2025年7月17日(木)千代田区立日比谷図書文化館
最近の美術館めぐりは1日に1館ではなく、複数の美術館を訪ねている。いわば、美術館のハシゴ。これは、交通費がもったいないので、折角高い交通費を払ったのだから、1館見たついでに、もうひとつくらい訪ねてみよう。そんなことから、今回は、はじめて訪れた。日比谷公園の日比谷図書館の1階ロビーに展示スペースがあり、そこで催されているのが、今回訪れた展覧会。美術展というより、資料の展示会といったところ。平日の午後だったせいか、会場にはお城好きの男性が一人二人。
チラシには、こうあります。“主要50城に年間2000万人が集うほど空前の「お城ブーム」が続いています。一方、多くの城郭は、戦災や天災、明治期に解体されるなどの時を経て失われ、今はその姿が分からないことが多いです。『迷走絵本』シリーズの作者として知られる香川元太郎(1959〜2024)は、歴史考証イラストの第一人者であり、多数の城郭の復元イラストを制作しました。歴史学の研究成果を踏まえて描かれたイラストには、戦闘の場だけではなく、生活の場としてのリアルな雰囲気も表現されています。専門家とも協力して考証を加えながら描いた作品は、高く評価され、歴史教科書などに多数掲載されています。本展では、香川元太郎が描いた城郭の復元イラスト作品約100点を一堂に展示します。都心の真ん中で、全国のお城を巡る、壮大な歴史ロマンの旅をしてみませんか。”
会場に入ると、城の分布を示した日本地図があります。その地図のとおりに、太田道灌が築いた時代の江戸城から旅を始め、南関東、東海、近畿、山陽、四国、九州、沖縄、山陰、北陸、甲信越、北海道、東北、北関東の各城をめぐり、最後に壮麗な江戸幕府の江戸城に戻ってくる構成になっています。広くない会場は小さい区画に区切られて、迷路のようになっています。
最初に室町時代の中頃に太田道灌によって築城された江戸城。いまの皇居の本丸のあたりということです。家康の江戸開府いらい埋立や開拓が進んで地形が変わってしまったので、同じ江戸とは思えないし、場所のイメージが掴めないので、現在の同じ場所の写真と並べて、このあたりと示してもらえるとありがたかったです。

鎌倉時代の鎌倉(左側)の全景です。城といっても、戦国時代や江戸時代の城だけでなく、飛鳥時代の都のイラストもあります。ここでの城というのは広い意味の城と捉えた方がよさそうです。ただ、細かく描き込まれているのですが、画面が小さいので、個々の建物がどうだったのかまで、細かすぎてよく見ることができませんでした。私が老人なため衰えた視力では見切れないからなのかもしれのせん。並んで、戦国時代の北条氏による小田原城(右側)の総構の全景図がありましたが、そのスケールの大きさは、はじめて見ることができるものでした。ただ、大きすぎて、個々の砦や北条氏のすむ本丸などが細かすぎて、よく分からないのでした。そのあたり、デフォルメして強調してくれるとありがたいのですが、考証のとおりに正確に描かれているので、相対的に本丸の館などは全景のなかに埋もれてしまう。それを探してみましょう、というキャプションがあり、子供はそういうのを喜ぶのかもしれませんが。小田原城なら、いまの小田原城とどう違うのか比べて見たくなるではないですか。それは、私の個人的な趣味かもしれませんが。このように、ここで展示されている城のイラストは、主に郭や砦を含んだ城の全景、ときには城下町おも含んだ全景であり、今の観光写真で見るような天守閣のかっこいいアップとか砦のピックアップではないようです。これは、あとで見る戦国時代の山城の全景では絶大な効果を発揮するのです。

例えば高天神城(右側)です。戦国時代後半、武田氏と徳川、織田氏の間で熾烈な戦闘が行われた山城です。山全体に砦や堀がめぐらされているのが手に取るようにわかります。現在では見ることのできない、その姿は、これほどまでに徹底して城が作られていたのかと、驚くほどです。その姿を、様々な資料や調査の結果をもとに再現しているのは、この作家ならではものだろうと思います。続いて長篠城(左側)。そう、織田・徳川連合軍が鉄砲隊を組織して、勇名を馳せた武田家の騎馬隊を壊滅させたのが長篠の戦いだったはずです。でもこれを見ると、騎馬隊が突進できるような平原が見当たりません。画中に目を凝らすと、二・三十名ほどの鉄砲隊の隊列がところどころにあって、白煙が上がっているのが見えます。長篠合戦の鉄砲隊は、じつはそういうものだったのでしょうか。説明がないので分かりません。展示されているイラストの中には、ときに炎が上がっていたり、合戦の模様が描き込まれているのもあります。
それが近畿地区、大和の信貴山城です。松永久秀が信長に反旗を翻し、立て籠もった城に、信長軍が攻め込んでいる場面が描かれています。押し寄せる信長軍の人の多さを、そのひとりひとりを丁寧に描き込んでいて、その労力に頭が下がります。いままで見てきた高天神城や長篠城とは明らかに違います。端的に言えば、これらは砦であるのに対して、信貴山城は明らかに城です。それが一目でわかるのは、このようにイラストでビジュアル化されると多くの言葉を費やすより、容易に実感できてしまいます。それと、このように城攻めの場面が描かれると、どのように攻城されたかが分かります。映画や時代劇での合戦場面は一部をクローズアップされるだけで、全体としてどのように城攻めが行われたのかは、このようなイラストの方が、むしろ分かりやすいのかもしれません。


姫路城天守閣(右側)の透視図です。このような天守閣にクローズアップしたのは、ほかに安土城、大阪城、首里城、松本城ほかいくつかありました。男の子はこういうのが大好きなんです。ずっと昔、今から50年以上前の小学生のころ、小沢さとるの海洋マンガ「青の6号」で、潜水艦や秘密基地の透視図に、マンガのストーリー以上に胸をときめかせていた。そんなころを思い出してしまいました。設計図のような図面では味気ないのですが、このイラストのような城の断面を切ったような外観と内部を同時に見せてくれると、この建物はこうなっているのかと納得しながら見ることができます。また、この中に自分がいるのを想像して、今、自分はここにいて、するとこんなものが見えてくる、などと楽しい想像をすることもできます。同じ天守閣でも首里城(中央)はまったく別物で、これを城といっていいのか。これは御殿です。
備中松山城は戦国時代の山城とその城下町が一望出来て、地方では城と城下の関係、つまり、領主はどのように町を治めていたのかが何となく分かるような気がします。これは、軍事面だけでなく、交通、交易の拠点でもあり、領主はそれを押さえていたという特徴がわかります。このように、地方や地域によって城の位置づけや機能が変わってくるので、城のつくりが違ってくる。それがビジュアルで分かるようになっている。
香川氏の描き方の簡単な紹介がありました。研究家のつくった縄張り図や地形図に碁盤目を描くところから始め、次に次に、斜めに見下ろしたメッシュを描く。まず縦線を、遠くの方が間隔が狭くなるように引く。そうすると碁盤目が正方形から台形になる。正方形は平面だが、台形は斜め上から見た視角になるので、縄狩り図の碁盤目の正方形を台形に当てはめるようにずらしてなぞるように描く。そうすると立体的になるが奥行の部分は、その際に描き足していく。それで、縄張り図に近い、正確なプロポーションを確保できる。これに資料などの情報をもとに細部を描き加えて、彩色をしていくというものです。製図の作業に近いところと、イラストを描くというところの両方の作業が必要なわけです。
金沢城は、江戸時代の加賀百万石の居城です、備中松山城とは全く異なります。軍事施設というより領主の威容を示す意味合いが強くなっている。人々の住む地域と離れていません。細かいのでよく分かりませんが、目を凝らして見ると、豪奢な建物が並んでいるだと思います。あっ、兼六園はどこにあるのでしょうか。
最後に、江戸城です。金沢城よりもさらにスケールが大きいですね。最初に見た、太田道灌による江戸城と見比べると、とても同じ城とは思えません。私たちはこの城の築城後の歴史を知っているからかもしれませんが、この城にとって、城という軍事的に意味はほとんどなくなって、軍事に使われることはなかったわけですから。ほとんど見世物としての機能しかなく、城としては形骸化していたと
いえると思います。ですから、堀とか石垣とか郭のような軍事的な威容についても、軍事目的の機能美として見られるものではなく、権威を示す装飾として見られるものになっていると思います。それは、これまで見てきた軍事施設としての城たちと比べると、言い方は悪いですが、一種のハリボテに映ります。そういう見方ができたことは、ここでの展示を見たからこそではないかと思います。
今回は絵がどうこうではなく、描かれた城を見て楽しんでいました。