池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ<全地球時代>の構想力」
 

第1章 ウェブの現在 

第2章 スチュアート・ブランドとコンピュータ文化

第3章 Whole Earth CatalogはなぜWeole Earthと冠したのか

第4章 東海岸と西海岸

第5章 facebookとソーシャル・ネットワーク

第6章 アメリカのプログラム

第7章 エンタプライズと全球世界

第8章 Twitterとソーシャル・メディア

第9章 機械と人間

感想

 

著者は“構想力”という概念をキーとしてウェブと社会のあり方について、現在そして今後について考えようとしている。ここで著者のいう“構想力”とは、開発者も利用者も含めて共有されている理想像、未来像、を描くための構想力のことで、夢といってもいい。例えばPCの開発については、その開発初期である1950年代から60年代にかけて基本的な構想が、しばしばカウンターカルチャーの影響下で構想=ビジョンが描かれていた。本書では、その象徴的な人物としてスティーブ・ジョブズとエリック・シュミットを取り上げているが、彼らの指し示すビジネスの方向=戦略にはほかの多くの企業も乗ってきている。企業だけでなく、エヴァンジェリカルなユーザーを中心にユーザー自身もそうした理想の実現に熱くなっている。つまり、おおよそ50年前に構想された理想が、50年の時を経て、ようやく最終形態として実現されようとしている。

そして、そのビジョンは、商品やサービスの供給者である企業だけでなく、消費者であるユーザーも共有していた。そうした集団による夢の共有を可能にしたのが、スチュアート・ブランドが始めたWECという雑誌やコミュニティの存在だった。夢の商品、夢の世界を実現させてくれたからこそ、PCやウェブの新商品は公表されるたびに熱狂をもって迎えられてきた。その熱狂があればこそ、単なる消費対象・購買対象物を超えた「文化」として受け止められてきた。自分たちの夢を叶えてくれる存在として、多くのユーザーが、シリコンバレーを中心に登場するコンピュータやネットワークの企業を歓迎してきた。

構想力が大事になるというのは、このような文脈においてのことである。本書では、この構想力及び構想力の手前にある想像力に関心を寄せる。想像力はニーズ志向でもなく、シーズ志向でもなく、両者の中間的存在=媒介としてあり、両者を牽引して構想に繋げていく。そして、ソフトウェア中心の時代にはプログラム=書かれたものの「実装」として構想は具現化されていく。

 

第1章 ウェブの現在

2010年に入り、アップルとグーグルとの競争が激しくなった。大まかな構図としては、グーグルがウェブを舞台に、そのフリー(無料=自由)な利用を可能とする手法として検索広告を発明したことで、ウェブ上の多くの企業活動の経済的成否の鍵を握ることとなった。そうしたウェブ上のほぼすべてを掌中に納めかけたかのように見えたところで、アップルがiPhoneの投入によってグーグルのゲームのルールを破ろうとしてきた。

Free”の著者であるクリス・アンダーソンは、この時のスマートウォンなどの登場によって、インターネットの中に、クローズな世界が作られ、その帰結としてのウェブの細分化・断片化が進んでしまい、自由なアクセスが担保されたウェブが死んでしまうと主張している。これはつまり、オープンアクセスと、それに基づくリンク構造の増殖を消滅させる。ウェブの自己成長の可能性を減じ、その結果、目新しいことが起こらなくなる。つまり、イノベーションが起こりにくくなるのではないか、ということである。

グーグルの登場により、我々はウェブの「全体」を俯瞰した結果が示されるという考え方に慣れ、ウェブを一望する感覚を持つことができた。そこではグーグルがウェブの中心であるような感じになるのだが、グーグルが圧倒的優位を持つ事業はウェブの検索とその結果に付随する広告にすぎない。一方、グーグルの側では、ウェブをフリーでオープンな場として堅持することに力を入れてきた。すなわち、誰もが利用できるためにはウェブは可能な限りFreeであるべきであり、だれもが制作に参加できるように、ウェブは可能な限りオープンであるべきだ、としている。

しかし、グーグルが全体感を醸し出し得たのは、人々が汎用性のあるブラウザに基づき、基本的には相互リンクを受け入れ、アクセスが自由なサイトが大半であればこそのことだった。それが変わったのは、スマートフォンの登場によりスマートフォン上のアプリが一般化し、アプリごとにカスタマイズされたインターフェイス、つまり独自ブラウザが溢れることにより、さっきのオープン性は損なわれてしまう。このことは、ウェブが持っていたリンク可能性がもたらす、相互参照性や間テキスト性といった特性は薄れていく。ウェブという言葉から想起される水平的な網目構造は、相互に行き来が可能で、相互に参照可能だからこそ維持される。だが、その相互参照性が損なわれるとツリー的な構造に戻ってしまい、自由度は減じてしまう。

このあと本書では90年代からのネットの動きを概観する、それは興味のある方は、直接本書に当たってもらいたい。

  

第2章 スチュアート・ブランドとコンピュータ文化

第1章で概観した動きの原点として考えられ、PC/ウェブ文化を用意したと言われるスチュアート・ブランドとその時代を見てみたい。スティーブ・ジョブズは若いころのバイブルとしてWECWhole Earth Catalog)に触れている。

WECはカウンターカルチャー全盛の1968年にスチュアート・ブランドによって創刊された、ヒッピー向けの雑誌である。ヒッピーが目指した「意識の拡大」や「新しいコミューンの開始・維持」に繋がるような情報や商品が多数掲載され紹介されてきた。そうした情報や商品はいずれもコミューン生活を支えるための「ツール=道具」として捉えられてきた。この各種ツールへのアクセス方法を示しているところが今日のグーグルのようだという評価に繋がった。具体的なモノだけでなく方法や考え方も等しく「情報」として同一誌面上に掲載されるような編集方針が、今日のウェブを想起させ、このような編集方針によって様々な人や情報がこの雑誌の周辺に集まるようになり、情報のハブ的な役割を果たしていく。

この編集者であるスチュアート・ブランドは、情報の集約者というタイプではなく、ある考えのプロモーター(奨励者)でありアドボカシー(説得者)であると言えた。そうした彼の下に使徒とよべるような編集者やジャーナリスト、学者、そして熱狂的な読者が付き従い、伝説的な存在へと祭上げて行ったと言える。

ブランドは1972年にRolling Stone誌に“Spacewar”という記事を寄稿している。LSDPCを同一線上に置くことで、サイケデリックとサイバネティックスという本来なら語源を異にする二つの言葉を、音韻的な類似性を含めて関連付け、互いに誤読する通路を開き、人間の意識の変革を示すような事態を指し示す接頭語としてcyberという言葉が使われる状況を生み出し、「サイバーな文化」に、カウンターカルチャー的なインスピレーションを与えたのだった。その記事の中でブランドはスタンフォード大学のAI研究所やXeroxPARCで研究者たちがコンピュータ通信を介してSpacrwarというゲームに興じている様子を伝えた。それにより、それまでコンピュータと言えば中央制御型でトップダウンの巨大権力機構の象徴のように捉えられていたイメージを180度転換させ、むしろ、個々人の創造性を刺戟し中央制御型の管理機構に対抗(=カウンター)するためのツールとして位置付けて見せたのだ。この記事は、コンピュータをカウンターカルチャーに結びつけ、その傍らでコンピュータゲームと、初期のインターネットとハッカーといった今日のPC/ウェブ文化の要素を一通り紹介してしまった不思議な記事といえる。

この記事で紹介されていたSpacewarに興じるハッカーたちが利用していたのがARPANETThe Advanced Research Projects Agency)だ。ARPANETは、冷戦下の核攻撃による通信破壊=連邦政府機能の事実上の停止、という恐怖の想像力に応じて生み出されたものだ。二点間を直接つなぐ電話網の脆弱性の克服が開発初期からの目的であったため、実際に採用されたのは効率性よりも畳長性を重視する分散型のネットワークだった。そのため。当初からパケット方式が利用できるデジタルネットワークとして設計された。さらにネットワークの一部が破損しても容易に復旧できるように、ネットワーク同士の通信ルールであるプロトコルを定め、プロトコルさえ遵守すれば新たなネットワークの接続が容易にできるようにした。民間開放後、世界中で相互に通信可能なネットワークとして拡大し、中央制御されぬまま今でも増殖を続けている。

当時の有名なハッカーにビル・ジョイという人物がいる。彼は、後にサン・マイクロシステムズの創立者の一人となるのだが、その前にカリフォルニア大学バークレー校でワークステーション用OSを開発していたチームに後のグーグルのエリック・シュミットがいた。サン・マイクロシステムズは、ネットワーク全体が、巨大で、かつ常に増殖していくコンピュータとしてあるという考え方で、これが基本的には今日のクラウド・コンピューティングに繋がる。エリック・シュミットはこのような系列につらなる。これはアップルのスティーブ・ジョブズが個人のコンピュータ利用に一貫して関わってきたのと対照的だ。シュミットもそうだが、ネットワーク開発者の発想は、常にネットワーク全体を意識する。そして、ネットワークに接続する利用者の多様性に思いを巡らすという、ある意味「生態系」的発想に近い。 

一方、1968年にダグラス・エンゲルバートによるコンピュータシステムのデモンストレーションが行われた。このデモにWECのブランドはプロデューサーとして参加している。このデモは、デスクトップコンピュータの有り様を示したという点で先駆的で画期的であった。エンゲルバートの意図は、それまでの中央処理型(メインフレーム)のコンピュータのイメージを刷新し、コンピュータとの対話を可能にし、また、コンピュータを介して複数の人間が共同作業を行えるようなコンピュータシステムを構想し直すものだった。そのためには個人がコンピュータを容易に使えることが不可欠で、例えば、コンピュータへの入出力方法として、マウスなど今日のPCの利用ででは当たり前となったものが提案され、後のPCの雛型となった。同時に、このデモは現代風のPCを駆使したメディア・プレゼンテーションのスタイルの先駆けとなった。これはブランドがヒッピー運動のLSDフェスティバルでの経験を生かしたものだった。

このデモに大きな刺激を受けた人の中に、アラン・ケイがいた。彼はこのデモに触発されパーソナル(個人利用)コンピュータを考案し、Xerox PARCで開発されたAltoという実験機を製作する。デスクトップというメタファー、マウスを用いてアイコンを操作するタイプのグラフィカル・ユーザー・インターフェイスをそなえたもので、後にスティーブ・ジョブズによるマッキントッシュ開発の原型となるものだった。ケイは、さらに進めて、コンピュータをメディアと捉えるダイナブックを構想した。タブレット型の形状やタッチパネルによる入力方法まで含めて、現在のiPadで実現されようとしているものだ。

このネットワークとパソコンの両方の一大転機の現場に居合わせたことで、ブランドは第一線のコンピュータ開発者へのアクセスを確立し、カウンターカルチャーの経験を含めた幅広い文化的社会的関心からコンピュータの開発状況を分析し位置づけ紹介していった。そのような立場をとることで、ブランドとWECはコンピュータ文化においても重要な媒介者になっていく。

また、ARPANETは90年代まで政府予算の許で運営され続け、一般人の利用は難しかった。その代わりに電話網を介したPC通信を一般PCユーザーが利用することになる。その当時、ブランドはPC通信フォーラムであるWELLを設立する。WELLWhole Earth ‘Lectric Link)はオンラテンコミュニティの先駆けで、WECのオンライン版として企画され、WECがイメージしていた「新しい生活共同体=コミューン」の電子版として立ち上げられた。ここでは直接的にカウンターカルチャー時代のコミューン志向を継承していた。つまり、自分の意志でその集団への参加を決め、情報や意見の交換はボランティアベースベースで進めた。またカウンターカルチャー的な「解放の精神」を体現するために、もっぱらハンドルネーム=偽名によりコミュニケーションが行われた。電子の広場としてWELLは、同好の士によって幾つもの趣味や関心の集団を形成し、ウェブパブリッシングの孵化器ともなった。さらに、ブランドはピーター・シュワルツとともに企業向けのコンサルティング・ファームを立ち上げた。シュワルツはシナリオプランニングという未来の見通しをいくつかのシナリオとして提示するもので、ゲーム理論やORを駆使したシミュレーションとしての発想である。この手法は社会科学における計量化方向を決定づけた。そして、ブラントが培ってきた人的ネットワークに結び付けられ、企業人と学者、ジャーナリストの知的交流を深め、そのプロセスで企業人の発想を変えていった。当時、80年代のアメリカはリストラの時代であり、企業経営そのものをスリム化し、水平化していくことが試みられようとしていた。ここで、ブラントらが用いたフォーラムというネットワーク形態が生み出したアウトプットだけでなく、それが生み出される場に当の経営者が実際に居合わせアウトプットを生み出すプロセスを体験することが、ネットワーク化された、水平化された、組織への移行への意思決定を促していった。この結果、企業組織は分散化の形態をしこうすることなり、ネットワークの活用を前提とする点で情報産業には、プラスになるものであった。

 

第3章 Whole Earth CatalogはなぜWeole Earthと冠したのか

スティーブ・ジョブズもエリック・シュミットもカウンターカルチャーの影響を受けていた。当時のWECとその創刊者であるスチュワート・ブランドの影響だ。

カウンターカルチャーとは、アメリカで主に1960年代に起こった若者の一連の運動の総称で、ヒッピー、ドラッグ、ビートニク、コミューン運動、公民権運動、ベトナム反戦等の様々な活動だ。これらの動きを大まかに二分すると、公民権運動のように直接的に政治的運動に連なるものと、ヒッピーやコミューン運動のような新たな文化や社会を生み出そうとした社会的運動に連なるものにとだ。そして、ブランドやWECがかかわったのは後者の方だった。当時のアメリカは、第二次世界大戦の好景気で国が湧き返り、モノが溢れ、今日に繋がる大衆消費社会の雛形を用意したころだった。その一方で新興の大国として、新たに登場したソ連との間で本格的に冷戦の時代に突入した時代でもあった。シリコンバレーの誕生に大きな影響を与えた航空宇宙産業の興隆も冷戦によるものであった。当時の若者の典型的な不安は、大量生産/大量消費を支える大企業という官僚制の中で一つの部品として生きることに対する不安であり、冷戦の進行の中で徐々に現実味を帯びてきた核戦争による人類の破滅への不安であった。このような不安が十分な現実性帯びるほど、アメリカにいる若者たちを巡る環境が激変していた。そうした社会環境の中で、具体的に不安の源泉に抵抗し、その原因を排除するために、公民権運動やベトナム反戦という行動に移る人たちもいれば、それとは別に、不安の源泉からの脱却を精神面から試みる人もいた。しかし、両者を峻別することできない。カウンターカルチャーという運動は、中心と言えるものがなく、同時多発的に生じたものが連鎖を繰り返すうちに全体として一つの動きとなるものだったからだ。このような中で、ブランドがWECを通じて関わったのは意識の拡大やコミューンの方向性だった。

この時、1938年生まれのブランドは30歳を越えており、カウンターカルチャーの中心世代より上の世代に属していた。ブランドが在学中のスタンフォード大学は、1950年代後半から、連邦政府の研究予算の獲得に奔走し研究型大学へと脱皮しようとしていた。当時は、第二次世界大戦からソ連との冷戦時代を迎え、太平洋岸の地政学的意義が増し、新たに設立された空軍を中心に基地が増設され、航空宇宙産業の主要企業や研究機関が続々と太平洋岸地域に設立されていた。NASAの研究機関であるエイムズ研究所もあり、大量の軍事予算が西部に投下され、その一部が研究開発予算として、政府機関、企業、大学の研究所に流れ込んでいた。ちなみに、シリコンバレーも当初は連邦政府の研究予算に支えられていた。コンピュータの開発も、勃興する航空宇宙産業の一分野として始まったと言っていい。そこで、カウンターカルチャーの側からみればシリコンバレーは連邦政府の出張所のようなところであり、このように異なった立ち位置にある人々を繋ぐハブとしてブランドやWECが大きな役割を果たしていくことになる。

ブランド自身はコミューンを築くような運動の渦中にいることはなかったが、コミューンを支援する活動として68年にWECを創刊したのだ。雑誌はカタログ誌であり、その意図はWhole Earth Catalogという名前に全てプログラムされていた。このWhole Earthという世界の見方は、バックミンスター・フラーの影響を強く受けたものだ。ちょうど船に乗った搭乗者が呉越同舟、一蓮托生の立場にあるように、地球という船をどう切り盛りするかという問題意識がフラーの宇宙船地球号にはあった。大学時代に生物学・生態学を学び、軍に入隊するほど世界を憂い、マルチメディアアートやLSDの体験を通じて人間の意識の拡大の可能性に触れ、さらにはアメリカ先住民という異なる社会の存在をその目で確認してきたブランドからすれば、Whole Earthという言葉、それまでの彼の体験を纏め上げるには十分な広大さを持っていたと言える。地球を一つのシステムとして考えることで異なる世界の有り様を想像させるものであったからだ。地球を一つのシステムとして考えることで異なる世界の有り様を想像させるものであったからだ。ただし、ブランドは単なる夢想家ではなく、科学を信じる現実主義者であり、現実的な問題解決への接近を優先させるプラグマティストであった。

この点で、限られた資源をいかにして有効に活用することができるかという問題意識がブランドの心を捉えた。例えば、デザイン=設計の際には全体を見渡したうえで、最小資源で最大効果を得るものが最良のデザインであるとする見方を提唱した。つまり、デザインを単なる意匠と捉えるのではなく、最終的な制作物が利用者に与える効果まで見越したうえで行う行為と捉える包括的な考え方だ。このような有限資源の最適化こそがデザインの本質であるとする見方は、ウェブ時代になって、モジュール化と言われる方法で、デザイン概念の主流の一つになる考え方と言える。全体を見渡し最適の解決方法を得るためには一度外部へと離脱し、その外部から全体像を眺めたうえで検討することが不可欠であり適切な対処方法と言える。これは、コミューンを年から離れた自然の中に創設する考え方を正当化するものであった。

Catalogという言葉、WECがツールを紹介する場としてあることを強く意識したものだった。さらに、そうしたツールに対するレビューも多数掲載された。レビューは当初は専門家が中心だったが、徐々に読者からの投稿が重視された。つまり、ブランドの編集方針として寄稿者や読者を含めてWECを一つのシステムと見なそうとしていた。これはWECを生きた場に変えるものといえる。フィードバックを重視し、情報をプロセスとみなし、WECを動態的な場として位置付けた。情報とはプロセスであり、そのため動態感の確保と維持が大切だと考えていた。そのため、レビューに対しては、単なる批評をするのではなく、肯定的にレビューの対象から炙りだされる洞察を更に引き伸ばすことを重視した。要するにレビューする何かについて、その内容から刺戟を受けた部分を肯定的に解釈し、さらにその考え方の可能性を追求するスタイルを奨励した。そうすることで、レビューは原作者に対するフィードバックとして機能することができる。そのようなフィードバックを促すためには、ピアという水平な関係を重視した。こうした特徴が、WECを紙のグーグルと言われ、今日のウェブにおける情報交換のあり方を予見させるものだった。

さらにWECがベイエリアにおいて創造性を刺戟するユニークな装置となるには、ブランドの交友関係の広さが重要な役割を果たした。誌面にはジャンルの垣根を超えた情報が詰め込まれていた。WECの紙面構成では幅広い対象の選択とそれらの併置が重視された。一見関係のないものどうしの併置は、それらを見るものに一種の換喩的想像を促し、新たな解釈につながる文脈をおのずから生み出させてしまう。要するに、今日のハイパーリンク的読解が可能となるような構成が目指された。

1970年代に入りカウンターカルチャー運動は失速してしまう。それは、コミューン自体の自壊もあったが、それ以上に、アメリカ社会が置かれている状態が激変したことが大きな理由だった。ブランドは、こうした中でWECの読者であるカウンターカルチャー世代の人々が社会に復帰するための言説、つまり考え方の枠組みを、グレゴリー・ベイトソンを参照することで用意した。ベイトソンによれば、世界は生態系として一つである。この考えから、ブランドは、コミューンに退却せずとも社会を変えることは可能だ。むしろ、社会変革は企業や日常生活の場でこそ実践することができる、という考え方を読み取った。60年代のフラーの考える外部から全体を考えるのではなく、閉と損の見方は、都市から離れることなく、世界は生態系として一つなのだから、外部に抜け出すということはできなくなる、そこでどこであろうと今ある場所が変革を実践する場となる。こう考えることで、WECが重視したDIYの姿勢はそのままに都会の日常生活で実践に取り組むことが可能となった。実際に、カウンターカルチャーの世代はアメリカ社会に戻り、中には一定の社会的成功を収める人たちも出てきた。企業人やインテリとして成功者の中で、ライフスタイルとしてカウンターカルチャー時代に重視された、自然や相互扶助を尊ぶスタイルを選択した人たちのことだ。ここから例えば、社会的大義を消費行動の一つするマーケティングがアメリカで生まれてくることになる。このようにカウンターカルチャー的な文化的意匠は、アメリカのメインストリームである大企業の商品によってアイコンとして利用されるようになった。これはカウンターカルチャーの保守化と言われる事態だ。ブランドはこのように、カウンターカルチャー世代が一度は退却した社会と折り合いをつけるために、彼らの考え方の調律に役立つ言説を用意したのだった。

ブランドはこの後、80年代後半のWELLGBNの設立、「メディアラボ」の執筆を経て、コンピュータに関わる世界では後景化した。コンピュータ分野におけるブランドの最大の功績は、カウンターカルチャーに出会う前の、スタンフォード時代に学んだシステム論的発想を、カウンターカルチャーに接木したところにこそある。興味の赴くまま、科学と文化の最先端に同時に触れる場所に居続けたことが最大の貢献だった。その意味でブランドは最高なカタリストであった。

 

第4章 東海岸と西海岸

前章ではWECの紹介のため西海岸のベイエリアをとりあげたが、コンピュータの開発は東海岸から始まったと言ってよい。その中心はMITであった。そもそもサイバネティックス理論を考案したノーバート・ウィーナーがMITの教授であった。ほかにもジョン・フォン・ノイマンのいたプリンストン高等研究所など東海岸に開発拠点があったのは、五大湖周辺のオハイオやミシガンが19世紀の後半から工業州としてアメリカの工業の中心だったためだ。この地区の企業の多くは巨大企業として独占ないしは寡占的な地位を築いていた。それゆえ、実質的に当該産業の行方を左右する地位を占めていた。つまり、企業と産業を同一視して構わないような状況があった。情報産業であれはIBM、AT&T、等が、自動車産業であればビッグ3がそうだった。カウンターカルチャーが対抗しようとした官僚体質の企業とは、まさにこうした東海岸に本社を持つ大企業だった。そのためか、西海岸にスタータップ(起業したての企業)のアタッカー気質が多いのに対して、東海岸の企業の場合、産業全体の秩序を考える既存大企業の気質が強いということだ。

90年代のインターネットブームは多分に東海岸主導で演出され進められたところがある。新しいサービスを創り出したのはシリコンバレーやベイエリアの企業が多いものの、それらを生み出す仕組みや環境を用意したのは東海岸の組織だった。中でもMITのメディアラボが情報発信の役を務めた。これは、ニコラス・ネグロポンテによって始められた。これはもともとは、建築設計へのコンピュータ利用から始まったものだ。具体的には、設計支援のためのCG利用や、建築模型に相当するプレゼンテーション方法としてのコンピュータ利用、あるいは、モデルルームに代わる擬似的空間体験としてのバーチャル・リアリティなど、いずれも広い意味で、人間と機械の間の適切な協働形態の開発という主題に連なっていた。つまりは、インターフェイスの開発であり、メディア=媒介技術の開発であった。ここで付言すべきことは、建築という分野は、アメリカでは工学とは独立した分野として扱われる。設計や施工、構造計画のような工学的要素、建築様式から部屋の意匠のような造形的要素、都市計画から不動産開発までの経営学的要素等が混在した領域として独立している。コンピュータの登場(デジタル化)によって、建築に関わる行為の多くの部分が物理的なもの(アナログなもの)から切り離された。その分、一見すると表層的な意匠の組み換えや、計画・設計の要素が目立つようになり、広い意味でデザインの問題に帰着する部分が増えた。実際、そうした意匠の新しさが建築や造形物の新しさに繋がったところもある。デジタルによって形状は機能に従うというインダストリアル・デザインのルールに縛られる必要はなくなった。デジタルによっていとうのは、設計がCGで柔軟になったということだけでなく、多くの製品がデジタル化によって極小のチップで制御可能になり、デザインによって見た目を誤魔化す必要のあった機械部分が減ったということもある。また、材料科学の開発が進み、想像したイメージを自在に実現できる表面加工技術の開発も進んでいる。裏を返すと、見た目の形状からは内部機構のからくりが想像できないような製品が増えていることでもある。

90年代以降のインターネットの商用化の中で浮上したのは、「広場」よりも「市場=マーケットプレイス」の構想力だった。ウェブ自体は、技術と経済やビジネス、そして政治や社会が複雑に絡み合った中で日々開発されていることが、すでに周知のものとなっている。そのいずれもが人間自身が作り出した広義の「人工物」であり、それぞれに関わる人たちの想像力が投影されたものだ。電子の「広場」が重視した、意識拡大やコミュニティづくりとは別種の想像力がマーケットプレイスの開発に動員された。

例えば。ジョン・フォン・ノイマンによって発案された「ゲーム理論」がそうだ。ゲーム理論は、もともとはチェスのような「ゲーム」の背後にある数理を取り出すものとして考案されていたが、これを経済行動に応用した場合に、市場における売り手と買い手の交換行為を一種のゲームと見立てることで、その交換が実際にどのようなメカニズムで、その交換が実際にどのようなメカニズムで起こるのか、また、どのような条件下であれば交換が成立するのか、あるいはそうした交換行為が長期にわたって安定化し「取引」や「市場」へと変貌していくための要件はなんなのか。そのような問題意識へり展開していった。それまでの経済学が市場をひとつの抽象的な存在として捉えていたのに対して、ゲーム理論は市場で取引する個々人のやり取りから出発している。この具体的な交換行為を出発点とするところから、必然的にコンピュータの利用を呼び込むことになる。個々の交換活動を何らかの形で集計する手続きが必要になるからだ。

このゲーム理論は軍事行為のシミュレーションと計量経済の研究という二つの大きな動機付けの下で研究が進められた。とくに後者はシカゴ大学を中心にして金融工学の理論的な基礎づけを作っていった。その中にいたのかせ、ハーバート・サイモンであった。サイモンは、前に出たフラーとは違った文脈で、最適化過程としてのデザイン、システム設計としてのデザイン、という見方を明確にした。彼らのデザイン発想は、個別具体的な意匠の制作、というデザイン対象に接近した視点だけでなく、その制作物がどのような文脈でどのように利用されるかを全体を俯瞰して考えることを優先する。サイモンのデザイン発想は、人間が考案したものは、すべて一律に「人工物=the artificial」と呼び、その設計=デザインを重視したところに端的に現われている。ここにおいて、建築家とデザイナーが等置される。今日のウェブの文脈でサイモンが重要なのは、彼が従来の経済学が想定していた「合理的個人」がいかに空想的なものであったかを明らかにしたことだ。人間の判断は、どれだけの知的訓練を受けた人であっても、彼・彼女が持ちうる知恵に基づいてしか判断できない。その点で「限定合理的」なものに過ぎない。ましてや市場のすべての商品を探索して自分の価格選好にあった商品を見出すことなどは全くの不可能なことであり、いくつか探索したところで納得して(あきらめて)判断するような「満足化原理」による他ない。サイモンは、限定合理性と満足化原理をあわせて「ヒューリスティック」と呼ばれる判断方法を見出し、そのような個人が市場の売り手と買い手として参加するのが現実の市場であることを明らかにした。

電子の市場は、ノイマンとサイモンが交差するところで開発された。つまり、一方に、ノイマンに端を発するゲーム理論の適用による経済学の構造化があり、もう一方に、サイモンに端を発する人間のもつ限定合理性を前提にした人工物としてのデザインの工学化がある。その交差点で具体的な仕様の開発が進められた。ウェブ時代にアーキテクチャが重要概念として取り上げられる理由はここにある。世界が電子の市場となっていった。

 

第5章 facebookとソーシャル・ネットワーク

Facebookはもともと創立者であるマーク・ザッカーバーグが在籍したハーバード大学のオンライン学生名簿としてスタートした。しかも登録にはハーバードの在籍者であることを確認するために、ハーバードのメールアドレス保有者に限られた、という排他的でスノッブなサービスとしてスタートしている。

この排他性は、実はソーシャル・ネットワークという言葉のある側面をよく表している。言葉の意味からしてソーシャル・ネットワークとは端的に社交関係のことだ。社交デビューすることで社会化が完成するというアメリカ社会の慣習と深く関わっている。だから、ソーシャル・ネットワークのソーシャルとは「社交」と考えるべきだ。その後、facebookは積極的に登録者数を増やす方向に舵を切った。ザッカーバーグがfacebookで試みようとしているのは、オープンとトランスペアレンシー(透明性)が人々の大切な価値として尊ばれる世界だ。グーグルのようにウェブ上のすべてのデータを機械的に、つまり人間の判断を一切かませずデータ処理をしていくようにことには興味を示さず、あくまでもそのネットワークのノードにあるのは感情と理性を持った人間であることに拘る。そのため、彼は、折に触れfacebookのユーザーに対して理性的にオープンであること、トランスペアレント(透明)であることの意義を主張している。一種の普遍主義、コスモポリタンな志向がザッカーバーグにはある。

このようなザッカーバーグの開発思想、その根底にある構想力や思潮は、カウンターカルチ『アエネーイス』はローマ建国の神話であり、パックス・ロマーナを支える、多民族融和の原理を示した物語だ。これにより今日に至る「ヨーロッパ」という概念が生まれたといわれる。つまり、多数の人々や文化が共存共栄する方向性が示され、それがヨーロッパの精神を育んだのだという。アエネーアスはトロイ戦争でギリシャから敗走し、父と息子とともに地中海世界を東から西へと渡り、最終的に約束の地として啓示を受けたイタリア半島のローマにたどり着く。先住民であるイタリア人との抗争を経て、二つの民族を統合し「ローマ人」という民族を新たに創設する。それが後のローマ帝国の礎になった。新たな融合民族としてのローマ人は、平等の法の下に、二つの異なる民族から創造された。この融合の契機は多民族融和の原理として解釈される。逆に、この多民族融和の原理を遵守することで、戦争ではなく平和を志向することを内面化した人々こそローマ人であり、そのような人々の集合体が新たに建国されたローマであった。このローマは「永遠のローマ」といわれ、時間的に無限に存在し空間的にも果てを知らない人類の共同体と想定される。ローマの永遠性は、ローマの外部からやってきたトロイアの英雄であるアエネーアスがその基礎を築いた時から神々の意志で保証され、運命になったとされる。「永遠のローマ」という見方は、古代ギリシャにあった循環的な歴史観(万物は巡る)に代わり、単線的な成長という進歩的な歴史観を生み出した。「永遠のローマ」が理想型とされることで人類普遍の共同体の完成がローマ人の歴史観とされた。これにより、ある不動の価値の実現に突き動かされて常に外部へ拡大・膨張・増殖を繰り返すような運動が肯定された。

この永遠のローマのイメージを、どうやらザッカーバーグはfacebookの成長に重ねているようだ。というのも、facebookはもともと排他的な社交サイトとしてスタートしたものが、途中から一般ユーザー獲得を目指す拡大路線へと変更された。その過程で、排他的なイメージから開放的なイメージへと組織のあり方や考え方を変えなければならない時があったはずだからだ。その転換点で参照されたものの一つが、例えば拡大を肯定的にとらえる『アエネーイス』だったのではあるまいか。

『アエネーイス』に加えて、ザッカーバーグはマクルーハンのグローバル・ビレッジにも関心を寄せている。グローバル・ビレッジとは、電子メディアによって世界中の人々が結び付けられ、そこで部族的な紐帯関係としてのコミョニティが築かれるとする考え方だ。マクルーハンはカソリックであり、カソリック的世界観の影響下でグローバル・ビレッジを構想したとされる。つまり、キリスト教はローマが国教に定めることによって普及を進め、またその過程でギリシャ文化と共にヨーロッパを支える精神的支柱となった。カソリックは中世においては世俗的な領土的境界を越えて、ヨーロッパに広く浸透した。むしろ、カソリックの精神があればこそ、ローマから遠く離れた中央ヨーロッパに位置する神聖ローマ帝国がローマ帝国の継承として存続しえた。カソリック教会は当時から精神的な共同体と移転でバーチャルな共同体としてあった。そうであれば、物理的空間をやすやすと飛び越える電子的な媒介=メディアの装置を、精神的な関係と結びつけることはカソリックのマクルーハンにとっては自然なことだった。

このように『アエネーイス』はfacebookの方向性にヒントを与えている。『アエネーイス』はヨーロッパの精神、つまり、常に前進し拡大し続ける精神というものを築いたと言われる。これは、ゼロから何かを築き続ける精神であって、何かに対抗しようとするものではない。つまり、カウンターカルチャー時代の発想とは随分異なると言ってよいだろう。誰かへの対抗心、抵抗姿勢とは無縁な中で、一つの価値を愚直に追求しようとする。拡張することへの意義を確信した振る舞いと言える。

ザッカーバーグの内にカウンターカルチャーに代わる想像力の源泉を探すうちに、彼の発想の背後には、『アエネーイス』に触れる機会を与えるようなアメリカの文化的伝統があることが見えてきた。さしあたって、ザッカーバーグに到るまで繰り返されるアメリカの文化的伝統を「アメリカのプログラム」と名付け、次章では、その諸相を探る。

 

第6章 アメリカのプログラム

この章では、概ね19世紀のアメリカで起こったことを取り上げる。その頃のアメリカは独立した後、北米で西方に領土を拡大していた新興国だった。同時に、独立を契機にしてヨーロッパとは異なるアメリカ独自の文化が模索されていた時代で、今日のアメリカを形成するための事件が立て続けに起こった時代だ。このようなアメリカの特徴の一つとして、確実に建国の起源に戻れることがあげられる。他国ならば民族や国の発祥の神話があるものだが、アメリカの場合は史実として記録されている。そのためか、その記録をあえて記憶に転じさせ神話化しようとする動きが随所に確認できる。その最たるものが大統領選挙の度に、建国の父祖たちにかかわる歴史書が多数出版され、新たな史実や解釈が提出されることだ。このような、歴史解釈の想像力、あるいは、別解釈を生み出そうとする点で物語的想像力といってもいい想像力はアメリカでは何度も反復される。そして、その物語や想像力がまた新たな歴史を創り出していくことになる。さらに、過去への想像力は容易に反転して未来への想像力に繋がっていく。このようなアメリカの想像力の源泉をアメリカのプログラムと呼び、考えてみる。

今日のアメリカ大衆文化の源泉として19世紀半ばの「アメリカン・ルネサンス」の作家たちを取り上げてみる。エマソン、ソロー、ホイットマン、メイヴィル、ポー等の作家たちだ。特にラルフ・W・エマソンは中心的人物でトランセンデンタリズムと呼ばれる思潮の考案者でありけん引役であった。このトランセンデンタリズムやアメリカン・ルネサンスはアメリカ独立後に初めて大々的に記録された文化思潮であり、エマソン等の市井の人々による言葉で綴られることにより、民衆の思想とでもいうべきものが創り出されたことだ。こうしてエマソン等はアメリカ人という自意識を生み出すことに貢献した。彼らの作品は、多分に当時の主流の文化や風潮に対して異を唱えるものだった。いわば19世紀のカウンターカルチャーであった。その異を唱えられた主流なるものが、欧州伝来の文化的伝統であったため、結果的にアメリカにオリジナルなものとして広く理解されることに繋がり、アメリカの人々の心の糧となっていった。彼らの残したものは、その後のアメリカ史の中で、折に触れ参照され、その時々の運動や表現の成就の上で精神的支柱として取り上げられ、国民的な文化的源流となっていった。

そしてカウンターカルチャーの運動にも繋がっている。具体的には次の諸点を指摘できる。第一に、自然との神秘的一体感の強調をしていることだ。これは19世紀の西部へのフロンティア拡大の動きとも呼応したものだが、アメリカには手つかずの大自然が多かった。従って、自然といかに対峙するかは、実際に開拓の現場にいるアメリカ人が抱える現実的課題でもあった。そこからDIYの姿勢が生まれ、西部的なリバタリアン=個人志向の心性を生み出した。これに対して、カウンターカルチャー運動ではコミューン活動が「バック・トゥ・ザ・ランド」運動と呼ばれたことに典型的に現われているが、文明の象徴である都市に対立するものとして「自然」が取り上げられた。そこから、自然との神秘的一体感の追求は、反文明、反文化の運動の精神的支柱となった。第二に、ソローに典型的に見られる市民的不服従の姿勢だ。アメリカのデモクラシーの理想に回帰し、承服できない社会状況に対してはそれを態度で示すことをよしとする。賛同者数が一定の閾値を超えれば単なる不平ではなく社会的運動に転じる。アメリカで様々な社会運動が継続し、時に新たな運動が起きるのは、こうした伝統があればこそだ。第三に自然の賛美がある。これは第一と第二の点とも関わる。しかし、さらにエマソンは自然との一体感の果てに来る透明な眼球という自己イメージと、その一体化した自然の中で感得する大霊という表現をしている。このような意識の拡大、世界の認識の仕方を表す言葉がアメリカオリジナルな言葉として、カウンターカルチャーの一つの重要なゴールとなる。意識の拡大のために自然への撤退が重視されたのもエマソン以来の伝統があったからだ。そして、自然を経ないで意識の拡大を目指すものとしてLSDが開発され、ブランドはネットワークされたコンピュータのSpacewarに見たのだった。第四に、東洋思想の影響である。この東洋文化の要素は、西洋文化の継承者であるアメリカの主流文化に対抗する拠点として何度も参照されることになる。さらにアメリカ先住民の文化と東洋文化との近接性も指摘される。第五に、独立歩行、自己信頼と訳されるSelf-Relianceだ。これら五点はいずれもがカウンターカルチャー運動と関係している。カウンターカルチャーの動きが全米的な運動にまで転じたのはアメリカ・ルネサンスに代表されるアメリカ独自の思潮の素地があったからだと言える。

ジル・ドゥルーズは、アメリカは兄弟、姉妹の関係からなる連合社会だと言っている。兄弟、姉妹とは、ヨーロッパが父子の関係からなる社会だということに対比しての表現で、ヨーロッパは垂直的な権威の階層が基本であり、つまり父と子の、導くもの/導かれるものの関係で占められた社会であるのに対して、アメリカは上下の関係ではなくて水平的な、兄弟姉妹のように互いに支え合い導き合う関係が埋め込まれた社会であることを指している。連合主義とは、同志からなる人々が状況に応じて可変的に組み合わさり、ことにあたることで、多様な人々が多様なまま結集できるとしている。連合主義も同志もホイットマンの言葉だ。ドゥルーズによれば、アメリカは多様性と可変性からなる集団で、裏返せば集団として固定されないところにその特徴がある。集団を作り替えていく力学を内部に抱えているということだが、それはカウンターカルチャーやソーシャル・ネットワークで見た世界に即している。実際、アメリカでは内部に新たな集団をつくる傾向を持っている。さらに、コミュニティ、コミューン、アソシエーション等の集団の区分はあまり意味がなく、程度問題に過ぎなくなっている。通常、コミュニティ(共同体)は地縁を前提に伝統的に形成された集団とされ、その地縁から解放され個人の自由な意思によって特定の区域に作られた相互扶助的な集団がコミューンとされる。しかし、アメリカの街は、基本的に移民の入植によって作られたもので、コミュニティといっても必然的にコミューンの性格を帯びる。また、アソシエーションとは、ある目的を叶えるための結社を意味することが多いが、開墾地ではコミューンはアソシエーションでもあった。このような事情から、これらの区分を厳密に行うことは生産的とは言えない。これらの区分は、むしろ欧州のものだ。実際、ヨーロッパの人間こそがアメリカにユートピア建設の夢を描いた。ユートピアは未だ存在しない集団をつくるために理想を重ねるという点で、文学的な想像力の世界と親和性が高い。一方、ユートピアは社会を構成する方法に変容が見られるからこそ構想されるわけだが、その構成方法の変容は、新たなテクノロジーの登場によって刺激されることが多い。その点で、ユートピアの多くは技術が開くと言っていい。そして、アメリカの場合はDIYの文化を通じて、一般の人々の行動にも働きかけることになる。ソーシャル・ネットワークが開く世界も、その意味でユートピア的想像力と関わると言っていい。

トクヴィルは19世紀前半にアメリカを訪れ『アメリカのデモクラシー』という著作にまとめた。トクヴィルが特に関心を示したのは、アメリカでは人々の平等が理念だけでなく実際に、社会の初期条件としてかなりの程度実現してしまっていることだった。そして、このような平等社会のことをデモクラシーと名付けた。これは一般的な民主的な政治体制のことではなくて、民主的な手続きが広くいきわたった結果実現されてしまった平等な社会のあり方を指す。加えて、そのデモクラシーとしての社会を支えるものとして、社会問題の解決のために自発的にアソシエーションを作る技術を評価した。また、平等という条件が個人の内面を襲うときの一種の心の防波堤として機能するものとして宗教を肯定的に位置付けた。

19世紀の終わり、ウィリアム・ジェイムズは、トクヴィルの考えた宗教の意義、つまり、平等社会の下での個々人の不安を和らげ、肯定的に人生を捉えようとした問題意識を継承した形で、宗教を教会や宗派のような組織から捉えるのではなく、あくまでも「ある個人にとって宗教的な体験とは何か」という点に注目して、アメリカにおける宗教を捉えようとした。ジェイムズによる宗教の定義は、端的に言えば、その人が宗教的と感じるならば、そこに宗教があるということだ。つまり、個々人のレベルで見た場合の、心のケアに繋がるような信心については、広く宗教的なものを認めようというものだ。アメリカが平等社会という理念からスタートしたからこそ、異質な人々との共存を否定できない。しかしながら、平等が実現しているはずとみなす態度は相応の心的圧力を人々に与えることになる。平等化した中でその平等な環境下での「私」の位置を巡る不安に対して、個々人のレベルでの心のケアがどうしても必要になる。そのケアを担うのが、伝統的か新興かを問わず宗教であり、あるいは、より世俗化されたセラピーやカウンセリングなどだ。そうした霊性文化を含めて、アメリカは信心が定着した社会と思ってよい。そのような平等原則社会における信心の重要性をジェイムズは19世紀末に再確認したのだった。ジェイムズは、このように宗教的であるかどうかによらず、「信じる」ことを信じた。ある確信に基づいた行動がその確信で想定した事実に辿り着くのであれば、その確信をさしあたって真理と呼んでもいいのではないだろうかというのが、彼の思想、プラグマティズムだ。つまり、何かを「信じる」ことの効果を肯定的に捉えた。「真理であることと信じたものが真理である」というのは、厳密に科学的な世界では承認しにくい世界観だろうが、ジェイムズはそのような姿勢を「信じた」のだった。

このように何かを信じて実践に臨むということが、実はアメリカでは多くみられる。信じて振る舞うことが現実を変える、というのはアメリカでは様々な運動の現場の中で見られる。カウンターカルチャー運動もその一例と見てよい。そうした社会的実践とともにある社会科学の分野でも、こうしたプラグマティックな真理観が重視されている。例えば破壊的イノベーションという経営戦略で有名な経営学者のクレイトン・クリステンセンがそうだ。

イノベーションのとの関係で、進化論としてのダーウィニズムは、19世紀アメリカでは近代性の象徴であり、それゆえ反宗教性の象徴となった。そのため進化論を認めるかどうかは、今日でも社会問題としてある。ビジネスの世界でも進化論に基づくevolutionという言葉は定着せず、代わりにinnovationが採られた。そのような背景を考慮すると、innvationという言葉には、単なる単線的な技術革新だけではなく、経営環境への適応を随時図り、それを通じて自身も変貌を遂げるevolutionの発想が背後に込められていると捉えるのがよいと思うことは多い。evolveは「外に向かって回転する」というのが原義で、「進化」という訳語にあるような前に進むというニュアンスはない。Evolutionは既に起こったこと、すなわち過去の出来事に対する反応で、「化ける」という言い方の方が近い。何かが内部から食い破って出てくるイメージだ。クリステンセンは、イノベーションという過程をevolution同様、一種の自然法則と捉えている。自然法則は人間の意志でどうこうできるものではない。だからこそ、イノベーションという自然法則扱いを巡って人間がジレンマを抱え、解答を模索することになる。その模索から知恵が生まれ、新たに工学的な対処方法が考案される。クリステンセンはinnvationevolutionのように、環境適応の帰結として現出するものと捉える。Evolutionは環境に対してただ起こるだけであり、そこから生じることにいいも悪いもない。同じことが彼の捉えるinnvatuionにも当てはまる。いいも悪いも人れ船の側で判断できない自然法則に対してinnovationのジレンマ(苦悩)が健闘される。そして、試みてみないことにはいいも悪いもない点でinnvationは、常に賭けとなるが、賭けは必然的に勝者と敗者を生み出す。シリコンバレーのinnvationはこうした見通しの上で賭けとしてなされる。そして、その賭けの精度を上げる努力を怠らない。だからこそ、夢も生まれる。このように物事を自然の側から見る(法則)か、人間の側から見る(意志)かは想像以上に大きな違いだ。

 

第7章 エンタプライズと全球世界

2010年代のウェブを考える上で世界の動きは無視できない。ソーシャル・ネットワークに注目が集まる状況ではなおさらだ。というのもソーシャル・ネットワークの本質は「人々の間の交流」にあるからだ。人々の活動が世界的な広がりを持つ中では、人々の交流もまた全球的な様相を帯びるようになる。そして、そのような全球的な交流を支援し加速させる方向にソーシャル・ネットワークのサービスも向うからだ。それは、同時に、より柔軟で自由なイノベーションの機会を与えてくれさえする。トクヴィルは、アメリカ社会の特質としてアソシエーションという社会技術を指摘した。その技術は2010年代のアメリカにもエンタプライズという形で継承され、全球に向き合っている。

エンタプライズは「企業」のことだが、コーポレーションという言葉とはニュアンスが異なり。「進取の気性を帯びた主体」で、「何か凄いことをしでかしてくれる者」というイメージを持つ。ちみに、コーポレーションは「法人=法的に擬人化された組織」という意味合いだ。いずれも「会社」を表す日常語としてつかわれているものの、敢えて違いを強調すれば、エンタプライズが「企て」のようなミッションに照準しているのに対して、コーポレーションは「法人」という組織のあり方を記述するに留まる。トクヴィルがいったアソシエーションは、現在ではエンタプライズとして実現していると言っていいだろう。トクヴィルの後、重工業に照準した産業革命を経て、大企業が中心の社会になり、アソシエーションの担い手として企業が浮上した。アソシエーションが体現した自治・自活の伝統は、企業の形で様々に実現可能になっている。そのため、アメリカの場合、会社に社会的責任を期待することはそれほど無理なことではない。ここから、個々の企業に対して、ゲーム・チェンジャーとして産業の変革者や、ソーシャル・チェンジャーとして社会の変革者としての役割が期待される。つまり、産業や社会を変えるという点で、政府の対抗馬としてエンタプライズ=企業が位置付けられる。企業である以上、いわゆる市場メカニズムは悪ではなく、良き社会を構築するため利用すべき資源の一つとみなされ、企業は「市場メカニズムを活用して何かを行うプレイヤー」として位置付けられる。エンタプライズは、イノベーションの担い手として位置付けられる。

エンタプライズに社会変革者が期待される背後には、アメリカの多層化された社会構造もある。アメリカの統治構造は州と連邦の二層構造であるため、一見すると中世の欧州世界のような状況がある。ウェブ関係の企業や非営利法人は、容易に地理的境界を突破する点で、社会変革者としてのエンタプライズの様相を帯びやすい。とりわけ、人々の関係性を築くことが存在理由であるソーシャル・ネットワークはその傾向が強い。

Facebookは、当座の間IPOを避け、未上場のままで成長を目指している。これが可能なのは、VC(ベンチャー・キャピタル)が支援する起業様式が90年代のアメリカで確立されたからだ。ベンチャーのようなスモールビジネスがアメリカで奨励されるのは、その中の幾つかをビックビジネスにする環境や意志があるからだ。その点、自ら手を動かし問題解決をする中から長期的な未来を予見する人たち=ビジョナリと、企業という形態を維持するために短期的な収益を実現させる人たち=実務家、によるタッグが不可欠になる。仕事の創造の継続が社会に安定をもたらすと考える点で、企業活動自身が公共的な活動であるという見方が根付いている。

ウェブの普及の帰結として、ブランドが広めたWE=全球のリアリティが急激に増している。インターネットは自発的に成長する性質を持つネットワークであり、「ハブ」と呼ばれる多数のノードとリンクされた特権的なノードが生まれ、そのハブを通じてさらにネットワークが増殖する。そうして自己増殖する経路を通じて、マネーやデータが世界を駆け巡る。その流れの中でネットワークを通じて全球に広まる。このようにしてウェブは増殖する。こうした流れの効果として、長い目で見た時、世界の各地が繋がっていることが事実レベルでも、認識のレベルでも強化される傾向にある。広い意味で遠くの知らない誰か、あるいは物、土地ともどこかで繋がっているような感覚を私たちが感じる機会は増えていく、全球のリアリティとはそのようなものなのだ。

19世後半のイギリスの政治学者、グレアム・ウォーラスは「大きな社会」という考えを示していた。それは、商業と交通のネットワークが国を越えて形成する見えない環境のことだ。1970年代の金本位制の停止と為替相場制への移行によって金融の世界化が進み、多国籍企業が一般化したことを経て、「大きな社会」はグローバリゼーションとして再稼働した。ウォーラスのいう商業と交通のネットワークが稼働する速度を格段に上げたのがネットワーク技術であり、その具体的姿が今日のインターネットだ。その効果として、先進国だけでは経済を回すことができなくなってきている。そのような現状認識は、個々の企業において、商品開発のあり方を変えさせる方向に向かわせる。大なり小なり、世界商品として構想する必要が出てくる。世界商品においては、商品のスペックをグレードダウンさせることが必要な場面も生じる。しばしばオーバースペックを回避する「GoodEnough」という見方が求められる。そこでは、「イノベーション」の意味内容も変容する。

全球として経済を扱うのは、現実にG20という経済体制が当てはまる。G8に新興国が参加することによって、先進国から最貧国までの経済や市場を従来のような断続的なものから連続的なものとして捉えることを可能にする。つまり、先進国と新興国が同一の経済圏として認識される方向になる。そのため先進国市場での常識が通用しないことも出てくる。また、新興国の多くは、先進国と遜色ない生活水準や経済成長を実現する世界都市は内部に抱える一方で、BOPといわれる最貧国的な地域を抱える。ということは、G20というフレームは、新興国を世界経済の運営当事者として組み込むことで、新興国にある先進国的部分と最貧国的部分のすべてが投資の対象となることを意味する。今日BOP市場が単なる開発援助対象ではなく、イノベーションの機会を与えてくれるビジネスの場として捉えられている。最貧国での試みが新興国を媒介とすることで、先進国でも部分的に転用可能であるからだ。イノベーションが、単なる技術の開発や発明と異なり、期待される革新性を持ちえるかどうかは、社会経済の現場で解決しなければならない問題を具体的に認識できるかどうかにかかっている。そこから開発できる社会的コンテキストを浮かび上がらせることができる。さらにサービスという商品は、モノとしての具体的姿を伴わない分、利用される場面が具体化される必要がある。加えてビジネスとして成立するためには、一定の規模が必要になる。多くのBOP市場では、社会経済のインフラをゼロから立ち上げる必要があり、そのため、規模の条件をクリアすることは多い。あとは、そこでいかにして自発的に継続可能な仕組みをデザインするかが課題になる。例えばスマートフォンを巡るアップルとグーグルの競合もG20以後の全球世界の下で繰り広げられている。そこでは、両社の競争を、単純にモバイルのOSを巡る競争、あるいは、対価の回収手段を巡るは競争と捉えるだけでは足りない。BOP市場においては、社会経済体制をゼロから立ち上げる創造行為としてモバイルが位置付けられているからだ。PCが普及していない国では、モバイル端末はその人にとって唯一の個人端末になる。対価の支払い方法として追加されるペイメント手段も、銀行やクレジットカードが行き渡っていないところでは、そのまま見えないマネーになる。3Gと無線LANがデュアルで装備されることで最初からデジタルのデータ通信の利用を前提にできる。つまり、G20という枠組みは、こうした「今ある資源で社会をゼロベースで作ったらどうなるのか」という視座を与えてくれる。既にある社会インフラを飛び越えて、機能と経済性に優れた新しい社会インフラを実現することを想像できる。そこでは空想が空想で終わらず、現実に変わりうる。思考実験が同時に現実を変える場面に出くわすことも可能になる。つまり、先進国の社会状況とは異なる設定の下で、「自由な発想」による新たな問題解決の方法が求められる。

デザインを取り巻く環境も変わってきて、「意識的な問題解決」を意味することになる。意匠=表層のコントロールであったはずのデザインが、逆に使途を誘導するものとなり、デザインの概念が更新される。20世紀に流布したデザイン発想の出発点は、バウハウスによる「形状は機能に従う」というものだった。機能を体現するようなデザインが優れたデザインだという発想だ。それが、材料工学の進歩と、機械的な制御も半導体チップのように極小化されるに従い、形状は機能から解放され、自由なものとなり、さらにバウハウスの頃とは主客が逆転し、デザインそのものが使用価値を決定する事態も現れた。現在は、それがさらに進み、むしろデザインがより広く問題解決の樽の方法論として捉えられるようになったことだ。そこでは、事実上、デザインは設計と同義だ、その反面、単なる意匠としてのデザインは後退する。少なくとも世界商品を前提として時代では、設計=問題解決としてのデザインが前景化する。

実際に、こうした製造工程の変化は「ファストX」と呼ばれる、世界中に広がる流通販売では既に起こっている。一般にファブレスと呼ばれる、製造を外部に委託する企業の場合、その存在意義は商品の企画力と販売力に集中する。そのためファスト企業群では、従来は市場調査と言われたものが、企業の将来を左右する研究開発の地位を占める。顧客の意向をいかにして汲み取り、顧客の嗜好をいかに現実的な範囲で水路付けるかが研究課題となる。実現可能な(製造や販売)技術を活用しながら、いかに顧客を魅了するかということだ。このように世界商品を生み出す過程もデザイン=設計の視点からの変容をすでに開始している。

ウェブはワールドワイドウェブであるため、ウェブ企業は必然的に起業と同時に世界的な広がりをもつ。ウェブビジネスの多くは、利用されることで初めて価値が生まれるビジネスだ。とりわけ、アプリケーションの提供に特化したWeb2.0以降ではその傾向が顕著だ。YouTubeではユーザーの投稿がなければただの空っぽのビデオの棚でしかない。企業の多くはユーザーのボランタリーな活動によって現実化されている。このようにユーザーの関与があればこそ、ウェブサービスは場として実体性を帯びることができる。ここから、ユーザーの賛同や共感をいかに得るかが今日のウェブ企業には不可欠の戦略になることが分る。ポピュラリティの確保が経営戦略上の最優先事項になる。

一方、グーグルによる本のデジタル化プロジェクトの動きの中から、インターネットの世界で中楽当たり前になっていた「インターネットはメタネットワークだから世界中で普遍で一つ」という観念が通用しなくなったことが明らかになった。これはインターネットで起こったことは世界中で起こるという自明性が崩れることでもある。ウェブでよく使われる言葉として、オプトイン、オプトアウトという対の言葉がある。オプトインとはユーザーが利用するという参加意識を示さない限り利用できないもの、オプトアウトはユーザーが利用しないという意思を示さない限り利用できてしまうものだ。ウェブのサービスではシステムについてデフォルトの設定を行う必要があり、主にはユーザーのプライバシーの扱いなどを提供者側で勝手に設定できなくなったため、オプトイン、オプトアウトという形でユーザーの形でユーザーの意思を先ず聞くという手続きを取るようになった。一つのインターネットの自明性が崩れてきたということは、今後は、様々な場面で、ユーザーの側の意思表示が求められる場面が増えていくことを意味する。

2000年代に入って、アメリカと日本の経営方向性に乖離が生じた。ITバブルが弾けて経済が低迷したアメリカでは、「起業」から「グローバル・ビジネス」へと、ただ今あるビジネスを回すだけではなく、国外にいかにビジネス機会を見出すかが主要な課題となった。一方、日本では「失われた10年」の言葉に象徴されるように国内に目を向けるようになり、これが後日ガラパゴス化に向かう。国内市場での経済やビジネスを考える場合には、社会や政治、文化が主題になることは殆どない。しかし、複数の国にわたる行動の場合には、そうしたことが表に出てこざるを得ない。インターネットの登場によって、より規模の小さな企業でもこうした国際展開に関わるようになる。むしろ、中小企業に特徴的な部品=中間財を提供している企業の方が国外企業とのやりとりを進めることになる。消費財と違って、中間財は端的に言って圧倒的な質やコストパフォーマンスで判断されることが多いからだ。そこでは様々な意味で技術水準そのものが試されてしまう。

90年代以降、企業財務ではDCF法による企業価値算定が常識になった。将来にわたり企業に流れ込むキャッシュを予測し、それを一定の割引率で現在価値に変換し、その総和が理論上の企業価値と見なされる。こうした企業評価の考え方は、二つの点で、企業行動を短期的なことに集中させるようになった。一つは営業戦略としてPDCAというサイクルを確認する発想が中心になり、四半期単位の業績を確認し修正することが目標となった。これにより、企業を収益に関するフィードバックシステムと見る視点が定着した。もう一つは、仮に長期のことを考えようにも、DCF法の仕組みでは5〜10年ぐらい先のことしか視野に入ってきにくくなったことだ。10年以上先の収益は現在価値に割り引いたところで企業価値への貢献は微々たるものになってしまうからだ。こうしたことから。10年以上先のことは考えても現実的には意味のないことなり、勢い予想の精度があがる5年くらいが標準的視野となる。5年先が現実的な未来となってしまう。一方、シリコンバレーでは、ツートップの経営が選択され、実務家の経営者は5年先を照準し、その一方でビジョンを担当する経営者はその先を構想する。その際に、ジェネレーションという言葉がよく使われるようになった。概ね30年の幅で考えようというものだ。

 

第8章 Twitterとソーシャル・メディア

Twitterの創業者の一人であるビズ・ストーンは、人々が日々使ってくれる何か価値あるものを作ることが何よりも優先すると語っている。つまり、価値の創造・提供がかれらのビジネスの最優先事項であるという発想だ。普通なら価値よりも利益、そのための価格が優先される。このことからすると彼の考え方は常識からずれている。ストーンの考え方は視点=次元を異にしているように思われる。それは、ウェブが既に世界的広がりを持つことや、Twitterがソーシャル・ネットワークと呼ばれるサービスの一つであることも関連している。ソーシャル・ネットワークは世界中で既に億を超える人が利用し、国境の存在によらず、人々の繋がりやコミュニケーションを促すことがその役割となっている。注目すべきは、登録ユーザーが増えればユーザー間の潜在的交流可能性も増大することだ。これは、例えば、商品を販売するサイトで顧客数が増えることとは決定的に異なる。それは、ウェブに接続する端末の向こうにいる人たち同士が何かを行うための媒介として機能するのが、ソーシャル・ネットワークだからだ。

ウェブの世界でよく聞かれる言葉に「マネタイズ」がある。欧米では、ウェブ上で立ち上げられたサービスでユーザーの支持を得られたものをどう金銭的価値に実現していくか、という文脈で使われる。つまり、多数のユーザーが利用するに行ったという事実から、そのサービスには何らかの価値があることが疑いえなくなった段階で、その価値をどうやって金銭の尺度=価格として評価し、収益とするか、ということだ。マネタイズで重要なことは、「人々がこれは大事だと感じる」何かを生み出すことであり、その何かへの賛同をユーザー登録という形で支持票として得ていくことだ。何らかの価値を現出させることが先決で、その価値を経済的に支え、かつ、再生可能にするための方法に頭を捻るところがマネタイズのポイントだ。しかし、突き詰めると人間関係の維持と拡大を支援する「場」でしかないソーシャル・ネットワークでは、提供される価値をこれだと特定して言い当てることが困難であり、この点で、マネタイズの問題のいわば極北にあると思われる。その一方で、ソーシャル・ネットワークの場合、ユーザーを増やせば、自ずからその社会的影響力は増す。数億人のネットワークに瞬時に情報を伝えられる経路を持っていることの影響力は計り知れない。

ところで、場を作ることは本質的に利用者と共に行う協働事業である。そのため、その維持のためには、利用時に直接的に対価を支払う方法はそぐわない。何らかの形で「場の維持」そのものをファイナンスする仕組みが必要になる。つまり、贈与性との関わりがどうしても必要になる。ここでは、あるサービスの受容・享受とそれへの対価の支払いの間に時差が生じることぐらいに緩く考えておくことにする。要するに単純な等価交換の否定で、非等価ないし不等価の交換というイメージだ。金銭を経由せずにやり取りするものは、結局、それを等価な交換と見るかは、それを受け取る側の判断に委ねられている。そのことが前面に出てくるのが贈与性のある世界だ。従来であれば、「場」を支える経済的方法は、一つには税金であり、一つには広告であった。いずれも、「場」という存在の受益者と支払者の間にずれがあり、享受しているサービスと対価の間に直接的な関連性はない。しかし、広告の贈与性が維持できたのは、広告行為に直接の効果や受容者の特定のような要素を求められなかった時代に限られる。

ここでfacebookTwitterを対比的に捉えてみよう。おそらく、最も大きな違いはfacebookが顕名+承認制であり、Twitterが匿名+ブロック性であるところだろう。そこから、facebookがグローバル・ビレッジとして、Twitterをソーシャル・メディアとして捉えることができる。Facebookは、第5章で触れたように、もともと顕名の排他的な会員制クラブとしてスタートした。顕名制であるがゆえに、従来の社会生活に伴う社会的制約までもがfacebook内の関係性のルールとして持ち込まれている。Facebookは第一に実社会における社交関係の投影としてのサービスだ。現状でもfacebookは、既に紐帯関係を築いている人々によるコミュニティであり、その緩やかな集積は「街」のようなものだ。その規模が巨大になることで街はグローバル・ビレッジの様相を呈することになる。

これに対してTwitterはむしろ媒介=メディアに徹しているといっていいだろう。Twitterにおいては、匿名性=アノニマスが許容されているからだ。フォローと呼ばれる関係性のあり方はフォローされた側がブロックしない限り一方的な関係であるが瞬時に成立する。Facebookが基本的に相互承認による、つまり、相互にリンクが貼られた双方向の関係性から成り立っているのに対して、Twitterの基本は一方的なリンクで、それ故、極めて流動的な関係性が築かれていく。Twitterにおける匿名性には、社会で通用している特定の個人名を明かさず偽名を使う場合もあれば、実質的に集団行為であるがゆえに個人を特定できずに集団名を使う場合もある。匿名性は、カウンターカルチャーの文脈では、意識の解放による精神の一体化の一つとして解釈できる。だから匿名性を操れるTwitterの方が、カウンターカルチャー的であるともいえる。そして、匿名性による流動性、遊戯性ゆえに、Twitterは戯れが感じられる場だからこそ、逆にあるtweetが、ある特定の個人のものとして同定できるほどの発言と行動が一致するような人物が、発言力や影響力を持ちやすくなる。玉石混交の情報や解釈の言説が飛び交う一方で、時にその情報が一つの集団的行動を促してしまうこともある。ソーシャル・メディアがそう呼ばれる所以は、単なる情報掲示板ではなく解釈を促すことで行動に繋がる要素が強調されるからだ。アメリカにはfacebookTwitterを社会を変えるメディアとして位置付けようとする言説の磁場が強く働いている。

ここで、facebookTwitterの対比からソーシャル・メディアについての考え方を紹介したのは、「メディア」には社会的価値が想定しやすく、そのような存在は、何らかの形で贈与性のあるファイナンスを提供するものが現われることで支えられていくということだ。Facebookが未上場でいられるのも、いわばスポンサーとしての投資家が続けて登場してきているからだ。単純にはお金に換算できないと市場の関係者が思った時点で、その取引価格は各人の思惑だけを反映して吊り上っていく。もちろんこうしたビジネスの展開が可能なのはベンチャーキャピタルという存在と彼らの思考フレームが定着したからだ。

アメリカのウェブ企業、とりわけソーシャル・ネットワークが早期に国外に進出するのは、あるいは、利用者を自国の人間に限らないのは、企業の成長上どうしても必要になるからだと思っていいだろう。国境を越えて人々を結集させることができる潜在的な回路は、国際関係上も重要なものになるからだ。アメリカ国務省は「インターネットの自由」や人々の「接続する自由」を外交方針の一つとして強調するようになった。このことは、国境を越えて人々を組織化するポテンシャルをウェブが持つことを、国際政治の最前線に立つ人たちが公式に認めたことを意味している。このようにして、複数国にわたる人的ネットワークを維持し拡大するための回路がウェブを通じて創り上げられていく。ソーシャル・メディアが現実として力を持つ文脈とはそのようなものだ。

 

第9章 機械と人間

ウェブ企業の創業者の熱意は、サービスを実際に開発するスタッフ=技術者たちの夢でもある。開発目標というゴールの設定を揺るぎ無いものにするために、創業者の明確なビジョンが必要になる。その傍らで、日常の営業業務は現実社会のルール=世知にたけた人々が当たる。それが今日のハイテク企業の理想的な組織形態の一つだ。実務家の示す世知との対照から、創業者のビジョンは勢い抽象的で少しばかり理想的なものになる。だから、創業者のビジョンを、現実的でない、理想的に過ぎる、批判したところで、それは非難どころか賛辞になる。開発者一人ひとりの内発的な創造性を引き出すのはビジョンが不可欠で、それはユーザーからのフィードバックに対応した改良とは異なる次元にあるものだ。このように創業者のビジョンに牽引されて開発競争を行う企業間の競合は、だから、そうした理想を支える思想の対決という一面を持つ。つまり、シリコンバレーを中心に活躍するウェブ企業の競合は、同時に思想の競合でもあるわけだ。もちろん、この思想の競合は、アメリカのプログラムやエンタプライズによる全球への試みのように、アメリカにどこかしら理想を追い求め続けてよいとする伝統があるからこそ可能なのかもしれない。しかも、その分、互いの活動に対する批評が、単に否定的な避難でなく、肯定的な提案に繋がる契機を常に持つ。この大らかな肯定性はこと開発という点では重要な傾向といえるだろう。

グーグルの創業者であるブリン&ペイジは、情報工学の長年の夢である人工知能の成果をウェブに乗せることに並々ならぬ関心を持ってきた。その姿勢はグーグルの開発チームを大学院を模した研究機関のように運営しているところにも顕著に見られる。“Don’t Be Evil”というモットーも、企業人という以上に研究者として技術の利用にどう対峙するかを示した指針と捉えることができる。このような科学者としてのモラルを第一に掲げることで、同時に、グーグルという会社がイノベーションを優先する会社であることを社内外に宣言している。このような科学者のモラルを殊更に強調するのは、科学技術のフロンティアを切り拓くことに躊躇しない姿勢の表明でもある。さらに言えば、技術の限界に挑戦し続け点で技術開発という知的快楽主義を貫こうとする構えでもある。人工知能研究の成果を取り入れ、徹底的に機械科=アルゴリズム化を進めることで、ウェブの利用の具体的プロセスにおいて人間の介在を極力排除する。そうして人間の恣意性を廃した客観性=公平性を担保しようとする。そうした方向を取るのがグーグルだ。

これに対してfacebookのザッカーバーグは、あくまでもネットワークを操るのは人間であり、人間の側が自らの意志として「シェアする精神」を与することでウェブを豊饒なものとするのが大切だと主張する。このように機械=ネットワークと人間との間で成り立つ関係性という点では、グーグルとfacebookは全く異なる大局的な発想をもつ。グーグルが端末に繋がった人たちをあくまでも情報入力装置として客体化してとらえようとするのに対して、facebookは、端末を介してネットワークの向こうにいる人を繋げることで有意義な情報があらたに生み出されることを期待している。グーグルにとって大事なのはユーザーの痕跡としての出力結果だが、facebookにとって大事なのはユーザー自身だ。

「人間的かどうか」という点から見れば、テクノロジーとしては同様のものを使っていても、そのテクノロジーの利用に当たってもより人間的な解を与えているのがfacebookだ。Facebookの登録ユーザーは、他のユーザーにとって一種のヒューマンインターフェイスとしてある。ネットワークを互いに「擬人化」するものとしてネットワークに繋がれた他のユーザーたちがいる。その意味で、facebookの場合は、ユーザーを含めた、人間+機械の全体でネットワークを構成していることになる。だからこそ、ザッカーバーグは、そのような人間+機械としてのネットワークにポテンシャルを引き上げるために、ユーザーの間で情報をシェアする範囲を広げていくことが大事だと言っているわけだ。

このネットワークの人間化、もしくは人間性の復権という観点はアップルにも当てはまる。iPhoneiPadのようなタッチパネルの採用は、人間こそがネットワークを操縦しているという感覚を呼び起こすのに貢献している。自在性を与えることにより、自由を感じることができる。自由な個人というのはまさしくアメリカの中では一つの理想だ。アップルがいつまでもカウンターカルチャーのイメージを維持しようとするのは自由を勝ち取るのはあくまでも個人だというイメージに依拠している。ただし、間違ってはいけないのは、人間の継承を与えればいいのではなく、人間的な何かを直接感じさせてくれる、つまり人間的と長らく思われてきた特性を宿らせることが大事なのだ。それは、例えば人間らしさを取り戻させてくれる自在な操作性である。つまり、既に観念としてある人間をいかに取り込むかがホイントとなる。

Twitterでしばしば話題になるボットとは、ネットワークに貯蔵された情報をどこからかタイミングよく提示してくれるソフトウェアないしプログラムだ。ただ、情報の選択とタイミングの選択によって「人間らしく」感じさせることもある。ロボットというのは人間の似姿をしたものとして想像されてきた。しかし、一度人間の似姿であることを放棄してしまえば、洗練度の差こそあれ、既にアルゴリズムの形でロボットはネットワークの中にある。それがボットだ。

これらの傾向をまとめてみると、真善美という三つの基本的な価値になぞらえてみれば、科学的合理性を追求するグーグルは「真」、ユーザーという人間的なインターフェイスを通じて共同体の構築を進めるfacebookは「善」、触覚を通じた自在性を売り物にすることでヒューマンタッチを具体化させたアップルは「美」、という具合にそれぞれ基本的な価値を実現していると見ることもできるだろう。一見すると同じウェブやコンピュータのサービスを提供しているようだが、その実、背後にある価値観は異なる。その価値観=思想の違いが、彼らのサービスの開発や設計=デザインの違いとして表出する。いずれにせよ、科学的合理主義を追求するグーグルに対して、facebookとアップルは、いわば人間賛歌を復権させたことになる。それは同時に、インターフェイスの設計=デザインの問題、人間性を感じさせるためにどのような「フェイス=顔つき」を与えるのかという問題を突きつける。

ここまではグーグルとfacebookを対比的に捉え、グーグルは合理主義的で機械的で電子の「市場」を推進し、facebookは人間主義的で電子の「広場」を体現するという具合だ。このような対比は、あくまでも単純化したもので、現実の世界ではウェブが偏在しており、コンピュータ開発の最初期に構想された「マン・マシン系」、すなわち、人間と機械がともにシステムに繋がれ協働する状況となっているからだ。そうなると。両社はマン・マシン系の現出に向けた二つの代表的なアプローチと考える方が適切だ。

マン・マシン系で見た時、モバイルとソーシャルの間には決定的な違いがある。グーグルとアップルによるモバイル分野の競合は端末開発の競合でしかない。人間と機械は切り離され、もっぱら機械がどうなるかが問われる。インターフェイスの巧拙が消費者への訴求点となる。その意味では閉じたデザインだ。一方、グーグルとfacebookによるソーシャル分野の競合では、人間と機械は截然とは分かれない。端末の先にいる人間とその人の知識や交友関係をもネットの中に組み込んで考えることになる。グーグルの場合は、むしろウェブの上で稼働するポットやウェブに接続された機械をいかに稼働させるかに関心がある。これに対してfacebookではユーザーの持つ「ネットワーク」はウェブに限らない。その人が所属するあらゆる交流関係までもが組み込まれる。むしろ、そのような交流関係のすべてがウェブ上に投影されることが企図されている。このネットワークを介して人も機械も繋がっている状態は、グレゴリー・ベイトソンに従えばエコロジカルな状況にあるといえるだろう。つまり、マン・マシン系が一つのエコシステムをなし、その総体として生き物のようにあるということだ。こうしたフレームに従えば、ウェブに囲まれた私たちは、いわば、「エコロジカルな存在」であるといえる。そういってしまえば、逆に、機械を生物として見なすような関係を築くこともできるかもしれない。

ウェブが偏在するということはフィードバック網が偏在することでもある。その落とし穴は、一度設定された目標に対して漸近していく仕組みが洗練化されていく一方で、良くも悪くも、その目標に近づくことしかできなくなることだ。フィードバックはある意味で「揺り籠」だ。一度システムを設計してしまえば、その目的に向かって自動的に進むことになる。しかし、その揺り籠は安楽椅子でもある。そのループを抜け出す方法はシステムそのものには書かれていない。市場に適合するだけでは、早晩、消費者と制作者の間で鏡像的な関係が作られるだけのことだ。フィードバックの揺り籠から抜け出すためには、当初の目標の外部に歩み出て、新たな目標を設定することが必要だ。そこにビジョンの役割がある。

現在のウェブは、場=プラットフォームを作る人(アーキテクト)と、その場の上で個々のサービス=アプリを作る人(クリエイター)、そして、そのサービスを消費する人(プレイヤー)、の三層構造からなる。クリエイター、プレイヤーの両者は同じサービスに関与するものとしてしばしば似たものとなる。先進国のように一定以上の生活水準が長らく成熟市場では、ある商品のファン=消費者であった人がそのままその業界で供給者側に移ることは多い。日の意味で、クリエーターとプレイヤーはかなりの程度互換的だ。一方、アーキテクトは、このクリエーターとプレイヤーのやり取りを横目に見ながら、彼らのインタラクションを促すにはどうしたらよいか、プレイヤーの満足を増すにはどうしたらよいか、プレイヤーの関与やその究極として消費を促すにはどうしたらよいか、などを考える。場合によっては、クリエーターの捜索の動機付けについても知恵をねぐらす必要が出てくる。というのも、場のアーキテクトは最終的に個々のクリエーター+プレイヤーのユニットからの収益で場の維持を行うことが多いからだ。この構造は、そのまま税収を何に使うのがよいか考える都市の統治者に近い発想になる。都市計画を行う建築家のような発想が場のアーキテクトには求められる。このように改めて、場を設定するアーキテクトの発想から考え直さなければならない場面が増えている。だから、今後のウェブの構想力を捉えるため、実は社会に関わる思想や哲学に関心を寄せる必要がこれからのビジネスマンやエンジニアには出てくる。

しかし、アーキテクトと呼ばれる場の設定者だけがフィードバックの揺り籠から抜け出す担い手であるかというと必ずしもそうではない。クリエイターやプレイヤーのレベルでも関わる方向はある。そこでの鍵は「遊戯性」だ。遊戯性は、演劇性やゲーム性といってもいいだろう。目の前の状況を遊戯や演劇やゲームと捉えるところから、アーキテクトではなく、クリエーターやプレイヤーが、アーキテクトが用意した目的やルールから外れ、そのことによりフィードバックの揺り籠から抜け出すこともできるだろう。もう一つ興味深いのはゲームに参加している人の中で流れを制御する人が中にいてゲーム進行の軸を果たしていることだ。つまり、その人がゲームメイクをすることで個々の具体的なゲームが作られる。それがゲーム自体の変質を意図的に起こす可能性を高めるといえる。裏返すと、いま、目の前にある現実を自分自身が介入可能なゲームとして積極的に捉え直すことで、その現実が暗黙の前提としている目的やそれに合わせて用意されたルールの存在に気づくことができる。この状況は、スチュアート・ブランドが考えていた日常生活における変化の実践に近い発想だ。そして、そう考えればブランドがSpacewarに興じる初期のハッカーたちにカウンターカルチャー時代のヒッピーが帯びていた社会変革精神を見出したのも頷ける。つまり、目の前にある現場を遊戯や演技やゲームと見なすことで、現場を批判的に分析し解釈し改善する可能性を生み出すことでもある。文学的に言えば、批判的なパロディを生み出すことであり、異なる解釈を示唆するような批評行為をおこなうことであり、それらをあわせもつメタフィクションを生み出すことである。遊戯やゲームは現実と虚構の間=境界に立つための方法論として位置付けることが出来る。しかも、ウェブ時代では多くの場合、ソフトウェアを書き換えるところから変化を始めることができる。マン・マシン系が実現し、それらをクレアトゥーラとみなせる近未来では、ソフトウェアによって制御される物理的実体を内蔵した機械群も随時変更可能となる。

ソフトウェアやアルゴリズムの具体的な現われとしてゲームは、先行するメディアを参照しながら、登場時の可能性を取捨選択することにより、一定の商品として様式化してきた。だから出来上がったゲームのイメージだけに囚われると、そのもつポテンシャルが矮小化されてしまう。そのように捉えてしまうとゲーム内ジャンルの反復にとどまり、鏡像の中に閉じ込まれてしまう。それを避けるためにゲームではなく、もう少し広がりのある遊戯という言葉で、ソフトウェアを体現したものとしての可能性に注目するためだ。実際にゲームチェンジするためには、現実の重さ、自由度の重さを理解することも必要だ。そのときに有効な見方が可塑的という言葉だ。可塑的という特徴は例えば年度の造形過程に見られるように、変形に当たって全く自由というわけではないが、同時に全く不自由というわけでもない。要は、その自由と不自由の間にある制約条件をいかに活用するかで造形者の創造力が試されるひとになる。既存のスタイルは確かに一つの制約になる。それはユーザーが慣れ親しんだデザインでうり、そのため愛着もあれば、使い方として慣れてしまったところもあるからだ。しかし、新たな改変を加えていく。その変遷は後から振り返れば、ある一貫性を持った変化となる。可塑性とはそのような変化のあり方だ。例えば、人間の身体にはおのずから制約がある。だからといって、自由でない、不自由だということにはならない。その制約下でも創造性を発揮することはできる。その制限の中で限界に挑戦するからこそ、何か崇高なものを感じ、それを人々の間で共有することができる。人間はそのままでは空を飛ぶことはできないが、飛行機を生み出すことで制限つきの自由の範囲を少しだけひろげることができた。だから、大事なことは概ね似たような制約の下で自由に振る舞うことができれば現実的には問題ないということだ。

ここで考えられるのは、最初に合理性とは何かという具合に、仮決めのゴールイメージを作ったうえでそこへ漸近していくことを、肯定的に捉えようとする姿勢だ。コンピュータの登場によって理論的には可能でも実際に計算を終了させることができるかどうかが、実現の基準となった。これを計算可能性という。漸近していくという発想は、この計算可能性と呼ばれる実現可能性に準ずるような発想で、コンピュータが随所に埋めこまれた世界では有効なものの見方だ。裏返すと、ウェブが偏在化してしまう社会の中にある当のウェブ自体は、今後それ自身の持つ可塑性の下で漸次実現される可塑的な自由を、それこそ一歩ずつ拡張させるところでこそ、意義を持つのだろう。これは何らかの価値の実現で、ソーシャル・ネットワークはそのことに既に着手し始めている。そして、このような要請に応えるための方策の一つとして、オープンであることは大事なことであり続けるだろう。

ウェブは電子の市場としてスタートし、facebookによって電子の広場を実現した。今ある状況は、この電子の広場に、例えば集合知といわれる多数意見の決定メカニズムを、もっぱら市場経済のアルゴリズムを転用して実装しようとする動きだ。これは可塑的なデモクラシーの可塑性の最たるものだ。なぜなら、経済活動のアルゴリズムを、意見形成という活動のアルゴリズムとして変形することで、多数指示性を判断基準にするデモクラシーの実現に一役買おうとするものだからだ。こうしてウェブは可塑的なデモクラシーの実現場所として進化する。

ソーシャル・ネットワークの存在が前景化する2010年代は、アップルが依拠したカウンターカルチャー性の追求でもなく、グーグルが一般化した市場交換性の実施でもなく、facebookに代表されるソーシャル・ネットワークが用意しようとするデモクラシーのウェブでの配置が鍵を握る。人間の社会とネットワーク内のリソースが一緒になったマン・マシン系が舞台になる。そこではフィードバックの揺り籠に陥らないために、あれこれ策を講じなければならない。その時に有効と思われる視座が、たとえば遊戯性であり可塑性である。

 

後半の著者による展開は、ロジックというよりもレトリックで為されている。言っちゃ悪いが、語呂合わせに近い。議論はかなり粗雑で乱暴、本当に大学院を出てコンサルティングをしているのか。まあ、それだけ、著者は横文字の言葉に引き摺られている。ウェブとかそういう類の言葉がちりばめられているが、それがなければ得られない結論というのではない。だから、とりたててユニークさは感じられない、著者はウェブの時代はスピードが大切とでも言うような、どこか焦りが感じられるようだ。だから言葉が上滑りしているところが散見される、書いた本人、よく理解していないのではないかというところが多い、今は、そんなことを言っている場合ではなく、とにかく動かなければならないとでも言っているように見える。あと、知識のひけらかしのような外連も感じた。若いからしょうがないと言えば、それまでだが、もう少しよく考えること。着眼は悪くないのだから、着眼だけで終わっているのが残念に思う。

 
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