シャセリオー展
19世紀フランス・ロマン主義の異才 |
2017年3月3日(金) 国立西洋美術館
この企画展は、始まったばかりの時期でウィークデイでもあるし、多分空いているのではないかと見越したこともあるが、西洋美術館の人ごみは結構あったけれど、この展覧会の展示場所である地下への階段を降りると人影は少なくなった。展示作品数も、それほど多くなかったので、じっくりと作品を見ることができた。 シャセリオーという名前は聞いたことがなく、まったく知らない人だったのでけれど、展覧会ポスターのこの女性の肖像を見て、興味をもちました。音楽でいうジャケ買いのようなものでした。で、どのような人なのかについては主催者の挨拶で簡単に紹介されているので、引用します。“今回の展覧会は、19世紀フランス・ロマン主義の異才テオドール・シャセリオー(1819~1856)の芸術を日本ではじめて本格的に紹介するものです。11歳でアングルに入門を許され、16歳でサロンにデビュー、やがて師の古典主義を離れ、ロマン主義の最後を飾るにふさわしい抒情と情熱を湛えた作品の数々を残して、1856年に37歳で急逝したシャセリオーはまさに時代を駆け抜けた才能でした。オリエンタリスムの画家にも数えられますが、カリブ海のイスパニョーラ島に生まれ、父親不在の寂しさや師との芸術的葛藤を抱えつつ、独自の道を探った彼自身が異邦的なるものを持ち、いずれの作品にも漂う甘く寂しいエキゾチシスムの香りが観る者の心に響きます。本展は日本で初めてシャセリオーの芸術を本格的に紹介するもので、油彩・水彩・素描・版画・資料など約90点によって画業全体を紹介し、断片を残すのみの会計検査院の壁画についても関連素描や記録写真などを通じて新たな光をあてます。さらに、シャセリオー芸術から決定的な影響を受けたギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌらの作品もあわせて展示し、ロマン主義から象徴主義への展開、そしてオリエンタリスムの系譜の中でその意義を再考します。” ここで、少し脱線してロマン主義のおさらいをしてみましょう。ロマン主義といっても絵画に限らず文学や音楽にもありますが、それはスタイルというよりも、個人の独自性や自我の欲求、主観など「個」を重視し、叙情的で感情的な表現を追求する考え方ということができると思います。その根底には、社会的抑圧に対する反発です。18世紀末から19世紀初頭にかけて、ヨーロッパはフランス革命とナポレオン戦争によって大混乱となりました。これはアンシャン・レジームとしての王政という権威主義体制に対して虐げられた市民の側から解放を求める動きに呼応するものでもありました。したがって、芸術の世界では権威である古典主義に対抗するというスタンスをとり、激しい表現に傾く傾向にありました。フランスのロマン主義絵画の代表的な画家として一般にあげられるのはドラクロワやジェリコーといった人々です。 そこで、シャセリオーの作品の印象は、あいさつでの紹介にある“ロマン主義の最後を飾るにふさわしい抒情と情熱を湛えた作品”というのに、どこかそぐわないのです。もう少し教科書的な記述をしますが、シャセリオーが活動していた1840~50年のころというのは、フランス革命に対する反動の時代で、復古王政の社会で革命のロマンのようなものは挫折し、文学の領域でもロマン主義のヴィクトル・ユーゴーから、自然主義的なスタンダールやゾラが主流となっていく時代で、絵画では、この後、リアリズムを標榜するギュスターヴ・クールベが台頭してくるといった状況だったと思います。 そこで、何を言いたいのかというと、シャセリオーの作品には、比較するのは適切ではないのかもしれませんが、ドラクロワやジェリコーの作品にあるような情熱的な激しさとか、理想主義的な未来を切り開くといったような力強い躍動感のようなものは、あまり感じられず、むしろ静的で落ち着いた上品さとか洗練といった印象です。むしろ、彼の師匠であるアングルに近いのではないかと思われるところがあります。一方で、彼の同時代と言っていい、自然主義とかリアリズムというものは社会の底辺の虐げられた人々を、従来の芸術では美の対象ではないとしていたのを、ありのままに描くという物でもありました。つまり、従来の芸術からは美しくないものを対象としたわけです。こういう状況の中で、シャセリオーは従来からの美の側に立って作品を制作していたわけです。つまり、ロマン主義のおさらいの中であげたような権威に対する反抗ではなくて、権威の側に立っているようなスタンスです。シャセリオーの作品には力強さがあまり感じられず、むしろ逆に洗練の裏腹であるひ弱さのようなものを感じてしまった。慥かに、古典的表現にはない冒険のようなこともしているのですが、例えば、裸女の描写で腋毛を描いてみたりしているのですが、どこか些末な感じで、理想の追求の形骸化のような印象なのです。個人を重視し、抒情的で感情的な表現というロマン主義の行きかたも、それは社会変革という理想のために個人が主導していくものであったはずが、シャセリオーの場合には、その遠大な目標が消失してしまって、むしろ個人の抒情や感情に沈潜する、もっと言うと逃避するニュアンスに近寄っているように見えるのです。つまり、趣向の中身が空洞化したからこそ、表層の表現に集中することができて、その結果独り歩きして洗練していった。それが、後の世代の象徴主義的の画家たちに影響を与えることになったところではないかと思えるのです。 ここで先に結論を言ってしまうことになるかもしれのせんが、シャセリオーという画家が時代に埋もれてしまったのは当然ではないかと思えるのです。ここで、再評価の動きがあって、ここでも回顧展が開かれているわけですが、それでも、この時代に、過渡期に、こういう画家もいたという程度のマイナー、言ってみればビック・ネームに入らないその他に一括される中で例示されるといった画家ではないかと思いました。 貶めるような言い方をしてしまいましたが、作品を見ていくことにしましょう。展示の章立てに沿って見て行くことにします。
1.アングルのアトリエからイタリア旅行まで 最初に展示されているのは「自画像」(左図)で、画家が16歳の時の作品です。全体として薄味という印象です。伝統的、つまり古典的な薄塗りの画面で、お上手というものです。16歳でこれだけ描けていたわけですから、彼の肖像画はたしかに上手いと思います。この後で肖像画のコーナーがありますが、通常の場合、画家の回顧展で肖像画がまとめて展示されているコーナーは概してつまらないのですが、今回の展覧会では、その肖像画のコーナーが全体の中でも充実していた感じで、この画家は肖像画家としては一流てあったことを認めるについては、吝かではありません。しかし、それは肖像画としてであって、絵画作品としてはどうか(肖像画と絵画は違うのか、と問われれば、答えにくいのですけれど)というと、薄味なのです。弱いのです。例えば、人物の目に力がない。モデルの人物がそうなのだと言われればそれまでなのです。しかし、この人物の両目の瞳の焦点が合っていないように見えます。少し斜視気味で、これはおそらく鏡で自身の姿を見て、そのままを描いていると思いますが、そこで、目がうつろになっているように見る者には映ります。また、そして、全体としてノッペリと色が塗られているような感じで、それぞれの色を 「16世紀スペイン女性の肖像の模写」(右図)です。模写ということで修業時代のもので出来栄えがよかったので本人も気に入って保管していたものでしょう。スペイン・バロック風の黒を基調として、色白の女性の肖像が浮かび上がってくる。その肌の色や柔らかな質感、叙背課の顔の雰囲気など、今回展示されているシャセリオーの作品の中で、とくに印象深い作品の一つです。しかし、模写です。画家のオリジナル創作ではないのです。ネルサンス時代のような工房で画家が職人のように制作していた時代ならまだしも、近代の、とくにロマン主義の画家として個人の主体性が制作のベースとされていた時代の画家です。シャセリオーは、そのシャセリオーの作品の中でも、(オリジナルよりも)模写が印象に残るというのは、おかしいかもしれません。それは、シャセリオーの作品の中では、とくに肖像画の印象が強く残っているせいもあるのですが、この頃の画家の作品制作の根幹ともいうべきテーマとそれをいかに画面にするかということよりも、モデルを立派に画面に定着させる肖像画や、お手本を忠
「石碑にすがって泣く娘(思い出)」(右図)という作品をみると、石碑の重量感のなさや表面、あるいは背景の樹木の幹の表面の滑らかさは、マグリットの描き方とよく似ていると、私には見えるのです。
2.ロマン主義へ─文学と演劇
それは、裸婦の女性が肖像画のように描かれて、人物の外形の特徴を見分けられるような描き方で、女性の裸の身体も描かれているということです。ルネサンスのイタリア絵画のような透明感のある青空の下で陽光を浴びてピンク色に輝くような肌ではなくて、室内の暗い灯りでほの白く浮かび上がる肌です。つまり、女神の肌ではなく、日常の現実生活で見ることの出来る肌です。それが却って生々しさを感じさせる要素となっています。しかし、かといって後のマネのような脂粉にまみれた不健康な肌ではないのです。そこにシャセリオーの時代性があり、彼自身の本質的に身についていた上品さがあったと思います。だから、裸婦の身体の美しさは、リアリズムに徹しているわけでもなく、肖像画がおしなべてそうであるように、人物の特徴を備えていながらも、見栄えのするように手を加えています。裸婦のポーズや画面構成はルネサンスのイタリア絵画のパターンを踏襲した立派な裸婦像の形態をとっています。そのパターンを踏み外すことなく、しかも前記のような嗜好で女性が描かれている。したがって性的な視線の消費の対象として、品質の高い裸婦像が出来上がってくるというわけです。
3.画家を取り巻く人々 このコーナーの展示作品は少なく、内容としては肖像画で、他の画家の回顧展であれば、生活の糧のために、画家の絵画的な野心とは別に仕事として職人的に制作したという感じで、つまらない場合が常です。しかし、今回の展示では、この肖像画がもっとも充実していたように思います。私としては、一番見ごたえがありました。だからというわけではないのですが、シャセリオーという画家は近代的な主体をもって絵画的な表現を追求していくといったタイプのひとではなくて、職人的な一般的に、もっというと通俗的に美しいというものを、上品なようすで、しかも、ちょっとしたユニークな意匠を加えてつくるというタイプの人だったのではないかと思えるのです。そういう特徴がよく現われていたのが、こ 「カバリュス嬢の肖像」(左図)という作品。この展覧会のポスターで使われた、今回の目玉と言っていい作品です。“ドレスの白からケープの淡いピンク、手にしたパルマ・スミレの薄紫まで色彩のグラデーションが、花で縁取られたモデルの繊細な表情とあいまって、コローの人物像に通じる叙情を醸しだしている。”と説明されています。コローの人物像に通じる叙情とはどういうものか分かりませんが、当時はあまり評判がよくなかったようで、“シャセリオー氏が描いた青白くて痩せぎすの人物像、肩は狭く、胸はくぼみ、緑がかった死体のような肌を持つ「カバリュス嬢の肖像」が、あの活気と健康に輝くような美しい若い娘であることに気がつくと驚愕する。彼女においては全身から生命が躍動し、光り輝いていて、数世代にわたる荘重な美の遺産を実に軽やかに受け継いでいるのだというのに。”とまあ、生き生きとした存在感がないというのが、この評の主旨だと思いますが。それは、人物表現としての絵画として言えることで、日常的に室内の壁に飾り、とくに鑑賞するでもなく、装飾として目に触れるという点では、かなり品質の高いものではないかと思います。多少官能的であっても、ついでに眺めるような場合には、生命感まで見ませんし、それよりも、見てすぐ美しいと分かるほうがいいでしょう。そういう点で、多少きつめの、目鼻立ちのはっきりとした顔立ちを、しっかり素描して、白やピンクの衣 ただ、シャセリオーの描く女性のタイプというのが、肉感的な官能性という方向ではなくて、目鼻立ちのはっきりとしたキツめの顔立ちの女性であることが多く、おそらく、彼の好みのタイプなのではないかと思いますが、「カバリュス嬢の肖像」もそうですし、素描ですが「ベルジョーゾ公女の肖像」(右図)でも、そういうタイプの女性を描いています。しかも、細身の痩せた身体つきで、「気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘」のような、女性というよりも美少女に近いような女性を描いているので、女性の美しさといっても、官能的とか肉感的というよりは、純粋とか繊細とかいったニュアンスが強いため、頽廃的な印象はありません。敢えて言えば、題材の選択で救われている。そういうところで、シャセリオーの絵画というのは、革命によって解放された民衆ではなくて、それを傍観していたり、取り残されていた貴族社会の一部や裕福なブルジョワといった保守的な狭い社会に間での芸術といえるのではないか、と思えるのです。
シャセリオーは、トクヴィルがそういう人であるということを背景や隠喩を用いて画面の中で表現として入れることせず、モデルの顔の外形を、細かく描写し、まとめることに徹しているように見えます。神話や物語の場面を描いた作品では構図の歪みが、効果を意識した人為的なものとは思えず、気になって趣きを減退させるところがあったのですが、「カバリュス嬢の肖像」もそうですが、肖像画の場合には、構図はおそらく、モデルを忠実なため、あまり気にならなくて、一見写真のようなリアルさを感じさせます。この作品であれば、人物の衣装の黒への光の陰影で身体つきの立体感をあらわすグラデーションや黒が光を反射して生地の高級感を表わしたり、上着と、首周りのスカーフの描き分けなどを見ると、この画家の技量の高さを見せ付けてくれます。私には、シャセリオーという画家の、特徴というのは、ロマン主義とかモローなどの象徴主義の画家の先駆けとなったところといったもの以前に、こういう表現をセンスよく使っていた、この後大衆社会の波に埋没していくことになる上流階級の上品さとかセンスをテクニックとして数量化したような作品を制作したところにあったのではないかと思えるのです。ただし、それは絵画の市場としては成熟市場として発展性の見込みのないところであったので、彼を継承して発展させる人がいなくて、本人の死とともに埋もれてしまう運命にあった、というとセンチメンタルな言い方になってしまいますが。実際に、この作品のような写真と見紛うような肖像画であれば、写真の方がコストパフォーマンスは数段いいわけで、商品としては競争に勝てないものでしかありません。
4.東方の光 シャセリオーという画家の特徴としてオリエント/東方趣味のエキゾチックな要素が、とくに彼の後期の作品の現われているということで、ここに単独のコーナーをつくって展示されていたのですが、どうも私にはしっくり行かなかった印象なのです。展示されていた作品のほとんどが仕上げられていないような印象で、果たして完成したのかどうなのか。画家として、試しにスケッチしてみたとか、習作してみた、としか思えないものばかりで、作品として結実しているようには見えませんでした。彼が亡くなってしまったので、それが画家の中で消化されて作品としてまとまる以前に生涯を終えてしまったということなのかもしれませんが。ひいつの大きな違和感として残るのは、これまで見てきた彼の作品のあったキレイゴトの美しさのようなものが、作品として仕上がっていないためかもしれませんが、ここで展示されている作品では減退しているように見えることです。
「雌馬を見せるアラブの商人」(右図)という作品です。その中心であろう馬がイマイチで、しかも馬をとりまく人々の描写がたんにポーズをとっているのを写しているようにしか見えないので、現実感がほとんど感じられません。リアリズムを追求する画家ではないということは分かりますが、それではオリエントをわざわざ題材に選んだことの意味がどこにあるのかいという疑問を抑えることができません。例えば馬は「狩りに出発するオスカール・ド・ランシクール伯爵の肖像」の背景にあるかきわりと殆ど似たようなものです。ジェリコーの描くような、いまにも画面から飛び出してきそうな生き生きとした躍動感に筋肉に秘めているようなものではありません。人々も、こういう言い方をすると酷いかもしれませんが、趣向の変わった肖像画を描いてもらうためにコスチュームに凝った、言ってみればコスプレをした人々にしか見えません。おそらく、シャセリオーの作品を享受する人々のオリエント趣味には、応えるものだったのかもしれません。シャセリオーの作品を見ていると、健全ということ、それはよい意味でも悪い意味でも、それが個性となっていて、それがもの足りなさを覚えさせるところがあります。このようなオリエント趣味の作品を例にとって見れば、彼の師であったアングルが持ち前の緻密なデッサンを用いながら、あえてプロポーションのバランスを崩して意図的に歪んだ画面をつくってしまうような病的なところは、シャセリオーには見つけられません。そういう、シャセリオーの限界のようなものが、露呈してしまっているのが、ここで展示されているオリエント趣味の作品群ではないかと感じました。
5.建築装飾─寓意と宗教主題 シャセリオーが手がけたとされた会計検査院の壁画は代表作だったにもかかわらず、パリ・コミューンの騒擾で建物と共に焼かれてしまって、断片やスケッチが残されているのみということですが、それ以外にも、彼が手がけた壁画を展示で再現しようというコーナーです。それは意欲的な試みなのでしょうが、油絵作品をずっと見てきた身としては、壁画の複製として、油絵とは明らかに異なって大雑把な描き方でしかもレプリカということですから、変わった趣向で物珍しさはあっても、仕上げられた油絵と同列に並べて鑑賞するには、無理があると感じました。私は研究者や画家の熱狂的なファンでもなく、いい作品をひとつでも多く見たい、とただそれだけの者なので、作品が並べられて最後に、これでは些か白けてしまうのは避けられないし、展覧会全体の印象が変わってしまうように思えて、残念だったという他ありません。
このように通してみると、埋もれた画家というのは分かります。無理ないと思います。むしろ、それを無理に掘り起こして脚光を浴びせるほどの画家であるかどうか、そう思います。マニアックな物好きが、あまり知られていない画家として珍重するマイナー好みの枠内に留まっている程度の評価で十分ではないかと思います。後世のギュスターヴ・モローらへの影響が指摘されていましたが、モローのファンが話題のために顧みる程度でいいのではないか、あまり評価しすぎるのは、この画家にとっても無理があるような気がしました。 |