「この疾患を治癒させるために破壊する」
 

日本語/English
 

168p×408pで4面という大きな作品です。個人的には、この作品を見るとマーク・ロスコの作品に近いものを感じます。大きさというのかスケール感と、迫ってくるような迫力とか、見ているうちに厳かな気分になってくるとか。ただし、ロスコの作品は抽象画で、一般には難解と言われているものですが。

とはいっても、ロスコとのおおきな違いは、こういう点にあります。現代社会はコンピュータをはじめとした機器とネットワークによって情報が溢れ複雑化し、一人の人間が全体を見渡すということができなくなってしまった。そこでは主体的な判断というものを麻痺させてしまうようなことが起こるだろう。だからこそ、グーグルをはじめとした情報技術メディアの方向が情報を絞ることに努めている。意外に思われるかもしれませんが。グーグルの検索は新しい情報を生み出すことはせずに、数多あるサイトの中からキーワードに沿ってみるべきサイトを絞るというシステムなのです。まして、現代の人間はせかされるような時間の中で生きているため、自分の眼でじっくり選択している余裕はないのです。

そんな時に、マーク・ロスコの作品(右図)は、一見シンプルではありますが、その圧倒的なスケールと存在感で見る者に迫る一方で、細部を見てみると単純に絵の具を塗りたくっているようにみえて、その色合いが微妙に変化していて、その綾を追いかけるだけで日が暮れてしまいそうなのです。実は、見始めると様々なものが現れて来る、と全体見方が変わりイメージするものが変化して来るのです。ロスコは壁画のように、四六時中見てもらうことを考えていたらしいですが、長時間にわたり他にすることもなく、時にはぼんやり、時には凝視するなどして、ずっと見続けることを要求しているのだと思います。しかし、実際問題、じっくり長時間見続けるなどということは、美術館では時間的制約があるし、とっても自宅に飾れるようなものではない。そうすると、特別な時とか特権的な環境で初めて、それが叶うことになります。さらに、つねに情報の洪水に溺れるような生活をして、時間に追われているような現代人にとって、じっくりと時間をかけて情報を次々と自分の手で生み出していくような作業は辛いものがあるのではないでしょうか。

これに対して、一見複雑で情報に溢れていそうで、そこに検索キーワードのような情報を絞るガイドラインのようなもので、情報を絞ってくれて、判断に導いてくれる、とはいっても、あくまでも最終的に自分で判断したような気分になれる、としたら、それは、ここで説明したような現代人にとって、とてもありがたいことであるし、それは快さにもつながるのではないでしょうか。そういう要素が、松井冬子の作品にはあると、私は思います。

この「この疾患を治癒させるために破壊する」で具体的に見ていきましょう。まず、最初にかんがえられるのが、徹頭徹尾具象であることです。それはリアルということではなくて、明確な輪郭を持ったイメージであることが貫徹されていることです。だから、見る人は「これは何だ」ということを、まず明確に意識することができるわけです。当たり前のことかもしれませんが、このことによって宙ぶらりんの中で暗中模索することなく、「これは水面に映る桜だ」ということかに出発できる。そのあと、その形とか何かを象徴しているとか、踏み込むことになりますが、スタート地点が固定されていることになります。場合によっては、スタート地点で終わってしまっても良いわけですから。それならば、「桜の樹の絵をみた、良かった」ということで、この作品を見た意味づけが終わります。

千鳥ヶ淵の夜桜がお堀に映る様子というと、それはそれで、そういう絵を見たということになります。夜間の闇に桜の花が浮かび上がるのは幻想的に映るし、水面を鏡面にしてシンメトリーな構図にすると幻想性をなおさら惹き立てる。それも、中央の水面が見える部分が地として夜の暗さと黒い虚無的な色合いが中心を形成して、桜がその虚無の暗闇の周囲を渦巻くように見せている、といのが何かありげな雰囲気を醸し出して、見るものを誘うということです。“桜の樹の下には死体が埋まっている”と言った梶井基次郎をこじつけるわけではありませんが、桜の彼岸と此岸の硲のような儚い美が岸辺という絶好のロケーションで鏡面を彼岸と此岸に対比的に映し出しているとも言えるでしょうか。

そして、踏み込んだ後も、いわくいいたげなタイトルと相俟って、巧みに目立つところが配置されていて、それを辿ると、タイトルで深刻っぽい問いかけと、それについて考えているような気分になります。例えば、それは画面の大きさだったり、水面を模しているということで、上下でシンメトリーな構図になっているとか。そして、松井冬子の作品の特徴として1点か2点必ず突出したものがあり、それをもとに作品全体をひとつのストーリーに統合することができることです。それが、先で述べたガイドラインによって情報を絞り、分りやすくして、忙しい現代人が作品にしたしめやすいものとなっていることです

 
j松井冬子展へ戻る