瑛九─まなざしのその先に─
 

 

2024年11月1日(金) 横須賀美術館

この日は勤め先の創立記念日で休み。定年再雇用も最終年度になり、これが最後のというので、いつものように漫然と家でゴロゴロではなく、何かしてみようと考えた。朝の天気は晴れだったので、今まで、ちょっと気になる企画展をやっていたが、遠いので、なかなか行くことができないでいた、横須賀美術館に行ってみることにした。やっぱり遠かった、午前9時に家を出て、現地着は12時10分過ぎ。実に3時間弱。京浜急行にのって八景島あたりを過ぎると遠足のような気分、馬堀海岸の駅からバスは地元の爺さん婆さんが大声で世間話に興じている。これで美術館に行けるのか、と上野あたりの美術館とはまったく異質な雰囲気。バスは海岸に出る。バスを降りると、リゾートの雰囲気。広い芝生を前景に美術館が海に向けて建っている。芝生で子供が寝転んでいる。建物は全面ガラス張りで、明るい。向かいの海は船が行き交っていて、なかには護衛艦の姿も。美術館で作品を鑑賞しなくても、この芝生でのんびり海を眺めていてもいい。私の家からは遠く、帰りの時間を考えると、あまり、ゆっくりもできないのが残念、そう思わされる。

バス停を降りたのは7〜8人がぞろぞろと海外沿いの道を美術館に向けて歩いていく。着いたのが昼だったので、美術館の前庭に面しているレストランは満員。平日で、こんな辺鄙(?)なところなのに?この場所で、企画展は瑛九、戦後の作家で、そんなに人出があるの・・・こんな風に考える私には偏見があるのか。会期は終わり近いからなのか、展示室は、混雑してはいなかったが、人の流れは途切れることなく、そこそこの人出。それで、ほどよい緊張感と静かな鑑賞ができた。

瑛九という作家とは、埼玉県立近代美術館や東京国立近代美術館で点描の抽象画に出会って、瑛九という名前もそうだが不思議な作家と思って、強く印象に残っています。ただし、伝記的事実とか、国内でどのような位置づけとかいうことは、よく知りません。その紹介もかねて、主催者あいさつを引用します。“瑛九(1911〜60)は、油彩画のみならず、写真、版画など多分野で創作活動を行い、作風も印象派やシュルレアリスム、キュビスムなどに刺激を受けながら、めまぐるしく変貌し、絶えず新しい表現を模索し続けました。また、批判的精神を持ち続け、美術や社会に関する評論活動に精力的に行い、「デモクラ―ト美術家協会」を組織するなど指導者としての顔も持った瑛九の存在は、その作品とともに、同時代や後進の芸術家たちを惹きつけ多大な影響を与えました。本展では、最初期から絶筆に至るまでの油彩画を中心に、「フォト・デッサン」による写真作品、銅版画やリトグラフなど、各分野の代表作による約100点を一堂に展示します。自ら理想とする美を追求し続け、戦前・戦後を駆け抜けた瑛九の軌跡を紹介します。

前回に見てきた木下佳通代の作品が理念とかコンセプトが先行するものだったのにたいして、今回は感覚、もっというは美とかきれいというのがあって、やってみたらきれいだったというのに方法論がついていって、その見直しの試行錯誤から、こういうキレイなのができた、というような作品の方が、私は好きだということが、よく分かりました。なお、展示作品の撮影は自由ということでしたが、木下ときにいた撮影の大忙しで碌に作品を見ないという人はおらず、シャッター音は聞こえてきませんでした。

展示は3章に分かれ、美術館の三つの展示室で展示されていました。それぞれの作品を見ていきたいと思います。

 

 

T 1911〜1951

上京からフォトグラム作品「眠りの理由」が注目され、その後スランプに陥り、印象派研究からキュビズム、抽象など次々に画風を変転させながら、理想の表現を模索していくという時期です。

「ザメンホフ像」という1934年の作品です。その年は、フォトグラムを発表する前年です。この後のフォトグラムと比べると、同じ人の作品とはとうてい思えない。それだけ、ガラッと変わってしまうということが、この人にはあります。でも、この作品を見ていると、普通に上手い、と思います。でも、これでは物足りなかっただろうな、と思います。瑛九本人は、この程度は描くことができてしまうが、これ以上の伸びしろが想像できない、というより、このまま行っても、単に上手い人だけで終わってしまうと先が見えてしまう。そんなことを本人が実際に考えたとは言い切れませんが、少なくとも、後の時点の現在の私が見れば、この方向では先がなかっただろうことは想像できます。

その次に展示されていたのが、フォト・デッサン(フォトグラム)集『眠りの理由』に収められた作品です。フォトグラムというのは、物体を直接乗せて感光させることで、写った物体のシルエットによる光と影の構成により幻想的なイメージを作り出すというものだそうです。この手法を始めたマン・レイやモホリ=ナギといった人々は現実の物体を印画紙の上において本来の重量や質感が切り捨てられてシルエットとして形態だけが光に浮かび上がるということで超現実的なイメージをつくったということです。マン・レイの作品をみると、物体の影が印画紙に露光して、本来の物体の一部が通常の見慣れた見方とは違う角度で写っているため、異化効果を生み出している面白さがあります。しかし、瑛九のフォト・デッサンは自らのデッサンを切り抜いて型紙とし、それらを組み合わせて感光させ、印画紙の上にイメージを定着させたところに、当時としては新しさがあったといいます。写真というか、人の手で描くという要素が入り込んでいるようです。ここに並んだ作品を見ると、両手を上げた人の形が、それぞれに現われています。人の形が上下逆さになったり、裏返ったり、また他の型紙と組み合わせたり、そして、それらへの光の当て方をさまざまに変化させています。それがシリーズとして、一連の作品の中に角度を変えて、光のよる効果や影の変化に絡むように、まるで音楽の変奏曲のテーマのように繰り返し顔を出して、一連の作品にアクセントを与えています。こういうのは、一種の“あそび”のように思えて、見ていて楽しい。「こんなのもあり?」「こりゃなんだ」とかいう声が聞こえてきそうです。キュビスムもシュルレアリスムも抽象もヨーロッパの近代芸術には、本質とは何かとか、存在を表現するとか、すごく真面目な理念のようなものが先行していますが、ここにある作品を見ていると、そういうのも否定はしないが、今、目の前のこれは変だとか面白いとか言って嬉々として、異なる組み合わせを試しているという楽しさを瑛九のフォト・デッサンを見ていると思うのです。実際には、瑛九自身は、思ったような評価を受けられなくて、自身の方向性を悩んでいたということですが。

次に展示されていたのは、コラージュによる作品でした。これらのコラージュやフォト・デッサンの作品は8年前の近代美術館の展覧会で見たはずなんですが、全く覚えていなくて、初めて見るようなものでした。コラージュは、通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法です(ウィキペディアより)。瑛九のコラージュは、モチーフを本来あるべき環境や文脈から切り離し、別の場所へ写し置くことで、画面に違和感を生じさせるものだそうです。瑛九は、女性ファッション誌や、身近にある印刷物を一旦バラバラに切り抜き、それらを組み合わせ再構成したということです。フォト・デッサンもコラージュも、モノが本来あるべき環境や存在といったことから切り離して、その形態だけに着目して、その切り離された形態を組み合わせる、ということが共通しています。おそらく、瑛九という人のモノの捉え方は、形態を優先して、まず、そこから目に入るのではないかと思います。例えば、「リアル」という作品は、謎めいた物体が暗闇に浮かんでいるように見えます。この謎の物体は映画雑誌やファッション雑誌に掲載された女優やモデルの写真から、額と髪の毛の生え際、頬、首などが切り抜かれ、寄せ集められたものだそうです。一方で、その人物の個性を示す目や口などは、あえて除去されているので、全体として、謎めいた不気味な物体としか言いようがないのです。しかも、背景は真っ黒です。また「作品」では、ブドウの房から女性の身体が生えてきたようにあって、顔の部分は握った指になっている。言葉にするのもバカバカしいような、不思議というより笑ってしまうようなものです。私は、これらを見て、何か考えるという前に、面白がっていました。

展示では、このあと絵画作品が並びます。フォト・デッサンやコラージュなどの制作を経て、絵画を描くことを再開したといいます。まず、展示されていたのは抽象的な作品で「誕生」と題されていました。四角、三角、丸といった幾何学的形態で画面を構成しています。最初の方で見た作品や、ここで並んでいるお勉強の油絵作品を見ていると、全体として、瑛九の特徴として考えられるのは、力強い線を引くとか、筆遣いでタッチを使い分けたりということなくて、シルエットのような平面で形態をとらえて表わすことに長けていて、その形態の組み合わせ、とくに似たような形態を重ねたり、繰り返したり、あるいは形態を別のイメージに転用したりして画面を構成する。そういうことから、具象というより抽象的な表現になっていく傾向があると思います。この他に、印象派やキュビスムに習ったような作品が展示されていますが、マチエールを重ねて筆触を強調することもなく、あるいは濃淡のグラデーションも淡白で、塗りは平面的で薄塗りの傾向で、色は手段という感じです。これについては、制作された時代が戦時中で物資か不足し、絵の具を節約せざるをえなかったことも原因しているかもしれません。その後も、瑛九の塗りは概して薄めで、色は塗ってあればいいという感じです。

「蝶と女」という1950年の作品で、キュビスム的と言えるかもしれません。色面による構成で人物の造形を作っています。私には、その色面を組み合わせていたら、結果としてキュビスム的に見えるようにできたという方が適切に思えるのですが。左上に飛んでいる蝶の記号化したような描き方はキュビスムとは言えないし、人物の手を赤い線の輪郭のみで掌は透明で身体が透けて見えるのですから。全体として平面的で、塗り絵を塗っているような印象です。色彩のコントラストは、かなり考えて計算されているのではないか。色面の関係がこの作品のウリではないかと思います。しかし、どこか、らしくないというか、もっと整理できるのではないかと思ってしまいます。未だお勉強いうことでしょうか。 

 

U 1951〜1957

フォト・デッサンに加えエッチングやリトグラフと活動範囲を広げ、その手法を油彩画に取り込み、エアー・コンプレッサーを用いたりして、幻想的、抽象的な新しい表現を試みた時期ということです。

フォト・デッサンは『眠りの理由』の頃に比べて、これまでの経験で得た新たな発想や技法を取り込んで、多層的で複雑なイメージを作り出しているということです。「廻轉盤」という1951年の作品では、様々な型紙をいくつも重ねて、しかも、画面左上の型紙は二重に感光しているのでしょうか。あるいは、型紙に目の細かい金網を使って半ば光を透過させたり、光の当て方で感光の程度の違いにより、黒、グレーの段階的な色分けが層となっています。はたまた、右上から左下への曲線は針金か、右下はスプーン、というように様々な層が、折り重なったり、浸蝕したりして、『眠りの理由』の作品に比べて、はるかに複雑で奥行と混沌とした空間を生み出しています。「女」という1952年の作品では、白い細い線が縦横に走っているのは、ネットかレースの網目を用いて感光を妨げたためだろうと考えらます。しかも、中央部で人形の黒い部分に横に走っている白線に一部黒い縦線で断ち切られているのは、懐中電灯を光源にして、その光を絞ったペンライトによる光でのドローイングによるものです。この光によるドローイングは展示で説明されていました。この作品を見ると、それぞれの面が重なり合っているのですが、人形の影が白い線の上になったり下になったりして、単に重層化しているわけではない。それぞれの重なりが、一律ではないのです。光と影が曖昧で、影である筈が光になっていたり、その逆があったりする。それが、細部で行われているたに、見る者は違和感をそれほど感じない。でもよく見ると・・・。それが、全体として、何か不思議な雰囲気を作り出しているように思います。「ダンス」という1953年の作品は、これまでの様々な技法を用いた制作の成熟した作品ではないかと思います。全体の印象が、アンリ・マチスの「ダンス」を想い起こさせる作品です。それだけ、受け入れやすい作品だと思います。そして、「無題」という作品は制作年不詳ですが、画面全体に極細の白い線が網目のようにびっしりと引かれているのは、セロファンのシートにペンで極細の線を縦横に描き込んだものを重ねたためだということです。こんな極細の線は、筆ではず描けないだろうし、型紙では作れません。この極細の線が画面に溢れている様子だけでもすごい。この極細の白線で溢れた作品を見ていると、瑛九が油絵だけにとどまらず、写真やコラージュ、この後に展示されている版画といったさまざまな表現を試みたのは、このように油絵ではできないことを表現したかったのだろうと思いました。

次には、また油絵の展示です。「赤い輪」という1953年の作品です。前のところで見た「蝶と女」からわずか2〜3年しか経っていませんが、色面で画面を構成するという点では共通していますが、使われている色が格段に鮮やかになり、それだけ色彩のコントラストが明確になっていて、色どうしの緊張関係が強く現われています。そして、色面が幾何学的になり、「蝶と女」では人とか蝶といった物体の形態をなぞっていたのが、そういう物体とか離れて、色面自体が図形の形をとるようになっています。つまり、何かを描くということから離れて、色面自体が画面をつくるようになっています。表われた形は違いますが、モンドリアンを想わせるかもしれません。このあたりで、瑛九が何かを描くという対象から、堂々と離れることを始めたのではないかと思います。フォト・デッサンやコラージュを制作していて、本来なら何かを写す写真が、その何かという意味を剥ぎ取るようにして、違ったものとして成立する面白さ、その結果としての不思議で美しい世界。そういう試行錯誤を何度も繰り返すうちに、そういう姿勢が絵画にも反映するようになったと考えるのは短絡的でしようか。そして、当時の白黒写真ではできなかった色彩を求めて絵画の制作に還ったとか、これは作品を見た私の想像です。

次に展示されていたのはエッチング、つまり銅版画です。瑛九がエッチングの制作を始めたキッカケはプレス機をもらったからだと説明されています。思うのですが、そんなもの他人に贈られたからといって、始めるでしょうか。普通はしないと思います。だって、エッチングの制作には、たくさんの道具が必要で、何よりも素材である銅板が必要です。しかも、油絵を描くより面倒くさい工程がたくさんあって、それに習熟しなければなりません。そう簡単に手を出せるものではないはずです。エッチングの作品をひとつ仕上げる手間と、油絵を一枚仕上げる手間を比べれば、瑛九ならエッチングの方がはるかに苦労が多いはずです。それにもかかわらず、沢山の作品を制作しているということです。よほど、性に合ったのでしょう。彼はエッチングにおいて「僕はすべてがぢかボリです」と記して、心の中から次々と湧き上がってくるイメージを、下書きもせず即興的に銅板に彫っていたと言います。フォト・デッサンでセロファン・シートを用いて極細の線で画面を埋め尽くすというのは、油絵では無理で、むしろエッチングでならできます。「母」という1953年の作品では、極細の線が画面を埋め尽くしています。こういう細かいもので画面をいっぱいにするというのは、瑛九の嗜好するもののひとつだと思います。この作品は、画面中央に、向き合う二つの顔が描かれていて、そのまわりを、建物、奇妙な生き物、有機的な形が、重なり合いながら画面いっぱいに埋め尽くし、不思議で幻想的な世界が表現されています。同じ年に制作された油絵「赤い輪」では何かを描くということから離れてしまったのに、この作品では何かが画面に溢れています。そのことから、瑛九にとっては、抽象とか具象とかいったこと、何かがあるかないかといったことは、あまり気にならなかったのかもしれません。

次に展示されていたのはリトグラフです。瑛九は1956年に印刷業者のもとで基本的な石版技術を学び、本格的にとグラフの制作を始めたと説明されています。瑛九は「リトにとりつかれて、なかなか脱出出来ません。まったくリト病です。」と語るほど傾倒し、多くのリトグラフを制作したと言います。この人は、好奇心旺盛なのか、いろいろなことに手を出すようです。手を出すのはいいのですが、エッチングにしてもリトグラフにしても、制作にはかなりの手間がかかるものだろうに、普通は、それぞれ専業で制作するのでしょうが、瑛九は、それらを制作し、しかもそれぞれ多数の作品を残しているというのですが、そのエネルギーはどれほどのものだったのでしょうか。しかも、油絵もエッチングもリトグラフも、それぞれ傾向が違うので、瑛九は、それぞれの手法を使い分けていたのでしょう。リトグラフについて、エッチング同様下描きをせずに、次から次へと湧き上がるイメージを絡ませながら画面を覆う感覚により即興的に制作していたと説明されています。作品を見ていると、奇妙な、摩訶不思議な何かを描くのには、エッチングやリトグラフをもちいて、中でも極細の線で画面を溢れさせる場合はエッチング、色彩を入れて面の要素を入れたい場合はリトグラフ、抽象的な画面を計算しながら構成する場合は油絵という具合に分けていたように思います。「ともしび」という1957年の作品は何か植物のような感じはしますが、奇妙な何かです。また、同じ年の「旅人」(右側)という作品は、色とりどりの風船のような不思議な何かが漂う、右上の月の光も届かないような暗い森をさまよう旅人(?)たちでしょうか。林立する縦の線は森林の木々のようだし、宙に浮いているような形態は風船のように見えなくもありません。現実の形態とはまったく関係のないものではないかもしませんが、現実の物体として見る者に実感させるものではありません。この後で見る、点描のような、現実に存在する物体を連想することができないような抽象的な作品に比べれば、想像の足掛かりとなるように機能をしていると思います。そういう点で親しみ易さがある作品ではないかと思います。それは、この作品について何が描かれているのかという解釈をすることができるという点です。シュルレアリスムっぽいところというのでしょうか。例えば、風船のように浮かんでいる物体は何を意味するとか、そういう仕方で見る者は想像する筋道を与えられる点が、この作品の親しみ易さになっているのではないかと思います。それは、例えば精神風景とか、この風船のようなものは、戦後美術のアンフォルメルを想わせるところもあります。この作品をみていると、瑛九の子の世代の難波田史男の作品(左側)を想い出します。

この章の展示は最後で油絵になります。「夜の森」という1955年頃の作品。「旅人」から続いてこの作品を見ると、暗い作品が続き、両方とも心の闇に通じているような印象を受けるかもしれません。題名は「夜の森」ですが、夜の森を具体的に描こうとしたわけではないでしょう。夜の森を心の中を象徴的に表わすものとして、その奥深くにひそむ闇を描いていると想像することもできます。ただし、今まで見てきた作品から、瑛九という作家は作品に心情を託して表現するということとは遠い人のように思います。だからということもないが、展示されている作品には、この作品のような見るからに暗い感じの作品はありません。そういうことから、ことさらに心の奥深くの闇といった解釈じみたことは、あえてとらず、画面を見ていくことにします。何か描かれている上から丹念に深い青いがかぶせられていろいろな表情を見せています。青の濃淡と下に描かれているものの混ざり合いは、夜の闇の深さとそこに何かが潜んでいるような緊張感を生み出しているのです。それで、見る者は、眼を皿のようにして、何が潜んでいるのかを探してしまう。よく見ると、暗い青の中に黒い線が蠢いているように見える。ただし、これは実際に見えているのか、そのような想像をしているのか分かりません。穿った解釈かもしれませんが、実際に描かれたものが、見る者には見えているのか、想像しているのかという現実と幻想の区別を曖昧にしているのです。違うとも言われかねませんが、熊谷守一の「轢死」をちょっと想い出しました。

「花」は1956年の作品です。小さな花のモチーフが、画面いっぱいに咲き乱れるさまが描かれています。画面いっぱいに敷き詰められた大小二重丸の色面は、直感で色を置いているように見えますが、よく見るといくつかの組み合わせが認められ、実はシステマティックであることが分かります。例えば、黒に近い紺を二重丸の中心部に使う時には、外側に同系色の少し明度の高い青を置き、反対に外側で紺を使用するときには、発色の強い黄を中心に置いているパターンがいくつか認められます。これは「色相環」の計算が入っていると考えられます。ベースカラーとしての青と「補色」の関係である橙を効果的に入れている例を見ると、色の性質をよく理解した上で、扱う色の配置や画面を占める割合が整理されていて、一見すると単純な画面構成に見えますが、絶妙なバランスで色面が配置され、気持ちよく見えるように計算されていると思います。その上で、画面全体にあふれる色鮮やかな円形は、咲き乱れる花のようにも、飛び散る花火のようにも見えます。ひとつの円から別の円へと視線を動かして見ていくと、前景と後景があいまいになった不思議な遠近感が生じ、画面に流動的な動きを感じることもできます。この作品も、抽象とも具象ともいえるような、両者の区別を曖昧にした作品と言えます。

そして、吹き付けによる作品が並びます。筆を用いず、エアー・コンプレッサーによって送り出した空気によって、スプレーガンで絵の具を吹き付けることで描いた油絵作品です。プラモデルを作ったことのある人は、吹き付けのスプレーで塗装するのと同じ要領というと分かるかもしれません。瑛九は、フォト・デッサンと同じように型紙を使い、吹き付けによって彩色するというものです。その効果もボカシや型紙によるくっきりとした線、下の絵が透ける形の重なりなとが共通しています。しかし、吹き付けをすると、粒子状に微細な絵の具の点が定着されます。型紙の形以外の部分には微細な色の粒子の粗密だけしかなく、フォト・デッサンではできないようなグラデーションやボカシが生まれています。それが、より幻想的な雰囲気をつくります。「森の中」という1957年の作品です。画面全体のうごめくようなフォルムは、暗い色調の中で黄色く浮かび上がり、森の奥深くに生きるものの生命を感じさせ、まるで夢の中をみるような幻想の世界を生み出していると言えます。同じ年に制作された「カオス」は、幅3mを超え、4枚のパネルで構成されている大作です。雲みたいな茫洋とした形や円形のように幾何学的な形の型紙を用いて、吹き付けを行い、それらが少しずれて重なり、色が滲み気味になることで、輪郭がぼやけて曖昧になり、形で不明瞭になる。それで、形象性や記号性は希薄になり、均質空間、そして、吹き付けで定着した微細な粒子状の絵の具の点に還元されつつあるようなことになり、この後の丸が並ぶ抽象に近づいている。そのプロセスの途上にある。その途上の、現実と幻想、あるいは具象と抽象の狭間の世界を見ることができる作品だと思います。その過渡期は、はかなく、そして美しいと思います。


 

V 1957〜1960

いよいよ、丸や円による抽象画の制作に没頭した晩年の作品群です。私にとって、ここで並んでいる作品こそが瑛九のイメージです。ここからは、何かを描くということがなくなり、抽象的で色彩が印象的な作品が並びます。

1957年の「みづうみ」という作品。画面全体の濃淡のプルーがとても印象的で、その深い青に、惹き込まれてしまいます。そこに、さまざまな色で塗り分けられた亀裂のような網目が被さるように全体を覆っている。その網のような細い線にほどこされた、青、赤、水色が、網目の奥の深い青の中、何かが隠されているかのように思わせる。そこに大小の丸が前後に挟み浮かんでいる。それらの色彩が響き合うように調和している。この網目は、前のところで見たフォト・デッサンの「無題」という作品で、セロファンのシートにペンで極細の線を縦横に描き込んだものを感光させて、筆では描けないような極細の線で画面全体を覆ったのを、筆による手描きでやってみたものと言えると思います。筆では極細の線は無理ですが、その代わりに多彩な色を使って異なった効果を作り出しました。そしてまた、網の目の間にのぞく深い青に濃淡がつけられて何か隠れていそうというのは、2年前の「夜の森」に通じるものと言えます。この作品は、これまでに試してきた手法や要素を抽象的な絵画の画面に集約させた、つまり、これまでの試行を集大成して、新たに抽象画に転じたものと言えると思います。

同じ年に描かれた「籠目の青」という作品です。「みづうみ」では控えめだった編み目が前面に出て、画面を支配しています。編み目は複雑で多層的な空間をつくりだし、その編み目の四角や三角が黒い粒子のように見えてきます。この粒子の方に重点を置いて画面を見ると、編み目は背景のように見えてくる。つまり、この画面を逆転すると、この後に描かれる丸や円形を散りばめた作品のつくりになると言えます。そして、中央に黒い円が現われ、この後の丸の集まりの作品を予見するかのようです。

同じ年の「れいめい」という作品です。これぞ瑛九といってもいい作品のひとつだと思います。パッと見て、とにかく青が美しく、惹き込まれるようです。神秘的でもあります。この青という天上的な色彩こそこの作品の本質であると言えます。これまでの作品では編み目が画面を覆っていましたが、それがひび割れた格子やアメーバ状のものとなり、次第に描き込みが加わり、この作品では浮遊する円形となりました。その円形が浮遊しているような動きを感じます。真ん中に引き込まれそうでもあり、まわりに広がっていくようでもあります。真ん中はひときわ明るく、周りは暗い。この色の明度の違いが動きを感じさせていると言えます。真ん中の大きな同心円状の円により吸い込まれるような奥行きを感じさせます。これらの要素が相俟って、見る者にさまざまなイメージを引き起こすのです。

1958年の「青の中の丸」という作品は「れいめい」同じように青を基調とした作品です。画面のサイズはより大きくなって、それはスケールとして見る者に迫ってきます。また、「れいめい」では画面が全体として3つの局面によって構成されていました、すなわち同心円構造のようになって、一番外側は白黒の無彩色の世界で、その内側は青地に黒い水玉が入り込んでくるような世界、そして一番内側は薄い青から段階的に白くなっていく地の上で、青から黄色や緑色等の色の水玉が派生するように生まれてくるような世界、そういう多層的な秩序が感じられるコスモスのようでした。これに比べると「青の中の丸」では地は一面の青で、それが大きなサイズの画面一面に広がって、そこに無秩序に不定形の粒が様々に色づけされている。そこに何らかの秩序を見つけることは不可能に近い、そういう画面です。このコーナーでは、いままで3点の作品をとりあげてきていますが、だんだんと言葉で記述するのが難しい作品になってきています。私には、語ることのできる語彙が、それほど多くないので空々しく言葉を重ねるのは作品対して失礼な気がしてきます。ここでひとついえることは、これほど抽象性が高く、色彩が多岐であるにもかかわらず、それぞれの色彩が明確で、はっきりしているということです。そして、画面上の粒のひとつひとつが浮き上がるようにハッキリしている。それが目にちゃんと映るということです。何か当たり前のように思えるかもしれませんが、このように無秩序のような画面で同じような粒が無数にあると、ふつうはひとつひとつがぼんやりと認識されるようになるはずなのです。それに伴うように、粒の色彩が混じってしまうような、全体としてぼんやりとした靄のような印象になってしまいがちなのです。ところが、この作品では、ひとつひとつが隅に至るまで、はっきりと見えてしまう。これは、明らかに意図的に、そのように画面が作られているということです。そのために画家は、画面構成もそうですし、実際に描いているときも、色を塗ることや、筆遣いなどで、こんな大画面にもかかわらず、かなり細かくて注意力を要する作業を強いられたのではないかと思います。それは、抽象的な作品でありながら、曖昧になってムードのように捉えられてしまうことを、瑛九という人は潔しとしなかったのではないかと思えるわけです。あくまで視覚的に明確であるということ、視覚以外のものに安易によりかかるような妥協をせずに、作品を見るということだけで、そこにイメージをつくりあげるという方向、それが、瑛九という人の姿勢ではないかと思えるのです。

同じく1958年の「丸2」は、散りばめられた丸が丁寧に色彩を重ね筆触を残してあると、平面的な丸ではなく、平面から盛り上がるような立体感があるように見えてきます。その反作用で背景のオレンジ色の部分がへこんでしまったような。それは、あたかもオレンジ色の壁に円形のタイルをはめ込んだような不思議な立体感を感じさせる作品です。

同じ年の「午後(虫の不在)」という作品。画面において、密度を高めていった丸は、流動性をもった短い筆触へと置き換わる。「丸2」で丸に筆触を残して立体感を生じされていたのが、さらにハッキリと筆触を顕わにしたことで、丸に動感を生んでいます。そして、筆触に統一的な方向を持たせたことで、丸の群れがひとつの方向に動いているような印象を与えます。

同じ年の「激流」(下右側)は、大きな画面で、これぞ点描という作品です。「激流」というタイトルですが、少し距離をおいて全体を眺めると、そんな、激しいという印象を受けることはありません。むしろ、静謐な印象です。しかし、作品に近寄ってよく見ると表面に見えている点描の下に、さらに無数の点描が描かれていて、その点描のひとつひとつは必ずしも丸い点ではなく筆触があらわになって、それぞれの点描の筆触の方向が集まって、大きな流れとなっています。それが画面に動きを作り出しています。全体として静謐なのに、動きがそこに生まれているという不思議な世界です。話は変わりますが、日本の作家で点描をウリにしている作家に草間彌生がいます。草間の点描と比べると瑛九の点描の特徴が際立つと思います。草間は水玉がトレードマークですが、点描の点も水玉で、点のひとつひとつが自立完結し、集まった全体が動き出すような草間の点描に対して、瑛九の点描は筆触が残っていたり、ひとつひとつの点が流れるようなところがあって完結していない。ある意味、草間の点の強靭さに対して、瑛九は弱いと言えるかもしれませんが、何かを探り求めるような、成長しつづけるような開かれた動きを感じさせるところがあります。

最後に絶筆となった大作「つばさ」(上左側)です。2.6m×1.8mという壁を見上げるような大作です。その大きさにも圧倒されますが、この大画面にひとつひとつ点描を描いていたというのですから、しかも、その膨大な点の数と、配置や大きさ、色づかいなどを計算しながらその一つ一つの点を丁寧に描いていた画家の姿を想像すると鬼気迫るものを感じます。とはいえ、重量感とか圧迫感はありません。全体の色彩が淡いせいもあるかもしれません。透明感というか、静かで、いつまでも、この作品の前で眺めていたいと思わせる作品です。ずっと眺めていても、飽きることはなく、かといって疲れるようなことはない。このあたりの作品は、言葉を超えていると思うので、私程度では、語りえないのです。

 
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