菊地正俊
「外国人投資家が日本株を買う条件」
 

第1章 外国人肥大の日本株市場

第2章 外国人投資家が見る日本の政治・経済の課題 

第3章 外国人投資家による日本の産業の評価 

第5章 コーポレート・ガバナンスとM&A

感想

 

第1章 外国人肥大の日本株市場

 1990年以降、2009年までの20年間に、外国人投資家が日本株を売り越した年は、日本の資産バブル直後の1990年と1992年、日本で金融危機が起きた1998年、ITバブルが崩壊した2000年、リーマン・ショックがあった2008年の5回しかない。1990年以降、2009年までの外国人投資家の累計買い越し額は62兆円に達する。外国人投資家が日本株を買い越してきたのは、2000年までは海外株が基調的に上がっていたため、日本株の出遅れ感に注目したこと、2000年以降は小泉改革で日本の構造改革が進展するとの期待があったためである。郵政解散総選挙が行われた2005年の外国人投資家の買い越し額は過去最高の10兆円に達した。小泉元首相が退任し、後継内閣が外国人投資家の構造改革期待を裏切り続けたうえ、リーマン・ショックで欧米投資家のリスク許容度も低下ししたため、外国人投資家の日本株買い越し額は大きく減った。アジア経済の持続的高成長やアジア株の流動性向上から、構造的にはアジア株に強気で、日本株に弱気という投資家が増えてきた。外国人投資家が日本株の売買を判断する材料としては、@海外経済、A企業動向、B政治や国内景気などがある。外国人投資家は、日本株は世界景気に敏感株であり、世界景気が良くなる見通しができたときに、循環的に買えばいいと考えている。

 経営者のリーダーシップが強い企業、独自のビジネスモデルでグローバルに成長する企業、循環的に業績改善が期待できる企業などの外国人保有比率が高かった。

 外国人投資家の保有比率と投資指標との関係を見ると、時価総額が大きい企業、ROE、営業利益率、海外売上比率が高い企業の外国人保有比率が高い傾向がある。これらの指標は相互に関係している。すなわち、大企業がアジアなど新興国で高い利益を上げることが、外国人投資家化から評価される。

 外国人投資家は、日本企業のリストラの意欲や進捗度、アジアでの経営戦略や資本政策(配当や増資など)に対する関心が高い。外国人投資家との議論では、日本の政治経済の話が多くなる。日本株が海外動向次第とはいえ、外国人投資家は日本株を売買するきっかけとして、国内要因を求めている。

 外国人投資家から、最近、日本株はなぜ円安にならないと上がらないのかと尋ねられた。2010年は日経平均の下落にもかかわらず、円高のため、ユーロやドルベースのパフォーマンスは他先進国と比べて特段に悪かった訳ではない。今後、円下落と株価回復が同時並行的に起こるならば、ユーロやドルベースの日本株のパフォーマンスが劣るとの懸念がある。通常、為替変動率より株価変動率の方が大きいので、株価回復率が円下落率を上回るはずだ。しかし、日本株が為替への感応度を高めているのは、内需不振が続き、本来得られるべき円高円高メリットを享受できずに、日本の企業業績や景気変動の為替依存度が高まっているためだろう。一方、韓国はウォン高でも株価が上がるのは、サムソンに代表されるように、高い世界市場シェアでウォン高を転嫁しやすく、日本企業以上に韓国企業のグローバル経営が進んでいるからだ。ウォンは円に対して過小評価されているため、将来的にはウォンが円に対して上昇することで、日本企業の韓国企業に対する競争力が改善されよう。

 外国人投資家が使うバリュエーション手法は、基本的に国内投資家と変わらないが、いくつかの特徴がある。計算容易なPERを使うことが多い一方、近年、PBRへの関心が低下している。日本の低PBRは低ROEの反映さ見なされているうえ、M&Aの欠如によって(特に敵対的M&Aは皆無)、日本はバリュー・トラップ(割安さの罠)から抜け出すことができないと思われているためである。

 米国投資家は資金規模が大きいうえ、日本株だけでなく、欧州株やアジア株も一緒に運用していることが多いので、日本株の運用は大型株が中心となり、中小型株までは手が回らない傾向ある。米国投資家はボトムアップ運用で、バリュー投資家が多いという特徴がある。ボトムアップ運用とは、マクロ的な経済や産業状況ではなく、個別企業の業績やバリュエーションに注目して投資する方法である。米国投資家は、グローバル投資をする投資家が多いため、企業の国際比較を重視する。銘柄選択では、国際競争力やバリュエーションの国際比較に注目する。業種では、テクノロジー、金融、不動産、サービスなどに対する関心が高い。企業は株主のものであり、経営者は株主のエージェントであるとの考え方が強いため、企業経営者の経営能力や株主重視姿勢を厳しく問う。日本の電機メーカーは韓国や台湾企業に対して競争力を低下させたとの見方が増えている一方、機械は国際競争力をまだ維持していると見られている。

 欧州投資家は、米国投資家よりは、投資判断をする際に政治やマクロ経済動向を重視する。政策では財政政策、経済的には個人消費や物価、業種では、電機や機械に加えて、小売りや住宅などに対する関心が高い。歴史的なトレンドに対する造詣が深く、国の隆盛に対する関心が高い。アジアには欧州の植民地だった国が多いため、アジアと日本の関係がどのように進展するのか、興味を持っている。

 外国人投資家には、日本株への構造的な弱気派が増えた。2010年初来の日本株のパフォーマンスはドルベースで見ると、他国株より大きく劣った訳ではないが、2010年は日本株が久しぶりにアウトパフォームする年と期待されていた。しかし、4月に株価指数がピークをつけた後、大きく他国株価指数をアンダーパフォームしたことで、10月まで日本株の悲観論が強まった。期待が裏切られたことで、日本株の長期パフォーマンスの悪さが改めてクローズアップされた。数年に1回しかアウトパフォームせず、中長期見通しも暗い日本株ならば、保有する必要がないとの意見が出た。

 2010年3月期上期の企業業績が好調だったにもかかわらず、日本株が他国より下落したのは、日本株のバリュエーションが低下傾向にあるためと解釈される。企業業績のモーメンタムがピークアウトしたのは他主要国も同様だったが、他国では株価が回復した市場が多かった。日本の他国より高い2011年3月期の予想増益率は、全く評価されなかった。過去のバリュエーションに比べて、日本株のバリュエーションが低いとの議論は、外国人投資家に通じない。

 

第2章 外国人投資家が見る日本の政治・経済の課題

 日本株の方向性を決めるのに最も重要なファクターは、米中景気や為替などの海外要因であり、国内政治・経済要因の重要性は低い。内需は常に低迷し、政治も、経済や企業経営に大きな影響を与えるほどの改革が期待できる状態ではない。外国人投資家は、人口減少、長期デフレ、巨額の財政赤字、国際的地位の低下などの日本の構造改革問題を理解し、構造問題解決のためには強いリーダーシップが必要だと考えている。構造改革路線を掲げて誕生した小泉内閣が誕生した際には、日本の構造問題が解決されるとの期待が高まり、外国人投資家の日本買いは巨額になった。しかし、2006年に小泉首相が退任し、毎年日本の首相が代わるようになると、日本の政治に対する期待が失望に変わった。2009年に民主党政権が誕生すると、何らかの改革が行われるとの期待が一時的に芽生えたが、反ビジネス的な民主党政権の政策が明らかになるにつれて、外国人投資家は日本株を売り越した。

そして、外国人投資家のみる日本の政治・経済的な課題として

・スピーディーな税制改革ができないこと

 例えば、消費税について議論ばかりして引き上げができない

 法人実効税率が高すぎる

所得税最高税率の引き上げの動き

国債の低い利回り

 ・人口減少、少子高齢化が急ピッチで進み、先進国となってしまった事情

 外国人投資家の間では、日本は移民が必要だという意見が多い

 ・日銀の不十分な金融緩和

 外国人投資家から、日銀の金融政策に対する批判は強い。1980年代後半のバブル崩壊時には、遅すぎて行き過ぎた金融引き締めが、バブル崩壊の後遺症を大きくした。1990年代後半以降、日本は過去に例を見ない長期デフレに入り、人々や投資家にデフレマインドが浸透し、物価下落を前提とした消費・投資行動が見られるようになった。デフレ下で消費者は消費を抑制し、値下げ要求を厳しくする一方、企業は投資を抑制し、雇用を削減しようとする。インフレ率に数値目標を掲げて金融政策を行うインフレターゲットは物価抑制に有効でも、デフレ脱却には機能しにくいともいわれる。完全にデフレが定着する前に、思い切った金融緩和をしなかった日銀の政策が悪かったとの見方が外国人投資家には多い。

 日銀はいくらマネーを供給しても、民間に資金需要がないため、日銀に還流してしまうと反論する。お金を使う人がいなければ、または経済の実需がなければ、日銀の大量資金供給にもかかわらず、デフレは修正されないと主張する。マネタリストは、日銀の資金供給がまた十分でないからだと反論する。人々がお金を使わないのは、デフレ下で現金を保有していることが、経済合理的な行動であるからであり、インフレ期待が高まれば、お金をもって使うだろう。現在はデフレ下でのゼロ金利は、実査金利が高いことを意味するため、日銀は人々のインフレ期待を高めるような政策をとる余地があろう。

・経済成長戦略への期待

人口が減少し、財政赤字も巨額にのぼる日本が、内需主導の経済成長を遂げるといっても、信じる外国人投資家は誰もいない。

 

第3章 外国人投資家による日本の産業の評価

・国際競争力の低下が著しい電器産業

 最近、日本企業の電機産業での国際的なプレゼンス低下は著しい。パナソニック、ソニー、東芝の株式時価総額を足しても、韓国のサムソンの時価総額に及ばない。このような総合電機は、インフラ製品に強みを持つものの、コングロマリット経営で選択と集中ができていないうえ、過去に株主資本を大きく毀損した歴史があるため、外国人投資家の経営への信認が低い。電機メーカーが国際競争力を低下させた理由は、@依然としてプレーヤーの数が多すぎて、国内競争で消耗して海外戦略が遅れた、Aタイミングを捉えた思い切った投資ができなかった(サムソンは不況期こそ、投資の好機とみなす)、B高度な技術に溺れて、需要が急増する新興国向け製品開発に遅れたことなどである。外国人投資家からは、日本の電機株は安値で買って高値で売る循環的な投資対象であり、長期保有には適さないと見なされるようになった。

・銀行株は全く保有しなくてよいか

外国人投資家には、日本の銀行の構造的な低収益に対する諦めがある。貸出減少と並ぶ日本の銀行の構造問題は、低利鞘である。日本は、@低金利、A預貸率が低く、貸出需要に比べて預金が過剰な状態にある、B株主利益を重視する姿勢が弱く、利益よりシェアを重視しがちであることなどが、銀行の低利鞘の背景にある。大手銀行は、成長戦略として、アジアを中心とする海外事業、投信販売や資産運用事業、関連証券会社の連携の強化などをあげている。日本の製造業が皆、中国をはじめとするアジア事業を強化しているのと同様に、多くの日本の金融機関は、利益の源泉である内需が低迷しているため、海外事業強化の必要性が以前からあったし、地理的な近さの優位性を生かして、欧米金融機関より早くアジア事業を強化すべきだった。しかし、不良債権処理という後ろ向きの仕事に忙殺されてきたうえ、国際的な人材マネジメント能力に劣後していたため、欧米金融機関よりアジア事業強化が遅れた。さらに、外国人投資家は、日本の金融機関の収益性のさらなる低下につながる郵政改革法案をネガティブに見ていた。また、東京市場の地盤沈下を肌身で感じており、日本が金融立国になると信じている者は皆無である。

・世界的な食糧・水不足に関心

外国人投資家は、国際競争力が低い日本の農業・食品関連企業に関心があるのではなく、世界的な食糧不足や食品価格の長期的な上昇に関心を持っている。そこで、日本企業の農薬や農機事業に対する期待は高い。

 

第5章 コーポレート・ガバナンスとM&A

 外国人投資家と日本企業の経営者では、M&Aに対する考え方が根本的に異なる。外国人投資家は、企業は株主の物と考えているので、株主の利益増加につながるのであれば、企業を積極的に売買すべきだと考える。多くの日本企業の経営者は、企業を経営者、株主、債権者、取引先、従業員などの全てのステークホルダーが自己実現を図る場と見なしているので、企業はめったなことで売買すべきでないと考える。

 外国人投資家は、日本企業がM&Aを通じて収益力や競争力を改善して、結果として株価が上がることを望んでいる。日本企業は業界再編が遅れてきたため、国際比較で見て規模が小さくなってしまった。東証の上場会社に対しても、外国人投資家からみれば、日本は中小企業の集まりで、東証は中小型株の集まりと見なされるようになった。そのため、欧米大企業が数千億円単位で投資する中国における投資でも、日本企業は規模が小さいので、数十億円や数百億円規模の投資が多くなっている。中国市場は世界中の大企業が、将来の最大の消費市場になると見込んで大規模な投資を行って鎬を削る市場である。日本企業もM&Aを通じて企業規模を大きくしないと、中国市場での欧米アジア企業との競争に打ち勝つことができないだろう。

 企業規模の次に、外国人投資家が日本企業のM&Aに関連づけて問題だと考えることは、日本企業の低収益性である。日本の低ROEは売上高利益率、すなわちマージンが他国より低いことに主因がある。マージンが低いのは、業界再編が遅れており、各業種が無用な競争をしているためである。コーポレート・ガバナンスが利いていないため、株主価値を無視したような価格競争が広げられているとも言える。将来のM&A余地が大きいとは言えるが、外国人投資家から見れば、長年M&Aを期待しながら、何も起こらない業種が多かったため、M&Aへの期待が低下してしまった。

 米国には確実な指標としてバランスシートから計算されるPBR面での割安さに注目する投資家が多い。外国人投資家は日本株について、PBR1倍を大幅に割れても、経営者の責任を問う声が出ないことや、敵対的なM&Aが起きない日本の異常さを指摘した時代もあった。しかし、PBR1倍割れが恒常化するにつれて、日本株は資産面からの割安さが解消されずに、永遠にバリュートラップ(割安さの罠)に陥ったままとり考えが出てきた。日本には、企業が長く存続して雇用を維持しているだけで尊敬される風土がある。日本以外では、敵対的M&Aが起こらなくても、PBR1倍が大きく下回っていることは、経営者に能力がないと市場から烙印を押されているのだと己を恥じて、株価を上げる努力をするため、PBR1倍割れは、遅かれ早かれ解消されることが多い。しかし、多くの日本企業では、こうした自浄メカニズムが働かない。

 日本には成長株が少ないといわれる中で、外国人投資家は経営者のリーダーシップにより、M&Aで成長する企業を評価する。巨額の資金をつぎ込むことになるM&Aは、経営者の思い切った決断のみならず、事務方や雇った投資銀行による事前の徹底した精査が必要である。豊富な現預金を抱えたままの企業より、M&A、設備投資、商品開発などにリスクをとった経営をする企業が、外国人投資家から評価される。外国人投資家が日本経済や日本企業に改革期待を持っていた時代には、M&Aや組織再編という発表だけで、株価がポジティブに反応したこともあった。しかし、大手金融機関同士の度重なる経営統合を見て、日本企業はM&A時に重複部分の効率化を素早く行わないし、統合後も統合前の経営者が残って、権力抗争を行ったりするため、日本企業のM&Aは効果が出にくい、また出るのには長い時間がかかると認識するようになった。外国人投資家、M&Aの際の資金調達も問題視する。銀行借入や債券発行に依らないで、安易な増資をする企業が少なくないためだ。

 外国人投資家は、リーマン・ショック以降も、会社は株主のものであり、経営者は株主の利益を重視する経営を行うべきだと考えている。リーマン・ショックにより株価は急落し、欧米経済は日本同様の低成長の時代に入ってしまった可能性もあるが、こうした環境下でも外国人投資家は、経営者は株主の利益を最大化する努力を継続すべきと考えている。一方、日本の経営者の間では、リーマン・ショックで短期的な企業の利益や株主利益を重視しすぎる経営は否定された、中長期的な視野に立って株主だけでなく、取引先、従業員、債権者、地域社会などのステークホルダーを重視すべきである、英米型経営より伝統的な日本的経営の方が望ましいとの考え方が強まった。リーマン・ショック以降、外国人投資家の日本株離れが強まり、日本株が他国を下回るパフォーマンスとなったのは、世界経済の悪化や円高で景気敏感株としての日本株の評価が低下したためだけではない。外国人投資家と経営者との間でコーポレート・ガバナンスに関する認識のギャップが拡大したためでもある。

 日本株の株式資本コストは一般に6%程度と考えられる一方、東証一部の配当利回りは上昇したといえどもまだ2%程度である。現預金に至ってはほとんどゼロの金利しか生まない。日本企業の経営者には、株式のコストはゼロとの誤った考えを持つ方がいるが、外国人投資家は、資本コスト以下のリターンしか生まない資産は企業は売却すべきと考えている。

 ROEは、分子にも分母にも株価が入っていないので、投資指標ではないが、企業が株主資本をどれほど有効に利用して利益を生んだかを示す指標なので、会社は株主の物だと考える外国人投資家が重視する経営指標になっている。外国人の日本株保有比率がどんどん高まり、アクティビスト・ファンドが活発だったリーマン・ショック前までは、ROE重視を掲げる日本企業が増え、外国人投資家もROE重視の動きを評価した。しかし、最近発表された中期経営計画を分析すると、アジア重視の企業が増えるばかりで、ROEを経営目標に明示的に掲げる企業が減ってきた。日本企業のROEの軽視姿勢が、外国人投資家の日本株離れにつながった。日本企業の低ROEは、国際比較で低い売上高利益率が主因だが、レバレッジが近年大きく低下したことも、低ROEの原因になってきた。外国人投資家からは、日本企業は株主資本や内部留保を溜め込みすぎており、自社株買いや増配を通じて株主に還元すべきとの意見が増えてきた。多くの日本企業は配当性向の目標に3割を設定しているが、配当性向は企業の成長によって異なってしかるべきだと、外国人投資家は考えている。日本企業は、自社株買いしても株価が下落し、自社株買いの株価の下支え機能が信じられないため、手元流動性を豊富に持ちたいとして、自社株買いや増配に慎重な姿勢を崩していない。また、日本企業の平均自己資本比率は米国企業より高いにもかかわらず、日本企業は安易な増資をし過ぎるとの批判も多い。日本企業の株主軽視的な増資は、外国人投資家に日本株投資を敬遠させよう。

 日本の大企業の個々人は、優秀といわれる。日本の組織では個々人が問題を認識しながらも、共同体の暗黙の掟、目の前の調和を破壊することに強い忌避感が生じる。結果、「空気の支配」による統治機能の不全状態が起きて、必要な意思決定ができなくなり、企業が極めて厳しい状態に陥る傾向がある。

 やるべきことがわかっていてもなかなか実行ではないことは、マクロ経済全体でも言えることである。社会保障制度改革、デフレ脱却、人口減少対策、財政赤字削減、選挙制度・公務員制度の改革など、日本の長期構造不況脱却のために必要なマクロ経済政策は長年議論されているにもかかわらず、実施されていない。現状追認や諦めのムードが蔓延り、今厳しい改革をしなくてもまだなんとかなるだろうと無為無策状態に陥り、日本全体が「茹で蛙」状態になっている。市場の反乱が起きて、債券や円が暴落する前に、外国人投資家に日本株が全く見向きもされなくなる前に、アジア人に衰退する日本に来たくないと言われる前に、日本経済の構造改革及び日本企業の経営改革を進めて、長年の閉塞感から早く脱却したいものである。

 

 著者は、数年前に「外国人投資家」を上梓しており、この本は、リーマン・ショック後の日本株の低迷の状態になったことに応じて、書き直したものと言えそうです。基本的な姿勢は、「外国人投資家」から大きく変化したわけではありません。しかし、日本株を巡る状況は危機的な状況にあり、私のような中小企業で市場に対面している者にも、それが実感できます。だから、著者の言いたいことは、よく分かります。その主張に沿うように、ここまで、全体の流れを抽出してみました。本書は、まとまった著作というよりも、個々の事象について著者が思っていること、主張したいことを、項目別に列記したようになっています。だから、まとまった著作にはなっていないで、散発的な印象です。そのせいもあって、このような実情を分かっている人や憂慮している人にとっては、わが意を得たりということになるのでしょうが、そうでない人にとっては他所事ともとられかねない中途半端なものとなっています。たとえば、現状がこうだと、いろいろな事柄が具体的に紹介されていますが、それぞれが並列的で、それぞれの事項の関連性や著者としてはどれがメインなものかは述べられていません。また、どうしてこのようなことになってしまったか、ということを著者は深く突っ込んでいないので、これからどうすればいいかは、取ってつけたような抽象的で他人事のようなことしか書かれていません。これは、著者には失礼で、本気で現状を憂慮しているのでしょうけれど、日本の市場をこんなようにしたのは、すべて企業が市場を向いた経営をしていないからだ、責任を押し付け、あたかも、自分は被害者であるかのようにふるまっているように見えます。本当にそうなのか、と私は考えます。すべて関係者に責任があると、一億総懺悔のようなバカバカしいことを言うつもりはありませんが、例えば著者は、政治が市場に逆効するような政策を進めていることに関して、懐疑的です。でも、政治家がそういう政策をとるということは、それで選挙票がとれるということです。ということは、市場関係者以外の政治家に投票するような人々は、市場に対して、そのようなマイナスの視線で見ていることの反映ともいえます。そのような状態となるのに手をこまねいていたのではないか、というゆうな著者を含む市場関係者は深刻な反省があったのか、とこの本を読んでいて著者に言いたくなりました。そうしたら、もっと突っ込んだ考察が出てくるはずです。そうしなければ、関係者以外の共感をえるのは難しいと思います。また、企業サイドからいえば、なぜ、日本企業の特殊事情と外国人投資家のむ特殊事情が相互に歩み寄れるような中庸な道を模索することを考えないのか、極端に外国人投資家に寄り添った道だけをしめせば、それでいいとする姿勢は、正論ばかりもっともらしく述べ立て、脇に立って、自分は傷付かない評論家のような印象を受けます。そうしたら、勝手にほざけと、企業の現場から罵倒されてしまうのではないでしょうか。そういう意味で、話のネタにはなるけれど、その程度で終わってしまいそうな著作にどとまっていて、たいへん残念な気がします。

 

“外国人投資家からは、日本政府がインターネット、貸金業、介護、労働者派遣など本来は成長性のある産業を次々と縮小に追い込んでいるとの批判がある。”

“外国企業による日本企業の買収が少ないのは、中国に限ったことではない。日本の市場としての魅力のなさ、日本企業のリターンの低さやリストラの難しさ、外国企業による買収を歓迎しない国民的雰囲気などが日本企業の買収の少なさにつながっている。”

“外国人投資家が株式持合いを問題視するのは、投資家が株式に投資するのは、本業に投資して資本コストを上回るリターンを上げることを企業に求めているためであり、他社株に投資してもらうために投資しているのではないとの考え方に基づく。日本企業は株式持合いを戦略的な資本提携と呼ぶことがあるが、外国人投資家には、中途半端な馴れ合いにしん見られない。”

 
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