クプカ展─抽象への軌跡
「宇宙の法則」を探究したチェコ人画家の全貌
 

1994年8月27日 世田谷区美術館

私が初めて自分で出かけた美術展のことを、曖昧な、というよりも殆ど残っていない記憶を掘り起こしながら書いてゆきたいと思います。この美術展に出かけたことから始まって、最初は年間で1回か2回程度だったのが、徐々に頻度が増えていって、その印象を簡単に書き留めていたのが、何時しかこのページに書き込むようになり・・・。というその最初が、この美術展だったというわけです。だから、この美術展がどうこうというのではなく、ここで書き進めていくのは、私の個人的な思い出や感想の類です。

真夏の暑い陽射しの中で、用賀の駅を降りてなれない道のりを、汗をかきながら歩きました。美術館が公園の中にあることを知らず、公園に入って木陰の遊歩道を行けばよかったのに、さえぎるもののない暑苦しい幹線自動車道路脇を歩いてたどり着いたのが世田谷美術館でした。今であれば、都心への出張のついでに寄り道するのが常ですが、このときは休日に出かけたので、日中の暑いさなかに歩いたと思います。そんな目に遭ってたどり着いた美術館は、絵画をみる以前に涼しかった。汗が一気に退いていくのを感じました。受付でチケットを買って、しばらく涼んでいました。

そんなことまでして、わざわざ出かけたのは、当時は絵画がとりたてて好きだったというわけではなく、このような感想を常時アップしていたわけでもなく、動機は今では思い出せませんが、たいしたものではなかったと思います。なんとなく、というのが一番当たっているのではないかと思います。それが、これで一気にハマって以後は美術展マニアに変貌したとか、そういうものでもありませんでした。しかし、この美術展に行かなかったら、今、年間で何度も美術展に出かけるようになることはなかったと思います。

とはいえ、その内容はフランティシェク・クプカという20世紀初頭の人で、日本では地味な存在の画家だったというのも不思議です。当時の日本はバブルの余韻が未だ残っていて、現代芸術とかかなりマニアックな展覧会が企業の支援とかなんかで割合盛んだったようでした。そんな展覧会も、言ってみれば、鑑賞者の姿はまばらで、夏休みの宿題とか区の美術館の子供向け美術鑑賞教室かなんかの催しがあったのか、ノートを手にした小学生のグループがいて、煩かった記憶が残っています。

さて、その地味と紹介したクプカについて、私もどのような画家か説明できるほど知識もないので、主催者のあいさつを引用します。“チェコ出身のフランティシェク・クプカは、カンディンスキーやモンドリアンと並ぶ抽象絵画のパイオニアのひとりとして、20世紀の美術史に大きな足跡を残した画家です。世紀末のプラハとウィーンで学び、象徴主義の土壌に培われたクプカの芸術は、革新の空気に満ちた今世紀初めのパリで大きく花開きました。彼は第一次世界大戦前の数年間に、対象の動きと意識の流れを内包する新しい絵画空間を模索するうちに、私たちの目に映る現象を超えて生命の根源に向かう神秘的な絵画を生み出しました。1912年のサロン・ドートンヌに発表された彼の作品は、公衆の目に触れた最初の純粋な抽象絵画として知られています。それ以後、1957年に世を去るまで、彼は独自の中小の世界をさらに深く掘り下げることに専念しました。その作品は彼自身の想像力から生まれた色彩と形のヴァリエーションによって、顕微鏡下のごく小さな世界から宇宙全体にまで及ぶ、あらゆる生命の誕生と変容のエネルギーを私たちに伝えています。孤独の道を歩んだクプカの芸術は、生前にはその意義を充分に認められることはありませんでしたが、彼の死後その全体像が明らかにされ、近年ますます高い評価が与えられています。今回の展覧会は、世界各地の主要なコレクションの協力を得て、油彩・水彩・素描など129点の作品により、この特異の芸術家の全貌をわが国で初めて紹介するものです。”つまり、一言で言えば抽象画家というわけです。しかし、この展覧会の特徴は、展示されているクプカの初期作品から見ていくと、クプカが最初具象絵画から出発し、当時の様々な芸術運動などから刺激を受けながら、自身の内側からの想像力の発露や考え方の転換によって、どのように抽象的な表現に至ったか、それからどのように彼独自の壮麗な絵画世界が展開されていったかを辿ることができるように展示が工夫されていました。クプカという一人の画家によって抽象絵画の形成と展開が、素人の私にも分かるように跡づけられていたというものでした。それだからこと、小学生の見学者が多かったのかもしれません。とはいえ、見ていて面白かったのは、圧倒的に後のほうの展示の抽象絵画を描き出してからの作品でした。惜しむらくは、その前の抽象絵画に辿りつくまでの展示を見ていて、疲れてきたところで、折角の面白い作品に出遭ったとしても、わたしの場合は疲れてしまって、鑑賞しきれない不足感がのこったということです。そのため、後日、再訪して前半の展示をすっ飛ばして、抽象画以降の作品をじっくりと見直してきました。

私の個人的な感想ですが、クプカの壮麗な抽象画は、カンディンスキーの不可解な形態やモンドリアンの幾何学の図形の組み合わせのようなものと違って、例えば、当時の少女マンガで人物の内面描写の背景に描かれる図案に似ていたり、心理主義的な解釈ができそうなところがあったので、物語的に眺めることができるものでした。幻想絵画とか人間の内面を掘り下げて意識下の世界を表現したとか、そんな見方ができそうなところがあって、私にとっては抽象画の入り口のような役割を果たしてくれた画家になったと思います。その、そもそものきっかけが、この展覧会でした。 

 

T.寓意と象徴主義

クプカは24歳でパリに定住しますが、そのころには伝統的な手法でひととおりの作品を描くことはできるようになっていたようです。むしろ、デッサンなどは生来の才能で巧みな方だったのではないかと思います。いわば、彼の画家としてのキャリアのスタートから、現実を見たままに描写する写実ではなく、意識のフィルターを通した理想主義的なものを描くようだったことが分かります。その際に、寓意や象徴を用いるという、当時の象徴主義的な人々の中で薫陶を受けていたそうです。

「銭」(左上図)という作品。雑誌掲載のための諷刺画ということですが、右側の腹部が硬貨で膨らんで跪くというカリカチュア的な寓意で、左側の後姿の裸婦は裸の真実の寓意ということでしょうか。諷刺とはいえ、二人の登場人物のデッサンはしっかりしているし、背景が暗くてよく分かりませんが、内容は寓意的であっても、作品としてはしっかりしていると思います。若くて、これだけ描くことができるのですから、クプカという人は、技術の不足に悩むことはなかったのではないか。つまり、いかに描くかになやむことはなくて、描くことができしまうので、何を描くかだけを本人は常に考えていたのではないかと思います。ということは、アイディアが大事ということでしょうか。クプカが客観的でリアリスティックな見方よりも象徴的で理想主義的な見方をする傾向があったというのは、彼の出自の影響もあるのではないかと思います。ボヘミアの田舎の馬具職人の徒弟だったという環境は、都市住民の近代主義の自然科学的なリアリズムが行き渡らず、未だ中世の信仰や迷信の残るものだったのではないでしょうか。とくに中欧や東欧は近代化が進んだ西欧に比べて後進地でもあり、その田舎ともなれば、自然現象を科学的に観察するのではなくて精霊の仕業であるとみてしまう風習が色濃く残っていたのではないかと想像します。そうであれば、ロマン主義とか象徴主義的な考え方に対する親和性を、クプカはもともと持っていたのではないかとおもえるのです。例えば、右の守銭奴をシンボライズした姿など精霊や悪魔のイメージと重ならないでしょうか。ここでは、そういうイメージについて象徴主義というお墨付きをもらって、アカデミックな手法で絵画として仕立てた作品。つまり、クプカのもともとの姿勢をベースにパリという都市住民に受け容れてもらうように誂えた作品と見ることができるのではないかと思います。

「静寂の道」(右上図)という作品です。「銭」は諷刺画ということで芸術的な作品というわけではありません。生活の糧を稼がなくてはなりませんが、クプカが、わざわざボヘミアの田舎からパリにまで出てきたのは、芸術を制作する画家として認められるためでしょう。そういう作品を描いていかなければ、認められないということです。クプカは挿絵を描いて生活していく一方で、芸術的な作品も描いていきます。この作品もそうだといえます。満天の星空の下で並んでいるのはスフィンクスでしょうか。ということはキリスト教とは別の古代エジプトの異教的な風景ということになります。象徴主義の画家たちが古代ギリシャやオリエントの神話を題材としてエキゾチックであることと神秘的な雰囲気を漂わせる効果を生んでいる作品と言えると思います。

「生命の始まり(睡蓮)」(左中図)という水彩の作品です。クプカ自身は出自の環境もあったのと、生来の傾向もあって、自然科学的なリアリズムの割り切ったような考え方に馴染めなかったのかもしれません。解説では哲学を独学で学んだような説明がありましたが、今でいえば神秘主義的な考え方というのか外界を客観的な実在という割り切ったものではなく、自身の精神と外の環境とのあいだに明確な断絶がなく繋がっているような考え方をベースにして、終生そこから離れることはなかったのかもしれません。そのような傾向を、自身の絵画作品の制作にもベーシックに底流しているのではないかと思います。「銭」のところでも少し触れましたが、クプカという画家はしっかりした技量を持ち合わせていたので、描こうと思えば描けた人だったようで、それゆえに何を描くかということが、この画家にとって大きな課題であったと思います。その何を描くかということについて、クプカ本人の性向、つまり、上で述べたようなベーシックな考え方を土台にして、それを可視化、画像化していくと、それは他の誰もしていないものなりそうだ、クプカはそこまで考えなかったかもしれませんが、おそらく、何を描くかということを自身の課題として突き詰めた時に、このことが主要なこととしてクプカ本人に意識されたのではないかと思います。前に見た「静寂の道」もそうですし、この「生命の始まり」は神秘主義的なものをパリのリアリズムの考え方に移行してしまった人々に受け入れてもらうために、ある程度リアリズムに歩み寄って、その中で異教的なエキゾチズムで人目を惹くことを考えたのではないかと思います。そこで、当時の先端科学かトンデモ学かの要素があったグレートマザー(科学者でいえば、バッハオーフェンの母権制からユングのグレートマザー)の要素を図案化していったと思います。完全とか永遠を表わす円形を以って画面の構成要素として、背景にその円形を自らの形としている睡蓮の葉と花をあしらって、しかも、睡蓮は仏教では釈迦が乗っている花でもある象徴的な植物です。この作品を見ていると、ひとつひとつのパーツは具象で写実的に描かれていますが、それらを組み合わせた画面全体は現実の世界にはありえないものとなっています。この組み合わせだけであれば、抽象画的なものになってきているといえなくもありません。

「自画像」(右中図)です。よく見ると、画家の頭部が描かれているあたり、ちょうど画面の左側の3分の2の部分は写実的に、キチッと描かれて、画家の顔や筆を握った右手やその先の紙や台、それを支える柱、奥の壁などは明確に描かれています。これに対して画面の残りの右の3分の1は斜めの筆触で流れているかのように、画家の背中のところも含めて、明確な形をとらずに、写実的な描き方から離れ始めています。「生命の始まり」では何を描くかということで画面構成が写実からはなれましたが、ここでは何を描くかでは自画像という写実の対象であるものが、一部で如何に描くかのところで写実から離れ始めています。このようにクプカの場合は、抽象絵画の歩みは一本道を進んだというよりも、何を描くかとか如何に描くかといかいった、いくつかの分岐道を別々に抽象化の道を、異なるペースで進んで、紆余曲折を繰り返して、最終的に抽象絵画にたどり着いたのではないかと考えることができます。また、顔の描き方がフォービズムの色彩の置き方の影響があるようにも見えます。これは、後のの色彩構成で絵画の空間を造ろうとする傾向の先駆的な兆候なのかもしれません。

「花咲くマロニエの木」(左下図)という作品です。マロニエの大木を描いた作品は写実的な題材で、寓意や象徴とは無関係のようですが、白っぽい色のマロニエの白い花の描き方が、参考に実際のマロニエの写真と見比べると、不自然なことが分かります。画家が恣意的に白い花をアクセントをつけて描いて、マロニエの木を描いていながら、緑を帯びた白い点の並びがリズムを生んでいます。それは、音楽の音符のようなものに感じられてきて、単なる風景画には留まらない印象を与えます。これなど、如何に描くかのところで写実を超えようとする動きが画家に生まれていることを示しているのではないかと思えるのです。

 

  

U.人間の諸相

クプカがパリでの最初の10年間は挿絵を描いて生計を立てていたそうで、文学の挿絵や雑誌の諷刺画などで、そこでは人間の諸相を見つめざるを得なかったこともあって、画家は自分自身を見つめて行ったといいます。ただ、ここで展示されていたのは挿絵が中心で、展覧会では眺めるのもいいですが、敢えて一点取り上げてよく見てみようというものではないと思います。ただ、ここで言えることは、挿絵というメディアに関わったことで、とくに大衆向けや政治運動の挿絵を制作する中で、その表現されたものが大衆に受け容れられたときに、もとの表現した対象を超えて受け容れられたり、本来表現しようとしたことから離れて独り歩きしてしまうことを学んだのではないかと想像してしまうのです。つまり、表現された作品は、もともと客観的に何かを写したものであったとしても、人々は、それをそのまま受け取るとは必ずしも限らない。そこにさまざまな解釈が介在し、その内容は変質していくわけです。そうであれば、対象を写実的に描写することに何の意味があるのでしょうか、ということになると思います。そこにあるのはリアルな実在というよりも、イメージの交錯です。それなら最初からイメージを人々に提示してもいいのではないか、とはいっても、現実にはそこに一線があって、その一線を誰も超えようとしなかった。クプカが、そのことを意識するのに、この挿絵を描いていたことは、けっして無関係ではないのではないかと考えてしまうのです。 

 

V.空間と運動の分析

1910年を過ぎる頃、クプカは独自の絵画を切り開くことを決意したといいます。それがどのようなものかについては、1923年に出版された『造形芸術における創造』という自身の芸術論にまとめられているそうです。その内容は1910年から数年間で書き溜められたメモをまとめたもので、その主要な主張は現実を客観的に再現することは無意味ということです。つまり、 “クプカが目指したのは表面的な外観の奥にある、自然のあらゆる現象をつかさどる本質を描くことだったといいます。クプカの見解によれば、芸術家は科学者のような正確さで現実を観察するのではなく、目に映るイメージを想像力の中に取り込み、それに雑多な記憶や連想を結び付ける。その変形、増幅したイメージをつぶさに検討し、蒸留することによって、本質的なものが抽出される。それは、自然を支配する動的なエネルギーである。すべての事物は、内部に動く生理的な力と、それを取り巻く環境の双方の影響のエネルギーと、それに共鳴する自分自身の意識を描くことが、本質への道である。彼はこのような信念を抱いて、連続写真、映画、X線写真などの発明を参照しながら、絵画による運動の表現を試みた。”と展示の説明されていました。ここは、説明をもう少し引用します。“クプカは1910〜11年の作品において、遠近法と明暗法による伝統的な空間表現を、自然の表層を写す手段に過ぎないものとして放棄し、それに代わる新しい空間を模索した。それは画面を等間隔に区切る垂直の帯と、スペクトルの配列に従った自律的な色彩からなる。時間の経過、対象の運動、意識の持続を内包した空間である。この垂直の形は次第に対象を呑み込み、それ自体の存在を主張するようになる。垂直の形のプリズムと色彩の変化のみによって時間と意識の流れを表現することが可能であれば、もはや現実の対象を描く必要はどこにもない。”何か難しい理論ぽくなってきましたが、それを作品に即して見ていきたいと思います。

「垂直線の中のクプカ夫人」(左上図)という作品です。上で引用した説明にあるように、垂直のスペクトルで画面全体が埋め尽くされ、その真ん中あたりに、かろうじて女性の顔が垣間見えるようになっています。では、この垂直のスペクトルをどのように見ればよいのでしょうか。同じ時期に描かれた「花を摘む女」(右上図)というパステル画を参考に見てみましょう。中央の人の形の影がかがんで手を伸ばす動作が連続写真のように、いくつかの動作の姿が重なるように描かれています。現代のアニメーションのコマに近いものに見えます。ただし、アニメーションはコマとしてフィルムに連続して別々に画面として作られるのに対して、このパステル画ではコマに分けずに一枚の画面に重ねて描いているということでしょうか。したがって、アニメーションでは連続してフィルムに定着し、それを間をおかずに連続してみると画面が動いて見えるのを、ここではひとつの画面に集約してしまっている。つまり、アニメーションでは当たり前に見える時間の経過と運動を瞬間であるひとつの画面に入れ込んでしまおうとしていると考えられます。そして、このパステル画の背景に垂直の線が何本も引かれていて、その垂直線を境に背景の色が、とくに濃淡が変化しているのは、アニメーションのフィルムの1コマ1コマに相当する、つまり、そこに時間の経過が込められているのではないかと思います。つまり、「花を摘む女」では、運動を画面に含ませるために、必要な時間の経過をひとつの画面に入れるために垂直のスペクトルが使われていると考えられます。考えようによってはキュビスムの画面に近いものではないかと思います。

では、あらためて「垂直線の中のクプカ夫人」を見てみましょう。この作品では、人物の形は影としても見いだせなくて、僅かに顔の部分が垂直のスペクトルの隙間に垣間見える程度です。これでは「花を摘む女」のような運動が生まれるということは考えられません。運動ということをどのように定義するかはいろいろ議論があるかもしれませんが、少なくとも、ここで言えるのは時間の経過にしたがってある程度意味的な同一性を認識できる形が変化するということと考えてみてみると、「垂直線の中のクプカ夫人」では、そういう形は隙間に垣間見える顔だけです。顔の下には人体の影があるのではないかと想像したいのですが、画面を見る限りでは、その影を彷彿させる兆しも認識できません。ということは、「垂直線の中のクプカ夫人」には、「花を摘む女」のように運動や時間の経過ということは、あまり考えられていないということです。この作品での垂直のスペクトルには、そういう要素は含まれていません。そうであるとすると、垂直のスペクトルというのは、何かを表わすとか、何らかの意味が含みこまれているというような機能を果たすものではないということに成ります。そう考えて、「垂直線の中のクプカ夫人」の画面を見ると、垂直のスペクトルは様々な色彩が(「花を摘む女」での垂直線の色遣いが濃淡の段階のようだったのと全く違います)無秩序に、色とりどりに百花繚乱の様相を呈しています。まるで光がスペクトルを透って乱反射して拡散しているかのようです。見ようによっては印象派の筆触分割を推し進めた点描のようでもあります。そこで、構図が良く似ているので、参考としてウィーン分離派のグスタフ・クリムトの「ユディト」(右中図)を見ていただきたいと思います。女性の顔が描かれ、その下の身体も描かれていますが、クリムト独特の装飾に大部分が蔽われてしまっています。「垂直線の中のクプカ夫人」においても、このクリムトの金色の装飾と似たような効果を垂直のスペクトルが果たしているのではないかと思います。あたかも、女性(クプカ夫人?)を乱反射した光のスペクトルが取り囲むようにして(おそらく、クプカには、表面的な目ではないところで見ているということなのでしょうから、そのように見えたのかもしれません)、画面に在るということなのではないかと思います。

一方、やはり同じ時期に描かれた「音楽家フォロの肖像」(左下図)という油絵の作品です。人物の右手を前に出した上半身の像のようで、その人の形の影が分かります。この作品では、「花を摘む女」のような運動していないので、時間の経過も画面には入れ込まれているとは考えられないでしょう。また、「垂直線の中のクプカ夫人」とはちがって、人の形は残っていますが、リアルな色づかいはなくなって、画面全体が垂直のスペクトルの模様にようになって、しかも色遣いは光のスペクトルを思わせるものではなくて、色彩の濃淡の段階になっています。ここでは、写生的な要素は全くないと言えます。むしろ、かろうじて人の上半身像の影がかろうじて残されていると言った方がいいのかもしれません。あえて言えば、この肖像が音楽家のものだということで、おそらくピアノの前に手を置いているのかもしれません。その音楽家の音楽の音の強弱やタッチの変化のようなことが、垂直のスペクトルの形や幅、あるいは色彩の変化にニュアンスとして反映されているのかもしれません。

それは、翌年に制作された「垂直線の配列」(右下図)という作品が、まるでピアノの鍵盤のようにも思える垂直のスペクトルが楽譜の上の音楽の音符の配列のように並んでいる、その配列の横の線が、音楽のメロディのように見えてくるからなのです。たぶん、クプカは、意識の流れか、それが身体化されたものとして息の流れのような、あるいは心電図とも見えますが、そういう推移をなんらかの形にしようとしたのではないかと思います。ここには、目で見えるものを表面的であるとして、身体で感じることのできる目で見える形にならないものを、何とかして形にして画面に描こうとしたクプカの試行の跡が表われているのではないかと思います。 

 

W.アモルファ─抽象絵画の誕生

「ボールを持つ少女」(左上図)という1908年の作品です。自宅の庭で娘をモデルに描いた作品は、前のコーナーのような垂直のスペクトルが未だ現れていない時期なのでしょう。真夏の陽射しが強く照りつけているのがフォービズムの影響を受けたような絵の具の置き方と色彩から想像できます。たぶん、この娘は未だ子どもでじっとしていられなかったのでしょう、クプカは、その動きに溢れた光景を表現することを試みようとして、試行錯誤を始め、その結果として伝統的な描法から脱皮して抽象画にたどり着いたという解説がされています。

この「ボールを持つ少女」をベースにして運動を含みこんだ画面をつくろうとしスケッチを繰り返していくうちに次第に少女の形が、動いて変化することを形を一度に表わそうとして、多重にかたちを重ねていくうちに、元の形が曖昧になって、変化の軌跡が残っていくようになっていったみたいです。それぞれのスケッチを簡単に見ていきましょう。まず、人体の各部が分節化され、それぞれが円や楕円の形に書き換えられていきます。抽象化の始まりと言えます(1番左)。次のスケッチでは、運動の軌跡を取り込んで行こうと、異なる時間の層をひとつの画面に取り入れる試みとして、人体の輪郭線や運動の軌跡を表わしたような円が身体の上に幾重にも重ねられ、線が単なる輪郭線ではなくて運動や時間の意味も内包された抽象的な意味合いを帯びるものとなっていきます(左2番目)。次のスケッチでは、円と円が重なり、そこに陰影が施され、現実になかった曖昧な空間が画面上に生まれてきます。次の段階では、その曖昧な空間が生まれてきたことに対して、現実の空間の画面の両方を画面に並存させるために、色鉛筆を手にして、運動の軌跡と色面の組み合わせによって両者の統合を試みます。そして、基本的には三原色をベースに、色彩そのものの性質を利用しながら、対象と背景、動きと空間の関係を追求していきました(左3〜5番目)。これらの説明は解説の受け売り、つまり引用です。私の個人的な感想ではないので、信頼性のあるものだろうとおもいます。

「アモルファ、2色のフーガのための習作」(右上図)という1911年頃の油絵で、これらのスケッチの結果が油絵の形でまとまったということです。例えば、画面4割近くを占める緑色は、もともとの「ボールを持つ少女」の背景の庭の草の色に由来するものですし、印象的なピンク色は「ボールを持つ少女」では影の彩色に使われていたものです。中央部が人体を抽象化させたものでしょうが、重なり合う紫色の楕円形は抽象化した頭の部分と考えられます。首を後ろに曲げて顔を横に向けているようです。右に伸びる赤と青の2本の帯状の形は腕を表わし、上が左手、下が右手のようです。後ろに曲げた頭と2本の腕との関係から、上半身は斜め後ろから描かれているようです。画面下半分には、赤と青の足が何本も描かれているようです。正面向きの右足の輪郭がハッキリと見られますが、全体としては、右から左へ進む足の歩みを時間的な層で捉えることで一連の動きを表現していると言えます。一方、画面の上半分では、上半身の捻れとその運動の軌跡である曲線によって動きが生まれています。このようにクプカは2種類の動きの表現をひとつの画面で同時に行なおうとしています。これも解説の受け売りです。それもあるでしょうが、とくに画面の上半分の楕円や円の組み合わせ、垂直のスペクトルが並べられていることで、円の中が円形に流れているような動勢の感じられることと、この画像ではくすんでしまっていますが、色彩の少しぶつかり合うような鮮やかさの対立を味わうこともできると思います。むしろ、もとの「ボールを持つ少女」や何枚ものスケッチを気にすることなく、そういう視点で見ても、十分鑑賞に耐ええる作品であると思います。

「ニュートンの円盤」(左中図)という作品です。「アモルファ、2色のフーガ」の習作から派生しでできあがった作品のようですが、これまで、ボールを持った少女の姿が、運動による変化を採り入れることを契機に変化してきたのが、ここでは少女のような具体的な形象かきえてなくなってしまいました。点描っぽく置かれていた色彩と、動きの軌跡のような曲線のみで構成された画面で、カンディンスキーやモンドリアンであれば「コンポジション」と命名しそうな作品です。タイトルのとおり、一見すると、ニュートンが『光学』で作成した色相環(右下図)に組み合わせのように見えます。

「アモルファ、2色のフーガ」(左下図)は最初の抽象絵画ということだそうですが、本人の描いたレプリカが展示されていました。ここまでの一連のプロセスの行き着いたというように見ることができます。描く対象の少女の形態は影も形もなくなってしまって運動の軌跡が曲線となって、さらにその曲線自体が生命をもったかのように湧き上がったり成長して伸びたりするような動きがあった後のような形をとり始め、一方で夏の日差しを受けていた色彩を点描のように分析して画面に置いていたのを、運動に伴って光線の当たり方が変化するように光の構成が変化する様を追いかけていくうちに、色の要素を絞り込んで、最終的にたどり着いた作品ということになります。

展示にあった解説を思い出したものをもとに、自分なりの考えを混じえて書いて見ましたが教科書みたいですね。モンドリアンの林檎の木の抽象化(下図の3枚)ほど分かり易いものではなくて、「アモルファ、2色のフーガ」をもとに後追いで、それらしいストーリーをつくったもの、という気がします。というのも、もし、このように形態や運動を曲線や色彩に還元できるのであれば、クプカは、そのような作品を沢山描いてもいいはずです。それは世界を視るための原理であるはずなので、あらゆるものが、その原理に基づいて見えてきて、作品はその反映として制作されてもいいはずです。たとえば、さきほどあげたモンドリアンは、ひとつの原理に基づいて、似たような作品、というよりも同じような作品で一部の細かいところが微妙に違っているような作品を大量に制作しました。しかし、クプカはそうではないのです。前のコーナーで見た垂直のスペクトルのような、ここで見ている「アモルファ、2色のフーガ」とはことなる原理の作品を、ほとんど同じ時期に、別に描いているのです。しかも、クプカは「アモルファ、2色のフーガ」に類似した作品を、この後、あまり描いていません。ということで、このコーナーで抽象化のストーリーとして見て来たのは、クプカの原則的なものの見方とか、抽象画のための方法の模索というよりは、ボールを持った少女を描くということについて、クプカが試行錯誤をしたという、単なるひとつの例であって、他の題材であれば、別のストーリーが出来上がってくる可能性があるということなのです。それだからというわけでは在りませんが、クプカの抽象画というのは、理論的な発想でつくられたものでもなく、ものの表層にあらわれている外形の内側とか人間の内面に分け入ってそれを描こうとしたとか、そういうものではないではないかと思います。それは、最初のコーナーのところで少し触れましたが、彼の目に見えている世界というのが、イタリアやフランスといったラテン的で合理的な世界とは、異なったものだったのではないかと思えるからです。つまり、ルネサンス以降の近代主義的な見方とは異質な見方を彼は持っていて、それまでの画家たちが見ていたのは、違って世界が見えていたのではないか。それを、描こうとすると自分の見かたとは異なる見方に基づいた描き方ではうまくいかない。そこで、個々の作品ごとに自分の見えているように描くために、方法を試みた。そのひとつの例が、ここで紹介されている「アモルファ、2色のフーガ」の作品についてのものではないかと思います。しかも、この解説を考えた学者(誰かはしりませんが)は、近代主義的な、当時でいえば伝統的な見方をしていたとすれば、当然クプカの見方は異質なわけで、そのクプカの見方を伝統的な見方に引き寄せて理解するために、クプカと正反対の方向で同じような試行が必要だったことになります。それが、このストーリーであるように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

X.有機的な形、宇宙的な形

クプカの抽象画はすべて、最初は具体的な対象から出発している。と説明されていましたが、ここでは、前のコーナーで述べたように、クプカが個々の作品を彼が見たものを画面に定着させるために、その見えたものに即した試みをしているのを見ていくようなことになっています。また、クプカはひとつの作品を集中して描くタイプではなくて、複数の作品を同時に手がけて、併行して制作する方法を取っていたということで、それぞれの作品で試みていたことが、各作品だけで完結することなく、同時に制作していた作品にも流用されることがあったり、作品相互の影響関係があったりしたということです。つまり、個々の作品を見ていくこともありますが、それらの作品をグループとして見ることも興味深いといえるとうことだと思います。抽象的な作品を制作した画家で著名な人というと、何度も列挙していますが、カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ、ロスコとあげていくと、求心的な方向つまり、ひとつのパターンを繰り返す傾向が見えます。これに対して、クプカの場合は反対に遠心的な方向で、かなりヴァラエティに富んでいるように見えます。しかし、その多様性には何の脈絡もないかといえば、そこに作品相互の影響関係があったりとか、他の抽象画家にはない面白さがあると言えるかもしれません。

「彩られたもの」(左上図)という作品です。原色の絵の具の鮮やかな色彩が目を惹きます。画面の下部には赤系統の色が塗られた半円形が肩から腕にかけての形に見えて、下部中央には黒い線が螺旋状になっているのが長い髪を結った女性の頭部のように見える、全体として、うつ伏せになって、こちらに頭を向けている女性の上半身のようです。それを画面上部中央の鮮やかな黄色の半円は太陽で、そこから強い光がうつ伏せになった女性に注がれているように見えます。そこまでは、具象的なものとして解釈できますが、さらに女性の背中から太陽に向かって草の発芽のような双葉が開いているような青く彩色された形態があります。そして、それらの形態から波紋が広がるような扇状の模様が背景となっています。これは、女性とか発芽といったメタファーを用いているとして生殖とか誕生、そして扇状に波打つ背景は成長といった生命にかかることをシンボライズしていると解釈できようなことも解説されています。その可能性は否定できませんが、ここには、「アモルファ、2色のフーガ」では運動の軌跡であった曲線が、それ自体成長するように伸びていってしまうという、描かれたものが有機的になってしまうということが、ここでも、要素として最初から画面にあると思います。むしろ、それが隠れたモチーフになっているのではないか。それは扇状の波打つ背景であったり、上部中央の黄色い半円からの下にのびる動きと、それに対向する下から上への青い部分。ここには、「ニュートンの円盤」にあったような色彩を動きと関連させる手法をダイナミックに展開させたものが見えます。

「おしべとめしべの物語」(右上図)という作品です。作品名はダイレクトに生殖を暗示しているようです。そう考えると「彩られたもの」の生殖という解釈は、この作品との関連でも考えられると思います。この作品では、「彩られたもの」の扇状の波打つ背景が、画面の中心的な構成要素となってまるで柱のように上下に伸びていく動きを伴っているかのようです。画面中央のところの白い部分は人の影の形が、まるで裸の男女が絡み合ってようにも見えます。そこを起点にして花弁が広がるように上と下に向かって伸びるように成長していく。そして、その柱のような部分の周囲には楕円のような波紋が緑や青で、それは後で見る「生命力ある線」の構成要素が入り込んでいる。しかも、中央の柱のような部分は上下に伸びていくにしたがって形を変えていきます。余談かもしれませんが、この上下に柱が伸びていくような画面の構成と、それをしたから仰ぎ見るような構図で、上へ変形しながら伸びて、色も変わって、その先が上部にとけ込むように消えていくというのは、バロックの宗教画(例えば、エル・グレコ)の昇天の場面の天上に昇っていく様子と、その先の天上が光に輝いていて、その光の中にとけ込むように消えていくさまに雰囲気が似ているのではないか思います。

「生命力ある線」(左中図)という作品も、その関連の中で見ることができると思います。「おしべとめしべの物語」との関連で見れば、左下の起点から四方に曲線が伸びています。「おしべとめしべの物語」では上下という垂直方向だけだったのに対して、「生命力ある線」では広がる方向性があらゆる方向に放射状に伸びていっています。その一方で、「おしべとめしべの物語」の柱のように伸びていく形態が有機的に大きく変化していくという点では、変化は部分的なレベルに止まり、変化よりも伸びるということに重点が置かれているようです。「おしべとめしべの物語」では起点となる中心に男女の人間の形が絡み合うように描かれて生殖を強く暗示されていたのに対して、こちらの「生命力ある線」では、点が無数にうたれています。その無数の点かに曲線が伸びているというのは、線は点が集まって、前後の方向に伸びることによって作られる、というとを考えると、この伸びている線というのは、無数の点から生まれ、その無数の点によって構成されるものです。しかも、さらに考えれば、面というはその線があらゆる方向に隈なく伸びていくことで作られるものです。だから、この「生命力ある線」は点から線が生まれ、その線が放射状に伸びて面をつくっていく、そしてそうして作られた面とは、まさにその点や線が描かれているキャンバスという面ということで、作品が物理的に生まれる生命を象徴的に描いたと考えることも可能です。したがって、伸びる線は「おしべとめしべの物語」の有機的な柱とは異なる描き方で幾何学的な曲線の様相になっていたわけです。とはいっても、幾何学上に伸びる曲線の内部をみれば、点、その点が成長したような垂直のスペクトルが並べように描かれていて、そのスペクトルが少しずつ変形し、並びが変わっていく、つまり、伸びや変化が多層化されています。そのために、幾何学的な線で構成された抽象画は、往々にしてスタティックなもの(例えばモンドリアンやマレーヴィチ)ですが、この作品は、むしろ動きを感じさせます。さらにまた、伸びる方向によって色彩の基調が異なってオレンジ色の暖色系と白、そして青や緑の寒色系となっています。

「線、平面、奥行きU」(右中図)も同じ系統の中で見ることもできると思います。クプカは血液の循環や動脈の組織図にヒントを得たと説明されていますが、黒い線が画面中央でとぐろを巻くような状態から上方向と右下から左下に廻りこむように伸び広がっていく。そこから毛細血管がひろがるように青や白い面の筆跡が一定方向に揃っていて、そう見えます。これによって、幾重にも広がりが多層化して、その縁が層を作っています。寒色で統一されたような色調は、この場合に、どのような意図や効果をもっているかは、私には図りかねるところがありますが。

「生命力ある空間」(左下図)という作品では、すこし異なった傾向が見られます。画面下部の点から四方に泡状にとぐろを巻くように広がっていく方向性は、これまで見てきた作品と共通するところがあります。しかし、この作品では、その方向とは別個に、その方向に箍をはめるように、画面全体を枠づけるような曲線があります。この曲線は、カトリックの大聖堂の蒼穹ドームの内側を支えるリブヴォールトのようだと解説されていますが、それは宇宙を内側から支え、秩序づけるものという意味合いを考えてもいいかもしれません。

「線、平面、空間V」(右下図)では、その枠組みの曲線で空間を秩序付ける方向での試みが行われています。その割には、閉じられた感じはなくて、動きを感じさせるところは、クプカの作品に共通した特徴ではないかと思います。たぶん、秩序とはいっても、規則的になってしまう直前で、曲線を断ち切ったり、シンメトリーな構成を外したりして、不定形さを残していて、例えばモンドリアンのような完璧なバランスで均衡をつくりながら、そのためにそれ以上の展開の余地がなくなって、いわば袋小路のように動きがとれなくなってしまう息苦しさのようなものはなくて、ある種の余裕を残していて、それが動きを感じさせているのかもしれません。

「執拗な白い線」(下図)という作品は、今まで見てきた作品とは異質です。今までの伸びるとか、枠づけるといった方向性とは関係なく、白い縄のような線がのた打ち回るようにあって、それと対照的に金色の均一な線が中央で静止しています。

 

 

 

Y.垂直の面と斜めの面

1910年代の運動を画面に取り入れようとして抽象画一歩手前に近づいたクプカの作品に、垂直のスペクトルが現われたことは、V.空間と運動の分析のところで「垂直線の配列」などの作品をみました。その垂直のスペクトルは、クプカの作品の中で生き残りました。“上と下、点と地を貫く垂直の形は、永遠の生成変化のサイクルを象徴する「円環」とともに、宇宙的生命力のエネルギーのもうひとつの象徴であり、現実を超えた本質的な世界への意志を伝える。「荘重なる垂直線、それは空間における生命の支柱であり、あらゆる構成の軸である」。この形態と「斜めの面」の組み合わせは多様なりリズムを生み、豊かなヴァリエーションを繰り広げる。「直交する線や斜線によって切られると、垂直線の束は上昇あるいは下降の印象をもたらす。垂直線に区切られたいくつかの面の色や明度が異なる場合には、その印象しいったんそう強められる」。”と説明されています。

「垂直の面と斜めの面(冬の記憶)」(左上図)という作品を見ていきましょう。垂直のスペクトルが、「垂直線の配列」では二次元の平面的な画面に配列されていましたが、ここでは三次元的な空間に厚みを帯びて、垂直に浮かんでいるようです。しかも、背後の模様は二元的に背景ではなくて、手前の空間に侵食してきているようで、直線の模様が凹凸があるという以上に、垂直のスペクトルの一部となったり、背景であったりと、だまし絵のようなものになっています。一見、空間に垂直に方形の物体が浮かんでいるような様相になっているようですが、その物体と空間の境界が曖昧で交錯しあっているので、三次元的には、空間としてはありえないことになっています。そこが、見る者を惑乱させます。一方で、幾何学的な図形のような規則性のありそうに描かれていながら、垂直の列が直線でなくわずかに不定形菜曲線になっていたり、浮かんでいる方形の大きさや形が、実は揃っていなかったりと、また、色彩の配列も同じように規則性が在りそうでない。定規で直線を引いたように見えて、実はフリーハンドで引いた手描き感のある線とでもいうような、手触りの感じが隠されているようなところ、あえて言えば有機的とでも言うしかない感じ。それが、幾何学的な図形の冷たい感じを見る者に感じさせないところがあります。それが、たとえば、この垂直の列は、螺旋状ではないけれど(中が螺旋状になっていると想像して)遺伝子の配列、つまりは生命の秩序のように見える(おそらく、20世紀初頭の作品が制作された時は、遺伝子だのDNAが二重螺旋になっているなどということは一般的でなかったでしょうから)とも言えます。

哲学的建築」(左下図)という作品です。垂直の線と斜めの線による平行四辺形で構成された幾何学的な平面で、シンメトリー的な構成でとられているにもかかわらず、そういう幾何学的な図のような抽象画にありがちな、スタティックで冷たい感触がありません。今まで、クプカの作品の変遷を中世のイコンのような作品から幻想画風な作品を経て、運動や時間の移り行きを二次元の画面で表現していこうとするうちに、静物(スティル・ライフ)というように物体が動きを止めたことによって外形が明確になるのであって、物体を見る眼は動いている物体の一瞬を静止状態のようにストップ・モーションの1コマのように捉える、とすれば、動いている物体を動いているままにとらえれば、シャッタースピードを遅くして撮影した写真のように動く物体の輪郭がボケたものになってしまう。したがって、物体の外形の輪郭はボヤけて後景に退いて、反対に、その動いた軌跡を線として新たに画面に描きこむ。そういうプロセスで、クプカの描く画面から具象的な物体の形は影が薄くなり、動くものとして、その動きを表わすために、何かが動く、その何かとして程度のものでかろうじて画面に残滓が見える程度になったと思います。当然、ここで言う動きには、描く対象である物体の動きだけでなく、その動きを認識するクプカの動きも同じようにあったと思います。それは、従来の絵画にあったような視点を複数にして多元的な画面を構成するというのではなくて、視点を固定せずに動きまわることで、そういう点からも物体の外形の輪郭は明確に捉えられなくなります。そうであれば、この「哲学的建築」のような幾何学的な図面のような作品は、クプカの今まで述べてきたプロセスからすれば、異質なものではないか。つまり、幾何学的な図というのは、形態の輪郭から余計なものを取り去って純粋化したものだからです。つまり、外形を突き詰めた究極というわけです。それは、外形を消し去ろうとしてきたクプカの絵画制作の推移とは正反対の方向です。私には、クプカがなぜ、このような幾何学的に見えるような作品を制作したのか、この作品を見る限りでは分かりません。しかし、その一方で、いままで述べたような幾何学的な画面の性格とは異質の印象を見る者に与えることは、何となく分かる気がするのです。例えば、画面中央で、対向し合うように縦に並んだ濃淡のブルーの平行四辺形は、どこか歪んでいるのか、平行四辺形の図形のようには見えません。縦の線が垂直になっているのか、いないかもしれない。そんな印象を残します。しかし、これを現実に平行四辺形の縦に置かれたような青く塗られた石造りのモニュメントを描いたとでも言われれば、納得できてしまうのです。つまり、どこか現実の夾雑物が混じっているのです。それは、線も図形の輪郭もそうですし、色塗りのムラもそうです。この夾雑物が残されていることこそが、クプカの抽象画に有機的な生命のようなものが感じられると解説で説明されている要因のひとつではないかと思います。それは、視点を変えれば、抽象として中途半端と言えるかもしれません。しかし、このような幾何学的であっても冷たさを感じさせないものを、私は生活の中で身近に識っています。例えば、着物の小紋といわれる模様です。麻の葉(右図)という模様は手ぬぐいや浴衣などでよく使われていますが、そこに冷たさという感じはしません。クプカの作品がこのような模様と同じと断言するつもりはありませんが、近代以降の絵画の世界で理念とか思考を突き詰めて行き着いたものとは、まったく違うところで手仕事の融通とか、人々に受け容れられるデザインというところから結果として抽象てきな図柄となってしまった例もあり、クプカの場合には、そういうケースの性格も加味して見ることのできる、ふくらみがあるように思います。 

 

Z.機械絵画と幾何学的抽象

今まで見てきたような抽象画に行き着いて、クプカがそれらの作品を精力的に制作していったのが1910年代です。その後、第一次世界大戦を経験した1930年頃になると、クプカは抽象的な作品から機械を題材とした作品を描き始めます。

「鉄が飲む」(左上図)という作品です。説明によると、クプカは1920年代の終わりごろから創作活動に行き詰まりを感じ、現実的な主題に戻ることで状況を打開しようとし、マシニズムと呼ばれる一連の作品を残したといいます。この作品を見ていると、フェルナン・レジェに似ていると思いますが、クプカは、レジェのような機械に象徴されるような現代文明への礼賛というよりは、ダイナミックに作動する機械の形を借りて生命のエネルギーを表現しようとしたと、説明されてしました。解説はいいとして、私が、この作品を見ていて特徴的と思ったのは、他のクプカの作品と比べて余白がほとんどないということです。この作品では。機械らしき物体が画面を占めていて、溢れんばかりなのです。それまでクプカの作品では、とくに感じることはなかったのですが、この作品を見ると、彼の他の作品には、画面にひとつの空間とか世界のような設定があって、その中に何かが在るという形がとられていた、ということが分かります。しかし、この「鉄が飲む」には、他の作品でなされている設定が見えず、機械の目の前に立ちはだかって、その一部の見えるところを切り取って作品に写したという作られ方のように見えます。説明にあった創作活動の行き詰まりということからでしょうか。なんとも分かりません。クプカ自身。このマシニズムは一過性の現象だったようで、一時期を過ぎると、この傾向は捨て去るように描かなくなるようになって、この後で見るような幾何学的な抽象画に切り替わっていくのですが、そう見れば、そのように転換させていくための過渡期の作品と見ればいいのでしょうか。私には、何とも言えません。

「斜め面U」(右上図)という1931年の作品です。まさに幾何学的な作品です。クプカは、そういう抽象画家たちのグループに加わったのが契機になったと説明されていました。スッキリとした洗練を感じさせる画面です。これまで見てきた動きを求めて、その結果としてスタティックな形が消えていくというのがクプカの抽象画と思ってみてきましたが、この辺りからは、図形というスタティックな形を求める作品を制作していったようです。そして、クプカの抽象画には、現実の夾雑物を、純粋化ともいえる抽象の中にわずかに残して、それは抽象の方向性とは適合しないわけですから、そこから生まれるものが動きを感じさせるダイナミズムとか、有機的な生命感を生んでいたと思うのです。しみろが、これらの作品では、そういう、それまでのクプカの抽象画にあったものを削ぎ落とそうとしているように見えました。

「基本要素の作用」(左下図)という作品では、円と直線だけに要素を限定し、色彩すらも限定してしまっています。これだけ、要素を切り落として、最小限のものだけ残したという場合には、その残された要素の存在感というのでしょうか、強い緊張感に包まれていることが多いのですが。この作品からは、そのような緊張感を強く感じることはありませんでした。

「動く面」(右下図)という作品もそうです。クプカという画家は、日本では、それほど知られていないようで、作品もあまり紹介されていないようです。それなので、できるだけ多くの作品の画像をここに置きたいと思いますので、紹介しておきます。私の個人的な好みからいえば、この手の幾何学的な作品はモンドリアンの作品を見ていれば十分なので、というよりもモンドリアンがやりつくし、その緊張感の高さに触れてしまうと、他の画家の作品はもの足りなくなってしまう、一種の中毒症状にあるので、クプカのこれらの作品に対しては、言うことがないというのが正直なところです。


 

 
絵画メモトップへ戻る