X.有機的な形、宇宙的な形
クプカの抽象画はすべて、最初は具体的な対象から出発している。と説明されていましたが、ここでは、前のコーナーで述べたように、クプカが個々の作品を彼が見たものを画面に定着させるために、その見えたものに即した試みをしているのを見ていくようなことになっています。また、クプカはひとつの作品を集中して描くタイプではなくて、複数の作品を同時に手がけて、併行して制作する方法を取っていたということで、それぞれの作品で試みていたことが、各作品だけで完結することなく、同時に制作していた作品にも流用されることがあったり、作品相互の影響関係があったりしたということです。つまり、個々の作品を見ていくこともありますが、それらの作品をグループとして見ることも興味深いといえるとうことだと思います。抽象的な作品を制作した画家で著名な人というと、何度も列挙していますが、カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ、ロスコとあげていくと、求心的な方向つまり、ひとつのパターンを繰り返す傾向が見えます。これに対して、クプカの場合は反対に遠心的な方向で、かなりヴァラエティに富んでいるように見えます。しかし、その多様性には何の脈絡もないかといえば、そこに作品相互の影響関係があったりとか、他の抽象画家にはない面白さがあると言えるかもしれません。
「彩られたもの」(左上図)という作品です。原色の絵の具の鮮やかな色彩が目を惹きます。画面の下部には赤系統の色が塗られた半円形が肩から腕にかけての形に見えて、下部中央には黒い線が螺旋状になっているのが長い髪を結った女性の頭部のように見える、全体として、うつ伏せになって、こちらに頭を向けている女性の上半身のようです。それを画面上部中央の鮮やかな黄色の半円は太陽で、そこから強い光がうつ伏せになった女性に注がれているように見えます。そこまでは、具象的なものとして解釈できますが、さらに女性の背中から太陽に向かって草の発芽のような双葉が開いているような青く彩色された形態があります。そして、それらの形態から波紋が広がるような扇状の模様が背景となっています。これは、女性とか発芽といったメタファーを用いているとして生殖とか誕生、そして扇状に波打つ背景は成長といった生命にかかることをシンボライズしていると解釈できようなことも解説されています。その可能性は否定できませんが、ここには、「アモルファ、2色のフーガ」では運動の軌跡であった曲線が、それ自体成長するように伸びていってしまうという、描かれたものが有機的になってしまうということが、ここでも、要素として最初から画面にあると思います。むしろ、それが隠れたモチーフになっているのではないか。それは扇状の波打つ背景であったり、上部中央の黄色い半円からの下にのびる動きと、それに対向する下から上への青い部分。ここには、「ニュートンの円盤」にあったような色彩を動きと関連させる手法をダイナミックに展開させたものが見えます。
「おしべとめしべの物語」(右上図)という作品です。作品名はダイレクトに生殖を暗示しているようです。そう考えると「彩られたもの」の生殖という解釈は、この作品との関連でも考えられると思います。この作品では、「彩られたもの」の扇状の波打つ背景が、画面の中心的な構成要素となってまるで柱のように上下に伸びていく動きを伴っているかのようです。画面中央のところの白い部分は人の影の形が、まるで裸の男女が絡み合ってようにも見えます。そこを起点にして花弁が広がるように上と下に向かって伸びるように成長していく。そして、その柱のような部分の周囲には楕円のような波紋が緑や青で、それは後で見る「生命力ある線」の構成要素が入り込んでいる。しかも、中央の柱のような部分は上下に伸びていくにしたがって形を変えていきます。余談かもしれませんが、この上下に柱が伸びていくような画面の構成と、それをしたから仰ぎ見るような構図で、上へ変形しながら伸びて、色も変わって、その先が上部にとけ込むように消えていくというのは、バロックの宗教画(例えば、エル・グレコ)の昇天の場面の天上に昇っていく様子と、その先の天上が光に輝いていて、その光の中にとけ込むように消えていくさまに雰囲気が似ているのではないか思います。
「生命力ある線」(左中図)という作品も、その関連の中で見ることができると思います。「おしべとめしべの物語」との関連で見れば、左下の起点から四方に曲線が伸びています。「おしべとめしべの物語」では上下という垂直方向だけだったのに対して、「生命力ある線」では広がる方向性があらゆる方向に放射状に伸びていっています。その一方で、「おしべとめしべの物語」の柱のように伸びていく形態が有機的に大きく変化していくという点では、変化は部分的なレベルに止まり、変化よりも伸びるということに重点が置かれているようです。「おしべとめしべの物語」では起点となる中心に男女の人間の形が絡み合うように描かれて生殖を強く暗示されていたのに対して、こちらの「生命力ある線」では、点が無数にうたれています。その無数の点かに曲線が伸びているというのは、線は点が集まって、前後の方向に伸びることによって作られる、というとを考えると、この伸びている線というのは、無数の点から生まれ、その無数の点によって構成されるものです。しかも、さらに考えれば、面というはその線があらゆる方向に隈なく伸びていくことで作られるものです。だから、この「生命力ある線」は点から線が生まれ、その線が放射状に伸びて面をつくっていく、そしてそうして作られた面とは、まさにその点や線が描かれているキャンバスという面ということで、作品が物理的に生まれる生命を象徴的に描いたと考えることも可能です。したがって、伸びる線は「おしべとめしべの物語」の有機的な柱とは異なる描き方で幾何学的な曲線の様相になっていたわけです。とはいっても、幾何学上に伸びる曲線の内部をみれば、点、その点が成長したような垂直のスペクトルが並べように描かれていて、そのスペクトルが少しずつ変形し、並びが変わっていく、つまり、伸びや変化が多層化されています。そのために、幾何学的な線で構成された抽象画は、往々にしてスタティックなもの(例えばモンドリアンやマレーヴィチ)ですが、この作品は、むしろ動きを感じさせます。さらにまた、伸びる方向によって色彩の基調が異なってオレンジ色の暖色系と白、そして青や緑の寒色系となっています。
「線、平面、奥行きU」(右中図)も同じ系統の中で見ることもできると思います。クプカは血液の循環や動脈の組織図にヒントを得たと説明されていますが、黒い線が画面中央でとぐろを巻くような状態から上方向と右下から左下に廻りこむように伸び広がっていく。そこから毛細血管がひろがるように青や白い面の筆跡が一定方向に揃っていて、そう見えます。これによって、幾重にも広がりが多層化して、その縁が層を作っています。寒色で統一されたような色調は、この場合に、どのような意図や効果をもっているかは、私には図りかねるところがありますが。
「生命力ある空間」(左下図)という作品では、すこし異なった傾向が見られます。画面下部の点から四方に泡状にとぐろを巻くように広がっていく方向性は、これまで見てきた作品と共通するところがあります。しかし、この作品では、その方向とは別個に、その方向に箍をはめるように、画面全体を枠づけるような曲線があります。この曲線は、カトリックの大聖堂の蒼穹ドームの内側を支えるリブヴォールトのようだと解説されていますが、それは宇宙を内側から支え、秩序づけるものという意味合いを考えてもいいかもしれません。
「線、平面、空間V」(右下図)では、その枠組みの曲線で空間を秩序付ける方向での試みが行われています。その割には、閉じられた感じはなくて、動きを感じさせるところは、クプカの作品に共通した特徴ではないかと思います。たぶん、秩序とはいっても、規則的になってしまう直前で、曲線を断ち切ったり、シンメトリーな構成を外したりして、不定形さを残していて、例えばモンドリアンのような完璧なバランスで均衡をつくりながら、そのためにそれ以上の展開の余地がなくなって、いわば袋小路のように動きがとれなくなってしまう息苦しさのようなものはなくて、ある種の余裕を残していて、それが動きを感じさせているのかもしれません。
「執拗な白い線」(下図)という作品は、今まで見てきた作品とは異質です。今までの伸びるとか、枠づけるといった方向性とは関係なく、白い縄のような線がのた打ち回るようにあって、それと対照的に金色の均一な線が中央で静止しています。