クラーナハ展─500年後の誘惑 |
2016年11月9日(水) 国立西洋美術館
あとで、展覧会を見終わってロビーに戻ると、団体ツアーのような集団がいて、天井だの床だのをガイドが熱心に説明しているのに、人々が耳を傾けているのを目にした。それで、この人たちは展示作品ではなくて美術館そのものに興味があることに気づいた。ああそうか。西洋美術館が世界遺産に認定されたことによって、西洋美術館を観光地として見に来る人々がたくさんいるのだ。 あまり展覧会とは関係ない前振りが長くなったけれど、クラーナハという画家について、と展覧会の趣旨などについて、このところパターンになっている主催者のあいさつを引用します。“ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ(父、1472~1553年)は、特異なエロティシズムを湛えた数々の女性像を生み出したことで、よく知られています。日本ではとくに、クラーナハが盟友マルティン・ルターの姿を描いた肖像画を、歴史の教科書などで眼にされた方も多いかもしれません。しかしこれまで、この画家の展覧会が日本で開催されたことはありませんでした。”と主催者あいさつのなかでは、クラーナハについては、この程度の簡単な言及しかしていないので、併記されていたウィーン美術史美術館の館長のあいさつの引用を追加します。“ルカス・クラーナハ(父)はデューラーやラファエロと同時代で、北ヨーロッパにおけるルネサンスを代表する最大かつもっとも特異な画家として知られ、愛されています。1472年に生まれ、16世紀半ばに没したこのドイツ人の画家は、「マルティン・ルターの肖像」や同時代の多くの有名人の肖像画によって、まさに宗教改革の時代を体現する画家となったばかりではなく、他とは一線を画す宮廷風の優雅なスタイルの絵画によってその名を上げました。半世紀近くにもわたり、ドイツ北部ヴィッテンブルクのザクセン選帝侯の下で宮廷画家を務めたクラーナハは、この地で早い時期に工房を開設すると、そこから多数の絵画作品を送り出して「クラーナハ様式」を各地に広めました。息子のルカス・クラーナハ(子)も、その後継者となるべく父の薫陶を受けることになります。この「クラーナハ工房」の作品の中でも特筆すべきは、官能的かつ甘美な魅力により、今日まで観る者を惹きつけてやまない裸体画の数々でしょう。たとえばクラーナハを大いに好んだピカソなど、多くの画家たちがそれらの作品から多大な影響を受けています。そのために、今回の展覧会では、クラーナハに向かい合って制作された、近代および現代美術の作品も選んで取り入れています。ウィーン美術史美術館が近年熱心に実施しているこの取り組みでは、現代美術の作家も取り入れることで、彼らと巨匠との対話が生まれることを目指しています。” この引用に書かれているクラーナハの作品と言うのは“特異なエロティシズム”とか“官能的”ということとされているし、展示されている作品にも、そういう性格のものがあります。しかし、それは一部の突出した要素のように見えてしまうのです。この展覧会でクラーナハの作品が集められた作品をまとめて見てみると、この画家というのが分からないという印象です。展示されている作品に筋が通っていない、というよりも、それを私が見出すことができない。たとえば、作品のバラエティが画家の成長に伴って、様々な方向性に広がって、このような作品もあるというようにも思えません。このチラシに引用された絵画と王族や聖職者の肖像画を同じ画家が描いたとは考えられないのです。もとより、この時代の画家は近代以降の作家性を求められるのとは違って職人の親方のようなものでクラーナハの場合も工房を組織していて、現代の日本で言えばアニメのスタジオシステムのようにスタッフが働いて作品を量産していたといいます。展示されている作品にはクラーナハの名義になっていますが、どこまで本人が筆をとって描いているかは分からないので、作品か一様ではないことは当然のことではあります。しかし、スタッフを使うと言っても、クラーナハが指示して描かせて、最終的に出来あがった作品を見て、承認したからこそクラーナハの名義を使わせているのですから、クラーナハの意向が反映しているはずなのです。従って、何らかの共通のものが認められるはずですが、それが私には見つけられませんでした。それが私にとっては分からないという結論になります。 よく、絵画は(頭で)分かるものではなく、感性で直感するもので、美しいと感じられるかどうか、という議論を聞きます。学校の授業で芸術鑑賞をしたりとか、偉い批評家の啓蒙書などで言われることです。ここで言う「分かる」というのは、感性に対する知性、具体的には言葉、ロゴスで理解することではないかと思います。以前の展覧会の感想の中で、そういう感性で感じるというのは、芸術というヨーロッパ・ローカルに起源する美を、それは輸入品文化の日本で感じることのできるという優越感に裏打ちされたところがあるのではないかと述べたことがありました。ここでは、そのこととは別に、絵画を感じるということについて、これは私の絵画の見方ということになるのかもしれませんが、簡単に考えてみたいと思います。クラーナハの作品は近現代の抽象画のような観る者が自由に想像したりと、その見方を観る者に投げかけられ、任されるものとは違って、抽象画に対して具象画で、何が描かれているかという作品になります。抽象画の場合は、あえて何が描かれているかを切り取ってしまって、そこを宙ぶらりんにして、つまり、ロゴスを捨て去って感じるしかないように仕向けられたという性格が大きな要素としてあると思います。ところが、クラーナハのような具象画の場合には、何が描かれているかということが分かって、そこからその描かれているものとして美しいとか、といような感じるということをすることになります。この場合の美しいというのが、まず描かれているものが基準となって、それを感じるということをするわけです。例えば、裸体の女性を描いた作品では、描かれた女性の裸体として美しいか、そこで色彩が美しいといっても、裸体の色彩の使い方として美しいという感じ方になるわけです。そこでの感じるという感性の基底には、何が描かれているかという知性が存在しているわけです。もっというと感性は知性によって作られていることになります。そこでの知性が作られていないと、感性が働かないことになります。そうでなくて、感性だけで見ようとすると、それは抽象画としてみることになり、そういう可能性も否定できません。しかし、その場合には、抽象画として観ることを判断するという知性の働きが前以って為されているわけです。では、クラーナハの作品が分からないというのは、そういう感性を働かせるための基準、つまりベースができていないということになります。 これをクラーナハのような描く側に立ってみると、画家は何かを描くという際に、見たものを、そのように描くということが原則になっていると思います。見ていないものは描けない、というわけです。この時の見たというのは、画家が見えたということで、たとえ、私から描かれたものが歪んでいたり、見えないはずと思っても、画家にはそう見えていたから描けたはずです。その見えたというのは、別の言葉で言えばパースペクティヴとかパラダイムというものです。私がそうだからといって、他の人もそうだとは一概に言えないかもしれませんが、パースペクティヴというのは何通りも持っていて使い分けるということなくて、ひとつしか持っていないのではないかと思います。そのひとつのパースペクティヴが、人生の転機を経て変化することはあるかもしれません。しかし、それはひとつのパースペクティヴが変化するというだけで、2つも3つもあるというわけではありません。画家の技法とか技術といったものは、そのパースペクティヴに従って形成されるもので、それが物体として結実するのが作品ということになるのでしょうか。私が作品を見るというのは、作品を通して、画家のパースペクティヴを見つけるということもあるのではないかと思います。それを、私は感性を通して知性によって分かろうとする。私が分かるとしても、それは画家のパースペクティヴと同じとは限りませんし、同じでなければならないわけではありません。その画家のとは違う、私の捉えたパースペクティヴが、私が画家の作品を感じる基準ということになると思います。 それで、そういう基準を、私は掴めなかったが、他の人はどうなのかという藁をも縋る思いで、活字やウェブの世界を渉猟しましたが、そういうクラーナハとは、ということを提示してくれるものはありませんでした。だからどうだ、と言っても愚痴ということになり、何かの機縁で、この文章を読んでいただいた方には失礼になってしまいます。ですから、ここから、展覧会でのことを反芻していく作業のなかで、自分なりにもう一度、クラーナハの作品の感性の基準を探っていくという作業をしていきたいと思います。それについて、必ずしも見つけられることは保証できませんが。それでは、展示の章立てに従って、個別の作品を見ていきたいと思います。
1.蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
会場に入ってすぐに目に入ってくる作品がこの「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」(左図)という肖像画です。ここに画家の特徴的なものとか、突出したものが見て取れる 「聖母子」(右図)という作品を見ていくと、ルネサンス風の、ああスフマート・・・・みたいな、ドイツの田舎の封建領主にとっては品質が高いように見えてくるように作られていると思います。それを中心に作られているように思います。例えば、工房で制作されたものなのでしょうけれど、聖母の顔と胴体が繋がっているように思えません。ウェブ上で、例えば2チャンなどでよく見られるコラージュのようです。おそらく、背景や胴体は工房の画工に描かせて、聖母の顔の部分だけをクラーナハ本人が後か先に描いたのではないかと思います。クラーナハは顔を描く際に全体のバランスを考えてもよかったし、最終的に作品が完成したかは親方であるクラーナハが是非を判断するので、このズレをクラーナハは認めているのでしょう。つまり、このようなズレはクラーナハには気にならなかった。クラーナハにとって絵画とは、そういうズレを気にするような体のものではなかったと思うのです。それを比較的若いころの作品には、直接的に表われていると思うのです。それは、これから後で具体的に作品を見ていく中で考えていきたいと思います。
しかし、その反面、この一対の作品の左右に描かれた聖母マリア(赤いドレスを着た女性)は人間として生きていないし、フィレンツェのルネサンスの画家たちの描く聖母たちのように理想化された女性にもなっていません。祭壇を飾る絵画の画面の中に、必要な登場人物として聖母を入れなくてはならなくて、そのような条件を満たす部分としてあればいい。言わば記号のようなものとして、聖母を表す約束事を載せたものとして(例えば赤いドレスとか)画面の中に入れ込んだというように見えます。それは、上で見てもらった「聖母子」でもそうですが、輝かしい存在を、そういうものとして描こうとはしていないのです。だから、同時期のフィレンツェのルネサンスの画家たちのようなリアルとか、画家がこれを描きたいとか、こんな描き方をした作品をつくりたいとか、そのような姿勢では描かれていないのではないかと思います。一般化すれば、画家が主体を持った者として作品を制作して、作品を見る者の前に呈示する。クラーナハには、そういうところよりも、作品というのは見る者に提出する手段で、こういうものとして表すというよりは、それを見た人々の受ける印象、画家の側から見れば見る者に及ぼす効果の方に心が向かっているのではないかと思えてくるのです。だから、最初に比較したデューラーやその背後にあるルネサンスの画家たちが求めた表現とか理想とか方法論とは方向が異なっている画家ではないか。ただし、人々、とくに軽薄に流行を追いかけているような敏感な人々に受け容れられるために、道具としてデューラーなんかの作品に倣うように描いていた。ただし、手段として利用していただけで、クラーナハ自身の重心は別のところにあったので、そこに払う注意もそこそこだったということではないかと思います。しかも、器用さとか、天性の技量がある人でもなかったので、限られた力のなかでベストを尽くしたと思えるのです。
2.時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
この場合、そういうクラーナハの肖像画の制作において顔が重要な部品ということになります。その顔を見てみましょう。同じ会場に展示されているデューラーの描く顔(右上図)と比べると、クナーナハの特徴が浮かび上がると思います。デューラーの描く顔は、まるで解剖しているかのように骨格から筋肉の筋の一本一本が分かるくらいに陰影がつけられ、肉の厚みが彷彿できるように分厚く描かれています。これに対して、クラーナハの肖像画の顔は、ずっとあっさりとしていて、陰影の深さではデューラーには敵いません。例えば鼻の存在感はデューラーの場合には鼻梁に光が当たり、顔に影が生じる陰影が深く、鼻と頬のところの肌の色合いが微妙なグラデーションで塗り分けられています。デューラーに比べれば、クラーナハの場合には、陰影や塗りは薄っぺらになっていて鼻は顔で肉が盛り上がっている存在感は稀薄で、輪郭線が引かれて鼻のかたちが表わされているように見えます。これは、デューラーと比べた違いを際立たせるために極端に誇張した説明をしているので、実際のデューラーとクラーナハは上述の方向に寄っているくらいに受け取ってください。このようなクラーナハの顔の描き方について考えられることがあります。第一に、宮廷画家というお雇いの立場で、神聖ローマ帝国の諸侯や騎士といった身分の高い人々の肖像を描くのに、その身分の高い人々が肖像のモデルとなって画家の前に立ってくれる時間は僅かしかなかったでしょう。そこで、分厚く塗り込んで、詳細に描き込むことができるほど、モデルを十分に観察することはできなかったでしょう。そういう限られた条件で水準を満たす肖像画を完成させるためには、モデルの特徴を素早く把握して、その特徴をベースとなる肖像画のパターンにはめ込むことです。つまりは、標準的なベースモデルをカスタマイズすることに近いと思います。第二に、第一の点では限定された条件のもとで品質を落とさないで作品を制作するための方法を確立したことによって、今度は、当のクラーナハ自身の視覚にフィードバックが起こったのではないか。第一の点と第二の点は、いわば卵が先か鶏が先かという循環した問題かもしれません。つまり、ベースモデルをカスタマイズするような制作方法を採るということ、そのような描き方をするということは、その前提としてそういう見方をしているということです。そして、そういう描き方を追求していくならば、その前提となる見方を進めていくことになります。それは、つまりデューラーのように物事を深く見極めるという方向ではなくて、物事の表面的な突出した特徴を瞬時に取り出す、そのためには類型的に物事を見て、その類型から飛び出してしまうものを特徴として見出せばいいわけです。そういう類
最後に、息子のクラーナハの描いた「ザクセン選帝侯アウグスト」(右下図)という夫婦の全身像になると、類型性よりもリアリズムの傾向が強くなってくるので、この肖像画のコーナーで展示されていた作品の中で、一番見易かった。それだけ、クラーナハの作品というのは、リアリズムに慣れた眼からは異質に感じられる、悪く言うと下手に見える作品なのです。 3.グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
「聖アントニウスの誘惑」という作品です。2作品が並べてありますが、右のはマルティン・ショーンガウアー、そして左の作品がクラーナハのものです。聖アントニウスの3世紀の人で、二十歳を過ぎて一念発起して信仰に生きるために苦行を始めます。その第一の苦行において、この作品の題材である「聖アントニウスの誘惑」といわれる、悪魔が現れては、財産、妹のこと、家族の絆、金銭欲、名誉欲、食欲、人生の楽しみごとといった、彼が断ち切っていた現世のもろもろのことをまず最初に、そして最後には美徳のきたなさ、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにと挑みかかってきたのです。左側のショーンガウアーの作品は中央の老人の姿の聖アントニウスの周囲に群がるように怪物の姿をした悪魔がまとわりついて、アントニウスを引っ張ったり、叩いたりと、様々なことを仕掛けている場面が描かれています。これに対して、同じ題材を扱いながらクラーナハの場合には、ショーンガウアーと同じように怪物たちにまとわり付かれて空中に持ち上げられ、引っ張られ、叩かれと仕打ちを受けていて、それが怪物たちとアントニウスが渾然一体となって見分けがつかなくなっています。一見すると、アントニウスと怪物が融合してしまったように見えます。どこを探しても、眼を凝らしても、ショーンガウアーの作品にあるような老人の姿を見つけることはできないのです。しいて言えば、怪物たちに引っ張られたり、もみくちゃにされる隠者の僧衣があるだけなのです。このクラーナハの作品ではアントニウスという人物が描かれているというよりも、彼の衣装と怪物たちにまとわり付かれ、さまざまに仕打ちをうけるモノがあるだけなのです。そのしるしからアントニウスということが分かるので、ここで敢えてアントニウスを描く必要がないということです。それよりも、ここでショーンガウアーと違って際立っているのは、怪物である悪魔の仕打ちの凄まじさであり、画面の主役はクラーナハの作品では間違いなく怪物たちです。だから、怪物たちの現れている背景の町の風景や手前の樹木を描きこんでいるのです。その対比と、見る者にとっては、現実的な風景の中に怪物がいるかのように見せているで、作品の中に視線を入り込みやすくしていると言えます。
4.時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相 ここからが核心部分です。主催者のあいさつやポスターの惹句に触れられているクラーナハの特徴、“特異なエロティシズム”とか“官能的”というのは、ここで展示されている裸体像から受けるイメージだろうと思います。
細かいところの話からになってしまいますが、さきに例示したヴィーナスの肌を例にとって、クラーナハの作品に対しての私の感じ方を説明し易いので、ここで少しこだわることにします。前のコーナー、クラーナハの肖像画のところで、クラーナハの作品の人物が規格化、記号化される傾向があると述べました。つまり、人物をありのままに描くのではなく、描かれたものが人物と分かればいいのです。しかも、それが分かり易いのであればなおいい。まどろっこしいと思われるかもしれません。この二つが分けられることなく、二つとも兼ね備えた作品もたくさんあります。しかし、クラーナハの作品はそうではない。そのことは肖像画のところで述べましたが、それは作品の作られ方が、芸術作品であると同時に工業製品のような作られ方もしているというところからです。しかし、そのような規格化された人物表現からどうして官能性を感じることができるのでしょうか。それは、実際の女性の魅力として滑らかで柔らかな肌の艶を、そのまま作品に定着させることができれば、そこに女性の魅力が表されているといえます。ところが、それをリアルに表現するということは並大抵のことでは、できないと言えます。それを表すために画家たちは工夫や修練を重ねて、巨匠と言われる人は独自の表現で、それぞれに行なっているわけです。しかし、それを工房で巨匠でない職人が同じレベルでやるのは不可能に近い。そうであれば、規格化された描かれた人物に官能性が感じられるような仕掛けを考えることになります。クラーナハのヴィーナスの肌が蒼白く硬い磁器のようなのは、そういう仕掛けのためではないかと思われるのです。それは、ヴィーナスの背景が黒く塗られた抽象的な背景で、暗闇のような雰囲気を作り出していることと関係しているのです。つまり、この青白い肌は、それ自身が官能的というよりも、黒く塗られた背景との関係で官能性を生んでいると思えるのです。肌の白さは背後の黒い世界の中で際立って浮かび上がってくるように目に映ります。もし、かりにボッティチェリのヴィーナスのような赤みを帯びたグラデーションのある肌色がここにあっても、なかなか、それと分からないと思います。ボッティチェリのヴィーナスは地中海の輝かしい陽光に照らし出されるもので、このような暗い世界の中では、視野が限られてしまって、折角の肌がみえにくくなってしまいます。これに対して、クラーナハの不健康なほどの蒼白さは暗闇の中では、印象的に目立つのです。しかも、暗いところでは微妙な陰影まで見分けることができません。だから白一色がベタ塗りのように一様に塗られているほうが識別し易いのです。そこでグラデーションは最小限に抑えるほうが効果的ということになります。そういう描き方であれば、何も巨匠の芸術家でなくても、それなりの技術のある職人で
クラーナハ(子)「ディアナとアクタイオン」(右上図)という作品は、上で述べたクラーナハの官能性についての、自己パロディのような作品になっています。ここで描かれている裸婦たちは、一様です。この群像の中で、誰が女神アルテミスであるか見分けがつきません。それぞれの女性は女性の官能性の記号のようになっていて、それぞれの女性の個性とか存在感は考慮されていません。
5.誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系 おそらく、この美術展独自のテーマなのだろうかと思います。主催者あいさつで“特異なエロティシズム”とか“官能的”という要素でクラーナハの特徴を述べられていましたが、その代表的な表われとして、よく分かるのが前のコーナーの裸体画でしょうか。そして、隠れたテーマ系として美術展のキュレーターがピックアップしたのかと想像します。“絵は 「不釣合いなカップル」(左上図)という作品です。風刺画のように滑稽にデフォルメされているように見えます。そのデフォルメによって、画面の二人の人物のうち左側の男性の滑稽さ、愚かさの方が目立っていると思います。右側の女性には、誘惑しようと言う意志的なところが見えません。男性のニヤついている下卑た顔つきに比べて、女性は人形のように表情がありません。私には、クラーナハという画家が、イタリア・ルネサンスの画家たちのように描く題材がある程度決まっていて、女性であれば理想の体型を具現化した女神であったり、人として理想の姿といえる聖母マリアや聖女といった人、あるいは肖像画のモデルとなる人々であったり、を写実的に理想化して描くことに手練手管を尽くすといった方向には行かなかった。というより、行くことができなかった。それで、クラーナハは自身が画家として生き残るために、イタリア・ルネサンスの画家たちとは別の道を
「ホロフェルネスの首を持つユディト」(左下図)という作品です。展覧会のポスターでも使われてい 引用が長くなりましたが、この作品の場合には、作品自体以上に、この解説のように作品に付随するものが付加価値として作用しているように思えるので、敢えてそうしました。私は鈍感なのかもしれませんが、実際のところ、事前に何の情報もなくて、虚心坦懐にこの作品に向かって見ている
6.宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
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