の中の自由さ、とでもいうような比例などのような美の規則を測らなくても、多少規則を逸脱したとしてもあるものということです。しかも、このような「優雅さ」は努力によって獲得できるものではなく、天与のものと考えられていたようです。そこにもラファエロという人物に備わった上品さとか優雅さと作品を結びつけて考えることが、行われていたようです。とすれば、その点に、ルネサンスからバロックへの糸口があったのかもしれません。
例えば、展示の最初に飾られている『自画像』です。画家20代前半ときの姿と言われ、フィレンツェに移った初期の頃の作品と説明されています。顔とその周辺は長めの栗色の髪の毛や肌合いの微妙な感じとかが丁寧に仕上げられていて、陰影のつけ方も細かく、スケッチも丁寧にされたのが分かり、非常に技術の高い画家が丁寧な仕事をしているのが素人目にもハッキリわかります。それに、若々しい肌の色の明るさを引き立てるような黒いベレー帽と黒い衣装、その中で、襟元からシャツの白がアクセントのようにのぞかせて、若々しさとともに落ち着きを漂わせています。ただ、この若者はどちらを向いているか分かりません。まっすぐ、こちらを向いているのか、こちらを振り向いているのか。それは首から下が顔ほどに丁寧に描かれていないためです。証明を向いているには首の位置が斜めすぎるし、振り向いているには首が捻じれていないし太すぎる。 絵画がリアルな写実的表現を獲得したのは、おそらく革命的に全面展開したのは、レオナルド・ダ=ヴィンチによる解剖学的なスケッチを基に描かれた絵画作品が一つの大きな転機になっているのではないかと、個人的には思っています。そもそも、絵画は見た目そのものを描くものではないし、人が見た目といっても現代の写真と同じ光景を人が見ているとは限りません。リアルな写実と言うのは、一つの見方でしかなく、それを機械的に追求したのが写真というものです。(写真と言う言葉にそのままでていますが、事実の姿が映されているという人々の意見が一致しているから、写真というものが成立しているので、そういうコンテクストが成立してはじめて受け入れられているものです)。比例とか、遠近法とか自然科学の法則のように規則化により、美と言う基準をつくり、それによって絵画を制作して行こう方法論です。ここでの、ラファエロはこの自画像で顔を描く際に、その影響を取り入れているようです。しかし作品全部ではなく、そこで生まれるギャップが顔の首が上手く繋がっていないように見えることではないかと思います。この『自画像』から見えてくる一つの姿勢は、折衷的、あるいは中庸志向ということです。革命には全面的には参加しないけれど、新しい波は取り入れる。しかし、従来のものも残しながら。これは本人の性格なのか、顧客である注文者に混乱を与えない配慮であるからなのか、わかりませんが、その点が、逆に後世の私などから見ると、個性が見えてこない、物足りない、という感じを持ってしまうことになってしまうのです。 展示は、下のプログラムで行われましたが、ラファエロ本人によるもの以外、あるいは工芸品には、私は興味がないので、ラファエロ自身によるものと紹介されているものを中心に見ていきたいと思います。 Ⅰ.画家への一歩 Ⅱ.フィレンツェのラファエロ Ⅲ.ローマのラファエロ Ⅳ.ラファエロの継承者たち これから、このコーナーに分けて、実際の作品の感想をお話ししていきたいと思います。
Ⅰ.画家への一歩
ラファエロのウンブリアでの時代の作品を集めた展示ということでした。以前にも書きましたが、私は絵でも音楽でも、取敢えず作品を単独に取り出して見たり聞いたりするアプローチをする人です。ただし、作品の背後の情報を切り捨てるつもりはありませんが、作品を成り立たしめている背景くらいにしか考えていません。だから作者という存在は、一連の先品の系統をまとめるブランド程度のものと考えています。ここで言えば、ラファエロと言う人物の伝記とか、エピソードから人物像を推測して、そういう人の作品だからと、エピソードを作品に投影して、それを確認するような見方をしていません。だから、美術館でも、レシーバーで説明してくれる機器を借りることはありませんし、展示についている作品解説は、作品タイトルと製作年代と素材の材質以外は見ません。そこで、実際の作品を見てみて、印象とか感想が浮かんでくるのを後で思い出して、ここに描き込むと言うのが基本的姿勢です。
『若い男の肖像』(左図)と言う作品です。前回の『自画像』とポーズなどがよく似ていると思います。自画像と同じように何かアンバランスな印象を受けます。顔ですが左側の輪郭を見ると瘠せているように見えますが、右側は面積が広くふくよかです。このアンバランスさは長い髪の毛が耳を覆うように描かれているので、それほど目立つことはありません。しかし、その髪の下の首は極端に太く長くなっています。その首の下に肩がハッキリせず、さらに左腕は肘の位置が不明です。つまり、リアルな人体としての辻褄が合っていないと言えます。これは、ダ=ヴィンチ的な解剖学に則ったような写実ではなくて、肖像画の型に従い従来の手法での効果にのっとったためかもしれません。ここでは、それよりも男性の赤い衣装と背景の青を主体とした色調とのコントラストといった色の効果的な使い方が魅力なのかもしれません。展示にはありませんでしだが、当時のラファエロが一時通っていた、師匠の一人にも数えられるペルジーノの若い男性を描いた肖像(右図)も比較のために見てもらうと、一応、ラファエロは師を超えて巨匠になっていくことになっていますが、二つの絵を見比べてみて、どちらが生き生きとして写実的かと言えば断然ペルジーノの方です。若描きの作品で比べられてはラファエロも可哀そうですが、早熟で若いころから天才的な絵を描いたという伝記を取り上げるつもりはありません。ま、そういうこととして、ここで両者を比べて見ると、薄ぼんやりながらラファエロの志向しようとする方向性のようなものが薄々感じられるような気がします。「優雅」と一言でいってしまえばそれまでですが、ラファエロなりの見えないものを形にしようとしていた努力が見えてくる気がします。それは、色の使い方だったり、女性っぽい男性の雰囲気だったりなどとしか言えないのですが。
Ⅱ.フィレンツェのラファエロ
それもまた、暗闇という背景とうまくマッチしているように感じられてしまいます>。 今回のラファエロ展ではポスターやチラシで目玉として聖母像がフューチャーされていましたし、ラファエロのブランドの一つが聖母像というこがあったり、レオ10世等といった当時のローマ教皇に信頼されていたことからヴァチカンの壁画を多数手がけたということから、そういうレッテルも貼られていたと思います。「アテネの学堂」のような壁画が美術とか歴史の教科書に載せられたというこが、ラファエロという画家の一般的イメージが作られているのではないかと思います。今回の展示では、そういう壁画のコピーや模写が展示されていましたが、画集のような複製でなく実物で見ると、ラファエル本人による自筆の聖母像やその他の作品の筆遣いや色遣いの微妙なものと比べてしまうと平版で、勢いというのか覇気が見えてこず、単に構図を確認するのが精一杯という印象でした。ラインアップとしてフューチャーされて、それなりに紹介されていましたが、私なら見ても素通りしてしまう程度のものでした。
例えば『リンゴを持つ青年』と題された作品。全体をみていて何か変です。人物のバランス、というのか辻褄が合っていない感じが強くします。なんか左右の釣り合っていないし、顔と首と胴体の位置関係がちぐはぐだし、手と指が不釣り合いに小さい。多分、こんなデッサンを描いていたら、現代の美術学校では及第点をもらえないのではないか、石膏素描からやり直せといわれるのではないか、と思うほどです。当時は、ダ=ヴィンチ等の解剖学の要素を取り入れたデッサンといったような写実の手法は一般化していなかったという状況だったと思います。しかし、赤系統の衣装で茶の毛皮との取り合わせの色遣い、とくに赤地に金色の小さな四角の柄の鮮やかさの、その描き方、またそれぞれの生地の柔らかさの違いを描き分けてみせる所などは、この画家の真骨頂が出ていると思います。そして、リンゴを持つ手とその指を丁寧に描いているのは顔と同じくらい力が入っているかのようです。
そして、この3点の肖像画がわずか2~3年の中で描かれていたということなので、ラファエロが肖像画において短期間で長足の進歩を遂げたということが分かります。
Ⅲ.ローマのラファエロ
話を肖像画に持っていく前に、『エキゼキエルの幻視』という作品を見ていただきたいと思います。小さなサイズの油絵の作品です。サイズは小さな作品ですが、構図は壮大で神話的なストーリーをあらわしたもので、言うなれば壁画で扱うようなものを、求めに応じて小さなサイズにして描いたものではないかと思います。考えられた構図で、当時としては革新的なデザインだったのではないかと思います。ラファエロらしく細部まで丁寧に描かれています。しかし、それが何っていう感じなのです。私には。今回の書き込みを通してラファエロには辛口と思われるかもしれません。正直に申せば、ラファエロに対するイメージは、ピッグネームでたしかに上手だけれど、優等生的というのか卒がないとは思うけれど、心の琴線に触れてこない。そういうイメージでした。表面的な美しさといったものを否定するつもりはさらさらなく、そういうもので、あまりに美しくて、危うさすら感じさせられてしまう作品は、それだけで魅かれてしまうものです。ラファエロは、よく言えば中庸だが、そういう突出したものがない。そう思っていました。この『エキゼキエルの幻視』もそうなのです。当時としては斬新だったのかもしれませんが、それを除くと何が残るか。何か、とても偏見に満ちた言い方ですが、そう問いたくなってしまうのです。喩えは変ですが、よく高級官僚の人の記者会見で受け答えのような、優等生的で無難なんですが、何のリスクもとっていない、聞くものに迫るものがない、そういうもののようなのです。ただし、これはラファエロだから言えることで、普通の画家なら、こういう作品を卒なく仕上げること自体がたいへんなことであることくらいは認識していてのことです。
しかし、作品全体を見ると何か変なのです。人物の頭部と上半身の身体のバランスが不釣り合いな感じがしますし、頭部が前に出過ぎな感じもして、どこかしっくりこないのです。これはラファエロの肖像画のほとんどに言えることで、こうなると下手というそういうことではなく、画家が意図的であったとしか考えられません。ラファエロが意識的だったかどうかは分かりませんが、ダ=ヴィンチのような解剖学的なリアルというものを、現代の私は常識として見ていますが、この時代はそうでなかったのかもしれないというのが第一で、第二には、ダ=ヴィンチ的なリアルさからズレていることは、細部で異様なほど緻密に描き込まれているものが全体の構図としては日常の視線からズレたものが入り込む、いわば異化という効果が生まれる、そこに通り一遍では納まりきれないような何かが、そこにあるかのような印象を見る者が受けてしまうことになるわけです。 そこで、全体として感じられるのは見るものを翻弄させようとでもいうような画家の悪意の視線です。そこにもはや優等生はいません。
灰色の虚無のような暗い背景から浮かび上がるような二人の男性。二人とも髪の色は黒で髭を生やし、暗い(黒に見える)色の上着をまとっている。さらに、画面左から光が差し、その光と影の対照が際立たせられているため(まるでカラバッジォを思わせるほど、間一髪でわざとらしさを感じさせないギリギリのところまで対比的にしている)画面右手がほとんど陰になって暗くなっている。そのため、二人の顔の光のあたる部分と白いシャツ、そして手の一部を除いた以外の部分は、すべて黒い系統の色で塗り込められています。その黒だけで、ラファエロの作品にある明るさとは正反対の作品となっています。明るく、派手な中に、これ一作ポツンと置かれていると異様な感じすら受けます。 そして、構図を見て下さい。この絵の中心は背後に立つラファエロと思しき人物です。しかし、彼は画面の中心に位置せず、しかも最前列ではなく、中景で左側に一歩退いたような位置にいます。その代わりに画面中央にいるのは若い男性で画面全体に占める面積はこの男性が多くて、左側から差し込んでいる光は専らこの男性に注がれています。形式上ではこの男性が画面の中心を成しているはずですが、視線を背後のラファエロに注ぎ、画面での存在を自ら主張していません。その視線は、ラファエロに頼り切っているかのようでもあります。さらに続けると、それではラファエロが中心かというと、彼に注がれる光は弱く、中央の若者に比べて人物全体が薄暗いなかにいます。心持ち存在感が薄く感じられもします。何となく顔色などから生気があまりなく、目は虚ろな感じすらしているのです。これは、若者がラファエロに視線を投げかけているにもかかわらず、その視線の強さが分かるように描かれているようなのとは好対照です。そして、画面右側は影となっています。明らかに、左右の均衡を欠いたように、人物は左に寄っているのです。ラファエロという人は洋式とか約束事には比較的忠実な人だと思いますが、このような構成は珍しく破格です。おそらく、何らかの意図はあったのではないかと思いますが、私には想像がつきません。 そして、ここに描かれている二人の人物の顔の部分、黒い画面の中で、不自然なほど浮いていて、顔の描き方がわざとらしい、なんか濃いのです。他のラファエロの作品での人物の顔のさりげなさとか、慎ましやかな描き方と対照的な、きっちりと輪郭を際立たせて(特に若い男性の目鼻立ちがキッチリし過ぎて、眼がバセドー病患者のように飛び出したように見える)、単純化をして、それとわかるようなデフォルメを加えて、ラファエロ本人が描いたというのではなくて、ラファエロの描いた顔をあまりうまくない若い画家が模写したものを、今度はラファエロが繊細な筆致で写したかのような感じがします。 しかし、そういうものを跳び越えて凄いのは、例えば二人の人物の肌の艶とか張りとか、そういうものが描き分けられていて、ラファエロの存在感の薄さに対応するように顔色とか肌の生気とかが中央の若い男性との違いがはっきり分かることです。そして、黒という色の使い分け。画面の大半の部分が黒系統の色で塗り潰されている、その部分が一様ではなくて、その黒の変化、使い分けの見事を見ているだけで飽きることはありません。例えば、同じ黒髪でもラファエロと若い男性の髪の毛は同じではありません。その微妙な違いを、描いているのです。そこからも二人の人物の違いがまた判ってきます。 この作品については、中央の若い男性は誰なのかということから、二人の関係は何なのかといったことが議論されてきたと言いますが、私には、それはあまり重要なことではなく、若い男性を置いたことで、対比的にラファエロの未だ若いながらも、何となく影が薄くなってきている様子が(本人にも自覚があったのではないか、それゆえにこのような作品を描いたのではないか、と想像してしまいます)、明らかに分かるのです。そして、穿って見てみれば、画面右側が影になっているのは虚無として、画家自身が死期の近いことを予感していた現われと妄想したくなるほどなのです。 この後、展示はラファエロ継承者たちということで、ラファエロの弟子や彼の影響を受けた人たちの作品展示に続きますが、ラファエロ本人の作品を見た後で、比べるように見ると、そういう先入観があるからかもしれませんが、「落ちる」との感は否めず、とくに感想を書くまでのところではありませんでした。 |