戦後美術の現在形
池田龍雄展─楕円幻想
 

2018年5月6日(練馬区立美術館

5月の連休の最終日。この連休に出かけることは珍しい。練馬区立美術館は西武池袋線の中村橋駅の近くで、同じ東京都内でも私の生活圏からは遠く感じられるところにあるので、気楽によることができない。だから、わざわざ出かけるということになる。そうすると、どうしても構えてしまって、かえって行き難くなってしまう。そういう位置づけが私の中にある。今回は、連休で、あえて出かけて、普段は行き難い美術館をハシゴして、どっぷりと浸るような休日を過ごすことにした。けっこう疲れた。

池田龍雄という画家がどういう人なのかという予備知識は全くありませんでした。興味を持ったのが展覧会パンフレットに引用されている作品の不気味な感じが、水木しげるの妖怪マンガに登場する「百目」というキャラクターを思い起こさせられたからです。しかし、実際に展示されていた作品をみていて、そのような先入観は覆されました。そのあたりのことを具体的に反芻してみたいと思います。

まずは、主催者あいさつで、この画家の概要の紹介と、この展覧会が池田の作品をどのように見せようとしているのかを確認しておきたいと思います。“1928年に佐賀県伊万里市に生まれた池田龍雄は、特攻隊員として訓練中に敗戦を迎えます。占領期に故郷の師範学校に編入しますが、軍国主義者の烙印をおされ追放にあいました。戦中から戦後の大きな価値の転回に立ち会い、国家権力に振り回され続けたこの体験が、池田の原点を形作りました。1948年、画家を目指して上京した池田は、岡本太郎や花田清輝らによる<アヴァンギャルド芸術研究会>に飛び込みます。以後、文学、演劇、映像とジャンル横断的に繰り広げられる戦後美術のなかで、多彩な芸術家や美術批評家と交わりながら、自らの制作活動を展開していきます。個人として厳しく社会と向き合いながら、一個の生命としての宇宙の成り立ちを想像する。90歳を目前に控えたいまもなお歩み続ける彼の画業は、時代と切り結び思考する苦闘の足跡であり、戦後から現在にいたる日本の美術や社会のありようを映し出しています。”

パンフレットに引用された「巨人」という作品や主催者あいさつを読む限りでは、転換期に翻弄され境界線上で活動したところから特異な造形性を発揮したような印象を受けます。この展覧会のサブタイトル「楕円幻想」というのが、花田清輝の次のようなところから来ていることからも分かります。“我々は、なほ、楕円を描くことができるのだ。それは驢馬にはできない芸当であり、人間にだけ─誠実な人間にだけ、可能な仕事だ。しかも、描きあげられた楕円は、ほとんど、つねに、誠実の欠如といふ印象をあたへる。風刺だとか、韜晦だとか、グロテスクだとか、─人びとは勝手なことをいふ。誠実とは、円にだけあって、楕円にはないもののやうな気がしてゐるのだ。いま、私は、立往生してゐる。思ふに、完全な楕円を描く絶好の機会であり、かういふ得がたい機会をめぐんでくれた転形期にたいして、心から、私は感謝すべきであろう。”そういう面もあるとは思うのですが、実際に展示作品を見た私としては、この「巨人」という作品をもって池田のイメージを代表させてしまうのはどうか、少し違う印象をもちました。まあ、あえてこの「巨人」でみてみると、目があつまった顔がペンの細い線で描かれています。さっきも触れましたが、同じようなアイディアでペン描きの水木しげるの妖怪と共通しているところがありますが、印象は全く違います。水木の描く妖怪にある、おどろおどろしい、おそろしげな印象は薄いのです。具体的な違いとして、すぐに分かるのは、水木のマンガは全体として黒い部分が多く基調となっているのに対して、池田の作品は黒い部分が強調されずに白い部分とのバランスが保たれて、スッキリとした印象を受けます。それで、水木のマンガにあるような重さがない、池田の作品には軽さがあるのです。もうひとつは、二人の作家の線の違いです。水木の線は細い線から太い線までヴァリエイションが豊かで、それを画面の中で使い分けていて、それがメリハリを生んでいて、画面の中に溜めをつくっていて、例えば太い線がより黒くなって、そこに視線が集まるようになっていて、それがおどろおどろしさを強調するようになっている。一方、池田の線は細い線が主体となって、溜めを作っていない、そのかわり水木に比べると無機的に映る。池田の場合には、視線が分散するようで、興味はかたちの面白さというのか、視ること自体に、より興味をひかれていくようなのです。水木の場合は、ひとまとまりの妖怪という、ここでのおどろおどろしいイメージがマンガの物語の雰囲気を作っていく際に効果的にイメージを与えているのです。

主催者のあいさつやパンフレットにあるような意志的にイメージを追求していくというのと、実際に作品に表われているものとの間にズレがあるようで、それが、何か描かれたかたちが描いている池田の意志とは離れて独り歩きしている、そういう描かれた物自体に自立性があるような、そういう不思議さが、私には、この人の作品の魅力なのではないかと思いました。何か分かり難い書き方をしてしまっているのですが、言葉にしにくい。この作品に沿って述べていくしかないと思うので、さっそく作品を見ていきたいと思います。

 

第0章 終わらない戦後

練馬区立美術館は玄関を入るとすぐ受付とロビーがあって、そこで入場料を払います。展示室は1階と2階に分かれていて、それがつながっていない。分かり難い書き方になりましたが、展示室がつながっていないんです。鑑賞者は、まず1階の展示室を見て、それからいったん展示室を出て、玄関ロビーにもどって、ロビーにある階段を上って2階に行きます。だから、そこで見ていて、いったん途切れるんです。連続していない。それだからでしょう、美術館の展示の仕方も、そういう建物の構造を意識して、1階と2階とで、話題を転換させるようにしたり、ちょうど画家の画風の転換期を挟んで、2階にいったらまったく雰囲気の違う作品が並ぶという劇的な展開を演出してみせたり、という工夫をしたり、この美術館では階段を上る楽しみがあるところなのですが。今回の展示では、回顧展で画家の年代順に作品を展示していくというパターンの前に第0章というのを置いて、それを1階の展示室においていました。それが最初のところで、かなり強いインパクトがありました。池田の作品の中でも直接的なメッセージ性の強い作品が集中して展示されていました。ここに、今回の展覧会の強い主張が見られていて、とても興味深くおもいました。展覧会のサブタイトルに“戦後”という言葉を用いていることや、主催者あいさつの中で“1928年に佐賀県伊万里市に生まれた池田龍雄は、特攻隊員として訓練中に敗戦を迎えます。占領期に故郷の師範学校に編入しますが、軍国主義者の烙印をおされ追放にあいました。戦中から戦後の大きな価値の転回に立ち会い、国家権力に振り回され続けたこの体験が、池田の原点を形作りました。”と述べられていることが、この最初の展示にところで形になってストレートに見る者に提示されていると思いました。このような旗幟を鮮明にするのって、公共の施設では難しいことなのだろうけれど、よくぞやったという感じです。それだけ。展示されている池田の作品の迫力が強い印象を見る者に及ぼすものであったこともたしかです。これだけメッセージの強い作品を集めると、相互に緊張を高める効果が生まれて、かなりテンションの高い空間になっていました。

「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」という作品です。1.3×1.6mという比較的大きな画面と鮮やかな色彩で、印象の強い作品です。瓦礫が積み重なる荒廃した土地の上で、大きな手で頭を隠し、身をよじるように逃げ惑う人、半身が焼かれ奇妙なほど関節を折り曲げられ横たわる人、竹槍で立ち向かい飛びゆくアメリカの戦闘機を睨みつける人の姿。それらはデフォルメされ、その姿は無残や悲惨さを引き伸ばされ、それが画面に詰め込まれたような作品です。そのデフォルメされた形の奇妙さと配置をリアリズムではない意図的な構成が目立つところなど、有名なピカソの「ゲルニカ」を、私は連想していました。あまり、画家の伝記的エピソードをもとに作品を見るということはしないのですが、池田は幼いことから絵を描いていて、もともと画家を目指していた人ではなく、敗戦後の窮乏の時代の佐賀という田舎で美術に触れる機会もなく、その勉強もしていなかったというなかで、画家になるということを考えたのは年齢を経てからだったようです。本人もインタビューに答えて、“僕は絵描きなろうと思って、絵とは何かということを考えることから始めたんですよ。それで、結局は理論から入ろうと思って、芸術論みたいなものを盛んに読んだんですけど、ヨーロッパでは20世紀の初めから抽象絵画が始まっているということを知ったんです。それで多摩美に入るんですけど、教育内容がね、明治時代とちっとも変わらないんじゃないか。古いわけですよ。だから身を入れて勉強する気にならん。第一、石膏デッサンなんて何のためにやるのかわからなかったんですよ。入ってまともに石膏デッサンをやったのは2枚くらいかな。”と言っています。池田の発言の内容から窺われるのは、描くという行為自体を無邪気に好んでいるという人ではないということで、だから絵を勉強するという対象化して考えている。しかも意味のある勉強、つまり効率的にやろうとしている。効率を優先するというのは手段だからこそ、そういう発想が生まれてくるわけです。だから、池田の場合は絵を描くということと、画家自身の間に屈折が介在しているといえると思います。それが端的に表われているのが、この第0章に展示されている作品です。この「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」では、だからスタイルにこだわるとかいうことはなくて、ピカソ風に描くのが効率的という、そんな感じがします。ただし、池田の興味深いところは、その手段である描くということが、だんだんと手段であることを越えていってしまうところにあると思います。それが、この展覧会をみていると、終わり近くで、手段が超えてしまった作品の攻勢に圧倒されてしまうのですが、それは感動的としか言うほかのないものでした。おっと、先回りしすぎました。

「散りそこねた桜の碑」という作品は、一部にコラージュもあるパネルで、髑髏を描いた下に菊の紋章を貼り付け、自身が特攻隊にいたときに書かされた辞世を並べるといった、メッセージあるいは作者の強い思いが、どんどんと先に出てきて、見る者に迫ってくるところがあります。ただ、私のような作品に距離をおいて眺める人にとっては、作者は見る人を置いてきぼりにして、わが道を勝手に言ってしまっている感も否定できない。これを制作していて、楽しかったのか分からない。そういうところも否定できない作品だろうと思います。この展覧会が「楕円幻想」というサブタイトルを冠していますが、池田という人は、絵を描くということについて、それ以外のことに中心がある。それゆえに、絵を描くととうことと、描く以外のことという二つの中心を持っているから楕円になる。その絵を描く以外のことが端的に表われているのが、この作品です。

「にんげん」という作品もそういうところがあります。交叉したはためく2本の旗は男の身体を覆いつくし、まるで身体の一部のようになっています。旗は菊の紋章の天皇の旗であり、もう一つは日章旗です。あきらかに、この男は天皇であることを暗示しています。丸眼鏡で帽子を取って挨拶する姿は昭和天皇であることをさらに連想させます。この作品もそうですが、このコーナーに展示されている作品には、ストレートなメッセージが重く、やるせなさにとらわれるのです。しかし、この作品では、画面に引かれた無数の線が、メッセージ性からすれば果たして必要なものなのか、仮に必要なものであったとしても、これほど無数に引くほどのものなのか。そう思えるところがあります。しかし、その線が、画面のメッセージ性とは別に力が抜けていて、それぞれの細い線が一気にすうっと伸びています。余計な力が入らないから自然な線で、太さや強弱に無理がなく、これは線を引くということが、とても気持ちがいいだろうなと思わせる爽快さがある線です。それが、画面が重苦しく沈んでしまうことを防いで、ちょっとした動きを感じさせるような働きをしている。この線のノーマルさが、池田を描くということに繋ぎとめている、そんなように見えました。

「大通り」という作品。街中を大通りの真ん中を2台の戦車が我が物顔で通り過ぎるという作品ですが、通りのまわりの町の描き方は、イラストやマンガで、どこかでみたような、デザイン的な画面です。この作品でも、街を描く線が、「にんげん」での線と比べて屈折していますが、その線が組み合わさって街の風景に見えてくるところは、地の淡いグラデーションの色彩と相俟って、洗練された感じもします。

 

第1章 芸術と政治の狭間で

インパクトのあるプロローグのあと、ここから池田の経歴に沿った流れで作品を紹介していきます。池田が1948年に上京し多摩美で勉強を始めてから、1950年代前半ころまでの作品の展示です。習作の自画像は微笑ましかったりしますが、1950年代初頭のころは、非常に強い怒りだったりやりきれなさだったりといった感情が渦巻いているのが、その感情を持て余すようで、石膏デッサンのような冷静に写実をしている余裕がなかった。かといって形のない抽象やアンフォルメルのようなものでは、その表現にはかなり突き詰めることが必要だろうけれど、その余裕もない。それで格好なものとしてシュルレアリスムっぽい絵画スタイルを採っていたのではないか、と考えられます。「食卓」という作品です。おなじような題材を小山田二郎の作品もあります。並べて比較するのは変かもしれませんが、ドス黒いような感情が底流しているようなところが、写実している余裕がなく、駆り立てられるように描いたという印象の作品ではないかと思います。この池田の作品は、赤い色の鮮やかさが印象的で、それが小山田の作品にはない池田の特徴ではないかと思います。小山田は、このドス黒い感情を乗せるような画面を突き詰めるように追求とていきます。一方、これに対して小山田は、長い時間をかけて画面の鮮やかさの方向に、洗練に向かっていく方向性にあったと思います。その可能性を垣間見せてくれるのが、「十字架」という作品です。あるいは「空中楼閣」というペン画作品です。

そして、池田は主に米軍基地や原水爆、あるいは炭鉱といった政治性を帯びた社会問題の現場に赴いて取材をして得た実態を作品とするルポルタージュを実践します。池田はインタビューに答えて、次のように語っています。“とにかく現場に行って、空想じゃなくて、事実を確かめたうえで絵を描かなくちゃ、という思いがあったわけです。だから内灘で基地反対闘争をやっていると。どういう状況で何が行われているかを見てみなくちゃということで行ったんです。それでスケッチするんですけど、結局分かったことは、反対といっても網元というのは利益を受けているからね。表向きは村の人と一緒に反対しているけど、本当は浜が接収されて基地になったことを喜んでいる。そういうことがわかったから「網元」は船をテーマにして、自暴自棄というか、首に縄を巻きつけられた状態で描いている。(中略)僕自身は絵画のルポルタージュが成立したとは思っていないんですね。無局はうまくいっていない。”おそらく、現場で体感したことをすべて絵画にすることの限界、あるいは現実に生成しつつあることを絵画という静止した時間の中で場面としてつくることの限界を感じたのではないか。だから、写実的な描き方や風刺的な描き方をとらず、シュルレアリスムのような画面を組み立てる方向に向かいます。そこに、池田という人の絵画に対する姿勢、メッセージを伝えるメディアとしてではなくて、描くということの自立というような志向が表れてくる。そのプロセスが、池田のルポルタージュ絵画のシリーズを見ていると分かるように思います。池田の発言にある内灘に取材したルポルタージュで「網元」は本人の言っている通りですが、「怒りの海」という作品では、人間の頭が魚になって、しかも人間の身体は縛られているという、シュルレアリスムの要素が強くなっています。

反原爆シリーズから「10000カウント」という作品です。水爆実験のあった南太平洋で漁獲されたマグロがガイガーカウンターで調べられて、一定基準の数値を越えれば放射能に汚染されているとして廃棄された。解説では、網にかかった魚が擬人化され怒りや無念の表情を浮かべていると説明されています。しかし、私には、魚が人間の表情を湛えているとは思えず、むしろ網を均一の太い線で、その網にかかった魚を何種類もの細い線を使い分けて、しかもかなり装飾を加えた、魚の部分だけを取り出してみればゴシックの少女趣味のような線の過剰さが見られるところで、それが様式化されるまで行かずに宙ぶらりんのようになっている。それが画面全体の不安定さとグロテスクさを生み出していると思われるのです。つまり、ルポルタージュのストレートな告発にはなっていないし、かといって美として昇華されているわけでもない。美の方向に向かおうとして中途半端なところで否応なく放り出されて、宙ぶらりんになっている。したがって画面上部の装飾のような模様は意味がなく浮いているし、画面手前の幾何学模様のような渦も無意味です。そういう宙ぶらりんゆえの無意味さという雰囲気が全体を作り出している。それゆえに、この魚の存在の屈折したあり方が表われてくる。池田が語っている、静止した場面ではなくて、生成している現実をとらえて表わそうとしたゆえに、直接的な表現ではないものを試行したのではないか、そう思える作品です。

一方、油絵では「ストリップ・ミル」は製鉄所に取材した経験をもとに制作したものと思いますが、ペン画の細かい線の表現から大胆な色彩により、大胆に単純化した図案のような画面になっています。フェルナン・レジェを連想させるような、機械化されたような世界観の画面になっています。ペン画で、多様な細い線を駆使して繊細な表現をしている一方で、油彩画では単純化した、まるで両極端と言えるような画面をつくっていて、これも池田の試行なのではないか、という気もします。というのも、この後になると油彩画は徐々に減っていって、そのかわりに水彩やアクリル絵の具を用いた作品が増えていくからです。しかし、レジェの作品と比べると分かりますが、同じように機械的な感じに大胆に単純化していても、池田は形のデフォルメに関しては曲線を使って非対称にするなどレジェよりも大胆なほどですが、レジェのようにかたち自体を抽象化して、それを単純化することによって美の基準に則って昇華させていくところがあります。この作品での機械は個々の機械の個性は削ぎ落とされて、円錐や円柱という幾何学的な形態に収斂していくようなのです。これに対して池田の作品では単純化しても黄色いローラーは、それぞれに個性があるのです。池田の作品ではローラーは円筒形という形に収斂していかない、例えば、黄色のローラーのそれぞれの黄色は微妙に異なっているし、背景に並べられているグレーの多数のローラーは、どれも違って描かれています。そこに単に形を伝統的な西洋の美の規則に従わせる。それは、若い頃に美術学校の石膏デッサンに何の意味があると、西洋の伝統的な美の規則の習得をやめてしまった、池田の個性がこのような現われ方をしている、そういう作品ではないかと思います。

「つくも神」という作品は、その題名とは全く裏腹に、まるで機械のようなデザインは、そうは言っても、池田の感性はレジェに近い、モダニズム周辺にいることは確かではないかとおもいます。それが、伝統的な妖怪のようなものを題材にしたときにあらわになるというところに、この人のもっている屈折、つまり、レジェのように単純に抽象化して美を求めることができない、そこにワンクッションもツークッションも置かなければならない、この人の特性があると思います。この人の作品の一見グロテスクな形態は、その屈折の現われではないかと思えるところがあります。ちょっと先回りしました。

この後展示は、一旦展示室を出て2階に昇ります。そうすると、細い線で丁寧に描かれた、一見ではグロテスクな形態のペン画が並んでいました。

「M38X」という作品の泡のような人間の姿は、難波田史男の初期の思春期の不安定な心情を反映したような、アンフォルメルな作品に描かれた人の形を連想させられるものでした。とはいっても難波田の作品の方が後の時代に制作されたので、この言い方はおかしいと映るかもしれませんが。しかし、同じような形態でありながら、難波田の作品は水彩画の特徴である絵の具の滲みの効果を多用した輪郭のぼんやりした画面を作っています。それが形の定まらない安定さが、心の不安定や内面の幻想的な風景を投影しているような印象を見る者に与えています。これに対して、池田はペンで描いているので、水彩絵の具の滲みとは正反対に明瞭な線によって輪郭をカッチリ引かれています。したがって、ぼんやりとした画面ではなく、隅から隅まで明確に描き込まれている画面になっています。したがって、そこに不安定さの印象はなく、その形態は何らかの比喩と思わせるように、意味づけを見る者に促すようなになっていると思います。

 
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