熊野純彦
「和辻哲郎─文人哲学者の軌跡」
 

和辻哲郎の倫理学を軸に据えて、この文人哲学者の軌跡を追いかけた物。まず、晩年のエッセイをとりあげ、引退の静かな生活の中で日の出の太陽がまっすぐ上に上がっていかないことに気付いたという、注意しなければ読み飛ばしてしまうような掌編。ここで著者は注目すべきこととして、次の2点を挙げる。一つ目は、老境に入った和辻が朝日が真っ直ぐに昇らないということに対して子供のように驚き、素直にその驚きを書き綴っていること。もう一つは和辻のこの驚きが「黄道十二宮の知識」へと思いを馳せ、世界に対する驚嘆の感情が、はるか古代の知に対する驚愕の念を呼び起こしていること。和辻にあっては、哲学的な思考は何よりもまず、問題となる事柄の始原と原型を探り当てることを動機としていた、と著者は言います。

 

まず著者は、そんな和辻の哲学者としては珍しい自叙伝をたよりに軌跡を遡ります。和辻は、関西地方の小さな農村の医科に生まれた。と言うことは、農作業に直接かかわることはなく、といっても地主のような搾取する側にもなかったといっていい。和辻の父は医師として、医は仁術を実践するような人だったらしい。また、母親は、そのような職業事情から、農家のように農作業を手伝う必要もなく、地主のように奉公人を差配するというわけでもない、現在の専業主婦のような、当時としては珍しい存在のようだったという。著者は、和辻の家族論は、共同体論の基調からするとひどく異質なほどに近代家族像の影響が強いと指摘します。近代の成人女性は生産現場から排除され、家庭の中に収容されて「主婦」となっていく側面もありますが、和辻の家族論には、それだけに収斂しきれない二重性があると言います。家族は、二人共同体としての夫婦、三人共同体としての親子、あるいは兄弟姉妹などの各々の部分から構成されている。ここに、共同体の体系の一環で家族を見る姿勢が見られる。一方、これらが「家」という外から区切られた空間で、生活し、生命そのものを再生産する。この生命の再生産を共同するものが家族に他ならない。この空間の内部で生起するのが消費の、あるいは愛用の共同で、その共同の背後には、生産の共同の労働の共同がある。かつての農村共同体であれば、家政は生産と消費の両面でエコノミーの末端だった。和辻は、同じ竈で飯を食うことに家族の特徴を示している。というように伝統的なイエの姿を見ながらも、総体として近代的なものと言えた。そこに出ている屈折のひとつとして、主婦の問題の他に、マリノウスキーの性衝動の調査レポートの反映も指摘し、貞操の義務なども近代的なバックボーンによるものと著者は指摘しています。

和辻の家族論が、生家のあり方を負荷された思考であったと同じように、地縁共同体を巡る和辻倫理学の所論は、少年期の記憶と深く結びついていると著者は言います。和辻は地縁共同体を論じるに当たり、まず土地の意味から、論を起こします。ひとは家の外で労働すると同時に、隣と同じ道具によって労働を開始する。道具ばかりではない。耕作にとって不可欠な灌漑装置等の生産手段もまた、隣人たちと共用される。“ここに土地から見出される道具の社会性があり、そうしてその社会的な道具を見出す過程が「労働」なのである”この場である地縁共同体は、“文字通りに隣近所の共同存在、すなわち土地の共同としての共同存在”にあって、“土地の共同が同時に技術の共同や労働の共同を意味する”。ここで、エコノミーは家政から離れて人間存在の経済となります。また、このような共同体の歴史性について、ひとつの村の成員は、かつてはみななお幼い子供として隣の児の言葉や身振りをまねた。彼らは長じて遊び仲間となって、遊びの仕方を学び、そのことで共同体の生活での技術に習熟していく、このような子供から大人へのいとなみと、その背後にある蓄積され、また共有されたわざである、という彼の少年期の記憶と結び合っているが、彼自身は共有することはなかった。著者は、和辻は、かつての友とともに歳月を身に刻み込んだわけではないと言います。“今のこの村のかつての姿”を知ってはいても、かつての村の今の姿を和辻は知らない。そこで、和辻が倫理学構想において志向し、反復しようとした“始原的なるもの”は。たんに夢見られて、決して与えられることのなかった始原であって、それゆえにこそ痛切に求められたものだった、と一種の憧れのようなものと著者は指摘します。

 

和辻は東京大学に入学します。地方の農村から東京という都会に出てくるわけです。当時の大都会の風景に和辻は目を見張ったのでしょう。このような農村を後にして都会に学んだ知識人の思考が、和辻の人間存在の空間性を「交通」と「通信」という現象から解き明かそうとする思考の源になっていると言います。和辻によれば、交通機関は本質的に「道」、つまり、人々がその上を動いて互いに交わり結合するところ、です。交通は人間関係の空間的表現であり、交通の仕方の固定したものが道です。交通とは人間と人間とが関係しあう具体的な姿であり、その交通を可能にするのが主体的な意味での空間です。交通が作り出し、交通をつくりだし、交通によって維持されているのが道です。その道を人が移動し、行き交う。このような道は、さまざまな人間の交わりのなかで、歴史的につくられてきたものです。道の延長や広がりは人間同士、集落、共同体の関係の延長に重なります。そして、和辻は交通論の中で、大都会の四つ辻の光景に触れ、多様に分化を遂げた経済的組織の中で、忙しく立ち働く都会の人々の群れを、“人間関係の動的な構造”と表現します。それは、地方の寒村から上京した学生の見た光景だったと思われます。

 

和辻は大学卒業と時を同じくして、結婚し、東洋大学で講座を持ちます。当時『日本古代文化』を刊行します。これは、当時の考古学的な研究を踏まえながら、なお、古事記や日本書紀の記述に価値を見出したことで広く知られるものです。しかし、単純に日本回帰とも言い切れないと著者は言います。例えば、日本民族が混合民族であることを強調している点。また、倫理学体系との関連では、「清明なる心」が、上代人の価値意識から取り出されてくる論脈です。和辻は、神話を「自然児の神化」と捉えて、「道徳的評価においても自然の無条件的肯定が見られる」ことに注目していました。上代人たちは「善悪の彼岸」に存在していたと言います。キヨアカキ心への注目も自然児としての上代人を評価する文脈のうちにあったといいます。「清明心」は、『倫理学』の中では「信頼」論の文脈で援用され、さらに『尊皇思想とその伝統』にいたり、「全体性の権威」という視点と、「清明心」を強く結合して論じ、「私」を保つことは、その見通されない点においてすでに清澄でなく濁っており、従ってキタナキ心クラキ心に他ならないが、さらにはそれは全体性の権威に背くものとして、当人自身にも後ろ暗い、気の引ける、曇った心境とならざるを得ない。と言っています。これは信頼を重んじる和辻の基本的な倫理観が出ています。

 

1927年、博士論文を提出し、最初で最後の欧州留学に出発します。この果実が有名な『風土』としつ結実します。和辻は帰国後、「日本語における存在の理解」という論文を発表します。この中で、日本語は、たしかに分節能力に限界があるものの、かえって真実の存在の了解を保存するに適しているとも言います。「しる」とは、単に認識や知識と関係していたばかりでなく、「道」を知るという単に知的な問題だけではなくして実践と密接に結合したものとして実践哲学的に捉えられていた。さらに、「しる」はまた「いちじるしい」という意味をもつ「しるし」という形容詞とも関連し、存在の所有とも関連することが指摘される。「ものがある」ということは人間が有つのであるとして、「がある」や「である」は人間の存在に属し、「である」はその存在の仕方の限定を表現したものとして、「存在」という哲学一般の基礎的問題が、「所有」という論点に収斂していき、理論哲学の問いが、実践哲学なそれへ変容していくことになります。このように和辻倫理学は、単なる倫理学の体系から、近代日本における哲学体系となっていくのです。

京都帝大に招かれ、『人間の学としての倫理学』を発表します。第1章では人間観の変遷を追いかけますが、そこにマルクスの影響が見えています。和辻はマルクスの言を用いて、“孤立せる人などというものはどこにもない。人は常に社会的関係において有るのである。だから人の本質は社会的関係の総体に他ならない。”このように和辻はマルクスの唯物史観の根本テーゼは人間存在を人の意識の根底に考えであると見ます。この場合の人間存在とは、「間柄」であると著者は指摘します。つまり、和辻はマルクスの言う存在が、その実質においては関係であると見て、内容的には自らの言う「間柄」といっちするものだと考えていた。さらには、マルクスの説く自然のなかに風土を見ていた。

この後、倫理の意味を問います。この問いは言葉によって表現されます。言葉によって表現される限り、問われているのは共通化されています。言葉とは、歴史的・社会的な生の表現であり、客観的に存しているものです。そして、倫理の倫とは人間関係そのものであると同時に、その秩序、あり方のことで、これを倫理と置き換えても意味内容は変わらない。理とはことわりでありすじ道だからです。つまり、倫理とは人間関係であり、そのすじ道です。それでは人間とは、もとは世間のことで、人のあいだで、人間とは社会であると共にまた個人なのだといいます。そのように考えると「ひと」という言葉もヨーロッパとは別の含意がある。人間はひとりのひとであるとともに、ひととひととの関係であった。人間が一人である側面は人間の個人性といっていいし、人間が同時に人間関係であるという半面については、人間の世間性とよべる。人間関係はこの両性格の統一であり、行為的連関として共同態であり、しかも個人の行為として行われると言います。このような統一が倫理であるから、倫理学は人間存在の学であるということになります。さらに、和辻は人間存在の二重構造を規定しようとします。行為する個人は人間の全体性の否定として生起し、人間の全体性は個別性を否定しる動きです。このような二重の否定運動として、人間存在の根本構造は個と全の二重構造として解明されます。これに対して、個と個の間という図式が欠けているという根本的な批判があります。ここに和辻倫理学の社会性の欠如ともつながる側面があると著者は言います。また、和辻はさらに進めて、哲学的立場が表明され、言葉を書くのは共に生き、語る相手を待ってのもので、他者との関係を前提としている。学問も同様であり、問いは公共的な、人間の問いであると説く。つまり、問うことを共同のことへ収斂させて行こうとする。だから問うということは他者と共に問うことだ。そうであるにせよ、他者と私は、それぞれに身体を備えている。そこで隔てられている。身体を携えていることにおいても、人はなお人間であり。ひととひととは間身体的に存在し、関わり合い、他者との関係から、ことばもまた誕生する。日常の実践的な連関において意識するとは他者との関係からといえる。ひとは関係の中で、関係として存在している。他者との関係そのものが、私が私であることにとって不可避であって、私はつねに他者と関係している。このことこそが倫理の始原的意味である。この限りで、倫理学は第一哲学となるわけです。

 

満州事変を契機に日本は戦争に傾斜していくことになる。「現代日本と町人根性」を発表する。和辻は資本主義の精神はブルジョワ精神であり、まさしく町人根性であるといいます。そして、まず帝国主義国家による帝国主義的な戦争を人倫に悖るものという。そして、注目すべきことは、町人根性への批判は、『倫理学』における経済的組織論の根底に流れる発想と通底していることです。まず、和辻はマリノウスキーに依拠しながら西太平洋の人類学的観察から、次の点を指摘します。まず、未開民族において労働は価値を持っている。次に経済学の教科書が指摘するような原始的経済人を否定します。西太平洋の島民にとって労働は飢えのような直接の需要を満たすためではなく、非常に複雑な社会的・文化的動機によって労働するといいます。目指されているのは、利益ではなく、伝統的な部族の価値基準にしたがった価値付けなのだといいます。さらに、必要に駆られた物々交換という商業の始原も否定します。交換は部族間の交際のために行われるといいます。これに対して、近代以降の経済活動の目指すのは欲望を満足させるものの生産であり、人々がこの活動において取り結ぶ関係は生産のための手段に過ぎない。そこで、そもそも経済活動において結ばれる人間関係は、欲望を目的としたものではなく、人倫的組織としてそれ自身の意義を保っていた。それが欲望充足と人間関係の地位が逆転したのが近代なのだ。これはヨーロッパ近代における特殊な現象であって、まさに欲望の体系として人倫の喪失感に他ならないといいます。

 

スマートフォンはユーザーが自由を求めた結果として、台頭して来たものだと筆者は言う。これに対して、携帯電話は限られた条件の中で、どんな機能を盛り込めるかを携帯電話事業者が考え、混乱が起きないよう、端末や対応するサービスを設計、構築していく。いわば携帯電話事業者が絶対君主のような強権の下で複雑な進化の過程をとげ、これ以上成長することが難しくなっている。これに対してスマートフォンは、誰もが自由に振る舞うことができ、自由競争の下で淘汰され、優れたアプリケーションが生き残っていく。携帯電話のネットワークが有する限られた通信帯域をどのように使い、共有していくかは、ユーザー自身がアプリケーションを選択することで、決められていく。このようなアプリケーションの

自然淘汰の中で、存在感を強めているのがソーシャルメディアである。スマートネイティブたちは、常にスマートフォンを携帯し、ソーシャルメディアの中にあらゆる情報を放り込み、そのままソーシャルメディアを通じて自分たちの情報をやり取りする。このようなスマートフォンとソーシャルメディアの組み合わせを中心にデジタル世界に接続しているユーザーたちは、すでにインターネットの存在を無視し始めるという、大きな世代的変化が起こり始めている。

 
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