ジョルジョ・デ・キリコ展─変遷と回帰
 

 

2014年11月11日(火) パナソニック汐留ミュージアム

都心の用事が予定より早く終わり、始めて訪れる美術館であるけれど、興味がないわけではない画家なので、少し足を伸ばすことにした。ホームページに新橋駅からのアクセスが写真を交えて親切に説明されてガイドに従って向かったが、途中、何度か迷ってしまった。それは、美術館とはいいながらパナソニックという企業のロビーの片隅に間借りしているような、まるで、パナソニックを訪問するような体裁になっているからだと思う。しかも、この会社はなんとなく雰囲気が暗い。業績が反映しているのかわからないけれど、その中にある美術館までの足取りは重くなったのは正直なところ。

会社の受付のような入場券の販売窓口で訪問カードのようなカードを受け取ってロッカーに荷物を預け(このカードキーには紐がついていて首から下げると会社を訪問しているような気分になる)。館内(というよりは室内)は広くはなく、展示作品の数が多ければ余裕がないという感じ、私が訪れたのは夕刻の閉館時間の1時間前だったので、入場客は多いとはいえないだろうけれど、室内の広さの感覚から余裕があるようには感じられなかった。

初めて訪れた美術館だったので、少し印象を書きましたが、ここからは本題のデ・キリコの印象について書いていきたいと思います。

デ・キリコという画家や作品については、恥ずかしながら、有名な少女が古代風の建物の広場で走っているイラスト風の作品を目にした程度でした。それもあって、例によって主催者のあいさつでの説明を引用することにします。“20世紀を代表する画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1888−1978)。イタリア人の両親のもとでギリシャで生まれた画家はね父親の死後、17歳でミュンヘンへ移り、同地で、アーノルド・ベックリンなどの北方の幻想的な象徴主義と、ニーチェの思想に大きな影響を受けました。1911年にパリを出たデ・キリコは、写実的でありながら現実離れした神秘的な雰囲気の作品を発表、詩人アポリネールによって「新しい世代のなかで最も驚くべき画家」と称され、画壇にその名を知らしめます。彼の生み出した「形而上絵画」とは、ありふれた日常の裏側に潜む、まったく新しい未知の精神世界を画面に出現させようとしたものであり、その斬新な手法は、後のシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。第一次世界大戦後、絵画のマティエールを重視した古典主義絵画への回帰の時代を経て、豊かな色彩と堅固な構成を得る一方、デ・キリコの画面には、馬や剣闘士など新たなモティーフが登場します。そして、ローマに定住した晩年には、初期の形而上絵画のテーマを再び取り上げた新形而上絵画を創造し、その芸術世界に新たな価値を与えました。─中略─、デ・キリコの作品は、現実と非現実の境を行き来し、観る者の不安や困惑を誘う一方で、その芸術に隠された大きな謎のゆえに、私たちを惹きつけてやみません。”少し長い引用になりましたが、おそらく一般的なデ・キリコ像に近いものであろうと思います。

さきにも書きましたように、私は予備知識もないところで作品を観てきた感想を、この引用を参照しつつ、まずは、デ・キリコの作品群の印象を大雑把に書いて、後で、展示された作品の個々の感想を綴って行きたいと思います。私が観たデ・キリコの印象は“軽さ”です。例えば、主催者あいさつの最初のほうで触れられている、デ・キリコか影響を受けたというアーノルド・ベックリンと較べてみるとよく分かります。ベックリンは象徴主義と言われる画家ですが、ここにあげた「死の島」(右図)は暗い空の下、墓地のある小さな孤島をめざし、白い棺を乗せた小舟が静かに進んでいくさまを描いた神秘的な作品と言われています。写実的でありながら神秘的な雰囲気の濃厚な作品で、このような言葉の形容だけであれば、デ・キリコと同じものになってしまうでしょう。しかし、印象はまったく異なります。それは、ベックリンには島の岸壁の重量感とか質感が表現されていて、画面に描かれた物体に存在感があるのに対して、デ・キリコにはそういうものが感じられないという点です。ベックリンの作品では、写実的で現実にありそうなもののように描かれた死の島と、島に向かう小舟に白いひとがたが独り立っている姿が、小さくしか描かれていないのに視線が集まってしまい異様さが目に付いて、不気味な印象を強くします。デ・キリコの作品には、このようなベックリンの作品にあるような迫力は感じられません。デ・キリコの作品は、ベックリンに比べると、平面的でノッペリとした画面になっていて、個々のものの輪郭はキチンと描かれているようなのですが、いかにも上手に描かれている画像という域を超えることはありません。私はデ・キリコの伝記的事実に詳しくないので、彼がアカデミックな技法を修行したのかは分かりませんが、作品を見る限りではベックリンほど習熟していないのは明白ですし、むしろそのような画面の迫力とかいうよりも、自分のアイディアを手軽に画面に活かせるような手段として絵画の表現技法を考えていたのかもしれない、というタイプに見えてきます。描く内容があって、それをいかに描くかというのは単純な議論で、逆に描いているうちに描くものが見えてくるという場合もあるでしょう。そのどこに重きを置くかは画家によって千差万別です。その中で、キリコは絵筆を握る手の比重が相対的に重くなくて、頭でアイディアを考えるタイプの人だったのかもしれません。その場合には、画面そのものに重い存在感があると操作しにくくなります。つまり、ベックリンの作品のような世界は、デ・キリコにとっても鈍重で融通の利かないものだったのではないか、と考えたとしても不思議ではありません。デ・キリコの場合は、結果として画面の出来栄えとか完成度よりも、アイディアを考え付いた時点である程度作品そのものが決まってしまう、というようなあり方であったような気がします。しかも、頭の中で考えるということは視覚的な実在というよりも、言葉で組み立てていくようなことになるので、彼の作品の中には、視覚的に生かされていないものも見受けられる(アイディア倒れ)、また言葉で考えると、視覚的なデリケートなニュアンスに言及することは難しくなるため、パターンの繰り返しが増えてしまうおそれがある。

私は、デ・キリコの作品の大きな要素は、画面に意外なものを持ち込んだことによって生じる違和感にあると思います。ブレヒト等の理論をデュシャンが実践した「異化」を作品画面の中に持ち込んだというものに近いものではないかと思います。ただ、デュシャンのような過激な形態をとらずに、作品を観る人に「あれ?」と思わせることで、なんとなく深い意味があるのではないかと錯覚させるというものだったと思います。そのためには、画面自体に迫力があると、画面自体が自立してしまって「あれ?」と思わずに納得されてしまうことになるでしょう。デ・キリコはそういう描き方をしていたからアイディアを特化させていかざるをえなかったのか、もともとアイディアを持っていてそれを作品にするために描き方を選択したのか、は初期の修作期の作品を見なければ分かりません。

それでは、個々の作品を観て行きたいと思います。なお、展示は次のように章立てされていましたので、その順で観て行きたいと思います。

T.序章:形而上絵画の発見

U.古典主義への回帰

V.ネオバロックの時代─「最良の画家」としてのデ・キリコ

W.再生─新形而上絵画

X.永劫回帰─アポリネールとジャン・コクトーの思い出  

   

T.序章:形而上絵画の発見

デ・キリコは20代の若さでパリで形而上絵画が評価されたということで、展示についても最初から、そのような作品が展示されています。これらを観ていると、奇を衒っているような感じがします。あくまでも後世から見ればの話ですが、当時は、それが批評家たちに天才的なとど言われたのでしょう。先のことになりますが、この次の展示である古典主義への回帰が始まるまでのあいだ、ここで展示されているような、いわゆる形而上絵画は10年にも満たない期間で制作されたということになります。具体的にここが、あそこがというような指摘はできませんが、よい意味でも、悪い意味でも、ここで展示されている作品を見ているとアマチュアリズムという形容が思い浮かびます。ものがたりの捏造をしますが、若いデ・キリコが思いつくアイディアを忘れてしまわないうちに形に残していった。その際に多少の仕上げの粗さは気にせず、時には描きなぐるかのように急いで作品を制作して行ったという印象です。それが、アイディアが汲めども尽きず湧いてきたと思われる若い頃をすぎると、頭の柔軟さがなくなってきて、また、作品を受け容れる批評家や顧客たちもデ・キリコの奇想にだんだん慣れてきて当初の衝撃が薄れてくる。つまりは、作品が飽きられてくる、というようなことで形而上絵画の生命は、それほど長く続かず、もともと土台がなかったデ・キリコは古典に助けを求めた、というようなフィクションです。

ただ、ここで展示されている作品には、若さゆえでしょうか、あまり些事にこだわらず、一気に描きたいものだけを描きたいように描くというような、一種のキレのようなものが感じられます。そこにある種の清新さがあるのは否定できないと思います。

「福音書的な静物」(左上図)という作品です。デ・キリコの形而上絵画のうちでも、とくに形而上的室内とよばれるものだそうです。“こうした作品は、ハイパー・リアリズムの表現で描かれることで、ふだん見慣れた事物の奇妙さを浮かび上がらせるものであった。謎めいたアトリエの中に共存するこうした事物は、古くからあるユダヤ人街の店先で目にする菓子類や定規とフレーム、何かの測定器具、小旗、おもちゃ箱、カラフルな大麦糖菓子、指標が書き込まれていない白地図、建物の斜面あるいは矛盾した遠近法、ひっそりとしたイオニア式円柱の影など。”と解説されています。たしかに、この作品が制作され発表された同時代であれば、ここで解説されたとおりだったかもしれません。しかし、およそ100年を経た目でみると、この作品から“ふだん見慣れた事物の奇妙さが浮かび上がる”というような衝撃は、はるかに薄くなってしまっていると思います。では、このような作品は時代の流行に乗った一過性の消費物のようなものだったのか、というと、私には、そういう側面は弱くないと思います。デ・キリコ本人はどうであったか分かりませんが、画商や周辺のデ・キリコを売り出した人々には、これで一発あててやろうというヤマッ気はあって、それがまんまと当たったというところではないかと思います。実際に、作品にそれに沿うような軽快さを備えていると思います。多分、その軽さという味が、100年後の2014年にデ・キリコの作品に見出した興味ではないかと私は思います。軽さというか、もっと具体的にいえば、キッチュさです。

この作品は題名からすると静物画ということになるのでしょうが、静物の置かれてある空間がはっきりしません。多分室内なのでしょうが、その室内のどこにそれぞれのものがあるのかという器の室内空間がはっきりしません。解説の意図に則して考えれば、そこに奇妙さがあるということになるのでしょう。しかし、それならば、もともとの空間を想定し、それを否定するような手続きを踏むはずです。しかし、この作品を見ると最初から、空間の感覚がないと言った方が適切なように思えるのです。つまり、事物を配置すべき空間という感覚が当初からなくて、たんに画面上に事物をぶち込むという印象なのです。その雑多な感じといいますか。そこに、室内にそぐわないようなものが、それぞれの関係を無視したように、なんの脈絡もなく詰め込まれている。喩えて言えば幼児のおもちゃ箱です。多分、デ・キリコは、これを描いているときは楽しかったのではなかったのか、そう思わせるものがあります。しかも例えば、右側中央の輪のようなものとその左の縦の長方形を見てください。解説から想像するに、ビスケットか何かではないかと思いますが、そう言われないと何だか分かりません。お菓子の質感とか、実在感とかがこの輪にはないのです。その上(後方ではないでしょう。画面上というしかないでしょう。)の定規についても、それらしい形状をしていますが、木製であれば厚みとか木の堅い感じとか重さとかスケール感とかがまったく感じられません。それは一種の抽象化された記号のような、“らしい”ものでいいのです。デ・キリコにはこれ以上リアルに描く技量は持ち合わせていなかったとであろうし、画面に“らしい”ものを入れ込むことで十分で、だからこそ観るものもリアルを感じ取ることなく画面の雑多な組み合わせを笑うことができることになるわけです。言葉遊びに駄洒落というのがありますが、この作品は言うなれば、視覚的な駄洒落というような事物の記号の組み合わせ遊びのようなものではないかと思います。それがキッチュさです。しかも、ごていねいに「福音書的な静物」などというものものしい題名がつけられているではありませんか。このような可笑しさが、この作品の魅力になっていると、私は、正直思います。

「謎めいた憂愁」(左下図)という作品。憂愁という題名にあるような憂いの色彩もなく、画面全体は鮮やかな色彩を対照させて、明確な印象を観る者に与えます。“魅惑と魔術の神であるヘルメスの胸像が、床の向こう側という謎めいた構図の中に登場する。床板の後ろに置かれたヘルメス像は、ビスケットが入った箱と色のついた積み木の間に引っ込んでいるように見えるが、こうした作品は、「機械仕掛けの幾何学的な亡霊のいる無限の奇妙さを」、「常軌を逸した我々の生活が過ぎ去る、まるでその場所の中に」起き上がらせるものであった。”このような解説を作品のたびに引用するのかというと、そうでないと画面に何が描かれているか分からないからです。敢えて言えば、デ・キリコは“へたうま”なのです。ただ、このような作品では、それで十分で、うまく写実的に描写されてしまったら、キッチュさは失せてしまいます。多分、この作品は、デ・キリコも参加しているような思いっ切りスノッブな人々の集まりのなかで、制作当初から意図だの内容だのが散々話題にされた挙句に発表されたのではないかと思います。だから、画面上方の人物なのか胸像なのかはヘルメスであることは、たんに作品を見ただけでは分かりません。伝統的な神話を題材にした歴史画であれば、ヘルメスを暗示する杖かなにかが添えられているのですが、そのようなものも描かれていない。ということは、デ・キリコには、意図とか何かをちゃんと画面を通じて伝えるというようなことは、あまり重視していなかったのか、不特定多数の人々を想定していなかったのか、です。多分、デ・キリコとしては後者の方ではなかったのかと思います。このような作品に解説にあるような評価をするためには、この画面に描かれているものについて予備知識やデ・キリコの傾向について知悉していることが前提になるからです。言ってみれば、スノッブな人々の自尊心をうまくくすぐり、もっともらしい高尚に響く議論を誘発するツールとてしてのニーズに応えるものとして重宝されたものであったのだろうと思います。今の日本で言えば、ちょっとアートっぽいマンガのようなものでしょうか。しかし、現代の日本で、美術館でこの作品を見る私はヘルメスをよく知りませんし、画面を見るだけでヘルメスとは分かりません。このヘルメスと現代の「テルマエ・ロマエ」(右図)で描かれたローマのパロディとどちらが上手かといえば、私は躊躇なくヤマザキ・マリに軍配を上げますが、この両者を較べるために持ち出したのは、一種のパロディとしてこの作品を見ることができると思うからです。言ってみれば、現代の私から見れば、この画面の中では、ビスケットも積み木も立て掛けられた棒もヘルメスも、もともと備えている価値とか意味を剥奪されて同列に並べられていると言えます。そこにあるごった煮の感覚というのか、キッチュさですね。権威を笑い飛ばすような結果になっている。そんなキッチュさがありながら、画面全体は静けさがあるので、ちょっと不思議な可笑しさがあるのです。

これは、私の想像ですが、パリとかローマのスノッブな人々に受け容れられ、サロンなどの集まりで談笑に加わりながら、制作する作品が、その人々にウケたので気をよくして、この方向でいいのだと作品を制作していたのが、いわゆる形而上絵画であったと思います。しかし、それも長く続くはずはなく、次第に飽きられてくる。そうすると、もともとアマチュアリズムでやっていたデ・キリコには技術的な土台がしっかりしていないため苦境に陥ってしまうことになる。そのときにすがったのが絵画の古典だったのではないか。それが。次の展示となると思います。

 

U.古典主義への回帰

絵を描くのが好きとか嫌いとかいう以前に、生まれながらの絵描きというタイプの人がいると言います。有名な画家には、そういう人が多く、例えばピカソなんかがその典型ではないかと思います。そういう人は、日常的に、何の構えもなく同然のように描いているという、考える前に手が動いて描いてしまう人です。例えば、レストランでディナーを食べて、普通の人は「美味しかった」と感想を述べるのでしょうが、それより先に手が勝手に動いてしまうように紙ナプキンにペンでたった今食べた料理の美味しそうなスケッチをサッと描いてしまう人です。おそらく、デ・キリコは、そういうタイプではないのではないかと思います。描くということをする前に、ワンクッションが入っているように作品を見て思いました。観念先行というのでしょうか。レストランの例で言えば、デ・キリコは料理の美味しさを、まず「美味しい」と言ってから、家に帰って反芻し、その印象を改めて何をどう描くかを考える、という感じがします。それは、展示されている彼のデッサンを見ると分かります。デッサンには描く喜びのようなことが感じられなくて、必要だから義務的にやっているような感じがするのです。

さて、この展示は「古典主義への回帰」というテーマです。形而上絵画で高い評価を得たデ・キリコでありましたが、言うなれば奇を衒ったような作品は、時の経過と共に人々の目に慣れてくれば、当初の衝撃が薄まってしまい、月並みなものになっていったと思われます。当時のフランスは1830年代のナポレオン3世のバブル経済政策によって大衆消費社会の端緒が発生し、教養とか趣味の蓄積を持たない大衆という新たな消費者が大勢の嗜好に流されるように、大量消費を始めた時代だった言えます。その消費傾向の副産物として生まれた潮流が流行という現象です。大衆は短期的な波のように繰り返される流行に乗せられるように、後から後から目新しいものを消費するというパターンが形作られるようになったといいます。絵画芸術の世界も、ハイ・アートなどといって超然としてたわけではなく、その担い手になっていたブルジョワは流動的な階層であって大衆から成り上がる人々も多く、大衆社会の影響から無縁でいたわけではなかったと思います。そんな中で、デ・キリコの奇想が一時的にもてはやされ、短期間のうちに飽きられて、次第に顧みられなくなってくるということは十分想像できることです。(実際は、そうだったのかは分かりません)奇を衒うということは、それを受ける人々の反応を考えて行うことです。ゴーイング・マイウェイで自分の芸術を脇目も振らず追求するのであれば、人々の反応を第一に考えることもなく、したがって奇を衒う必要などありません。つまり、デ・キリコは人々の反応を、つまりは自分の作品が人々に及ぼす効果をまず考えていた人であったと思います。そうであれば、奇想に人々が衝撃を受けなくなってきたことには敏感で、気づいていたのではないかと思います。奇を衒うということは標準的なパターンからの逸脱でありますが、それが度重なることになれば、今度はそれがパターンになってしまいます。いつまでも奇を衒うことを続けることはできない。そこで考えたのではないか。それが古典主義というのは、頭で考えるよくあるパターンでしょう。王道で行こうというわけです。しかも、当時は新古典主義の風潮もあったといいます。

「自画像」(右上図)を見ていきます。いわゆる形而上絵画の平面的な作風に対して、こちらは人物に立体的な厚みが表現されていて、あえて言えば普通の肖像画の雰囲気の作品になっています。しかし、古典の安定した画面とは、いささか印象を異にしています。デ・キリコという画家は素直ではないのでしょうか。どこかに屈折していて、ストレートに絵筆を執る前にワンクッションあって、グダグタ考え込んで恣意的な操作を加えてしまう癖があるようです。それは、形而上絵画ではなくて、この作品のような文法に従って素直に描けばよいような古典主義的な作品であるからこそ、そういう特徴が表われているのかもしれません。例えば、全体のバランスを少しずつ崩している(意図的なのか、下手なのかは分かりませんが、手の大きさの不均衡とか、顔の左右の不均衡とか)、過剰に細かく顔のところにマチエールを重ねているとか、敢えて生気のないような色遣いをして背景とのバランスが取れていないとか、また胴体を石像のように彩色しているのは趣向なのかもしれませんが、質感は石になっていないとか。重箱の隅をつついているようですが、デ・キリコというひとは、他の多くの画家と違って、描くということに何か懐疑を抱いていたのではないか、それが素直になれない原因はないか、と私には思えてきます。テ・キリコはニーチェをはじめとした哲学に親しみ、アポリネールをはじめとした文筆の人と親しく交わったのは、自分が描くということを信じられなくて、どこかで意義付けてくれる説明を求めていたのではないか、と私には思われるのです。人は何事かに熱中しているときには、その何事かに対して懐疑的になるということはありません。熱烈な恋愛の真っ最中の人は人生の意味等を考えないし、野球に熱中している人は野球の魅力は何かなどとは考えることもないでしょう。しかし、この同じ人が失恋をしてしまったり、野球チームの補欠に落とされてしまったりして、距離を置くことを強いられたときに、人生の意味とか野球のどこか面白いか、などと考え始めるのです。それが一般的で、絵を描くことに対しても、画家が疑問を抱くということは普通考えられないことでしょう。そんなことは画家の自己否定に繋がってしまうことになりますから。それが、デ・キリコという画家には絶えずあったのではないか。私は、デ・キリコの屈折には、そういうことが原因しているのではないか、と思われるのです。それが、描くことに対して、どこか屈折してしまって作品に投影されてしまっているのが、これらの古典主義的な作品には、表われやすくなっている、と私には見えます。それだけに、今見ると、形而上絵画よりも、こちらの諸作品のほうが異様な感じがするのです。

「母親のいる自画像」(左上図)もどこかわざとらしいのです。髪の毛一本まで丁寧に描いていながら、それが写実として髪の質感とかリアルな顔になるのではなくディテールが突出しそうな感じですし、背景の柱と人物と手前のテーブルと散りばめられた小物がちぐはぐな感じが強いのです。もっとも、デ・キリコだから一筋縄ではいかないという先入観で見ているからかしれませんが。

しかし、それまでの形而上絵画の平面的でスパッと切り捨てたようなキレはこのような作風になると後退してしまったように見えるというデメリットもあると思います。ここで展示されている「谷間の家具」(右図)という作品は、それまでの形而上絵画に則った作品ではあるものの、思い切りの良さが感じられない、穏やかさが入り込んでしまって微温的な作品になってしまっていると思います。例えば、色彩の緊張関係が希薄になってしまっていたり、空間構造の矛盾がなくなり、単に組み合わせの突飛さくらいしか残っていないことなど。この作品を見ていると、形而上絵画のアイディアが枯渇してきていたと言えるかも知れません。それを、誰よりもデ・キリコ自身が分かっていたからこそ、新たな展開を模索したのかもしれません。そういうデ・キリコにとっては、古典主義は絵画を描くことのベースとして土台になるということよりも、取捨選択のできるスタイルのひとつ程度の認識しかなかったのかもしれません。だから、作品を見ても、徹底して修行するというのではなくて、古典主義のスタイルを試してみようという程度のものだったような気がします。だから、古典主義がイマイチということであれば、他のスタイルにチェンジすることに躊躇はなかったと思います。 

 

V.ネオバロックの時代─「最良の画家」としてのデ・キリコ   

バロックは古典的で安定した画面に比べて空間を歪めて劇的な要素を強調したのが特徴で、古典主義と区別できるというのが私の見方です。この展覧会で“古典主義への回帰”と“ネオ・バロック”とを、特徴をどのように分けているか、よく分かりませんが、展示の説明ではルーベンスの作風の勉強した結果のようなことが述べられていたと思います。デ・キリコの作品では、平面的でごちゃごちゃにパーツを詰め込んだ画面では古典的な空間構成がもともとできていないので、この期に及んで空間を歪めるなどというまでもないことです。デ・キリコの場合には、古典主義とかバロックと形容することに意味はあるのか、むしろデ・キリコのトレード・マークといえる形而上絵画のパターンを取っていない作品と言った方が適当ではないかと、私は思います。

「秋」 (左上図)という作品。最愛の奥さんをモデルにしたという裸婦像です。堂々と大画面にドーンとヌードです。下世話な話かもしれませんが愛する妻をモデルにして作品を制作することはあるでしょうけれど、ヌードを、しかも大作で堂々と公表するなどと言う事が、男性としてどうなのでしょうか。普通に考えれば、奥さんの写真を年賀状やフェイスブックに貼ったりすることはあっても、ヌード画像を出すということはしないでしょう。デ・キリコは芸術家だから別ということでしょうか。私の勝手な想像ですが、デ・キリコには奥さんをモデルにして描いたという作品で、奥さんの裸と描かれた裸像を結び付けて考えなかったのではないか、と思うのです。つまり、描かれた作品が描かれたものを表わすということを信じていないからではないか。さらに言うと、描写とか表現の真実性を素直に信じていなかったからではないか。だからこそ、描かれた作品に対して感情的な態度を取ることがなかった。だから、奥さんの裸像を作品としても、その作品を公にすることに羞恥の感情を起こすこともなかった、と私は考えます。これは、デ・キリコの父親の世代に属するフェルディナンド・ド・ソシュールの言葉に対する考え方に似ていると言えます。ソシュールは言葉の恣意性といいましたが、「うさぎ」という言葉と動物のうさぎとの間には何の関係もないのです。私たちは何の疑いもなくうさぎという動物を「うさぎ」と呼んでいますが、それはたまたま、そのように決めているからにすぎません。だから恣意性というのです。仮に、日本人とある狩猟民族がお互いに言葉がつうじないまま茂みの前に並んで座っていたところに、茂みから突然うさぎが出てきました。その時、とっさに日本人は「うさぎ」と叫び、狩猟民族は「gavagay」と叫んだとしましょう。日本人は動物を見て「gavagay」という言葉は「うさぎ」のことを指していると考えるでしょうか。でも、日本人は動物の名前の言葉を言いましたが、狩猟民族はうさぎを獲物と見たかもしれません。だから、彼が叫んだのは日本語にすれば「夕飯」だったかもしれません。だから、言葉はものの関係は一様ではなく、たまたま集団の中でそのように決めているだけにすぎないのです。一見不条理に思えるかもしれませんが、だからこそ、人は言葉を使って現実から離れた想像をすることができるのです。さらに駄洒落のような言葉遊びは、言葉がものと必ずしも結び付いていないからこそ可能になるといえます。駄洒落というのは現実のものの関係では結び付かないような意外なものを、言葉の響きの類似性で現実の脈絡に関係なく結び付けてしまうという異化作用によって笑いを起こすというものです。このような言葉のあり方は、現実には関係として結び付かないものを絵画の画面の中に配置を考慮せずごちゃごちゃに並べる。まるで画像による駄洒落です。言葉の抽象性と、それによる融通無碍になっているという性格を絵画に取り入れてキッチュな作品世界をつくった、それがこの作品にも表れていると思います。

「秋」は尻をこちらに向けた裸の女性の全身像です。画面の中の人物のスケールがバランスを欠いて大きく描かれています。この女性の足元には、まるで彼女に踏み潰されそうなほど小さな風景が描かれていて、それに比べると特撮映画の怪獣のサイズに見えます。それは女性だけに留まらず、観る側から見る手前の果物も女性に合わせたサイズになっているので、背景からは巨大な物体になってしまっています。これは、意図的にバランスを崩して異化効果を狙ったものなのでしょうか。それにしては、背景の小さな風景の描き方が目立たなくて、注意して観ていない気がつかないものとなっています。それ以上に、被写体として魅力あるものを前にして、それをストレートに描くということをしないで、このように、いってみれば小細工を施してしまっている、というところにデ・キリコという画家の特徴が表われているのではないか、と私は思います。デ・キリコがこの時期にお勉強したと説明されているルーベンスの作品の女性像は、その豊満な肉体の迫力や艶やかさで、観る者に迫るような圧倒的な存在感があります。それが画面からはみ出さんばかりの迫力で観る者を魅了してしまうものです。これに比べて、ここでデ・キリコの描く女性には存在感とか観る者を魅了する要素は感じられません。生気がないというのか、豊満な肉体の形態は描かれているのですが、そのかたちの人形のようなものと見えてしまうのです。参考としてルーベンスの「三美神」(右図)という作品を観ていただくと、ここに描かれている女性の身体のラインの崩れまで描いているものの、生気に満ち溢れています。観る人によっては辟易させられるほど圧倒的です。ここにデ・キリコという人の画家としての特性でしょうか、さきにも述べましたように対象をうつすという絵の真実性を信頼していない、というのかそれを追求していないのか、忠実に写すことのできる技量がないのか分かりませんが、それだからこそ、画面に細工を施してしまうのではないか、と勘繰ってしまうわけです。

「田園風景の中の静物」(左下図)という作品です。この作品も背景の田園風景と手前の果物との大きさのバランスが遠近法のバランス以上に果物が大きくて、巨大な果物のオブジェが屋外に設置されているようにしか見えない景色です。バロック絵画では、ボデコンとよばれる静物そのものを描いただけの作品が瞑想を誘うような崇高な静物画がありますが、そういう物のなかにも神は宿るというように事物を描くというのではなくて、ここでの果物は、“らしく”描かれている、何かのかたちで、何かに組み合わせるパーツのようにしか見えません。もしかしたら、デ・キリコという画家は形而上絵画とかシュルレアリスムの先駆とか言われているようですが、このように描くことしかできない不器用な画家で、それを活かすための唯一の道が、このような細工であったのかもしれない、とこれらの作品を観ていて思いました。もしかしたら、デ・キリコ自身も古典主義とかネオバロックとか、王道をいく正統的な絵画制作を試み、自分にはそれができないことを思い知らされたではないかとよからぬ想像の誘惑にかられてしまいます。 

 

W.再生─新形而上絵画   

デ・キリコは形而上絵画に回帰します。

いろいろ試みて、紆余曲折ありましたが、結局、これが原点で戻ってきました、というのが回帰という考え方で、これが評価の基底になっているような気がします。

結論から先に言ってしまうと、私はこの新形而上絵画(というよりもデ・キリコの形而上絵画について、この時期の回帰した新形而上絵画においてデ・キリコは自覚的になったというべきなのでしょうが)は、ピート・モンドリアンの「コンポジション」(右上図)名づけられた一連の作品と同じようなものではないかと思えるのです。モンドリアンの「コンポジション」は黒い水平と垂直の直線と、その直線で作られる方形に三原色を塗り分けたというだけの極限にまで単純化されたスタイリッシュな一連の抽象画です。そして、直線の位置どりによる方形の変化や色の組み合わせの変化によって、単純な構成の抽象画で様々なバリエーションを生み出しました。極限まで要素を削ったモンドリアンと様々な要素をごった煮のように画面にぶち込んだデ・キリコの形而上絵画を同じというには無理があるように思えるかもしれません。

ここで、そもそも形而上絵画とはどのような絵画かということを考えると、普通に考えると何の関係もない要素を画面に同列に並べることによって観る者に意外性を感じさせる異化の効果によって、何か意味ありげなものであるかのように見せるもの、というのが前にも述べた私の捉え方です。そうであれば、作品に描かれた個々の事物は、それ自体で存在感があるとか独自の意味とか存在を主張するものではなく、他の事物との関係で、たまたま作品の中に置かれているものに過ぎないということになります。違った面から言えば、意外性を感じさせるという組み合わせが大切なのであって、その個々の組み合わされる事物が単独で美しかったり実在感がある必要はないのです。むしろ、組み合わせが第一として、その組み合わせができるために融通無碍に使えることのほうが必要になってくるはずです。このとき、個々の事物の自立性は邪魔になるといっていいでしょう。以前にデ・キリコの描写とその対象との関係は言葉の恣意性に似ていると述べたことがありましたが、デ・キリコの作品の中の個々の事物は、その言葉のような位置づけに似ていると思います。例えば「火事だ!」という叫びについて、火事を観察していた新聞記者が記事の取材をしていた言葉を発したのであれば、客観的な事件として火事を指しているのでしょうが、実際に火事に焼かれて、間近に火が迫っている人が発したのであれば助けを求めていることを表わしているでしょうし、そこに出動してきた消防士の言葉であれば、周囲の人への避難の呼びかけになるわけです。つまり、「火事だ!」という言葉は、その言葉の置かれたテクスト、コンテクストとの関係によって意味が変わってくる、決められているのです。「火事だ!」という言葉そのものに意味はありますが、ここではコンテクストが第一なのです。デ・キリコの形而上絵画で描かれている古代風の建築とかマネキンのような人物とか様々な事物は、この言葉のような性格のものとして位置づけてよいと私は思います。そして、そのような性格の要素の組み合わせで画面を作っていくということを究極的にまで追求したのがモンドリアンの「コンポジション」だったと思うのです。デ・キリコの作品の事物はモンドリアンの作品の直線、方形、色彩といった突き詰めたものではありません。それは時代の制約か、デ・キリコという画家の中途半端さかもしれません。

一方、そうであれば、デ・キリコの形而上絵画は組み合わせと構成の妙が一番大切ということになります。そうであれば、組み合わされる個々の事物は独自の存在を主張しないほうがいいし、目立ってしまったら却って邪魔です。それならば、組み合わせを際立たせるために個々の事物は御馴染みのものを使いまわしたほうが下手に目立つことはなくなります。そこで、同じような事物をとっかえひっかえ様々な作品に流用して微妙に組み合わせの異なる作品を制作していくということになるわけです。

そのような意味で、私には、デ・キリコは形而上絵画を推し進めた結果として、回帰とか再生というのではなくて、もともとそういうものを純化させていったのではないか、と思えるのです。観る側としては、モンドリアンの「コンポジション」を観るのと同じように、構成の微妙な変化をそれぞれ吟味して楽しむというものになっていると思います。それは、他方で、大量消費の大衆社会において意図的にマンネリのパターンとすることで、分かりやすいブランド化を図ることもできることになります。水戸黄門の印籠がでてくると視聴者は安心して楽しめるのと同じパターンです。このデ・キリコはこれだという単純なパターンが他の画家との差別化を生むことによってブランド化し、人々に広く受け容れられやすくなるわけです。

そのような視点で、作品を見ていくことにしましょう。「ビスケットのある形而上学的室内」(左上図)という作品です。最初に見た「福音書的な静物」(右図)と同じようなパーツが使われています。それらの組み合わせや大きさのバランス等といった構成を変えて、シリーズ物として様々な作品を提供するということを可能にしていると思います。私には、「福音書的な静物」が描かれた1916年には物珍しさもあって衝撃的に受け取る人々がいて形而上学的とかいうレッテルでわけがわからないことをもっともらしく評していたのが、50年の時間を経て当時の衝撃はなくなり、このような作品以上にわけのわからない作品が数多現れた後では、物珍しさも失せてしまった。その時に、わけのわからなさを糊塗するような形而上学的などという形容は、昔日の栄光のような思い出の中にあると言う状態になって、作品をただ観るということが可能になったのではないかと思います。形而上学的などとレッテルを貼ってしまうと、往々にして画面そのものを見ているようで、描かれていないものを意識的に見ようとしてしまうことが多くなります。しかし、それは実は作品を観ていない。デ・キリコの作品といのは、本人も含めて、そのような目に遭っていたのではないか、と思わせるものがあると思います。これは、私の偏見かもしれませんが。さて、二つの作品を比べるように観てみると、単に同じシリーズの作品として同列に並べていいように見えるのが、大きな驚きです。「ビスケットのある形而上学的室内」は「福音書的な静物」よりも50年も後に制作され、その間、画家は様々な試みに挑戦し、画家として成長したのではないかと普通なら考えるのではないかと思いますが、その考えるときに期待する成熟とか表現の進歩とか、そのような痕跡が全く見られないのです。例えば、双方にあるビスケットの描き方を観ていても、相変わらずそれと知らされていなければビスケットであるとにわかに判別できないような下手さなのです。この50年間というのはデ・キリコにとって何であったのかというものが全く見えてこないのです。あれは、ある意味すごいことなのではないかと思うこともあります。

「古代的な純愛の詩」(左上図)という作品。デ・キリコという私が真っ先にイメージする少女の影が走る(左図)のは、たしかこのような建物のある広場だったと思います。この作品の空間構成のめちゃくちゃさや前景の配されている物の描き方は、新古典主義やネオバロックの時期を経たとは思えない、パターン化したようなへたうまの図案です。これらのような作品を見ていると、デ・キリコはこの時期には何かを描くとか、何かを表現するとか伝えるといったことを、自覚して排そうとしていたのではないか、と私には思えます。それは、かつては形而上学とかいった思想を作品を描くことによってそこに表現していようとしていたのかもしれませんが、この時期のコピーのような作品を見ていると、出来合いのパーツを並べて画面に描いていて結果として出来上がったものが、なんらかの作品となっている。ある意味での即興性のような方法というのでしょうか。そういうものを極端にまで推し進めたのがモンドリアンのスタイリッシュな抽象絵画だったりするのでしょうが、デ・キリコはそこまで突き詰めて考える人ではなかったのかもしれず、そのかわりに遊びのような感覚がモンドリアンにはない魅力としてあるように思います。そのような遊びの感覚が強く感じられるのが、デ・キリコ独特のキャラクターと思うマネキンを用いた一連の作品ではないかと思います。例えば、「慰めのアンティゴネ」(右図)という作品は、まるでまんがのキャラのようです。 

 

X.永劫回帰─アポリネールとジャン・コクトーの思い出   

いよいよ展示も最後の章です。これまで、デ・キリコの作品を初期の形而上絵画から新古典主義、ネオ・バロックを経て、形而上絵画に回帰し、ここにきて形而上絵画を展開させたような作品を制作しました。

この章のタイトルが永劫回帰というのは大仰な気がしますが、このタイトルにあやかって、私もこの展覧会の感想のはじめのところに戻ろうと思います。はじめのところで、私はデ・キリコの作品の印象を“軽さ”と言いました。それは絵画の視覚的な表現が自立していないというのか、彼が頭で、言葉を使って考えたアイディアを形にするというものだったのではないか、という印象です。頭の中で言葉でこねくり回したアイディアは往々にして視覚的な必然性とは別の次元で発展させられるものであるために、画像として表現されるとチグハグとした印象は避けられません。頭で考えたアイディアで勝負ということになると、どうしてもアイディアの独自性ということになり、インパクトの強さを求められるようになります。それが視覚的な常識からは違和感を起こすような異化作用によるインパクトが作品に特徴として現われているといいました。それは、デ・キリコの作風の変遷をみても、形而上絵画から新古典主義、ネオ・バロックを経て再び形而上絵画に回帰するという作品だけを見ていると筋が通っていない、脈絡がないと思われることも、視覚的表現の軽視ということと、頭で目先のインパクトを追いかけるという姿勢から考えて見れば、とりたてて無理があるということにはならなくなると思います。こんなことを言うと、流行を無節操に追いかける軽薄な人間のように思われるかもしれませんが、デ・キリコという人は大衆消費社会の中で、自ら教養とか見識をもたず大勢に付和雷同するような、いわゆる大衆の性向にうまく見合うものとして広い支持を得たのではないかと思います。パット見の一見での違和感を生むほどのインパクトがあり、そして、もともと言葉で考えアイディアを視覚化してものであるため、言葉で説明しやすくなっています。それは、大衆に啓蒙する批評家という商売の人たちには、たいへん扱いやすいものです。一見難しそうなのが、深淵そうで、しかも教化するのに説明しやすい。形而上絵画で前衛的というレッテルを獲得し、その尖がったテイストを新古典主義やネオバロックの明快で大衆にも分かりやすい傾向に作風を変化させても、全面的に同調するのではなくて一部に破綻を含むことで尖がった味わいをスパイスのように残し、形而上絵画にもどったところでパターン化された作品を大量にばら撒くというマーケティングのお手本のような展開を結果的にした。何か、悪口に聞こえるかも知れませんが、そういうことが可能になる作品であった、ということなのではないかと思います。それが、私がデ・キリコの作品に感じる“軽さ”です。それはまた、ベンヤミンの言う現物のアウラをあまり感じさせない、実際の作品と複製、例えばパソコンの画面に映る画像との差異をあまり感じさせないことにもよるのかもしれません。しかし、だからこそ同じパターンのマンネリズムともいえる同系統の一連の作品については画面に含まれるパーツの組み合わせや配置を組み替えることで画面に差異を生み、その変化によって画面の表わすものが変わってくるというパズルの組み換えのような面白さを生み出すことを可能にしました。それは、もともとのデ・キリコの制作が頭で考えたアイディアを後追いで形にしていくというものだったのが、組み合わせという出来合いの結果が作品となるというつくることと考えることの順序が逆転していって、もともと“軽い”ものであったのが、考えという重し、つまり内容も重視されなくなるに至って、もっと“軽い”ものになっていったと思います。だから、こういうのも変かもしれませんが、美術館や展覧会場で、深刻にしかめっ面をして鑑賞する芸術なんぞではなくて、ウェブで検索して画像を眺めたり、街角のポスターへの引用とか挿絵などで見るとはなしに、視線の邪魔をすることなく視界に入ってくると、「あっ!」と気がつくという程度の関わり方が似つかわしいのではないか、と今回の一連の展示を見ていて思いました。

デ・キリコという人も、典型的な画家というタイプの人ではなかったのではないか、と私は想像します。私が考える典型的な画家とは、例えば有り余る才能に翻弄されてしまうような天才的な人でカラバッジォのように才能に振り回されるように作品を生んでしまう人、あるいは何よりも描くことが好きで、努力の末に作品を成熟させていったシャルダンのような人です。そして多くの画家は彼ら二人のような極端ではないものの程度の差こそあれ二人を結ぶ直線の上にどちらの傾向によっているかの程度の差によって並んでいるのではないかと思います。しかし、デ・キリコはその直線には乗ってこない人だったのではないか、と私には思えるのです。それは、先の二人に共通している描くという行為を重視する姿勢がデ・キリコには感じられないからです。そういう精魂を込めて描くというような重さがないということから、デ・キリコの作品に対しては、芸術を鑑賞させていただく、という格式ばった姿勢ではなく、リラックスした消費の対象のような向かい方ができる、と思います。

この展示会の感想においても、いつもなら個々の作品を取り上げて、それらを個別にああだこうだと感想をかたるのですが、このデ・キリコの展示作品については、個々の作品にはそのような存在感とか表現の強さのようなものがないので、個別の作品として区分がしにくいものになっていると思います。だから、このように全体として作品を語るという方が適していると思うので、大雑把で抽象的なもの言いになってしまっていますが、あえて逆らわずに、こうやって書いています。

「燃え尽きた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場」(左上図)という作品です。デ・キリコは広場を題材にしたシリーズ物のような作品を描いていますが、そのひとつと言っていいのではないかと思います。それが、展示の章立てで前の章と別立てにして、あえてここに展示している意味が私には分かりませんでした。“永劫回帰”という物々しいタイトルの展示の中にありますが、はっきり言って、前の章で展示されていた作品のパターンに見えました。ここで展示されている作品は、そういう点で、それぞれの作品の個性というのは、とりたてて感じられない、パターン化されたシリーズのひとつ、一種のパーツのようなもののように思えます。

「オデュッセウスの帰還」(右図)という作品です。このような室内に船を浮かべているパターンもデ・キリコはいくつか描いているようですが、舞台を室内にするとか、古代ギリシャ風の物とか並べられている小物類をみていると、デ・キリコ風のパーツを盛り込んで、いかにもデ・キリコ風という作品になっていると思います。そういう意味では、デ・キリコ風として出回っているイメージを焼きなおして再生産するということは繰り返しを続けることに他ならず、格好いい言葉にすると“永劫回帰”というのが当てはまるのかもしれません。

色々と辛らつなことを書いてきましたが、デ・キリコの作品については形而上絵画とかシュルレアリスムの先駆とか、あまり祀り上げるようなことをしないで、軽いイラストのポスターのような、鑑賞するではなく、インテリアの一部くらいにリラックスしてなんとはなしに眺めるくらいが丁度よいのではないかと思います。これは、貶しているつもりはありません。

 
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