クラーナハ展─500年後の誘惑 |
2016年11月9日(水) 国立西洋美術館 海外出張が終わって、帰国した日。早朝にホテルをチェック・アウトして、朝一番の便で向こうの空港を飛び立って、早起きと仕事が終わった疲れで、羽田空港に着いて、真っ直ぐに帰る気がしなくなった。午後の時間で、多くはないけれど、立ち寄るくらいの時間はあった。羽田空港から京浜急行で品川に出て、手近なところで上野まで足を伸ばして、西洋美術館へ。西洋美術館の前庭には沢山の人が集まっていて、少し驚いた。クラナッハ(この展覧会では画家の表記をクラーナハとしていて、多分正しく読むとそうなのだろうけれど、以前からの馴染んだ呼び方ではクラナッハ、というとある種の私の趣味嗜好が一部の方には分かっていただけるのではないかと思います)という、日本ではどちらかと言えばマイナーな画家の展覧会なのだけれど、混み合っているのか、それほど人気があるのかと、訝しく思った。しかも、あまり美術館で目にするような人々とは様相を異にする。それで入場券売り場には人影はなく、美術館の玄関は混雑しているのに、地下の企画展の展示室に降りて行くと、人影は急に減ってしまった。なんだろうかと思った。展覧会そのものは、むしろ空いていて、落ち着いて作品を見ることができた。 あとで、展覧会を見終わってロビーに戻ると、団体ツアーのような集団がいて、天井だの床だのをガイドが熱心に説明しているのに、人々が耳を傾けているのを目にした。それで、この人たちは展示作品ではなくて美術館そのものに興味があることに気づいた。ああそうか。西洋美術館が世界遺産に認定されたことによって、西洋美術館を観光地として見に来る人々がたくさんいるのだ。 あまり展覧会とは関係ない前振りが長くなったけれど、クラーナハという画家について、と展覧会の趣旨などについて、このところパターンになっている主催者のあいさつを引用します。“ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ(父、1472〜1553年)は、特異なエロティシズムを湛えた数々の女性像を生み出したことで、よく知られています。日本ではとくに、クラーナハが盟友マルティン・ルターの姿を描いた肖像画を、歴史の教科書などで眼にされた方も多いかもしれません。しかしこれまで、この画家の展覧会が日本で開催されたことはありませんでした。”と主催者あいさつのなかでは、クラーナハについては、この程度の簡単な言及しかしていないので、併記されていたウィーン美術史美術館の館長のあいさつの引用を追加します。“ルカス・クラーナハ(父)はデューラーやラファエロと同時代で、北ヨーロッパにおけるルネサンスを代表する最大かつもっとも特異な画家として知られ、愛されています。1472年に生まれ、16世紀半ばに没したこのドイツ人の画家は、「マルティン・ルターの肖像」や同時代の多くの有名人の肖像画によって、まさに宗教改革の時代を体現する画家となったばかりではなく、他とは一線を画す宮廷風の優雅なスタイルの絵画によってその名を上げました。半世紀近くにもわたり、ドイツ北部ヴィッテンブルクのザクセン選帝侯の下で宮廷画家を務めたクラーナハは、この地で早い時期に工房を開設すると、そこから多数の絵画作品を送り出して「クラーナハ様式」を各地に広めました。息子のルカス・クラーナハ(子)も、その後継者となるべく父の薫陶を受けることになります。この「クラーナハ工房」の作品の中でも特筆すべきは、官能的かつ甘美な魅力により、今日まで観る者を惹きつけてやまない裸体画の数々でしょう。たとえばクラーナハを大いに好んだピカソなど、多くの画家たちがそれらの作品から多大な影響を受けています。そのために、今回の展覧会では、クラーナハに向かい合って制作された、近代および現代美術の作品も選んで取り入れています。ウィーン美術史美術館が近年熱心に実施しているこの取り組みでは、現代美術の作家も取り入れることで、彼らと巨匠との対話が生まれることを目指しています。” この引用に書かれているクラーナハの作品と言うのは“特異なエロティシズム”とか“官能的”ということとされているし、展示されている作品にも、そういう性格のものがあります。しかし、それは一部の突出した要素のように見えてしまうのです。この展覧会でクラーナハの作品が集められた作品をまとめて見てみると、この画家というのが分からないという印象です。展示されている作品に筋が通っていない、というよりも、それを私が見出すことができない。たとえば、作品のバラエティが画家の成長に伴って、様々な方向性に広がって、このような作品もあるというようにも思えません。このチラシに引用された絵画と王族や聖職者の肖像画を同じ画家が描いたとは考えられないのです。もとより、この時代の画家は近代以降の作家性を求められるのとは違って職人の親方のようなものでクラーナハの場合も工房を組織していて、現代の日本で言えばアニメのスタジオシステムのようにスタッフが働いて作品を量産していたといいます。展示されている作品にはクラーナハの名義になっていますが、どこまで本人が筆をとって描いているかは分からないので、作品か一様ではないことは当然のことではあります。しかし、スタッフを使うと言っても、クラーナハが指示して描かせて、最終的に出来あがった作品を見て、承認したからこそクラーナハの名義を使わせているのですから、クラーナハの意向が反映しているはずなのです。従って、何らかの共通のものが認められるはずですが、それが私には見つけられませんでした。それが私にとっては分からないという結論になります。 よく、絵画は(頭で)分かるものではなく、感性で直感するもので、美しいと感じられるかどうか、という議論を聞きます。学校の授業で芸術鑑賞をしたりとか、偉い批評家の啓蒙書などで言われることです。ここで言う「分かる」というのは、感性に対する知性、具体的には言葉、ロゴスで理解することではないかと思います。以前の展覧会の感想の中で、そういう感性で感じるというのは、芸術というヨーロッパ・ローカルに起源する美を、それは輸入品文化の日本で感じることのできるという優越感に裏打ちされたところがあるのではないかと述べたことがありました。ここでは、そのこととは別に、絵画を感じるということについて、これは私の絵画の見方ということになるのかもしれませんが、簡単に考えてみたいと思います。クラーナハの作品は近現代の抽象画のような観る者が自由に想像したりと、その見方を観る者に投げかけられ、任されるものとは違って、抽象画に対して具象画で、何が描かれているかという作品になります。抽象画の場合は、あえて何が描かれているかを切り取ってしまって、そこを宙ぶらりんにして、つまり、ロゴスを捨て去って感じるしかないように仕向けられたという性格が大きな要素としてあると思います。ところが、クラーナハのような具象画の場合には、何が描かれているかということが分かって、そこからその描かれているものとして美しいとか、といような感じるということをすることになります。この場合の美しいというのが、まず描かれているものが基準となって、それを感じるということをするわけです。例えば、裸体の女性を描いた作品では、描かれた女性の裸体として美しいか、そこで色彩が美しいといっても、裸体の色彩の使い方として美しいという感じ方になるわけです。そこでの感じるという感性の基底には、何が描かれているかという知性が存在しているわけです。もっというと感性は知性によって作られていることになります。そこでの知性が作られていないと、感性が働かないことになります。そうでなくて、感性だけで見ようとすると、それは抽象画としてみることになり、そういう可能性も否定できません。しかし、その場合には、抽象画として観ることを判断するという知性の働きが前以って為されているわけです。では、クラーナハの作品が分からないというのは、そういう感性を働かせるための基準、つまりベースができていないということになります。 これをクラーナハのような描く側に立ってみると、画家は何かを描くという際に、見たものを、そのように描くということが原則になっていると思います。見ていないものは描けない、というわけです。この時の見たというのは、画家が見えたということで、たとえ、私から描かれたものが歪んでいたり、見えないはずと思っても、画家にはそう見えていたから描けたはずです。その見えたというのは、別の言葉で言えばパースペクティヴとかパラダイムというものです。私がそうだからといって、他の人もそうだとは一概に言えないかもしれませんが、パースペクティヴというのは何通りも持っていて使い分けるということなくて、ひとつしか持っていないのではないかと思います。そのひとつのパースペクティヴが、人生の転機を経て変化することはあるかもしれません。しかし、それはひとつのパースペクティヴが変化するというだけで、2つも3つもあるというわけではありません。画家の技法とか技術といったものは、そのパースペクティヴに従って形成されるもので、それが物体として結実するのが作品ということになるのでしょうか。私が作品を見るというのは、作品を通して、画家のパースペクティヴを見つけるということもあるのではないかと思います。それを、私は感性を通して知性によって分かろうとする。私が分かるとしても、それは画家のパースペクティヴと同じとは限りませんし、同じでなければならないわけではありません。その画家のとは違う、私の捉えたパースペクティヴが、私が画家の作品を感じる基準ということになると思います。 それで、そういう基準を、私は掴めなかったが、他の人はどうなのかという藁をも縋る思いで、活字やウェブの世界を渉猟しましたが、そういうクラーナハとは、ということを提示してくれるものはありませんでした。だからどうだ、と言っても愚痴ということになり、何かの機縁で、この文章を読んでいただいた方には失礼になってしまいます。ですから、ここから、展覧会でのことを反芻していく作業のなかで、自分なりにもう一度、クラーナハの作品の感性の基準を探っていくという作業をしていきたいと思います。それについて、必ずしも見つけられることは保証できませんが。それでは、展示の章立てに従って、個別の作品を見ていきたいと思います。
1.蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ 展示の章立ては作品のジャンル別ということになるのでしょうが、クラーナハの時代にはジャンルによって様式が分けられることがありうるでしょうか。というのも、この展覧会のチラシやポスターにあるクラーナハの作品とは、全く異質の別人のような作品が、この章では展示されています。展示室に入って、最初のコーナーでポスターのイメージで官能的とかマニエリスムっぽいのとは、まったく異なる作品を提示されて、先入観を壊されるようなものでした。正直なところ、期待を裏切られた感じがしました。しかも、比較するように並べて展示されていたデューラーと比べると、正直いって負けている。優劣をここで言うのは適切ではないかもしれませんが、クラーナハの作品はデューラーの引き立て役のように見えてきてしまうのです。よく分かってしまうのは、ここに並べている騎馬像です。クラーナハの「馬上の聖ゲオルギウス」(左図)は木版画であるために線を単純にせざるを得ないので、銅版画のデューラーの「騎士と死と悪魔」(右図)の線の多彩さと単純に比べることはできないかもしれない。馬のプロポーションや筋肉の厚みや陰影の描き方で、いかにも重量感を備えて、生き生きとした生命を感じさせるのは、リアルであるとかないとかという以前の圧倒的な迫力を感じざるを得ないと思います。この展覧会は、集めてきたクラーナハの作品数が少ないためなのか、比べてしまうと明らかにクラーナハを見劣りさせてしまうデューラーを並べて展示したり(展示の最後近くで、デューラーの有名な「メランコリア」を展示して、これだけで展覧会を見に来る価値があると思うほどだが、それにクラーナハの同名作品を並べて明らかに見劣りさせて、結果的に辱めることになってしまっている)、クラーナハの作品を味わうのに邪魔にしかならないテンションの低い現代絵画を引用して展覧会全体を薄味にしてしまっているのは、興ざめです。 会場に入ってすぐに目に入ってくる作品がこの「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」(左図)という肖像画です。ここに画家の特徴的なものとか、突出したものが見て取れるか。これを見てクラーナハという画家はこうで、これはすごいと思うかとか、その徴候を見つけ出すことができるか。そういう作品として見ることはできませんでした。肖像画という性格から、そうものなのでしょうけれど。よくできた肖像画と言えるもので、商品としての肖像画の品質は高いといえると思います。ただし、その品質についても突出して高い(例えばデューラーの作品であれば、肖像画として求められた枠を超えてしまう部分が垣間見えて、それが興味深いわけです)ところまでは言っていません。敢えて言えば、作品としては凡庸と言えるのではないかと思ってしまいます(下手であっても、突出して下手であれば、その方向で突出する可能性があると思います)。しかし、だからこそ分かり易い。人物を生き生きと描くとか、人格が滲み出るように表現されるとか、理想を表すとかといった肖像画としての機能の脇目をすることなく、モデルとなった人物に似ていて(だろう)、その人物を豪華に飾り立てることを高い品質でまとめられている。しかも、それを類似作品が多かったのでしょうが、品質を維持して多量に生産する。そこが、宮廷画家として工房を率いてメジャーな画家として売れたのだろうと思います。そして、このような肖像画を一定品質で量産するというようなところが、クラーナハの絵画のベースとして通底しているのではないかと思うのです。それは、必ずしも当時のルネサンスには当てはまらないものがあるように思えるのです。ここでは、何かクラーナハを褒めているように読んでもらえないと思いますが、否定的に見ているわけではありません。 「聖母子」(右図)という作品を見ていくと、ルネサンス風の、ああスフマート・・・・みたいな、ドイツの田舎の封建領主にとっては品質が高いように見えてくるように作られていると思います。それを中心に作られているように思います。例えば、工房で制作されたものなのでしょうけれど、聖母の顔と胴体が繋がっているように思えません。ウェブ上で、例えば2チャンなどでよく見られるコラージュのようです。おそらく、背景や胴体は工房の画工に描かせて、聖母の顔の部分だけをクラーナハ本人が後か先に描いたのではないかと思います。クラーナハは顔を描く際に全体のバランスを考えてもよかったし、最終的に作品が完成したかは親方であるクラーナハが是非を判断するので、このズレをクラーナハは認めているのでしょう。つまり、このようなズレはクラーナハには気にならなかった。クラーナハにとって絵画とは、そういうズレを気にするような体のものではなかったと思うのです。それを比較的若いころの作品には、直接的に表われていると思うのです。それは、これから後で具体的に作品を見ていく中で考えていきたいと思います。 「天使に囲まれた聖家族」(左下図左側)と「聖母の教育」(左中図右側)という2枚組みセットの板絵作品です。祭壇の両翼のためのもので、祭壇の左右に置かれるように描かれていると言えます。この作品を見て分かるのは画家の画面構成力ではないかと思います。観る者の視線を誘導するように画面上の天使や聖母子が配置されている。デューラーの場合には、画面の人物が生き生きとした存在感があるために、却ってそれを盤上のコマのように配置して使うことが難しくなっているのではないか。そこが、デューラーとクラーナハの大きな違いなのではないかと思います。そういう視点で、この一対の作品を見ると、極論で誤解を招いてしまうかもしれないのかもませんが、2枚の絵画を一連のようで、まんがのコマ割りのように機能している、そういう性格があると思います。実際に作品を見てみましょう。「天使に囲まれた聖家族」では、画面上に多数いる天使たちは画面左手の聖母マリアに視線を向いています。そのため、この画面を観る者は天使の視線を追いかけるように画面左手の木の下の聖母マリアに導かれます。マリアは右側を向いているので、観る者は視線をそこに導かれる。その視線の先にあったのは、ここでは展示されていないのですが、本来、この作品が置かれていたはずの祭壇に視線が導かれることになると思います。もうちょっと細かいところを取り上げてみると、画面上手の空を飛んでいる天使たちは左下がりの斜めに並んで左手に向けて飛んでいるようで、そこでの天使たちは飛んでいる方向に視線を向けていて、空を飛ぶということは身体の姿勢は横たわっている姿勢なので、下方向に見下ろしているようで、その天使の並びを追いかけていくと、左方に立っている樹の幹に導かれ、太い樹の幹の縦の線に導かれるように樹の下にいる聖母マリアに届いていきます。また、この天使たちが並んで飛んでいる上下には樹の枝が左側の幹から伸びています。そこで、樹の枝から幹へ、そして幹の下の聖母マリアに導かれることになります。それは、またその視線のスタート地点はどこかというと、天使たちが右上がりに並んで飛んでいる、その並びの先は画面が切れてしまっていますが、この画面の右側は祭壇で、その祭壇の上部は、祭壇が捧げられているはずの神ということになるだろうと思います。つまり、画面には入ってこない祭壇からスタートして、観る者の視線はこの画面を通じて祭壇に還っていくという循環をするように導かれていく、ということになります。 しかし、その反面、この一対の作品の左右に描かれた聖母マリア(赤いドレスを着た女性)は人間として生きていないし、フィレンツェのルネサンスの画家たちの描く聖母たちのように理想化された女性にもなっていません。祭壇を飾る絵画の画面の中に、必要な登場人物として聖母を入れなくてはならなくて、そのような条件を満たす部分としてあればいい。言わば記号のようなものとして、聖母を表す約束事を載せたものとして(例えば赤いドレスとか)画面の中に入れ込んだというように見えます。それは、上で見てもらった「聖母子」でもそうですが、輝かしい存在を、そういうものとして描こうとはしていないのです。だから、同時期のフィレンツェのルネサンスの画家たちのようなリアルとか、画家がこれを描きたいとか、こんな描き方をした作品をつくりたいとか、そのような姿勢では描かれていないのではないかと思います。一般化すれば、画家が主体を持った者として作品を制作して、作品を見る者の前に呈示する。クラーナハには、そういうところよりも、作品というのは見る者に提出する手段で、こういうものとして表すというよりは、それを見た人々の受ける印象、画家の側から見れば見る者に及ぼす効果の方に心が向かっているのではないかと思えてくるのです。だから、最初に比較したデューラーやその背後にあるルネサンスの画家たちが求めた表現とか理想とか方法論とは方向が異なっている画家ではないか。ただし、人々、とくに軽薄に流行を追いかけているような敏感な人々に受け容れられるために、道具としてデューラーなんかの作品に倣うように描いていた。ただし、手段として利用していただけで、クラーナハ自身の重心は別のところにあったので、そこに払う注意もそこそこだったということではないかと思います。しかも、器用さとか、天性の技量がある人でもなかったので、限られた力のなかでベストを尽くしたと思えるのです。
2.時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ 前のコーナーで量産の工業製品になぞらえたように述べましたが、いってみれば個々の作品はコピーに近いようなものなので、ひとつかふたつ見れば十分で、とりたてて個々の作品に向き合って鑑賞するということを要求していないものではないかと思います。展示の解説の中で“素速い画家”と称賛されていたと説明されていました。それは、“子どもや多数の弟子たちとの効率的な協働制作のシステムを確立して、速度ある絵画の大量生産を行なった。”そのためには、“モデルとなった人々を、決して過度に理想化したり象徴化したりはしない。クラーナハはむしろ、ザクセン選帝侯をはじめとする人物たちの、広く社会に流通し、後々まで長く記憶されうる「顔」の定型をつくりあげたのである。その一方、女性の肖像画には、少し違った意味での類型化、または抽象化が見られる。”と説明されています。これが分かるには、ひとつの作品を見るだけでは十分ではなく、この展示のように相当な作品数が並べなられていると、真相を暴き立てられるように分かると思います。ただし、ここに展示されている肖像画をひとつ取り出して鑑賞する、ということではもの足りなくなると思います。だから、このコーナーについて書いていく量と、展示されている個々の作品に対する評価とは必ずしも比例するとは限りません。 「ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール」(左図)についてです。最初に見た(前のコーナー)「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」(上左図)と比べてみると、同じような帽子を被り、同じような毛皮の襟で、背景は色こそ違いますが一面に色を塗って人物のみを浮かび上がらせています。つまり、構成やパターンは同じです。そのパターンで描かれるモデルの人物の顔を当てはまることで、肖像画としての画面が出来上がることになります。まるで、工業製品の生産ラインでモジュールを組み立てて完成されるようなものです。例えば、自動車の生産ラインでは、一本のラインを自動車の車体が一体ずつ流れてきますが、プラットフォームという車体の土台がラインを流れてきて、そこにひとつひとつの部品ではなくて、部品をある程度まとめて部分となったものを車体に組み込んでいきます。その部分はある程度完結されていて、その中で調整がされていて、それを車体に組み込んで、他の部分と組み合わせて自動車の完成に導かれることになるわけです。また、このラインの中で、この組み込んでいく部品の種類を変えることによって、異なった種類の自動車を生産することができます。一本の同じラインで、ことなったブランドの自動車を同時に生産できるわけです。例えば、同じシャーシ、エンジンでも、別のギアサスペンションを組み込むことで、高速車体のスポーツ車体になったり、街中のストップと発車を頻繁に繰り返すファミリーカーになったりするわけです。話が肖像画から離れてしまいましたが、今、この二つの作品でみれば、単色を塗られた背景、帽子、毛皮の襟などの同じモジュールで共通化して生産ラインに流していて、顔のモジュールだけ変えて、別の完成品にするようになっているのではないかと思います。そこでは、肖像画の部品を組み合わせて顔という基幹部品を取り替えることによって、様々なひとの肖像画を効率よく生産することができる。それが、解説されていた“素速い画家”ということになるのではないかと思います。 この場合、そういうクラーナハの肖像画の制作において顔が重要な部品ということになります。その顔を見てみましょう。同じ会場に展示されているデューラーの描く顔(右上図)と比べると、クナーナハの特徴が浮かび上がると思います。デューラーの描く顔は、まるで解剖しているかのように骨格から筋肉の筋の一本一本が分かるくらいに陰影がつけられ、肉の厚みが彷彿できるように分厚く描かれています。これに対して、クラーナハの肖像画の顔は、ずっとあっさりとしていて、陰影の深さではデューラーには敵いません。例えば鼻の存在感はデューラーの場合には鼻梁に光が当たり、顔に影が生じる陰影が深く、鼻と頬のところの肌の色合いが微妙なグラデーションで塗り分けられています。デューラーに比べれば、クラーナハの場合には、陰影や塗りは薄っぺらになっていて鼻は顔で肉が盛り上がっている存在感は稀薄で、輪郭線が引かれて鼻のかたちが表わされているように見えます。これは、デューラーと比べた違いを際立たせるために極端に誇張した説明をしているので、実際のデューラーとクラーナハは上述の方向に寄っているくらいに受け取ってください。このようなクラーナハの顔の描き方について考えられることがあります。第一に、宮廷画家というお雇いの立場で、神聖ローマ帝国の諸侯や騎士といった身分の高い人々の肖像を描くのに、その身分の高い人々が肖像のモデルとなって画家の前に立ってくれる時間は僅かしかなかったでしょう。そこで、分厚く塗り込んで、詳細に描き込むことができるほど、モデルを十分に観察することはできなかったでしょう。そういう限られた条件で水準を満たす肖像画を完成させるためには、モデルの特徴を素早く把握して、その特徴をベースとなる肖像画のパターンにはめ込むことです。つまりは、標準的なベースモデルをカスタマイズすることに近いと思います。第二に、第一の点では限定された条件のもとで品質を落とさないで作品を制作するための方法を確立したことによって、今度は、当のクラーナハ自身の視覚にフィードバックが起こったのではないか。第一の点と第二の点は、いわば卵が先か鶏が先かという循環した問題かもしれません。つまり、ベースモデルをカスタマイズするような制作方法を採るということ、そのような描き方をするということは、その前提としてそういう見方をしているということです。そして、そういう描き方を追求していくならば、その前提となる見方を進めていくことになります。それは、つまりデューラーのように物事を深く見極めるという方向ではなくて、物事の表面的な突出した特徴を瞬時に取り出す、そのためには類型的に物事を見て、その類型から飛び出してしまうものを特徴として見出せばいいわけです。そういう類型として物を見るということを突き詰めれば、記号に至るわけです。それは、デューラーのようにリアリズムとは異なる方向です。もともとクラーナハという人が、ルネサンスの画家たちのような写実的な見方をする人ではなかったのかもしれませんが、類型的、記号的な作品を描くということが、画家の見方に影響を与え、規制していった可能性は否定できないと思います。その結果として、クラーナハが描いている類型的、記号的な作品は、実はクラーナハに見えている世界を映し出しているものであった。ということは言えないでしょうか。クラーナハという人は、そのようなものの見方をする人だった。そして第三に、この辺りから私の個人的妄想の様相を呈してきますので、眉に唾をつけて備えてほしいと思います。前のコーナーのところでクラーナハの作品の画面構成力について触れましたが、見る者の視線を誘導して、画面を見ることによるストーリーを作り出していくことができるということでしたが、そういう画面作りをしていくためには、作品内の登場人物などは記号的な方が適しているわけです。記号的であれば、画面の中で人物を操作しやすくなります。また、見る人も視線も画面内の人物が生き生きとしていて存在感があれば、そこで止まってしまって、画面の構成から物語に引き込むことが難しくなってしまいます。これも、記号的な人物が先か、画面構成でものがたりを作る志向が先か、はっきりしたことは言えませんが、少なくとも、記号的な人物の描き方がなかったらクラーナハの作品のものがたりを感じさせる構成はできなかったはずです。そして、最後の第4点目として、そういう画面によってものがたりを作り出すということは、クラーナハは世界を、そのように見る視点を持っていたことを強く推測させることになります。つまり、世界が現実にあって、それを忠実に見て、画面に写すというリアリズムとは異質な、視線によって世界を自分で構成してしまおうという志向です。おそらく近現代の画家たちのように理論によって、そのようなことを方法論的を組み立てることなどなかったはずですから、クラーナハという画家の身体感覚で、眼で、そのように世界を感じていたのではないかと思えるのです。それが、この後で見ていく、およそリアリズムとはいえない作品は、クラーナハにとっては身体感覚や眼で感じ取ったままを描いているものになっている、と思えるのです。 作品から離れたお喋りが長くなってしまいました。最初のところで男性の肖像画を見たので、女性の肖像画を見てみましょう。「ザクセン公女マリア」(左上図)という作品です。この作品と「ジビュレ・フォン・クレーフェ」(右上図)という作品を並べて見てみてください。同じ人物を描いた作品のように見えてしまいます。しかも、人物のポーズも衣装の形も同じようなもので、まるでマンガのキャラクターのようです。両方とも顔の大きさと身体のバランスがとれていなくて、顔が大きすぎて、しかも身体かに浮いているように感じられます。このことは、顔というパーツが肖像の人物を分けて、特徴づけるためのツールであることを顕わにしていると思います。これらの作品のように全く同じと言うわけには行きませんが、「シュライニッツの夫婦」(左下図)の1対の肖像の夫人のほうを見ると、ポーズ(手の組み方、顔を描く向き)や衣装、頭の被り物、背景などはパターンを踏んでいるのが分かります。 最後に、息子のクラーナハの描いた「ザクセン選帝侯アウグスト」(右下図)という夫婦の全身像になると、類型性よりもリアリズムの傾向が強くなってくるので、この肖像画のコーナーで展示されていた作品の中で、一番見易かった。それだけ、クラーナハの作品というのは、リアリズムに慣れた眼からは異質に感じられる、悪く言うと下手に見える作品なのです。 3.グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ 当時の版画は大量に刷られて大衆に行き渡ったメディアのようなもので、そこで画家たちは実験的な表現を試みたと説明されていました。クラーナハは主に木版画を多く手がけたそうです。このような画面で画像として見るとそうでもありませんが、展覧会場で紙に刷られているのを見ると、油絵の作品に比べて小さくて、色もない、またガラスケースに収められたものを遠めに眺めるようになっているので、何とも見難くて、会場では素通りのようなものでした。したがって、軽く触れて、次のコーナーに行きたいと思います。 「聖アントニウスの誘惑」という作品です。2作品が並べてありますが、右のはマルティン・ショーンガウアー、そして左の作品がクラーナハのものです。聖アントニウスの3世紀の人で、二十歳を過ぎて一念発起して信仰に生きるために苦行を始めます。その第一の苦行において、この作品の題材である「聖アントニウスの誘惑」といわれる、悪魔が現れては、財産、妹のこと、家族の絆、金銭欲、名誉欲、食欲、人生の楽しみごとといった、彼が断ち切っていた現世のもろもろのことをまず最初に、そして最後には美徳のきたなさ、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにと挑みかかってきたのです。左側のショーンガウアーの作品は中央の老人の姿の聖アントニウスの周囲に群がるように怪物の姿をした悪魔がまとわりついて、アントニウスを引っ張ったり、叩いたりと、様々なことを仕掛けている場面が描かれています。これに対して、同じ題材を扱いながらクラーナハの場合には、ショーンガウアーと同じように怪物たちにまとわり付かれて空中に持ち上げられ、引っ張られ、叩かれと仕打ちを受けていて、それが怪物たちとアントニウスが渾然一体となって見分けがつかなくなっています。一見すると、アントニウスと怪物が融合してしまったように見えます。どこを探しても、眼を凝らしても、ショーンガウアーの作品にあるような老人の姿を見つけることはできないのです。しいて言えば、怪物たちに引っ張られたり、もみくちゃにされる隠者の僧衣があるだけなのです。このクラーナハの作品ではアントニウスという人物が描かれているというよりも、彼の衣装と怪物たちにまとわり付かれ、さまざまに仕打ちをうけるモノがあるだけなのです。そのしるしからアントニウスということが分かるので、ここで敢えてアントニウスを描く必要がないということです。それよりも、ここでショーンガウアーと違って際立っているのは、怪物である悪魔の仕打ちの凄まじさであり、画面の主役はクラーナハの作品では間違いなく怪物たちです。だから、怪物たちの現れている背景の町の風景や手前の樹木を描きこんでいるのです。その対比と、見る者にとっては、現実的な風景の中に怪物がいるかのように見せているで、作品の中に視線を入り込みやすくしていると言えます。
4.時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相 ここからが核心部分です。主催者のあいさつやポスターの惹句に触れられているクラーナハの特徴、“特異なエロティシズム”とか“官能的”というのは、ここで展示されている裸体像から受けるイメージだろうと思います。 「ヴィーナス」(左図)という作品です。“ニュートラルな黒い背景のなかに立つ、華奢な裸婦の魅惑、彼女は自身の恥部を、透きとおった布で覆っている。が、それは覆いとしての用をなさない。クラーナハはその布とともに、このヴィーナス像が観者に対して発するエロティックな刺激を強調してみせるのである。明るく照らされた肌は、暗い背景とコントラストを生み、優美な曲線の輪郭を浮かび上がらせる。それによって、品よくかたちづくられた柔らかな身体の動きが際立つのだ。これらと全く異質なかたちの戯れをなすのは、透明なドレイバリーが刻む繊細な襞である。それらは観者の視線を暗い背景から、本来であれば覆い隠されるべき身体の部位へと誘う。このように女性の刺激を攻撃的なまでに放つ表現は、美術史家たちが異口同音に語るところでは、ただひとつ、このヴィーナス像にのみ導入されているのである。”解説の説明を引用しましたが、そういうものだろうなという特徴をもれなく伝えていると思います。 ただし、ここで説明されていることは、結果論としての議論と言えます。クラーナハの「ヴィーナス」が官能的であるであるという結果から、その要素を探し出しているという文章です。ここでは、クラーナハが官能であるとして、その官能の内容とか性格、つまり、どのようなものかは説明されていません。例えば、同じヴィーナスの裸体を描いたフィレンツェ・ルネサンスのボッティチェリ(右上図)との違いは、恥部を隠しているかいないかだけではないはずです。というよりも、私にはクラーナハの作品に官能性を感じられるのか疑問が残るのです。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」に官能性を感じた人がクラーナハの「ヴィーナス」に果たして官能性を感じるのでしょうか。疑問を感じます。私の個人的な好みかもしれませんが、ボッティチェリのヴィーナスの方が女体としてアピールする要素をひととおり備えているように見えます。これに対して、クラーナハのヴィーナスにはボッティチェリのヴィーナスのように女体としてアピールする要素を満遍なく備えてはいないのです。例えば、引用した解説が触れている肌の色について見れば、ボッティチェリのヴィーナスの方が仄かに赤らむ艶やかさがあります。むしろ、クラーナハの方は蒼白く、硬い磁器のような感じがします。そこには、生き生きと息づき、発散するような生気がないのです。おそらく、クラーナハのヴィーナスに官能性を感じるという人は、そのような不完全さのところこそが、大きく惹きつけられるものなのだろうと思います。もし、ボッティチェリもクラーナハの作品そのものの女性が現実に目の前に現れたとして、そのどちらに惹かれるでしょうか。偏見かもしれませんが、男性が対する場合に、たとえ作品ではクラーナハの作品の方を好む人であっても、それが現実の女性ということになれば、ボッティチェリの女性の方を抱きたいと思うのではないでしょうか。極論になりますが、単純化して言うと、ボッティチェリのヴィーナスの官能性というのは官能的な女性を描いたというものであるのに対して、クラーナハの場合には、描いたものが官能的に見えるというものになっていると思います。 細かいところの話からになってしまいますが、さきに例示したヴィーナスの肌を例にとって、クラーナハの作品に対しての私の感じ方を説明し易いので、ここで少しこだわることにします。前のコーナー、クラーナハの肖像画のところで、クラーナハの作品の人物が規格化、記号化される傾向があると述べました。つまり、人物をありのままに描くのではなく、描かれたものが人物と分かればいいのです。しかも、それが分かり易いのであればなおいい。まどろっこしいと思われるかもしれません。この二つが分けられることなく、二つとも兼ね備えた作品もたくさんあります。しかし、クラーナハの作品はそうではない。そのことは肖像画のところで述べましたが、それは作品の作られ方が、芸術作品であると同時に工業製品のような作られ方もしているというところからです。しかし、そのような規格化された人物表現からどうして官能性を感じることができるのでしょうか。それは、実際の女性の魅力として滑らかで柔らかな肌の艶を、そのまま作品に定着させることができれば、そこに女性の魅力が表されているといえます。ところが、それをリアルに表現するということは並大抵のことでは、できないと言えます。それを表すために画家たちは工夫や修練を重ねて、巨匠と言われる人は独自の表現で、それぞれに行なっているわけです。しかし、それを工房で巨匠でない職人が同じレベルでやるのは不可能に近い。そうであれば、規格化された描かれた人物に官能性が感じられるような仕掛けを考えることになります。クラーナハのヴィーナスの肌が蒼白く硬い磁器のようなのは、そういう仕掛けのためではないかと思われるのです。それは、ヴィーナスの背景が黒く塗られた抽象的な背景で、暗闇のような雰囲気を作り出していることと関係しているのです。つまり、この青白い肌は、それ自身が官能的というよりも、黒く塗られた背景との関係で官能性を生んでいると思えるのです。肌の白さは背後の黒い世界の中で際立って浮かび上がってくるように目に映ります。もし、かりにボッティチェリのヴィーナスのような赤みを帯びたグラデーションのある肌色がここにあっても、なかなか、それと分からないと思います。ボッティチェリのヴィーナスは地中海の輝かしい陽光に照らし出されるもので、このような暗い世界の中では、視野が限られてしまって、折角の肌がみえにくくなってしまいます。これに対して、クラーナハの不健康なほどの蒼白さは暗闇の中では、印象的に目立つのです。しかも、暗いところでは微妙な陰影まで見分けることができません。だから白一色がベタ塗りのように一様に塗られているほうが識別し易いのです。そこでグラデーションは最小限に抑えるほうが効果的ということになります。そういう描き方であれば、何も巨匠の芸術家でなくても、それなりの技術のある職人で十分です。これは、日本人であれば理解できる美意識ではないかと思いますが、昔の日本女性の美人条件は瓜実顔で色白の肌というのがありました。それは暗い日本の室内では、白い顔が浮かび上がり、顔の輪郭がハッキリしているタマゴ形の輪郭で、鼻が低くて平面的なほうが白い顔をよく見えるので、印象的なのです。クラーナハのヴィーナスも同じような効果で印象的に見せているといえます。また、身体つきについても、乳房が小さいのも、身体の凹凸による陰影をつけるよりも平面のようにして白い身体の輪郭を暗闇から際立たせるために必要だったというわけです。逆に下腹部が大きくなっているのは、その部分は横の広がりがあるため、凸凹の陰影でなくて輪郭でそうとわかる強調ができるためで、そこで女性らしい身体の輪郭を強調しているためと考えられます。 そうであれば、恥部を隠さずに“透きとおった布で覆っている。が、それは覆いとしての用をなさない。”ことの説明もできると思います。それは、以前にも触れたような、画面について見る者の視線を誘導する効果を狙っての仕掛けと考えることができると思います。あるかないか分からないような、薄い透きとおった布で蔽われていれば、何かがあると見る人の視線は、却って引きつけられます。そのひきつけられた先は恥部なわけです。意図的に、人々の視線を集めるような構成になっているわけです。その動きにしたがって恥部に視線を導かれることにより、女性の官能性ということに見る者は導かれることになるというわけです。したがって、このような画面の作り方をすれば、その描く対象は何でもいいということになります。重要なのは、画面のつくり方、描き方です。従って、描く対象が異なり、作品タイトルが違うものの、同じパターンの作品が量産できることになるわけです。 クラーナハ(子)「ディアナとアクタイオン」(右上図)という作品は、上で述べたクラーナハの官能性についての、自己パロディのような作品になっています。ここで描かれている裸婦たちは、一様です。この群像の中で、誰が女神アルテミスであるか見分けがつきません。それぞれの女性は女性の官能性の記号のようになっていて、それぞれの女性の個性とか存在感は考慮されていません。 「泉のニンフ」(左図)という作品です。ここには、「ヴィーナス」に加えて、さらに手の込んだ仕掛けがあるようです。解説で説明されていることを拾うと、女性の身につけている装飾品や頭の下に敷いている赤いビロードの衣装は、描かれた当時の16世紀のもので、古代のニンフではなくて、同時代の女性であることを明らかにしていること。画面左には、ラテン語の銘文があって、そこには「われは聖なる泉のニンフ。われは憩う。わが眠りを妨げることなかれ(FONTIS NYMPHA SACRI SOMNVM NE RVMPE QUIESCO)」と書かれていて、見る者は自身の欲望を自覚させられる、というのも、見る者はニンフの穏やかな眠りを妨げぬように欲望を抑えることを要求されていることになっていること。画面右手の樹木には弓と矢筒が吊り下げられ、その下方にはヤマウズラのつがいがいるのは狩猟の女神ディアナの存在を暗示しているが、ディアナはニンフたちに、誰にも裸を見せてはいけないと命じた女神であること(前の作品である「ディアナとアクタイオン」は誤ってディアナの裸を見てしまったアクタイオンは、その報いで女神に嬲り殺される)。また、この作品のニンフのポーズはほぼ同時代のティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に代表されるような恥じらいのヴィーナスのポーズです。両者を比べると生々しさの違いが分かります。それも含めて、私には、クラーナハの作品を見ていると、官能性にということについて、操作的である、つまり観念性を感じる、ということはメタレベルで官能性とは、どのようなことであるかを意図的に試して、その観念に従って人工的に作ろうとしているように思えてきます。そんな面倒なことは、クラーナハと同時代の人々は考えもしなかったと思います。しかし、現代の私にとって、クラーナハの作品を見る意味は、そのような屈折したところにあるのではないかと思われてくるのです。
5.誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系 おそらく、この美術展独自のテーマなのだろうかと思います。主催者あいさつで“特異なエロティシズム”とか“官能的”という要素でクラーナハの特徴を述べられていましたが、その代表的な表われとして、よく分かるのが前のコーナーの裸体画でしょうか。そして、隠れたテーマ系として美術展のキュレーターがピックアップしたのかと想像します。“絵はひとを誘い、また惑わせる、クラーナハはそうした「誘惑」の作用を、誰よりもよく知っていたはずである、この画家が描き残した、じつに多様な作品群をあらためて眺め渡してみるとき、いくつもの絵が、それとなく共鳴しあっていることに気がつく。互いに無関係であるかに思えていた複数の作品が、ある種の集合的な「誘惑」のイメージとなって立ち現れてくるのである。つまり「女のちから」、また「女のたくらみ」と呼ばれるテーマ系を、クラーナハは、さまざまな異なる主題の絵画を通じて織り上げていたのだ。”そして、“クラーナハは、こうした「女のちから」というテーマ系を、おそらくは自身の芸術の根幹をなすものとみなし、何度となく、くりかえし描いた、そこにはもちろん、教訓的なメッセージが込められていた。まさに「女のちから」には気をつけよ、という男性に対する警告である。だが、問題なのは絵のなかの男たちが「女のちから」に負け、身を滅ぼすということだけではない。重要なのはあくまでも、クラーナハの絵そのものが、それを見つめるわたしたちを誘惑するということだ。ゆえに、ここでの「女のちから」とは、絵画が放つ「イメージのちから」のことでもある。後世の少なくないアーチストたちが、クラーナハによる「誘惑」の絵画に惹き寄せられてきたのも、どうやら偶然のことではない。”と引用が長くなりましたが、説明されていました。それは、私には、前のところで述べてきましたが、クラーナハの画面は見る者の視線を誘導するような構成が考えられている、と言うことではないかと思います。強引に自説を主張するつもりはありませんが、引用した解説のような「女のちから」ということがあるとしても、ここで展示されているクラーナハの作品で描かれた女性たちは、男たちや見る者を誘惑するほどの強い魅力に溢れているか。わたしには、とうてい、それほどの強い魅力を感じることが出来ないのです。絵画で描かれている題材が誘惑のストーリーであるとして、その誘惑というストーリーのなかで、誘惑が成り立つためには誘惑するものがなければならない、そのようなパーツ以上のものとは感じられません。この場合、女性よりも誘惑というストーリーが優先され、その誘惑というストーリーは、見る者の視線を誘導するという画面効果のために格好の題材として持ち込まれたといったほうが、私にはしっくりくるように思えます。これは、私という偏見をもった個人が、展示されているクラーナハの作品を見た印象から導かれたことです。 「不釣合いなカップル」(左上図)という作品です。風刺画のように滑稽にデフォルメされているように見えます。そのデフォルメによって、画面の二人の人物のうち左側の男性の滑稽さ、愚かさの方が目立っていると思います。右側の女性には、誘惑しようと言う意志的なところが見えません。男性のニヤついている下卑た顔つきに比べて、女性は人形のように表情がありません。私には、クラーナハという画家が、イタリア・ルネサンスの画家たちのように描く題材がある程度決まっていて、女性であれば理想の体型を具現化した女神であったり、人として理想の姿といえる聖母マリアや聖女といった人、あるいは肖像画のモデルとなる人々であったり、を写実的に理想化して描くことに手練手管を尽くすといった方向には行かなかった。というより、行くことができなかった。それで、クラーナハは自身が画家として生き残るために、イタリア・ルネサンスの画家たちとは別の道を行かざるを得なかった。では、彼は自身、何ができるのか。彼が描くことができて、その描いたものに適した題材といったことです。それは、上述のイタリア・ルネサンスの画家たちのとは異なります。そこで、たまたま出遭ったのが、このような題材だったのではなかったのかと思います。そして、それが人々に受けた。それで、クラーナハは「これだ!」と思ったのではないでしょうか。それで、この題材の作品を量産するように多数制作した。そうしていくうちに、クラーナハ自身、この題材を描くことに習熟していった。それが、画面構成でストーリーを作り出し、見る者を導く手法を磨き上げることになったのではないか、と勝手なストーリーを妄想したくなります。 「サムソンとデリラ」(左図)という作品です。旧約聖書の士師記にあるペリシテ人との戦いで超人的な怪力をふるって戦ったサムソンの力源泉である髪の毛を、デリラという女性が誘惑して眠らせている間に切ってしまうというエピソードです。いうなれば、誘惑する女の有名なエピソードのひとつです。これも、画面の視線は、誘惑して髪の毛を切ろうとするデリラよりも、だらしなく眠りこけるサムソンに集まるようになっていないでしょうか。主役はサムソンです。それは、背後の木陰にいる兵士たちの視線は二人、とくにサムソンに向けられていることと、サムソンが中央にいること、デリラはサムソンを見ているのに、サムソンは見返していないことなどから、サムソンが見られる存在として描かれていることは明らかです。それにしても、裸女をたくさん描いていて、しかも、旧約聖書の古代の誘惑する女です。私は19世紀世紀末の象徴主義のファムファタールの影響を受けすぎているかもしれませんが、例えば、ギュスターヴ・モロー(右上図)のようにデリラを主役にして、彼女の誘惑する存在であることを際立たせることだって可能なはずです。クラーナハはそれをしません。そういう時代で、節度が求められたということはあるかもしれませんが、「泉のニンフ」のような作品を描いた人ですから、モローほどではなくても、そのような方向性で描くことはできたはずです。しかし、クラーナハはしていません。そのことは誘惑の源泉として「女のちから」を描こうしたのではない、と私には思えます。 「ホロフェルネスの首を持つユディト」(左下図)という作品です。展覧会のポスターでも使われている、この美術展の目玉のひとつなのでしょう。旧約聖書の外典「ユディト記」のなかで、アッシリアの強力な軍勢に包囲されていたユダヤの街ベトリアを若く美しい未亡人ユディトが救った話を題材にしています。彼女は自身の魅力的な振舞いによって、アッシリアの司令官ホロフェルネスを酒に酔わせ、その首を剣で斬り落とし、軍隊を敗走させました。“中世の伝統にしたがうなら、ユディトの像は例外なしに「美徳」を表わす。その場合、並外れて強力なちからをもった司令官ホロフェルネスに勝利した彼女は、サタンを打ち負かすマリアの予型ともなる。また寓意的な観点からすれば、ユディトは「節制」の美徳と同一視され、「快楽」という悪徳を克服するものとみなされる。けれども、かように肯定的な含意をともなった解釈が絶えずなされてきた一方で、ユディトの物語は15、16世紀には「女のたくらみ」と呼ばれる表現の枠内でも知られるようになった。すなわち、女性の魅力的なちからには気をつけよ、という警告を観者に向けて発する画像のことである。”と長い引用をしましたが、ユディトのエピソードが「女のちから」として捉えられるという説明です。で、この作品について、“敵将ホロフェルネスを惑わせ、その首を斬り落としたユディト。その姿はときに英雄的に、またときに蠱惑的に表わされてきた。だが、クラーナハが描いたほど醒めきった姿のユディトが、他に存在するだろうか。過剰なまでに豪奢にまとわされた装飾品の饒舌さとは裏腹に、そのユディトは自身の表情や身振りによって何も語ろうとしない。いや、彼女はみずからで明示的なメッセージを発することを避けるばかりか、こちらの感情移入までをも拒む。いっさいの情緒を抜きとられたかのようにして、斬り落としたホロフェルネスの首を、身じろぐことなく差し出すのである。” 引用が長くなりましたが、この作品の場合には、作品自体以上に、この解説のように作品に付随するものが付加価値として作用しているように思えるので、敢えてそうしました。私は鈍感なのかもしれませんが、実際のところ、事前に何の情報もなくて、虚心坦懐にこの作品に向かって見ていると(今となっては、そんなことはありえず、あくまでも思考実験のようなことになりますが)、この作品の画面の中の女性の部分だけを取り出してみると、つまり、引用した解説の“過剰なまでに豪奢にまとわされた装飾品”を取り去って、物語の場面のようなところも取り去って、単に顔の部分だけを取り出して見ると、生気も表情もない能面のように見えるのです。他のクラーナハの作品で普通に見られる記号のような女性の顔としてみることのできるものであることが分かります。例えば、この作品と同じようなアングルで女性を描いている有名なダ=ヴィンチの「モナリザ」と比べるのもおかしいかもしれのせんが、「モナリザ」の場合には、背景などの女性以外のところはほとんど見ません。女性の微妙な表情に神秘性を感じるように、描かれている女性が中心です。このクラーナハのユディトに「モナリザ」の女性ほどのそれ自体で人を魅了してしまうほどの存在感とか生気とかは、残念ですが感じられません。では何があるかと言うと、その女性を印象的に見せている画面構成ではないかと思います。衣装とか、剣とか、背景とかホロフェルネスの首といった要素が画面にあって、それらがアンサンブルを作り出すようにユディトを際立たせ、見る人の視線を誘うようにしているところに、この作品の特徴があると思います。端的にいうと、この画面の女性はコスプレをして、画面全体は見る者を場面に誘い女性と、そこで共演するように錯覚させるように仕掛けている、端的に言えば風俗産業のイメクラのようなものではないかと思います。一方、ユディトのものがたりの場面としてのドラマチックな迫真さとかリアリティの点で見ると、カラヴァジョ(右上図)やジェンテレスキ(右下図)の作品のような映画を見ているような、目の前で事件が起こっているかのような作品に及ぶべくもありません。クラーナハの「ユディト」には、そういうリアルなところはなくて、さきほどいみじくもイメクラに喩えましたが、そのような偽物のまがいものめいた薄っぺらさがあります。例えば、カラヴァジョやジェンテレスキの作品とは違ってクラーナハのユディトはホロフェルネスの首のほうに視線を向けず、あらぬ方向を眺めています。つまり、画面の中で二人の関係が示されていないのです。カラヴァッジョやジェンテレスキの場合には、ユディトはホロフェルネスを敵として凝視するように視線を向けていますが、クラーナハの場合にはそれがなくて二人は画面の中で並列されているだけです、まるでテーブルの上に茶碗が並んでいるように、たまたま同じ画面にいるとでもいっているようです。それが、よく言えば記号性ということで、それが画面にリラックスしたような余白をつくり出し、そこに見る者の想像力を参加させる余地を作り出しているのではないかと思います。画面を見て、ユディトとホロフェルネスの首の関係をあれこれ想像して愉しむ余地を与えてくれているということです。おかしな喩えかもしれませんが、現代のサブカルチャーの世界で、マンガやアニメのキャラを使って二次創作のパロディ同人誌が作られていますが、ダ=ヴィンチやカラヴァッジョやジェンテレスキの作品からはそのような同人誌は生まれるとは思えませんが、このクラーナハの作品からは生まれる可能性がある、そのような性格の作品ではないかと思えます。
6.宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
宗教改革者マルティン・ルターの肖像(左図)をクラーナハが数多く描いたということで、とくにひとつのコーナーが設定されたというものでしょうか。歴史の教科書で見たことのあるルターの肖像はクラーナハによるものだったのでしょうか。私には単にその程度の展示で、クラーナハの作品の中で、とくにどういう特筆すべきものがあるようには思えません。単にモデルが歴史上の有名人というものでの話題性でしょうか。数点展示されているクラーナハによるルターの肖像画については、その程度のものとしか私には見えませんでした。 そんなものよりも、このコーナーではデューラーの「メランコリアT」(右図)を見ることができたのは、思わぬ収穫でした。この作品を見ることができただけでも、この展覧会にきた甲斐があったとおもいます。その他にも、デューラーでは「騎士と死と悪魔」も見ることができて、有名な2作をみることができました。しかし、デューラーには触れずに、クラーナハの感想を続けることにします。クラーナハの「メランコリア」 (左下図)を見ましょう。デューラーの作品と同じタイトルで、しかも、デューラーの作品にインスパイアされるようにして制作された作品らしいのですが、あまりに違うので驚いてしまいます。デューラーの場合は版画ではありますが、線描によって対象物を捉え尽くそうという姿勢が強くうかがわれて画面の幾何立体や方陣、コンパスや砂時計や秤や梯子など、どれだけ謎めいた細部、様々に解釈できそうな余地を備えていようと、ハッキリした輪郭線が個々の事物を際立たせています。これに対してクラーナハの線には、画面内の人物とその背景、あるいは描かれる対象物相互の境界を撹乱し、溶解させる傾向が見られます。場面上、複雑にうねり絡み合う膨大な線の集積は、デューラーの輪郭を浮かび上がらせる線とは対照的にすべてを呑み込み沈み込ませる線です。「メランコリア」の室内で、唐突に現われる異界は線遠近法に基づく空間構成からは逸脱していて、それは世界を縁どり、正確に認識しようとする態度とは別の動機で描かれている。これは、ヨーゼフ・ボイスの意見の引用です。ボイスは、このように説明して、クラーナハの絵画においては、合理に非合理が勝っていると結論付けます。このようなボイスの意見から見えてくる“二元論的図式によって、合理に対して非合理を、形式に対して不定形を、秩序に対して渾沌を、明瞭性に対して不明瞭性を、またルネサンスに対して中世的なものを優位に置く、ともかくも破滅志向のものだった。もっとも、個々の作品を見れば明らかなように、その破滅は、ごくわずかにしか表われない。現実と見紛うほどでは決してないが、かといって似ても似つかぬわけでもない、そんな偽物らしすぎず、本物らしすぎない微妙な再現性ゆえ、人はその絵画に感情移入しつつ、同時に居心地の悪さも覚えるという、両義的な体験を強いられることになる。…そもそも、この二元論的図式において重要なのは、相対する二者の間に優劣をつけることではなく、むしろ両者の間を行ったり来たりする、絶えず往復することであった。”とそのボイスの意見の説明があります。大袈裟な言い方とは思いますが、クラーナハの「メランコリア」を見ていて、居心地の悪さを感じるのは確かです。デューラーの「メランコリア1」が様々な解釈を生んでいるそうで、謎のネタがたくさんあって、ミステリアスだなというところで、そういうものとして安定しているのは確かです。これに対して、クラーナハの作品は下手そうなのだけれど、どう位置付けていいのか曖昧で、見ていて宙ぶらりんにさせられた感があり、それがデューラーにある見る者の安定感がなくて居心地の悪さに繋がると思います。むしろ、そういうところは、見てきたクラーナハのすべての作品に共通しているところで、それが露骨に見えるのがこの「メランコリー」という作品かもしれないと思いました。 |