恩地孝四郎 展 |
2016年2月20日(土)東京国立近代美術館
恩地孝四郎という画家とその作品について、私もほとんど知識がないので、主催者のあいさつを引用します。”
日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。本展では恩地の領域横断的な活動を、版画250点を中心に過去最大規模の出品点数約400点でご紹介いたします。” 400点にもわたる展示のうち、多くが版画でした。よくまあ、これほど多数と呆れる反面、版画だからこそ、これほど多くの作品を残すことができたのではないか、とも考えることができます。そけは、恩地の作品の制作方法が主として版画であるということから、油絵をメインとして制作する画家とは、制作方法が違ってくることによる。そして、さらに、恩地の作品のあり方が、版画という一種の複製の要素が入った手法に拠っていることで、手描きによって個々の作品のオリジナリティーを際立たせなければならないという、一種の強迫観念のようなものを、多少は免れている、と言えるのではないかと思います。それは、肉筆の油絵であれば、画面のすべてを絵筆によって描かなければなりませんが、木版画であれば、画面の一部のある部分、例えば、重要と思うパーツを版木で一度作ってしまうと、それを何度でも流用できるわけです。そのパーツを画面真ん中に位置させた作品と、右隅に位置させた作品を、そのパーツを寸分たがわずに使うことができて、それをいちいち絵筆で描く手間をかけることが省略できるわけです。その手間が省略できる分、様々なバリエーションを試みることができるわけで、そのなかで、思いもかけなかった即興的な成果も生まれるかもしれない。すくなくとも、描く前に、頭の中で考えて、構想してだけでは追いつかないようなものも出てくる可能性もないわけではないでしょう。しかし、版画であれば、版木をスタンプのようにして様々なパターンを実際につくって試すことができて、それをそのまま作品にできてしまうわけです。分かり易くいえば、パソコンの描画ソフトで様々なパターンをモニター上で試すようなものです。恩地の時代はパソコンがなかったので、版画の手法を応用して、そのようなことをやった、などと考えるのは想像を飛躍させすぎなのかもしれません。しかし、実際に美術館の展示室に似たような作品がずらっと並んで展示されているのを見ていると、ひとつひとつの作品がどうのこうのというという対峙の仕方には、そぐわないように思えて仕方がありませんでした。抽象絵画にも、似たパターンを様々に試す画家は多いです。例えば、モンドリアンの一連の『コンポジョン』は直線と四角の組み合わせで、色も限られているのですが、完成した一つ一つの作品は、すべて独立しています。だから、それぞれの作品に対して好き嫌いが分かれるのです。しかし、展示されている恩地の作品を見ていて、そのような気は起こりませんでした。言ってみれば、恩地の個々の作品は、それだけを見るという一回性が稀薄になっていると思います。強いて、似たものを探すとすれば、ウォーホルのキャンベルのスープ缶のシルクスクリーン作品でしょうか。ちょっと意味合いは異なりますが。そのため、これから、具多的に作品を見ていきますが、この作品として、とくに作品をピックアップするという、従来の私の書き方とはニュアンスが変わってきます。たまたま、ある作品を取り上げているとして、他の作品と代替可能という程度、一種のサンプルのようなものとして、見ていただきたいと思います。 なお、恩地孝四郎という画家のことは、よく知らないので、解説を引用しておきます。“恩地孝四郎は10代で竹久夢二に私淑し、1914年に東京美術学校に通う田中恭吉・藤森静雄とともに木版画と詩の同人誌『月映』を創刊、表現者の道を歩み始めました。また装幀家としても人気が高く、萩原朔太郎詩集『月に吠える』や室生犀星詩集『愛の詩集』などに恩地の活躍を見ることができます。昭和期になると、ヨーロッパの新思潮に共鳴して構成的な人体像やクラッシック音楽に想を得た〈音楽作品による抒情〉シリーズを制作する一方、イメージと言葉とデザインの総合を目指した数々の詩版画集や、油彩画にも匹敵する重厚な肖像版画などを発表しました。戦後は、GHQ関係者として来日した外国人コレクターたちの理解と励ましを受けて、抽象美術に専念するようになりました。晩年の10年間に作られた版画作品の半数以上が海外の美術館や蒐集家の手に渡っています。”
Ⅰ.『月映』に始まる1909~1924年
例えば、「めぐみのつゆ」(右図)という作品を見てみたいと思います。木版画の作品ですが、私が一般的に木版画というものに対して抱いているものとは、いささかイメージが異なります。私が抱いている木版画のイメージは棟方志昴の作品(左下図)のような版木となる木という素材による制約を受けて、また木の特性を活用した表現を追求していこうとする作品です。具体的にいうと、木という材の硬さと柔らかさのゆえに、彫刻刀によって切り刻んだ跡が明確に形に残すことができて、それによって表わされるものは、ペンや筆で描かれたものとは異なった独特の感触を見る者に与えることができるわけです。この棟方の作品を見ると、彫刻刀によって刻まれた直線が、線そのものは鋭い切り込みがあるものの、真ん中あたりが曲線的な丸みを帯びたふくらみをもっていて、鋭いだけでない温かさも併せ持っているのです。この棟方の作品では、仏像の身体の輪郭や、その姿勢から生じる襞が、彫刻刀によって刻まれる線で表現されて、肉体の肉付きを連想させるような太さを持った線と、彫刻刀の勢いよってうまれる動きを感じさせる
このことを、彼の生まれた時代背景とか状況で考えることを試みたいと思います。ここで、話を脱線させますが、恩地と少し世代がずれますが、ほぼ同じ空気を吸っていると思われる川端康成の『伊豆の踊り子』という小説をネタに考えていきたいと思います。この短編小説は登場人物である踊り子を時代の少女アイドルが演じて映画化されたことが何度もあり、一般によく知られている作品だと思います。しかし、この小説の主人公は踊り子ではなく、映画では踊り子の相手程度の位置づけにされている旧制一高の学生で、彼の一人語りの体裁となっています。かいつまんで粗筋を言えば、過剰な〈自意識〉に堪え切れずに伊豆の旅に出た一高生の「私」が、偶然に出会った旅芸人一行と共に旅する中で、社会的階級意識に起因する彼らへの偏見が無化され、肉親らしい愛情でつながり合った家族的共同体秩序の中に溶け込んでいき、純粋な幼さを失っていない踊子から「いい人」と思われることによって精神の健全さを自覚し、それまでの苦悩から解放されて素直に人々と関わり合えるようになる。そういう、言うなれば教養小説、悩める青年がさまようといった話です。 これは明治維新から始まった近代化政策が成熟期に達し、それに伴った社会の変化のなかで、人々の意識構造も当然変化していくことになります。その新しいあり方を体現していたのが明治の終わりに、生まれたときから近代化した環境に囲まれて育った、この主人公のような人々(川端も恩地も同じでしょう)です。彼らは、江戸時代以来の共同体的な人間関係の中で安定的に育まれはずの自己というものが、近代的な<都市>という従来の共同体文化を解体してしまった上に立った環境で育ちました。しかし、その一方で、人の意識はその変化に追いつくことができず、都市のような近代的になりえないため、時代環境に齟齬を抱き、そこに生じた葛藤を負うことになったのです。従来の家族や地域社会といった共同体は、彼らにとって安住できるものではなくなり、むしろ、そこから脱出すべきものと位置づけられていきます。それゆえ、彼ら自身としての個人は、共同体にいることができず、かといって近代的な自我を確立させ個人として独立することもできない。いうなれば、根無し草のような状況に置かれ、自己の拠り所を求めてさまよう。それが『伊豆の踊り子』の主人公の伊豆山中の彷徨であったといえるのではないかと思います。 ただし、このような悩みを抱えるというは贅沢でもあったわけです。『伊豆の踊り子』という作品では、このような悩みを抱えているのは主人公だけです。この小説は、主人公が踊り子と出会うことにより、癒され、自分の殻に閉じこもっていたのを、自己を開くように導かれていくというストーリーになっています。この主人公のような自己の殻に閉じこもるというのは、苦しいと感じる反面、甘美なものでもあるはずです。それがセンチメンタリズムというものの本質ではないかと思います。生活、もっというと生存の実体が伴わない机上で、小難しい概念とか知識をこねくりまわして堂々巡りに陥る、身も蓋もない言い方ですが、『伊豆の踊り子』の主人公の悩みを、この小説の彼以外の登場人物からは、そのようなしか映らないでしょう。 さて、ここで恩地の作品に戻ります。そこで、かなり短絡的な議論の進め方ではありますが(呆れられてしまいそうです)、恩地の作品の軽佻浮薄さは、上で紹介した『伊豆の踊り子』の主人公と同じような境遇から生まれてきたものではないか、と思われるのです。そして、恩地の作品を後世である現代の我々が受け容れて鑑賞しているのは、我々が、ここで紹介した大正期の根無し草の青年たちを引き継いで、現代でも同じようなあり方を続けているからに他ならないのではないか、と思われるからです。
そして、恩地の作品のタイトルの大仰で自意識過剰なところは、ここにあるような心象のなかで、恩地や彼の周囲に漂う雰囲気に敏感に反応したものではないか、と私には思えてきます。ぶっちゃけて言えば、ウケ狙いです。それは悪いことではありませんが、後世の人が、そのタイトルのものものしさに、過剰な意味づけをしてしまう危険はあると思います。
Ⅱ.版画・都市・メディア1924~1945年 展示は、3章に分けられていましたが、恩地の作品をひとわたり見わたすと、画家の生涯の時期的な区切りで作風が変化していくとか、成長していったとか、そういうことがあまり感じられません。むしろ、幾つかの方向性が同時併行で進んでいて、それが多少の紆余曲折はありながらも、ずっと続けていたというように見えます。そして、恩地という人は、ある種の軽快さ(軽薄さ)をもっていて、時々の流行に敏感に飛びついていたので、そういう作品が突拍子もなく現れるといった具合です。それで、400点という物量でした。ひとつひとつの作品は、どっしりとした重量感があるわけではないのですが、正直いって、これだけ並べられると疲れました。しかも、同じ傾向が延々と続くようで、さすがに、終わりの方では、疲れもあって、飽きを感じ、退屈にもなりました。
これは、私が恩地の作品を見ていて勝手に妄想したことですが、初期の作品のタイトルが、裸形のくるしみ、抒情、死によりてあげらるる生、などと言った観念的なポーズをとっているのは、もともと恩地が内省的な傾向と、そんな恥ずかしいほど大仰なタイトルを臆面もなくつけてしまえる気障な性向があるように思えました。間違っても対象に心奪われて、それを衝動的に描きたくなるといった、いわゆる才能に突き動かされるタイプには見え 「音楽作品による抒情 ドビュッシー「金色の魚」」(右図)という作品です。パット見で、地味なパウル・クレー(左下図)といった印象です。幾何学的な図形のようなパーツをレイアウトしたようなモダンさがあるのですが、それぞれのパーツは図形のようにスッキリしていない。輪郭などの線はバラついているし、塗りにはムラがある。何より、使われている色が地味で鈍クサい。全体としてユルいんです。私が抽象絵画というと真っ先に思い浮かべるのはカンディンスキーやモンドリアンといった画家ですが、彼らの作品は、もっとキチッと描きこまれていて、何よりも画面のすべてを隅から隅まで支
展覧会ちらしに使われている「春の譜」(左図)という作品は、色彩においては原色に近い鮮やかな色遣いですが、明確に形を作ろうとしないところは、恩地の作品に共通していて、控えめな印象です。それは、通常であれば、アピールするところがないということになってしまうのですが、恩地は、それをあえて行なっている。そこに、この作品の特徴があると思います。 ここでは、とくに取り上げていませんが、展示されている絵画作品は少なくて、版画や本の挿絵やブックデザインがたくさんありました。このようなことから、とくに挿絵の場合には絵は傍役で過度な自己主張はできないと思いますし、ブックデザインにも同じことが言えるでしょうから、そのような姿勢が、恩地の絵画作品にも間接的に影響を与えているのかもしれません。というより、むしろ、もともとの恩地の作品に、そのような性格があったために、挿絵やブックデザインをすることも出来た、と言えるかもしれません。そのような商業デザインのようなところは、恩地の作品がスタイルとしては抽象画なのかもしれませんが、姿勢はポップアートの方に近しいのではないのか、と展示を見ていて思いました。もっとも、恩地には、ポップアートにある商業主義に対する批評性はないと思いますが。
Ⅲ.抽象への方途1945~1955年 時期としては、数年間の戦争による統制から開放されて、制作に精を出し、占領軍の評価を受けて、積極的に作品を生み出して行った時期ということでしょうか。しかし、それで作風が劇的に転換したとは見えません。そこで、恩地の、この時期の作品を見ていて興味深く思われるのは、技巧的な成熟への志向が見られないということです。「あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)」(右図)という作品に描かれているバイオリ この「あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)」という作品をみても、今までの作品であげてきた特徴がそのまま当てはまり、それが整理されているわけでもなく、相変わらずといった中途半端さがあります。 「リリック No.6 孤独」(左図)という作品です。マルチブロックという葉や紐、木片などを用いる手法を駆使したということですが、正直に言って、だからどうしたです。恩地の作品を愛でるということは、あまり目立った効果が分からないような試みを面白く見ていくということではないか、と思いました。恩地の作品の愛好者には、見当はずれとの誹りを受けるかもしれませんが。
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