下川浩一
「自動車産業 危機と再生の構造」
 
 

序章 自動車産業を取り巻く状況

第1章 世界金融危機と自動車産業

第2章 日米欧自動車メーカーのグローバル戦略

1.グローバル戦略の先駆性を発揮した欧米自動車メーカー

2.グローバル再編はなぜ暗礁に乗り上げたか

3.日本自動車メーカーのグローバル戦略

4.グローバル再編の帰結と今後

第3章 グローバル競争のカギを握る新興市場

第1節 中国

第2節 インド

第4章 環境戦略で市場をリードする

終章 日本自動車産業再生の道

 

序章 自動車産業を取り巻く状況

2008年9月の「リーマンショック」による金融危機の影響は自動車産業にも及び米国の3大メーカーの経営が危機に陥った。一般には金融危機の広がりが実体経済、つまり製造業にまで及んだと言われがちだが、すでに世界の自動車産業はグローバルな金融秩序と信用秩序の中に組み込まれ、今日までの先進国中心の莫大な自動車需要それ自体が、これまたグローバル信用経済のバブル化現象に支えられて発展してきたのである。そのグローバルな信用経済が、リスクヘッジ金融商品の乱発とツケ回しで破綻し、最後のツケを政府・国家機関に回すという構図になっている。そのツケ回しが、グローバルに同時多発的に起こり、その後始末に政府・国家機関と各国中央銀行が忙殺、狂奔させられているというのが実情である。

1998年のダイムラークライスラーに象徴されるような先進国主体のグローバルM&Aによる世界的再編が進められた。しかし、このグローバル化は華々しい効果を上げられず竜頭蛇尾に終わった感は否めない。これは、世界の自動車産業の将来を考える上で大きな教訓を残している。というのはグローバルM&Aによる世界的再編成という基本的発想そのものが、考え方によっては20世紀型の大量生産、大量販売、大量消費を基本とした古い産業パラダイムの延長上に成り立つものであり、もはや時代遅れと言えるからである。その点からすると、これは世界の自動車産業の、21世紀にふさわしい新しい産業パラダイムへの大転換の予兆であると見えなくもないのである。

ではその産業パラダイムの転換の意味するものは何であろうか。まずいえることは、世界の自動車産業が、日米欧が互いに成長を競い合う先進国市場覇権の時代から、世界の中で最も成長性が期待される中国、インドなどアジアの自動車産業の新時代へと転換しようとしていることである。ただしここで注目すべきことは、これらの地域の人口が桁違いに多く、自動車産業の新たな成長の主要舞台となるという意味でアジア新時代が訪れるのではなく、アジアがこれからの自動車文明を変えていく質的変化の舞台となる意味を持つということである。

つまり、これまて゜の先進国主体の成長モデルの引き写しではなく、その様相を異にしていることに注意する必要がある。社会システムや交通体系、そして先進国の自動車文明の凝縮した経験の蓄積を移転するだけでなく、その上に立つ新たな環境文明を創造していく主要舞台となる可能性が高いと思われるからである。

 

第1章 世界金融危機と自動車産業

2009年の米国のビック3の凋落について、金融危機は直接の原因ではなく崩壊を加速させた要因に過ぎない。直接の原因は、ビッグ3の戦略と現実のビジネスへの取り組みに大きな問題がありながら、それらを解決しないまま放置してきたことにある。そこで考えられる原因は、第一に製造業の原点を忘れ、短期的利益と金融、M&Aによる浮利の追求に没頭したことにある。特にGMにこの傾向が強く、GMは、多分にその販売金融子会社であるGMACの金融収益と、それがもたらすキャッシュフローに負うところが大きかったのである。第二の没落の原因は、製品戦略の誤りである。ビッグ3は、ライトトラックにその経営資源を集中しすぎて、製品開発の基本である乗用車の開発に手を抜いたことが上げられる。ライトトラックは利幅が大きく、その製品コンセプトがフレームシャーシを多用し、モデルチェンジサイクルも長いので、ひとつのプラットフォームを長く共用でき、台当たりコストも安くつくという利点がある。しかし、ガソリン価格が値上がりし、環境意識の高まりとともに価値観の変化が起こると、高価格の故もあり売れない商品となった。またこれは、乗用車の基本であるエンジンとプラットフォームの進化を停滞せしめることを意味し、全体としての製品開発力の低下を結果として招いたのである。さらに第三の没落の原因として、ビッグ3により環境技術の軽視が上げられる。第四点として指摘されるべきは、アメリカの経営にありがちだが、美麗で華々しく見える戦略の立案やIT技術の活用は進んでいながら、日常的レベルの工場改革、特にフレキシブルな工場の建設や多能工の育成、あるいは改善活動を軽視したために、生産技術や研究開発における進化能力が停滞していたことである。いくら立派に見える戦略を立案しても、現場の進化能力が伴わなければ、それは絵に描いた餅に等しい。第五点としてあげられるのは、かねてより言われるレガシーコスト負担の問題である。以上の五つの要因に加えて、グローバルM&Aの大失敗がある。つまり、自らの競争力を高めるための基本的な努力を怠ったまま、1990年代当時のキャッシュフローや株価の好調を過信して、単純な規模拡大たけを追求するグローバルM&Aやマネーゲームにうつつをぬかし、いうなれば。M&Aの大博打を打って経営資源の浪費をしてしまったのである。

一方、グローバル市場で快進撃を続けてきた日本の自動車産業は、世界同時不況のインパクトの直撃を受け、大多数のメーカーが、一挙に赤字経営に転落する異常事態に見舞われた。これは、日本の自動車メーカーにとって、輸出および現地生産車の最大マーケットであり、最大の収益源であった北米市場の急速な縮小によるところが大きい。それと同時に、欧州市場や新興国市場でも、世界同時不況の影響で需要が激減した。おまけに、ごく最近まで為替レートが安定していたのが円高になり、輸出をすれば赤字が増えてしまう構造に転化した。こうした市場の急激な縮小は、一般の予想を超えたものではあめが、日本の自動車メーカーが、北米市場におれる信用収縮の影響を過小評価し、ビッグ3の戦略や経営の大失敗を横目に拡張投資と増産に拍車をかけたことが、急激な赤字を加速する原因になった。

 

第2章 日米欧自動車メーカーのグローバル戦略

序章で説明されていたグローバル戦略の蹉跌は、とくにその面で世界をリードしていたビック3が急速な業績不振に陥ったのは、戦略面ではミスリートがあった。とはいえ、21世紀を迎えるに及んで、地球規模の環境問題をはじめ、東欧、ロシア、アジア、特に中国、インドといった新興市場の登場、そして国境や地域を越えた事業活動のグローバル展開など、世界の自動車産業を取り巻く環境が大きく変化し、先進的なグローバル戦略を必要としていたことは隠れもない事実であり、この点でこれら各社が先駆性を有していたことは否定できない。そこで、その先駆性にもかかわらず、なぜこのような戦略上のミスリードが生じたかが明らかにされる必要がある。

1.グローバル戦略の先駆性を発揮した欧米自動車メーカー

1990年代に入り、グローバル戦略を明確に打ち出して先駆性を発揮したのはフォードであった。それまでのフォードはも北米は北米、欧州は欧州、アジアはアジアというそれぞれの事業体がその地域の自動車事業について責任を持ち、自立的経営単位として機能し、相互の連携と統合、特にその製品開発や部品調達における連携と統合が欠如していたのを根本的に改め、グローバルな統合化を図ろうというものであった。しかし同時に、グローバル市場の地域的複雑性やブランドの多様性に鑑み、地域的ニーズにきちんと対応できる体制を取っていこうということもうたわれた。さらに、グローバル競争の下で市場の変化が早く、かつ複雑になる中、IT革命によるリードタイムの短縮や部品調達の効率化をはかるものであった。このようなグローバルなビジョンのもとでフォードが進めた戦略の実態としては、ます、欧州フォードと北米フォードの開発部門の統合の統合を試みた。これは両部門を一元化し、開発の重複をなくそうとするものであった。しかし、これらの施策は思ったほどの成果を上げられなかった。

フォードのグローバル戦略に対して、すぐに反応したのはGMであった。GMは富士重工に出資し、韓国の大宇やスウェーデンのサーブを100%子会社化し、フィアットとの提携をきめ、エンジンや車種の共同開発を策する等積極的なグローバル再編に向けてM&A主導の戦略を展開した。

これと前後して注目を集めたのが、ダイムラー・ベンツとクライスラーの合併であった。ダイムラー・ベンツがこれまで乗用車では高級車一筋のメーカーであり、少ない台数で高付加価値を確保できた基本路線を維持するだけでなく、量産車種やミニバン、SUVなどのダイムラー・ベンツでは生産していない車種を製品ラインに組み込み、これまでそれぞれに強かった地域市場を相互に活用する相乗効果が期待できるとされていた。相乗効果はこれらのみに限らず、プラットフォームの共同開発や相互利用、コンポーネントや部品の共同開発と共同購買などにも及ぶとされていた。さらに、膨大な経費を要する先行技術・環境対策技術飲む開発負担を軽くすることも中長期的に期待された。

2.グローバル再編はなぜ暗礁に乗り上げたか

これらのグローバル戦略は、その優れた着眼点にもかかわらず、本国の事業運営が行き詰まり、それとともに全体のグローバル戦略のミスリードを誘発している。GMやフォードの本国の北米市場を中心とする経営不振は、景気動向や自動車市場の販売動向が特に悪化していたわけではないから、明らかに戦略のミスリードによる構造的な原因によるものである。

この戦略のミスリードの結果としてGMやフォードは、北米市場の市場動向の急速な変化に対応できる商品力を欠いていた。それまで、GMやフォードは、日本車との激しい競争を避け、乗用車の本格的開発に力を入れなかった。当時では、ピックアップやミニバン、SUVなどのライトトラックの分野で利益を稼ぐことを可能にし、この点で米国メーカーの収益性の向上には有効であった。しかし他方では、その後の米国市場とグローバル市場の動向の激変に対応できるブランド価値の創造や、それと並んで、ガソリン価格の高騰に伴う燃費経済性志向の高まりへの対応を遅らせることになった。競争の激しい乗用車の開発に力を入れなかったことは、膨大な開発費と工場投資がかかるエンジンの開発に力が入らないことに通じる、日進月歩のエンジン技術の停滞は、乗用車のみならず、全体として自動車のブランド価値の停滞に結びつきやすい。同時に、ライトトラックの車台がフレームシャーシー主体であるために、乗用車のプラットフォームの開発力が低下することを意味する。これが後になって乗用車のSUV化や乗用車プラットフォームの小型SUVへの流用によるクロスオーバーモデル登場という、市場の新しいトレンドに立ち遅れる原因となった。これに対してライトトラック不戦屋で出遅れた日本の自動車メーカーであるが、燃費効率の良いエンジンを搭載し、かなりの数のモデル、特に小型SUVなどと乗用車のプラットフォームを共用化したクロスオーバーモデルを次々と登場させ、成功を収めた。以上のことに加え、GM、フォードは、工場の生産システムを、ひとつのモデルを長期的にかつ大量に見込み生産する、フレキシビリティのないマスプロハイボリュームのシステムをそのまま温存した。このことは量産効果を上げるために工場稼働率を一定のレベルに保ち、常に供給能力を維持していくため、販売流通の分野で巨額のリベートやインセンティブを負担することで、実質的な値引きを定着させた。リベートやインセンティブは本来は一時的な需要調整のためにどの自動車メーカーも行うものであったが、GMやフォードの場合はけた違いに大きく、かつ構造的に定着してしまったのである。このような状況では新車のブランド力を高めることは難しく、グローバルな商品開発力を高めるための主導力を発揮することはできない。

以上のような北米事業の運営に関わる問題点に加えて、グローバル戦略が暗礁に乗り上げた大きな原因は、その前提となる基本発想それ自体にあるとみることができる。つまり、グローバル戦略において、先ず何よりも規模の経済性のみに目を奪われた、いうなれば数合わせのM&Aを前提としている。この発想はグローバル戦略の根幹をなす二つの原則、@グローバルプラットフォームの統合、A部品のグローバルソーシング戦略と密接に関連している。

グローバルプラットフォームの統合は、IT技術が発達し、デジタル設計が進み、製造工程の自動化とデザイン設計のスピードアップが進展する中で、地域ごとにバラバラだったプラットフォームの設計を機械的に統合するやり方は、製品のブランドアイデンティティーを損なうことになる。ひとつのプラットフォームを他の地域に押し付け、無理に統合しようとすれば、それぞれの地域の市場ニーズにはマッチしない車種を、規模の経済性ゆえに無理をして作らせることに通じ、逆にブランド価値を低下させかねない。また、プラットフォームの統合は、設計部門や製造部門の独自の組織文化を無理やり統合することに通じ、新しいコンフリクトを生み出しかねない。

グローバル戦略のもう一つの柱である部品やコンポーネントのグローバルソーシングについては、GMやフォードの場合、これまで部品の内製率が高かったのを、アウトソーシングを増やして外注率を高めてきた経緯があるが、グローバルソーシングとは、部品取引のグローバル化に伴い、最適地、最適調達の名の下に世界中の部品生産地域の中で最も低コストで調達でき、かつロジスティックス上問題がない地域を選び、そこから重点的にかつ大量に調達するというやり方を指している特に新興地域が焦点となる。ITの発達による部品調達のデータベース化とネット調達の広がりは、これまで困難と思われていたグローバルな調達における即時的な情報のやり取りと、購買戦略の迅速な決定を可能にするように見えたことも、グローバルソーシングの戦略に拍車をかけた。その結果、部品調達における世界的なマップの塗り替え=リロケーションが強調されるにいたった。だが、自動車技術の目覚ましい発達とグローバルな品質競争のもとでは、それを支える部品の品質や技術の動態的評価─部品メーカーの潜在能力評価─が不可欠であるにもかかわらず、欧米三社のグローバルソーシングの基本的な発想は低コスト対利用勾配が基本であり、この点でも規模の経済性だけを前面に押し出したものであった。これは、目先のコスト引き下げに貢献するが、長期的に見た場合の品質、特に総合品質や、部品メーカーの開発能力と設計能力など技術力の評価がなおざりにされがちであり、一般的傾向としてトータルでの品質の停滞と、これに伴う品質保証のためのワランティーコストの増大を招きやすく、環境や燃費などの新技術への部品メーカーの取り組みが遅れがちとなる。以上のように理由から、グローバル戦略は、いずれもいずれも一面的な規模の経済性にのみにとらわれた発想故に、表面的なコストダウン効果と裏腹に、ブランド価値の向上や設計開発の柔軟な対応、そして部品の品質や技術力の統合性や潜在能力の評価が疎かになるリスクを伴うことになる、グローバル再編はその戦略発想の根底にこのようなリスクがあることを見逃したがゆえに、暗礁に乗り上げのである。

このように、グローバル再編先駆者たちは、その本国での高コスト構造を放置したまま、工場の生産システムや部品調達の改革を怠り、問題を先送りし、グローバルな数合わせのスケールメリットを過信していたといえよう。このような状況を踏まえて、フォードやGMはどのようにしてこの悪循環を断ち切るべきなのか。まず緊急に必要なことは、より少ないワランティーコストを実現できる統合品質、総合品質のレベルアップをはかるとともに、製品開発の改革による製品価値とブランド価値の再構築を図ることである。このことは従来型の先進国市場に焦点を当てた根グローバルな商品開発の最高値ということになろう。さらに緊急不可欠なことは、オールドタイプのマスプロ工場を閉鎖・集約し、新しいコンセプトのフレキシブル工場の再建を進めることである。これにより市場ニーズの変化や多様性に迅速に対応でき、供給過剰の圧力とその便宜的解決策としての巨額のプロモーションコストの悪循環をなくすことができる。加えて、これらの先駆者たちは、そのグローバル戦略の推進にあたり、IT技術を積極的に活用したが、デジタル設計や部品におけるネット調達、販売量通やサービス事業などにおいてIT技術の可能性を過大評価し、ITで何でもやれるという虚妄の世界に踏み込んでしまった。ITは明確な戦略もとではじめて有効なツールとして活用できるものであり、それ自体で戦略や意思決定を行うものではない、確かにグローバル戦略の先駆者だったこれら企業は、IT技術の本格的採用でも先駆者であり、その点では日本メーカーより数年先行していたと言えるが、IT革命への過信がリアルビジネスからの乖離をうみだしたことは否定できない。

その一つの事例としてダイムラーとクライスラーのケースで考えてみる。グローバル再編合併は、当然のことながら二つの企業文化の融合と、それぞれの特色を生かしたシナジー(相乗効果)を作り出す戦略展開上の方法論の問題に直面する。この点でダイムラーはM&Aを仕掛けた側のイニシアティブで企業文化の統合を進める、つまり自らの企業文化の色に染め上げることを重視し、それが比較的簡単に進むと考えていたように思われる。ダイムラーとクライスラー、二つの企業のそれぞれの得意分野(製造車種、購買層)ならびに市場地域が異なっており、当然ながら相互補完が可能なはずであった。再編合併の狙いはそれ自体、的を得たものだったが、二つの異なる文化を融合し、相互のシナジーを進めるかという方法論について安易に考えすぎたきらいがある。ダイムラー・ベンツ側では、新会社をダイムラー・ベンツの企業文化の色に染め上げることをすべての上に置き、クライスラーの企業文化の尊重と、その上に立つ現実的改革を主張する米国人幹部を次々と辞任に追い込んだ。それまでのダイムラー・ベンツしクライスラーとでは、自動車の設計のやり方、特に製品コンセプトが全く異なり、その結果、プラットフォームの設計やエンジン・パワートレイン、そして内装に到るまで、設計思想が違っている。そのため当然のことながら部品の設計や調達のやり方も異なっているし、製品品質についての基準や品質管理のやり方、さらにこれを承けて工場の生産システムも全く違っている。例えば品質管理ひとつをとっても、ダイムラー・ベンツが伝統的にとってきた耐久品質重視のエンジニア主導のクオリティーゲート方式は、高級車にはうってつけの品質管理方式であるが、量産車種主体で初期品質重視の現場主体の改善やQC活動に力を入れてきた、コストのかからないクライスラーの品質管理とは根本的に相容れない。また部品の設計と調達についても内製重視外注する場合でも自主設計を貫くダイムラー・ベンツのやり方と、早くから外注率重視でサプライヤーの選別と設計のアウトソーシングに力を入れてきたクライスラーのやり方では、全く違っているまた工場の生産システムについても、労働慣行が違い、現場主導の生産管理でどちらかというと現場の改善や提案、そしてジャスト・イン・タイム方式への接近を重視するクライスラーの方式と、エンジニア主導でかつ熟練工が大きな発言力を持つダイムラー・ベンツの方式では、これまた対照的である。このような相違点を有しながら二つの企業文化の融合を図ることは、お互いの長所短所の理解と相手文化の尊重なしには不可能である。しかるにグローバル再編合併後のダイムラーには、この点についての理解が欠けており、自らの文化を押し付ける傾向が強かった。これに対して融合の成功例として、日産自動車とルノーのケースを上げて説明している。

3.日本自動車メーカーのグローバル戦略

先行した欧米企業に比べて、グローバル戦略では出遅れた日本の自動車メーカーは、海外ビジネスで高い収益性を上げるに至っている。日本の自動車メーカーがグローバル戦略で出遅れた直接の原因は、1990年代前半にリストラに取り組んでいたことと、第二次円高で収益性が極端に低下したことである。それと並行して、1980年代に始まる日本の主要自動車メーカーの海外生産、なかんずく北米の現地工場がまだ完成途上で、それまでの追加投資による累積が重荷となるとともに工場稼働率が上昇せず、そのため日本本社の負担が重くなっていたことも、これと関係している。

つまり、バブル好況のために国内市場での販売台数の販売台数が飛躍的に伸び、車種の上級移行で高級車や高級仕様車がよく売れるようになり、各メーカーは先を競って新鋭自動化工場に新規投資を行い、能力増強をはかった結果、国内の設備が過剰となり、損益分岐点が高くなってしまった。また、高級車や高級仕様のモデル数を増やしたり、同一車種でもバージョンの数を増やしたりししために、開発コストと生産コストを押し上げる結果となった。1992年にバブル景気に終止符が打たれると、自動車メーカーはおしなべてその高コスト体質を露呈するに至った。

このような内憂外患に直面した日本自動車メーカーは、それぞれ思い切ったリストラに着手した。バブル好況時の高コスト体質を改め、車種、車型の削減や部品点数の削減と共通化を進めるには、そりまで企業の中では聖域となっていた設計開発にまで遡った見直しが必要になる。これに加えてサプライヤーを巻き込んだ共同VA、共同VEに取り組む必要がある。このほか従業員の削減については、事務系を中心とする削減に重点を置き、工場現場の多能工として育成してきた基幹工についてはあくまで雇用を維持し、これがその後の日本自動車メーカーのカムバックに多大な貢献した。

なかでもトヨタとホンダは、トップから従業員の末端までグローバル競争の危機感、緊張感が浸透するともに、経営者の意思決定責任とマネジメントの質を追求するTQMに積極的に取り組んだ。このことと並行して、両社は設計開発の初期段階に思い切って踏み込み、設計工数の削減、三次元デジタル設計を活用したシミュレーションによるテストの簡略化、部品の共通化と共用化などを迅速に進めた。また、リストラの一翼を担うサプライヤーに対しても、厳しいコスト削減を一方的に押し付けるのではなく、その技術力や設計能力を高めるとともに、自動車メーカーの設計開発への参画と、源流に遡った設計の簡素化や合理化の提案能力を高めるやり方で大幅なコストダウンを実現していった。

このようにリストラの戦略的効果がすぐにあらわれ、国内事業の損益分岐点の切り下げに成功したことは、海外現地工場の支援と自立化を促進し、グローバルな競争力を高めることにもなった。日本の自動車メーカーは同時に、緊急避難的なリストラだけでなく、省燃費のエンジンや環境対策技術、基幹部品の開発も工場生産システムのフレキシブル化など、戦略的な投資にも資源配分を考慮した戦略行動を定着させていった。

1990年代後半になると、リストラの進行と歩調を合わせるように日本の自動車メーカーの海外事業から高い収益性を上げるようになってくる。かつての海外工場は、重い設備投資がかかるだけでなく、生産、調達、そして開発に至るまで日本本社の支援を仰ぎ、そのため莫大なコストがかかっている。しかし海外工場の現地化が進むにつれて現地工場が利益を上げ、そりまでの輸出で稼いた利益を現地工場につぎ込む段階から、現地生産車が海外市場で稼ぎ、為替の変動に左右されずに確実に利益が出せる体制に移行してきたのであった。

日本の自動車メーカーはグローバル再編では受け身に立たされたので、いでもグローバル競争を意識させられ、そのため必要なグローバルなビジョンに基づく戦略の構築ないし対応を迫られた。しかし、欧米三社とは異なり、あくまで状況適合的に、国内の前向きなリストラの継続と、海外諸地域にわたる現地工場の現地化と高収益化に努める中で、世界中の事業単位のグローバル連携を図ったものとみることができる。

つまり、1970年代から80年代の貿易摩擦との関連で、海外に現地工場を建設し、これを収益事業に育成する段階では、まず工場の生産システムを労働慣行の異なる地域に根付かせること、部品の現地調達率を高めるために日本のサプライヤーとの協力関係を確立することに全力を挙げており、当初、製品開発は日本の本社にすべて任せきりであった。やがて、海外工場が輸出の補完的位置づけから性格を変え、収益事業として自立化していく過程で、生産システムの移転や現地化が進み、部品調達においても現地化がより一層進展するに及んで、日本の自動車メーカーは順を追って開発の現地化に着手し、製品設計の現地化と自立化した開発センターを確立するに至る。このように開発までをも含めた現地化が進むと、それぞれの地域市場でのニーズにいち早く適合できる新車開発が可能になるが、やがてグローバル競争が意識されるに及んで、地域別の単なる現地化にとどまらず、可能な限りそれぞれの連携を図り、グローバルな開発や部品の相互供給が始まることになる。

海外工場の生産効率の著しい向上や部品調達コスト低下の相乗効果があらわれ、とくにこの傾向が北米とアジア、わけても東南アジアで顕著となる。マネジメントの現地化と部品調達のローカル化、やがて始まるグローバルな部品の地域相互補完と調達の拡大、そしてR&Dの現地化がそれぞれ軌道に乗り、相乗効果が見られるようになる。そして、世界の自動車市場の需要構造における変化と、それに対する敏速な対応能力という日本の自動車メーカーの強みが顕著になってくる。

21世紀に入り、世界の自動車市場の需要構造は画一化するのではなく地域による相違と変化が目立つようになっている。北米市場は、石油の値上がりのため燃費の良い中型・小型SUVや中型・小型乗用車に需要が移行しつつあるし、アジア市場を個別にみると、廉価な軽自動車中心のインド、小型ピックアップ中心のタイやインドネシア、中型乗用車中心で次第に小型化比率が増大傾向にある中国といった違いがある。欧州市場は、ディーゼルエンジン搭載車の比重が高く、高級車も一定のシェアを保ちつつ、それでいて中型・小型車の比重も高く乗用車からSUVへの移行も起こっている。日本市場については、市場は頭打ちだが軽自動車が増えたりSUV化したりするスピードも速く、各メーカーが新車開発の激しい競争を繰り広げ、そのために新車投入の頻度も高い。しかもこれらの市場の特徴も時々刻々変化するのである。グローバル市場が画一化するのであれば、GMやフォードのようなプラットフォームの機械的統合と画一化による規模の経済性は期待できるかもしれない。しかし、地域による相違と変化が次々に起こるのがグローバル自動車市場の実情だとすると、画一的で硬直的なやり方ではこれに有効に対応できない。この点で、日本の自動車メーカーの対応能力は高い。

このように日本の自動車メーカーは、グローバル再編において受け身に立たされながらも、結果的にはグローバルな競争力を持つにいたったのであるが、それは基本的に欧米三社の戦略やその方法論のミスリードの轍を踏まなかったからであると言える。とはいえ日本の自動車メーカーにとっても、急激なグローバルビジネスの拡張は、いくつかの問題を生み出している。あまりにも急激な海外拠点の増大と戦線の拡張は、海外の指導員、特に国内も含めて生産技術のベテランや多能工の不足、グローバルマネジメント能力の不足、更に加えてサプライヤー、特に二次サプライヤーで目立つ海外経験の不足や開発能力の不足などを生み出している。

4.グローバル再編の帰結と今後

1990年代後半のグローバル再編は、規模の拡大に重点が置かれ、そこには大きなリスクが存在していたものの、先導者たちは見落としてしまった。これに比べ、当初は受け身に立たされ、おくれを取ったかにみえた日本の自動車メーカーは、バブル崩壊後の不況と第二次円高による困難を、開発や部品調達システムの根本に遡った見直しや生産システムの改革などの一連のリストラで乗り切り、さらにその延長であるグローバル再編に大きな危機感を持って臨んだ結果、国内の厳しいリストラと海外事業の現地化を進める中で結果としてグローバル経営の進化とその方向性を掴みとるという帰結に至った。

今後については、再編の中身の見直しは起こり得る。グローバルM&Aで傘下に入った事業分野やブランドの中での選択と集中が進む。また、必ずしも合併によらないアライアンスの可能性は残されている。特に環境技術や新しい技術開発が絡んだアライアンスや、サプライヤーの共同活用、車両の相互補完など、テーマのはっきりしたアライアンスは、拡大していく可能性がある。今後の展望の中で特に重要性を帯びるのは新興市場諸国である。この地域で成功を収めるメーカーの中にグローバル再編への新規参入が起こる可能性がある。

このような方向性を敷衍してみると、環境技術はグローバル競争の行方を左右するカギを握っていると言える。電子産業や通信産業、そして素材産業や超微細加工技術などの関連産業との緊密な連携をますます必要とすると同時に、今まで以上にサプライヤーとの連携とグローバルなサプライチェーンネットワークの構築が不可欠である。以上のことと関連して、今後は自動車メーカー、つまりアッセンブラーレベルでのグローバル再編よりもサプライヤーのグローバル再編が脚光を浴びる可能性が高い。

 

第3章 グローバル競争のカギを握る新興市場

自動車産業のグローバル競争は、急激な成長が期待される中国、インドなどを含む新興市場諸国を舞台として展開される傾向が強まっている。この傾向はこれらの国々が世界有数の人口大国であり、同時に急激な経済成長とそれに伴う外貨保有が増大していることを背景として起こっている。中国やインドに見られる、急激で前例をみない自動車市場ないし自動車生産の拡大は、次のような事情と主体的条件が重なって可能になったと言える。

@巨大な人口を抱えながら、その多くが自動車の恩恵を受けておらず、長い間封じ込められていた潜在需要が一挙に噴き出したこと

Aこれら諸国の経済水準が、影の面として格差問題をはらみながらも、全体として目に見えて向上したこと

B世界経済のグローバル化とWTO体制への参加により、閉鎖経済への移行が可能になったこと

Cさまざまな規制があった外資導入や外資との合弁が曲がりなりにも可能になったこと

D外資との連携の進展の中で、自動車の多岐にわたる分野の技術移転が急速に進んだこと。とくに電子技術、プレスや金型、機械加工、自動化、設計開発の分野の移転についてこの傾向は顕著である

E外資だけに頼らず、国産メーカー、特に民営メーカーか外資系と競争し、生産増強をすすめたこと

Fとくに大都市間の交通インフラの整備が急速に進んだこと

しかし、このような新興国市場が人口大国だからと言って、単に先進国がこれまでにたどったような成長パターンを繰り返すとは限らない。これは表現を変えると次のようなことになる。新興諸国は先進国のこれまでの経験、特に大量生産、大量販売、大量消費のパラダイムだけではいずれは行き詰まることになりかねず、化石燃料依存による資源高騰問題と環境問題への対処なしには根本的解決にはならない。したがって省エネルギーと環境問題をワンセットで解決する戦略こそが新興市場での競争力の決め手となる。

第1節 中国

1.中国の自動車市場と産業政策の動向

1990年代前半「三大三小」政策(吉林省長春の第一汽車、湖北省武漢の第二汽車(のちの東風汽車)、上海汽車の三大メーカーに、小型車メーカーとして外国メーカーと合弁していた北京汽車、天津汽車、広州汽車の合計六社の統合育成を重点的に図る政策で、国家主導の上からの計画経済による統合政策)から、94年の「9−五計画」にいたり個人の自動車所有を認め、50%までの外資参入を認め、自動車産業を国の「支柱産業(戦略産業)」と位置付けた。2000年代に入ると「10−五計画」により、WTO加盟を視野に入れた、競争促進と対外自由化(輸入関税の引き下げ)の政策が反映されるに至った。あわせて部品産業の振興策が図られた。

2.日本自動車メーカーの対中戦略

日本の自動車メーカーは中国進出にはそのリスクの大きさを考えて、極めて慎重であり、欧米勢の後塵を拝し、最近になって本格化、加速させつつある。その理由として、次のような点が考えられる。

まず、中国の自動車産業政策が、改革開放路線を展開し、市場経済化が進む中で目まぐるしく変化したことである。何よりも重要なことは、中国の自動車産業は旧ソ連の技術援助と社会主義経済減速のなかで進んだために、極めて変則的な発展を遂げたことである。中国の自動車産業の国有企業であり、生産した車は国家が買い取り、これを必要とする企業や諸機関に配給するという仕組みとなっていた

第二の問題としては、自動車工業育成をめぐる中央政府と地方政府の方針の食い違いが目立ったことである。

第三の問題点は、知友語句はたしかに「三大三小三微」の基本政策を確立したが、それは90年代に入ってからで、依然として国有企業のままで、中国に投資して合弁事業を展開しようとしても、国有企業と組まざるを得ず、そのために様々な制約が出てくる。国有企業そのものの株式会社化による改革が進まねば、迂闊には組めないということになっていた。

問題の第四は、中国はあくまで「三大三小」政策主体で考えていたことがあげられる。

そして、第五の問題点として、中国はアッセンブラーの進出よりも、部品メーカーの進出を望んでいたが、日本の部品メーカーが安心して取引できるアッセンブラーの日本からの進出なしには、徳へ刹那システム部品のメーカーでもない限り、単独進出は難しかった。また、中国は未だ部品メーカーの進出の基盤となるインフラが整っておらず、中国の安い労働コストにつられて進出したものの、工場付近の道路、水道のインフラから従業員の住宅までのコスト負担が上回ることもあった。また中国ではあちこちに散在する小自動車メーカーの工場を含め、部品をそれぞれ見よう見まねで作ったために、メーカー間の部品の規格が必ずしも統一されておらず、メーカー間の部品の規格が必ずしも統一されておらず、その標準化を今進めつつある段階である。加工精度の高い部品生産には部品や部材の規格化と標準化は不可欠であるが、従来はその条件が整っていなかった。この点も部品メーカーだけの単独進出を制約している原因となったと思われる。

しかし、2000年代に入り中国がWTOに加入し国有自動車企業の株式会社化や民営化を含めた自動車産業政策の前向きの進化に伴い、日本の主要メーカーの中国進出は急速に加速し、主要三社以外のメーカーの中国進出も本格化した。

また、部品サプライヤーの対中国戦略は、技術分野の違いや労働集約度の違い、そして特定自動車メーカーとの系列度合いや独自の戦略判断の違い等により多岐にわたっている。

3.中国自動車産業の課題と展望

自動車産業のグローバル化の最高到達点は、中国市場と中国自動車産業のグローバル化であり、地球環境問題解決へのロードマップの確立と実行である。環境対策技術と省エネ関連の技術は温暖化防止や大気環境保全に役立つだけでなく、中国が今や原油の輸入大国に変身し、巨額の外貨支払いを要するという現実の中で、国益にかなう道でもある。

これ以外にも未解決の問題を抱える中国でビジネスを展開する日本の自動車メーカー、さしあたりどのようなリスクを考慮していかなければならないか。まず第一に考えられるのは、「10−五計画」で打ち出された自動車メーカーの再編・統合という構想そのものの成否に関するリスクである。この時、中国に進出する外資は、この再編・統合の中で、国有大手メーカーの改革の進展と地方民営企業の自由奔放な活力のはざまに立たされ、独自の戦略が行使できないリスクを覚悟せねばならない。第二のリスクとして、同じ計画での部品メーカーの再編・統合についても多くの困難が存在している。部品メーカーと一口に言っても、その範囲と種類は多岐にわたっている。そのなかには、見よう見まねでも何とかなる分野と、自社開発力と高度な技術力を不可欠とする分野がある。中国では設備や金型などの近代的なものを安く持ち込めば容易に急速な生産拡大を行えるオープン型アーキテクチャーになじみやすい部品のほうが、量産効果と投資規模で勝負がつくので再編しやすい。とくに、イミテーション・パーツや模造品に準拠した部品などを生産して行けば、アプローチしやすい。このようなオープン・モジュラー志向の部品分野に比べ、より複雑高度なインテグラル・アーキテクチャー志向の強い機能部品やシステム部品については、まだ中国の技術水準は立ち遅れており、外資導入によるところが大きい。特にこの分野では設計開発力と精密加工のレベル、電子技術活用のソフトウェア等の点で、日本や欧米の部品メーカーの参入できる余地は十分にある。ただ、この部品メーカーの切磋系開発能力の支援は、何よりも中国の自動車メーカーがどのようなアーキテクチャーの設計思想を持つかに大きく依存しており、最終的には中国の消費者がどんなコンセプトの自動車を選択し、受容するかにかかっている。このようにさまざまな観点から見て、中国の部品産業の再編・集約は国家主導では思ったようには進まない可能性が高く、民間主導か、これに外資が加わった民間企業連合の下で進む可能性が高い。そして第三に小型経済車の行方である。現実に、当面は富裕層中心で上級の中型車やRV車を中心として拡大しつつあるが、中国がより大衆化されたモータリゼーションの国となるには、小型経済車による底辺需要の刺激と拡大が不可欠である。

中国は二輪車については世界一の生産国となっている。これはなぜなりえたか、そして自動車でも同じことが起こり得るか。まず理由については、二輪車の部品やコンポーネントの統一標準工業規格を制定し、これがイミテーションを作りやすくしたことである。そしてこの全国統一規格の制定で二輪車部品、特に主要部品の全国規模の量産メーカーが出現し、大規模投資によるコンポーネントを利用して二輪車メーカーの氾濫現象がみられた。いってみれば中国の二輪車産業はオープン・モジュラー・アーキテクチャー部品の寄せ集めによって、あれよあれよという間に生産量が増えて行ってしまった。その結果、地方の多くの農村車メーカーの参入や地方軍需工場の生産転換が起こり、基幹部品を安く仕入れての見よう見まねのイミテーション二輪車の氾濫と生産量の激増が起こり量的拡大路線をひた走った。

しかし、中国の二輪車産業が、果たして真の国際競争力のある産業にはなっていない。生産過剰気味となった二輪車の輸出は好調とは言えない。その理由は、品質に対する信頼性に欠けていたことだ。そのため、中国の二輪車産業にも家電産業と同様に整理・淘汰と集約が始まることは火を見るよりも明らかだ。

自動車の場合も類似の現象は起こり得る。

中国の自動車産業の将来を語るうえで見逃せないのは、今後の中国国民経済のマクロコントロールと自動車産業の関連である。日本のように生産台数の半数以上が輸出で、海外生産が5割に近づいている国ならいざ知らず、内需主導の中国の場合、自動車、とくに乗用車の個人所有をやたらに増やし続けることになる。これは、国内の乗用車保有が増え続けた時に、それに伴う石油の輸入増大に中国の経済と財政、そして外貨収支がどこまで耐えられるというのっぴきならない問題がある。環境問題の克服と徹底した省エネなしに、中国自動車産業の中長期的発展はあり得ない。この年代と正面から向き合うことこそ、中国に進出した先進国の自動車メーカーの試金石であり、これを乗り越えてこそ、メーカー自体の持続可能な成長の新しいパラダイムが進化するのである。

第2節 インド

1.インドの自動車市場と産業政策の動向

アジア新時代を迎えつつある世界の自動車産業にとって、中国と並んで大きな注目を集めているのがインドである。生産規模が急速に拡大し、需要の潜在的可能性も高い。さらにインドは中国に負けない人口大国であり、中国のように一人っ子政策という人口政策をとらなかったゆえに若年人口が多く、将来少子化が進む中国を追い越すことは間違いない。

このような中でインド経済が脚光を浴びている理由は、第一に、インドが独立後、鋭意取り組んだ農村の近代化により自給自足が実現し、いまや食糧輸出国となったこと。小型トラクターの生産量が世界一など農業生産力の向上は著しい。第二にも教育水準の全体的なレベルアップが著しく、識字率の向上が実現したこと。第三に、アグレッシブな企業活動を行い資金を豊富に有するタタやミタルといった財閥グループの存在がある。

インドは長らく国家統制経済のもとにあり、漸進的な自由化政策を進めてきたが、1991年の経済危機を契機にIMFの指導を受け入れ本格的な自由化に舵を切った。具体的には思い切った規制緩和と競争原理の導入、そして貿易と直接投資の自由化、とくに外資導入の活発化などが行われた。このような自由化生産により成長軌道に乗ったインドだが、最大のネックは全国的な交通インフラ整備の立ち遅れである。中国のような一党独裁国家と違って、政府の指令のもと、土地収用や住民の立ち退きを強権的に進めることはできないという事情もあるため、今のところ高速道路ネットワークの整備は緒についたばかりである。こうした道路インフラの立ち遅れは、インド独自の交通事情と自動車市場の成立をもたらしている。したがって、インドに渦巻いているパーソナルモビリティーの根強い要求は、富裕層主導ではなく、上位貧困層に主導が移りつつあり、中長期的には貧困層、すなわち農民層と若年層に次第に主導権は移っていく構図となる。

こうして大衆輸送手段として、先ず登場したのがオートリキシャ(三輪オートバイ)であり、スクーターやモーターバイクである。このようなインドにおける二輪車需要の拡大は、今後の四輪車モータリゼーションの潜在的な可能性の高さを予見させるものである。現在までの自動車需要は、人口の集中度が高く所得水準が高い大都市部に偏りがちであった。人口の絶対数の多い農村についてはまだ先のことになろう。それは、地方農村の自給自足経済による閉鎖性と地方の劣悪な道路事情によるところが極めて大である。また大都市の自動車需要といっても高速道路の延長距離が限られており、そのためドライブの距離も相対的に短い。そして産油国でないため、ガソリンや軽油の燃料費が高くつくあり、乗用車市場は小型で低価格のものが多くなっている。

現在のインドの自動車市場は大きな過渡期にある。年々増加の一途を辿る上位貧困層と中間層の動向もさることながら、自動車交通インフラの整備と発展に負うところが大きい。現在進行中の交通インフラ整備が進めば、自動車セグメントの上位移行起こることが考えられる。インドの自動車市場、特に乗用車市場はミニ・コンパクトの小型車市場が主力であり、例えば韓国や中国のように、中型高級車から需要の拡大が始まり、次第に大衆レベルの小型車市場の拡大に移行しつつあるのと対照的である。インドの自動車市場を展望するときに忘れてはならないのは、上位貧困層や中間層、富裕層の動向だけでなく、今後増大するであろう若年労働人口と、現在でも人口構成上大きな比率を占めている農村人口が将来生み出すであろう巨大な需要である。

2.日印メーカーの動向と基本戦略

インドの自動車のメーカー構成は乗用車ではマルチ・スズキ・インディア、現代自動車、タタ・モータースの順で、商用車ではタタ・モータースがトップである。

タタ・モータースの超廉価車「ナノ」については、超低価格の実現には次の七つの要因があり、その相乗効果によるという、先ず第一に、徹底した小型化・機能絞込みによる製品開発・材料・生産コストの削減を行っていることだ。第二の要因は徹底したインド開発資源の活用、とくに基本設計にまで遡った開発の見直しと、インドでのVA(価値分析)/VE(価値工学)による製品・部品開発・生産コストの削減があげられる。第三の要因として、徹底した外注化によるリスク分散と生産コストの削減である。第四の要因は、セカンドソーシング制度による部品受注競争常態化を通じたコスト削減である。このセカンドソーシングはタタ独自の方式で、直接取引するサプライヤーとは別にセカンドソーシング先を決定し、納入準備させておく制度で、直接取引するサプライヤーに対する牽制とコスト削減に寄与するという。日本では系列取引ではあっても複数発注というサプライヤーの能力を競わせるやり方があるが、こりセカンドソーシングはもっと徹底した牽制作用が働く。つまり、タタ・モータースのサプライヤーになる可能性を認めてもらえて、無規制のサプライヤーに技術力で取って代わるというインセンティブとモチベーションが同時に働くのである。第五の要因として、サプライヤーパークによる部品流通コストの削減。第六に大規模生産計画を背景にしたサプライヤーのマージン率の半分ないし三分の一への削減、第七に大需要地域での組立生産を通じたせいひん物流コスト、といった要因が相互に絡んで超低価格を可能にしている。要するにタタ「ナノ」は、基本設計と組立生産工程に力を注ぎ、それ以外はできるだけサプライヤーに任せ、彼らを相互に競わせて競争力を高め、かつ最新技術の移転を速いスピードで実現しようというものである。そのために大ロットでの受注の可能性をちらつかせ、マージン率を下げても互いにwin-winの関係になる条件を追求しようとする。これを実現するには、サプライヤーに何でも丸投げするだけでは不十分で、高い設計能力とVA/VEの評価能力がともなわなくてはない。

インドに限らずホンダは、特に中東南アジアや南米、アフリカなどの途上国では二輪車の現地生産からスタートし、それから四輪車事業を展開するパターンを取っていることが多い。二輪車事業と四輪車事業は決して同一ではないが、二輪車事業で先行していることは、部品の現地調達の拡大や現地サプライヤーの力量の評価、現地の労働慣行や人材育成など、多くの経験と知識が得られるというメリットがあることは間違いない。

トヨタは、インドに限らず様々な国で挫折を経験し、時には撤退を考えたことが再三ある。北米への輸出で失敗したこともあるし、北米の現地生産でもホンダや日産に遅れをとった。ブラジル、オーストリア、そしてトルコで撤退を考えたこともあったが、いずれも踏みとどまって何とか採算に乗せてきた。このようにさまざまな挫折や失敗から多くを学び、まさに学習する組織となって、その結果、組織能力を進化させてきた。

3.市場としての中国とインド

同じ人口大国でありながら中国とインドの自動車産業を比べてみると、様々な点で対照的な傾向と問題が浮かび上がってくる。

@自動車産業政策の一貫性

世界経済のグローバル化とWTO加盟によって自動車産業の自由化に舵を取った点は同じでも、自動車産業政策の変更がそのたびに起こり11回にわたり国家計画の修正が試みられた中国に比べ、インドの政策は「ミッション2016」くらいである。これは、中国が統制色の強い国家管理と国有企業からスタートし、その色彩をいつまでも維持してきたこと、車の個人保有をなかなか認めず、個人が車を保有するのは贅沢だとする発想がいつまでも残ったこと、そして個人保有を認めた後も国有企業を中心に三大メーカー中心で再編成する発想がいつまでも残ったことと無関係ではない。それに比べインドは自由化政策に踏み切ってからの政策は一貫しており、独立民族系メーカーと外資系メーカーをバランスよく配置し、相互に競争させて全体としての競争力の向上を狙っている。

Aメーカー数

中国では、地方政府との絡みでたくさんのローカルメーカーが群立しているのに対して、インドではメーカー数は極めて限られている。これはタタやバジャージといった純粋民族系メーカーが比較的早く力をつけ、これと競合する外資系メーカーが自由化政策以降限定された数で入ってきたことで、弱小メーカーが参入するチャンスがないからだった。

B知的所有権保護

中国にみられるようなイミテーションの製品や技術が、インドには少ない。これはインドでは知的所有権が保護されているが、中国では名目的には特許法がありながらまだまだ不十分で、抜け道がいくらでもある事情と無関係ではない。

Cイミテーション

イミテーションに関しては、例えば二輪車がそうであるように、インドではバジャージのような、日本のカワサキとの技術提携が期限切れになるとすぐ自主設計に力を入れて独自ブランドを確立し、ヒロ・ホンダの幹部も一目置くほどのメーカーが存在感を示し、そのために安易なイミテーションメーカーは存立しにくい状況が作り出されている。ところが中国では、政府がイミテーションを奨励したとまではいわないが、イミテーションがやりやすい統一標準工業規格をつくったり、擬似オープン・モジュラーの基幹部品メーカーを育成したりして、イミテーションが出現しやすい条件が整えられた。これは中国がとにかく先進国に早く追いつくために量的拡大だけを追い求め、安易なイミテーションがそのための早道であることのみに目を奪われ、真のイノベーションに通じる根元の探求にさかのぼった過渡的・創造的イミテーションの道があることを忘却したために起こった現象である。

D日本的生産システムの導入

インドでは民族系メーカーが日本的生産システムの導入、特にトヨタ生産方式の活用にすこぶる熱心であるのに対し、中国ではトヨタをはじめとする一部の日系メーカーとの合弁をスタートさせた以外、その導入はまた緒についたばかりである。

以上のように中国とインドの自動車産業を比較してみると、際立った相違が浮かび上がってくる。短期的には。量的成長という点では中国の方が成果を上げるのは早い。しかしながら、これは中国に進出している外資系自動車メーカーの戦略にもよるが、中国が真に輸出競争力を伴った自動車産業を確立するにはまだまだ時間がかかり、ともすれば国内市場の拡大に引き摺られた安易な量的拡大に走る危険性がある。それでは真の自主開発力や開発と生産にわたる技術力の向上が立ち遅れることになりかねない。特に乱立している地方自動車メーカーの整理、老朽化した生産設備や過剰能力の整理を、どこがどのように進めるのかという問題もある。これに比べてインドは、自主開発力ブランド力を備えたタタやバジャージのような民族系メーカーと、自由化政策の結果入ってきた外資系メーカーとのバランスの取れた自主的競争が、互いに創造的技術開発推進の促進剤になりつつある。またインドはしっかりした自主技術とIT技術を駆使したタタのようなメーカーもあり、自動車の電子化や安全技術の高度化と通信技術の活用、そして究極的には脱化石燃料を追求するゼロエミッション車の開発のような環境技術にも挑戦する可能性を秘めている。また外資系メーカーも民族系メーカーも、インドと輸出先国とのFTAの拡大でインドを輸出基地化する可能性もあり、輸出競争力がインド全体のグローバル競争力を高める可能性がある。こう見てくると、インドは当面の量的成長のスピードでは中国に劣るが、中長期的には技術力の質的高度化によって、環境技術を含むグローバル競争力を備える可能性は否定できない。こうしたなか、インドで熾烈化するグローバル競争の渦中における最大の焦点は、タタの超廉価車「ナノ」の登場によって発生したインドの底辺需要の開拓による市場拡大と、それに対抗する外資系メーカー、特に日系メーカーの新小型車の戦略的投入であろう。これはまさにインドで初めて可能になった新しい車作りの競争─これまでの先進国中心の車づくりとはコンセプトの違う競争─の始まりと言えるかもしれない。

 

第4章 環境戦略で市場をリードする

世界的金融危機が進行しつつある中にあって、これまで先進国主体で進んできた自動車産業の構図は大きく変化しようとしている。世界の自動車産業をリードする主役は新興国市場、なかんずく中国、インド、ASEANなどに移ろうとしている。これらの地域での市場戦略は、これまで先進国で通用した市場戦略の繰り返しや延長ではありえない。まず底辺の需要を底上げする超廉価小型車と、徹底した省エネルギーの環境対策車でなければならない。ところが、この二つのコンセプトは必ずしも両立しないところに自動車メーカーの悩みがある。しかし、現実にはその究極の車作りを新興国が求めているのは確かである。

これまでの120年の自動車産業の歴史は、フォーディズムとも称せられるT型フォードのような当時としては超廉価で実用主義に徹した車によって切り拓かれた。これに対してスローニズムが擡頭し、消費者の財布の大きさに合わせた高級車から中級車、そして大衆車までフルラインのセグメンテーションによるマーケティングと、大衆車「シボレー」のグレードアップで付加価値を取る戦略が功を奏しGMの覇権が成立した。その結果、先進国の自動車メーカーは自国の所得水準が上がり、中産階級が出現するのに合わせてフルラインの戦略を取って成功を収めた。だがフルラインのセグメンテーションも先進国においてすら次第に色あせたものになりつつある。これはプラットフォームの統合や共通化が進み、特定ブランドのチャネルと製品を差別化することが難しくなっていることの反映である。それだけでなく、いまや先進国ですらValue for Moneyの価値基準の転換が起こりつつあり、低燃費と省エネ、安全性能に優れた車の価値観の転換は一般の想像を超えた急速なものとなるだろう。先進国に起こりつつあるこのような価値基準の転換は新興国においても進むであろう。

新興国市場にあっては。当面は先進国型のセグメンテーション的バラエティーマーケティングで高所得層と中産階級のユーザーに浸透す戦略が現実的アプローチである。しかし、他方において開発の徹底した現地化と自立化の下で。省エネと高環境性能車としての超廉価車の投入により、二輪車等の代替需要を刺戟して底辺のマーケットを掘り起こす努力は必要である。そのような超廉価車は「T型フォード」の再来と言ってよく、それでいてその設計思想においてモジュール化と必要に応じたインテグラル・アーキテクチャーを組み合わせるという点で、またその開発でそのなかに組み込むソフトウェアによる多様な対応も可能になるという点で、各メーカーの技術力と設計能力が試されることになろう。このような戦略の下では、先進国自動車メーカーは、先進国中心の成熟市場を前提とした製品開発に力を入れ、その中で生まれた製品を新興国や途上国でも展開するというこれまでの戦略をある程度修正し、開発から調達、そして生産に至るまで、経営資源配分を転換しつつ二つの可能性を追求することになろう。こうした新興市場戦略は、20世紀の自動車産業の基本パラダイムであった大量生産、大量販売、大量消費に代わる、新たなパラダイムの創出のなかから生み出される。新パラダイムとは、脱化石燃料を志向しつつ、省エネルギーと省資源に徹した中長期の環境戦略を立てることである新興市場こそ、これからの自動車産業の成長源であると同時に新たなる環境文明創造の舞台となっていくことは間違いない。

日本では1978年に排気ガス規制が法制化された、いわゆる「日本版マスキー法」である。局地的公害対策とはいえ、当時としては世界で最も厳しい基準の目標値を制定した。このときの日本の自動車メーカーは、資本自由化による海外メーカーの日本進出の脅威にさらされつつ、ようやく国際競争力をつけ始め、米国に輸出を始めたばかりであり、とうてい排ガス対策にその経営資源を重点的に投入する余裕はなく、これに挑戦することは社運を賭けたものであった。しかしながら、多大な犠牲を払った排ガス対策の研究開発は、その後の事態を長い目でみるとプラスに作用したものがあった。排ガス対策を進めるために、どのメーカーもエンジンの燃焼技術の根本に遡った研究開発に努め、そのために、それまでの研究開発が機械工学中心だったのを化学、素材、電子などの学際化したものに改め、これらの分野の専門家を技術者として多数採用したことである。特に化学分野の研究は触媒の解明に役立ち、電子分野の研究はやがて電子制御への道を開いた。その結果、三元触媒とこれを活用した電子制御燃料噴射装置の採用に漕ぎつけた。このように日本の自動車メーカーは日本版マスキー法の規制をクリアした。これが燃焼技術におけるイノベーションを誘発し、多くの教訓とノウハウが蓄積されたのであり、車両の軽量化とエンジンの燃焼率向上、コンパクト化に拍車がかかった。その後の日本自動車メーカーの研究開発における進化能力は、このときの経験と、そのなかから芽生えた要素技術を実体化する生産技術によって高められた。

その後、アメリカのビックスリーは三元触媒などの技術や特許を日本やドイツのサプライヤーから手に入れて規制をクリアできたが、その後のビッグスリーの環境戦略の立ち遅れに直結していく。一方、EUの存立にとって環境保全は必須の価値となり、自動車産業では競争優位に結びつくとされ主導権を取ろうとしている。

かつての排ガス公害が問題となった時代のように、社会や世論から強制されて副次的課題として対策を進めていた段階から、きかせついてみると環境戦略と環境技術は、これからの自動車メーカーの生き残りをかけた主体的・中枢的経営課題となりつつあり、今はまさに過渡期の始まりといってよいであろう。そこでは20世紀までの自然環境を征服・支配する発想から、自然環境との共存と循環社会の実現へむけての発想転換=資源エネルギーの循環的活用、環境負荷ゼロへの挑戦が現実化するであろう。そのためには今まで自動車技術の視界に入っていなかった科学の領域、バイオや宇宙工学、森林科学などとの学際的連携も視野に入ってこよう。日本の自動車産業が今後アジア新時代を切り開いていくには、環境問題に直接向き合うことにより、環境文明創造へ向けての挑戦を続け、持続可能な成長を実現し、この面での競争力優位を確保することが必須になりつつあり、世界的自動車不況のなかにあってもむしろその必要性は加速された考えるべきであろう。

 

終章 日本自動車産業再生の道

今、日本の自動車メーカーは、世界的金融危機と世界同時不況の急襲を受けて、未曽有のリストラの最中にある。これまで最大の収益源であり、金城湯地としてきた北米市場が縮小均衡に向かう中で、日本の自動車メーカーは、今後いかにして再生を図ることができるのであろうか。

この中で日本の自動車メーカーの再生は、まず、既に進行している通り、国内、海外の大量減産と海外工場の増設延期、ないしは新工場増設の見直しである。当面は雇用を含めたリストラと減産で、過剰生産と過剰在庫体質の一掃を図り、七割ないし六割操業で採算が取れる「筋肉体質」の実現を追求することが求められる。この筋肉体質の実現には、一層のフレキシブル生産の強化と、派遣労働に安易に頼らない高度な多能工育成と、それによる海外工場のサポートが必要である。

今後を展望すると、日本の自動車メーカーは、為替相場の変動の影響を受けにくい体質を確立しつつ、何にもまして環境技術で世界をリードすることが求められる。特にビッグスリー崩壊後は、北米市場で主役に躍り出る可能性も高い。場合によっては、国内の工場の生産能力を減らしてでも、海外工場の強化拡充と自立化を促進せねばならないであろうし、質の高い先行開発とそれに見合ったレベルの高い生産技術を追求し、世界に冠たる環境技術に挑戦していく必要がある。この二つの重要課題に挑戦する上でカギを握るのは、海外要員と、これをサポートできる質の高い人材開発と、そのための中長期の人材開発戦略である。真の質の高い人づくりこそ、これからの基本課題とあるとの前提に立って、人材開発戦略を急がねばならない。

この危機を何とか乗り切ることができたなら、その後には、北米市場におけるビッグスリーの縮小均衡に伴う勢力変化が起こる。そうした事態に備えることも、今から考えておくべきだ。これまでの日本の自動車メーカーは、北米の現地工場が利益を上げ、これによって曲がりなりにも日本国内、輸出、そして海外現地工場の三位一体の為替フリーの体質に近づいたとされていたが、今後は海外生産に今まで以上に力を入れることで為替フリーのグローバル生産体制確立という挑戦に活路を見出すしか、この危機を乗り切る妙策はない。そして、中長期的には新興国市場の自動車産業が世界をリードする時代がやってくる。それは予想以上に早まる可能性がある。しかもその基本動向は、世界一を誇った北米市場をあてにしたグローバルな所得移転ではなく、中国、インド、ASEANなどの中産階級の形成による内需の底上げによってもたらされる。となると、グローバルな新興需要に応えられる超廉価小型車や自動車関連の環境技術が何を置いても必要になる。特に環境技術は先進国だけでなく、新興国や途上国にも差し迫った課題になりつつある。

 

 
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