シャルダン展─静寂の巨匠
 

2012年10月24日(水) 三菱一号館美術館

10月初旬は夏の延長のような陽気で、今週に入るともう冬服が欲しくなるような涼しさになった。この時期は3月決算会社の中間決算なのだが、近ごろは四半期決算が一般化し、以前のような忙しさはなくなった。そのせいか、株懇による6月の総会の反省のようなセミナーがあったので参加した。その後、人と会う約束をしていたのだが、その時間まで余裕ができたので、短い時間だけれど美術館に寄ってみることにした。

美術展としては、展示点数も多い方ではなく、小品が主だったので、一つ一つの作品に魅せられてじっくり時間をかけて、ということもなければ1時間弱で通して見られる。そういう意味では1500円という入場料は高い気もした。

シャルダンという画家は、時代的には18世紀に生きフランス革命の起こる前に亡くなった、ロココの終わりという感じだろうか、時期的には、ドミニク・アングルとかジェリコたちとも重なる時期があると思う。

展覧会のチラシによれば、フランスを代表する静物・風俗画の巨匠ということです。それはチラシの絵を見てもらうと、どうでしょうか。地味というのか、まず題材が静物画ということは別にして、色はくすんだ感じで、木苺の手触りが感じられるようなリアルな描写というのでもなく、また、スペイン・バロックのスルバラン等のような光と影を用いたボデコンと呼ばれる静物画の崇高さもなく、オランダ絵画の親しみやすさもなく、言ってみれば、それらの作品と並べると目立たなくなってしまうような作品です。他の画家であれば、凡庸としか受け取れない、これらのことがシャルダンに限っては肯定的に捉えられてしまう、そういう傾向の画家ということでしょうか。展覧会カタログの中では次のような説明が為されています。

「18世紀、世俗化されていく社会を背景に、現世的なものへの関心が強くなっていく中で、絵画は美的鑑賞の対象として画家の名人技とともに、拡大を続ける鑑賞者たちによって、時とともにますます愉しまれるようになる。こうした時代に、ジャン・シメオン・シャルダンは、平凡でありふれた事物を、充実した、荘厳とも言える存在として表現した、当時の批評家たちの言葉を使えば「魔術師」だった。画布の上に表わされた事物は、生命を与えられた一個の独自の存在として、私を限りなく魅了する。原物とは切り離された、自立した世界がそこにはあるのであり、ディドロのようなシャルダンの礼賛者たちは、対象の生命や本質をとらえて表現した画家として、彼を讃え、絵画固有の価値を認めたのである。例えば『カーネーションの花瓶』(左図)はシャルダンが描いた現存する唯一の花の絵である。一度見たら忘れられないほど魅力をたたえた作品で、彼の画家としての資質が余すところなく発揮されている。一見何の変哲もない作品でありながら、彼がどれほど周到に構成を練り、色彩を選んでいるか、次第に明らかになるだろう。たとえば、机の上に置かれた赤い二輪のカーネーションが、強いアクセントとなって画面をどれだけ引き締めているか。あるいは色数はごく限られていながら、音楽的ともいえる心地良い諧調を生んでいるかを」

説明というよりもオマージュに近い、かなり熱い解説になっています。地味な作品にそぐわないかと思いつつも、それだからこそ思い入れのあるファンがいるというタイプの画家ではないかと思います。たしかに、ここで解説に書かれている要素はあるのかもしれませんが、それにしても主観性が強いというのか、逆説的な言い方かもしれませんが、また画家自身は意図的にやっているのではないのでしょうが、このような解説を書きそうなスノッブに結果的に媚びている感じはします。この解説文になんとなく漂う、なかなか普通の人には、この一見平凡な絵画に隠された真実とか存在そのものを、私は見えるのだというようなエリート意識が行間に見え隠れしているのです。繰り返すようですが、これは何もシャルダン本人がそうしようとしたものではなく、周囲の人間や後世の愛好者がそういうものとして祭り上げていったものです。しかし、シャルダンの作品には、そうしたくなるような要素があるのでしょう。例えば、私が支えてあげなければ、という強い思いを抱かせるような要素が。現代において、似たような現象として、突飛かもしれませんが、私はAKB48という少女のアイドル集団とファンの関係に似ているように見えました。彼女らは、取り立てて美しい容姿に恵まれているわけでもなく、歌もダンスも下手であるにもかかわらず、ファンと交流し不器用ながら一生懸命頑張っている姿を見せている。ファンはそれに共感し支えてあげようと熱い共同幻想の空間を作り上げるというものです。シャルダンの場合には、もっとスノッブで上品な感じはありますが、そのファンの雰囲気に共通性を感じました。

で、正直にシャルダンの絵の私の感想を書けば、「下手!」の一言に尽きます。例えば、解説で取り上げられていた『カーネーションの花瓶』。筆遣いに滑らかさはなくて、まるで絵の具をぶつけているようです。だから、陰影のニュアンスは粗っぽく、だいたい輪郭すら描けていないです。花びらのひとつひとつをよく見ると、花びらに見えない。それは、モネの晩年の睡蓮の花びらを見ているようです。そういう要素しかそろえられず、たどたどしくも花瓶に活けられた花として、取敢えずみれるようになっている、いってみれば奇跡のような作品なのです。多分、私にとってシャルダンという画家は、アイロニーとしてしか語ることのできない画家なのかもしれないと思いつつ、これから具体的な作品を見て行きたいと思います。 

 

T.多難な門出と初期静物画

シャルダンの初期の作品群で、彼が最初に描いた静物画ということになっている野兎を取り上げた作品が展示されています。友人であるコシャンの手記がシャルダンの言葉を伝えていると言われているそうですが

「描いた最初のもののひとつは兎であった。それはまったくとるに足りないもののように思われた。だが、自分が望んだように表現するためには、真剣に取り組まなければならなかった。ひからびて冷やかにしてしまうような、事物に隷属していた表現に陥ることなく、あらゆる点において最大限の真実をめざし、良き趣味とともに描こうとしたのである。さらに兎の毛なみを描こうとはしなかった。毛を一本一本数えたり細密に描写したりする必要をまったく感じていなかったのである。彼は自分にこう言い聞かせた。『ここに描くべきものがある。その真実を描くことだけに集中するため、今まで自分が見た者すべて、そして他の画家たちが描いた様式さえも忘れてしまわなければならない。細部がもはや見えなくなるほど遠くに対象を置く必要がある。それの全体の量感、色調、ふくらみ、光と影の効果をうまく、最大限の真実とともに模倣することに、私はとりわけ専心しなければならない』」

このことを、カタログの解説では「シャルダンが言っていることは、対象をただ表面的に正確に写すことではなく、その存在そのものを表現する、ということだろう、それこそ彼と先輩・同輩画家たちや北方の画家たちを分ける最大の特色であり、シャルダンが50年余りの活動の中で、テーマが変わり技術的に進歩を遂げても、変わることのなかった彼独自の個性、「魔術師」と呼ばれた彼の芸術の本質である」と述べています。これらは、シャルダンが評価をされているからこそ出てきた言辞でしょうが、実際の作品以上に言葉が独り歩きしてしまっている印象を受けます。最初にも言いましたように、シャルダンの作品には結果的にスノビズムに媚びるというのか、この作品を好きになったら、きっと万人に受け入れられるような作品ではないから、この私が支えてあげなくてはならない、とでもいうような思いを抱かせるところがあるように思います。そして、私には、それがシャルダンの作品の最大の魅力ではないかと思います。カタログでシャルダンの芸術が「魔術師」と呼ばれたと書かれていますが、そこには受け入れる側の多分に心理的な要素が働いているのではないかとおもいます。

実際に作品を観てみると、兎の毛を一本一本細密に描写する必要を感じていなかったというより、絵の具をボコっと画布に塗りつけるような粗っぽい筆遣いで描かれているので、このような描き方では、そもそも細密に毛を一本一本描き込むような繊細な筆遣いは望めない。つまり、そんなことができる技量がない、ということの方が真実ではないか、と私にはおもえてなりません。その証拠といっては何ですが、同じ展示室に飾られている『ピリヤードの勝負』(右図)の天井からぶら下がっている梁やそこに乗せられている物体の不器用な描き方、まるで塗り絵のようなもの。このような描き方をしている人が、いくら精進をしたとしても数年もたたないうちに繊細で細密に兎の毛を一本一本描き込んで毛並みに見せるなどという芸当が、果たしてできるのか。ということから、シャルダン本人の言というのは、それだけの技量がないことは自分で分っていて、そのような技量で最大限の効果を上げるための方法論として選択されたもの、という方が私には説得力があります。

この『死んだ野兎と獲物袋』という作品では、野兎の死骸と獲物袋がどこに置いて在るか分らない。背景が省略されています。好意的に受け取れば、対象物だけをピックアップさせた、本質の存在だけを描いたということも可能でしょうが、私には、背景を描き込んでしまうと、野兎の死骸と革製の獲物袋がそれぞれ茶系のくすんだ地味な色遣いが描かれているため背景に埋もれてしまって、それを際立たせる自身がシャルダンにはなかったのではないかと、私には思えます。だからこそ、野兎の死体を壁に掛けてぶら下げるような縦の構図にし、足を広げさせて対角線を描かせるということで野兎を強調させるというトリッキーというのか、私には、これが生贄の祭壇を連想させるのですが。そこで、突飛な格好を背景を省略するという単純化させた画面で強調させると、観る方では分かり易いということになります。それが、後にシャルダンの作品が版画化されて一般の家庭に広く普及したそうですが、版画のような複製の場合、あまり細密で繊細な筆遣いの再現は困難であるので、単純で分かり易いというのは、そういう複製化にとっては便利だったのではないかと私には思います。しかも、庶民には神話や歴史の教養がなくても身近な題材なら分かり易い、というわけです。シャルダンの作品を存在を描いたと言葉でものがたりにするなら、このような拙い技術で売れるために戦略を駆使したというものがたりをつくり出すことも可能なのです。私には、作品を観ていて高尚な作家には見えないという感覚的、もっというと直観的な印象から話しています。別に事実が何かあるというわけではありません。

一本一本の毛ではなく全体としての対象の存在そのものを表現するというと、何かセザンヌみたいですが、画布という平面に描くという手段でそれをして、なおかつ、それを観るものがそうだと分からなくてはならないわけです。とくにシャルダンの場合は、生活のために画家となっているわけで、絵が売れて食べて行かなければならない。芸術のために真実を追求し、後は歴史が審判してくれるなどというような独善的なことでは生きていけなかったはずです。どちらかといえば、そういう方向性というのは、周囲の画家と自分は違うという差異化の戦略をたてて、絵の買い手にアッピールすることが狙いだったのではないかと思います。もし、そういう方向性だったら、対象の存在を描くことよりも、観る者が対象の存在が描かれているように感じ、それが他の画家にないシャルダンという画家のすごいところだということを理解させることの方が重要なことのはずです。多分、残された言辞からシャルダンという人は、そのことに自覚的だったように思えてなりません。『細部がもはや見えなくなるほど遠くに対象を置く必要がある。それの全体の量感、色調、ふくらみ、光と影の効果をうまく、最大限の真実とともに模倣すること』と自身が語っていることは、どう見せるかという効果について自覚的であることを物語っています。それこそが、私にとってシャルダンという画家の作品の大きな魅力なのです。何か、現代の資本主義の毒に侵された偏った見方と思われるかもしれませんが、私には、18世紀の画家が現代のビジネスの視点からも関連付けられるということの方が驚異的ではないかと感心させられるのです。

この最初期の野兎を題材とした作品は、画家が精進を重ねていく前の拙さが多く残る中で、そういうシャルダンの戦略的な方法論が剥き出しに出ているという点で、大変面白い作品であると思います。 

※この展覧会の後、しばらくして小林康雄さんの著作で、このようなシャルダンについて、私が下手と述べたことを、異なる視点から意味づけられ手いるのを知りました。全く目から鱗の落ちる思いでした。蛇足かもしれませんが、簡単に紹介いておきたいと思います。

「その器や果物は、シャルダンが自分のつかんだそれらの秘密をあなたにゆだねるのを見て、すすんでその秘密をあなた自身にゆだねるだろう。静物はとりわけ生きた自然になるだろう。生命と同様、静物はあなたに生きた自然になるだろう。生命と同様、静物はあなたに告げるべき何か新しいものを、輝かすべき不思議な魅力を、解き明かすべき神秘をつねにもつことだろう。数日の間、教えに耳を傾けるように、彼の絵に耳を傾ければ、日々の生活はあなたを魅了するようになるだろう。そうして彼の絵の生命を理解したのだから、あなたは生命の美をかち取ってしまうに違いない」(マルセル・プルースト『サント・ブーブに反駁する』)

プルーストが「秘密」といったもので、シャルダンが絵画から出発して“見ること”そのものを変革すると捉えるならば、シャルダンは“見る”ということが、形とその形がもつ色彩の経験であるだけではなく、なによりもそれぞれの異なった事物がもつ、それぞれの異なった事物が観る者に与える“質”を“見る”ことです。

さきに少し触れたスルバラン等のスペイン・バロックの静物画のような光と影のドラマという要素がない、いや、そのようなドラマに至らないのがシャルダンの静物画ということになります。シャルダンの静物画の中の食器や食物にはドラマティックな“意味”ではなく、寡黙な“質”、例えば食器の陶器や金属、食物の肉やパンなどのそれぞれ異なった“質”をもつ事物が、現実の空間でもあると同時に、それをそのままに描いた表現上の空間をかたちづくり、そこにひとつの秩序を作り出しているのです。しかも、それは決して言葉によって語ることの出来ない秩序であり、絵画によってしか作りえない秩序です。この秩序は絵画に先立って存在していたわけではありません。異なった“質”をもつ事物を、空間に、光のなかに、配置して秩序を作り出すのは画家であるシャルダン自身です。

この“質”、それは単に、たとえばゴ食器の銀の質感というだけでなく、そこに光が当たり、その光とともに、“わたし(画家であるシャルダンでもあり、観る者であるわれわれのような“わたし”です)”がそれを感受している感覚的な“質”、これは私たちの意識の中で事物が生き生きとしてリアルなものとして感じとられる“質”のことです。それを作品の画面の上に再現しようとしたものと言えます。

このような静物画の意味づけは、いったん風俗画に移ったシャルダンが復帰してきた後期に変容するといえます。それはこちらで触れたいと思います。

 

U.「台所・家事の用具」と最初の注文制作

シャルダンが1728年に王立美術アカデミーの会員になった後の作品です。シャルダンは、この時期に静物画を描いた後、風俗画に転じ、後年、再び静物画に戻ってきます。後年の静物画は全体に融合してまとまった感が強いのに比べて、この時期の作品は、個々のパーツが突っ張っているという感じがします。ただし、シャルダンという画家の作品の中での比較なので、その差は他の画家との差に比べると小さなものになってしまいます。例えば『羊の骨付き肉のある静物』(左図)では、左側から差し込む光を受けて右側に置かれた銅鍋の底が光を反射させています。また真ん中の陶器の壷がテカテカ光っているようなのと、左手前に掛けられた白布に影が映っています。このように、卓上に置かれた個々のものの光の反射の仕方が違うのと、置かれた位置によって光の当たり方、強さが違うことなどによって、それぞれの物の表面上の材質、肌触りの違いが主張されているように描かれています。それに加えて、静物画という名称の中で、意外とこの作品はダイナミックな構図によって動きを多少なりとも感じられるような仕掛けが施されています。ます、テーブルの上に所狭しとものが置かれていること、そして右側ではネギがテーブルからはみ出てしまっていることや、左側では白布が同じようにテーブルの外に出てしまっている。このことから、テーブルという枠に納まりきらない動きがでています。また、テーブルの上のものというと水平なテーブルに乗せられたということで、水平な方向性で安定した感がするものですが、テーブルからはみ出るということで、横の安定を乱すことに加えて、横に置かれて安定していてもいいはずの銅鍋をテーブルに乗せきれないことから壁に立てかけさせることで水平ではなくて垂直の要素をいれて水平を断ち切る方向性を与えています。そして、その方向性は上から吊り下げられた羊の肉によって、水平の画面から水平と垂直が対立する画面に変わります。おそらく、この肉がなければ、横長の長方形の画面でよかったはずが、この肉があることによって縦長の長方形の画面になってしまっています。それが、画面構成に緊張感を与えていて、吊り下げられた肉、銅鍋、ネギ、白布、柄杓、壷のそれぞれが画面の中で存在を主張しているような印象を受けます。それだけ、シャルダンは構成に心を砕いたことが分かります。かりに、この作品を模写して、もっとゴツゴツと輪郭を描いて色彩のメリハリを強調したらセザンヌのような作品が出来上がるように見えてしまいます。

シャルダンの作品には構成ということが大きな要素になっていることは、例えば『肉のない料理』(右上図)と『肉のある料理』(左下図)という同じ時期に、おなじように銅板に描かれた、それこそ対のような作品が、同じようなものが卓上に置かれていながらその配置(構成)によって対称を成すように見えてきます。

しかし、と私は思うのです。このように見ていると、悪く言えばパターンの使いまわしではありませんか。比較にならないかもしれませんが、現代の人気アイドルグループAKB48がメインのボーカルを立てられず、センターボーカルをファンの人気投票で選挙するのが話題になっていますが、要するに誰がセンターでボーカルをしても大して変わりはないという突出した存在がないからに他ならないわけです。AKB48のメンバーの少女の一つ一つはいわば取り換えのきくパーツのようなもので、その組み合わせで少しだけ色合いの違うものが組み立てられる、その微細な違いをファンは安心して楽しめる。シャルダンの静物画にも似たような雰囲気が感じられます。しかも、やはり下手なのです。『肉のある料理』に描かれた壷が明らかに歪んでいます。デッサンがしっかりできているのか、と言わざるを得ません。しかし、下手なりに構成を考え最大件の効果を生み出し、頑張っているではないですか。何かいじらしくなるほどです。この点もAKB48に似てなくもありません。

シャルダンはアカデミー会員になって、それまでの狩猟の獲物を描くという範疇からレパートリーを拡大しようとします。そして、あらたに広がったのは台所用品の静物画だったということらしいです。もっと肖像画とか風俗画とか歴史画とかランクの高いものに挑戦すればよいものを、台所用品です。これはシャルダンが、自らの力量をわきまえていたからではないかと思います。当時のシャルダンは、そんなに様々なものを上手に描けなかったのではないか。シャルダンは、目前に現物があってそれを見ながら出ないと描くことはできなかったといいます。それならば、台所用品は身近にあって、いつでも、キャンバスの前に持ってくることが可能です。しかも、種類は限られているので、それらの一つ一つに対してじっくり練習をかさねれば、鍋、壷、食器、肉、野菜という個々のパーツをそれらしく描くことができるようになります。あとは練習して、それなりに描くことができるようになったパーツを組み合わせて作品にするだけです。しかし、パーツが限定されているため、何枚も描くと底が割れて同じような作品しか描けなくなり、行き詰ってしまいます。そこで、限られたパーツで最大限の効果をあげるために、組み合わせと画面構成に心を砕き、なんとか変化を与えようとした、というのがこの時期のシャルダンの静物画が生み出された要因の一つではないかと、勝手な想像をしています。そういうことを考えると、全体として作品のサイズの小ささが、小さく描くことによって粗が見えにくくなるという狙いがあったのかもしれません。

展覧会の惹句では静寂とか寡黙とか、何か珠玉の小品のようなイメージを喚起させられますが、作品を観ていると、そういう高尚な感じはしないのです。芸術としての高貴なオーラは感じられなかったというのが正直なところです。そんな中で、画家として生活の糧を何とか稼がなくてはならない、ということで持っている技術を総動員して、他の画家を出し抜くことができないのなら、差別化して他人がやらないニッチなところで商売をしていった、それなり評判を勝ち得たからこそ、こうやって後世でも展覧会が開かれるわけで、あえていえば、シャルダンという画家の苦闘を想像せずにはおれない、というのが、この展覧会の率直な感想です。多分、批評家のような人がテレビや新聞でチラシの惹句のようなことを述べて進めていましたし、この展覧会の感想がネットに頻出していますが概ねそういう方向だと思います。しかし、私個人はこの方向で感じらませんでした。それが正直なところで私の感想なので、これを読んでも展覧会の参考にはならないことをお断りしておきます。

 

V.風俗画─日常生活の場面

シャルダンは1734年から15年間静物画から風俗画に転じました。その間、妻子を失い、本人も大病を患うという災厄に見舞われましたが、生活の不自由から漸く解放されることになったそうです。当時の画家の世界には、歴史画─肖像画─風俗画─静物画という階層が存在し、画家の収入もそれに応じたものだったそうです。静物画を描いていたシャルダンは最下層の画家の位置で生活も楽とは言えなかったのではないか。そこで、なんとか生活レベルを上げたいというのは、現代の人間からすれば当然ことで、野心的にシャルダンは挑戦したのかもしれません。(よりよい生活をしたい、出世したいとか、金持ちになりたいという野心は現代の生活では当然のことにように思われていますが、必ずしも普遍的にあてはまることではないので、この時のシャルダンが本当に野心を持っていたのかは、私には想像できません)この絵画の階層については、サマセット・モームの「人間の絆」という小説の中のエピソードが印象にも凝っています。主人公フィリップ・ケアリはイギリスの田舎で生まれ、両親の残した僅かな遺産で画家の勉強をすべくパリに留学し、静物画のデッサンから画学校で勉強し始め、画学生の仲間にも恵まれ一見楽しい学生生活を送ります。その後、しばらくしてフィリップは人物を描く勉強に移りたいと思って友人に話すと、友人たちの態度は手の平を返したように軽蔑を露わにするようになります。そこで、初めてパリの人間の本音に遭うことになるのですが、イギリスの田舎野郎が下手糞なくせに生意気にも人物を描こうとしているとして、彼の身の程知らずを嘲笑うのです。結局、彼は自分の才能のなさを思い知らされ、傷心の内にパリを去ることになることになります。そのきっかけは彼が野心を起こしたことによる、ともいってよく、最下層の画学生としてなら今しばらくは脳天気に仲間とパリで楽しい時間を過ごせたかもしれなかったのです。それだけ、人物を描く画家と描かない画家の間には大きな懸隔があったということです。この小説は19世紀の小説ですが、当時ですらそういう風潮は残っていたのですから、シャルダンの時代は厳然と階級のように存在していたのかもしれません。

では、といって実際の作品をと『画家ジョセフ・アヴェドの肖像』(左上図)を見てみると、シャルダンにしては大判でそれなりの野心はあるのでしょうが、どう見ても下手です。人物に動きはないしボタっと絵の具垂らしたような厚塗りの塗り絵のような、人物に表情もなく、しかも背景かはっきりせず書き割りのようで奥行が感じられない平面的な作品です。何か、書いている私自身ですら見も蓋もないと思うほどです。しかし、かれはその短所を転じて長所にしていく。そのあたりのことを、カタログが上手く解説しているので引用します。

「「彼の絵筆は、決してすらすらとは運ばない」。シャルダンは苦労する。しばしばぎこちなさ、不自由さが見られ、彼が隠そうとしている努力を、「辛い作業」と感じる。シャルダンは生涯を通して、執拗に、決して倦むことなく、生まれついての才能の欠場を克服するために戦うことになる。彼は根気よく、決して満足することない完璧さを追求するだろう。この弱点を力にして、能力の欠如を、彼の時代にあっては独創的で比類のない表現に変えることになる。

彼のもっとも初期の風俗画の中に描き込む人物像を、モデルを基にして写し取ろうとする。だが無駄であった。わずか後には、彼は素描を止めるが、そのことが彼を当時の大家と隔てることになる。画家は動きのない世界に没頭し、イーゼルから適度に離して、眼の前に置いたものを描く。こうした方法で制作したのは、個の世紀には彼だけである。動きのない世界という言葉で私が言いたいのは、彼の静物画はもちろんのこと、すばらしい風俗画の場面、いかなる動きも邪魔することのない、閉じられた世界のことである。彼は見たもの、見たものだけを描く。彼は動きを避ける。シャルダンは同僚の誰ひとりも比べることのできない技法を、自分ために改めて作り出した。ブーシェの滑らかな絵肌の技法を思い出させるような18世紀の画家のタッチの自在さや、フラゴナールの目も眩むような名人芸などとは、シャルダンの技法はまったく別のもので、たっぷりとした絵の具の厚塗り、次々と絵の具を塗り重ねること、粘りつくようなマチエールかに成り立っている。画家は物語を語り始めることのない主題を選ぶ。このやり方は当時の主要な画家とは異なる。早くも18世紀から、彼の芸術のこの特殊性は、人を途方に暮れさせ、当惑させた。それはシャルダンの礼賛者を困惑させた。というのも、彼等は一枚の絵がなんら物語を語らないことを、なかなか認めることができなかったからである。シャルダンは大胆にも当時でただひとり、物語ることを拒んだ画家である。たしかに、彼はすべての逸話を、物語を、画趣あるもの、叙述的なものを避けた。当時の現実的問題を暗示するものは何もないし、道徳、教訓、イデオロギーも何一つない。彼の芸術は、感動的なほど野心的である。」

少し引用が長く先に行き過ぎたかもしれません。『羽根を持つ少女』(右上図)という作品を見てみると、輪郭がぼかされ朦朧としたような顔には表情がありません。来ている衣服がそうなのかもしれませんが、身体の線も直線的で、人間というよりも人形を描いているように見えます。個性をもった人物というよりも、人間のパターンを描いているかのようで、羽根とラケットを持った子供の像であるはずなのに全く動きが感じられず、ポーズをとって静止しているような感じです。まるで、人物を静物画として描いているようにしか見えません。シャルダンが、以前に静物画で没頭した、表面の質感の違いの表現が、この作品では、より繊細に描き分けられています。ラケットの木肌、少女の着ている服地、そして、とくに少女の赤らんだ頬の滑らかな肌の質感が、それぞれ微妙に描き分けられているところがこの作品の最大の魅力ではないかと思います。つまり、画家にとっては、人物であろうが描かれる対象としては表面をもった物体としてしか捉えられなかったのではないかと思われるのです。だから、そこで少女が何を想ったとか感じたかということは、物体として存在には関係のないことであり、シャルダンには見えてこなかった。あるいは描くことができなかったのではないかと思います。この作品に感じられる愛らしさは、あえて顔を陰にして、表情見えにくくし、人形のような少女の顔の形に柔らかな肌の質感を描き込んで、少女らしさの外形のパターンを提示し、あとは観る者の想像に結果として任せたという点あると思います。現代のアイドルといわれる少女たちのグラビア写真には呆けたように表情を失った顔で肢体を露わにさせたようなポーズをとっているものがあります。これは、そのようなグラビア写真の定型的なポーズなのか、誰彼も決まったように同じようなポーズで写真に納まっています。それはまるでアイドルの少女のイコンでもあるかのようで判で押したようになっていますが、この『羽根を持つ少女』も同じようなパターンが感じられるのです。

シャルダンの作品としては、もっとも有名なものの一つである『食前の祈り』(左下図)という作品の場合にも、人物が画面に3人描かれていますが、その3人が織り成す劇的なドラマというのではなく、3人がポーズをとって1コマを作っているような感じです。風俗画は静物画と違って版画家され広く大衆に流通、頒布されることによって画家におおきな収入をもたらすことになるものであることを、シャルダンは知っていて、風俗画に進出しただろうことは想像がつきます。この『食前の祈り』は版画として大量に制作されたといいます。多分、そういう版画を購入するのは、十分な暇と余裕があり、じっくりと絵画を鑑賞し、物語に想いを馳せるような教養と想像力に恵まれた貴族ではなく、市井の庶民たち、あるいと勃興しつつあったブルジョワジーたちだったのではないかと思います。そのような人々にとって、このような作品は下手な感傷も、ものものしい暗示のようなものもなく、単刀直入に生活のシーンを理想化したように見えたのではないかと想像します。しかも、そういう一場面を、版画を贖った人々は自分たちのそういう場面を肯定してくれているように受け取れたのではないか。そこに余計な物語的なものがないだけに、貴族のように人々に媚びるところのない、(教養のない)自分たちの絵だと共感できたのではないかと、私には思えるのです。シャルダンは、それを意図的にやったのか、結果としてそうなったかは分かりません。私には、シャルダンという画家には器用さが感じられないので、後者のように思えますが。その点で、引用した解説にあるような芸術性ということでは、シャルダンはそういうタイプなのか疑問を感じています。こう見ていくと、シャルダンは芸術家というよりは職人に近い肌合いを感じます。

そして、シャルダンの人物画として最後期の作品となっている『セリネット』(右図)は注文によって制作されたものらしいです。このころになると、描く対象はブルジョワに限られ、描き方も、幅広で、粗くかすれたような、ざらざらした、凸凹のある筆触や、よく目立ちはっきりと判別できる絵の具の塗り重ねが見られなくなり、鮮やかな色彩は大胆さをうしない洗練され、そして、人物は表面から奥に引っ込み、作品の中に占めるスペースが小さくなっていきました。これは、裏を返せば、人物をより広い空間の中に配置し、筆触はぼやけ、蒸気のように軽く繊細になり、淡い色調はパステル画のように、画面の中に清涼な空気が流れ込むように感じられるものになっていったと言えます。そして、晩年の静物画に回帰していくことになります。 

   

W.静物画への回帰

シャルダンは、1750年ごろから再び静物画を描き始め、目の疾患により、パステル画を転じるまでの20年間、主に静物画を描きました。そのころは、アカデミーの会員として、王侯の注文も入るようになり、生活は安定していたらしい。

ところで、初期のシャルダンが、それしか描けない境遇の中で描いていた肖像画と、生活の安定を勝ち得た後の1750〜1760年代の静物画の違いはあるのでしょうか。一見して分かるのは、作品の中の静物の数が減ったことです。初期の作品では卓上に溢れるように様々な事物が所狭しと置かれていましたが、この時期の作品では事物の数は減り、整然と並べれています。カタログの説明では「それぞれの果物の細部や、それぞれの器具が実物に忠実あるかどうかにさほどこだわっていない。重要なのは全体の見え方である。筆の運びはより柔らかく滑らかになり、初期の静物画の特徴である厚塗りは見られない。これ以降、重要になるのは、反映と透明感であり、光と影である。空気は思いのままに流れて、薄明りの中から堂々たる全貌を現わす用具や果物を包んでいる。」

『すももと籠』 (左上図)という作品では、すもも一個一個はきちんと書いていないように見え、籠などはデッサンが歪んでいるのか目立つほどで、おそらく籐を編んだ籠なのでしょうが、その部分がぞんざいに書かれているのではないかとも思われます。しかし、画面右手から仄かに差す光に、水の入ったコップ、すももやサクランボが映えたり陰になり多彩な色彩の変化が見られます。かといって、画面には統一感があります。その微妙な色彩の諧調は精妙で、独特の空気感とともに詩情を湛えていると言えるかもしれません。

しかし、と思うのです。展示室で、この展示に入って一つ一つの小品とも言える静物画を鑑賞して回っている間、私の個人的な偏りなのかもしれませんが、ひとつひとつを取り上げると、それぞれ佳品なのでしょうが、このように一様に並べられると退屈なのです。というよりも、何かじれったくなってしまいました。初期の静物画では、そのようなことは感じなかったのてずが、一つの作品を取り出して、自室の居間とか台所の壁に立てかけて置く場合には、存在を主張としないので邪魔にはならないだろうし、よく見ると、それなりに応えてくれるというので、長く飾っていてもよい作品と思います。その辺りが、シャルダンの作品が、没後、急速に忘れられてしまったり、その後再発見されて話題になった理由なのかもしれません。

おそらく、シャルダンは1730〜1740年代に風俗画を中心に描いていて、それ以前描いていた静物画ではさほど重要なことではなかった空間という課題に向き合わざるを得なくなったのではないと思います。それは、静物画とは比較にならない広い空間を構成することや、奥行という立体的な表現の課題です。その中で、シャルダンは間(ま)ということに気が付いたのではないか。つまり何もない空気です。初期の静物画では隙間がないほど多くの事物で溢れていました。画面に多くの事物を載せてしまえば、空間を考えなくて済みます。しかし、風俗画では室内を描かなくてはならず、室内という空間があって、そこに人物や事物を配置し、何かの場面を観る者に想像させる。そういう作品を描いているうちに、シャルダンの風俗画に自然物の占める割合は次第に小さくなって、徐々に空間に人物か置かれるということで、かえって人物が印象に残るというような、空間の描き方に習熟していきます。その鍵となったのは隙間、あるいは空気の描き方、全体の配置だったのかと思います。そのような風俗画の経験を活かしたのが1750年以降の静物画だったのではないかと思います。

展覧会ポスターなどでもフィーチャーされた『木いちごの籠』(左図)では、かつては空間の広がりを描けなかったため平面的な静物画にせざるを得なかったのが、ここでは意識的に平面的な画面が選択されているように見えます。そうすることによって、赤い木いちごと白いカーネーション、あるいは透明な水のはいったコップ、籠の黄土色の配置が規則的に平面にレイアウトされているように、しかも色彩が相互補完的に相乗効果で生かされているような画面になっていると思います。このように、あえて奥行という要素を切り捨てて画面の平面性を生かし、色彩の諧調や光と影の陰影で画面を作っていくというのは、後年の印象派の画面を彷彿とさせるではないか、かなり先走った議論かもしれませんが。シャルダンには、印象派のような強烈な光はなくて、抑制がそこで働いていますが、そのためだから、私のような刺激がほしい人には、物足りなさを覚えさせられるのです。

それは『桃の籠』(右上図)の暗がりから浮かび上がるような桃の描き方に見られるように、シャルダンという画家は、当初の目の前に置かれた物を忠実に描き写すことから、描かれたものが画面としてどのように見る人に映るかに気が付いたのではないか、と思わせるところがあります。当時の絵画のヒエラルキーで最上階の歴史画は、今は現実に無い過去の事柄をあたかも今あったように画面に定着させるものなので、極言すれば画家の作り出す偽の画面です。それをよく言えばイリュージョンという便利な言葉もあります。しかし、シャルダンの描く静物画は、目の前にある台所の器物や果物をそのまま写生すると考えられていたのではないか。それに対して1750年以降のシャルダンは歴史画と同じように画家が画面という偽の空間をつくるイリュージョンであることに気が付いたのではないか。ここに描かれた桃は、桃を写生して描くのではなく、観る人が桃に見えればいい。細部を省略して粗っぽく描いても、胡桃やナイフや水の入ったコップとの対照や位置関係、色合い、光の当て方などからそのように観る者に想像させればいいのです。そこでシャルダンは観る者にそのように想像させる画を描こうとした。だから、これらの静物画は写実ではなくて、歴史画とおなじイリュージョンなのです。そのように積極的に観ようとしなければ、その面白みを堪能できない。それこそ、シャルダンがどのようにひとつの世界をつくろうとしたか、ということがこれらの作品には込められているといえるのではないでしょうか。

『銀のゴブレットとりんご』(右下図)という作品には、そのような虚構の要素がさりげなく忍び込ませてあるのではないか、と私には思えるのです。すごくまとまっている作品ではありますが、リンゴを映す銀のゴブレットし陶器製の器の対照的な配置や器に入っているスプーンが銀ではないのか光を反射させていない対比というのか、全体を他の静物画と同じように黄土色にして、それらを浮き立たせているところなどは、明らかに画家の作為でしょう。それを、あたかもさりげないと見せて、写実のような作品に仕上げているところにシャルダンという画家の技法の成熟を見るとともに、この画家の特異性に触れたような気がします。一見、さりげないようで、実は一筋縄ではいかないところがあると、私の考えすぎでしょうか。どうやら、私は、そういう絵の見方が好きなようです。

 

※この展覧会の後、しばらくして小林康雄さんの著作で、このようなシャルダンについて、私が下手と述べたことを、異なる視点から意味づけられ手いるのを知りました。全く目から鱗の落ちる思いでした。それについては、こちらで簡単に説明しました。後期の静物画についても興味深い意味づけがなされていましたので、ここで簡単な説明を試みたいと思います。

後期の静物画は初期の静物画に比べて、全体として柔らかで、透明で、ゆったりとした“質”へと変わっていました。銀や銅といったメタルよりは、陶器の微妙な肌合いやガラスの透明性が好まれ、花や果物が静かな情緒を醸し出す。動物的な生命から植物的な生命へとゆるやかに変化していったと言えます。

左上図の「木いちごの籠」を見てみましょう。籠に盛られた木いちご。水が入ったガラスのコップ。白いカーネーション2輪。2個の桜桃と1個の桃。それだけです。そのシンプルな画面を見つめていると、ここではすべてが、木いちごも桃、コップもそのなかの水も厚い木のテーブルも、背後の壁も、この空間の全体が“生きている”ことに気がついて驚いてしまうのです。すべては“生きている”。それが「秘密」です。「秘密」とはいえ、秘せられたものなど何ひとつない「秘密」です。すべてがんなにも、隠されることなく、開かれて、存在している。だが、次の瞬間に、観る者はもうひとつのことに気がついて、さらに驚く。しかし、これらすべてが“生きている”のは、まさに観る者がそれを“見ている”からなのだということを観る者の眼差しが、この空間に生命を与えていることに驚きながら、気づくことになるのです。

 
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