木島櫻谷─京都日本画の俊英 展
 


 2014年1月24日(金) 泉屋博古館分館

都心といっても場所はアークヒルズの外れで、都心に慣れない私には分かりにくい場所。地下鉄六本木一丁目の駅からすぐということだったけれど、土地勘のない私には、表通りを一本入った場所が分かりにくかった。しかし、表通りから一本入ると静かになり、環境としては落ち着いたところではあった。この施設は独立した建物であるけれど、展示室はそれほど広いわけではなく、この展覧会でも頻繁に展示替えをするようだけれど、そう何度も、ここまで足を運べるわけではないので、その点は少し残念。ただ、受付窓口の説明が丁寧だったことと、個人コレクションの展示にありがちな展示室より喫茶スペースや売店が充実している(無料の給茶機がロビーにあったのはちょっと驚き)というようなことがなく、落ち着いた雰囲気だった。

木島櫻谷という人、私は全く知らない。名前も“このしまおうこく”と読むのだそうです。展覧会チラシでは次のように説明しています。“どこまでも優しいまなざし、からみつく柔らかな毛並み─透徹した自然観察と詩情の調和した品格ある日本画で、明治から昭和の京都画壇の第一人者とされた木島櫻谷(1877〜1938)。ことにその動物画は、いまなお私たちをひきつけてやみません。京都三条室町に生まれ、円山四条派の流れをくむ今尾景年のもとでいち早く才能を開花させた櫻谷は、明治後半から大正には人物画や花鳥画で文展の花形として活躍、続く帝展では審査員を務めるなど多忙の日々を送りました。しかし50歳頃からは次第に画壇と距離をとり、郊外の自邸での書物に囲まれた文雅生活のなか、瀟洒な南画風の境地に至りました。徹底した写生、卓越した筆技、呉服の町育ちのデザイン感覚、そして生涯保ち続けた文人の精神。そこに醸し出される清潔で華奢な情趣は、京都文化の上澄みとでも言えるでしょうか。”ということでしょうか。主催者の持つ画家のイメージはこのようなものということです。

展示スペースが、それほど広いわけでもなく、展示作品の中には屏風などの大作も含まれるため、展示作品数は30点にも満たないものでしたので、とくに章立てしてみることもなく、印象をまとめてみたいと思います。

まず、展示室に入って最初に目についたのが「奔馬図」(右図)という小品です。京都四条派の得意の技法とのことですが、輪郭線を用いずに濃さの異なる墨を使い分けて一気に形を筆で描いてしまうのだそうです。一気に筆を奔らせることで墨痕や筆跡をうまく活かして、馬の走る躍動感が表われているようです。省略されているのですが、脚部の筋肉の動きや、その織りなす陰影を想像させてしまうのです。かといって、蹄とかたてがみ、顔では鼻や口の様子などは、細かく形が捉えられて、省略といっても、細かく描かれているように見えてしまう。それは、形状が恰も正確であるかのように見えてしまうからでしょう。顔の部分は影になっているのか、目を見開いているように見えてしまう。これだけ、形状を一気呵成に筆で引いて、説得力あるものにしているのは、よほどのデッサン力があるのではないかと思います。じじつ、スケッチ帳の一部が展示されていましたが、そのスケッチの上手さは完成した作品をみているより面白いものでした。そして、私の個人的な偏見かもしれませんが、近代日本画で輪郭線とリアルな写生とがうまく織りあわないで、線が画面の中で浮いてしまって、うるさく見えてしまうことが、回避されているのです。だって、輪郭線がないわけですから。これは、木島のデッサン力あってこそのものだと思います。ここに私は、木島の特徴を次の2点に見ます。一つは抜群の形状の把握とそれを描く力です。それが、かれの描く作品がリアルな写生に見えてしまうことに通じます。これは善悪の両方の面があると思います。もう一つは、近代主義的、あるいは西欧絵画的な空間把握の性格です。空間を点と線ではなくて、平面と立体として見る視点です。だから、木島は描くときに、線を前提としていないように見えます。多分、描く対象を見る時に輪郭線を意識していないのではないか、ということです。これらは、私が考えている近代日本画の一般的特徴とは反対の指向です。その矛盾が、後の作品で観るように木島の独自性を作り上げていくように、私には思えます。

「しぐれ」(右側の上下2作品)という6曲1双の作品で、大作です。さきほどの「奔馬図」は習作というのかスケッチみたいな小品ですが、それを屏風にまとめ上げた作品と言っていいでしょう。ここで描かれているのは鹿です。ここでまず気が付くのは鹿の動きを瞬間的に捉えたような形です。鹿が歩き振り向いている動きがそのまま活写されていて、日本画で一般的に描かれている鹿のポーズの静止した形態とは異質です。それは、それぞれの鹿のポーズがキマっていないで、歩いている途中を切り取ってきたような形であること、そして、鹿の肉体が厚みをもった立体に見えていること、そして、例えば尻を向けている鹿の尻から脚にかけての部分をみていただくと顕著なのですが、歩く筋肉の形がそれとなく想像できることなどです。ここで、述べたことは西洋絵画のデッサンの基本的な考え方と同じです。木島の略歴を見てみるとデッサンの勉強をしたとは説明されていないので、彼の生得的に身についていたものかもしれません。それが日本画のバターン(様式的)からズレたものとして、西洋絵画に慣れた私の眼にはリアルっぽく映るものとなっています。そして、鹿をはじめとして画面には輪郭線が存在しません。それだけに、日本画での、線を引いて書き割りのような平面に空間を還元してしまうこととは、異質の世界がここでは出現しています。日本画のペッタンコの平面空間では、言わば空白は陰と陽の二元的な世界で独自の意味を持っていましたが、木島の作品のここでの空間はペッタンコの平面になっていないのです。かといって、西洋絵画の奥行きのある三次元への指向もありません。私も、これはどういう空間なのか、想像を超えています。それだけ独自なものではないかと思います。ここでの空白というのは、どのような意味があるのか。今、この作品を思い出していて、謎が深まってきます。

「峡中の秋」(左下図)という作品。「しぐれ」は1907年の制作であるのに対して、こちらは1933年の制作と、だいぶ年齢を重ねてからの作品です。この二つの作品に共通しているのは、線で輪郭を書き割る平面になっていないで、面として描く仕方をとっているように見える点です。この「峡中の秋」という作品自体は伝統的な山水画の体裁をとっていますが、描かれている岩山や溪谷の立体的な描写や岩肌のゴツゴツした面の感触などは、西洋絵画の風景画を想わせるリアルさがあります。ここには、山水の水墨画のような墨の線のシンボリックな、あるいは記号的な使い方で、これは岩山ですよと提示するような描き方はされていません。岩山自体は想像上のものでしょうが、岩山らしきものではなくて、岩山が描かれているのです。そして、画像では分かれないでしょうが、実物を見ると、絵の具を厚く塗り重ねて、まるで油絵のマチエールのようにゴツゴツした表面になっています。多分、岩肌の表現のために意識的にやったのではないかと思います。これは、私の極端かもしれない個人的感想かもしれませんが、山水画で描かれる山水というのは、仙人が遊んだり、導師や高僧がいる象徴的な一種の神域のような場所です。しかし、「峡中の秋」で描かれているのは、現実の風景を想わせるもので、普通の人が分け入って行けそうなものです。そこで、結果的に山水の風景の象徴性を剥奪して世俗化が行われて、風景画になってきているのではないか。だから、この風景に登場するのは仙人や高僧ではなく、普通の人々です。つまり、この世にない象徴的な山水から、現実の風景を普遍化したことによるどこにでもありそうな風景に変質したのではないか。そこに世俗化した現実世界の人間を中心とした視点、つまりはいわゆる西洋近代のヒューマニスティックな視点のユニークな萌芽が見られるのではないか、ということです。これは、少ないながら私が見てきた近代の日本画家たちには、見ることのできないものでした。そこに、木島という人のユニークさを、私は見ています。

そのような木島に対して、私は人物を描いた作品については、動物や風景を描くときのようなストレートな描き方が為されずに、どこか屈曲したような操作が入ってしまって、あえてここで述べてきたような描き方をしていないのが、とても残念に思います。木島には、きっと何かの考えがあったのでしょうが、私には分かりません。同時に展示されていたスケッチ帳にあった人物スケッチに比べて、作品になっている人物の描写は、同じ人が書いたとは思えないほど屈折していて、私から見ると、意識的につまらなくしているようにしか見えませんでした。

 ふたつある展示室のうち、もう一つの展示室では、この博古館のもともとコレクションであった住友家が木島に制作を依頼した屏風が展示されていました。当時の財閥の盟主の邸宅を飾る屏風ということで、豪華さを演出する効果を期待されていたのでしょうから、それに応える必要があったと思います。関西という場所柄や、豪華さということから装飾的な行き方ということで、琳派の作風に近いものになったのでしょうか、金箔を貼った輝かしい屏風面に鮮やかな色彩で描かれた花鳥風月ということで、そう見えてしまうのでしょうか。

「燕子花図」(左図)は尾形光琳の有名な「燕子花図屏風」(右下図)によく似ています。というよりは、画像で見る限り模写といってもいいかもしれません。しかし、実際に見てみると、木島は装飾的であっても尾形光琳のような燕子花を図式化して、それをデザインのように屏風の平面空間にレイアウトして様式性の高い作品として作り上げるという、別の行き方をしています。木島の描く燕子花は花のひとつひとつが違うのです。図式化されていないのです。尾形光琳の場合には、大体が正面からの構図で、いくつかのパターンのコピー・アンド・ペーストのようにして配置されています。それが、花のヴァリエイションを意識したレイアウトによって、画面にどくとくのリズムを生んでいます。尾形光琳の作品がデザイン的というのは、そうこうことです。これに対して、木島の場合は正面を向いた花もあれば、横を向いた花もあるというように、それぞれの花がユニークです。しかも、尾形光琳の描く花は平面的で、まさにデザインですが、木島の描く花は立体的です。全体として装飾的な作品としては尾形光琳のような描き方の方が一貫しているように思えるのに対して、木島の描く花は尾形光琳という手本と比べれば、そんなことまでしなくてもいいのに、と思うほど場違いな感じがします。しかし、木島という画家は、そうせざるを得なかった、ということなのでしょう。近代日本画の著名な画家たちの作品を何点か見てみると、従来の日本の絵画を批判して、自分こそは革新的で新たな日本画ということを言っている割には、現代からの視線ですが、その批判している絵画との断絶よりも、連続性をより強く感じさせられるものが、ほとんどです。しかし、木島の場合には伝統的な作品を制作しようとして、そこに図らずも従来にない新しいものが出てきてしまっている、というように見えます。この「燕子花図」にしても、一見、尾形光琳の模写かと思ったら、その枠を飛び出すようなことがさりげなく行われていて、しかも、作品全体をブチ壊してしまう危険も敢えて冒しているように見える。木島の伝記的事実を見る限り、伝統的な京都の画家システムの中で終生仕事をした人のようで、ことさらに海外に留学したり、新奇を衒ったりということとはあまり縁のない人だったようです。その人が、あたかも内側から滲み出るように従来の日本画にないようなことをやっていた、というのは木島という画家のユニークさを表わしているのではないかと思います。

「桜柳図」(右上図)という桜の花を描いた春の構図です。これも桜の花と柳の葉という、装飾的な材料です。木島の描く柳の葉は、驚いたことに一つ一つがユニークなのです。ここでの木島は様式化を拒否しているかのように、私には映りました。そにには、描くものを活き活きと、手触りのあるものと描きたい、というような木島の本源的で抑えることのできない欲求を感じます。(残念ながら人物を描いた作品には、それがほとんど感じられません)それが、屏風という大画面で迫られると、圧倒される思いです。葉っぱの一枚一枚をリアルに執拗に描くのが、その葉っぱが何百枚となって、その執念が何百倍にも重ねられて観る者に迫ってくる、そういう迫力です。

展示期間の都合で、代表作と言われている「寒月」こそ見ることができませんでしたが、いろいろ考えさせられる展覧会でした。 

 
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