2025年10月8日(水)三井記念美術館
三井記念美術館へ行くのは初めてです。地下鉄三越前駅のA7の出口をでると、三井本館の建物。その正面に立つち、玄関にある美術館への案内に従い、ロビー奥の専用エレベーターに向かいます。エレベーターは、1階と美術館のある7階しか止まらないので、一気に7階へ。エレベーターを降りると、エントランスホールで受付で入場券を買います。三井記念美術館は、パナソニック・ミュージアムなどと同じようにビルのフロアの一
部を使用する美術館であるため、それほど広くはないので、キャパシティが限られるでしょうから、受付も小さかったのでした。私が訪れたのは午後1時半ごろ。けっこう来館者はいて、ひとつの展示に常時2〜3名は立っていました。内訳としては、高い年齢の人が多いようでした。係員が静かにしてくださいと何度も注意していましたが、おしゃべりをする人が多かったようです。
円山応挙は歴史の教科書に載っているような有名な画家ですが、その紹介も兼ねて、主催者のあいさつを引用します。
“円山応挙(1733〜1795)は、従来より江戸時代を代表する画家として、確固たる地位を占めて高く評価されてきました。ところが近年、伊藤若冲をはじめとする「奇想の画家」たちの評価が高まるにつれて、いくぶん注目度が低くなっていることは否めません。
しかし、応挙こそが18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように眼前に迫ってきたのです。応挙の絵は、21世紀の私たちから見れば、「ふつうの絵」のように見えるかもしれません。しかしながら18世紀の人たちにとっては、それまで見たこともない「視覚を再現してくれる絵」として受けとめられたのです。
そんな応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成することとなりました。
豪商三井家が応挙の有力な支援者であったことから、当館には良質な応挙作品が複数収蔵されています。このうち本展のために、国宝「雪松図屏風」を筆頭とする優品を選び展示いたします。さらに各所に所蔵される重要な作品を加え、応挙が創り上げた革新的な絵画世界をお楽しみいただきます。とくに今回は、香川・金毘羅宮様のご厚意により、北三井家五代・三井高清が資金援助した、重要文化財の表書院障壁画のうち二十面の展示も実現いたしました。”
何か、このあいさつを読んでいると、応挙エライというよりも、応挙を支援し、その作品をたくさん所有している三井家エライの文章になっているように見えます。まあ、この施設が、そういう趣旨のものなのだろうけれど、何か、それがあからさまで、実際の展示にも、応挙がパトロンであろう三井家の依頼に基づいて、ヨイショするように描いた作品を自慢げに展示しているとこがあって、僻みっぽい私は辟易させられたところも、正直ありました。展示に関しても、若冲なんかがもてはやされているが、真の革新者は応挙だよ、という意見があるようでしたが、それなら、当時の人々にとって応挙が、どれほど革命的であったかを示すなら、すくなくとも当時の既存の作品でも比較の意味で参考展示して、こんなに違うんだよ、というのを示すくらいのことをしてもよかったのでは・・・と思う。あるいは、この狭いスペースの展示で、応挙の作品をどの程度まで概観できているかわからないので、すくなくとも全貌が掴めるものではないので、ここでの展示は、革新者であることに的を絞っているのか、というとそうでもなさそうで、というのも展示された作品の作風に一貫性のストーリーが読めなかったからで、中途半端な感じが強かった。おそらく、この展示の印象か
ら、この美術館には二度と行かないだろうと思うほどだった。ただし、展示されていた応挙の作品の価値を貶める気はまったくない。なかには、瞠目させられるものも少なくなかった。それで、作品を見ていきたいと思う。
展示は、とくに章立てされていたわけではなく、大小7つの展示室に分けて展示されていたので、それに従って見ていくことにする。
展示室1
展示室1は、壁に作品を展示するのではなく、独立ケースが室内に置かれていて、ケースの中に置かれた作品を見るという、陶器などの展示のやり方を、絵画作品でもやっているのは珍しいと思います。実際に、ここで展示されている海外作品は、小さなものばかりですから、そういうのもありかもしれません。ただ、独立ケースは幅が狭いので、正面から見ようとすれば、見る事の出来る人は限られてしまう。せいぜい2人くらい。だから、人が多い時はケースの前に列を作って順番待ちをするようになってしまう。陶器ならぱ立体なので、とくに正面からでなくても、後ろから、あるいは横から見てもよいのだけれど、絵画は平面なので、後ろから見たら逆さまになってしまう。それで、どうしても正面からしか見ることができない。壁に掛けてあるのなら、作品の間をあければ、もっと多くの人が見ることができる。それと、ケースを見下ろすという角度で見るのは、私には慣れないので、見辛い感じがしました。

「眼鏡絵画帖」より。“眼鏡絵とは、透視図法の要領を用いて描いた作品を凸レンズの付いた「覗き眼鏡」越しに見ることで、より強調された遠近感や、臨場感を楽しむという趣向の作品(図録P.109)”ということです。描かれているのは、京都方広寺の大仏殿(右側)、そして三十三間堂(左側)です。遠近法ビンビンではないですか。三十三間堂の方は、極端と言っていいほど、消失点から直線が引かれて、その上に三十三間堂の長い廊下のような建物が乗っかっているようなもの。同じ頃に、浮世絵の平面的でパースなどという発想すらない絵が広まっていただろうに。その一方で、遠近法で奥行のある空間を描いていたなんて。これは、基本的な見方そのものが違う、異質だ。主催者あいさつで伊藤若冲がもてはやされているけれど、応挙こそが変革者だといっていたけれど、これを見ていると、たしかにそうだと思えてくる。伊藤若冲の絵は、たしかに見ていてエキセントリックな感じはするけれど、基本的には既存の絵画の文法に則っている。ただ細部を異様に強調したり、デフォルメしたり、ユニークなポーズをとっていることで異質感を打ち出している。これに対して、この応挙の作品は、他の平面的な作品に対して、奥行きのある空間を作り出していて、他の絵画とは異なる見方を要求している。つまり、視覚の変革を行なおうとしているわけで、それはラディカルとしか言いようがない。このような見方が、若冲や芦雪に継承されなかったのは、どうしてなのでしょうか。むしろ、彼らには過激すぎて、ついていけなかっただろうか、と想像をたくましくしてしまいそうです。実際、これらの作品は、まるで、現代の建築の完成予想図にも見えてきます。日本の絵画で、よく言われる特徴として、余白の美学とか風情といったものが、ここには一切ありません。この画面の線は極細で、無機的といっていいほど均一です。しかも、定規で引いたようなまっすぐな線です。よくまあ、墨と筆で、こんな線が引けたと思います。これだけでも超絶技巧です。この点だけでも、当時の絵画とは一線を画した、もしかしたら絵とはみなされないのでは、思えるほど異質です。よくまあ、思い切って、こんなものを描いたものだと、感心します。

「行水美人図」(左側)は細密な眼鏡絵に比べて大雑把というか、走り書きのスケッチようにも見えます。しかし、行水する女性の後ろ姿のプロポーションは、あとで見る人物画などより写実的で、背景の木や垣根の位置関係には、しっかりとして奥行の空間把握がされています。それは、浮世絵の行水図などと比べると、さらに明白です。例えば、歌川豊国の「えり洗い」(右側)の人体描写の歪みと比べると、それは明らかです。これらを見る限り、応挙の作品は、江戸情緒などというものとは無縁で即物的な印象です。ただ、日本画の筆と絵の具と和紙しか手元にないので、それを用いた表現をしているだけという印象です。
「富士図」。輪郭線がなく、墨の濃淡だけで、雲海の上に聳える富士を描いています。富士山そのものは白い影にして、その背景の空について山頂付近は墨を少し濃く、裾野におりていくにつれで淡くなるようなグラデーションで富士の山容が浮き上がるように描き、その右にはうっすらと薄墨による雲海が漂っている。富士山は写実的というより、様式的な形態パターンに則っているようですが、これまでの作品を見ていると、即物的に見えてきてしまいます。しかも、輪郭線がなくて、ぼんやりと形が浮き上がってくるというのは、明治になって、日本美術院の画家たちが始めた朦朧体ではないですか・・・。
「立雛図」。“立雛は紙雛とも言い、雛人形の歴史のうちで最も古式とされる裃の菊文や亀甲文は、うっすらと盛り上げて立体的に表現されており、実際の立雛同様、近接しての鑑賞にも堪えうるものとなっている。(図録P.133)”と説明されていましたが、描かれている雛人形はペッタンコで、例えば人形の衣裳の描き方は平面で、立体で生じる衣裳のシワや柄の歪みは全く見られません。おそらく、服の模様を強調したかったのではないかと思います。それほど、模様の描き方は精緻で濃密です。衣裳の色彩は鮮やかで、立体的に描くと陰ができて、その鮮やかな色が翳ってしまうことも避けたのではないかと思います。そういう意図がハッキリとしているのは、近代以前の日本の絵画では、珍しいのではないかと思います。
展示室4
展示室3から独立ケースから壁に作品を掛けた展示にかわります。ただし、すべてはガラス越しで、作品に近寄ることはできません。作品の古さ、和紙とか布といった材質から仕方のないことなのでしょうか。
「江口君図」。これまで見てきた建築物や、この後見る鳥などの写生に比べて、人物、とくに顔が写実的でなくパターンでしかないのは、どうしてなのでしょうか。それだけ制約が厳しかったのでしょうか。また、女性がまたがっている象がリアルでないのは、応挙が実際に見ていないから、既存の作品を参考にせざるをえなかった。ということは人間に対しても、鳥のように写実的なスケッチをしていないで、既存の作品のパターンを踏んでいたのでしょうか。応挙にとって人間は写生する対象とはならなかった。あるいは写生しようと思わなかった、思えるほどのものでもなかったのかもしれないと思えてきます。ここでの展示を見ていると、人物画については、あまり革新性を感じられません。私の好みからいうと、つまらない。
人物画はさっさと飛ばして「龍門図」です。鯉が龍門という滝を上って龍になる登竜門というわけです。三幅で一組の絵で、左右に泳ぐ鯉を、真ん中に滝登りの鯉を配する構成となっています。特筆すべきは、真ん中の滝登りです。滝登りなのですが、ここでは激しく流れ落ちる滝の水流は描かれていません。鯉の姿を明確に描きながらも、その周りの水の勢いや躍動感を白い余白として残すことで、見る者の想像力を喚起し、鯉が力強く滝を遡上する様子をより鮮烈に印象づけています。しかも、この白い部分の境い目は直線のようにも見えますが、よく見るとまっすぐな部分と、筆のかすれをいかして引かれた部分の両方があることに気がつきます。そして、大きさや長さにも変化がつけられ、千変万化する水の表情が想像できます。そういう細部に目を向けなくても、精緻に描かれた鯉が縦に何度も断ち切られるような姿は、ショッキングといえるほど大胆です。また、また、鯉の体の立体感や鱗の質感には、墨の濃淡を巧みに使い分けるグラデーションの技法が駆使されています。左右の絵では、薄い墨で水面の波紋を表現し、その上から濃い墨で鯉を描くことで、まるで透き通った水面越しに鯉を見ているような表現になっています。
「竹雀図屏風」。六曲一双の屏風です。“右隻には雨の中、断続的にぶつかりつづける雨粒でしなだれかかる竹林を、左隻には風を受け、さやさやと揺れる竹林を描き分け、そこに舞い遊ぶ雀たちを配した屏風である。雨や風は直接的に線描で表さず、モティーフの動きと微妙な墨のグラデーションによって象徴的に表現される点が美しい。色数を抑え、淡墨を効果的に用いることで瀟洒な画面に仕上がっており、ぼんやりと眺めていると音や湿度をも想像させる。(図録P.112)”と説明されていますが、さすがに説明が巧い。竹の一節を一筆の引きで描いているのですが、その一筆のバリエーションで、遠近感が作られています。手前の竹を濃い墨で、遠くの竹を淡い墨で描くことで、空間に奥行きと広がりを生み出しています。さらに、竹の根元の位置をずらしたり、三羽の雀の配置によって鑑賞者の視線を誘導したりすることで、画面全体に動きと深みがもたらされています。これによって、屏風の横長の画面には奥行のある空間がうまれ、さらに、竹の根元の位置をずらしたり、三羽の雀の配置によって鑑賞者の視線を誘導したりすることで、画面全体に動きと深みがもたらされています。そして、それぞれの竹に目を転じると、一節を描く一筆の中で墨の濃淡が変化していて、竹の葉にはみずみずしい質感と立体感が、竹幹にはすらりとした表現が与えられています。そうすると、見る者は屏風を入り口として、奥に広がっている立体的な世界を生き生きと感じることができる。
この展覧会の目玉として宣伝されている金毘羅宮の「遊虎図襖」は、私には猫で虎には見えませんでした。この人は、実際に現物を見ないと描けない人なのかもしれないと思いました。保存状態のせいでしょうか、どこか粗いし、素通りしました。
「雪松図屏風」。“雪と松を描いた本作は、墨・紙・金泥と砂子という最低限の素材しか用いられていない。画中の雪は絵の具ではなく、塗り残した紙の白さによって表わされているのである。それにもかかわらず、観者の目の前には確かに、降り続いた雪がやみ、きらきらと輝く情景が広がっている。この「実在感」はどのような技法によって裏付けられているのか。例えば右隻の幹の立体感は、大きい筆を面的に用いて表している。近接して観察すると、濃淡の異なる墨線が短いストロークで複雑に重ねられることで、ゴツゴツした樹皮の質感と、樹木そのものの立体感が同時に表現されていることが分かる。対して左隻では、淡墨を引いた上から、松葉のU字型の線を執拗なまでに描き込み、遠目から見た樹皮の凹凸を的確に表す。また針葉樹の表現は、まず全体のシルエットを白く塗り残した上から、松葉の束となる形に淡墨を引く。その上から濃墨で扇形に広がる松葉を少しずつ密度を変えながら描いている。松葉の塊を上から、両方のアングルから見た形を、量感もって表す点が見どころと言えよう。(図録P.110)”と説明されています。普通は、このような絵は、金色の地を作って、そこに松を描いて、その上に雪が積もったように白を描き加えるというように重ねていくと思うのですが、この作品は白い紙の上に松の形で白い紙の地を残すように金泥を塗って、残った白地のところに松の雪のついていない部分を黒で描き加えている、というのです。それは、画面をよく見ると分かります。つまり、雪は描き重ねて加えられるのではなく、もともと雪の白があったところに他の金地や松によって削られた残りだったというわけで、いわば、足し算ではなく引き算の結果なのです。そんな面倒くさい描き方をしていのは、何も技巧や苦労をひけらかすために行っているのではなく、画面に重ねられる量が減ると、全体の印象が軽くなり、明るく、透明になると思われるからです。ときに、白い雪は積もった重みの感じは薄くなり、松の輪郭はハッキリしているのに、白い雪が画面全体の地になって覆っている、つまり、雪が全体に漂っているような印象になっています。それは、背景が全部金泥で塗り込められているのではなく、白い地を残しているところからも、そういう感じがしてきます。逆に、そういう白い世界のなかで、黒く描かれた松がくっきりと浮き上がるように見えてくるのです。もし、このくっきりとした松がなければ、この画面は白と金による抽象的なものになっていたでしょう。そういう抽象的なものが隠されている。この作品は、見ていると面白いものが見えてくる。
展示室5
展示室4から展示室5にかけてのところが、この展覧会の核心部ではないかと思います。
「鳥類真写絵巻」(左図)「写生帖」(右図)。これはすごい。見ているだけで圧倒されます。私は、これが今回の目玉ではないかと思います。画像だと、その精緻さが分からないのですが、実物を観ると、こんなところまで観察して、それを描いているのかと感心してしまいます。鳥の羽毛の1本1本まで細密に描き込まれています。この描写力はすごい。鳥が羽を閉じている姿はもちろん、広げた羽も別途に描かれていて、まるで鳥類図鑑を見ているかのようです。西洋絵画であれば、骨格などを学んで、理論的にその形を捉えるベースができているのですが、応挙は骨格など学んでいないだろうから、単に見ているだけで、これだけの描写ができてしまっている。それがすごい。これは、いつまで見ても、見飽きない。言葉がない。
このあと展示室7まで展示がありましたが、それほど興味をひくような作品はありませんでした。