鴨居玲展─踊り候え─
 

  

 2015年7月2日(木)東京ステーションギャラリー

毎年、この時期は6月末の仕事上の大規模なイベントが終わり、一息つくころなのだ。無理というわけではないが、外出の用事があれば率先して引き受けて、オフィスの外の空気を吸って、ちょっとした解放感を味わうことにしている。そのついでに、たまたま東京駅の改札を出たところで、ちょうど、この展覧会を開催していたので、この時期なら立ち寄ることができる、ということで寄ってみた。平日の夕方だったにもかかわらず、比較的入場者が多く、しかも年齢の高い人が多いようでした。ある程度の知名度のある人であるのは何となく分かりました。

さて、鴨居玲という人のことはよく知らず、この展覧会で初めて見たという始末なので、その紹介も兼ねて、主催者のあいさつを引用します。“1985年に鴨居玲が57歳でその早すぎる生涯を閉じてから30年目の年となりました。画家の内面性の表現であった自画像は、彼の美男でエキゾチックな風貌とはうらはらに、醜態をさらし自虐に満ち、時に死神と格闘する姿でもありました。死を意識しているような苦しい表情で、画家は何を訴えようとしていたのでしょうか。神とは何かを問い続け、描いた教会は不安定に傾き、やがて神の救いは無いかのように宙に浮遊しました。彼の孤独は彼の生きる姿そのものでありました。生の儚さと向き合いながら人間の生きる苦しさ、弱さ、醜さといった部分を包み隠さず描ききり、生きた痕跡を遺したのでした。描き終えた作品たちは言葉を発することなく静かに時を過ごしてきました。本展は没後30年にあたり、初期の作品から絶筆となる自画像まで各時代の代表作を中心に、鴨居展初出品の作品を含めた油彩、水彩、素描、遺品などの90余点から、本質的な自己投影の制作者であった鴨居玲の芸術世界をご覧いただきます。”

まあ、こういうところで、展覧会ポスターなどから何となく、画家のイメージが湧いてくるのではないかと思います。そして、展覧会場に比較的年を召した人影が目立ったのも、何となく理解できるような気がします。最初に断っておきますが、私が、いつも展覧会の感想としてここで書き綴っているのは、画家に対して何の利害関係もなく、自腹を切って入場料をはらって単に時間と空間を消費したという立場で、感じたことをまとめているだけです。また、この書き綴ったものを公開する時期を展覧会が終わった後にするようにして、そういう影響とは無関係のところで、感想をここに残しているというだけのことです。だから、今までもそうですが、画家や作品に対して見当違いのコメントや、不当と思われる感想も結構ありますが、それがたとえ肯定的出ない評価に感じられることであっても中傷とかそういう意図はなく(そういうものであれば、書きませんし、書いても公開しません)、あくまでも個人的な感想であるということを了解していただきたいと思います。

私が、この鴨居玲という画家の作品を、没後30年の回顧展ということで代表作が余さず並んでいたということでしたが、見た全体的な印象を一言で言うと、“ステレロタイプ” ということです。それはよい意味でも、悪い意味でもあります。主催者のあいさつの中で“生の儚さと向き合いながら人間の生きる苦しさ、弱さ、醜さといった部分を包み隠さず描ききり、生きた痕跡を遺した”と書かれているのは、作品を見る人に、いかにもそのような印象を残すようなパターンというか雰囲気が、鴨居の作品に共通して濃厚に現われていたということです。私には、そう見えました。それは、画家である鴨居が自覚していたというよりも、鴨居自身がそのパターンの中に囚われていって、その中でものを観て描くというような、パターンを充実させていって濃密になっていった反面で、袋小路にはまっていくようにパターンから抜け出せなくなっていったような印象を受けました。そこには、画家の持つ一種のナイーブさというのか作品とか、自らの認識に対しての距離の置き方が、自覚的でないというのかダイレクトである、ある意味、自分を客観視しないという感じが見えます。それは、作風は全然異なりますが、日本で人気の高い画家である、ファン・ゴッホに通じる雰囲気があるように思えます。そのあたりが、年齢の高い美術ファンの姿が会場に多かった理由ではないかと思うのです。それでは、これから展示の章立てに沿って具体的に作品を見ていきたいと思います。

  

T.初期〜安井賞受賞まで 

画家としての本格的なデビューは遅かったということで、41歳で安井賞というのを受賞して、そこで認められて、画風も一応確立した、それまでの展示ということです。それまでの試行錯誤ということで、その後の傾向が定まった作品に比べると、様々なタイプの作品が展示されているようです。でも、私のような下世話な人間からみると、その賞を受賞するまでの間に結婚もしたということで、どうやって生活していたのかの方に興味が行ってしまいます。第二次世界大戦の敗戦後間もなく油絵を習っていたと伝記的な説明がありましたから、いいとこのボンボンだったかなあとか、誰かに食わせてもらっていたんだろうな、と変なことを考えていました。というのも、鴨居の作品は比較的絵の具を多量に使うようなのです。

最初に展示されていたのは、19歳の学生時代の作品である『夜(自画像)(左図)という作品でした。学生の習作ですから稚拙であることはさて措いて、絵の具をたくさん使って、量としても、色の種類(多種類の絵の具)としても、キャンバスに上に盛り上がるように、そして、その盛り上がるように絵の具を点描のようになって、盛られた絵の具が、それとして画面上に存在感が出ている。薄塗りとは正反対の画面つくりです。これは、画風は全く異なりますが、後期印象派のファン=ゴッホが絵の具を分厚く塗ってのその凸凹の存在感が画面上にうねりのようなダイナミックな陰影の効果を与え、何かいわくいいたげな強烈な印象を残しているのに、よく似ているように思えます。別に処女作に作家の要素がすべて胚胎しているなどと述べるつもりありませんが、ファン=ゴッホの作品が、作品そのもの純粋に観るということ以上に、そのいわくありげという雰囲気とゴッホという画家の浩瀚な伝記的なエピソードが相俟って、作品にものがたりを感じるような点が、日本で人気ある作品となっているのを、この自画像は、無意識のうちにか、意識してか、追いかけているように見えます。これが、鴨居と画家が生来持っていた資質なのか、誰かの影響なのは分かりませんが、彼のなんとかという賞を受賞するまでの試行錯誤の作品は、共通して多量の絵の具を画面に置いていく点では共通していますし、その後の画風を確立した作品では、そのような絵の具の使い方は、手法が洗練していくようですが、基本的な使い方は変わっていないと、私には思えます。一面的な見方かもしれませんが、鴨居という画家の画業というのは、このような絵の具の使い方が一本の幹としてあって、それに適した題材とか、画面構成とか、作風とかを当てはめていくように追求されて、それが洗練されていった、というように私には見えてくるのです。このような絵の具の使い方から画面に現われてくる効果というのは、ファン=ゴッホの例でも実証されているような、画家の表現者としての源初的な表現意欲のモヤモヤしたようなものが画面にストレートにぶつけられているような印象を見る者に与えるとか、画面に描かれていること以上のことを“ものがたり”として見る者が勝手に想像してくれるようにことを掻き立てるとか、全体として何かいいたげな強い印象を与えるというところがあります。そして、鴨居という画家自身が、その効果に囚われてしまって、次第に絵の具の効果のなかでものを視るという、一種の堂々巡りのような縮小再生産の袋小路にはまっていった、というのが全体として作品を通して感じられるような気がします。その点で、この自画像は、いくらでも“ものがたり”を附加して膨らませることができるような作品になっていると思います。例えば、絵の具の色を重ねていくうちに全体の色調が鈍く、重いものになってきますが、一様の色ではなくて、そこに様々な色があるので、重いのが重層的な重さに見えてきます。そこに若い画家が外界を見たり、自身の内面を凝視した様々な悩みとか思いなどを想像するのは、たやすいことです。いわば、そうこうことを誘発するような効果を与えていると思います。私が、最初に、この展覧会の全体の印象として、「主催者のあいさつの中で“生の儚さと向き合いながら人間の生きる苦しさ、弱さ、醜さといった部分を包み隠さず描ききり、生きた痕跡を遺した”と書かれているのは、作品を見る人に、いかにもそのような印象を残すようなパターンというか雰囲気が、鴨居の作品に共通して濃厚に現われていたということです。」と述べたのは、概ね、このようなことです。そして、このことに鴨居自身は自覚的でなかったように、私には思えます。

『鳥』(右図)という画家が30歳代前半の作品を見てみましょう。分厚く多量に塗られた青い色が印象的な作品です。シュルレアリスムというのでしょうか、幻想的というのでしょうか。画面中央左に鳥のようなものが描かれていますが、そのすぐ隣、中央に青い絵の具を積み重ねて平面彫刻のようにして同じような形の鳥の姿が浮き上がるように作られています。そして、その二羽(?)の鳥の周囲には青い絵の具の積み重ねによって幾重もの波の広がっていくような浮き上がりが見えてきます。そのような青い絵の具のダイナミックな青い世界の下の方に、白い丸型、おそらく月でしょうか、それがダイナミックな青と対照的に静謐さをかもし出しています。この作品を見ていると、この鳥は何かを表わしているのではないか、とか、この画面上の青い絵の具で浮かび上がってくる、鳥や波は何かの象徴とか、画面に何かプラスアルファの想像を加えようとする欲望を禁じえません。この作品などは、鴨居がシュルレアリスムとか幻想絵画とかの方法論とか理念とか、絵画をこのように描こうというような方法論から捉えてはいなくて、単に手法やスタイルとしてシュルレアリスムとか幻想絵画を捉えていたということが分かるようです。そして、上の自画像では自分を題材として描いたのが、結果として厚塗りの絵の具の効果で何か言いたげになったのは、画家が意図していたのかどうかは分かりませんが、結果としてそのような作品になっていました。これに対して、この『鳥』では、自画像での効果に画家が自覚的で、そのような効果を意図していた、むしろ、目的とするように画家の姿勢が変わってきていることに、あるいは自画像の時には潜在的だったのが顕在化してきたのが分かります。その際に、このようなスタイルが適しているかどうか試行していたと言えるではないしょうか。

『赤い老人』(左図)という作品です。『鳥』が青だったのが、こちらは赤い絵の具が鮮烈な作品で、両作品の間には約5年の制作の隔たりがあります。この『赤い老人』と並んで同じように赤い絵の具が鮮烈な作品が展示されていましたが、それらは抽象画のような具体的な題材が具体化されていない作品でした。おそらく、何か言いたげというのを徹底的に突き詰めようとしたのかもしれません。この『赤い老人』では、かろうじて、コートを着た人影をうかがうことができます。このことから、『鳥』の場合には、何かいわく言いたげなことを意図的にしようとしていたのが、この作品では明確に目指すものとして前面に出てきたように考えられます。『鳥』のところでシュルレアリスムとか幻想絵画というような理念は、鴨居にとっては手法とかスタイルにしか捉えられなかったのではないかと述べましたが、もともと、そういう理念で絵画を描くという人ではないように思えます。それが、何か言いたげな画面を追求していくプロセスのなかで、描こうとするものという理念のようなものが後付で画家の中に芽生えて、それが独り歩きし始めたのが、このころの作品のように思えます。そのことに派生して、描こうとするものと、描かれたものが、このころから分離し始め、それを追いかけていくことが始まったのではないかと思います。それは、このころの作品では描く具体的な題材が、作品によっては消失し、抽象画のように描こうとするものが理念のように画家の前に立ちはだかっているような状態になっていたことが想像できます。そのとき、私には、これらの作品を見ていて、ふと考えるのです。この何か言いたげの、その“何か”とは何だったのか、と。むしろ、その“何か”というのがあったのどうか、ということをです。先ほども述べましたように、もともと理念とかで作品を作る人ではないようですし、何らかのメッセージを持っている人でもなさそうです。だから、この何か言いたげの何かというのは空っぽで、その何か言いたげという、見る人が何か言いたそうという一種のポーズが、鴨居の作品にプラスアルファの効果を附加していたのではないかと私には、思えます。それを画家がどこかで勘違いしてしまってしまったのではないか、と私には思えます。これは、育ちのよさが現われていると言えるかもしれませんが、画家のナイーブさ、とそれ以上に、それを周囲が温かく見守っていたからこそ、このように作品が残り、画家はこの後も画家を続けることができた。そういういうことをすべて含めて、鴨居の作品を観ると言うのは、そういうことなのではないでしょうか。だから、鴨居の作品を見ると言うことには、受動的に眺める以上のコミットメントを求められ、それが鴨居の作品に対する好悪の分岐点になるのではないかと思います。そして、おそらく、ファン=ゴッホの作品を好むような人は、そういう接し方はむしろ好ましいものに映るのではないでしょうか。他方では、甘えに映って嫌悪する人も出てくるのではないかと思います。私は、どちらかというと後者に近い方です。

このコーナーの締めくくりは安井賞というのを受賞したという『静止した刻』(右図)という作品です。結局、色々なことをやってみた末に、具象に戻ってきたということでしょうか。たしかに、何か言いたげというには、イメージを限定してあげた方が、観る側にとっても、そこから想像をスタートさせ易いし、具象であればそれ自体に無理に想像力を働かせる必要はありません。それはまた、何よりも制作する鴨居の側でも、限定した素材があったほうがやり易いのではないでしょうか。それは、何か言いたげの“何か”を確固として持っていないのであれば、何かしらの具象的な題材を前提に、その組み合わせなどから、そういう効果のある画面を見つけ出していくという作業を具体的にできるということです。私には、おそらく、鴨居は、たまたま、偶然、このようなスタイルに出会ったのではないか。というのも、後の鴨居の作品を見ればわかるのですが、この作品を描いた後、この手法が展開したり、発展することはないのです。そして、よくよく見ると、最初に見た自画像と、この作品は描き方がよく似ているのです。『静止した刻』の方は人物が4人になって、テーブルやさいころがあって、何かの行為をしていて、それらしい構成がされているということです。ただし、私には、それ自体に意味があるようには見えず、“何か言いたげ”な雰囲気を盛り上げている手段として、自画像に比べて、その手段が分厚くなっているという印象です。あえて言えば、『静止した刻』は色彩の使い方がぐっと成熟し、テーブル上の丸い盆のグリーンに視線を引き寄せられるように周到に描かれています。それが画面にメリハリをつけて、そのために自画像のような平板さ、とりとめのなさを感じることはありません。さらに、さきほど鴨居の作品には、何か言いたげな雰囲気はあっても、当の言いたい“何か”がないということを述べましたが、それは決して鴨居を非難していることではなくて、それであるからこそ、この作品を観るものはイメージを変に規制されることなく、自由に想像を膨らませることができるようになっていると思います。そのことによって、この作品が一見、暗い重苦しい色調でありながら、開かれた作品として普遍性をもって、観る人に受け容れ易くなっていると思います。その場合、むしろ、この作品の色調は、観る人にとっては、観ている自分が深刻で真面目であるといった優越感を抱かせるような、言ってみれば見る者の自負心を巧みにくすぐる、ちょっとした媚のようなスパイスになっている。鴨居は、このような傾向の戯画化した人物の作品を数点制作し(『蛾と老人』(左図))、ここでも展示されていましたが、同じような効果をもたらすもので、誤解を恐れずに言えば、高級感ある挿絵、あるいはストーリーのない絵本とでも言えるのではないかと思います。鴨居は、そういうものでは満足できなかったのでしょうか。

この後、鴨居はスペインに渡り、違ったテイストの方向で画風を成熟させていくことなると言います。 

 

U.スペイン・パリ時代   

この展覧会では、鴨居がスペインにわたり、ドン・キホーテの舞台となったラ・マンチャ地方の村に居を構え、そこで制作をした短い期間を彼の絶頂期と解説しています。

穿つような言い方ですが、鴨居の作品の魅力は“何か言いたげ”な印象を見る者に起こさせるところにあり、それには、鴨居という人物の伝記的なエピソードが“ものがたり”の要素を、作品の“何か言いたげ”な印象を補完するように、その印象を強く起こさせることに、結果としてなっているように思います。つまり、作品が作者のイメージと離れていないというものになっている。例えば、スーパーマーケットの食料品売り場で産地直送の野菜のコーナーで生産者の写真とメッセージが添えられて、誰々さんの畑で育てられた野菜として紹介されているところがあります。別に誰の畑で育てられて、その生産者の写真があるからといって、当の野菜の品質を保証するものではない、美味しいとはかぎらないのです。しかし、そういう野菜は生産者の思いが込められている、というようなイメージで思わず手に取る。ただ、ここで言っているのは、そういう野菜がまずいと言っているのではなく、生産者が分かれば野菜が美味しいとは限らないということです。しかし、また、美味しいとかとか不味いというは、あくまで個人の好みに左右されるもので、美味しいと思って食べれば美味しく感じられるということは、よくあることです。豪華なレストランや料亭の一室で、きれいに盛り付けられた料理を、高い料金を払っているから、という思いで食べれば、よっぽど酷いものでない限り、おいしく感じるものです。吉田健一という美食家の評判の高かった小説家は、そういう料理を宴会料理といって、ご馳走とは区別して嫌悪しました。私は、そこまで潔癖ではありませんが、本質的なところと、そうでない付加価値的なところを区別したいと考える方ではあると思います。

そういう視点で見ると、鴨居の作品は、このような区別をつけにくい作品であるように思います。鴨居本人は、そのことに気付いていたのかどうか分かりませんが。私のような疑い深い人間から見れば、題材を求めて、各地を彷徨うようにしてスペインの片田舎に行き着いたという行動そのものが、ひとつのステロタイプを演じているようにも見えてきます。本人に故意のような明確な自覚はなかったとはおもいますが、ある種の自己暗示というのか、ちょっとした勘違い野郎というのか、そういうパターンに自分を当てはめていたように見えます。そういう鴨居の作品を見る人は、とくに、ここで展示されているスペイン滞在時に制作された作品を見る人は、作品そのものという本質よりも、鴨居という人物の日本での制作に行き詰まりを感じ、自らの芸術の可能性を求めるようにスペインに渡って、そこで素朴な現地の人々の間で救われたように題材を見つけたが、所詮はアウトサイダーであり、もともと漂泊の芸術家のようなタイプの人だけに、その地を離れざるをえなくなった、というような“ものがたり”を付加価値として消費しようとするのではないか、と思われるものとなっているように思われます。それは、これから見ていく個々の作品が、どれも同じように見えてくるからなのです。もとより、同じ人が描いているのですが、似たような作品になっているのは当たり前です。前置きが長くなりましたが、作品を見て行きたいと思います。

『おっかさん』(右上図)という作品です。ところで、この作品の左側の仰け反っている、鼻を赤くした男性を見ると、別の作品『私の村の酔っぱらい』(左図)で描かれている人物と同じです。右側の女性は、また『おばあさん』(右図)で描かれている人物とよく似ています。これは、片田舎の狭い村で、住民のスケッチを材料にしたことから、無理もないことのようにも思えますが、それにしても、です。まるで、まんがやアニメのキャラのようです。つまり、作品がそれ自体で完結しているとは見えないのです。左側の酔っぱらいが独立したキャラクターとして、ひとつのイメージを体現し、このキャラクターが“ものがたり”を背負っている。このキャラクターが作品の枠に限定されず、いくつもの作品に顔をだして、そのキャラのイメージや“ものがたり”を登場する作品の画面で主張しています。逆に言えば、それぞれの作品は、酔っぱらいとかおばあさんなどいったキャラの組み合わせの舞台のようなものです。舞台ということであれば、そこでキャラたちが俳優のように舞台での役柄を演じるので、作品の独自性が前面に出てくるのですが、よく見れば、そういうものではなく、そういうドラマの舞台というよりは、テレビ番組のバラエティーショーのようなものに近いと思います。そこでは、登場するキャラは何かを演じるのではなく、自身のキャラをそこで表わしています。実際に、テレビ番組のバラエティーショーはその時の人気のあるキャラクターの新鮮さで視聴者を惹きつけているだけで、リアルタイムではなく時を隔ててみると怖ろしいほど没個性で金太郎飴のように同じなのです。そういう同質性が、ここであげた鴨居の作品には感じられます。だから、制作当初は新鮮さが鴨居自身も持っていたのでしょうが、飽きが早晩訪れるのは必然で、行き詰ってしまったのでしょう。もともと、たまたまスペインを訪れて、僥倖のように村の住民という題材に結果として出会ったのでしょうから、そこに、画家の、こういう作品をつくりたいとかいうイメージとか理念がもともとあったわけではないのでしょうから。

少々、キツい言い方をしているように聞こえるでしょうか。そうかもしれません。私は、この展示会場で一連の作品を見ていて、気恥ずかしさを禁じえなかったのです。一見、真摯に見えて、その実、どこか感傷的なところ。それは、恥ずかしげもなく、“オレは真摯だ”と嘯いてポーズをとってみせるような作品に対して、我ながら、距離を置いて突き放すことができなかったからです。おそらく、私にも、このような恥ずかしい要素がある。それは、決して鴨居自身が意図したこととは違うでしょうが、逆説的な意味で、私自身の内奥の恥ずかしいところを突かれたということを、たしかに感じたということなのです。それは、どういうところか、具体的に見ていきたいと思います。

試しに、前回に見た『静止した刻』と比べてみましょう。テーブルを囲んでいる男性たちは一様で、違った個性を与えられているようには見えません。それに、感情とか表情がないので、その印象を募らせます。だから、これらの人物は一種の駒のようなものです。解説の中に、鴨居が作品で描く人物はすべて自画像で、鴨居自身の姿に似ていない人物でも自画像のバリエーションのようなものという旨の説明があったように思いますが、そうであれば(そうでなくても)、この作品で描かれた人物たちは、それぞれが独立した人格と個性をもった人物ではありません。従って、『静止した刻』は群像ではないと言わざるを得ません。それに比べて、『おっかさん』はどうでしょうか。向き合う二人の人物は『静止した刻』のテーブルを囲む人物たちの一様さに対して、明らかに違う人物です。しかし、逆に違いすぎるように見えます。つまり、二人の人物の差異を強調しすぎている。ということは、この『おっかさん』の画面の二人の人物は、それぞれが独立しているから違うのではなくて、違いを強調するように見せているのでそれぞれの人物と見える、となっているように見えます。つまり、マンガやアニメで言うキャラなのです。それぞれのキャラはマンガのようなデフォルメされた姿ですが、これは、むしろキャラとしての記号的な性格が先にたって、それをリアルな具象絵画の人物像に近づけていった結果ではないか、そのように私には思われます。それは、解説にあるように、作品中の人物が鴨居の自画像のバリエーションであるとしたら、自身のある面をとくに取り出して誇張したキャラということになるのでしょうか。

前回、私は、鴨居という画家は、描こうとするものと描かれたものがズレている画家ではないかと感じたことを述べました。そのロジックでいえば、このスペイン滞在のころから、鴨居の作品は描こうとするものの比重が、どんどん重くなっていったように見えます。それは、例えば、『おっかさん』で描かれた人物の記号のようにデフォルメされた姿です。それは、見る者に、挿絵のように“ものがたり”の一場面のようにエピソードを想像させる効果を高めているように見えることからも納得できるのではないかと思います。しかし、ただデフォルメされただけでは、マンガのように背後にストーリーがあるわけではないので、見る者は感情移入することは難しい。感情移入することがなければ、見る者が、そこに“ものがたり”を想像することはできない。それで、以前の『静止した刻』のような平面的な図案のような人物像から、肉体の厚みをもった、重量感のある人物の外形を描くように描法が変容していったのではないか。そうであれば、以前の作品の、結果として描かれたものから“ものがたり”を感じられるようなことがあったので、それでよしとするような“できちゃった”即興性があったのを、この時期の作品では、それを意図的に“作ろう”とした。そこに人為性の強い作品になっていると思います。それだけに、人物のポーズなどに感じられる過剰なポーズ、わざとらしさが、作品から想像できる“ものがたり”のバリエーションを限られたものにしてしまった単調さが生まれてしまったとも、考えられなくもありません。

『教会』(左図)という作品を見て行きましょう。スペインの片田舎の小さな教会の外形をモチーフに象徴的に描いた作品ということになるでしょう。空中に浮かせたり、青で色調を毒々しいほど一本化させて見せたり、私には、あざとさが目に付いてしまうのです。描こうとするものという意図が、前面に出すぎてしまい、本来、描こうとするものからズレて描かれたものができしまうという即興性にともなう、逆説的な豊かさのようなものがなくなってしまっています。もともと、描こうとするものを、自身のうちに確固として抱えている人ではないので、彼の描こうとするもの自体は、どっちかという凡庸で、すぐに飽きが来てしまう類のものに思えます。その結果としてできた画面は、あざとさが目立つものとなってしまう。かといって、それを愚直に押し通して、マンネリとしての迫力を生むほど、本人が覚悟を決めているわけではないのです。だから、教会をモチーフにした作品は他にもありますが、私には小手先の変化がわざとらしく見えます。しかしまた、それらが、凡庸に“ものがたり”を生むような、技巧はあるのです。その凡庸さと技巧が、このシリーズの作品の魅力といえば、そうなのかもしれません。おそらく、画家自身は、半分は、この行き方に本気で、残り半分は懐疑的であっ多のではないかと思います。それが、照れのようなものを生み、各作品に対して小手先の変化をつけさせて行った。さらには、このような作品を貫くことをやめて、スペインを離れ、帰国することになったのではないかと思います。

これを、読んでいる方は、私が鴨居を中傷しているように感じられると思います。弁解に聞こえるかもしれませんが、このような書き方をしていますが、だから、鴨居の作品を見る価値がないとは言っていません。むしろ、そういう面も含めて、鴨居の作品を見て、その感想を書いている。もし、見る価値のないと思ったのであれば、最初から感想など、ここに書きません。ただ、どうしても鴨居の作品について、私が書こうとすると、ネガティブな書き方の方が書きやすいのです。多分、逆説的な対し方をしているためではないかと思います。それは、私自身の屈折した性格に起因するところが大きいと思いますが、そういう屈折にハマるのが、鴨居の作品と言ってもいいかもしれません。正直にいえば、これらの作品に感情移入して、尋常でない何かをストレートに感じるような接し方をするのは、恥ずかしさが先行します。 

 

V.神戸時代─一期の夢の終焉   

鴨居の欧州から帰国後、神戸に居を構え、新たな画題を求めて模索を繰り返すが、従来の作品の焼き直しにとどまり、そのプレッシャーから自らを追い詰めていったという伝記的な説明が為されている晩年の作品です。

『1982年 私』(右図)という作品です。上にあるような伝記的な“ものがたり”がたっぷりと付随して、作品の解説でも次のような“ものがたり”の要素のたっぷり詰まった説明が為されています。“画面中央の真っ白なカンヴァス、その前に憔悴しきった鴨居が座る。その手に絵筆はない。足元に廃兵がにじり寄るが、まわりには、老婆、道化、裸婦、ボリビアのインディオ、愛犬チータなど、鴨居がそれまで描き続けてきた人物が、魂を抜かれたように彷徨っている。明らかにクールベの《画家のアトリエ》の構図を模しているとされるが、画家を親しげにとりまくモデルたちや、誇らしげに筆を走らせる画家のクールベの作品とは対照的である。いわば鴨居と哀楽を共に生きたモデルたちに囲まれた鴨居自身の半開きの口は、「これ以上何が描けるのか」と、声なく叫ぶようで痛々しい。長い滞欧生活を満たす、スペイン時代のような画題にはついに巡りあえなかった。過去をなぞる制作のなかで、焦燥感と苦悩に陥った鴨居が、自身を凝視して辿りついたのが自画像であり、その集大成がこの作品である。鴨居のカタルシスは、この作品の真の主題である白いカンヴァスに、無の境地として象徴されている。”

なんとも大仰な、けれども、作品のそれぞれのパーツに象徴的な意味づけを施して“ものがたり”をつくりだして、それが作品の価値であるというように説明されているのが、よく分かります。べつに批判するつもりはありませんが、この解説者は作品自体の美しさとかそういうものには無頓着で、“ものがたり”という付加価値にもっぱら注目しているように見えます。もしかしたら、鴨居自身も、そういうものに引き摺られたのかもしれません。鴨居作品のキャラ大集合というこの作品を見ると、鴨居の作品は、スペイン以降、画面上にキャラを幾つか生み出し、それが画面の中で組み合わされることで作品が制作されていたものが分かります。それらが集まった画面の全体が暗い色調で、悲劇的な様相を呈しているように見えるところに、鴨居という画家の特徴、あるいは、彼の作品の本質的な魅力があるのではないかと、私には思えます。

この作品と比較して見ていただきたいのが、手塚治虫のヒーロー大集合(左図)といったものです。中央に手塚の自画像が配されて、その周囲に手塚の作品で御馴染みのヒーローが取り囲んでいます。これは、商品として、いわゆる芸術とは異なるといわれればそれまでですが、ここにあるポジティブな明るさは、鴨居の作品に比べて対照的です。それに、油彩とマンガは違うというかもしれませんが、手塚の作品のキャラたちが生き生きとしているのに対して、鴨居の作品のキャラたちは生気がありません。この比較だけをもって短絡的な結論は出したくはないのですが、鴨居の作品にキャラたちは、以前にも自画像のヴァリエーションという解説がありましたが、それ自体が独立していて、本質的な価値のあるものとは、私には見えません。それは、私には、鴨居の自画像も同様であるように思えるのです。このようなことを言うと、作品解説で述べられた“ものがたり”を否定するようですが、そうです、私には、鴨居がどのような生涯を送ったとか、どのような人となりであったかとか、作品制作にあたり悩んだとか、それらはどうでもいいことです。むしろ、作品を見る際には、邪魔でしかないのです。そのように見ると、作品の解説にある“ものがたり”は作品についてオマケでしかない。そういう目で作品を見ると、手塚のキャラクター集合の図案の大きな魅力の要因は、彼独特の線と、その線で形作られる曲線です。その象徴的なものが、その曲線で構成されるキャラクターたちの顔です。それによって、キャラクターたちは生命を吹き込まれていると言えます。他のマンガ家と比べるとこのような点で手塚という人は唯一無比であることが分かります。ここは、手塚を論じるところではありませんでした。では鴨居の場合はどうかといえば、私には絵の具の塗りが鴨居の本質的な特徴ではないかと思います。執拗に、何色もの絵の具を何度も塗り重ねて、作品表面は凸凹になり、たくさんの色を重ねていった結果、色が混ざって、色調は鈍く重くなっていく。さらに、その塗りが刷毛で一様にぬられたのではなく、点描のように細かく一点一点を重ねるように塗られていった結果として塗りが一様でなく、そのムラがうねったり、重層的だったり、それらが画面にダイナミクスを与えているというところです。それが、時には情念をぶつけるように見えたり、心情の揺れが反映しているように見えてきたりする効果を見る者に与えているのです。それは鴨居の習作時代の幻想的な作品や抽象的な作品からキャラを配した具象的な作品を通じて一貫しています。そのような視点で見ると、鴨居の作品では、幻想絵画でも抽象画でも具象画でも、実は変わりないのです。つまり、題材はどうでもいい。このような塗りが生かせるものであればいいのです。

『望郷を歌う(故高英洋に)』 (左図)という作品です。“チマ・チョゴリを纏い硬く握り締められた拳を持ち上げ、朗々と歌いあげる女性が、空中に浮かび上がるように描かれ、高ぶる感情と、力強い存在感が表わされている。鴨居の作品中、ここまで堂々と生を謳いあげ、また生の昂揚感に溢れる人物像は他に類を見ない。”と、ほとんど賛美のような解説がされていました。たしかに、タイトルといい、人物のポーズといい、深いグリーンの空間に白いチマ・チョゴリの衣装で浮かび上がるように、仰角気味に人物像を描いている構図が、そういう“ものがたり”を触発するものとなっているのでしょう。しかし、私には、この作品中の人物が歌っているようには見えないのです。何か、敢えてあら捜しをしてイチャモンをつけているように見えますが、この作品の魅力は、そんな人物の描き方などではなく、鴨居の他の作品では無秩序に見える絵の具の塗りの方向性が、ここでは縦方向と人物の頭の部分の輪郭をなぞるような秩序で、波紋がひろがるように塗り重ねられている点です。それが、見ようによっては人物の光背のように見えてくることで、人物を強調し、見る者の昂揚感を煽るような効果を与えている点です。そして、作品の中心となる人物は、ヨーロッパのバロック絵画の聖母マリアの被昇天を描いた作品(右図)のポーズを彷彿とさせるポーズと構図になっている点も、この効果をさらに盛り上げていると思います。そして、このような鴨居の作品が、我々に親しく“ものがたり”を思い起こさせ、感情移入させる傾向をもつのは、何度も触れているような、絵の具の塗りによって、もたらされる効果の副次的なものといえるのではないかと思います。この作品でもそうですが、例えば、この作品では、歌っているとされる女性はこちらを向いて訴えることはせず、むしろ上方を仰ぎ見るように顔を向けて、口を開けています。これはいったい誰に向けて歌っているのでしょう。タイトルの通り、望郷を歌っているのであれば、ステージから客席にいる聴衆に向けて訴えるように歌いかけるのが普通です。その際には、そういう感情を顔に表わして、歌に思いを託すようなポーズをとるのが普通でしょう。しかし、鴨居の作品ではそういうことは全くなくて、むしろ人物の表情を窺い知ることはできないように、描きこまれていません。単純に一般論に置き換える危険は敢えて踏んで、単純化を試みていうと、日本の絵画作品は、もともと全部を描きこまず、細部は省略してしまって、余白を残したりして分析的に鑑賞するものではなくて、情緒的に雰囲気を味わうようなものでした。これに対して、伝統的な西洋の油絵は余白を許さず、部分に絵の具を積み重ねるような描写を積み上げ構築して作品を設計して作り上げるものと言えます。そのような作品は、日本の絵画に比べて濃いもので、押しつけがましく、窮屈に映ります。気楽に眺めるというわけには行かないのです。その点で、印象派というのは、点描的な絵の具の塗り方によって、光で映された光景という見た目の効果に重きをおくということで、対象を客観性をもたせて構築的に描きこむということをしないため、日本の絵画のような一見大雑把に見えます。それだから、日本人に印象派の絵画が人気があるのかもしれません。そこで、鴨居の作品です。鴨居の作品は、西洋の油絵の濃い作品のように見えながら、形態を精緻に描写するのではなくて、大雑把な描き方で、見る者に細部を想像させる余白を巧みに作ることに成功していると思います。それは、点描のような、絵の具を塗りたくるような使い方による効果によると思います。その一方で、確かなデッサン力によって、西洋絵画の体裁を備えているために、ちょっとしたお勉強のような、見る者にとって等身大の目線ではなく、少し仰ぎ見るような目線で作品を見る姿勢になることで、真面目な感情移入をすることの衒いを払拭させている効果を生んでいると思います。だからこそ、『望郷を歌う(故高英洋に)』のようなクサい作品でも、見る人は、それを感じることなく、比較的素直に感情移入することができるようにできているのだと思います。

私は、そういう質の高いギミックさがあるという点で鴨居の作品を面白いと思います。それは、鴨居自身は、そのようなことなど露ほども思っていなかったでしょうけれど。

 
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