港徹雄
「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」
 
 
 

序章 ものづくり大国の黄昏

1.競争力としての分業システム

2.3D・ICT革新の衝撃

3.価格転嫁力の低下

4.日本車の品質評価低下

5.生産技術の国際拡散

6.モジュール化とアジア系EMS企業の台頭

7.基盤型産業の凋落

8.高度化する中国の生産技術

9.生産技術移転と資本財輸出

10.脱「黄昏」は可能か

1章 競争力基盤と国際分業

1.国際競争力のランキング

2.伝統的貿易理論

3.産業製貿易と新貿易論

4.企業間生産性格差と「新々貿易理論」

5.新々貿易理論の実証研究

6.競争力基盤と生産性

7.移行経済国の域内分業基盤

8.域内分業と企業間生産性

9.競争力基盤としての要素供給基盤

第2章 分業システム転換と国際競争力

1.100年の三度の大転換

2.第一の産業分水嶺

3.第一の産業分水嶺の終焉

4.第二の産業分水嶺

5.第二の産業分水嶺と下請システム

6.3DICT革新と第二の産業分水嶺の終焉

7.第三の産業分水嶺へ

第3章 分業システム転換と世界不況

1.第一の産業分水嶺と世界不況

2.第二の産業分水嶺と世界不況

3.世紀末繁栄を支えたICT革新

4.3DICT革新と世界不況

5.市場創造なき新事業創出

6.世界市場の一体化とデフレ圧力

第4章 日本産業の競争力要因分析

1.1960年代の競争力要因

2.1970年代の国際競争環境変化

3.外注依存度と輸出特化の回帰分析

感想

 

序章 ものづくり大国の黄昏

1.競争力としての分業システム

1970年代中頃から90年代中頃までの約20年間は、日本の製造業、とりわけ、多数の部品から構成される高度組立型機械工業の黄金期であった。そして、80年代中頃にはその絶頂期に達し、高品質で多様性に富んだ製品を迅速に供給し得る日本の生産システムは世界的な称賛を受け、先進諸国の機械工業部門では、こぞって日本型生産システムを導入するジャパナイゼーション現象がみられるまでになった。この時代においては、自動車工業をはじめ日本の機械工業製品は、その圧倒的な品質優位に支えられた非価格競争力によって、数次にわたる大幅な円高シフトにもかかわらず国内生産は拡大し、輸出を伸長させてきた。こうした日本の機械工業部門の強力な国際競争力を支えてきた基本的要素は、域内分業システム(Domestic Division of Labor)にあった。

域内分業システムとは、生産要素(労働と資本)が自由に移動できる特定の経済圏内で構成される分業システムである。域内分業システムの中でも、完成品メーカーと部品サプライヤーとの企業間分業システム、ものづくりの基盤をなすものである。また、日本の下請分業システムは企業間分業の一形態であるが、限定された企業間の長期継続取引、親企業による下請け企業に対するコントロールの存在等の取引関係の特異性が存在している。こうした特異性は、さまざまな経済効果を派生させ、企業間生産性を高めている。

下請分業システムが企業間生産性を高めた要因は、第一に、このような少数企業間の長期継続取引によって、企業間の長期継続取引によって、企業間分業に必要とされる取引コストを大幅に縮減させた。とりわけ、情報伝達コストを高めることなく企業間の濃密な情報交換を可能にした。第二に、下請け企業は、生産の自動化を高める専用機械・設備等の取引特定資産への投資を積極的に行い、コスト低減と品質向上とを同時的に達成してきた。第三に、下請企業は、特定の生産工程に専門化することによって、その専門領域の加工技術を深耕させてきた。第四に、安定した取引関係によって、下請企業でも長期的雇用が可能となり、従業員は取引特定技能水準を高度化させた。

2.3D・ICT革新の衝撃

1990年代後半以降になると情報通信技術(ICT)が急激に進化した。こうした段階でのICT革新を三次元ICT革新と呼ぶと、3D・ICT(3 Dimension Information Communication Technology)革新は、日本産業の競争優位性の源泉であった企業間生産性の高さを実現させてきた諸要素を、デジタル技術によって代替させグローバル規模で普遍的に利用できるようにした。

パソコンが三次元での情報処理能力を獲得するようになると、パソコン画面上で創られるサイバー世界と、人間が生産活動を行う現実の世界とが同一次元化することを意味している。三次元でのコンピュータを活用した設計と生産(CAD/CAM)がパソコン・レベルでも実現できるようになったことで、企業間分業によって個々の企業で生産された各パーツやコンポーネントを統合するための調整(摺りあわせ)の重要性は相対的に低下した。なぜなら、各パーツが製品にうまく適合できるかは、三次元の設計図面上で繰り返しシミュレーションすることもできるからである。また、二次元設計の時代には必須であった試作品製作も省略できるケースも増えている。三次元での機械加工を行うマシニング・センサー(MC)を制御するコンピューターの能力が急激に進化したことによってMCの自動制御精度が格段に向上し、これまでは熟練した技能工でしか実現できなかった高精度加工が半熟練レベルのオペレーターでも実行可能となった。

さらに、それまでは人間の視覚機能は複雑でその画像処理能力をコンピューターによって代替することは困難であったが、20世紀末になると人間の網膜機能を代替するような高画質、高速読み取り能力を持つCCDセンサーやCMDセンサーが開発されるようになった。これらの高機能のイメージ・センサーは、スチールカメラやビデオカメラに用いられただけでなく、各種の製造設備、とりわけ、それまで肉眼に頼っていた検査工程を自動化する装置として用いられるようになった。高機能のイメージ・センサーを組み込んだ検査装置の導入によって、検査工程の省力化が図られるばかりでなく、肉眼では見落としがちな微細な不具合も検出することが可能になった。この結果、高度な品質管理が、QCサークル等によらなくても実現できるようになり、日本製品の圧倒的な品質による優位性が相対的に低下した。

つまり、20世紀末以降のデジタル技術の発展は、熟練技能や人間の五感をも代替する段階に到達している。

20世紀末になると、インターネットの世界でも革命的な変化が起きた。光ファイバー・ケーブル網の普及によって、毎秒100メガ・ビットの送受信が可能となった。この結果、三次元設計図や大量のデータが瞬時に、しかも、ほとんど追加的費用なしで世界中に送受信されるようになった。このことは、世界中に情報を伝達するための神経系統が完成したことを含意している。つまり、パソコンが三次元の情報処理能力を獲得したこと、人間の技能や語感がデジタル技術によって代替されるようになったこと、インターネットが三次元の画像情報等の大容量情報を世界中に瞬時に伝達する神経系統の役割を果たすようになったことが、3DICT革新の本質的特徴である。3DICT革新は、20世紀末に先進経済諸国で普及したが、21世紀に入ると、発展途上諸国にまで普及するようになり、国際競争環境を大きく変貌させるようになった。

3.価格転嫁力の低下

日本の自動車メーカーは、これまで円高による円建て輸出価格低下を、その非価格競争力を背景に、外貨建て輸出価格を値上げすることによって転嫁することが可能であった。ところが、2008年末以降の円高局面では輸出価格への転嫁はほとんど実現していない。

2000年代半ばまでは強靭な非価格的競争力を維持してきた日本の主要輸出産業である輸送用機器は、2000年代後半になると、品質優位性の程度は、諸外国のライバル・メーカーの品質向上によって相対的に低下した。このため円高の影響を輸出価格引き上げによって転嫁することが困難となっている。

4.日本車の品質評価低下

自動車産業は日本のものづくりの高い能力を全面的に体化し、日本の経済成長を主導するリーディング・セクターであった。実際、日本の自動車メーカーは1980年代には、その効率的な企業間分業システムと高いものづくり能力によって圧倒的な品質の優位性を確立し、強い非価格的競争力を実現させてきた。しかし、こうした圧倒的な品質の優位性は2005年までであり、近年その競争力は大きく変質している。そして、1980年代には日本車に比べて競争劣位にあった韓国自動車メーカーの現代自動車は、日本メーカーを超える高い品質評価を獲得するようになっている。日系自動車メーカーの品質評価は総じて低下傾向にある。これは、日系自動車メーカーの品質水準が低下したというよりも、米国系自動車メーカーや韓国系自動車メーカーの品質水準が21世紀以降、急速に向上しているためである。このように近年の、海外の自動車メーカーの品質水準が向上した背景には、1980年代後半以降に日本のサプライヤー・システムの利点を、各国の産業風土に適合するように変容させながら移植する努力が奏功したこと、また、前項の3DICT革新を積極的に生産システムに導入した結果であると考えられる。

5.生産技術の国際拡散

1990年代末以降、日本産業の国際競争力の中核をなしてきた生産技術の、海外、とりわけ東アジア諸国への移転・拡散が急速に進展している日本の生産技術の国際的拡散を促す要因として、次の4点が指摘される。

第一の要因は、生産技術の多くが高性能のデジタル化された生産設備によって代替されたことによって、生産技術の国際移転性が高められたことである。かつて日本の生産技術は暗黙知の部分が多く、技術者や技能者個人に体化されているために、その生産技術の拡散はせいぜい国内企業に限定されてきた。このように、日本の産業社会に固有で国際移転性が低いという生産技術特性が、20世紀末までに日本産器用の持続的な国際競争力に寄与していたと言える。ところが、暗黙知化されてきた技能のかなりの部分が生産機械の高度な発達によってデジタル化され、国際移転性の高い形式知化されるになったためである。

第二に、先進的な生産機器をもってしても代替されない暗黙知については、日本の技術者や熟練労働者を直接雇用することで移転しようとする現地企業が、韓国、台湾ばかりでなく、中国やタイでも増加しており、日本人技術者や熟練労働者需要が東アジア全域で高まっている。同時に日本人技術者や熟練労働者の現地企業への供給を促進する要因も1990年代以降高まっている。日本輸出産業、とりわけ、大手電気・電子機器メーカーは90年代以降、長期的な経営不振によって大規模なリストラを実施してきた。そうして事実上解雇された従業員が新たな雇用先を現地企業に求めたのである。

第三に、生産技術や技能集約型産業での海外企業との合弁事業や、技術提携の増加による生産技術の国際移転が進展していることである。こうした提携を通じて、現地企業に日本企業から技術者や技能労働者が派遣されている。国際提携の増加も生産技術移転の重要なチャネルとなっている。

第四に、これまで中間財メーカーや生産設備メーカーの多くは、日本企業の生産系列傘下にあり、系列外企業への販売が制約されてきた。しかし、1990年代以降になると系列解体の動きが強まり取引の自由度が増したため、中間財メーカーや生産設備メーカーは海外企業への販売を拡大し始めた。この背景には、国内の完成品メーカーの成長鈍化によって、系列メーカーからの購買が落ち込んだことにある。また、液晶テレビのように製品イノベーションによって、従来のアナログ製品の時代とは異なった中間財や生産設備サプライヤーへの需要が増加した。こうした新たなサプライヤーは従来の系列傘下ではないため、海外企業にも自由にその製品を供給できた。液晶テレビや半導体生産にとって生産設備の性能は競争力に直結する。日本の生産設備メーカーは、90年代末以降に技術開発によってその製品の高性能化を一段と進展させたが、日本のメーカーは設備投資意欲が冷え込んでおり、こうした最新鋭の高性能機器は日本企業よりも韓国・台湾などの東アジア地域の企業によって積極的に導入された。この結果、これらの企業で半導体生産や薄型テレビの国際競争力が高まった。

6.モジュール化とアジア系EMS企業の台頭

日本企業の国際競争力に大きなインパクトを与えている技術的要因の一つが、モジュール化の進展である。モジュール化とは各機能製品(デバイス)間を連結するインターフェイスを標準化することを意味しているが、これによってモジュール化が進展している電子機器の生産プロセスは大幅に変容し、日本の電子機器下請企業の存立基盤は大きく揺らいでいる。

電子機器産業でのモジュール化は部品の互換性と製品の標準化を進展させたが、このことは同時に製品レベルでの差別化の余地が大きく狭まったことをも含意している。この結果、パソコンやオーディオ機器等ではブランド間での製品差別化が困難になっている。

電子機器のモジュール化の進展は、製品間の製造技術の独自性をも小さくしている。例えば、モジュール化が進展する以前では、パソコンと電話機あるいはビデオゲーム機の製造工程はそれぞれ相違があり、企業はそれぞれの製品を別個の工場で製造してきた。ところが、モジュール化が進展するとこうした製品間の製造工程の差異は大幅に狭まり、これらを別個の工場で生産する意味はなくなり、生産工場の統合が進展した。この結果、これまで特定の製品を生産する工場から仕事を受注してきた下請中小企業のなかには、親工場の統合に合わせて整理淘汰されたものも少なくない。

モジュール化の進展に伴って1980年代に入ると、生産工程の一部を請け負う伝統的な下請企業に代わって、電子製品の設計から最終組み立てまでを大規模に請け負うEMS(Electronics Manufacturing Services)業態が登場し、電子製品の製造がこうしたEMS企業に一括発注されるようになった。21世紀に入ると、電子製品部門では販売量が販売水準によってのみ決まるという、一般商品(コモディティ)化が一層進み製品価格低下が加速した。このためEMS企業は大幅なコスト削減要請に直面するようになり、人件費の高い先進諸国での生産では採算を確保することが困難となった。また、デジタル化された生産機器がより高性能化し機器価格も下落したため、中国に巨大規模の生産子会社を有するアジア系EMS企業が急速に台頭するようになった。

EMS企業はなぜこのように急激な成長を実現させたのであろうか。まず第一に、電子機器産業でのモジュール化の進展によって電子製品の製造プロセスが、メーカーや機種が異なっても同質性が高いため、多くのメーカーから受注しても生産ラインを大きく変更する必要が少なく効率的に生産を行うことができることである。しかも、受注から生産・出荷に至る全工程が最新の情報通信技術によって的確に管理されるため、規模の経済性が最大限発揮できるようになっている。さらに、桁違いの大量受注によって半導体等デバイスの資料調達において強いバイイング・パワーが付与され、有利な価格で資材を調達できることもコスト競争力を強めている。

7.基盤型産業の凋落

自動車産業をはじめ、あらゆる量産品の生産にとって金型工業は最も重要な基盤型産業である。日本の量産型機械工業の品質面での競争優位性のかなりの部分は、金型工業の高い技術・技能水準によって支えられてきたといえる。ところが、その金型工業が2000年以降相次いで経営悪化に陥った。というのも、金型は、その設計や製造に必要とされる高度な熟練技能の多くがコンピューターによって代替された典型的な産業であった。つまり、3DICT革新によって三次元のCAD/CAMがパソコンレベルでも容易に実現されるようになり、金型設計ソフトも急速に進化した。このため、それまでは効果で操作性も悪かった三次元での金型設計作業が、比較的安価となり操作性も向上した。日本の金型技術者は、二次元の設計図面から三次元の金型をイメージして加工する高い技能を蓄積してきたが、三次元CADが普及するとこうした技能の重要性は相対的に低下した。また、コンピューター技術の進化は、金型を加工する工作機械(MC)の加工精度を飛躍的に高めた。さらに仕上がった金型の精度を測定する三次元測定機も急速に普及するようになった。この結果、三次元CADによって制作された金型図面は、そのままコンピュータ制御の工作機械類によって製造されるという三次元CAD/CAMが普及するようになった。

8.高度化する中国の生産技術

金型工業をはじめ日本の基盤型産業がその国際競争力を低下させているのに対して、中国の基盤型産業の実力が2005年以降急速に向上している。中国の金型企業では、2000年以降になって積極的に先端的な生産機器を導入するようになっており、05年以降ではそれまで中国国内の金型企業では生産が困難と考えられてきた大型金型が生産されるようになっている。

事例を見ると、これまで移転性の低かった技能や暗黙知がデジタル化されることによって国際的に移転(拡散)可能となったこと、とりわけ、三次元CAD/CAMの導入が高精度な先端的生産技術移転に大きな役割を果たしていること、デジタル化が困難な技術や技能に関しては、資本・技術提携あるいは日本人熟練技能者の直接雇用によって移転されているという主張を確認させるものである。

20世紀の産業界においては、国際競争力を備えた工業製品の生産に必要とされる生産技術の習得や基盤型産業の育成には、20年程度の期間が必要とされてきた。実際、戦時経済下での機械工業の技術遺産を継承した日本においても、機械工業部門が国際競争力を確立し得たのは1960年代後半以降である。しかし、3DICT革新以降の世界では、生産技術習得、基盤型産業育成に必要な時間は大幅に短縮され10年前後で国際競争に耐える生産技術水準を確保し得るように変化している。

9.生産技術移転と資本財輸出

中国では、体内直接投資を始め様々なチャンネルを通じて生産技術移転が進展し、域内分業基盤も急速に強化されている。しかし、工業生産の急激な量的拡大と生産・輸出品目の高度化のテンポに比較すると、分業基盤を構成する支援産業の供給能力は不足しており、こうした需給ギャップを埋めるために日本からの中間財輸入は拡大を続け、また、基盤型産業で必要な高精度の輸入も増大している。こうした中国の資本財、中間財の日本からの輸入は拡大を続けており、その経済成長見通しからすると今後も持続することが期待されるが、輸入代替工業化が進展するにされて資本財輸入依存度は低下すると考えられる。

他方、韓国では、域内分業基盤の形成・強化が進展しており、金型や鋳物、プレス加工等の基盤型産業部門では輸出が輸入を凌駕する優位産業へと転化している。しかし、輸出品目の高級化・高付加価値化に伴って、高機能部材、例えば、液晶テレビ用の偏光フィルム等の輸入需要が拡大している。韓国政府は、日本からの輸入に大きく依存している中間財の輸入代替工業化を産業政策の重点の一つにしている。ここ3年は韓国の輸出が急拡大したため対日赤字は拡大したが、韓国政府のこうした政策努力は徐々に結実してきている。

10.脱「黄昏」は可能か

以上のように21世紀以降の3DICT革新は、日本産業の競争優位の源泉であった企業間の緊密な分業に基づく高度な「ものづくり」能力や長期雇用によって形成された熟練技能の多くをデジタル技術によって代替させた。この結果、中国をはじめ東アジア諸国の機械生産能力を量的にも質的にも急速に向上させている。同時に、これまで日本製品に比較して品質面で劣位にあったアメリカの自動車産業でも、急速な品質改善が進展している。日本産業では一部の高級品分野と高機能中間財部門では依然として強い国際競争力は維持されているが、普及品分野では競争力は低下している。こうした分野では、これまでのような品質優位性に基づく非価格競争力が低下したため激しい価格競争に直面し、従来のように円高による影響を輸出価格値上げにやって転嫁できなくなり、円高が輸出採算悪化に直結している。日本産業、とりわけ輸出の大部分を占める機械産業では、付加価値率低下に直面している。

日本産業は、その競争力が維持されている高機能・高品質を備えた高級製品分野と、近年輸出が急速に拡大している高機能中間財分野へ一層のシフトを図るべきである。また、医薬品、医療用機器のように高付加価値であるが、必需品的な特性をあわせもち、したがって、世界景気の変動に需要が左右されにくい商品分野、つまり、必需的高付加価値産業分野の国際競争力確立を優先すべきである。こうしたバイオ関連産業等の高付加価値産業部門で国際競争力を高めるには、その競争力基盤である知的生産要素供給能力を強めなければならない。先進諸国は、こぞって産業の知的生産性向上に最も注力している。

日本がその産業の「黄昏」を回避するためには、高級品分野、高機能中間財分野、とりわけ必需的高付加価値産業分野で国際競争力を強化することが、ほとんど唯一の道筋であると考えられる。そらには、これまで物的生産で高い企業間生産性を達成してきた日本の分業システムの、知的生産面での企業間生産性を高めることが不可欠の条件である。

 

1章 競争力基盤と国際分業

1.国際競争力のランキング

日本の国際競争力の低評価の原因は、政権の不安定性、財政赤字及び効率の税額などによると指摘されている。

2.伝統的貿易理論

何が国の国際分業(貿易)パターンを規定するのかという問題は、古くから多くの経済学者によって研究されてきた。

1817年のデビット・リカードの『経済学および課税の原理』において、たとえ生産コストの面で絶対的な優位な産業がなくても、相対的に優位性があれば国際分業の利益が存在することを示した。この比較優位論に根本的修正を加えたのが、ヘクシャー=オリーンの国際分業論であった。各国の生産要素(土地、労働、資本)の賦与状態の相違が国際分業の要因であるした。即ち、ある生産要素、例えば労働が豊富に賦存している国ではその投入コストである賃金率は低くなるから、労働という生産要素を多く投入する材の生産コストは低くなる。そのため労働集約型産業が比較優位産業になると説明した。

3.産業製貿易と新貿易論

1970年代、欧米諸国や日本等先進経済諸国では、いずれの国でも自動車や電気機器等組立型機械産業が高度に発展し、その生産能力が拡大した。そして先進諸国で、同一の産業カテゴリーに属する製品の輸出と輸入とが同時に行われるという産業内貿易が活発化した。

ポール・クルーグマンは、1979年に規模の経済性を享受する生産規模の大きな企業が、規模の経済性を享受しえない企業を淘汰して独占的競争状態となること。そして国内市場競争で勝ち残った企業は生産規模をさらに拡大することによって、その生産コストが輸出に伴う輸送費用を差し引いてもなお国際的な価格競争力が獲得できるまでに低下させることができるとした。つまり、貿易は、技術や生産要素賦存の国際的な相違を必要とするものではなく、それに替わって、貿易は単に市場を拡大し規模の経済性を享受させるものであり、この貿易の効果は労働力の増加及び地域的な産業集積がもたらす効果と同様である。さらに、クルーグマンは1980年に、同一産業内で国際貿易が行われる理由として、自由貿易によって市場規模が拡大し、生産規模が一層拡大した輸出企業ではその製品ラインを多様化することが可能となる。他方、経済成長によって豊かになった消費者は、差別化されバラエティに富んだ商品群の中から選択することにより大きな効用を得ようとするようになる。この結果。消費者は同一の商品群の中から、購入する商品であっても、輸入された商品群と国内メーカーの商品群の中から、購入する商品を自由に選択するようになる。このように独占的競争と製品差別化とが今日の先進国間貿易の主流である産業内貿易の要因であるとした。この理論は特定国の大企業によって生産された製品が貿易市場を支配する可能性を示唆している。

4.企業間生産性格差と「新々貿易理論」

企業データを用いた分析によって、輸出産業に属する企業でも、過半の企業が輸出を行っておらず、相対的に生産性の高い企業だけが輸出を行っていること、また、輸出を行うことによって企業レベルおよび産業レベルで生産性が上昇することが実証されるようになった。

また、統一産業部門に属する企業であっても、輸出や海外直接投資を行っている国際化された企業と、輸出や海外直接投資を行っていない非国際化企業とが併存している事実を説明する理論として新々貿易理論が登場した。メリッツは2003年に、同一の産業内に生産性の異なった異質な企業が存在することを前提に、生産性の高さによって国内市場に製品を供給する企業にとどまるものと、輸出を行う企業とに分かれ、生産性の最も低い企業は退出を余儀なくされるとする貿易モデルを提起した。このように生産性の高い企業だけが輸出企業化する理由として、高生産性企業だけが輸出チャネル形成等に必要とされる固定的な輸出コストを支払うことが可能であることを指摘している。

このように新々貿易理論では、企業の生産性格差を国際化企業と非国際化企業とが併存する主要因としている。しかし、これらの理論では輸出企業の生産性が非輸出企業の生産性に比較して高いという事実を確認しているが、企業間の生産性格差がどのような要因によって派生するのかについては、直接的には論じられていない。

5.新々貿易理論の実証研究

6.競争力基盤と生産性

(1)マイケルE.ポーターの競争優位性

国際競争力の根源と国際分業パターンの決定要因を分析する場合に最も重要な課題は、国際的な競争優位を獲得する場合に最も重要な課題は、国際的な競争優位を獲得することができるような高い付加価値生産性が、どのようなメカニズムで創り出されるのかということである。また、その高い付加価値生産性を創出してきた要因が、どのような国際的な競争環境変化によって変質するのか。さらには、変化した国際競争環境に適合するための条件はどのようなものかを明らかにすることである。

マイケルE.ポーターは1985年の『国の競争優位』において、競争力を鵜も出す四つの要因である「要素条件」「需要条件」「関連産業・支援産業」「起業戦略及び競争環境」をあげ、彼がダイヤモンドと呼ぶ図の各頂点に位置し、それぞれ相互に関連することが示唆されている。

ポーターの競争優位論では、各要因がどのようにして特定国の産業の国際競争力を高めるかについては明確に示されている。しかし、それぞれの競争要因がどのような経緯で編成されたのか、また、それがどのような要因によって変遷するのかについてはほとんど説明されていない。さらに、こうした競争要因が特定の産業に属する企業に均等に寄与することが暗黙の前提になっているようである。

(2)競争力の複層構造

我々の分析は、企業の国際競争力は、企業固有の競争能力と、産業レベルの競争力の二層から形成されている。産業レベルの競争力は、第一に、当該産業における企業間分業によって実現される企業間生産性の高さであり、第二に、当該産業に必要とされる生産要素(資本、労働力)の質を高める要素供給システムに依存している。従って、産業の競争力基盤は、この企業間分業システムと生産要素供給システムから構成されている。

競争力基盤はその地域(国)に立地するすべての企業が利用可能であるが、その基盤から供給される企業間生産性向上効果をどの程度享受できるかは企業ごとに異なっている。つまり、競争力基盤からの受益性が高い企業は、その企業の総競争能力を高めることができるが、競争力基盤を有効に活用できない企業は、その効果を企業の総競争能力に少ししか反映することができない。このように、産業の競争力基盤がもたらす効果は、各企業の受益能力によって伸縮している。

他方、企業固有の競争能力は、その企業が生産する製品の差別化の程度によって規定されていると言っても過言ではない。なぜなら、競争的市場では同質的な商品は激しい価格競争に巻き込まれて、限界費用以上の価格を維持することが困難であるからである。製品差別化を実現するのは各企業のイノベーション能力であるが、それは各企業の保持する知的資産の蓄積度に依存している。従って、国際化によって規模が拡大した企業は、その蓄積した知的遺産を追加費用なしに利用範囲を拡大できるから、その企業の生産性は一層向上することとなる。

また、国際競争力を企業固有の競争力と産業レベルの競争力基盤との複層構造から把握する試みは、企業レベルでの国際化を分析するより現実的な枠組みであるばかりでなく、産業間貿易の説明にとっても有用である。なぜなら、競争力基盤から派生する企業間生産性の高さは、国ごとに、また産業ごとに異なっており、企業間生産性が高い産業が輸出産業化するからである。つまり、ある国の産業が国際競争力を強めて輸出産業化してということは、企業固有の競争能力とともに、その産業レベルで企業間生産性が国際的な水準以上に高まったことを意味している。

(3)国際競争環境と競争力基盤の相互依存

在る国の競争力基盤から派生される企業間生産性の効果は、長期にわたって安定的に推移するものではなく、その有効性は国際的な環境変化によって大きく変動している。近年、日本のモノづくり能力に陰りが見られるのは、日本の競争力基盤の主要な構成要素である下請分業システムによって実現されてきた高い企業間生産性が、3DICT革新という国際環境変化によって相対的に低下した結果でもある。

国際的な競争環境変化は、技術体系の大きな変革や根菜的な市場(需要)構造の転換等によってもたらされるが、この国際競争環境変化は各国の競争力基盤を変化させ、それは各国産業の企業間生産性を変化させることを通じて、その産業別の国際競争力序列に変化を与える。国際分業構造は各国の産業別の国際競争力序列の集合であるから、各国の競争力序列変化は国際分業構造変化をもたらす。国際分業構造変化は、同時に国際市場構造の変化を促すから、再び国際競争環境変化を導く。このように、国際競争環境変化、国内競争力基盤、国際分業構造は相互に関連し、累積的な影響をもたらすのである。

7.移行経済国の域内分業基盤

域内分業基盤が各国の競争ポジションを変化させ、その変化が国際分業構造に影響を与え、さらに、国際競争構造を変化させるという連鎖的な動きを、社会主義計画経済体制から市場体制に移行した中国とロシアを事例に検討したい。

中国とロシアは、それぞれ市場経済体制に移行して年月が経過した。この間、両国は高度に垂直統合的な企業経営を改め、域内分業基盤の整備に注力してきた。結論から述べると、中国経済は多種多様な支援産業や関連産業が簇生し、強固な域内分業基盤の形成に成功、工業製品の強固な国際競争力を獲得した。他方。ロシアでは、支援産業・関連産業の発展が進展せず、依然として垂直統合的な生産システムを変革できずにいる。この結果、工業製品の国際競争力は脆弱なままで、ロシアの貿易構造は、工業部門の国際競争力が脆弱な開発途上国の構造に類似している。

このようにロシア経済で、域内分業基盤の形成が容易でないのは、@社会主義計画経済体制が70年間も持続し、市場経済を経験した世代が存在しないこと、A地方(省)分権的な経済統制システムの中国と異なって、中央で一元的な経済計画・統制が実施されていたこと、B中央での一元的経済統制を実行するために統制すべき企業数を徹底的に減らす必要があり、ほとんどの業種で1企業から数企業に集約されていたこと、Cこの結果、企業規模が巨大化し、関連産業部門を内部化した高度な垂直統合型の生産体制となったことが上げられる。ソビエト連邦時代、各企業が関連産業部門まで巨大化した背景には、計画経済のもとで、各企業が必要とする様々な中間財は計画当局の指示によって配分される建前であったが、現実には中間財や生産設備の配分は不十分であり、また、しばしば遅延したことがあげられる。このため、各企業はその生産に必要な中間財や治工具ばかりでなく生産設備さえも企業内部で製造するようになり、内部に長大なサプライ・チェーンを形成した。各企業に内部化されたサポーティング・インダリストリー部門はその企業にのみ製品を供給するものであり、その生産規模は小さく技術進歩も限られていた。このため生産性は低位にとどまっていた。しかし、いったん、自給自足型の巨大な企業体制が確立した経済で、サポーティング・インダストリー部門を担う企業を育成することは容易ではない。

他方、中国で域内分業基盤が比較的速やかに形成された背景としては、以下の五つがあげられる。@社会主義計画経済の期間が30年とロシアに比べ短く、市場経済を経験した世代かが現存していたこと。Aソビエトのような強力な中央集権的計画経済ではなく、各地域(省)にかなり裁量権を残した地域分権的計画経済であったこと。B農村部は人民公社を中心とした自給自足的生産体制で、その公社が必要とする農機具や肥料および一部の消費財を生産していたこと。この生産を担ったのが人民公社内の社隊企業であり、社隊企業は上部機関の命令ではなく、かなり独自な経営管理を行っていたこうした自主的な経営管理の経験が改革開放後に農村地域で設立された郷鎮企業(中小企業)の経営に活かされた。C社会主義計画経済時代に設立された国有企業は、多くの生産工程を内部化した垂直統合型の生産体制であったが、旧ソ連の計画経済とは異なって、同一業種企業が統合されることなく各地に多数の中小規模企業が存在していたことが市場経済移行後の中国機械工業における企業間分業システム構築に寄与した。Dアリババ・ドットコムのようなB to B取引サイト運営企業が急速に発展したことによって、企業間取引が活発化するのに必要な取引ネットワークが形成されたことも、中国の域内分業基盤の発展に寄与している。この意味で、3DICT革新は、中国の生産活動に寄与したばかりでなく、企業側で分業されたものを統合するための取引システムの発展にも寄与しているのである。

8.域内分業と企業間生産性

域内分業基盤の主要部分である企業(組織)間の分業システムは、特定製品の生産に特化した産業集積地域(クラスター)内で完結するものもあれば、全国規模で分業システムが編成されることもある。そして、それぞれの地域や国には固有の競争力要因が埋め込まれておりその固有の競争力要因を国際的に移植することは簡単ではないため、国の競争力要因として機能することとなるのである。

我々は、分業を担う企業間システムのあり方、つまり、企業間の情報共有のあり方や企業間の結合関係、および取引統御(ガバナンス)メカニズムの特異性が、どのように国や産業の国際競争力を高めるのかに焦点を合わせている。つまり、企業間生産システムが、物的生産および知的生産の正面でもたらす高い企業間生産性の起源、国際競争力に及ぼす効果、およびその変遷に関心が集中しているのである。

この企業間生産性は、基本的には多くの生産を多数の企業によって分担させる専門家から引き出される効果である。分業による効果は、アダム・スミスによって『諸国民の富』の源泉であると指摘されている。そして、具体的な分業の効果について、分業によって同じ人数が働いた時の生産量が大幅に増加するのは、三つの要因のためである。第一に、個々人の技能が向上する。第二に、一つの種類の作業から移る際に必要な時間を節減できる、第三に、多数の機器が発明され仕事が容易になり、時間を節約できるようになって、一人で何人分もの仕事ができるようになる。さらに、現代において企業間生産性を高める上でより重要な役割を果たしているのは、分業システムを構成する企業間で、情報(知的)財を創出し共有するメカニズムである。なぜならば、今日の先進経済諸国における国際競争力は、持続的なイノベーション能力を高めることが決定機に重要であり、そのためには域内分業基盤内部にイノベーションの連鎖反応を引き起こすメカニズムが組み込まれているかどうかが、企業間の知的生産性の高さを決定し、その産業の国際競争力を規定しているのである。

2009年の研究では、製造企業の相互依存性、とりわけ基軸部品サプライヤーの集積効果を「産業コモンズ」と名付けている。そしてこの産業コモンズの浸食がアメリカのハイテク産業の競争力低下に結びついているという指摘がある。その原因は、製造工程の海外へのアウトソーシングにあるという。

1990年代末以降の3DICT革新の進展によって競争構造は大きく変容し、生産基盤のうち重要性の低い部分的な海外移転であっても連鎖反応を引き起こすことによって、生産基盤全体の海外移転に繋がる事例が増加している。例えば、日本のパソコン生産のうち最初に海外にアウトソーシングされたのは労働集約的な基盤組み立ての部分だけであった。しかし、海外アウトソーシングの範囲はどんどん拡大され、最終的には全工程がアウトソーシングされるようになった。この結果、電子機器の生産に必要なすべての生産技術を獲得した企業、例えば台湾の鴻海精密工業は世界最大のEMSへと発展し、パソコンに限らずあらゆる書類の電子機器の包括的な受託生産を大規模に進めている。

9.競争力基盤としての要素供給基盤

産業の競争力基盤を構成する第二の要因は、生産要素の供給システムである。現代の精神諸国間において、質の高い労働力を供給する教育システムや人的資源の質を高めるような雇用システム、ヒューマン・ネットワークは、イノベーションを促し、産業の知的生産性を高める要因である。また、リスクを伴う投資資金の円滑な供給を実現する資金供給システムは、イノベーションの重要な担い手であるベンチャーの成長・発展にとって不可欠の要因である・

こうした質の高い人材を供給する教育システムや技術者や研究者の間の知的情報交流を活発にするヒューマン・ネットワークは、地域(国)に固有の競争力基盤であり、リスク・マネーを円滑に供給し、かつ高い投資収益率を実現するようなベンチャー・キャピタルの能力も同様に国際的に模倣が容易ではない地域(国)に固有の競争力基盤である。

 

第2章 分業システム転換と国際競争力

1.100年の三度の大転換

2010年までの1世紀の間に、世界は三度の大きな域内分業システムの転換を経験してきた。こうした域内分業システムの大転換を、ピオリ・セーブル(1984年)に倣って産業分水嶺(Industrial Divide)と呼称すると、第一の産業分水嶺は、ヘンリー・フォードによって創案された1908年のT型フォード車の生産開始によって具体化されたフォード型大量生産システム(フォーディズム)によってもたらされた。

1970年以降になると、イタリアや日本等の産業集積地域(産地)で発展した、高度な技能労働力を有する専門化された企業(その大部分は中小企業)間の分業システムが、高い競争優位性を発揮するようになった。こうした企業間分業のあり方を「柔軟な専門化」と名付け、この柔軟な専門化が競争優位性を発揮する時代を第二の産業分水嶺とした、

ところが1990年代後半以降になって、急速な進歩を遂げていたコンピューターの心臓部であるMPUの能力がギガ・レベルになると新たな閾値に入り、三次元の情報処理が高速で可能となった。この3DICT革新によって域内分業システムは大きく転換を始めた。これを第三の分水嶺とする。

何れの時代にあっても、国際的な競争優位を勝ち取る、国、産業および企業は、それぞれの時代区分において特徴的な国際的な競争環境、これは技術的環境と市場的環境によって構成される、にもっともよく適合する域内分業システムを構築し得たものである。

2.第一の産業分水嶺

20世紀初頭の自動車メーカーでは、その素材や部品の大部分を外部の専門メーカーから購入し、自動車をどのように作るかという生産の意思決定は、現場のクラフトマンシップを持った熟練工の裁量に委ねられていた。外部から購入された部品は不揃いで互換性がなく、生産現場で熟練工がその不具合をいちいち調整しながら、汎用的な機械設備を用いて組立生産をしていた。

ヘンリー・フォードはそれまで効果で娯楽目的として限られた富裕層を対象にした自動車販売を、大衆が必要とする便利な移動手段と位置づけ、大衆が購入可能な価格での自動車生産を目指した。そのために、生産工程の変革を実施した。フォード生産システムの最大の特徴は、従来の固定生産方式ではなく、移動式の組み立てライン方式の採用にあった。そして、この移動式ラインを用いて企業間分業を徹底した。また、T型フォードはそれまでの自動車に比較すると、高張力のバナジウム鋼を用いることによって強度を維持しながら軽量化され、また、装備も簡素化されたが部品数はそれでも5千点を数えた。こうした多数の部品の大部分をフォード工場内で内省する高度な垂直統合型の生産方式が採用された。それは、従来のように専門部品メーカーからの購入に依存した生産では、品質のばらつきが大きく、また、フェード社の大量発注に安定的にサプライヤーが少なかったためである。フォードは特定の部品生産に専用化された工作機械を大量に投入し、また、マイクロゲージ゜を用いて品質精度を確保し、部品の互換性を確かなものとした。

第一の産業分水嶺を導いたフォード生産システムの特徴を要約すると、移動式生産ラインの採用、生産工程の細分化による作業の単純化・熟練労働者の必要性の低下、高度な内製化と専用機械・機器の多用である。

換言すれば、第一の産業分水嶺において、重要とされる生産要素は、大量の専用機械投資に必要な資本調達力、大量の半熟練労働力とそれを弾力的にとうにゅうするための雇用システム、生産管理を担当する技術者および大量生産された商品を販売する営業担当者であった。

3.第一の産業分水嶺の終焉

1910年代初頭にヘンリー・フォードによって創案された大量生産システムは多くの製造業で応用され米国産業生産力を飛躍的に拡大させ、世界恐慌の数年間を別にすると、半世紀にわたりアメリカに富みと繁栄をもたらした。しかし、1970年代入るとその行き詰まりが明らかになり始めた。

なぜ米国型大量生産システムが1970年代に限界に達し、70年代後半には日本型生産システムが競争優位を確立できたのであろうか。フォーディズムの限界は、実はその効率性の源泉と密接に関係している。つまり、工場内での生産性を高めるために、あらゆる部品が内製され、工場内分業を極限までに細分化し、各生産工程には特定車種の加工だけに専用化された各種生産機器が用いられた。また、現場労働者の課業も細分化され、単純作業が中心となり熟練形成や生産現場の知恵を活かす発意の機会はまったく与えられなかったのである。この結果、生産車種の多用かはほとんど困難となり、生産は黒塗りのT型フォード1車種に限定された。このようにフォード生産システムの原型では、技術や市場の変化に対応するための柔軟性が犠牲にされていたのである。こうした雇用・分業システムのもとでは、プロセス・イノベーションは起きにくく技術進歩も停滞的になる。また、技術や市場変化に迅速に対応した新商品の開発・生産も困難になる。

このようにアメリカの生産システムが優位性を発揮したのは、大量で同質的な需要がある場合、また、技術進歩がやる屋化で同一製品を長期間生産する場合に大きな成果を達成した。しかし、経済がさらに発展し人々の需要が多様化し、技術進歩が速くプロダクト・サイクルが短縮されるように競争環境が変化すると、その競争優位性を低下させた。アメリカ型生産システムの競争優位性が低下するにつれて、アメリカの貿易収支は悪化した。

4.第二の産業分水嶺

需要が多様化し技術進歩が加速すると、より柔軟性の高い生産システムが求められるようになる。つまり、ピオリ・セーブルの言う柔軟な専門化を実現させる企業間分業システムが硬直的な大量生産方式に取って代わるようになった。

セーブルの柔軟性とは、生産要素の再配置によって、生産工程を絶えず改造する能力である。また、企業(その多くは中小企業)は、それぞれ専門分野に生産を特化しており、その専門的生産活動を担うのは、長期的な雇用慣行のもとで形成された企業特定的熟練技能を持つ技能工である。そして、これらの専門特化した多数の企業による分業のネットワークによって柔軟な専門化が実現されるのである。

さらに、この柔軟な専門化の組織的な特徴は、その参加メンバーが限定(制限)されていることであり、技術革新を推進するような競争は奨励されるが、要素費用(とくに賃金と労働条件)の引き下げにしかつながらないような競争は制限される。

1970年代以降、柔軟な専門化が競争優位性を確立した技術的背景には、専門分野に特化した中小企業の分業ネットワークが70年代から急速に技術が進歩したコンピューター制御の工作機械(NC工作機械)の普及によって、一層その柔軟性を強めたことによる。ピオリ・セーブルによると、コンピューター技術の場合、装置(ハードウェア)を作業に合わせるにはプログラミング(ソフトウェア)を使う。したがって物理的変更なしに─単にプログラムの変更によって─機械を新しい用途に使える。このような事情の下では、理論的に言って、生産量の多い場合よりも、生産量が少ない方が、あるいは注文生産の方が有利であると指摘する。さらに、本格的な大量生産では専用機械の方がコスト的には有利になり、生産量が少なく注文生産に近いような場合には、手動によるクラフト的生産の方がコストが低くなることを指摘し、NC工作機械を用いた生産のコストは、多品種・中ロット生産で最も効率的であるとしている。また、現場労働者の熟練技能も、一品生産のような受注品生産やNC工作機械のプログラミング作成で活かされる余地が大きく残されていることを指摘している。

NC工作機械の普及によって生産の柔軟性は高まり、技術革新の加速化によって製品のライフサイクルの短縮化が顕著になった。しかし、第二の産業分水嶺では、依然として大量生産においては専用機械のコスト優位性が持続しており、同時に、クラフト的技能も重要な役割を維持している。これが第二の産業分水嶺の技術面での大きな特徴である。

5.第二の産業分水嶺と下請システム

クラフト的熟練労働と、専用機械投資が同時に重視される第二の産業分水嶺では、下請システムを基軸とする日本の分業システムがその有効性、効率性を最も発揮できた産業発展段階であった。ピオリ・セーブルは、日本産業の場合の柔軟な専門化は、下請企業と輸出指向型大企業との間の取引関係を通じて学習した成果として捉えている。この日本型企業間分業システムでは、親企業が直接取引する下請企業の数は、米国型生産システムに比較して少数であり、数次にわたる階層的な下請構造を形成している。また、各階層における親企業は、その管理能力の範囲内に限定された数の下請企業と長期・継続的な取引関係を結んでいる。こうした、下請取引構造を通じて、親企業と下請企業とは密接に連携し、濃密な情報交換を実現してきた。そして、この日本型企業間分業システムこそが、日本の製造業、とりわけ、機械工業の生産性を著しく向上させ、その品質管理水準をPPM単位まで高めさせ、価格低下と品質向上を両立させた。

このように台の産業分水嶺における米国企業と第二の産業分水嶺における日本企業とのアプローチの違いについて、次のようなことが言える。米国企業では、生産調整の柔軟性を確保するためには生産工程を内部化(垂直統合化)することが不可欠であり、外部のサプライヤーへの依存は生産調整の柔軟性と対立関係にあるという態度を示してきた。また、高品質な製品を生産するためにはコスト上昇が避けがたく、高品質と生産コストの関係も対立的であるとしてきた。これに対して日本企業は、生産コストの低減は主要な経営指標であり、品質管理水準を高めることは、生産コスト削減の手段であるとする生産アプローチを追求してきた。実際、品質管理水準の向上は、無駄の根源である不良品を減少させ、販売後のアフターサービス費用も低減させることを通じてコスト削減の有力な手段となった。また、外部のサプライヤーに生産工程の多くを依存しても、完成品メーカー(アッサセンブリ)と下請企業との間の準内部的な取引関係と濃密な情報交換とによって、生産調整の柔軟性をあまり損なうことがない。外部依存と生産の柔軟性の確保とは、米国企業のように正反対(180度)の関係できなく、30度程度の差でしかない。

6.3DICT革新と第二の産業分水嶺の終焉

1990年代央までのIT革新の段階では、数値制御の工作機械は単一の加工に特化されており、熟練労働者の判断を必要とすね作業は少なくなかった。また、二次元で製図された設計図をもとに三次元の加工を行うには、高度な熟練が必要とされた。さらに企業間の分業によって製造された各パーツやコンポーネントが正確に結合し機能するためには、設計段階での綿密な打ち合わせと、試作段階でのたびたびにわたる摺り合わせが必要とされた。日本型下請生産システムは、こうした生産過程で必要とされる濃密な情報交換を、効率的に実施し得る利点を有しており、このことが日本の高度組立型機械工業の国際競争力の源泉の一つであった。

ところが、20世紀末になると、情報通信技術革新のレベルが閾値を支えた企業間分業システムの優位性を根幹から揺るがすまでになり、第二の産業分水嶺の終焉をもたらした。

3DICT革新によって、サイバー上でも現実世界と同様に三次元で設計等が実行できるようになると、まず、二次元での設計で必要とされた試作過程の多くが省略されるようになった。試作品の製作は1品生産であり、納期はごく短期間であったため、大都市近郊の中秋企業のとっては有力な存立基盤の一つであったが、3DICT革新はこうした試作品生産や試作用金型製造に特化した中小企業の存立基盤を脆弱化した。また、設計図面が二次元の段階では設計段階や試作段階でり完成品メーカーとサプライヤーとの間での摺り合わせが重要であったが、3DICT革新段階では完成品メーカーとサプライヤーとは同一の三次元設計画面を共有し、遠隔地間であってもサイバー上で設計の同期化が実現するようになった。この結果、サイバー上で繰り返してシミュレーションすることによって不具合をなくすことが可能になり、メーカーとサプライヤーとの摺り合わせの必要性を大きく減少させた。

さらに、三次元の自動加工を可能にする多機能の工作機械であるマシニング・センター(MC)も、1990年代以降には急速に普及するようになり、同時にMCの加工精度も電子制御機器の発達によって大幅に向上し、仕上がり精度が数ミクロン単位の加工が半熟練労働でも実現するようになった。この結果、長期雇用を前提にした熟練形成の必要性を低下させ、雇用の流動化(不安定化)をもたらした。

また、第二の産業分水嶺では、日本の下請企業は発注企業のため専用機械投資を行い、生産性上昇(コスト削減)と品質水準向上とを両立させてきた。この取引特定資産を保有する下請企業は、発注元である親企業にとっても不可欠な存在であるから、その取引関係を半固定化する役割をも果たしてきた。したがって、3DICT革新によって、取引特定資産投資の必要性が低下したことによって、下請取引関係は流動化(不安定化)を強めることとなった。このことは、長期雇用関係によるクラフトマンシップと企業間の安定的な取引関係という、第二の産業分水嶺の競争優位の前提を覆すものである。

第二の産業分水嶺の終焉をもたらしたもう一つの要因は、これまで柔軟な専門化は、簡単には地域外、とりわけ、海外に移植できないものであり、特定国(地域)産業に固有の国際競争力要因となってきた。しかし、3DICT革新の進展によって、高度な熟練労働の層が薄く、有機的な企業間取引ネットワークが形成されていない国(地域)でも、柔軟な専門化と同様の高い生産性を獲得できるようになったのである。

7.第三の産業分水嶺へ

3DICT革新時代の到来によって第二の産業分水嶺が終焉し、21世紀以降には第三の産業分水嶺に突入した、第三の産業分水嶺の特徴の第一は、「柔軟な大量生産の時代」である。少量生産から大量生産まですべての生産がデジタル化された汎用的生産機器によって遂行されるようになり、大量生産であっても専用資産を必要としないために生産活動の重要性が容易に実現できるようになった。

第一の産業分水嶺では、大量生産のためには専用化された生産設備(企業特定資産)投資が必要となる。そして、企業特定資産は完成品メーカー自らが投資を行い、外注するサプライヤーが取引特定資産を必要とする場合には、メーカーがサプライヤーに貸与するか、その投資費用を負担するのが一般的であった。また、中・少量生産のためには熟練工がマニュアル操作する汎用的な生産設備が用いられた。第二の産業分水嶺では、大量生産のためには、第一の産業分水嶺と同様に専用的な生産設備が用いられた。しかし、外注先のサプライヤーが大量生産のために特定資産投資を必要とする場合には、サプライヤー自身が取引特定資産投資を実行するケースが一般化した。また、中・少量生産ではNC工作機械等汎用的な生産機器が用いられ、生産の柔軟性と労働生産性の向上とが両立されるようになった。

これに対して第三の産業分水嶺では、三次元での開発・設計が可能となり、完成品メーカーと部品サプライヤーとが同時並行的に開発・設計を行い、部品要素間の「摺り合わせ」もサイバー上で実施することが可能になった。そして、完成した三次元設計図面はそのままマシニング・センター(MC)のような汎用的な生産設備に送られてほぼ自動的に生産がなされる。このため取引特定資産や取引企業間の緊密なコミュニケーションの必要性を大きく低下させ、企業間取引関係が流動化した。第一と第三の産業分水嶺は、共に大量生産における生産性の飛躍的な向上である。そして、第一の産業分水嶺では生産機器は高度に専用化されることによって、熟練労働に代替し、第三の産業分水嶺では、デジタル制御された生産機器が熟練労働に代替した。この結果、長期雇用に基づく熟練形成の役割が低下したため、雇用は流動化した、第一の産業分水嶺と第三の産業分水嶺とのもう一つの共通点は、企業間で分業されたものを統合するシステムが基本的には市場(価格)メカニズムを通じてなされることである。これは第二の産業分水嶺においては、企業間分業が長期継続取引を前提にしており、その取引が準内部的なメカニズムによって統御されるのとは対照をなしている。第一の産業分水嶺と第三の産業分水嶺の3番目の共通点は、グローバル規模での生産拡大と競争激化である。第二の産業分水嶺では、電子機器をはじめとするハイテク機械製品の生産は、高度な生産技術と製品開発技術を必要としている。このため、その生産の多くは先進経済諸国に限定され先進経済諸国間での競争に終始した。しかしながら、3DICT革新によって、熟練技能や生産管理技術がデジタル技術によって代替されるようになり、ネットワークの外部性を獲得するために先進技術の多くが公開され、技術の標準化が進展するようになると、それまで先進諸国以外の参加を阻止していた技術的な参入障壁が大幅に低まり、新興工業諸国をはじめ世界的規模で新規参入が拡大した。この結果、技術標準が確立した製品は、パソコンのようなハイテク製品であっても製品差別化は困難となり、価格での需要量が決定される市況商品(コモディティ)化が進展し、世界的規模で価格競争が激化した。コモディティ化した商品は急速な価格と付加価値率の低下に直面するようになり、先進経済諸国の企業がこうしたコモディティ化した産業部門で利益を確保することが困難となった。実際、コモディティ化を回避できない企業は収益性の低下に直面している。製品のコモディティ化を回避するほとんど唯一の方法は、基礎段階からの研究開発の効率性を高め、革新性の高いプロダクト・イノベーションを実現して製品差別化を図ることである。したがって、第三の産業分水嶺は、価値の源泉としての知的資産蓄積が決定的に重要となる段階でもある。

第三の産業分水嶺の重要な特徴は、第二の産業分水嶺で見られたような、企業間連携による知的生産性向上わりも、直接的に知的資産をよりも、直接的に知的資産を獲得するM&A(企業の買収・合併)が選好される傾向が強いことである。また開発者個人間のネットワークの重要性が格段に高まったことも大きな特徴をなしている。技術のオープン化・標準化の進展によって、ものづくり、とりわれ完成品レベルでの高付加価値率を実現するためには、革新的な機能部品(デバイス)や新機能を持った素材の開発がより重要になっている。また、第二の産業分水嶺を主導した組立型工業よりも、ファイン・ケミカル(医薬品等)のようなプロセス型産業がより高い付加価値を生み出す時代へと変化している。組立型機械工業が経済成長を主導した第二の産業分水嶺では、企業間の知的連携が知的生産性の向上にとって最も重要であった。なぜなら、組立型機械製品は比較的自己完結性が高い多数の部品によって構成されており、それらの部品メーカーと完成品メーカーとが共同開発連携を行うことによって、高付加価値が新機能部品や新素材そのものの開発に移るようになると、企業間の知的連携の余地は狭められるようになった。第三の産業分水嶺においては、高い付加価値を生む新機能部品や新素材、あるいは医薬品等の開発では開発プロセスの相互連関性が強く、企業間連携よりも統一した管理機構の許で一体的な技術開発を推進した方がより効率的である。なぜなら、こうした産業部門で技術開発に必要とされるのはテクノロジー(技術)よりもサイエンス(科学)に近い基礎的研究である。基礎的研究は技術開発に比較して、その応用領域が広いという特徴を有している。このため、企業間連携による共同開発の場合、その研究成果が共同研究課題以外に転用されるリスクは高く、企業間連携よりも企業買収(M&A)による研究開発プロセスの統合化が選好される。

また、第三の産業分水嶺で高い研究成果を達成するのは、累積(Incremental)型開発というよりは突破(Breakthrough)型開発である。こうした突破型技術開発では、開発者個人によって遂行される部分の重要性が高く、組織(チーム)の役割が相対的に低下している。そして、開発者個人の知的生産性の高さが企業の開発成果に直結しており、開発者個人の知的生産性は、その個人の資質と共に、その個人が形成する知的ネットワークの質にも依存している。実際、シリコンバレーの知的生産性が他の知的クラスターに比較して圧倒的に高いのは、開発者個人間のネットワークが高度に発展しているからである。

 

第3章 分業システム転換と世界不況

世界規模での不況は、生産技術や需要構造の変化によって引き起こされた国際的な競争環境変化に対して、既存の域内分業システムの適合が同時並行的には進展し得ないことによる様々な摩擦が顕在化してものであると考えられる。換言すれば、産業分水嶺の移行過程に生じる現象であるといえよう。

1.第一の産業分水嶺と世界不況

1930年代初頭の世界恐慌は、1910年代からアメリカで確立された大量生産システムが欧米先進諸国を中心に本格的に普及した段階で発生したと考えられる。つまり、第一の産業分水嶺である生産システムの大規模な革新が、工業製品を大量かつ安価に供給させるようになったのに対して、需要(市場)システムや雇用システム等の経済システムが、それへの適合に遅れたことによる摩擦現象として理解刺されるべきである。

T型フォードに代表される自動車工業での大領生産システムは、1910年代中頃には確立・普及した。第一次大戦後の数年間は大量生産システムによって拡大した供給力の過剰は復興需要によって吸収されたが、1920年代になると供給力の過剰が表面化するようになり、デフレ圧力を強めるようになった。このように大量生産システムの本格的な普及による供給能力の急拡大に見合う大量消費市場は未だ確立されていなかったため、デフレ圧力が強まった。企業は過剰化した供給能力を圧縮するために、労働者を解雇したために大量の失業者が発生した。このため消費需要はさらに縮小し、失業が失業を呼ぶ悪循環を生じさせた。

したがって、この世界恐慌の原因である大幅な需給ギャップを改善しも失業の連鎖を断ち切って雇用を拡大するためには、ケインズ流の有効需要政策は効果的であった。しかし、フォード生産システムの普及による、供給能力の飛躍的拡大と大量生産された商品の急激な価格低下は、短期的な有効需要政策では解決されない問題である。より重要な課題は、大量生産システムによって急増した供給能力に対応した、新たな大量流通システムや大量消費システムが構築されることであった。また、大量生産システムが普及した産業部門の商品価格と、大量生産システムから取り残された産業部門、とりわけ、サービス産業部門での、財・サービス価格との間に生じた大きな相対価格差が調整され、新たな価格体系に消費行動が適合することが必要であった。事実、新たな産業システムへ適合するための経済構造調整は、世界恐慌を契機に進展した。つまり、1930年代には大量消費の象徴であるスーパーマーケットという新たな流通形態が生まれ、ラジオ等のマスメディアを活用した広告事業も活発化し、マーケティング技法も大きく進歩した。これにより大量生産された製品の大量流通・大量消費の基礎が築かれたのである。

2.第二の産業分水嶺と世界不況

第二の産業分水嶺の始発期である1970年代初頭には、産業システム転換摩擦による世界規模での不況は発生しなかった。

この第一の要因は、第二の産業分水嶺は、生産規模の急速な拡大を伴うシステム転換ではなかったことにある。つまり、第二の産業分水嶺は、技術革新や需要構造変化の加速化という国際競争環境に対して、高い適応能力を発揮する柔軟性の高い企業間分業システムが先進経済諸国を中心に普及したことによって生じたといえる。したがって、第一の産業分水嶺のように、生産技術体系の大変革による供給能力の大幅な拡大や破壊的な製品価格下落を伴うものではなかったためである。

第二の要因は、第二の産業分水嶺の特色は、コミュニティ的な長期継続取引を重視することにある。したがって、景気循環による不況期でも、安定的な取引関係の維持が優先された。また、長期雇用を前提にした熟練形成が重視されたために、景気変動による雇用量の調整は原則的に実施されなかった。さらに、賃金や生産物価格を引き下げるような激しい市場競争を、製品差別化によって回避しようとする傾向が認められたためである。

第三の要因は、柔軟な専門化は参加メンバーが制限された特定の地域(コミュニティ)内で実現され、その地域特有のネットワーク形成を前提にしている。いわば、地域(立地)特定資格蓄積による経済効果である。このため、こうした経済効果は地域外へのスピル・オーバーは限定的であり、その模倣も容易ではない。同様に、日本の下請分業システムは、日本の特異な産業発展過程でその取引慣行が形成された側面があり、そのシステムを直截に海外に移転することは困難である。

このように第二の産業分水嶺における企業間分業システムは、それを育んだ各国(地域)の特異性によるところが大きい。したがって、こうした企業間分業システムが、世界各国で定着するためには一定の時間経過を必要とするため、産業システム転換の世界的影響も分散的となる。このように第二の産業分水嶺の特色である柔軟な専門性を実現し得る企業間分業システムが確立し、それによる恩恵を享受し得た国は限定的であった。

このため、柔軟な専門化を実現する域内分業システム編成が進捗した諸国(地域)と、第二の産業分水嶺に乗り遅れた諸国(地域)とでは国際競争力格差が拡大した。

3.世紀末繁栄を支えたICT革新

第二の産業分水嶺期である1980年から90年末まで、世界的不況が発生しなかった、もう一つの特異な要因は、情報通信技術(ICT)革新、とりわけ、インターネットの発明とその普及による新産業への需要拡大が先進国経済をリードしたことにある。

とくに、米国シリコンバレーを中心にインタへネット関連のサーバー製造やインターネット通信関連ソフト開発、さらにインターネット検索サービス等多様な事業分野で多くのベンチャーが創出された。これらのベンチャーは90年代に急成長を遂げ、雇用を拡大させた。インターネットの発展を主導した米国経済は1992年以降2000年まで9年間にわたって安定した景気拡大を実現した。20世紀末のこうした米国経済の好調を背景に、米国エコノミストのなかに「ニューエコノミー」論が幅を利かせるようになった。つまり、ソフトウェア・情報通信産業が主導産業となった新しい経済では、低失業率と物価安定とを両立させた持続的な経済成長が実現し得るという主張である。このニューエコノミー論の論拠として、まず、情報通信産業は既存産業とは異なって、限界生産費はゼロに限りなく近く、生産規模がいくら拡大しても収益性は上昇を続ける「収穫逓増」型産業であること。第二に、情報・ソフトウェア産業は製造業とは異なって在庫そのものを必要としない産業であり、また、既存の製造業でも最新の情報技術を活用することによって在庫管理能力が飛躍的に向上し、常に適正在庫水準を維持できるようになったため、景気変動の主要因である在庫循環が生じないことを指摘している。

しかし、ニューエコノミー論者の成長持続論にも関わらず、アメリカの景気は、21世紀に入ると大きく減速した。20世紀末に米国経済の成長を牽引した情報通信技術革新が、何故21世紀に入ると急激にそのパワーを減退させたのか。その第一の理由は、インターネットの急速な普及と成熟化にある。商用インターネット人口は1990年から2000年までの10年間で爆発的な膨張を遂げたが、21世紀以降は先進諸国ではすでに成熟産業化し、伸び率が大幅に鈍化していることが成長牽引力の低下の要因として指摘される。物的財で新規の革新的製品が開発されたとしても、その導入から成熟までには20年近い期間を要することを勘案すると、ICT産業のライフサイクルは著しく短いと言える。第二の理由は、ソフトウェアなどの情報財には更新投資が存在しないことである。ソフトウェア等の情報財の経済特性が需要の鈍化と大きく関係している。つまり、通常の機械設備等の物的財は使用によって確実に減耗し、一定の耐用年数を経ると更新投資が見込まれるが、ソフトウェアのような情報財の場合には使用による減耗は生じず、したがって、同一財の更新投資は期待できない。ソフトウェア投資は、コンピュータ・システムの抜本的な変更のない限り、追加投資を必要としない。パソコンに用いられるソフトウェアについても同様であり、使用による減耗がないから、その機能が画期的に向上した新バージョンが開発されない限り、新しいソフトウェアの切り替え需要は発生しない。とくに、2000年以降に新規に開発されたソフトウェアは20世紀のWindows98などのようなものに比べると革新性は低く、買い替え需要も大きくは盛り上がらなかった。このことが世紀末成長を支えたソフトウェア産業が21世紀に入ってからは成長牽引威力を低下させた要因である。

4.3DICT革新と世界不況

2008年9月以降の世界不況の原因を、国際的な競争環境変化に伴う調整摩擦という観点から説明できる。

1990年代末頃から進展した3DICT革新は、第二の産業分水嶺において、付加価値成長の源泉であった「柔軟な専門化」による経済効果の大部分をデジタル技術で代替するまでになった。そしてこの3DICT革新によって主導される新たな生産技術体系には普遍性があり、これまで高度な機械生産と無縁であった発展途上諸国にも急速に普及するようになった。この結果、世界の競争環境は一変し、中国をはじめとする東アジア諸国の供給能力は急速に拡大した。このように、第一・第二の産業分水嶺が先進経済諸国の経済発展に有利に作用したのに対して、第三の産業分水嶺は、発展途上国の産業、とりわけ製造部門の発展にとってより有利に作用している。このことが、第三の産業分水嶺の第一の特徴であり、近年、先進諸国における経済成長鈍化と、新興工業諸国における高い経済成長という成長率の二極化を産んでいる主要な要因となっている。

また、3DICT革新が世界経済へ及ぼす影響については、第一には、製品技術の標準化・公開化と生産技術のデジタル機器による代替化は、生産活動、とりわけ、機械生産のグローバルな拡大とそれに伴う製品価格の急激な低落をもたらしたことである。機械工業は先進経済の中核産業であり、従来は技術の蓄積不足は発展途上経済が機械産業部門へ参入するうえでの高い障壁となってきた。ところが、インターネットの普及は「ネットワークの外部性」の重要性を高め、多くの機器で技術の互換性確保が求められるようになった。この結果、技術の標準化と技術情報の解放が進展した。標準化され公開された技術を用いることで、先進経済でなくても容易に高度な機械機器が生産可能となった。また、国際的な競争に耐える機械機器の生産に必要な熟練技能や生産管理技術、つまり、「ものづくり」技術も三次元CAD/CAMシステムや生産管理ソフトウェアによって代替されるようになった。この結果、ハードウェアの生産管理機能は東アジア諸国を中心にグローバルに拡大し、製品価格の累積的低下をもたらした。

第二の影響は、熟練技能や企業特定技能の必要性が低下したことによる長期雇用の縮小と雇用の不安定化が雇用者所得の減少と消費支出の低迷をもたらし、不況を長期化させていることである。

第三の影響は、第二の産業分水嶺において大きな役割を果たした特定取引関係の流動化と企業間受注競争の激化をもたらした。受注の不安定化に直面したサプライヤーは設備投資を手控え、非正規労働への依存を一層高めるようになった。

5.市場創造なき新事業創出

3DICT革新によって出現した第三の産業分水嶺が、第一・第二の産業分水嶺と大きく異なるのは、その影響が非製造業部門にも重大な影響を与えていることである。とりわけ、流通業、出版業および広告業のような先進経済諸国の主要なサービス産業部門の付加価値成長にネガティブな影響を与えている。このことが先進経済諸国での経済停滞を長期化させている要因でもある。例えば、流通産業部門でe-コマースの拡大による競争激化で付加価値率が低下している。また、出版業のような情報提供サービス産業部門の一部では、付加価値を生み出す有償のサービス提供が、インターネットによる無償の情報提供サービスにとって代わられることによって付加価値を生まなくなっている。

インターネットは様々な分野で新たな情報提供サービス事業を創出させ、人々の利便性を飛躍的に高めた。しかし、インターネット関連の新事業の多くは、新市場を創造するのではなく、既存市場でのパイの争奪に終始している。インターネットによる新事業の創出は、金銭的対価を伴う経済価値(市場)創造効果が小さく、既存市場の代替にとどまっている。GDP統計に計上される生産額は、利便性向上など経済効用そのものの向上ではなく、経済取引に伴う金銭的な付加価値額の増加である。したがって、インターネットによって人々の利便性がいかに向上しても、それが金銭的対価を伴わず、既存の経済活動の代替であるとすると、経済成長への貢献はほとんどないのである。こうしたインターネットによる市場創造なき新事業創出こそが第三の産業分水嶺への移行に伴う構造不況の根源であるといえる。

6.世界市場の一体化とデフレ圧力

流通部門においては、インターネットの発展は取引当事者間の情報の非対称性を緩和させ、市場競争を古典的な経済学が想定したような完全競争市場に近づけた。このため価格競争が激化し、デフレ圧力を強める結果となった。

インターネットのブローとバンド化によって、多くの販売サイトを時間をかけて比較検討できるとともに、大容量の画像情報伝達によって、商品情報があたかも現実の店頭で見るように詳細になり、商品ごとの販売価格の比較も容易に行われるようになり、最安価製品を容易に発見できるようになったため、電子商取引での販売金額は急速に拡大している。そして、既存の商業の営業基盤を揺るがすばかりではなく、既存商店の販売価格をインターネット価格に引き寄せ下落させる傾向にありデフレ圧力を強めている。

21世紀以降、インターネット通信のブロードバンド化、通信料金の定額化によって、インターネット関連サービス業が次々と誕生し、また、電子商取引(e-コマース)の取引高も急増を示した。しかし、これらのインターネット関連事業は、そのサービス提供が多くの場合無償で行われており、新事業創出が経済価値創出と結びつかないという、これまでの経済が経験したことのない状況を生じさせている。また、インターネット関連事業で金銭的対価を伴うものも、多くは既存のサービス産業や流通産業の経済活動をより低いマージン率で代替するものが少なくない。このため、既存産業の付加価値率は低下した。

第一の産業分水嶺が大量生産方式の確立による供給量の著しい拡張と製品価格の急速な下落とによって世界恐慌を引き起こしたのと同様に、第三の産業分水嶺も、新たな大量生産システムのグローバルな移転・拡散による製品供給量の著増と製品価格の大幅な下落を招き、世界的なデフレ圧力強めている。

日本経済は第二の産業分水嶺がもたらす便益をもっとも享受し、「ものづくり大国」として世界経済に大きな存在感を示してきた。しかし、それゆえに第二の産業分水嶺の終焉と第三の産業分水嶺への転換によって最も大きな打撃を受けている。

 

第4章 日本産業の競争力要因分析

1.1960年代の競争力要因

1960年代初頭まで、日本の輸出の50%以上は中小企業製品によって占められていた。中小企業の輸出製品はワンダラー・ブラウスに代表されるような低価格の繊維製品、洋傘や玩具類の雑貨類のほか、ミシン、自転車、カメラ、音響機器等の軽機械工業部門でも輸出専業の中小企業が多数存在した。こうした輸出構造は、均質で整備された義務教育の就学率がほぼ100%であり、かつ1960年中頃までは有効求人倍率が1.0以下で余剰労働力が存在していたため、良質で賃金水準の低い労働力が豊富に供給されていたことによる。とりわけ、中小企業部門では「日本経済の二重性」といわれるような大きな企業別規模別賃金格差が存在していたことによって、大企業部門よりも低賃金労働者を多く雇用しうる環境にあった。

1960年中頃までの日本の輸出企業は、新々貿易理論が説くような高い生産性を持つ企業ではなかった。むしろ、60年代初頭までは、生産性の高い大企業部門では輸出比率が低く、成長を続ける国内需要への販売に注力していた。日本の国内市場は大企業による流通系列化が進展しており、中小企業にとって最終製品の国内販売チャネルを確立することは容易ではなかった。当時の中小企業にとって、国内市場に参入するよりも輸出市場に参入する方が参入障壁は低かったのである。

2.1970年代の国際競争環境変化

(1)ブレトンウッズ体制の変質

1970年代までの世界の自由貿易体制を支えた戦後の国際経済秩序は、大量生産システムがもたらすアメリカの圧倒的な国際競争力を前提に構築されていた。ところが、フォード生産システムの本格稼働から半世紀を経過した1960年代になると、米国型大量生産システムの絶対的な競争優位性は揺らぎ始め、70年代に入るとアメリカの貿易収支は赤字に転落した。これに伴い、アメリカの生産力とイニシアティブによって支えられてきた戦後の国際経済秩序、すなわち、IMF・GATT(ブレトン・ウッズ)体制は、1970年代に入ると急速に変質し始めた。まず、GATTは71年から発展途上国を原産国とする産品の輸入関税を減免する一般特恵関税制度を導入した。これにより、当時途上国に区分され工業化が始動し始めた韓国、台湾、香港、シンガポールなどが工業製品を無関税で先進諸国に輸出できるようになったのに対して、日本はすでに先進国グループにあり関税を支払わなくてはならず、これらの国との価格競争で劣位に立たされることとなった。

また、1971年にニクソン大統領は金とドルの交換停止を発表した。いわゆるニクソン・ショックである。この後、世界の外国為替市場は変動相場制に移行し、円高基調が続くことになった。

さらに原油生産はメジャーと呼ばれた米系中心の巨大石油企業が支配し、1バーレル3ドル前後の安定した価格で供給され、「資源供給の無限の弾力性」神話を生み日本の経営者の強気の投資を意欲を支え、高い設備投資が続いた。しかし、1970年代には、そのメジャーの支配力が低下し中東の産油国が力を獲得しオイルショックを契機に原油価格が高騰した。

以上の三つの出来事は、主に価格競争力に依存してきた日本の輸出中小企業に決定的な打撃を与え、中小企業は直接的な輸出産業からの撤収を余儀なくされた。

(2)日本の輸出構造の転換

1970年代は中小企業性製品の輸出額の縮小に対して、非価格的競争力を大幅に強化した大企業性製品の輸出が著増したため、日本の輸出額は増加した。実際、70年代半ばになると日本輸出総額の約70%が資本と技術を集約した高度組立型機械類で占められるようになり、繊維製品等労働集約的産業は輸入産業化した。

このように輸出の大部分が大企業によって担われるようになり、国際競争力が大きく低下した中小企業は、内需への転換にその活路を見出した。その典型的なケースは、1970年代に拡張期を迎えていたスーパーマーケットへの納入企業となることであった。ここでの旺盛な国内需要が、比較優位性をなくした輸出中小企業の産業調整に伴う摩擦を緩和させた。また第二に、国内市場と輸出市場の両方で需要が拡大した自動車、家電、精密機械工業等の大手完成品メーカーの下請企業となることであった。

(3)競争力基盤としての下請分業システム

日本の下請分業システムは、戦後の高度経済成長期に拡張されたが、1960年代中頃までその取引関係は不安定であり、試行錯誤を経て60年代末以降には安定し、下請分業システム利用の効率性は上昇するようになり、70年代になると、機械工業部門の持続的な成長に支えられて、下請取引関係はさらに安定化し長期継続契約が一般化した。

このような下請取引関係の長期継続性の一般化は、取引企業間の信頼財蓄積を促した。この信頼財蓄積を背景に、リスクの高い取引特定資産投資が下請企業によって積極的に実行されるようになり、下請分業システムがもたらす企業間生産性はますます上昇するようになった。この結果、日本の機械工業は下請分業システムをその競争力基盤として輸出を伸長させることとなった。

3.外注依存度と輸出特化の回帰分析

(1)分析に用いたデータ

(2)1971年データの分析

1970年代以降、日本の機械工業を中心とする輸出産業は急速に国際競争力を強化し、その輸出拡大テンポは加速するとともに、輸出産業の収益性を好転させた。こうした大企業部門を中心とする輸出産業の好調が下請企業にも波及し、下請企業の収益性も改善された。さらに、60年代末からの長期安定的取引の継続によって、下請企業の側では、その焦点の絞られた専門加工分野での生産技術の進歩が着実に進展した。この結果、70年代末になると下請企業のなかにはその加工技術水準において、親企業である大企業の水準を上回るものも増加した。70年代を通じた下請取引の量的拡大と質的向上によって、下請分業システムは輸出産業の起用走力基盤としての基礎を固めたと評価できる。

(3)1980年代の国際競争環境

1980年代後半は、プラザ合意以降の急激な円高と深刻な対外経済摩擦とが進行し、輸出企業にとって極めて厳しい経営環境にあった。しかし、こうした厳しい試練に直面した輸出企業は、コスト削減と非価格競争力の一層の強化に向けた協力を下請企業に要請した。親企業からの激しいコストダウン要請に直面した下請企業では、VA(Value Analysis)/VE(Value Engineering)手法を駆使してプロセス・イノベーションを推し進め、生産コストの大幅な削減を実現した。こうして達成されたコスト削減による利得分の配分については、すでに取引慣行化していた。つまり、VA/VEによるコスト削減効果の内、次期の契約分については2分の1だけ納入価格を削減し、それ以降はコスト削減効果のすべてを納入価格低減に反映させるというものである。このように下請企業へのコスト削減効果の配分比率は少ないが、コスト削減成果の高い下請気企業には発注量が重点的に増大されるため、下請企業はコスト削減に傾注せざるを得なかった。また、1980年代においては、数値制御(NC)工作機械類の性能が一段と向上しその価格も低下したことから、下請中小企業でも、こうした最新の生産設備を積極的に導入して労働生産性を向上させることによって、生産コスト削減を実現させている。

(4)1980年代のデータ分析

(5)1990年代の国際競争環境

1990年代に入ると、経済のグローバル化と生産技術のデジタル化が一層進展した。こうした国際競争環境変化の影響は、産業ごとに濃淡は見られるものの日本の企業間分業システムに根本的な変質をもたらし始めた。とりわけ、90年代後半以降の3DICT革新は、第二の産業分水嶺の終焉をもたらした。

3DICT革新によってもたらされた国際的な競争構造変化の影響は、1990年代末の段階では一部の業種に限定されていた。しかし、21世紀以降になると競争環境変化の影響は広範な産業に波及するようになり、日本の分業システムは重大な岐路に立たされている。

 

このあと、海外投資や研究開発投資などの細かな分析がまだまだ続きますが、個々の指摘に興味深いものもあり、一読を薦めるに吝かではありません。ただ、姿勢が静観的なので、この分析をもとに、これからを考える参考にするというものではないようです。生産技術の革新により生産量が爆発的に拡大し受給バランスが崩れて、調整のために不景気が発生するという分析はうまい説明とは思いますが、あくまでもこれまでの説明には有効ですが、このスケールが今後に向けて使えるかというと、そこまでの普遍性はないように思います。

というのも、この著者なりのパラダイムというのか仮説設定の前提が明確に示されていないので、データを分析しているのに終始しているかのような印象をうけてしまい。それを理論化し、展開するという本来の学問の部分に弱いように思います。読書の対象としては、秀才のよくできたレポートで、まとまっているが、面白味のない本でした。

 

 
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