宮川敬玲「和辻哲郎─人格から間柄へ」
 

T.あらかじめ喪われたこどもに

U.表現としての人格 

V.人格から間柄へ

感想

 

T.あらかじめ喪われたこどもに

著者は、和辻の第2子を大正8年に喪ったことを、ひとつの糸口にする。このことを和辻自身は「或子供の死」に書いているが、子供の最期の様子を感情を交えず、その事象のみを淡々と語っている。とりわけ、子供の死の周辺を描くことには優れているが、子供が死んでいく姿自体は描くことができない。人が死ぬとは、ひとつの「もの」となってしまうことを指す。まさに和辻は人が「もの」となってしまう部分を描けない。和辻は「もの」となる子供の死のありようを描かず、むしろそれを様々の予兆へとつなげてしまったが、それは「もの」の忌避であり、敢えて言えば「もの」性を排除した、事象の叙述、つまり「こと」によっての死の叙述であった。

ここで著者は、大正11年の「日本精神史研究」の中の「仏像の相好についての一考察」に注目する。和辻は、白鳳・天平期の仏像に強く見える特徴、すなわち「眉と目の異様な長さ、頬の空虚な豊かさ、二重顋、頸のくくれ、胴体の不自然な釣り合い」という仏像の特徴が、嬰児の人体の美しさを捉えたものであることを発見する。ここでの嬰児とは喪った第2子のことではないが、同じ論考の中で次のように述べる。「ところで我々は、仏像や菩薩像において嬰児の再現を見るのではない。作家が捕えたのは、嬰児そのものの美しさではなくして、嬰児に現われた人体の美しさである。」著者は、和辻が、この「嬰児そのものの美しさ」と「嬰児に現われた人体の美しさ」を引き離し、それぞれを別々の何かとして扱うと指摘する。それは、いわば、表現された「もの」としての嬰児(嬰児そのもの)と表現された「こと」としての嬰児(嬰児に現われた人体)とを引きはがすことで、現実には不可分であるはずの「もの」と「こと」とを和辻は区別し、引きはがしてしまう。このことについて著者は、「こと」と「もの」との区分は、単純に考えると、物理的現実についての、その表面性=意味性と、実在性との弁別に沿った現実的な区分であるように見えるが、実はそうではないという。「もの」と「こと」とを区別すること自体が、表面=意味と実在というような次元の異なった対立なのではなく、最初から、ことばの問題、あるいは表現の問題の範疇にあると認識していた点で収容なのだ。「もの」と「こと」とを分裂させ引きはがすそのことが、ことば、表現の問題領域のことがらなのだ。

では、和辻は表現についてどのように考えていたか。青年期の和辻は「偶像再興」において、表現とは生きることそのもの、活動するそのものであるとされていた。この生きることそのものである表現において、われわれは自己の内生を表現しなければならない、そのことが人格価値を高めるのであると、青年和辻は単純に宣言していた。この表現についての考え方は、「仏像の相好についての一考察」になると、ことがらだけを表現するような表現を考え、表現される「もの」、たとえば内生などという「もの」を表現するということがらを無視し抑圧していくのだ。「表現」において「もの」は抑圧され、忌避されて、「こと」だけが独立しようとしはじめるのである。この論考の中で、「もの」と「こと」の引きはがしという表現形態が、ギリシャ美術との対抗関係において見出されている。嬰児において発見された仏像独特の美しさとは、ギリシャの流れを汲んだ西洋美術の写実的な美しさに親しんだ者には、多くの不自然と空虚の感じを与えるものでしかなかった。だが、そうした不自然と空虚に却って美しさを見出そうという視点、つまりギリシャ美術とは別様の表現を見ようとする視点こそが、「もの」と「こと」とのひきはがしということがらを見出させることになる。つまり、表現の変容とは、ギリシャ美術の様式から、それとは別様な様式への重点の移動としてあり、それを明確な差異として結晶化された核が第2子の喪失であったのだ。

それならば、「もの」と「こと」の引きはがしを見出させる原因となったギリシャ美術との対抗とは、そもそもどんなものものであったのか。和辻し大正14年の「推古天平美術の様式」のなかで、ギリシャの神像を人体を紙の姿に高める過程、天平の仏菩薩像を神を人の姿に表現する過程と対照させて呼んだ。つまり、ギリシャ神像の作者は、現実的な女体において彼が直視した理想の姿から取捨選択をして神像を造り出す。どれだけ取捨選択しようと、そのもとになるのは一つの現実の姿である。その一つ現実の姿を取捨するときに、取捨選択の基準そのものとしてイデアが自覚されるという。これらのことがらを和辻は、人体を神の姿に高めると呼んだ。れは、表現された「こと」と表現された「もの」という点でみるならば、ギリシャ神像における表現された「こと」は、どれだけ取捨され、どれだけ神々しくあろうとも、、その表現された「もの」と乖離しないということである。だが、一方の推古天平期の仏菩薩像は、具体的な一つの現実の姿からではなく多くの現実的の姿から択び出され構成された嬰児の肉体によって作り出された。仏菩薩像を構成する嬰児の肉体という表現は、表現されたものとしての嬰児そのものとは連結しない。つまり表現された「こと」である嬰児の肉体は仏菩薩像をかたちづくるが、それは表現された「もの」である嬰児そのものとは乖離しているというのである。このことを和辻は神を人の姿に表現すると呼んだ。

ギリシャ神像と古仏像との間に差異を見出すことをもとにして、和辻はさらにこれを東洋美術の特徴として捉え直していた。大正12年ごろの「日本美術史ノート」では。ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』を取り上げ、そこで示された五対の美術概念について詳細に検討がなされている。ヴェルフリンは、視覚作用それ自身に歴史的変遷があり得ると考え、視覚の諸層を明らかにすることが美術史の基本的な課題であるとする。ヴェルフリンによればこの視覚の諸層は五つの対をなしている。それは、線的/絵画的、平面/奥行、完結形式/解放形式、多様性/統一、明白/不明白、という対であり、これらの前者から後者へと変遷することにヴェルフリンはルネサンスからバロックへの様式的変遷を見る。和辻はこの美術概念の対を逐一検討し、それらが東洋美術には適用できないことを示そうとしていた。東洋美術における描線は、ヴェルフリンの言うような線的か絵画的かを区別できるものではく、線的でありながら同時に絵画的であるようなことがらとしてあった。このような描線を、和辻は「リズムを現わす線と物の明確な形を現わす画き方とが結合し、いずれにもなり切らず中間に於いて新しき意味の線となっている」と解説する。この描線のありようは東洋美術の特性に結び付けられる。それは、「形自身に於ける美よりも、形を通じて現わされる意味を重んずる」ということだった。東洋美術とは、形自身ではなく形によって示される「意味」、形そのものではなくそれが織りなす「リズム」の主張である。このような東洋美術は西洋的な美術様式とは別の「様式」であるとされた。注しておきたいのは、この別の「様式」は、通常の意味の、あるいは絵画的様式などと同格に並べられるような様式のひとつではなかったということである。東洋美術の「様式」は、絵画的様式というような様式の区別そのものを横断し解体するものとして、ヴェルフリンが考える様式の外部にあるような事柄であった。それはヴェルフリンの様式の区分そのものとその根幹的な前提とを問う「様式」であった。

これはつまり、視覚作用が歴史的に発展するということがらのさらなる根底である。視覚作用自身が歴史的に発展することなどはあり得ない。歴史的発展をするという自体が人の営為に属するからである。つまり、視覚作用の歴史的発展とは、単独であり得るのではなく、その背後の人格的生の歴史的発展に寄り添うものでしかない。だから、より根底的な問題とすべきなのは、むしろ人格的生がどのように視覚作用へと結合するのかということなのだ。ヴェルフリンに即して言えば、なぜヴェルフリンは視覚作用そのものがあたかも歴史的に発展できるものであるかのように、人格的生と視覚作用とをぴったり貼り合せられているのかが問題とされなければならない。ヴェルフリンが視覚作用にのみ着目するのは、もともとギリシャ的な視覚作用のありようを無意識に前提にしていたからである。ギリシャ的であるとは、視覚作用が人格作用とぴったりと重ねられ結合することをいう。そうした根底的な、視覚作用と人格作用との結合のしかたこそが、対象物のかたちをその内容と乖離させずに見る視線を保証し、自然に忠実に描写することを欲するような美術家を、あるいは、視覚作用そのものが独立的に展開できるような思惟を支えると和辻は考える。これに対して東洋美術は、自然な忠実な描写は必ずしも欲せられない「様式」として、ヴェルフリンのいう様式の外部に立つ。それは、対象物のかたちと描かれる内容とが乖離しても頓着せずに、描かれる重点を対象物そのものにではなく、なんらかのリズムや意味に置く「様式」であるという。こうした東洋美術の特徴が、「もの」と「こと」の引きはがしであるということは容易に確認できる。つまり、東洋美術の特徴とは、対象物その「もの」が描かれるのではなく、リズムや意味といった、「もの」性を剥がされた純粋な「こと」こそが重点的に描かれることなのである。

しかし、ギリシャ美術は人格的作用が直ちに視覚作用になり切ろうとする、形象を感情によって精神化するといわれる。一方、東洋美術は、人格作用は視覚作用になり切ろうとはせずに、視覚作用を単なる通路としてまっしぐらに現われようとする、感覚が形象によって感覚化されると言われる。だが、すぐ分ることだが、こうした概念による差異の把捉は成功していない。両者の概念がどのように違うのか十分為し得ていないのである。

 

U.表現としての人格

前章でも取り上げた和辻の「偶像再興」には阿部次郎、阿部がその著書を翻訳したリップスの影響を受けている。それは人格主義といえる。ここで阿部の言う人格とは。精神、統一的自我、個体、叡知的性格によって特徴づけられるもので、個人的な内面性に関するものであった。だから人格主義とは、外在的な物質を追求することを抑制し、この内部的な人格の成長と発展こそを至上の価値とする立場であるとされている。和辻は、これを享けつつ、阿部のような社会改良の方向には向かわず、芸術、とくに文芸における表現の問題に向かった。「偶像再興」の和辻にとって、人格的生命とは文芸によって表現される内容、すなわち表現される「もの」なのであった。こうした人格が。前章でいう内生と同じものであめことは分かるだろう。

しかし、和辻のこの人格観は、後年、例えば昭和10年の「面とペルソナ」においては変容している。そこては、まず、顔が人の存在にとっていかに中心的地位を持つかを語り、顔は人の存在にとって核心的な意義を持つもの、単なる肉体の一部ではなく、肉体全部を従える主体的なるものの座をなすこと、それを抽象したものこそが「面」である。事実、「人格」の原語であるラテン語ペルソナとはもともと劇に用いられる仮面のことだった。仮面の意であるペルソナが、劇中の役割、劇中の人物を示す意味へと転じ、さらに日常における我・汝・彼という役割、社会における地位・身分・資格などの役割の意に転じて、最終的に行為の主体・権利の主体としての人格の意味に帰着したのだ、解説する。要するに和辻はペルソナという言葉によって、顔と人格とを、顔と仮面とを結びつけ、それらの関連のありようを問題にする。そのなかで、能面を例にして次のように述べる。面をつけた役者が手足の動作によって何事かを表現すれば、そこに表現せられたことはすでに面の表情となっている。ここでは、仮面をつけた役者自身の動きや内面性等が抑圧されている。役者の肢体による表現は、役者の内面、あるいは内生を表現せず、面がそれを被って動く役者の肢体や動作を己の内部に吸収してしまい、面の表情となるという。和辻が重要視するのは、この、動きにおいて役者の肢体の表現を吸収してしまう力である。この力こそが、仮面の意味を人格の意味に転換させた急所だったからである。坂部恵によれば、仮面としてのペルソナは、主語的同一性ではなく、関係の束や柄の束を示す。和辻の人格観は「偶像再興」時には主語的同一性ときわめて親和的な、個人的な内面性としての人格であったが、「面とペルソナ」時には、関係の束としての人格へと反転し、変容してしまったのである。ここで重要なことは、この変容が表現に関連していたということである。「偶像崇拝」時の人格が表現の問題に強く関わるものであったと同様に、「面とペルソナ」においても人格は表現の問題にかかわっている。表現される「もの」と表現される「こと」との区別でいえば、「偶像再興」時の人格とは、文芸によって描かれるべき内容の本体、すなわち表現される「もの」であり、一方「面とペルソナ」時の人格は表現される「こと」の集積である。つまり、人格についての考えもまた、表現される「もの」から表現される「こと」へと変容し、「もの」と「こと」とが引きはがされていると言える。

このような、「もの」と「こと」との引きはがしは本質的に、ことばの問題であり、表現の問題である。そうであれば、「もの」と「こと」との引きはがしということを、最も重要で、かつまた普遍的な問題にさせるのは、何かのテクストの解釈という場面においてである。「もの」と「こと」との引きはがしということがらが、和辻においては人格論の変容においても見られるが、例えば、その過程は大正10年から12年にかけての2つのテクスト読解のやりようの比較において見ることができる。2つのテクストとは、『福音書』と『正法眼蔵』であった。これらはイエス及び道元の人格にそれぞれ着目し、それを取り出し叙述するということを目的とする。だが、その取り出しようが異なっていた。

和辻によれば、『福音書』にはイエスの人格がその奥に君臨している。ここで和辻が求めようとしているのは、福音書に描かれたイエスではなくて、その奥底の福音書を描かせたイエス、信仰を引き起こした人イエスであるとして、その弁別には精密的な解釈学的操作を必要とするとして、解釈学的方法による詳細なテクスト解釈を試みる。これに対して『正法眼蔵』の場合には、道元の人格は既に著作の表現そのものに露わになっているというので、『福音書』の場合のような慎重さは必要ないとしている。この両者の違いは、ひとつにはテキスト自体の性質の違いに起因する。すなわち、『福音書』はイエスの弟子たちが綴ったイエスの言行録であるのに対して、『正法眼蔵』は道元自身が書き、語ったテクストである点だ。しかし、それだけではない。和辻は原始キリスト教は、ユダヤ教から出た特殊なものではなくして、ギリシャ風の享楽的な頽廃的文化に反撥するもとして現われて来たことを強調する。これは明らかに不自然であり、そこには予め目されている前提があった。それは、ギリシャ神像と古仏像の様式の差異の意識だったと著者は指摘する。『福音書』の叙述がどれほど荒唐無稽であろうとも、イエスの人格と乖離せずに結合していると主張されるのは、ギリシャ的なるものにおいては、表現される「もの」と表現される「こと」が分離せず結合しているという様式の意識が前提されているから。ギリシャ神像の様式は「人間を神の姿に高める」とまとめられているか、この意識こそが、原始キリスト教の中枢を人間イエスから神イエスへの高まりと捉えてゆく視点の裏付けとなるものであったとも言える。重要なのは、この論考においては、人格は『福音書』の内奥にあり、あるいは神イエスへの変容をもたらした核とされていることだ。ここで人格は、個人的な内面性、表現される「もの」としてしかない。これは、「面とペルソナ」に見た2つの人格観の前者と親和性を持っていることは明らかだ。

一方、『正法眼蔵』に対しては人格は別の扱い方をされている。道元の人格は内面性に収縮することなく『正法眼蔵』や他の語録の行間に、表面に、躍如として現われていると言われる。ここで示されているのは、表現される「もの」すなわち個人的な内面性に限定されることなく、表面化している表現される「こと」の集積として道元の人格を扱うやりようである。表現─人格における「もの」と「こと」との引きはがしは、まさしく、この「沙門道元」において起こっている。この論考こそが和辻哲郎の表現─人格の変容の嚆矢であると著種は言う。

和辻は『正法眼蔵』等の著作を道元における真理の表現であるとする。通常の禅宗の伝統に反して、和辻は真理は言葉によって、あるいは論理的表現によって表現されることが可能である、そうでなければ道元が多量の説教の書を書き残すわけはない、と断言する。つまり、『正法眼蔵』などに表現されている「こと」は、真理の表現であり、さらに真理の具現としての道元の人格である。このような主張は、二つの疑問点を導く。

一つは、道元の著作や語録に現われている事柄を、道元の人格といい、真理だという場合、それは書物の位置付け読解によって限りなく恣意的に変更を蒙ってしまわないかという点である。『正法眼蔵』自体も、何のバイアスもかけられていない単純な所信表明の書なのではない。ましてや文章の読解自体が、千差万別で、限りなく恣意性に揺られ続ける。となると、人格も真理もそうした恣意的なものなのか。もしそうではなく、何かしら確固としたものであると主張するならば、こうした恣意性を何かの方法で処理しておく必要がある。もう一つは、道元の人格に真理が現われている、具現しているということの問題である。道元にとって仏の悟りでしかありえない。だが、仏の悟りを具現するとはそこに仏が現われるということである。これは仏身の問題を掘り起し、その問題と道元との関わり合いについて論究することを和辻に迫ることになるだろう。また、人格という用語自体がキリスト教に深く影響されたものであって、その場合真理の発現とは神の発現とほぼ同義である。そのため神すなわち超越者そのものが現実世界に発現するという問題系に触れ、キリスト教と仏教における差異を問う思考を誘うことになるだろう。これらの疑問点は、文献の解釈における恣意性の問題と、超越者の発現の問題にまとめることができる。

和辻は、道元の思想の特徴を次のように捉えてみせる。道元においては超越的な法は人に憑いて働き現われる。ここで注意すべきなのは、超越的な仏を人としての肉体によって表現していくことでもあると言っていることである。それは親鸞のような、人とは隔絶した阿弥陀仏という超越者への帰依なのではなく、今この場に現われている人に顕現し働き現われるという主張なのだという。この法と人との関連について注目しておかなければならない。注意すべきなのは、こうした法が人に憑いて働き現われることとは、超越的な仏を人としての肉体によって表現していくことであると言っていることである。表現される「こと」としての法は、表現される「もの」として肉体離れることはない。ここでは「もの」と「こと」の引きはがしということがらは未だ明らかにされていない。だが、真理が表現されるのは人の肉体や人格においてだけではなく、ことばにおいても十分に現われるのである。それは、『正法眼蔵』や他の著作に道元の真理が表れていると断言したことの当然の帰結であった。和辻は「道得」の解説において、ことばによる真理の表現のさなかに、表現される「もの」である人格や人が剥ぎとられ、表現される「こと」のみが自律していくさまを描くのである。道元は「道得」という言葉を重んじた。和辻はそれを、真理を表現することその「こと」の重視であると見る。表現はもはや特定の人格に限定されない。人格の特定性は取り除かれ、表現される「こと」自体が自律し、逆に人格を呑み込んでしまう。和辻は、「道得」をロゴスの自己展開と呼ぶ。この言葉は、理性・精神といったなにか内在的なものが歴史的に展開していく事柄として理解されてはならない。ロゴスとはまず言葉であり、真理であり、表現である。ロゴスの自己展開とは、主格的な人格に従属するべき言葉・真理・表現が、人格の支配を振り払って自律していくこと、さらには逆に人格を覆い、人格を規定してゆくさまとして捉えなればならない。「もの」と「こと」の引きはがしが、ここで、ロゴスの自己展開という言い方で和辻に明確に意識されていたことは重要である。表現される「こと」から抜き去られる主格とは、あきらかに、個人的な内面性なのであり、主格として働く人格を指している。つまりそれは、かつての『偶像再興』時に語った人格、すなわち「精神、統一的自我、個体、叡知的性格」に特徴づけられる人格なのである。ここで注意しておきたいのは、こうした図式を示すのには、単なるギリシャ精神たけではなく、ギリシャ精神の精髄を吸収したキリスト教であり、またそのキリスト教に近似しているとする親鸞の考え方であった。このように「道得」の解説によって主格の抜き去り、ロゴスの自己展開という呼び方で表現される「こと」の自律を主張した和辻は、さらに「葛藤」の解説において、表現される「こと」の自律が招いてしまう問題について考察の糸口を得る。つまり、表現には、当然ながら複数の表現がありえ、それらは互いに矛盾して衝突してしまう。人格が表現を統率する場合には、表現の複数性は複数の人格の差異に解消してしまうが、表現を統率する主格的な人格を排除して表現される「こと」それ自体が自律するとなると、これらの相互の矛盾や衝突は自己矛盾であり、自己衝突としか言えないことになる。この表現される「こと」同士の矛盾や衝突は弁証法的に止揚される。和辻はそれをイデーの弁証法的展開と呼んだ。このことばもロゴスの自己展開同様に、内面的な観念が歴史的に展開してゆくこととして捉えてはならない。それは表現される「もの」ではなく、自律する表現される「こと」同士が抗立否定し合い、自体が止揚していく様を指している。この止揚こそが、和辻にとって「脱落」なのだった。道元の考えの根幹とされる「脱落」は、アウフヘーベンと言い換えられる。

既に述べたように人格概念において、和辻は当初、阿部次郎を介してリップスから影響を受けていた。だが、人格観の変容と連動してマックス・シェーラーを重視し始める、シェーラーは感覚し表象し感じ欲し望み恐れなどする内面的本質を人格とするリップスのような考えを斥ける。それは単に経験我ないし個人我としての自我を人格と同定しているに過ぎないからである。シェーラーはこうした自我とは別様のところに人格を開こうとした。それが種々な作用の具体的な存在統一を人格とする定義である。だが、和辻の見るところシェーラーの定義にも問題があった。すなわち、人格を経験我に限定することをやめ、それを具体的な作用の統一へと開くシェーラーの考えには画期的なところがあるにしても、見逃されているのは、そうした経験我や諸作用が、なぜ我として認識され統一的に把捉されるのか、と言う点である。和辻によれば、自我を人格とするには経験我だけではなくもう一つの側面がある。それは超越我ないし普遍我と呼ばれるものである。経験我が個人的側面に終始するのに対して、普遍我はそれを超越し、自身は実体化しない。だが経験我において数多の経験の中心に我が据えられ、それらを統一することができるのは、この普遍我によるのである。統一の根拠としての普遍我が働いているのはたんに経験我においてだけではない。シェーラーがいう諸作用の統一という人格においてもまた、それを統一し我へと連結する根拠として普遍我が働いていると言うべきである。シェーラーは経験我を人格とする考えを斥けようとしたが、和辻の考えでは経験我を排除するだけでは人格は自我から解放されない。そこには普遍我の問題が残されているからである。人格を自我から完全に解放するには、普遍我とは別の仕方で人格に統一を与えられなければならない。シェーラーの論点を受け継ぎながら、和辻がその不十分さを指摘したのはこの点であった。

和辻によれば、シェーラーも不十分であったこうした自我の抜き去りを徹底させた思想こそが仏教思想であった。『原始仏教の実践哲学』においては、原始仏教の論理的中心が、普遍我と経験我とをともに離脱することにあったと論じられ、和辻によればそれこそが原始仏教の根本的立場なのだった。では両者からの離脱とはどのようになされるものだったのか。普遍我と経験我とをそれぞれ主張する二つの思想は、その対立にもかかわらず二つの思想は、その対立に関わらず二つの共通点を持つ。一つは理念を実体化するという点であり、もう一つは認識の対象としてはならないものを対象とする点である。仏教が、この二つの立場を同時に離脱するとは、これらの共通点に対して逆の主張をしていくということである。まず、理念を実体化しないこと、さらに認識の対象としてはならないものは対象としないこと。言い換えれば、認識において経験と理念とを区別し、認識─経験の限界を決めること、また、認識の対象としてはならないような問いに対しては、「答えない」という態度をとることである。つまり、両者の立場に対して超越論的な立場に立つこと、それが仏教の立場、「決然たる転回点」であると和辻は考えるのである。ここで、問題は、こうした超越論的な見方をする仏教が自らの説として何をあげたかということだ。和辻が原始仏教思想の中心としてあげるのは「この世は無常である」という前提のもとに示された五蘊説であった。

五蘊説とは、一般的には、五蘊、すなわち五つ要素の集まりの意味であり、我々個人の存在を構成する色・受・想・行・識の五つの要素のことをいう。「色」とは肉体、身体のこと。「受」は感覚もしくは感受作用、「想」は表象作用すなわち想像すること観念を抱くこと、「行」とし意志あるいは衝動的欲求のこと、「識」とは認識作用あるいは判断のことであるとされる。五蘊説はまず我々の認識の世界を対象にする。「世は無常である」とは、変遷し変化していく認識の世界のみを対象にし、究極の永遠なるものなどは扱わないということの言い換えである。認識を超えた事柄、例えば我や世界の起源と終焉について、あるいは世界の有限性無限性についてなどの議論にはくみしない。「答えない」

という態度は、認識の世界に領域を限定し、超越的な普遍我は考察の対象から外すことを意味する。和辻は、これを原始仏教の明確な思想的判断であると力説する。だが、認識の世界に限定し、普遍我を相手にしないと、経験我を擁護することになる。それに対して和辻は、五蘊説であげられるのは実体的な要素なのではなく、実体性のない範疇であると論じる。つまり、五蘊説は範疇論であり、範疇すなわち理念でとどまっていると主張する。わたしが花を喜ばしく思う。このとき、わたしという主体が花という客体を受容し、それを喜ばしく感受するとするならば、花は主体側と客体側とに、たとえば認識された像とその実体という具合に、少なくとも二つ存在しなければならない。だが実際にはそうではなく、花は、美しい花としてただ一つあるばかりだ。とはいえこのただ一つの「ある」とはどういうありようなのか。和辻によれば、それは「一つの特殊ないろかたちが楽受において存する」だけである。つまり、この「ある」とは、わたしの認識と客観的な実体とが分裂する手前にあるありようなのであって、経験と存在の仕方が一つになったものだというのだ。和辻は、このようにして「我」とその反面の客体化を、すなわち、いわゆる主体と客体とを、同時に回避しようとする。問題となるのは、この認識でも客体でもない、あるいはそのどちらでもあるものとは、結局何か、ということである。和辻は、このありようを「存在するものの法」と名付ける。和辻はこれを「かた」と解釈する。「かた」とは、「もの」を「もの」たらしめる「こと」である。言い換えれば、認識その「もの」や実体その「もの」ではなく、認識や実体をそのようにあらしめる範疇あるいは形式の「こと」、それが「かた」なのだ。「かた」としての法は、存在するものの範疇・形式であり、存在そのものからは逃れる。それが存在するものの法である。「もの」と「こと」との引きはがしは、このように五蘊説の検討において明確に形式化され考察されるのである。

このように五蘊説は、和辻によれば、認識─存在における五種類の「法」を提示した。五蘊説はたしかにこうして普遍我を回避し、経験我における「われ」「わが」を五つの法に解体した。だがそれだけでは自我は解体しない。それは「我」を否定しただけであり、「我」に代わるものを提示できていないからである。「我」の作用、特に普遍我が持っている統一の作用をなんらかのかたちで肩代わりできなければ、統一の根拠として普遍我が再び現われてしまう。和辻はここに五蘊説の不十分さを見ていた。和辻によれば、これらの不十分さの補填こそが縁起説の課題であった。

縁起説とは、現象的存在が相互に依存し合って生じていること、を説く仏教の基本的な教説のことである。すべての現象は様々な原因・条件が相互に関係しあって成立するのであり、そうした原因や条件がなくなれば結果もおのずから消えるとされる。和辻は縁起説を単一のものみなさず、五支、六支、九支、十支、十二支の各縁起説が、それぞれ独自の考察を含む別々の思想によるものと考える。この異なった思想による縁起説が、影響を与え合い、無我論の論理的な問題展開に沿うことで、単純なものから複雑な者へ発展したと見ていた。五蘊説では五つの「存在そのものの法」が示されたが、これらの法と法とがどのような関係においてあるのかは論じられなかった。縁起説で問題にするのは、まさにこうした複数の法の関係づけの仕方である。和辻は縁起論の基礎としてのこの二点、すなわち無我論と、無我論を基礎とする法と法との関係づけという点から、これまでの伝統的な解釈によって見失われ、そのために非常に誤ったものとなったと批判する。

和辻は五蘊を縁起説に組み込んでいくことにより、外部は存在しないはずの五蘊説に動機を異にする別の思想が入り込むことを指摘する。その結果として五蘊説の解体と、そり五つの要素の縁起内での再構成が進められ、五蘊説自体においては考察されなかった五法のあいだでの関係を明らかにするという課題へと連動する。このことは六入処という別の思想を引きよせる結果となった。これは和辻独自の解釈問える。六入処とは六つの感覚器官あるいは感覚自体のことであり、眼・耳・鼻・舌・身・意を指す。六入処において課題となるのは、それらの感覚がどのように対象である「色」に関係し、受容性としての「愛」と組み合い、またそれに対して判断としての「識」がどのように関連していくかを明らかにすることだった。だからそれは、縁起説からみれば、五蘊説のうちの「色」「受」「識」三つの要素を一度解体し、五蘊説とは別の思想の下で関連付けるということだった。

六入処は「我」を分解することについては優れているが、無我論に徹するには問題を抱えていた。それは六入処が具体的感覚器官や感覚自体についての論であるがために、感覚が「なにかのもの」に対する感覚であること、この「もの」を論の前提にしてしまっていることである。認識のこうした対象のことを、特に「境」と呼ぶ。「境」をアプリオリに規定して客観的実体や対象をしらずしらず前提にするならば、こうした客体に対応する主体を知らず呼び込んでしまい、無我論を徹底させることはできなくなってしまうだろう。そこで、和辻は六入処の系列は縁起説取り込まれるときに逆転することを考えた。たとえば、「見られるもの」ということが成立するためには、「見られるもの」とする作用が先んじていなければならない。つまりは、見られる「もの」が成り立つには、見られる「こと」が先んじていなければならない、というわけだ。一方、縁起説自体も六入処の考えに影響をうけた。その結果、縁起説の根底をなす「識」と「名色」とが、相互に基礎づけ合う相依関係として規定されることになった、このようなことが示されるのは、始源がないこと、究極の根源がないことを示すには都合がいい。縁起説が六入処における相依関係を取り入れたのはこのためだったと言える。しかし、始源や根拠、あるいは「我」を取り除くことにはすぐれていても、相依関係自体は論理的循環として縁起系列そのものを危うくしてしまう。そうであれば相依関係を解除するには、こうした長所を引き受けながら同時に循環を解体することが求められる。この解体における課題を和辻は二つあげる。一つは、相依関係にない識の条件とは何か。二つは、そうした識の条件は、相依関係が行ったように無根拠を示すことができるか。この二つの課題を満たし、相依関係の循環を解くもの、それこそが「行」の概念であったという。

「識」は了別作用であるがために、了別する「こと」においてどうしても「もの」性が付随してしまう。求められるのは付随している「もの」性を完全に引きはがした「こと」、いわば「識」における「こと」のさらなる「こと」性のような概念である。それこそが「行」として「識」の手前にその条件として回り込むのである。このようにして「行」は析出される。しかし、縁起説では、さらに「行」の条件として「無明」が立てられる。

これについては、「行」は、「もの」性の完全な剥奪によって、「識別される「もの」を持たない純粋な作用」すなわち「こと」の「こと」性として見出されたが、しかしそれが縁起の最終根拠となるとなれば、「こと」であること自体が、しかしそれが縁起の最終根拠となるとなれば、「こと」であること自体が「もの」化してしまう可能性がある。言い換えれば理念が実体化してしまう。そこで、最終原理が実体化することを封じるために導入されたのが根底としての「無明」の考えであったと和辻は断言する。

そもそも、縁起系列が終焉し、無根拠化するとは、存在することの法が滅し、苦からの解脱が為されるということだ。つまり、縁起説は、法と法との成立のありようと、それが苦をどのように生むのかの条件が考察されているのであるが、一方ではその考察を転用することによって、条件を転用することによって、条件を止め関連を解体し法の連鎖を防いで苦から逃れる方法を見ることができるということだ。前者の見方を縁起の「順観」、後者を「逆観」という。ここで重要なのは、この順逆二観どうしの関係である。両者は、肯定の系列と否定の系列として相互に独立して対になっているとはいえない。なぜなら循環は「無明がある」と認識することによって自動的に「無明」を滅し、逆観へ反転してしまう。順観とは滅せられるべき自然的立場の根拠を示すものであり、つまりは我々の認識─存在の法の系列である。一方、逆観は釈尊の立場を示す系列である。これらの二つは、一見全く乖離しているように思えるが、実際にはそうではなく、自然的立場は、順観が逆観へと反転してしまうように、それを認識するという点において反転し釈尊の立場にすぐさま接続してしまうと和辻は指摘する。

こうした「行」と、「行」から始まる縁起系列が無根拠であることを意味する「無明」の規定によって、縁起説は整えられ、課されたいくつかの問題に答えたと和辻は見る。さらにまた、そもそも縁起説が五蘊説にかわって担ったのは、第一に超越我が持つ統一の作用の肩代わりをするということと、第二に苦からの解脱が計れるのかを提示することであった。第一の課題に対しては「行」によってそれに答えた。第二の課題には、「行」が無根拠であることが「無明」として捉えられ、「無明がある」と認識することが即ち「無明」滅を導き、苦からの解脱が計れるものであるとした

原始仏教研究において「行」を統一の根底として見出したことで、それまでの個人的な内面性としての人格概念が完全に払拭される。原始仏教の「行」の統一が、人格を踏み越える概念であると論じた。人格が作用の存在統一としての個体であるとすると、「行」による統一はそれを踏み越える。なぜなら「行」は個々の個体とそれとしてあらしめる法であっても、それ自身個体ではないからである。つまり、「行」は、統一そのものなのであり、統一された「もの」を含む概念ではない。その意味において「行」は個体性すなわち「もの」性を必ず伴う人格とは区別されなければならない。旧来の人格観はここに廃棄され、新たな人格観、「こと」の統一としての「行」という人格観へ取って代わる。

和辻哲郎は、原始仏教における五蘊説は、仏教の目標である苦からの解脱という課題には答えておらず、その課題を担うのは縁起説であった。その縁起説は認識論であると同時に実践論でもあると和辻は考えた。しかし、実践論として仏教の中心にあるのは八聖道である。八聖道とは、仏教徒、修行者における生活の目標、それによって解脱の実践へと導かれる八つの方法のことである。「正しく見る(生見)」「正しく思う(正思)」「正しく語る(正語)」「正しく行為する(正業)」「正しく生活する(正命)」「正しく精進する(正精進)」「正しく念じる(正念)」「正しく瞑想する(正定)」という八つの方法は、通常は僧侶の修行生活の目標とされる。しかし、和辻は一般に向けられた人間の道であり、現実実現の道である説いた。そして、八聖道の冒頭に「正見」があることを極めて重視する。正見は真実の認識の意味に解され、それは「無明」の滅とも言い換えられる。真実の認識は正見によって引き起こされる別のものではなく、正見そのものである。八聖道は正見すなわち真実の認識が、それ自身を現し、それ自身になるということにほかならないとされる。さらに次のように言う。八聖道は、正見の実現としての正見自身の運動とされる。和辻は、八聖道を正見にすべて包含してしまうのである。正見は、自らを方法として自らを実現するのであり、それこそが「滅の道」である。和辻は実践論としての八聖道を、正しい認識のありよう、特に見ることに集約させる。しかし、通常では認識と実践は別のものだ。もし、認識することが実践することであるとするならば、それはある一つの領域においてでしかありえない。すなわち「見ること」自体が自己展開していく領域、認識するという実践以外に実践がないありようにおいてである。言い換えれば認識と実践との自由な変換は、鑑賞・解釈が自己目的化し自閉した利用域においてだけ通用するということだ。これい、今まで見てきた縁起説でもそうだが「統一」というありようの強調であった。和辻にとって「統一」とは、「もの」と「こと」とを引きはがして、「こと」が認識=実践する自己目的的領域を自閉させるという事柄としてあった。「統一」は、認識=実践の領域の自閉化の要石としてある。こうして「もの」と「こと」の引きはがしということがらは、歴史的考察のさなかで論理的な極点を迎えることになった。この極点は三つのポイントを備えている。まず、一つ目は、「もの」と引きはがされた「こと」が、それでも付着させている「もの」性をさらに排除された結果、「こと」の「こと」性ともいうべき純粋な「こと」を志向したという点である。縁起説における「行」の解釈がその例である。また二つ目は、その純粋な「こと」が再び「もの」化しないような装置として、「こと」の無根拠性をあらわす記号のような概念が考えられたという点である。縁起説における「無明」の解釈がその例である。さらに三つ目は、こうした「こと」が自己目的化し自閉するための要石に様な概念が考えられた点である。縁起説における無明─行の組み合わせがそれである。

 

V.人格から間柄へ

大正14年、和辻は京都帝国大学に招かれ、昭和2年ドイツに1年間留学する。この時、和辻の思想の変遷にもっとも強い影響を与えたのはハイデッガーの思想であった。この影響は、渡欧前の「もの」と「こと」との引きはがし、すなわち、「こと」自体の自律する領域の確立ということがらをさらに変成させる。その過程は昭和6年の「人格と人類性」に見ることができる。

「人格と人類性」で扱われるのはカントの人格論である。ここではカントの道徳論の中核をなす有名な定言命法の解釈に終始する。この考察において下敷きにされたのはハイデッガーのカント解釈であった。この定言命法についての日本での一般的な解釈「人を手段として取り扱うな、すべての人を自己目的として取り扱え」に対して、和辻は2つの問題点を指摘する。第一、人格と人類性との区別がなされていないのではないか。第二、手段としてではなく「同時に」目的として扱え、という「同時に」の点を見逃していないか。とくに第二の問題から、和辻は、もし人格を手段でなく目的として扱えと理解してしまうと、徹底的な個人主義が現われてしまうことになるという。なぜなら、私が他人に奉仕することも、人格の手段化であるので否定されなければならないからである。この誤解は、手段であると同時に目的であるとしてという事柄の理解を間違えたことに起因する。同時にという点が注意して読まれるならば、定言命法はむしろ、自分も、そして相手も、自己目的な人格として尊重させなければならないが、同時に自分を手段として使役させ、また他人を手段として使役しなければ人間関係は成立しない。このように考えれば、定言命法しは人間関係の原則として読まれるべきである。しかし、これは実現されない理念ではないという。カントが人類性の原理を見出したのは現実の社会においてであり、だから人類性の原理もまたこの社会に部分的に実現されている。そればかりか、たとえ人類性の原理だけが支配する「目的の国」においてであっても、人格はいぜんとして「物」でもあり、人格が手段として取り扱われることはなくならない。和辻が強調するのは、我々が今現在、すでに目的と手段との二重性において「ある」という点である。このような人格と人類性との、すなわち「もの」と「こと」との二重性の強調は、それまでの論理にねじれをもたらすことになる。つまり、『原始仏教の実践哲学』において、「我」は分解され、「もの」性を徹底して排除された「こと」自体の自律する領域、とくにそれが「行」によって統一されてゆくありようが見出された。こうした純粋な統一作用としての「我」がペルソナであった。そこで一貫して見出されるのは、人格から「もの」性を排除する作業、あるいは表現された「こと」から表現された「もの」を剥ぎとろうとする作業である。これに対して、カントの定言命法において人格と人類性との二重性を強調することは、むしろ人格の「もの」性を恢復し、強調する論として提出された。定言命法についての一般的な解釈において人類性の理念すなわち「こと」性ばかりが重視されてしまっており、それに対して二重性を強調するためには、「こと」の側面ではなく「もの」の側面こそを、ます強調する必要がある。こうした事情がねじれを生み出す。「こと」は単に理念ではなく、「もの」性をかならず伴うのであり、人類性は必ずその「物化」としての人格を伴わなくてはならない。そう主張する和辻は、『原始仏教の実践哲学』での考察とは正反対の主張を行わなければならなくなった。

和辻は、定言命法における人格と人類性との区別は、カントの第一批判の「純粋理性の誤謬推理について」で既になされており、純粋心理学的人格性と超越論的人格性との区別であるとした。超越論的人格性とは「我思う」の主体であり、思惟作用を起こす点のごとき我ではなく、思惟そのものの根源的総合的統一であると解説される。一方の純粋心理学的人格性とは「我思う」の主体であり、対象としては空虚な、いわば一種の形式である。この形式に充填される実体こそが純粋心理学的人格性と呼ばれる。それは、人格あるいは客体我とも呼ばれ、人格性すなわち統覚我と対照される。これらの規定はハイデッガーの直接的な影響を受けたものと言える。ハイデッガーはカント読解において心理学的人格性を超越論的人格性と区別して規定した。それは覚知の自我であり、知覚の経験、内感による諸々の心的な過程を経験する「自我─客観」のことであるという。これは超越論的人格性すなわち統覚、あるいは「自我─主観」とは対照的な規定である。だから、和辻は、こうした人格と人格性の差異を、「人格は「もの」であり、人格性はこの「もの」を「もの」たらしめる「こと」である。」つまり、「もの」と「こと」の引きはがしという思考方式はもここで人格論を担い人格と人格性との区分となって現われている。ハイデッガーのカント解釈と和辻の「もの」と「こと」の引きはがしとは、合流している。

ただし、両者の解釈で道徳的人格性の解釈をめぐっては乖離が明らかになる。道徳的人格性は意味的に狭い限定が為され、特定の自己意識、感情、とくに尊敬感情に特定されている。カントは、道徳性の分析を、その根幹たる尊敬感情の分析として提出する。この尊敬は道徳的行為の法則に対する尊敬の感情である。一方、尊敬感情によって法則が法則としてはじめて成立する。つまり尊敬と法則とは、基礎づけを相互的に行う関係にある。ハイデッガーによれば、カントの尊敬感情とは、法則に対して尊敬する感情をもつ自我が、同時に自己自身にとってあらわになることである。つまり、自己によって法則という「かた」をつくりながら、その「かた」によって逆に自己が規定され、あらわれるような重層的な自己のありようの全体である。ハイデッガーにとって重要なのは、法則そのものではなく、重層的な状況にあってどのような行為を我々が行うかであった。これに対して、和辻の場合は、尊敬感情は我々が本来的な自己を自覚する仕方であり、法則への尊敬感情は、本来的な自己への自覚であった。和辻はハイデッガーが分析した同じ状況を「こと」=「かた」に収斂させてしまう。ここで最大の問題となるのは、「こと」自体の自律ということがらを引き継ぎながら、そうした「こと」をさらに進めて「本来的な自己」へと呼び換えている点である。和辻はカントの尊敬感情分析を自我とする主体についての考察として収斂させる。和辻は本来的な自己とは、道徳的人格性であり超越論的人格性であるとして、ハイデッガーのように区分しない。ただ扱う立場が異なっているに過ぎないという。この立場の相違とはカントが思弁哲学(第一批判)と実践哲学(第二批判)との区別を行うことによる相違であるという。本来的自己を意識するとは、行為することそのものであるという。つまり、本来的自己を認識することがそのまま行為することなのだ。ここで思い出すのは、『原始仏教の実践哲学』において、縁起説の「無明を認識すること(順観)」が、「無明を滅すること(逆観)」へと容易に反転してしまうこと、認識がそのまま実践となるという主張だろう。行為することは本来的自己のありように組み込まれる。ところで和辻によれば、本来的自己とは道徳的人格性のことであり、またそれは超越論的人格性、さらには人格性人類性と同じものとされた。それは人格という「もの」を可能にする「こと」=「かた」である。つまり、「こと」としての本来的自己ないし道徳的人格性は、すでに「行為」を含んでいると和辻は考える。この考えについては、やはり『原始仏教の実践哲学』において、縁起説の「最終統一原理」として、「こと」としての「行」という規定を持ってきた解釈を思い出すことができるだろう。このような和辻のカント解釈は、「こと」としての人格性という『原始仏教の実践哲学』以来の人格概念に場所を与えようとする試みであったといえるだろう。

ここで「人格と人類性」という論考を読む者は中途半端であるのを感じざるを得ない。それは、当初の意図、すなわち人格と人格性人類性とを区別しようとする意図と、実際の行論とがねじれてしまっていることに因っている。ここに現われている錯綜、すなわち「こと」としての人格性の抽出という意図から外れている行論を、三つの点において注目していきたい。第一には、人格の「もの」性の強調の点である。第二には、論考の終盤以降で急に浮上してくる主体への重視の点である。そして第三に、論考当初から企図しつつ、しかも最後まで論じ尽くすことができなかった人格性の共同態性への関連の点である。

まず、「もの」性の強調という点から見て行こう。『原始仏教の実践哲学』においては「こと」としての側面を抽出する試みがなされ、それは「もの」性の徹底的な剥ぎとりによって行われた。だが、同じ意図を継承しながらも、「人格と人類性」においては、逆に「もの」性としての人格を強調し、擁護するという論が示されていた。「もの」性のこの恢復は、どこから来たものであっただろうか。これには、昭和2年のハイデッガーの『存在と時間』の刊行で和辻がドイツ留学中に読んだことが起因している。これを機として和辻は風土性の考察を始める。和辻自身は『存在と時間』の限界の補填の試みのようなことを述懐しているが、実は、有名な道具性の考察をヒントにし応用し、拡大したものが風土性の考察の根本となっている。道具は単なる「もの」ではなく、それに関わる我々が、我々自身のありようをそこに発見するものとしてある。それが感受と働き出しという道具の二重構造である。和辻にとってこの構造は風土においても同様であった。和辻はこうした関わりの根底を、我々が外に出ていることだとする。このハイデッガーの影響を独自に拡大することにより、和辻は、我々を規定している「こと」ばかりでなく、規定する「もの」に着目すべきであると考える。そのことが和辻に風土を強調させるのだ。ここでの風土への着目は、世の中にある「もの」としての「もの」への着目である。論考「風土」において「もの」とは、まず道具性、すなわち我々が使用し感受する、すなわち関わるものとして、我々が自己を開示するものとして、外に出るありようである。このように見れば、「もの」性の強調とは、そもそも風土への着目と共にあって、世の中のものにすでに我々が外に出て自己を開示しているという点への着目である。これは明らかにハイデッガーの考察の継承である。と同時に西田幾多郎の表現─人格の考えに近づいている。ここで第二の論点である「主体」の問題の浮上という事柄についても見ていく。この急速な「主体」の浮上は、同じ人格性人類性であるとした超越論的人格性と道徳的人格性とにおいて、前者が後者に移行したことを客観の成立根拠の問題から主体の自己規定の問題へ移ったこととして和辻が理解したことによる。そこから和辻は人類性は人格の主体的な根底なのであると主張した。そして、現実性の現実的源泉でありながらそれ自体は対象的にあるのではないような主体の根底、それを和辻は人格性人類性と呼ぼうとする。ここで示そうとしているのは、「こと」にとどまることのない、そこにある「もの」性が恢復された具体的現実的な主体の根底なのであった。

重要なのは、こうして再生された主体について、その根底をカントの属する思想潮流には存しない、一切の現実性の主体的な根源としての「空」のごときものと言った点である。この「空」とは何か。「仏教哲学における「法」の概念と空の弁証法」において、和辻は「かた」としの「法」という考えをふたたび点検し、それを「空」の考察とつなげた。通常の法の解釈は、法を「もの」とする素朴実在論的な考え方と真実在的超越者とする見方が考えられるが、和辻は双方とも批判する。そうではなく、原始仏教の哲学においてすでに現われている「かた」としの法の概念、つまり、法=「かた」という解釈を前提にしてその根底ないし全体を想定する否定の動きを見出す。この否定の動きこそが「空」の働きに連結する。ここで注目すべきなのは無明の意味づけである。『原始仏教の実践哲学』において、無明は「行」が底抜けし、無根拠であるそのことを示しているにすぎなかった。しかしここでは「行」が担っていた統一原理の働きを備えた事柄となり、さらに運動性、作用性もそなえた結果、否定による統一根拠、否定の運動そのものにされている。こうして変化した無明の考えが「空」において生かされていると和辻は言う。そうであれば「空」し統一原理であり、否定の運動のことだ。否定の運動として差別の世界と無差別の世界を統一する根拠としての「空」。和辻の考えていた「空」とはこうした働きを持つものであり、それを「空」の弁証法と呼んだ。ここでの差別とは順観のことであり、無差別が逆観のことである。つまり、差別と無差別の統一とは、簡単に言えば認識と実践とを統一するということに他ならない。ここで「人格と人類性」におれる主体の根底に、これらの考えを代入すると、主体の根底には、否定運動によって認識と実践とを統一するような弁証法的活動があり、それが一切の現実性の主体的根源であるということである。これは、人格において単に抽象的な「こと」=「かた」ではなく、そこに具体的実際的な「もの」性が恢復されたことがらでなければならない。さらに「もの」とは、それを使用し、使用している自らを認識するという「かかわり」において見出されるものであって、それは自らが「外ら出ること」でもあった。つまり、「主体の根底」とは、否定運動という弁証法によって認識と実践とを統一するが、それは具体的には、そうした弁証法によって自らが「外に出ること」そのものであるところの、「もの」性との「かかわり」を支える「根底」だということだ。「人格と人類性」において、大部分が人格と人格性人類性、言い換えれば「もの」と「こと」という二極構造に止まっていたはずのものが、最終の部分において突然「主体の根底」として「空」という考えが出され、その結果この二極構造が揺れ始めたのだ。

和辻は以前「沙門道元」において、人格は、表現や真理を主格的・内面的にコントロールする「もの」ではなく、表現や真理に呑み込まれ、そのさなかにある表面的な「こと」として提出された。これを承けて『原始仏教の実践哲学』においては、主格の抜き取りをされた人格、すなわち無我論の考察として原始仏教を考察することで、「もの」性を剥ぎとられた「こと」=「かた」である「法」が見出された。主格が抜き出された人格が、それでも人格として成立する核心とは統一の作用であるが、この統一の究極根拠は、「行」によって見出される。この時点で和辻の表現─人格についての考えは、「こと」の「こと」性としての「行」、しわば「こと」の一極的なものでしかなかった。だが、ハイデッガーの考えは、こうした一極的な人格観に変容をもたらすことになった。ハイデッガーから受けた影響とは、端的に、「もの」の重要性の指摘である。ハイデッガーの道具についての分析、つまり「もの」への分析の仕方は、和辻に「もの」の延長としての風土性という問題に気付かせ、その影響によって人格観においては、「もの」性が恢復され。「こと」と「もの」との二極構造が作られることになった。

「日本語に於ける存在の理解」において、「もの」と「こと」の二極構造化と、さらにそこからの三極化の先触れが見られる。和辻が論じようとするのは、存在の仕方を日本語で問う「あるということはどういうことであるか」という問いそのものの語法的分析であったが、それは四つに分かれていた。第一に「もの」と「こと」との差異について、第二に「いうこと」と「すること」との差異について、第三に「いうこと」は誰が言うのか、第四に「ある」とは何かという問いである。ここでは第一と第四を中心に見ていく。和辻は「こと」の意義を三つの方向に分類する。第一に「動くこと」のように動詞と結合して動作を示したり、「静かにすること」と結合して状態を表す方面。第二に「変わったことが起こった」のように出来事を表す方面。第三に「あることを言う」のように「言われかんがえること」を表す方面である。これらの方面に共通する「こと」と「もの」との差異について、和辻はくべつそのものを二層に分ける。第一層は、物理的・心理的・歴史的・社会的な「もの」、すなわち対象としての「もの」と、それを「もの」としてあらしめる基礎としての「こと」の区別である。和辻は「こと」が「もの」よりもアプリオリであるとした。だが、第二層においては、このありようは逆転する。「こと」はそれ自体としてあるものではなく、「もの」へのかかわりを根本に存する「ことの了解」においてのみ我々に与えられるのであり、人という「もの」のあり方においてのみ現われるとされる。つまり、「こと」はそのさらなる根底として「もの」に基礎づけられるというのである。この第一層と第二層を結合させて、「もの」─「こと」─「もの」という関連図式を示す。しかし、ここで「こと」とその根底たる「もの」という図式を示す第一層と、「こと」とその根底たる「もの」の図式を示す第二層の間で反転があり、齟齬がある。この解消については、「ある」という言葉の分析によってなされる。

これはハイデッガーの分析をふまえたもので、本質と存在というハイデッガーの「Sein」の区別を、和辻は日本語の「がある」と「である」に引き受け、「存在」すなわち「である」を重視するハイデッガーの考えを逆倒させる。和辻は日本語に於いては「がある」の方が「である」よりも根底的であるとする。ところでこの区別は、「もの」と「こと」との区別に対応していると言える。「がある」とは何かの「もの」があるということで、また、「である」とは「もの」に還元されない存立のありようを示す点において、「こと」と同じである。日本語に於いて「がある」を「である」よりも根底的とする分析は、「もの」と「こと」の分析における第二層のありよう、すなわち「もの」が根底的でありとするありようと連動していると言える。だがここで重要なのは、「がある」が「である」よりも根底的であるとはしていても、それは相対的な差にすぎなかったという論点である。この指摘を「もの」と「こと」に重ねる場合、どのようなことがらが示されるか。すでにあげた「もの」─「こと」についての第一層と第二層との齟齬は、「もの」─「こと」─「もの」という重層としてまとめられ、そこで「もの」と「こと」との深度の関係が確定できないという事態を生む。だが、それらが単に相対的な差異にすぎず、「こと」と「もの」のどちらにおいても真の「根底」が示されない場合、「こと」と「もの」とは、さらには「もの」─「こと」─「もの」という連環は、深度の差異であることをやめ、その垂直的な連環をいわば水平的にして、一気に表面に浮上し、あらわになる。そこで根底なるものは示されないのか。そこでポイントとなるのが「もの」性の恢復にあった。「人格の共同態」から見れば、人格と人類性とは、互いに相手の否定の上に初めて規定される。すなわち「人格の共同態」から、「もの」性=人格を否定した時に、はじめて「こと」性=人類性は現われる。逆にまた、「人格の共同態」から「こと」性=人類性を否定すれば、「もの」性=人格が現われる。「人格と人類性」で相互転換と呼んだことがらも、おそらく同じである。人格と人類性とは、ここに相手の否定性においてそのものが規定され、さらにまた、そのものを自己否定することで相手に戻るという、否定性によって媒介される相互転換の関係を持つ。この関係にあることにおいて初めて、「空」という問題性がせりあがるのだ。こうして規定される根底としての「空」は、人格と人類性との観念のどちらにも属さないことになる。なぜならそれは人格と人類性とを否定的に相互転換させるものだからだ。和辻は人類性を「空」として示そうとするが、「空」は人類性にとどまってはいず、人類性と人格の中間に、あるいはその根底に剥がれ落ちてしまう。「空」が根底へと剥がれ落ちることにおいて、人格と人類性との二極構造は三極構造へと転化する。人格の考察において、「こと」=「かたち」の一極的なものから、「もの」性の恢復において二極構造に転化し、さらにそこから「空」が想定され根底へと剥がれ落ちることで三極構造へと転化する。

和辻哲郎が確立した倫理学の特徴とは、個人として人を見るのではなく、すでに社会性を含み共同体性を担っている存在として人を見るというところにあった。この社会性や共同体性のことを、間柄、世の中、世間などと日本語によって示し、さらに人がそもそもこうした間柄に埋め込まれている存在であることを、人間という日本語で示そうとしたということも、すでによく知られている。人間という言葉が、個人としての意味とともに全体の意味をも持っているように、個が同時に全体でもあり、全体が同時に個でもあるというありようこそが人間存在であると和辻は主張する。この和辻倫理学と呼ばれる独特の倫理学の構造の素体は、昭和5年には確立していたと考えられている。そうなると、これまで我々が考察した論考との兼ね合いが見えない。このような間柄構造とこれまで見てきた人格構造との兼ね合いについて、結論から言えば、両者は重ね合わされ、すり合わされていく。和辻倫理学は、単に間柄構造があらわれたことにより誕生するのではなく、後発の間柄構造が、先発の人格構造とすり合わされ、接ぎ木されるときに初めて誕生する。この摺合せのありようを見ていく。

和辻の個と全体についての考察、すなわち社会についての考察が、マルクスからの影響によって引き起こされたことはよく知られている。「人間」「間柄」の考えは、このマルクスへの言及において浮上する。それは昭和6年の「倫理学」にまとめられた。和辻は、マルクスが自然と人間、人間と動物とを明確に区別したことに最大の重要性を見る。人間と自然が区別されるのはどこにおいてか。自然は認識的に把捉されるが、人間は実践的・現実的に把捉される。人間を実践的・現実的側面から解釈することこそがマルクスの意図であった。マルクスにとって人間の実践的・現実的側面とは生活資料を生産することにあった。生産とは、それをする人間が、他の人間との関係の中にあることを前提とする。つまり、生活資料を生産する人間とは、あらかじめすでに社会的存在であることを意味していると和辻は解釈する。このように、マルクスが人間の特徴を他との「交通」において見出し、現実的な状況から考察を始めていることを重視する。こうした、すでに人間が「交通」において、つまり、「関係」においてある点を強調して、和辻は「関係」を「間柄」と訳すのである。とはいえ、和辻はマルクスを全面的に肯定したものではなかった。和辻によれば、マルクスがMaterialと呼ぶ具体的な社会存在、人間存在においては、経済問題と倫理問題との両面がある。マルクスはその片面の経済問題しか取り扱っていないにもかかわらず、経済分析のあとで倫理判断をあわせて行っており、それが混乱を生じさせ、またマルクスの欠陥もそこにあるとする。つまり、マルクスが社会生活の歴史的実践的性格を強調しながらも、その研究から意志や当為を閉め出そうとしたことが、マルクスの閑却した重大な問題であると指摘する。マルクスが存在について鋭く考察しながらも、当為を問題にしなかったそのことがマルクスの欠陥なのである。こうしたマルクスの欠陥として示されたありよう、すなわち「存在」と「当為」の両方が分析されるべきであるということこそが、前述した人格構造と間柄構造とのすり合わせに繋がってゆく。和辻は、『人間の学としての倫理学』において、「存在」の問題とは、客体的な存在がいかに成立し来るかの問題であるという。これはハイデッガーの影響を受けた「人格と人類性」を引き継ぐものと言える。このように「存在」のほうこうにおいては、人格構造からの分析が引き継がれる。一方、「当為」の問題とは、当為の意識がいかにして成立するかの問題であり、それは人間存在の構造がいかに自覚せられるかをたどることによって答えられるという。人間存在の構造とは、間柄構造そのものである。つまり、「当為」の方向においては、間柄構造の分析がなされなければならないと和辻は考える。このようにして間柄構造は人格構造の分析に近づき、すり合わされていく。

和辻は「倫理学」において人格構造と間柄構造すりあわせを試みる。まず、人間の学とは「人間とは何であるか」を問うことと定義する。だがこの問いは、なにかの「もの」を問うこととは全く異なるという。なぜなら問う対象が人間であるからである。「もの」を問うとは、通常は客観に対しての認識である。だが、人間とは認識の主観でもあるわけだから、客観の認識において見るだけでは、真に人間を扱っているとはいえない。主観体客観という認識のありようを、主観体主観のありようへと変容させなければ人間を扱うことにならない。ここでは、「もの」と「こと」の区分に「人格と人類性」における人格と人類性の区分が乗りかかり行論の前提となっている。「こと」=人類性=超越論的人格性によって、「もの」=人格=純粋心理学的人格性を認識し取り扱うという通常の認識の図式を変容させなければならない。人間を問うということにおいて求められるのは、「もの」と「こと」という図式を基礎にして、そこにおける「もの」の位置に「こと」を代入することであったといえる。だが、「もの」と「こと」という図式において変容されるのは「もの」だけではない。人間を問うこととは、それを問う「こと」自体、「こと」=超越論的人格性自体の変容をもたらすという。和辻は「こと」=超越論的人格性が認識するということがら根底を、志向性に見る。「もの」は単に客観的にあるのではなくて、それに向けて「こと」=超越論的人格性が志向的に見るという事柄の内に、すなわち志向性のうちにはじめてありうる。重要なのは、「もの」を見るのではなく人間を見ようとする場合には、この志向性が変容されなくてはならない、ということである。「もの」を見る時には、見ることはその「もの」からは見られない。だが、人を見るときには、見ることがその人から見られる。志向性が一方向的であるのに対して、人を見る場合にはすでに相互方向的である。このように和辻は、志向性を間柄構造へとすり合わせる。だがこれだけでは、間柄構造とはならない。なぜなら間柄においては見るということがらのうちの様々な見方が問題となるからである。志向性の変容は、志向性を相互的に考えるのではなく、むしろ何かを認識するというその単一性肢体の中身を膨らまし、本来的に相互的であるような見方を想定することでなければならない。ここで主張される志向性の変容とは、認識する「こと」の、つまり「こと」=超越論的人格性自体の、単純に言えば我の変容がなされるべきだということである。

和辻はデカルト以降の自我の考えを批判し、「間柄」によって哲学・思想の組み換えを試みるのである。だがこの対立は後で整備されたものであることは注意すべきだろう。もともと間柄が構造化できたのは、人格構造、すなわち孤立的主観の考えによる「もの」と「こと」との考えから、その要素を入れ替えることによっていた。このすり合わせ、構造化のあとで「倫理学」がいう「間柄」による自我の批判がありえたのである。こうした人格構造から間柄構造へのすり合わせの過程には、たしかに自我を超越論的に見る批評性があり得ている。

しかし、このすり合せ自体に問題がある。それは、人間を問うことが一種の自己言及的な図式として示されている点である。人間を問うことは問う者と問われる者とを同一の者とするという前提のことがらであり、その意味で自己言及的な問であった。この同一性は「間柄」によって、すなわち問う者も問われる者もすでに全体性に浸潤された個であるということによって担保されている。問いたいのは、この自己言及性とは、「もの」と「こと」においてどのようなことがらとなったかということである。和辻は以前「日本語と哲学の問題」において日本語に於いては「もの(物)」─「こと」─「もの(者)」という関連が構造化していると分析していた。そして「倫理学」において人間を問うこととして行った自己言及的なすり合わせとは、この「もの(物)」を完全に「もの(者)」へと入れ替える作業だった。この入れ替えによって得られるのは、「もの(者)」─「こと」─「もの(者)」という図式であり、主観体主観が関係し合う構造はここに盛り込まれる。だが、そうなければ問題となるのは、主観対主観が関係し合う中心が「もの(者)」と「もの(者)」に挟まれている「こと」へと収斂してしまうということだ。つまり、人間を問うことは主観体主観のあいだの「こと」をどのように把捉するかという問いへと収斂していくのだ。ここで「こと」に託されているのは三つの側面であった。すなわち、第一にふるまいや態度、第二にあらわにすること、第三に「言」として自己了解性を示すことである。これらの「こと」の側面は、解釈学の体験─表現─理解のトリオと対応している。間柄構造が持つ自己言及性が徹底されると、これらのトリオは圧縮される。つまり、自らが自らを問うことは、ふるまいや態度も、あらわにすることも、「言」として自己了解を示すことも、すべて自らの範疇となり、圧縮され、自律してしまうということだ。だがこれは明らかに自らのうちへの自閉である。自己言及性による圧縮は、体験─表現─理解のトリオから他への契機を振り落してしまい、それを完全なモノローグしてしまう。そもそも体験─表現─理解は、それがわたしではない誰かの体験・表現・理解であることによって、さらには、同じわたしですらまるで別人であるかのような体験・表現・理解をすることによって初めて、差異を生み出しつつそれを吸収しさらに別様の差異へと変容して、トリオそのものが無限に力動し拡大していくということがあり得た。しかし、和辻にはこの点が欠落していた。この欠落は、体験─表現─理解の循環を自己言及的に圧縮したその当然の帰結であったといえる。

「もの」と「こと」とが幸福に融合した人間存在をあらわそうとする「倫理学」のくわだては、しかし、「こと」が自律する領域のみが成立し、ふたたび「もの」がひきはがされてしまう結果となった。それは強く言えば、くわだての流産であり、「倫理学」はそのことによって、予め何かを喪って生まれて来たのではなかったか。喪われた何かとは、あきらかにある種類の「ことば」である。それはたとえば、行動している自分自身がその行動の意味も結果も分らずに世界に対峙するときのあの身震いするような興奮と恐怖と、そして同時に感じる自らの奇妙な冷徹さにふれてくることば、あるいは、死体に触れてその冷たさを掌に感じる時の愛おしさと畏怖と、冷静でありながら一方で思考が停止してしまうような感覚とが交互にあるいは同時に押し寄せてくる場面に触れてくるようなことばである。人間存在はことばによって語り尽くされているのであり、また語り尽くさなければならないと考える「倫理学」の構想からすれば、当然にこうした場面へのことばをすくい上げなければならない。だが、和辻の「倫理学」はこうした場面へ触れることばをすくい上げることができない。それはこれらの場面が、「もの」と「こと」との区分を毀し、「もの」と「こと」とに区分されるのとは別のありように触れてしまっている場面だからである。そもそもこの場面にはおいては、触れている相手も人間存在の範疇にあるかどうかすらも定かでないのである。

 

 

今回、あげたのはかなり細かなメモになったので、読みにくいものになったと思います。読みにくいと思ったら、本著作の本文と参照しながら、じっくり読み進めることをお勧めします。読みにくい本ですが、けっして分りにくい本ではありません。著者の分析や叙述が精緻なので、きちんと追いかけていかないと止まってしまうので、止まってしまったら引き返して読み直すなどしていけばいいと思います。私の場合は、最初、薄いし高い本でしなかったので、気軽に読み始めましたが、その歯応えに、姿勢を正して読み返しましたが、いまのところ追いかけるのがやっとです。とくに、最初の第二子を喪った事柄が最後の最後の結論に出てくるというような著者の遠大な構成に、ついていき切れていません。しかし、その中身は和辻倫理学全般を祖述するのではなく、和辻倫理学の対象となっている人間というものの捉え方に焦点を絞って進めています。ざっとした感想ですが、誌面の制約かもしれませんが、「人格から間柄へ」というサブタイトルの割には、内容の大半は人格についての分析であり、間柄についての言及は最後に近くなったところでようやく、というかんじでした。たしかに、人格の捉え方において間柄の視点がチラホラとは垣間見えましたが、だから和辻倫理学が人格から間柄へと進んでいくプロセス、あるいは間柄という視点から、人格を遡って見るという分析をもっと見たかったと思います。そうなると、この倍の厚さが必要になるでしょうけれど。そのため終盤は駆け足の印象が強く、結論とそれに対する著者の意見もちょっと浮いているしまっているようです。著者か最後にいう喪われた言葉のことも、唐突な印象が強く、いまいち説得力に欠けるように思います。例えば、では、和辻はどこで道を誤ったのか、という仮説とまで言わなくても、ここまでやったのだから、そこまで突っ込んて欲しかったと感じました。それは、読む人が自分なりにやって下さいということでしょうか。

 

 
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