没後30年銅版画家 清原啓子
 

2017年12月12日(火)八王子市夢美術館

この展覧会については、以前に、何かの折に知って興味を持ったのは確かですが、その後、忘れていました。それが、この前日に用事に向かう途中で、偶然この展覧会のポスターを見て、今週中で会期が終わってしまうことに気がついてしまいました。この美術館は、職場から比較的近いところにあり、午後7時の閉館ということなので、仕事を終わらせて駆けつければ、1時間程度は見ることができると計算がつきました。

この美術館は八王子の駅から15分くらい歩いた、いわば駅の外れの位置ですが、商店街で1階にスーパーマットが入っている雑居ビルの2階の一部のスペースをつかっています。公民館の分館のような雰囲気です。このような場所で、平日で、時間も閉館1時間前ということで閑散としているかと予想していましたが、数人の来館者がいて、この画家のファンはけっこういるのだということが分かりました。それも、来ていた人には老若男女の偏りがなくて、バラエティに富んでいました。適度な人影があるので、静かな中で、緊張感もあるという、割合にいい雰囲気だったと思います。

さて、清原啓子という人については、展覧会のパンフレットに書かれている紹介を引用します。 “銅版画家、清原啓子(1955年〜1987年)が、その短い生涯の中で残した作品は僅か30点。久生十蘭や三島由紀夫などの文学に傾倒し、神秘的、耽美的な「物語性」にこだわった精緻で眩惑的な銅版画は、没後30年を経て、今なお人々を魅了しています。本展覧会では、夭折の銅版画家として伝説的に語られる清原啓子の全銅版画と、銅板の原版及び下絵素描、最後の完成作「孤島」の制作過程を示す試刷り、制作ノートなど、未発表を含む様々な資料を展示します。また、彼女が影響を受けたヨーロッパの画家・版画家(ジャック・カロ、ギュスターヴ・モロー、ロドルフ・ブレスダン、オディロン・ルドン)の作品を紹介し、清原の制作の源泉をたどり、その全貌に迫ります。”

私の展覧会の感想は、こういう引用で一般的な画家像を紹介して、私個人は必ずしも(というよりは大抵)一般像の通りに受け取るわけではないので、その一般像と異なるところを述べていくというやり方をしています。だから、この引用は、私の感想を述べるための便宜程度に思っていただければ結構です。清原啓子という画家像について簡単に大雑把に感じたイメージを述べておくと、この人の作品は、ここにこういうアレがあって、コレをあのように描いていてと、比較的言葉で説明し易いところがあります。そうして語った言葉を後で反芻すると物語の場面を語る言葉のようになっている、というのが彼女の作品の物語性ということではないかと思います。というのも、彼女の作品の画面には物語的な動きがなくて、止まっている状態なのです。それと、画面に登場する人物は一人で、人と人との関係は画面にはありません。だからドラマは生まれないのです。彼女の伝記的事実からは読書家で、作品を小説の表紙に使われたとか、画家本人もノートに言葉をたくさん残したということから、そういう捉え方がされるのかもしれませんが、そういうことを抜きにして、虚心に作品の画面から物語を感じることは、私の場合は、ありませんでした。ただ、画面を言葉にしやすいということと、画面が展開したり、深められるという動きが感じられないということなどから、この人の作品は、それ自体で独立、自立していて画面を見るだけでいいというのではない、画面外の何かに依存しているところがあることは否定できないと思いました。ただし、それは物語ではありません。何と言ったら言いか、例えば、いわゆる少女趣味といったらいいのでしょうか(かなりオジサン的なアナクロの言い方になりますが)、今はあるのか知りませんが、昭和の頃の少女雑誌の投稿欄などによくあったポエムつきのイラストに通じるようなテイストではないか。もっというと、この人の作品は、普通は少女時代が終わると卒業してしまうところに、ずっと居続け、それを突き詰めていったものという印象を強く持ちました。ある意味、一時期の少女マンガに近い世界です。閉じられた空間の中で内面と外観の協会が溶解し、その反面で世界を濃密にしていく。だから、見る人を選ぶことになるし、私には、その世界に入り込めない感じを持ちました。その一方で、こういう世界は嫌いではありません。

では、個々の作品を見ていきたいと思います。展示は、初期の習作以外は版画作品と鉛筆の下絵を2枚並べて展示してありました。2枚を見比べると、清原が頭の中で描いた作品を想像できるという展示だったと思います。また、フロアの真ん中には参考として、画家のノートと試し刷りを繰り返して完成までに手を加えられていった形跡を追いかけることができるようになっていました。ただし、私は出来上がった画面を見て、あれこれ考える見方をするので、作品以外はどうでもいいので、ほとんど見ませんでした。

300最初の「鳥の目レンズ」という作品は画面を4分割した連作のような作品ですが、鳥にだんだん視点が近寄っていって、最後は眼に接近して水晶体を顕微鏡でみるように拡大して描いたという作品です。その水晶体のレンズが網目で描かれているのですが、その微細さがすごい。この微細に描くというところが清原という画家の特徴なのではないかと思います。私は銅版画という分野に詳しくはないのですが、有名な作品ではドイツ・ルネサンスのデューラーの作品、例えば「メランコリアT」という作品などは、細かいところまで詳しく描かれていて、もともと銅版画というのは中世以来、細かい作業なのだとは思いますが、それにしても清原の場合は、銅版画という表現方法で筆をつかって面で絵の具を塗るということができずに、銅版に傷をつけた線で描くしかないので、面を表わすために細かい線を無数に引いて面に見せるという必要を超えたところで、それ以上の細かさを自発的に追求しているということが、この作品の眼のレンズを見ていると、そういう姿勢が剥き出しに表われていると思います。

また、清原の作品に頻繁に登場する網や蔓に覆われるというパターンが、この最初期の作品から見られるということで、この網目の細かい線を一本一本精緻に引いていたということが、この人の嗜好が当初から備わっていたことが分かります。

「絵画」という作品。後の作品では、このように余白をたっぷりと空けることはなくなっていきますから、初期のスタイルが固まっていないところが分かるのですが、画面右下の珊瑚のように見える形状のものですが、細かな細胞のような粒々が集まって、このような形になっているものだろうと見えます。それは、蔓と同じように、この人の作品の中で頻繁に使われるパターンなのですが、この作品は比較的早い時期に現われたものと思います。珊瑚のようだと書きましたが、粒々のひとつひとつを点を一点ずつ打って陰影をつけたり、細かい線を何本も引いて、その一粒を描いていて、その細かさが驚かされます。そして、その粒々が増殖するようにしてできたのが、この形態というように見えます。だから結果として珊瑚のような外形ですが、細胞が増殖して異様な形になっていく、というイメージです。しかし、これはここで画像で見る限りでは、そのようなイメージが湧くことはなく、現物に近寄って、ループで粒々を見ていると、そのグロテスクさに気づくと。思いますこれに気づいてしまうと、気持ち悪くなると思います。そういう不気味さ、夢が突き詰められて爛れたような気持ち悪いところに突き抜けていく、そういうところが清原の作品には、あると思います。この作品には、それが部分的ですが直接露わになっていると思います。

「貝殻について」という作品。一見ヤドカリに見えましたが、大きな貝殻と前部にロバの頭のような物が貝から半身をだしています。そして周囲には、「絵画」でも見た、粒々が増殖したような物体があります。粒はすこし大きくてフジツボのようにも見えます。ここでは、それもグロテスクなのですが、黒くみえるロバの頭のような物体。一見、黒く表面がスベスベの金属のような感じにも見えますが、この黒は微細な線を数えきれないほど、しかも幾何学図形のように平行な縞として引かれて描かれています。表面がスベスベに見えるということは、それだけ均質に細い線が引かれているからです。この頃の作品は、何が描かれているとか、画面全体を世界としてみるとか、そんなことよりも、とにかく、細かい作業、ひとつの点を打つ、一本の線を引くというひとつの作業の質の高さとその量の膨大さに圧倒されたという印象です。おそらく、清原という人が作品を制作するにあたって、異常に細かく点を打つ、線を引くということは制作のための手段とか技法を超えて、描く目的や動機となっていたのではないか、それは確かなことではないかと思います。そういうことが、後の代表作ではオブラートに包まれてしまっていますが、これらの作品には、直接現われていると思います。

「詩人─クセノファネス」という作品です。ここから、版画と下絵を並べて展示するようになります。私は作品を見る人なので、画家の制作過程には興味がなく、どのように作品ができあがっていくかなど見なくてもいい舞台裏を見させられたと思って、余計なものは見たくないと思うほうです。完成された作品を見ていればいいので、作者などというのは、その作品を同一かさせるブラントのようなもので、実際の人物といったことは作品を見る上では、むしろ邪魔と考えています。だから下絵を見せられるのは、余計なお節介で、下絵というのを作品として提示しているのならそれでもいいのですが、どうやらそうでもないらしいので、作品をじっくり眺めるには邪魔というのが正直なところです。ただ、下絵といえども、ここで展示されているのは、それなりに完成されたものと映って、描いては消したり、描きたしたりという試行錯誤の後のようなものは見られず、きれいに仕上げられているので、それなりではありますが。鉛筆で引かれた線もまた、版画の場合に負けないほど、細い線が無数にあったので、この人の作品というのは、基本的に点と線だけでできていて、そういうところで画面をイメージしている、というよりも、この人にとっては絵というのは点と線でできているものだ、ということが分かります。

少し脱線が長くなりましたので、作品に戻りましょう。この作品は清原の作品には数少ない白と黒のコントラストがなされていて、白が映える作品です。版画であれば刷られていない紙の地の白いところが割合に多くて、それが白く映えているという、刷られているところより、そうでないところ、余白に視線がいく作品であると思います。白が映える余白とは言っても、一見白く見えているところ、背景以外のところは、細くて微かにしか見えないような線が引かれています。それゆえ、この白さが映えるのは偶然ではなく、作者がそうしたものです。他の作品では、余白を埋めつくように黒くなっているのですが、その数少ない例外と言えそうです。しかし、それではと、余白もあるし、描かれる対象である題名にもなっている詩人の姿はというと、木の蔓や茸や植物に覆われて殆ど隠れてしまっています。部分的に覗かせているというようになっています。この男には何本も矢が刺さっていて、縛られたような格好で矢が刺さっているという姿は、聖セバスチャンの殉教図の姿とかさなるところがあるのではないでしょうか。とくにバロック美術において、宗教的なテーマでありながら倒錯的なエロティシズムを同居させたような作品が多く描かれていました。しかし、清原の作品には、エロティシズムとか宗教的な法悦といった要素はなく、また、これだけ矢が刺さっているのだから痛いだろうにということもない。それは、人物を描いていても、痛みを感じるような身体性がない、もっというと、痛みを感じるような人の意識がない、生きていないのです。

「Dの頭文字」という作品です。画面の中心に描かれているのは人間ではなく、人形です。おそらく、ここで大切なことは、まず姿の外形、もっというと描かれた形であるということ。次に、おなじくらい大切なこととして言わば記号のように人である、人形であるということ。逆に大切でないことは意味とか内容、つまり人であれば個人であること、そこには当然、生命とか肉体とか意識しか感情といったことがありますが、それは画面には不要であるということです。こんなことは、清原のファンであれば、わざわざ言葉にして指摘するほどのことでもないことでしょうが、そういうことの上に、この人の画面の世界というのが成り立っている。つまり、画面を言葉のこととして置き換えて考えると、言葉の意味とか話している人の思い、内容がなくて、話された言葉の響きや紙に書かれた字の形、そういった表層を追求したもの。さらに、その表層が意味を切り捨てて独立したもの、たとえば、アナグラムとか駄洒落という、意味がないけれど、そこに楽しさや空想的な世界が創造されてしまう、そういった空中楼閣のような人工的なものです。

実際、この作品では、書き割りの舞台のような場面で、網のように絡んだ蔓が伸びていることや、小さな粒が増殖するようにしてある形状になったもの、これは柘榴の実のようにも見えますが、そういったものが折り重なるように描かれていて、そこに人工物である人形が座っています。無関係なものが画面の中で同居していると、何やら意味ありげに見えてくる。しかも、柘榴の実は割れているし、人形は壊れて顔にひびが入り、胴体は中身が開いてしまっています。手前の卵でしょうか球体は殻が割れています。ここに崩壊感覚があるという意味を付与することは見る者の勝手でしょうが、現実には同居し得ない物が隣り合わせになっているということは関係性とか境界といったことが崩壊しているとも意味づけできます。それは、言葉であればアナグラムは何か尤もらしく、かっこよく受け取られてしまうという意味づけがされてしまうのと似たようなことが起こっている。それが清原の作品の魅力の源泉のひとつと言えるのではないか、と思います。

「海の男」という作品です。これも「詩人─クセノファネス」と同じように背景が描きこまれていません。同じような時期の作品だろうと思われますが、この後の作品は、余白を埋め尽くすように線や点を描き込んでいくようになります。この作品で、私が語りたいのは、「Dの頭文字」では人形の顔にひびが入り、胴体が開いてしまっていたのと同じようなことが、この作品では人間にも起こっている。この男のすねのところです。「Dの頭文字」の人形の胴体と同じように、皮膚が割れたように開いて、中の繊維のような筋肉の束が露わになっているように見えます。しかし、これは筋肉なのでしょうか、筋肉でない何か別物のようにも見えます。人の形をしていても中身は何か違うものかもしれない。それは、人という意味内容が解体されて、その形だけを残して、あとは別のものの形と組み合わされている。外見は異なりますがアンチンボルドの果物で人の顔を作ってしまうマニエリスム絵画を想わせます。ここでアンチンボルドがでてきたので、念のために述べておきますが、このような試みは言ってみれば際物ですが、アンチンボルドも清原も作品から際物とかまがい物といった印象を受けることはありません。それは、二人とも高度な描写力をもって、しかも執拗なほど描きこんで画面を作っているためです。ふたりとも、その画面の出来上がりで見る者を捻じ伏せて納得させてしまうほどの技と力を、これでもかというほどぶち込んでいるからです。それが画面の出来栄えという点に結晶されているからです。それはまた、清原の作品の魅力のひとつだと思います。

「卵形のスフィンクス」という作品です。この作品くらいから、画面全体が黒くなっていきます。ということは、清原の細かく線を引き、点を穿つということが画面全体を覆い尽くすようになった、ということです。恩師である深沢幸雄によれば、清原に楽に効果の出るアクワチント等を勧めたが、これは何としても受け付けず、黙々と巨万の点を打ち、巨万の線を引いた、そうです。清原には、アクワチント等による画面では駄目な理由があったと思いますが、それよりもひとつひとつの点を打ち、線を引くということが制作の前提になっていた、その行為自体が実は好きだったのかもしれません。そうであれば、この人の作品の細かさというのは、結果としてそうなってしまったというものかもしれません。こじつけに聞こえるかもしれませんが、この「卵形のスフィンクス」の身体を見てください。四つん這いになった肢体は柔らかな曲線で描かれていて、後肢のところなど艶めかしい尻を想わせます。しかし、その身体には細い鎖か紐のようなものが掛けられていてキツク締められています。そのため、身体の筋肉が鎖に分断されて、腫れ上がるように局部的に膨らんでいます。そして、それぞれ分断されて膨らんだ形が卵形になってしまっている。ここに、まとまって統一されているものを、細かいものにわけていってしまう、という作為がないでしょうか。スフィンクスの身体は、卵形のものによって構成されているように、結果として見えてしまう、というのは、見ようとしてそうした、と考えられないでしょうか。「Dの頭文字」等の作品に顕著に現われていた、殻を割るとか、ひびをいれるといった崩壊への志向は、ここでは分断ということに形を現われていると思います。そこには、まとまって形を成している全体よりも部分である細かいものを志向するという傾向があるように思います。それは、人の意識とか意志とか感情といった人がひとつのまとまりとして成ったときに、それをまとめるものであるわけで、そのまとまりよりも、部分のひとつひとつの細胞を尊重した場合、例えば、ものその細胞の一つ一つが独立していた場合、意識というまとまったコントロール機構は意味をなくしてしまうことになるわけです。これは、グレッグ・ベアというSF作家の『ブラッド・ミュージック』という長篇小説が、まさにそういう話なのですが、清原が読んだかどうかは分かりませんが、「卵形のスフィンクス」の画面を見ていると、スフィンクスの顔に表情がなくて、生き生きとしているところが感じられないのに対して、スフィンクスの周囲の地面に転がっている苺の実のような小さな粒の集まった物体のほうが、不気味な存在感があるのです。あきらかに、この粒々の方が蠢いているように目立っているように見えるのです。

「久生十蘭に捧ぐ」という作品は、清原の代表作なのでしょう。この展覧会のパンフレットにも使われていますから。“草木が生い茂る、精緻に描かれた黒一色の画面の下に劇場の舞台が描かれ、中には人体模型らしき姿が見えます。無音・無言の舞台はその中央部がひび割れ、廃墟の用でもあり、何か別種の新たなものが生まれ出る、その時を待っているかのようでもあり、画面に配置された様々な意味ありげな小道具が、見る者の想像力を刺激します。”と解説されていた作品です。この作品は萌芽的なのかもしれませんが、清原の作品には一群のシンメトリーを基本とする図式的な構成の作品があります。この作品ではシンメトリーにはなっていませんが、上半分の舞台のような部分だけを取り出せば、そのような作りになっているように見えます。もっとも、この舞台の部分は画面の中心から右側にずらしたところに位置しているのでシンメトリーとはいえないのは確かですが。他のシンメトリーに近い図式的な作品では舞台らしきものを描いたところが画面の中心になっている場合が多いので、この作品も、それらに順ずる構成と言っていいと思います。そして、これらの作品を観ていて、私は、ドイツ・ロマン派のオットー・ルンゲの神秘主義的な作品や仏画、とくに曼荼羅を想い出しました。これらの作品は、神秘主義思想や仏教思想を象徴するような要素を画面に描きこんで、それらの関係を図式化していったもので、画面全体が、その世界観をあらわすようになっているというものであると思います。したがって、これらの画面を見る人は、そこに世界観が象徴されているとか、その意味するものを考えようとします。しかし、清原の作品は、その図式的な外形を借りてきて、このような構成は何か意味ありげであるという雰囲気をちゃっかりパクッていると言えるのではないかと思います。そうすると、その構成に支離滅裂と言っていいほど様々な物がごった煮のように描かれていますが、それらが意味ありげに見えてくる。見る者に錯覚を起こさせている。前のところで、清原の作品にはアナグラムのような性格があると述べましたが、駄洒落が意味ありげどころか、深遠に見えてくることになっているわけです。

他方、解説等では触れていませんが、清原という人は世代的には60年代後半から70年代にかけてのカウンター・カルチャーの影響を受けていると考えられるのではないか、という点です。この作品タイトルで捧げられたことになっている久生十蘭という作家は、一時期、言わば世間からは忘れられた存在だった作家だったはずで、そのリバイバルの一つの契機となったのは1969年に三一書房から全集が出た(その前後の動きを、この全集が集約した)ことが大きかったと言います。当時の、反体制の文化的機運のなかで、権威である文学に対抗するもの、そういう系統とは別の昭和初期の分かれられていたエロ、グロ、ナンセンスといったものとして受け取られた。そういう意味でいうと、清原が読書家で文学や哲学に惑溺したと解説されていますが、その惑溺した人たちの背後に澁澤龍彦の影が見え隠れするのです。かなり独断的な見方になりますが、清原の視野には澁澤龍彦のフィルターがかかっていたように見えます。それが、物事の意味を問わないという、今のオタクに近い心情です。そこに論理はないので、構想ということができない、そこで既存のもっともらしい枠組みを借用して、細部に好みをものを入れ込んでいく、そういう趣向は澁澤龍彦の方法論でもあります。後は、読者が勝手に妄想してくれて、意味ありげなものにしてくれる。清原の作品には、澁澤龍彦のような悪意はないのでしょうが、既存のものを使いまわす、彼の方法論の影響があるように思えるのです。だから、この作品は曼荼羅のようだと述べましたが、長岡秀星でもいいのです。

「魔都」という作品。久生十蘭の小説からインスパイアされた作品なのでしょうか。清原が亡くなってしまったため未完に終わってしまったということですが、素人の私から見れば、完成していると言われても、別におかしいとは思いません。「久生十蘭に捧ぐ」の上半分を、さらに追求したという印象です。ただ、他の作品に比べると薄味というのか、物をぶち込み切れていないという感じはします。しかし、だからといってもの足りないということはない。「久生十蘭に捧ぐ」のところで少し触れましたが、「久生十蘭に捧ぐ」のような作品を観ていると、時代という環境もあったのか、清原という人が感じやすく他人の影響を受け易い人であったのか、現存の自分で描いているのではなく、そういう影響からあるべき自分をつくってしまって、そういう自分として描こうとして背伸びしているような感じがします。それが、この作品では、そういうところがあまり感じられない。背伸びしようとしたところで、その前に途中で当人が亡くなってしまったからかもしれません。

「魔都霧譚」という作品です。久生十蘭つながりで続けて見ていますが、この作品も未完成ということです。とはいっても、こちらは「魔都」と違って完成に近かったようです。画面全体は真っ黒になるほど描きこまれています。何度も言いますが、一つの点、一本の線に全力を傾注して数えきれないほど銅版を刻んでいった細かく執拗に描きくこまれた画面は、見れば見るほど惹き込まれ、戦慄を覚えてしまうものです。それがあまりにも凄いので、それだけを見ていればいいのですが、この作品を見ていると、その点や線の凄さ、細部の描きこみの濃密さに対して、描かれているもの。例えば画面左右の神殿の柱のようなもの、そこに彫刻が施されているようなのですが、そういうものの造形、あるいは中央の翼を広げている神様か異形のものなのか、そういうものが、描きこみに対して追いついていない、明らかにバランスを欠いているように見えてしまう。もしかしたら、この作品が未完なのは、そういうところにあるのかもしれません。これは、あくまでも私の個人的な主観、独断的なものなので、私には、そう見えるということなので、異論がある方は多いと思います。ただ、私には、この作品もそうですが、「孤島」とか作品には、病的な行き過ぎのような印象を受けます。それは、造形が追いつかないでバランスが保てないのを、細部の描きこみでカバーしようとして、描きこみがどんどん過剰になっていって、さらにバランスが崩れるといった具合に、強迫されているような感じがします。それが異様な迫力を生んでいるとも言えなくもありません。

「孤島」という作品を見ましょう。この作品については、参考として原版と、30回にも及び試し刷りが展示されていました。それを見ていると、刷る度に、画面が重く細密になって行くのが明らかに分かります。私の勝手な想像ですが、刷られた画面を見るたびにもの足りなさを感じて、そのたびに細かく描きこんでいく、それがどんどんエスカレートしていく、そんな風にみえました。完成した作品を見ると、円形の画面を取り囲む額のようなところに描かれた草が絡んでいる図像の迫真でありながら様式化された描写と、その額の四隅の丸で囲われた中の有翼の禿頭のポーズをとった人型の貧弱さは明らかに不釣合いです。また中央の円形の画面のなかでも、人型がいくつか描かれていますが、あるいは左手の鳥もそうですが、草葉の描写とはレベルが違う。しかし、その落差をコントラストとして見せるような作品ではありません。

どこかに明確な線引きをすることはできないのですが、「魔都霧譚」や「孤島」といった清原の早すぎる晩年に近い制作年代の作品には、無理しているように見えるところがあります。「魔都霧譚」の鉛筆による下絵と版画として完成した作品を比べると、鉛筆の下絵は版画の制作のためのスケッチとかいうような下絵という範囲を超えて、ひとつの作品としてまとまっていて、それだけで完成作といってもいいものに見えます。その下絵と版画の完成作を比べて見ると、私には鉛筆の下絵の方がまとまっていて完成度が高いように見えるのです。これは、私の個人的な好みからなので、客観的な評価ではないのですが、すっきりとした鉛筆の下絵に対して、版画の完成作は、細部の描写がかなり書き加えられていますが、その加筆がむしろ全体のバランスをくずしてまとまりをなくしてしまっているように見えるのです。細部の描写は凄いのひと言で、それ以上何も言えないほどのものなのですが、明らかに過剰な印象なのです。言葉は適切ではないかもしれませんが、ゴテゴテしているのです。はたして、その過剰さに意味はあるのか、こういう問いは、ややもすれば作品への中傷になってしまいかねないものですが、私の個人的な感想としてのものです。これは、「孤島」の参考として展示されていた30回の試し刷りを見ていても、刷るたびに、どんどん細部が書き加えられていったのも、同じように、過剰さを感じるのです。そして、これらの作品の構成を見ていると、これもこじつけかもしれませんが、画面の中に枠取りがしてあって、その内側に図像が描かれているようになっています。しかも、その枠取りはその図像のなかにも設定されていて、画面は何重にも枠取りされていて、求心的と言えるのかもしれませんが、中心が、その何重もの枠の中で、画面の事物はその中心に向かっている。つまり、画面で描かれた空間は何重にも閉じられているのです。そのなかで、細部が過剰なほど細かく濃密に描きこまれていっている。私には、そこで清原は袋小路に入り込んで、そこで閉塞してしまっているように感じられるのです。具体的に言うと、以前の「Dの頭文字」や「海の男」のような作品には明らかにそれとして在った裂け目や崩壊が、自然物や人工物が重層的に重なり合っている境界や画面の枠といった境界の一部に実質的な抜け穴を作っていて、それによって相互に侵犯が発生しているのです。それはまた、世界が崩壊と生成を繰り返していて、画面で描かれているのは、その途中にあることを想像させるものとなっています。そこには、空間的な流動性、と時間的な生成と崩壊という流れが内在していたのです。そこで、細かい描写というものが、そのような流れの中で、意味を持っていた。例えば、細かい粒々が増殖してくるような不気味さを画面に醸成させていました。それに比べて、「魔都霧譚」や「孤島」は層や枠に裂け目や破綻がなくて、ブロックに分けられて、おのおののブロックが閉じてしまって、ブロック相互の流れは失われてしまっています。したがって、生成や崩壊を繰り返すような時間が止まってしまっています。したがって、例えば描写が細かく描きこまれていっても、画面の有機的な流れが失われているので、細かい描写の意味がなくなって、ただ細かく描写することだけがバラバラにエスカレートしていっている。そこに分裂、さらに、その根底には、画面がブロックごとに閉じ込められて閉塞していってしまっていることがあると思います。閉じこもったところで、どんどん密度が追求されていって、濃密になっていくと、それにしたがって密度だけが異常に高くなって、酸欠状態に陥ってしまう。「魔都霧譚」や「孤島」には、そういう雰囲気があると思います。

「楽園の薔薇」という作品。制作年代は1987年ということになっているので、「魔都霧譚」や「孤島」と同じ頃ということになると思います。こちらの方が、行き詰ったような閉塞感があまり見られません。むしろ、「Dの頭文字」や「海の男」にあった不気味さがソフィスティケイトされて様式的になっていると思いました。私の個人的な好みかもしれませんが、「魔都霧譚」や「孤島」といった作品よりも、こちらの方が、清原の特徴的な魅力を見出すことができるのではないかと思います。展覧会やパンフレットの説明などでは、清原が久生十蘭や三島由紀夫などの耽美的、幻想的な文学への傾倒とか、ヨーロッパ19世紀末の象徴主義的、耽美的な版画や絵画の影響を指摘していますが、前のところで少し触れましたが、この人の作品を見た印象と、この人が生きた時代の環境から想像するに、サブカルチャーの影響があると思えるのです。それは、公式的に説明される文学や芸術面での影響のように直接的ではないので、具体的にここがそうだと指摘することは難しいのですが、ベーシックな部分で少なからずあるのではないかと思えるのです。例えば、清原の年齢からすると少し上のお姉さんにあたる世代の人たち、24年組といわれる年代の作家たちによる少女マンガの革命が、この人の間近なところで起こっている影響は避けられなかったのではないかと思います。24年組の少女マンガはどのようなものか、ということはひと言では言えないほど広範で根本的なものだったのですが、清原の作品に関連するところで考えてみれば、いくつかの点をあげることができます。まず、大きな点として世界を客観的な対象として見るのではなくて、自分もそこにいて、世界と相互関係があるものとして捉えているという点です。それは、さらに突き詰められて、自己と世界との境界が曖昧になって相互に侵犯していくような作品が登場します。例えば、大島弓子の『綿の国星』のなかの1ページですが、マンガの常套的な枠であるコマからふき出しがはみ出ていたり、左下などは、そもそも枠線すら引かれていません。それを反映してか、ここで描かれているのは仔猫が捨てられていて、それを通りかかる人たちが見捨てていくという場面で、左下の少女は捨てられた仔猫を擬人化して描いたものです。そうであるとすると、左下のコマは見捨てられた仔猫と見捨てていく人が同じように並べられています。しかも、その両者を第三者的に客観的な場面で見るのではなくて、映画でいえばカットバックで両者をそれぞれアップにして連続して繋げて見せるところを一つの場面に同居させています。文章であれば、ひとつの文章に主語がふたつあるようなものです。これは、猫の主観が客観的な場面に入り込んで侵犯しているわけです。ここでは、客観的な実在の世界と猫の内面の境界が曖昧になっています。それは絵だけではなく、マンガの中で語られているセリフにも表われています。実際に言葉として喋られているものと猫が思っている内心の声との区別が曖昧になっているのです。その結果、読者はマンガの場面とも猫から見た世界、つまりは猫の内面とも曖昧なところで、その両方を見ることになり、しまいには猫に同化するように物語に参加していくことになるのです。そこに、少女マンガ独特の繊細な内心の表現空間が生まれ、読者がそれを共有することになるわけです。これは、清原の作品世界では境界の侵犯といったことに短絡的かもしれませんが、客観的な風景では区別されていた自然物と人工物が融合していたり、そういう要素を敢えて入れてしまう姿勢、そこに清原の内心の投影などいう短絡的な言い方はしませんが、そこで境界を曖昧にしてしまうという行為自体にメタファーとかシンボルとしてか何らかの反映があるように思えます。その時に少女マンガの手法がヒントとなったと考えても無理はないのではないかと思います。そして、第2の点は繊細な線とそれによる描写です。例えば、萩尾望都の『トーマの心臓』の1ページですが、それまでのマンガの線は手塚治虫のような丸ペンによる筆のような真ん中が太くなるような丸みを帯びた線や劇画のGペンによる太く角張った線で、入りと抜きという力の入れ具合によって線自体に生命感とか感情が宿るものでした。これに対して、この画面の線は細く流れるような線で、微妙で消えてしまいそうな、少年の自分でもあるかないか自覚していないような感情の形を表わそうとしてみたり、結果としては太い線になるのを細い線を何本も重ねることで、実は太い線のなかにも、その太さの中にも中がスカスカなところと充満している差があって、その微妙なさは線の入りと抜きで一気に引いてしまうのでは表現できないものだったりするのです。このページの右下に植物が描かれていますが、そういうものを描くときに繊細な線は本領を発揮し、花や草を様々なシンボリックな意味を持たせたり、装飾として場面を彩ったりさせられることができることになるわけです。清原の作品における繊細な線や植物が繁茂する図案などには、19世紀のユーゲントシュティールの影響もあるでしょうが、少女マンガの影響の方が、より直接的ではないだろうかと思うのです。

そのような視点で見ていくと、この「楽園の薔薇」という清原の作品は植物を装飾的に図案化し、繊細な線で描いているという姿勢のベースに少女マンガの影響を、私は感じます。それが、この作品では良い面として出ていると思います。そして、繊細で様式化した画面の静謐さを破るかのように真ん中で大きな裂け目ができて、パックリと開いた中が覗けて、何か生々しくおぞましい感じがするし、中から何かが出てきて一部が現われている。そこに破綻が生まれているわけです。様式化して安定したところに止まっていない、そういう動きが、すくなくとも生まれている作品です。清原の作品には繊細さとか神秘的というところは慥かにあるのですが、その一方で、この作品で垣間見えるような、生々しさとか不気味さといった底知れぬところがあるのです。それが実は清原の作品に生き生きとした生命感や動きを与えているのではないかと私は思うのです。しかし、繊細さや耽美さを追求していくと、そういう面が後退して行ってしまった。その結果、画面にどこか閉塞感が生まれてきたように思えるのです。

「後日譚」という作品は、1980年代はじめのころの作品で清原の短すぎる活動期間の中では比較的早い時期に制作された作品です。遠目に一瞥すると森の散歩道のような図式ですが、「楽園の薔薇」では様式化されて、すっきりと整理された模様のように描かれている植物、草や蔓が縦横に繁茂して全体を覆い尽くすほどで、まるで草や蔓にのみ込まれてしまうような状態になっています。清原の、この時期のいくつかの作品に共通している要素(ストーリー)なのだろうと思います。細い草や蔓、あるいは小さな細胞のような粒が増殖して、それが画面の一部や全部を侵蝕するように覆い尽くして併呑してしまうという要素(ストーリー)です。それは、画面を描くという作業においては草や粒でびっしり埋め尽くされるのを微細な線を無数に引いたり、細かい点を無数に打つ点描で画面を埋め尽くすということになるというわけです。草や粒を描くために細かな描法が必要だったのか、細かく描くという行為に適した対象が草や粒だったのか、卵が先か鶏が先かのような話ですが、おそらくどちらが先ということでもなかったと思います。あるとき、清原はそれに気が付いてしまった。そのことを想像できるのが、最初に展示されていた「鳥の目レンズ」という作品です。画面を四分割しているという清原の作品には珍しい佇まいをしていますが、おそらく最初のころで、意識して銅版画を制作したというものではなくて、授業とか先生に勧められて何の気なしに着手したのではないかと思います。それは四分割の画面の左上の鳥の姿の下手さです。これは清原の作品を見ていて感じるのですが、この人はリアルな実物を見てそれを自分なりに平面に置き換えて図像にするというのは下手で、すでに描かれた図像をお手本にして自分なりのアレンジをするという描写をしているように見えます。この「鳥の目レンズ」の鳥は、鳥には見えますがサマになっていないのです。しかし、視線を右に移して右半分のふたつの画面を見ると蔓が繁茂したように細い線が鳥を覆い尽くしています。これにも、お手本はなかったのに、左側の画面の鳥とは違ってサマになっている、というより見ていて惹かれるところがある。描いた清原は、もっとそれを感じたのではないでしょうか。この作品が、それだと言えるわけではありませんが、清原は、この前後で細い線で描きこむ、草や蔓、あるいは網のような細長いものが無数に集まったものを描くということにハマッたのではないか。そこで清原は出会ってしまったのではないかと思います。そこからスタートしているのが清原の作品で

あるというのが、私の個人的な清原の作品の見方です。そういう視点で見ていくと、この「後日譚」という作品は、細い線で描きこむ、草や蔓のような細長いものを描きこむということをエスカレートされていった作品として、私にとっては清原の特徴がストレートに出ている作品だと思います。画面の左右の下端の部分を占める繁茂している草葉は絡み合っているように、蔓がどのように伸びているか分からないくらいにゴチャゴチャの渾沌とした状態です。その絡み合っているような感じが、全体として細い線が無秩序に集まって蠢いているような、不気味でおぞましい感じが伴うのですが生命感を生み出している。適切ではないかもしれませんが、ざるに鰻いっぱいに入れてそれらがくねくねと身を捩じらせて、動いているようなイメージです。一方、画面の右側に樹木が立っていますが、そこに蔓が幾重にも絡み付いています。さらに、その樹木の幹そのものも、一本の太い幹が直立しているのではなくて、太い蔓が何本も縒り集まっているようなのです。そして、よく見ると、その樹木の左下の倒木(鳥がとまっている)も何本もの蔓が集まったかのようです。そういう視点に慣れてくると、画面上方の空の雲は小さな細胞が増殖してできているようなものに見えてきます。というより、そういう風に描かれています。ここには、世界全体が細かいものに侵蝕されていく、喩えていえば、人の肉体が癌細胞に侵されて行くような、じわじわ迫ってくるような恐怖感が湧き上がってくるような、本質的に不気味な作品になっていると思います。そういう不気味さは清原の作品の底流にあって、それは清原が細かく描き込むということと切り離せないものとなっていると思います。この「後日譚」という作品は、そういう清原の特徴(魅力)がとても分かり易い形でストレートに表われていると思います。また、「雨期」も同じようなタイプの作品です。そして、この頃の渾沌としたものが、次第に整理されていったのが晩年の作品ではないかと思います。

初期の頃の作品を見ていると、最初に画面の構成を設計して制作を始めるのでしょうが、清原は細かいものを描きたい人なのだろうから、それを描いているうちに乗ってしまって、それにつれて細部が生き生きとし始めて描かれた画面を侵蝕してしまう。その結果が完成した作品ということになるように、私には見えます。そして、それをコントロールしようとした過渡期にあると思えるのが「領土」という作品です。「後日譚」のように細部が今にも食み出してしまいそうなところはなくて、全体として納まっているという作品です。その理由の一つとして考えられるのは(これは後付けであって、清原が作品を制作する前から意図していたということはないと思いますが)、画面の中で描かれている事物において自然物が相対的に減って、人工物の占める割合が高くなってきていることです。この画面でいえば石造りの建築物は作られたら崩壊することはあっても、自身で成長したり増殖したりすることはありません。背後の岩峰も似たようなものです。ここからは、草が成長するような動きや生き生きとした要素が生まれてきません。つまり、静止している。生命がないのです。この作品では、このような静止した部分が画面の半分以上を占めています。そのことが動きの歯止めとなって機能していると考えられます。しかし、その他の部分、画面前景の樹木が並び、その下に草が繁茂しているところや中央のドームを壊すように樹が伸びているところ、背景の空の雲などは動きを内包しています。それにより、画面全体としては動きが全くなくなってしまっているわけではない。

これを別の側面で見てみると、この作品の画面の中央に石造りの塀で仕切られた迷路のような建築物が描かれていますが、立体を平面にして描いたものとしては歪んでいて、立体として成立していない。パースペクティブができていません。この作品全体をみても、ひとつの空間として成立していないのは明らかです。だから、作品としておかしい、欠陥があるというのではありませんが、このことからだけで判断するのは短絡的かもしれませんが、清原という人は、距離をおいて見る、空間を把握するということが苦手だったのではないかと想像できます。しかし、ものに近寄って舐めるように見つめて、細かいところまで識別するのは得意、つまり近視眼的な傾向が、この作品から見て取れると思います。それは逆に描くという方から考えても、ペンを握って葉っぱの葉脈の線を細かく引いていって、しまいに葉っぱになるように描く、けれども画面全体を、このような空間構成にしようと設計するのは苦手だったのではないかと思えます。この作品でも、遠近の位置と描かれた事物の大きさのバランスが釣り合っていないといったことなどに端的に表われています。しかし、そのような全体としてみると歪みがあるからこそ、細部が暴走するように過剰なほど細かく描きこまれても画面が成立していて、むしろ、細部が画面に生命感を与えているということが可能になっているのだと思います。それらの点で、この「領土」という作品は、中庸のバランスといいますが、ほどほどのところに按配よく納まっている作品だと思います。

いろいろ、述べてきましたが、清原の作品は、私にとっては、第一に描く、銅版画であるから銅版を刻むという行為に打ち込むということ、そこから生まれる一本の線、ひとつの点の存在ということ。第二にそれが気が遠くなる多数で形づくられる細かい描写です。そして、それによって結果として画面が成立するというもので。それが生きるのは草葉の繁茂する図像や、細かい細胞が集まって増殖したようなもの、そういったパーツです。それらが結果としてひとつの画面におさまっている。その結果が幻想的だったりする、そういう作品ではないかと思います。

 
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