生誕140年記念 下村観山展
 


 2014年1月14日(火) 横浜美術館

今年はじめての都心への外出、予定より少し早く終わったので思い切って横浜まで足を伸ばして見に行くことにした。正月明けということなのか、平日の夕方ということなのか、館内は閑散とした状態で、係員も心もち手持無沙汰のように見えた。そのせいもあって、マイペースで落ち着いた雰囲気で作品を観ることができたのは良かった。展示は、少し前にやっていた横山大観の展覧会とよく似たレイアウトで、前の骨組みをそのままにして展示物を取り換えたかのような感じもした。この美術館は、スペースの使い方が贅沢というのか、ほとんど無駄に浪費しているように見えて、スペースを巡るのが不便で、外観とかロビーにしか気を遣っていないのではないかとしか思えないところがあるので、前に見た展覧会と同じように巡ることができたのは、却ってありがたかった。

前回ここで見た、横山大観については一般的なネームバリューに対しては素人くささを悪い意味で見えてしまって、落胆はあったのだけれど、今回見た下村観山はプロの画家であるということが、横山大観と一線を画すのが大きな違いだと思う。それだけに、絵画以前のお絵かきみたいだった横山大観の作品に対して、絵画作品として観ることができた。

下村観山という画家については、主催者あいさつで次のように紹介されています。“下村観山(1873〜1930)は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれました。幼いころから狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の技法を身につけ、1889年に東京美術学校の第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けました。卒業後は同校の助教授となりますが、天心を排斥する美術学校騒動を機に辞職、日本美術院の創立に参画し、その後は日本美術院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られます。1913年には実業家原三溪の招きにより、横浜の本牧に終の棲家となる居を構えた、横浜ゆかりの画家でもあります。狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。”といった具合です。この美術館の姿勢というのか、美術展の企画は意欲的な見かけで面白そうと思わせるのですが、こういう主催者のあいさつとか展示の内容では、一般的なところに沿う、主張とか考えの感じられないものになっていて、期待させられただけに落胆するということが多い美術館であると、私は思っています。端的に言えば、内容は取り敢えず措いておいて、突飛な宣伝で気を引くという傾向です。とはいっても、企画とか展示姿勢がどんな出会っても、展示されている作品が良ければ、そんなものはどうでもいいことではあります。その意味では、展示された作品を観るというのが、今回の満足感につながりました。

下村観山の作品に対して、特徴を端的に言うことは、私にはできません。どうしても、日本画をよく知らないため、正直にいえば、区別がつきません。ここで展示されていた下村の作品を単に作者名を伏せて見させられても、これを下村の作品であると判別できるような鑑識眼を持ち合わせているわけではありません。しかし、最近、横山大観をはじめとして竹内栖鳳などの展覧会を見てきた印象と比べると、とくに同僚であったらしい横山大観の作品の印象と比較すると、比較的線がうるさくないということを強く感じました。それと、丁寧に描いているということも感じました。これは横山と比較しているからかもしれませんが(こういう言い方をすると横山を好んでいないように受け取られるかもしれませんが、たしかに作品を観た印象では、彼の作品が世評では高い評価を受けている理由が分かりませんでした)。全体の作品のつくり方の方向性としては、横山大観や竹内栖鳳が、全体を大掴みにして、時には大胆に省略したり構図で工夫したりしていたのに対して、下村の場合には、細部を積み上げて、その結果全体としての作品が出来上がる、という作り方をしているように見えました。そのあり方が特徴的に表われているのが、植物や動物を描いた作品で、植物の葉の一枚一枚を丁寧に精緻に描いていて、屏風のような大作でも隅々までその姿勢が貫かれているのには、じわじわ迫ってくるような迫力を感じました。そこには、対象を把握するというのではなくて、二次元の平面の絵画上の色と平面に還元してしまうという視線が強く感じられたのも確かです。それは、今でいうならドットプリンタのような平面にプリントする各ドット(点)のひとつひとつに分解して、その一点一点の精度を高めようというようにことでしょうか。それだからこそ、何かメッセージを伝えようとか、人物の人となりを表現しようという場合には、物足りなさがつきまとうことになっているとおもいます。下村の人物画は人間とか人物が描かれているのではなく、人物の形をしている彫像にしか見えませんでした。それは、上の展覧会チラシに載せられた作品にも明らかです。森にいる人物の存在感は希薄で、平面的です。しかも顔と衣装(身体ではなく表面的な衣装でしょう)とはチグハグで一体のようには見えません。それこそ、平面的な空間を顔と衣装のそれぞれの平面が埋めているかのようです。それ以上に背景であるはずの木やその葉、草の一つ一つの絵描き方が執拗なほど精緻で、人物の前面に出ています。このチラシでは、その一部にスポットを当てて拡大してくれていますが、例えば松の葉などはその細く描かれた一本一本がそれぞれ描き分けられているかのようで、日本画の技法で筆の勢いでそれらしく見えるようになっているのとは、別のもののようです。そういう、細部肥大症の傾向、そういうところを描かずにはいられない、という画家の癖のようなものが濃厚に表われていると思います。そして、下村の作品に見られるそういった特徴は、私の好みです。そのようなことを実際の作品を観ながらお話ししていきたいと思います。 

         

第2章  東京美術学校から初期日本美術院

会場に入ってすぐ真正面に目に入ってくる作品が「闍維(じゃい)」(左図)という釈迦が入滅した後荼毘にふす場面を描いという作品です。横山大観の「屈原」と共に賞を受け、高い評価を受けた作品ということです。なお、右から2人目の人物が下村本人ということです。でも、どこかしっくりこないのです。人物に存在感がないというのか、群像を描いていると思うのですが、釈迦を火葬にして灰になっていくのを弟子たちが囲んでいて、それぞれの弟子たちに表情やしぐさにその弟子の性格や釈迦との関係が表われてくるといったものであると思うのですが、どの人物も同じに見えてしまうのです。少し違うかもしれませんが、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を見ると横長の食卓に一列に並んだキリストと弟子たちが、キリストの告白に驚いたり、怒ったりとその中でユダがいるという群像の人々が描き分けられそこに強烈なドラマが起こっています。それを下村の作品に求めるのは畑違いかもしれません。しかし、このノッペリした人物たちは何なのでしょう。何か、無理して西洋絵画を取り入れようとしたギャップがそのまま出ているとか私には見えません。端的に言って挑戦は立派だけれど明らかな失敗ではないかと思います。

東京美術学校の卒業制作として描かれた「熊野観花」(左図)という沢山の人物を題材とした作品では、そういうギャップは感じられません。だから下村自身が人間という対象を描くのが下手というわけではないと思います。 このほかにも日蓮が路上で集まった人々に説法している場面を描いた作品もそうですが、場面をドラマとしてではなくて、風景として描いた作品は、細部まで精緻に描くという下村の特徴が良い方向に出て、丁寧に描き込まれた作品として成り立っていると思います。ただし、そこで描かれている人間は一人一人が個性や人格を備えた人物ではなくて、風景の中で空間を埋める人の形をした物体として描かれていると言っていいと思います。石ころと同列の扱いなのです。多分、もともとの性分として、キリスト教をベースにした存在の位階のような意識がないからではないかと思うのですが、人間を中心に描いていないし、そういう視点をもともと持っていないので、そういう切り口がないところで、ドラマをつくることは難しいのではないかと思います。これは何も明治の文明開化の時期に限った事ではなくて、現代に近い時代でも、まんがの世界でまるで写真のように背景を描き込みながら、人物についてはまんが独特のデフォルメした平面的でパターンを描く作家たちがいます。水木しげるやその影響下にある人たちで、例えば、つげ義春の「ねじ式」(右図)の一場面をみてもらうと海岸風景のリアルな描写に対して中央の人物の手抜きで見紛うほどの類型的な描き方に通じるところがあるような気がします。そもそも、日本の絵画というは、人物を描くのに適していないのではないかと思ったりします。それよりも、西洋絵画の人物を描くという考え方やそのやり方の方がユニークで他に類を見ない独特のものであるのかもしれず、私の絵画の見方というはそれに毒されてしまっているのかもしれません。下村の二つの作品を観ていると、そう考えさせられてしまうことがありました。

下村自身は、そんな懐疑に捉われることなどなく、人物表現を追及していたのでしょう、それひとつが「元禄美人図」(左下図)という作品です。画像は小さくて、それを全体として観ると平面的ですが、顔の部分をみてみると、浮世絵の美人画ややまと絵の人物とは異質な、美人とタイトルにありますが決して美人ではないけれど、特定の個性ある人物の顔が、しかも表情のはっきりとわかる顔を描いているのが分かります。後の時代に速水御舟がリアルを求めて「京の舞妓」という論議を起こした作品を描いていますが、こちらの方が遥かに生の人間を感じることができます。しかし、全体としては肉体をもった実存を描き切れていない。これは下村がヨーロッパに渡り西洋絵画を模写するときに、齟齬を感じされるのですが、それと同じ原因が、この元禄美人の人物表現にもあるのではないかと思います。私の個人的な感想ですが、下村の作品の中で、この作品が人物を描いた作品のピークではないかと思っています。「闍維(じゃい)」という大作のような内容空疎としか見えないものに比べて、とりあえず人間がいるという作品になっていると思います。

「熊野観花」では人間が石ころと同列の物体として精緻に描き込まれていると述べましたが、石ころまでをも描き込もうとする妄念のようなところが下村の作品にはあると思います。その細部の描写ということには、この時期の下村の作品を観ていると、引きこまれるようなものもあります。「春日野」(右下図)という作品。垂れ下がる藤の花の一つ一つを描き分けているのは、執念さえ感じます。鹿の毛の一本一本を鹿の模様に合わせて細かな線を引いていて、まるでその毛の一本一本が立っているようです。そして、鹿の座っている下草の葉を線で、これまた線で一本ずつ引いている。そして、鹿の毛の線の流れと、下草の線の流れが、それぞれ呼応しているかのように、リズムを作って下半分の流れを作り出しています。つまり、細部の描写がそれだけ単独で突出しているわけではなく、画面の中で上手く機能しているのです。しかし、この時の鹿と草の線は、細い線であるものの勁い線で鋼のようでもあります。そこでは、鹿の毛と草の質感の違いを描き分けるということは、あまり考慮されていないようにも見えます。それはまた、左下で垂れ下がる藤の花の背後にいるはずの鹿の毛が藤の花の前に出ていて、奥行の順番を間違えているかのような書き方にも言えます。画面の上半分は藤の花がまるで楽譜の音符のように画面を埋めていて、下半分の線に対して、点でリズムがとられていて、その飛び地というべきものが、下の草地の丸い葉が数枚あって、そこで点のリズムと線のリズムが交錯しています。そのような動きは全体を薄い絵の具で、透き通るように描くことによって、あまり前面に出して強調するようなことをさせないでいるため、そのリズムがそこはかとなく聞こえてくるような効果を醸し出していると言えます。その感じが全体に穏やかなリラックスした雰囲気の中で、動きを感じさせる効果を出していて、憩う鹿が止まっていないのです。解説によれば、朦朧体が使われているということで、発表当初は評判が悪かったということですが、私には、そうであったからこそ、線と点を対比的に使うことができのではないかと思います。私には、下村という画家は、細部を用いたマニエリスム的な画面操作をここ見ていたように受け取れる点で、当時の岡倉天心とその門下生の画家たちなどよりも絵画的な発想に独創性があったのではないかと思わせられるのです。

なお、第1章の狩野派の修業は、下村が、日本美術院に入学するまでの少年期の習作時代の作品です。作品数からしても、第2章以降とは釣り合いを欠くほど少なく、とくに注目したいほどの作品もなく、たんに巧みなお絵かき程度です。下村を特別に勉強するひとや熱狂的なファンではないので、ほとんど素通りです。

         

第3章  ヨーロッパ留学と文展

この展覧会の作品を通して観た印象では、欧州に留学して帰国後バリバリ描いていた、この時期が下村の画家としての絶頂期ではないかと思います。この時期の作品が群を抜いて興味深く、この後の再興日本美術院のころになると、晩年になるのか画風が変わって本来の持ち味を消してしまうような、敢えて言えば持ち味を生かすために必要な力の衰えを感じさせられます。この時期の作品で展示されているものは、どれをとっても興味深い。

ヨーロッパ留学時代に当地の作品を模写しているのが展示されていました。ラファエロ前派のミレイ(左が下村の模写、右がミレイの原本)と当のラファエロというのが、結果としてそうなったのか駄洒落なのか、面白い取り合わせです。それぞれ、下村の模写と原本を並べてみると、下村の特徴が炙り出されて来るのではないでしょうか。下村は水彩や日本画の絵の具で紙や布に描いているので油絵の技法の使用には制限があるのでしょうが、平面的であることと輪郭線をはじめとした線が目に付くのが目立つ特徴といえます。例えば「椅子の聖母」(左側が下村の模写、右側がラファエロの原本)をラファエロの原本と比べてみると、下村はスフマートの効果を必死に真似ようとしていて聖母の頬の感じなどそれなりの効果をあげてはいますが、その輪郭を明確に線を引いているので、ラファエロの柔らかい肌の感触や暗闇に融け込んでしまうような現実か幻想が判別としない神秘的な感じが出ていません。幼児キリストの足の部分などもそうで、下村の模写では聖母子というよりも普通の家庭の母子になってしまっています。それは、下村が幻想が描けないというのではなくて、立体的な空間という視点がとれないためではないかと思います。だから、背後の闇に影がとけこむような絵画的なフィクションがイメージできないのではないかと思います。とはいえ、ラファエロの丸めたポーズを幾重にも重ねるデザイン的な画面つくりは、前回に紹介した下村の「春日野」で細部を積み重ねるマニエリスム的な画面つくりの本家みたいなもので、下村にとっても興味深かったのではなかったのかと思います。しかし、このような模写は、いうなれば習作で普通なら破棄してしまうと思われるけれども、それを帰国後も描いて作品として仕立てあげてしまうところが面白いところです。

「木の間の秋」(上図)という作品は、琳派を思わせる装飾性があると発表当時には好評を博したということですが、むしろ、ヨーロッパ留学で、彼我の違いを実感した下村が、例えばラファエロの模写で、やろうとしてできなかったことを、別のやり方で自分なりに工夫した結果が表われてきたものだったのではないか、という気がします。それは、前回に見た「春日野」にも見られた、あるいはラファエロの模写の底流にもあっただろうと思われるマニエリスム的な絵画のフィクションの全面的な展開です。この「木の間の秋」という風情ありげなタイトルとはかけ離れたように画面は細部が過剰です。秋の少し寂しげなイメージとは逆に、グロテスクなほど細部が溢れんばかりです。何か、魔物が現れそうなおどろおどろしさを感じないわけではありません。それは、琳派の様式化されたデザイン画のような装飾性とは別物のように、私には見えます。むしろ、ラファエロ前派のミレイ(下村の模写した画家です)の「オフィーリア」(下図)の溺死体の周囲に乱れ咲くような花々を想い起させます。ミレイの場合はアトリビュートとしての花に込められた象徴的な意味を過剰に画面に盛り込んで、それがまた全体の幻想性を高めています。下村の作品には、ミレイのような意味の過剰はありませんが、およそ日本の森林の秋の風景としては、現実性というよりは、この世にない風景という感じで幻想性を感じさせます。森林の主役である樹木は輪郭をくっきりさせず(朦朧体というのでしょうか)、樹の幹に絡みつく蔦や苔、下草といった脇役をあえて明確な輪郭を描くことで、前面に強調しています。樹の幹の一部をぼんやりと描くことで、奥行のない平面てきな世界の中で、森の深さと幻想性を効果的に表わしています。そういうフィクショナルな場面を作り、樹である松の葉(葉だけはくっきりと描かれている)や草の線や点が縦横に交錯して、それが画面に躍動感を与えているのです。端的にいえば、混沌のエネルギーを様式化させようとしているように見えます。そこで、下村は線の使い分けとか、輪郭の強弱とか、技巧を用いて、平面性を生かしつつ、それを超えようと試みているように、私には見えます。これを装飾性というのは、私は適切ではないと思います。装飾という言葉には、本体と装飾部分を分けて、本体は別に措いておいて、本体にオマケとして装飾を付け加えるという意味合いがありますが、ここでの下村は、本体と装飾の立場を逆転させているのです。横山大観にも「千ノ與四郎」(左図)という庭にいる千利休を描いた作品がありも庭の葉が前面に出て利休の存在が霞んでしまうような作品がありますが、その作品での葉は下村ほど一つ一つが細かく描き分けられておらず、装飾の位置から出ていません。主役である利休を霞ませるところまでは行っていますが、取って代わるところまで行かないのです。そういう点で、下村の、この作品は大胆で突出しています。

「小倉山」(左上図と左下図)という作品を観ましょう。最初に展覧会チラシで紹介した大作で、この展覧会のメダマとなる作品です。前回に見た「木の間の秋」は森林風景ですが、このような絵画空間に人物を加えたらどのようなことになるのか、という作品です。1双の屏風の左側(下図)は空間を大きく取り一本の樹木に横枝が交錯する構成で、一見シンプルな体裁をとっています。これに対して右側(上図)は人物を配したもので、こちらは稠密な森林という錯綜した構成になっています。まずは、全体を左右の対照的にすることでアクセントをつけています。これで見ると、右側の人物の配された稠密さがさらに強調されるようです。その右側の森林風景は「木の間の秋」以上に密度の高いものとなっています。ここでは紅葉という色彩効果が加わるため、線とバラエティに色彩のバラエティがさらに加わって、エスカレートしています。よく見ると木々の葉の葉脈一本一本まで丁寧に描かれています。金線いれて目立たせてまでしています。全体の構成も横に太めの枝を一本通して、中央の大黒柱のように色を違えた幹とで十字をつくって動きの線とで画面を四分割させて微妙に雰囲気を分けることで、混沌とした中でも全体として秩序感を作り出しています。そのためだと思いますが、人物が混沌に埋もれることを免れています。描き方の点でも、樹木は輪郭線を使わず、人物は線描で明確な輪郭を持っています。人物の顔の線は細いけれど勁い明確な線で、衣装は太くなるけれど色は薄くなって描き分けられています。衣装は、線があってもぼんやりした線であるため、細かく描き込まれた模様が引き立つように工夫されています。この作品について、マニエリスム的な細部の積み上げの効果は、幾らでも語れてしまうのですが、ここでは、それ以上に中心に描かれた人物が、埋もれることなく、浮くこともなく、ハマっていることが驚きでした。前回も参考として見ていただいた横山大観の「千ノ與四郎」では人物が背景に押されて生彩を欠いているのに対して、この下村の作品は、それなりに存在感があるのです。この展覧会の感想の最初のところで、「闍維(じゃい)」という作品では、群像の人物に存在感がないことを指摘しましたが、ここでは西洋絵画のような人格個性をもった独立した人物とは違いますが、画面に人物が存在していることに違和感も何もない。

ここで描かれている人物は、やまと絵から抜け出たような表現で、西洋画に範をとったようなリアルな人間の描き方ではありません。そういう写生のように描かれた人物がとってつけたような、画面から浮いてしまうようなものでしかなかったのとは違うのです。また、従来のやまと絵の記号的なものとは何か違うのです。多分、やまと絵の描き方で下村が描いたのは、画面の中でパーツとしてハマることを優先的に考えたのではないかと思います。しかし、人物の顔の描き方を見るとヨーロッパ留学までして西洋画を身を持って体感してきた下村としては、従来ののっぺりした描き方に納まりきれなかった。そこでは、顔の陰影がつけられ肌の柔らかさのニュアンスが描き込まれています。そこで、やまと絵の人物の記号が人の温か味をもった柔らかい肌合いの肉体として表われたと言えます。とくに顔がそういうものとして描かれたことによって、観る側としては、そこに人の表情を想像してしまう。もしかしたら下村はそれを仕向けるようにして描いたのかもしれません。実際に、それとわかる表情までは描き込まれていないのです。顔の表情はあいまいなままです。それゆえにこそ、たとえばレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」のように表情がないところこそが観る者に表情を想像させてしまう。こういうと言い過ぎでしょうか。実際、他の作品を観ても、近代日本画が苦手とした人物表現にひとつの途を開けたようにも、思えるのです。しかし、私の知る限り、この方向での展開はなく、記号的なパターンに固まってしまったというのが後世の大方の画家たちの人物画だと思います。

そんな人物画の試みの例として「ダイオゼニス」(右図)という作品。この作品の老人のように描かれた日本画を、私の無知ゆえでしょうが、他に知りません。この作品以外にも、女性の肉体性を図案化したような「観音図」やキン肉マンのような「不動」といったチャレンジングでユニークな作品があり、人物としての存在感がとても感じられる佳品が多く見られました。この後の時期に入ると、下村自身も急速にパターン化に進み、人物が記号と化してしまって存在感を失ってしまうことになります。思えば、日本画で存在感ある人物を画面に定着させるというのは並大抵のことでは出来ないのかもしれません。下村という画家をして、ある気力の充実した時期だったからこそできたのかもしれません。そう考えると、1年の初めに、下村という画家の作品と出会うことができたのは、幸運以外の何ものでもないような気がします。この1年は幸先の良いスタートが切れたと感謝しています。

 

第4章 再興日本美術院

岡倉天心が亡くなって、横山大観らと日本美術院を再興させて、その後の下村の作品ですが、枯淡というような解説がなされているようです。しかし、私には、下村の作品は描き込んでいくところに大きな特徴があるので、老境に入り、作品を描き込む気力に衰えが生じ、それが作品に反映してきた、というのが私の正直な感想です。この時期の作品の中には、熟練した技巧の冴えが見られるものもあれば、衰えを隠すことのできないものあって、玉石混交になっている、と私は思います。

白狐」(右図)という作品です。前回に見た「木の間の秋」や「小倉山」に通じる大作です。木の葉や草の精緻な描写には変わりありません。しかし、この「白狐」では、先行のふたつの作品に比べて、色彩が淡く、見た目の変化に乏しいものになっています。晩秋から初冬にかけての、紅葉も終わり、雪化粧には未だ早いという、ちょうど草木が装うすべが何もない時期を取り上げているということなのでしょうけれど、したがって、色が制限されるところを逆手にとって、その限られた色のグラデーションで微妙な変化に富んだ画面を作っています。しかも、中心となる狐が白狐で、いうなれば色のない存在であるわけです。この作品では、草木を「木の間の秋」での稠密で妖しい世界を、強調した色彩ではなく、色彩のグラデーションを用いて描き込み、中心の白狐を白い空白のように画面に存在させています。そうすることで、淡い色彩ではありますが、稠密な草木と白狐を対照的に描くことで、草木の妖しさが際立ち、それに対して、白い狐が清澄なものとして見えてくる効果を上げていると思います。また、屏風左側の大きく空間をとってススキをまばらに描いていてると、右側の草木と白い狐を対照的に描いているので、重層的な対照関係で、さらに狐がシンボリックに屹立する感じになっています。

大作ではありませんが、「楓」(左図)という作品にも、下村の淡い色彩のグラデーション効果の良く出ている作品ではないかと思います。下村の草木の描写は細部を描き込むという特徴は、あまり全体を様式化しすぎてしまうと、細部のパターン化が進み省略されてしまうことになります。そこで、細部を過剰に細かく描きこめばバランスを欠いてしまいます。そのためもあるのでしょう。かといってあまり写実的に描写を追及すると日本画の枠に納まりきらず、他のものの描写とのバランスを失ってしまいます。そのため、下村の草木の描写はパターン化と写実との間で独特の緊張関係をもっていたと思います。それが、下村の特徴でもあったと思います。しかし、この時期にはいると、その微妙なバランスが崩れてくるように、私には見えました。細部が浮いてしまって効果を上げていないのです。それが「弱法師」(下図)という作品です。評価の高い作品のようですが、私には描かれている個々のパーツがバラバラで、散漫に感じられました。

また、ひとつの話題ということで「魚籃観音」(右)という作品。中央の観音の顔はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」なのでしょうけれど、言ってみれば悪趣味で賛否両論あったとのことです。それは別に措いて、私には描き込みが足りないほうが、寂しくみえます。アイディアがあっても、それをまとめ上げる力が出なくなっているのを、この作品はあからさまに示していると思います。前にも西洋絵画の模写を見ましたが、あのくらいの力が入っていれば、作品として、それなりに見ることのできるものになっていたと思います。

それだけに、下村という画家の作風は、日本人の好む枯淡という風情とは相いれない、何か過剰というべきものが支えていたように思います。出来上がった作品は、すっきりしていますが、その根底は西洋絵画にも負けないほどの脂ぎった描くことへの欲望のようなものを感じます。それは、それほど多くはありませんが、近代以降の日本の画家のなかでは、異彩を放っていると、私は思います。 

 
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