生誕120年 中村忠二展
オオイナルシュウネン
 

2018年7月25日(水)練馬区立美術館

全世界的な異常気象のひとつなのか日本全国が40度近い猛暑に見舞われて、それが数日間続いているという日々。その暑さゆえ、日中に屋外で行動するという気になれないでいたが、外せないランチミーティングがあって、その後夕方以降に別の用事が控えている。その間、会社に戻っても往復の手間ばかりという中途半端なスケジュールになってしまった。その間をつかって立ち寄ってみた。展覧会といっても、2フロアある中の一つだけ、しかも小さい方の展示室だけという、まるで画廊のようなこじんまりとした展示で、それに相応しいような作品が並んでいた。平日で、しかも猛暑というわりには、ちらほらと人影はありますが、静かな雰囲気でした。

中村忠二という人については全く予備知識がないので、主催者あいさつで、この人の紹介もされているので以下に引用します。“中村忠二(1898〜1975年)は、現在の兵庫県姫路市に生まれ、20歳で上京。各地を転々としながら制作を続け、晩年の20年間を練馬区貫井で過ごした作家です。1919年日本美術学校に入学しますが翌年退学、水彩連盟展や光風会、国画会に出品しながら洋画団体「歩人社」や「トアル社」などを結成し、精力的に活動を続けました。交流のあった画家・水波博の影響を受けモノタイプ(ガラスや金属に描画して紙に転写する版画技法)の研究を始め、忠二でなければできないといわれるほどの大作も生み出しました。また詩画の制作にも精力的に取り組み、『蟲たちと共に』『秋冬集』など、生前5冊の詩画集を自費出版しています。自身の絵を前に涙を流す忠二に、妻であり画家であった伴敏子がどうしたのかと尋ねたところ「見ろよ、いい絵だなあ、こんないい絵が描けた時に、泣けないやつがあるかしら」と答えたといいます。切り詰めた生活の中、自身の全てをかけ、しがみつくように日々作品に取り組んだ忠二。一見強く激しい筆致を見せながらも、その繊細で叙情豊かな作品世界は、今もなお多くの人をひきつけています。2018年は生誕120年に当たり、ゆかりの地では初めての展覧会となります。初期の油彩画から、水彩画、版画、詩画まで、約80点をご紹介します。”この紹介では、あまりどのような作品を作る人なのか具体的な想像がつかないと思いますが、雰囲気としてあまり売れっ子ではなくて、しかし、生活も余裕があるというわけではないだろうところで、マイペースで制作を続けたという感じで、そんな雰囲気を漂わせる、マイナーな叙情性、いってみれば詩情とでもいう印象と、売れないだろうなと納得できてしまう画家の独りよがりっぽいヘタウマてきな天邪鬼さ抽象とをいったりきたりするような、そういう印象の作品と、大雑把な印象は、そうでしょうか。この人の最大の特徴はモノタイプという手法で、展示されている作品の半分以上はそうで、それ以外の水彩画や油絵は、ハッキリ言ってまったく印象に残っていません。面白いとか、つまらない以前のものでした。したがって、ここでは、モノタイプの作品のみを取り上げて、感想を述べていきたいと思います。

なお、モノタイプについては主催者あいさつの中でも簡単に触れられていましたが、ガラス面などに絵の具などを塗って紙を置いて刷る版画のようなもので、版画は何度も刷れますが、モノタイプは1回しか刷れないというものです。インクを塗って乾かないうちに、紙を置いて転写するわけなので、短時間で一気呵成に描き切らなければならないこと、紙を置いて刷るわけなので描いたものと左右が反転することになる。また、いったん描いたのを紙に刷るので、例えば刷る時点で絵の具が滲んでしまったり、流れてしまったり、描いた線が潰れてしまったりといったように、描いたとおりに紙に写らない、という作者の意図とは違う画面ができてしまうという、こうやって言葉で説明しようとすると、はなはだ面倒くさい作品技法のように聞こえます。ちょっと屈折しているというか、おそらく、その屈折が中村という人が制作するときにプラスにはたらいたのでしょう。

「青い空の下で」(左図)という作品。おそらくモノタイプの制作を始めた初期の作品でしょう。人間には見えない不思議な動物が2体、立って向き合っているのは、カップルのようにも見えなくもありません。背景は、水平線と遠近法的な消失点に向けられた線が無造作にサッサッと引かれているようです。その整っていないいい加減さが、モノタイプの手法で紙に転写された時に、その絵の具が滲んだり、かすれたり、汚れたりして、それがいい加減さの角を丸め、画面にほんわりとした雰囲気を作っています。なんとなくいい感じで、人によっては、生き生きとした生命感というかもしれないし、詩情というかもしれない、見る人が好き勝手にもっともらしい理屈をつけるでしょうが、感覚的な心地よさを生んでいる。それはどうしてなのか。

「野の女」という作品は、「青い星の下で」と並んで展示されていましたが、この画面真ん中の女とおぼしきものが、黒一色で塗り潰されて、それがそのままでなくて絵の具が滲むようにして紙に転写されているため、形の輪郭が滲んで、形の境界が潰れたようになり、また形の内側の塗り潰された絵の具が滲んでムラになったり、かすれたりしています。それによってフィルターがかけられたようになって直接的な尖った角が丸くなっているような印象です。それ以上に、一旦、描いて絵の具を塗ったものを、もう一度刷るというワンクッションをおいたことによって、作者と作品の距離感が直接的ではなくなって、自分が描いたものを一歩離れて見るというクールなスタンスが生まれているように感じられます。それは、ひとつには、このような不定形の変な形になってしまったのを、こんなもんだと突き放して諦めてしまっているような、それゆえに「野の女」であれば暗い不定形なのだけれど、どこかユーモラスな微笑ましさ感じられるのです。それ以上に、「野の女」であれば女の黒い形の顔の真ん中はポッカリと穴が空いているようだったり、「青い空の下で」では二体の立ったものの間の上方に青い線の集まった太陽のようなものが描かれています。これらは画面の中心点のようなもので、ここに作者の人物が重なるようなのです。画面の中心に自身の視点を入れて、しかも、それを転写することによって幾重にも自身の視点を顧みているのが、画面に反映している。つまり、中村は描くことで、偶然もまじえて描いている自身を鏡を重ねてみるように何重にも屈折させて顧みている。おそらく、感覚として、そうしないと見えないものに画家は気付いてしまったのではないかと想像しています。それが、へんてこな形だったり抽象のような形として表われてくるのではないか、思えるのです。

「夜航船」(左図)という作品は、抽象といっていいと思います。水色の水面の真ん中に、白い直線で区割りされ黒い四角形で構成された幾何学的な物体が描かれています。しかし、塗りが滲んでぼんやりとして、輪郭や白い線がフリーハンドで、しかも滲んでしまっているため、幾何学的に見えません。論理的に考えたという感じがなくて、感覚的、身体的な曖昧さ、温い体温のようなものが感じられます。

「夜の沼」(右下図)という作品。夜の漆黒なのでしょうけれど、これが塗った黒い絵の具を紙に転写しているためか、全体に画面はにじみなどのムラがでて、薄ぼんやりとした感じになっています。満天の星に流れ星が混じっているものだとは想像できるのですが、そんな細かい描き方をしていません。水色の点(が転写のときに滲んで大きくひろがってぼんやりしてしまっている)や水平な線。さして、画面の真ん中に白く太い水平の線が入っていて、それがおそらく沼ということになっているのでしょう。しかし、流れ星の水平の線と沼の水平の線は同じように滲んでぼんやりしています。ただし、沼の線は画面を横に切断するように、端から端まで通っています。その沼の水平の線と直交するように横長の画面の真ん中にこけしの形の人影が垂直にあります。立ち尽くして佇んでいるようなさまは、その漆黒でカラフルな星が散りばめられた中に独りというのが際立っています。まるで、取り残されているかのようです。それがぼんやりとした独特の画面の調子のなかで、現実の風景とも、作者の幻想、心象風景とも、どちらともいえない、どちらにも見えます。それは、おそらく写実的な目で客観的に見ているのでもなく、内心の感情や心持ちを映し出してるでもなく、自身の姿を幽体分離して自身で外側から他人事のように眺めているような外形を表面的に嘗めるにとどまっているのでもなく、見通す意志はあるけれど醒めているのです。それは、一旦描いたのを、紙に転写するという回避的な手法を経ることによって、自身を迂回して眺める屈折がそうさせていると思います。だから、ここの独りでいる姿は、ただ独りで坦々としているのです。重くも、暗くもない。それがかえって、この宇宙に独りという絶対的な感じを持たさせられる、そういう作品になっていると思います。

おそらく、「夜の沼」あたりで、画家自身は、それまでの作品に潜在的だった自己の影に気付いたのではないかと思います。独りでいる自身の姿を意識的に画面の中に入れ込んで、それを中心とするようになっていきます。それ以前は、例えば「野の女」では顔の真ん中を空洞にしたり、「青い空の下で」では中心に太陽のようなものを書き入れたりして、間接的に自身を仄めかしていた、それはおそらく画家自身は意識的にやっていたのではないと思います。「扉」(左図)という作品です。真ん中に人影があります。しかも、扉という題材と独りの自身がオーバーラップして、扉が左右に開くことが、自身が左右に分裂してしまうことが重なっているように見えます。扉は白い線で何重にも枠が描かれていて、それは、自身の姿のまわりに何重にも設けられた枠、それは内側にでもあると外側にでもあるし、そういうものを連想させもします。左右のとびらの中央は半透明のすりガラスになっていて、向こう側の自身の姿が透けて見える。間接的に見えているというわけです。そういう題材のフィルターがかけられているのと、描く手法がフィルターをかけて画面に定着させていくのと重なっているかのようです。そのフィルターという屈折が、リアルに見えているのでもなく、内心に映っているのでもない、具象でもない、抽象でもない、迂回して迂回した挙句のものという、この人だけの世界を創っていると思います。

自身の独りの姿が画面で意識されてくるにつれて、それ以外の景色とか物体といった要素が後退して、そこのところは抽象的になっていって、二本の水平線に挟まれて斜線が並ぶように引かれるという模様のようなパターンが執拗に描かれる抽象的なものになっていきます。それは、まるで斜線を繰り返し引くことに意味があるかのような、また、その緒戦が不揃いで偶然に左右されて変化していく模様はミニマルな反復のようなところもあります。しかし、これは、以前の「青い空の下で」では二体の向き合った生き物の背景に水平線と斜線を無造作に何本も引いたことからずっと発展してきたものだろうから、中村は一貫してこのパターンをつかってきて、ここにきて意識的に前面に出すように、しかも精緻にやっているといえると思います。たとえば「不詳(人と蝉)」(右図)という作品がそうです。中心である一人でいる人の姿は輪郭線だけになって、ただ頭の中央に蝉がいて、背景の模様のようなパターンと赤く着色された四角形で画面は満たされている。それだけ、人を境目とした外形の世界と内面の世界との区別が意味がないものとなってきているかのようです。両方の世界が通底してしまって、そこをつないでいた自身が相対的に透明になってきた。そう通底してきた世界は、斜線のパターンになっているという。そこには何も意味のあるものが描かれていない。そは、自身の拡散ともみることも可能でしょうか。ただ、それが、そういう図式的な解釈にとどまるものでなくて、そこでしみじみできてしまうのです。それがこの画面全体の調子で、それがこの画面の一番のキーポイントとなっている。ここでは、頭で考えるのもいいが、生身で感覚としてそれを実感できてしまうのです。

これ以外に、たくさんの詩画が展示されていました。ちょっとした抽象風の絵と、いくつかの言葉が散りばめられていて、親しみ易いものとなっています。

 
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