大塚英志「アトムの命題
 手塚治虫と戦後まんがの主題」
 

1章 映像的手法という神話

第2章 まんが記号説はいかにして生まれてきたか

第3章 ミッキーマウスに撃たれた少年

第4章 占領下のまんがと肉体を持った記号たち

第5章 日米講和と大人になれないアトムたち

感想

 

1章 映像的手法という神話

手塚治虫のまんが表現の起源は、通常、昭和22年に刊行された『新宝島』とされている。そして、この『新宝島』が戦後まんがの出発点とされてきた。それは、一つには、40万部から80万部を売ったと言われ、その商業的成功が「赤本」を中心とした戦後で最初のまんが出版ブームを作ったとされてきたこと、もう一つは手塚治虫の影響下に出てきた藤子不二雄や石森章太郎といったトキワ荘グループのまんが家たちによる神話化によるとろだ、と著者は指摘する。

トキワ荘グループのまんが家たちは昭和40年代以降、まんが家としての地位が確立し、自己のまんがの方法論を理論化しようと試みた時、それと同時に自身のまんが体験を回想した文脈の中で『新宝島』体験がいささか特権的に語られていた。そこで語られていたのは、手塚まんがの革新性を「映像的手法」に見出し、その上で戦後まんがの方法を『新宝島』に見出そうという歴史観に他ならない。つまり、戦後のまんが史及び戦後まんがの方法論は『新宝島』を起源とする映像的手法によって開拓されてきたことが定説であり、そういった「方法」における起源が手塚治虫を「まんがの神様」の地位に押し上げてきたとも言える。

その「映像的手法」とは、具体的に言うと、“映画のカメラ・ワークを意識して画面を構成していることがあげられる。そして、コマ運びが映画的に進行するのである。『新宝島』以前のまんがは、どちらかというと、コマとコマとの間に断絶があり、一つのコマで多くを説明しようとしていたのである。ついでながら、コマというのは映画用語であり、映画の一コマは、意味を成していない場合もありうる。つまり、いくつかのコマが集まって、一つのシーンとなり、シークエンスへとつながっていくのである。一コマで意味を持っているものは、映画というより写真であり、それが映画としての価値を発揮するのは、各ショットの積み重ねにより、観客を一定の方向に引っ張っていけるからである。まんがにも同じことが言える。『新宝島』の一コマは、絵としてなっていない場合がたくさんある。しかし、ストーリーまんがとして、作品全体をながめたとき、その一コマは、実に効果的であり、妥当性を持ってくるのである。ここのところが、これまでのまんがの観念とは、大きく違っている点である。だから、一枚の絵としての構図や、デッサン力といったものより、『新宝島』では、全体の構成が大きくものをいっていて、それが映画的なプロットとなって表現されている。”これを見た当時の読者の一人であったトキワ荘グループのあるまんが家は、静止しているまんがが動いて見えたと述懐するのだ。

ところで、興味深いことに、手塚自身は映像的手法について語っていないということだ。つまり、「映像的手法」という言い回しで手塚まんがの方法を語る言説としては後付だった。トキワ荘グループによって読者に対して論理的に言語化され、戦後まんがの方法として認知されていったものだ。

これらのことから、次のようなことが仮説的に考えられる。一つ目は、手塚治虫にとって映像的手法とは、必ずしも自身のまんが技術にとって中心的にものとして自覚されていなかったのではないかということ。二つ目は、手塚はそもそも自身の方法を体系化する論理性を持たず、手塚的方法のうち映像的手法に関する体系化は昭和40年代に石森、藤子といったトキワ荘グループの人々によって、むしろなされたのではないかということ。三つ目は、それらの方法の体系化、言語化の過程においてこそ、戦後まんがの起源としての『新宝島』が再発見されたのではないかということ。手塚自身、後のリメイク版の後書で『新宝島』の神話化に水を差す発言をしている。また、トキワ荘グループと同世代の人の中でも、『新宝島』体験を絵のバタくささに見出したとい回想している人もいたことから、『新宝島』体験が全ての読者にとって映像的手法の体験ではなかったことを示す一例といえる。

ここで、著者は映像的手法以上に手塚まんがの本質を規定するものとして、まんが記号説を提出する。ここでは、その前段階として、手塚の絵のデフォルメについて考察している。デフォルメとは描写の対象の特徴を誇張して表現する画家技術で、一部では手塚まんがの本質的な手法だとされてきた。しかし、例えば『新宝島』に登場するジャングルや海賊かちは、ジャングルや海賊をデッサンしてデフォルメしたものとは全く異なる絵として、ジャングルや海賊は、それらしく描かれている。それは、まんがという表現の中のジャングルや海賊という類型的なイメージにいかに正確に対応する類型的な図像を持ち出してくるということだ。そして、手塚はそういう技術に秀でていた。だから手塚にとって、デッサンとは対象を正しく写実する方法ではなく、描かれた絵、それ自体のバランスにすぎない。

 

第2章 まんが記号説はいかにして生まれてきたか

自らの絵をデッサンに基づく美術的な絵とは全く異質の、「写実」とは一切関係のないもので、まんが表現における絵を、たまたまお話をつくる道具としての絵らしきものとする「まんが記号説」の基本となる考えが手塚の中で成立したのは昭和40年代前半ごろのことだろう、と著者は推定する。ちょうどこの時期は、トキワ荘グループによって手塚まんがの方法が映像的手法として論理化されていった時期である。しかし、手塚は自身の創作方法を全くの別の側面から論理化していたのだ。手塚は、昭和44年にまんが入門書『まんが専科初級編』を刊行する。そこでは、当時の人気コミックのキャラクターたちを絵柄の構成要素に分解し、分類している。それは、「まずじぶんの画風をかためよう」という内容の作画上のオリジナリティのあり方についての解説の中で行われている。ここで、まんが家の画風を構成要素に還元し、個性とは構成要素の順列組合せにすぎないとするこの手塚の考えは、ギャルゲーのキャラクター萌え要素のデータベースからの順列組み合わせとみなす東浩紀のいわゆるデータベース論を連想させるが、そもそもギャルゲー的な萌えキャラクターがそのように作られてしまうのはポストモダンや動物化の所産ではなく、手塚的な方法の延長に無自覚にそれらの表現があるからであるといえる。構成要素に還元され易いものとしてまんが的な記号はあらかじめ、戦後まんが史の中に自覚的に用意されていたのであり、ギャルゲーのキャラクター表現の中に突然、現われた考え方ではない。このような順列組み合わせによってまんがの絵を規定する考え方は、別の部分で表情集をつくっていることにも窺い知れる。「驚くと目がまるくなる」「怒ると必ず目のところにシワが寄る」というような説明とともに、キャラクターの感情に応じての表情の「記号」のバリエーションが例示されている。さらに、こういった画風を構成する諸要素や表情のバリエーションに加え、「見えない線」を描写する「約束事」としての記号を習得すればまんがは描けると言い切っている。このように、手塚はまんが表現における絵画的側面をあらゆる水準でそれを構成する記号の諸要素に還元しようとしたのであった。

それでは、このような「記号」や「類型」に自身の表現方法を見出す視座はいかにして生まれたのか。手塚は、「まんが記号説」に基づき自らを近代まんが史の中に位置づけようとしていた形跡もある。手塚は戦後の第一期の漫画を漫画のルネサンスと考えていた。戦後の第一期の漫画とは、当然、彼自身のことを示すと思われる。つまり、戦後処理の時代、すなわち占領下のまんが史を手塚が重視していたことが窺い知れる。この点について手塚は明瞭な歴史観を持っていたことは推察できる。手塚は、昭和63年のインタビューで、自らまんが体験を北沢楽天と岡本一平から語り始める。そこで、手塚はまず、自身がいかに戦前の日本で流通していたまんがの技術の影響下にあるかという視点であった。明治期に流入したカトゥーンの影響下にある楽天と絵画的な素養に裏打ちされた一平の絵を峻別するとともに、類型化された人間をその属性を直截に語る名とともにキャラクター化されている楽天の性格の描き分けに影響をうけたと、手塚は自己言及する。ここで語られているのは「まんが記号説」に基づく楽天論であることは言うまでもない。楽天のまんが表現に手塚は自身の起源としての記号性を見出しているのだ。まんがにおける表現上の「記号」をパーツに還元して解釈していく批評は夏目房之介らによって試みられているが、手塚にとってまんが表現とは人間像そのものが類型化してまず認識され、その上で類型を表象するにふさわしい「記号」が動員されるジャンルであることが分かる。まず人間像そのものを「記号」「類型」として把握する視線がまんが記号説の根本にあるのだ。重要なのは手塚がそのことに自覚的であった、ということである。人間像の類型化は否応なく、その時々の表現者や受け手に内在する偏見を無自覚的に反映する。現在、我々が目にするメディアも例外ではない。しかし、そのことに自覚的なメディアの送り手は少ない。手塚はそのことに徹底して自己言及しており、それを自身の方法として積極的に位置づけようとする。そう考えた時、手塚が楽天らについて一通り言及した後で「ぼくの漫画には、昭和の初めからの一種の漫画史の影響が全部あるんですよ。手塚漫画は昭和の漫画史のカリカチュアライズしたものといってもいい」と語っているのは重要である。それはただ自身の表現が近代まんが史の強い影響下にある歴史的所産であるということだけでなく、まんがというカリカチュアライズされた、つまり「記号」化された表現を更にカリカチュアライズしたもの、言い方を換えれば、近代のまんが表現に蓄積された「記号」を手塚まんがはデータベース的に集積したものだと手塚によって自覚されていたことが理解できる。手塚はいわば私自身がまんが史だと語っているのであり、これは実に強烈な自負である。

実際、終戦直後の子供たちにとって未知のものであった戦前のまんが表現の多くを継承し、それを動員して表現したことが手塚の「新しさ」の一面であった。その意味でも、手塚自身が戦前のまんが史そのもののカリカチュアライズであったとする手塚の自己規定は興味深い。インタビューの、このような文脈の中で、手塚は田河水泡の『のらくろ』に言及し、田河の絵の個性をパターン化に見出す。例えば、歩く人がどう歩いたかを示すのに、足跡の代わりに土煙を並べるという方法を採用し、それが、田河の独特のフォルム化されて、初めて見る人は何だろうと思うくらい極端にデフォルメされたと指摘する。ここで手塚の言う「デフォルメ」は、表現する対象の特徴を誇張し、よりそれらしく見せるという「デフォルメ」ではなく、土煙を表現する記号が、しかし、指示対象の土煙を読者にもはや想像させないほどに独特のフォルム化されていることに田河の「デフォルメ」の個性を見るのである。ここで手塚の言う「デフォルメ」はリアリズムか切断されている状態をさす。手塚にとって田河しはこういった記号の発明者として何より評価される。

しかし、田河の『のらくろ』は次第に変容していくことを手塚は指摘する。当初、輪郭部だけで構成された絵に影を入れだし、リアリズムに接近していく。これは戦時下に描かれた『のらくろ』に見られる傾向だと、手塚は言う。前後になると、変化は決定的になる。リアリズムはのらくろにまで及び、「人間がのらくろの皮を被っているような骨組み」という指摘は、本来写実から切り離された記号としてあったはずの田河の作風にリアリズムが導入され、それがキャラクターの表現にまで及んでしまったことの破綻を指摘している。そして、このような手塚の指摘は、戦時下から終戦直後にかけての手塚の中に生じた決定的な変化でもあった。と著者は指摘している。

 

第3章 ミッキーマウスに撃たれた少年

手塚の「まんが記号説」について現状のまんが研究における研究を整理してみると、まんが表現における絵画的側面が一定量の類型化された記号の集積である、という手塚の自己規定は、主として夏目房之介によって緻密な検証がなされている。勿論、手塚が用いたまんが表現の記号そのものは、必ずしも手塚の創意ではないことは田河の記号へのフェティッシュな言及や手塚が自身の表現を昭和まんが史のカリカチュアライズとして見ていることでも明らかだ。それらは戦前、戦時下に彼が先行する世代のまんが家たちから継承した技術であり、それ自体はある意味で手塚まんがの保守性をも意味する、それでは手塚まんがの記号的表現の新しさはどこにあったのか。夏目房之介によれば、手塚はそれ以前に存在した古典的な記号を微分化していくことで心理や感情表現をより豊かにしていったという。手塚はのらくろやディズニー的なキャラクターにより複雑な心理や感情を与えようとしたのである。

著者は、ここに手塚まんがの、そして、彼の方法に根源的に呪縛されている戦後まんがの本質的な困難さがあることを指摘する。つまり、手塚まんがの新しさがその感情表現の微分化にあったとすれば、しかし、問題はそれを記号的表現という古典的な手法の修正において行おうとした点にある。古典的まんが表現が記号的であるのは、そこで修正されるものがユーモアやナンセンス、スラップスティックといった主として喜劇的な方向に収斂していくからである。そこで必要とされる感情や心理は、主として外からの刺激に対する反応としてのそれであり、だからこそそれを表層的な記号として類型化することが可能だった。キャラクターとは内面を表層にまとう記号によって類型化された存在である。こういった古典的まんがにおけるキャラクターの表現のあり方について、著者はスイスの昔話研究者マックス・リッティがメルヒェンの特性として指摘した「平面性」という概念を援用する。すなわち、リッティは、メルヒェン抽象的様式に基づく文芸と規定する。そこでは人物の内面や人格といった心の領域における「奥行」は語られず、ただ線的な物語の進行の中でキャラクターは「極端な」美しさや悪を体現する存在として描かれる。リッティは、このようなメルヒェンの登場人物はその内面においても身体においてもあたかも紙に書かれた存在のように「平面的」である、としたのである。このような、内面においても身体においても「奥行き」を持たない、というメルヒェンにおけるキャラクターの本質的なあり方はそのまま手塚以前の古典的まんが表現におけるキャラクターの「記号性」に正確に当てはまる。当然、このような「平面性」は手塚まんがの中にもはっきりと見て取れるのだ。古典的まんがのキャラクターは、内面においても身体においても本来、傷付かない存在なのである。このように手塚の言うまんが表現の「記号性」とは、古典的まんが表現の「平面性」と密接に結びついているのである。

夏目は、さらに手塚の作品が、他の作者の手によるものよりも、主として汗や涙の使用頻度が極めて高く、しかも、年代が後になるにつれて、増加していく傾向が瞭然としているとする。夏目は、このことは手塚が自らのまんがに悲劇を持ち込もうとし、その傾向が後の作品になるにつれてはっきりしてくるためである、と解釈する。古典的では物語基調であった喜劇性が手塚まんがでは悲劇性にとって代わった、という仮説であり、そのことが汗や涙といった記号を駆使した表現の増加となって表れている、というわけだ。夏目がいうように、手塚が悲劇的要素の強い物語を書くことが結果として記号的表現の微分化を促したとしても、それではそもそも手塚に本来、古典的まんがの範疇以外の事を語らしめようとした動機は一体何なのか。そのためには、手塚まんがにおける記号的表現の受容と変容の過程を追う必要があり、その時注目すべきは『新宝島』以前に書かれた習作群であると著者は言う。

この時期の作品は、習作ということもあり、公開されているものは少ない。この中で著者は、とりわけ、『勝利の日まで』に注目する。『勝利の日まで』は無地の大学ノートに描かれ、数編のショートストーリーから成るオムニバス形式で、昭和12年ごろの戦意高揚まんがによく見られた構成だった。ここには、戦前に手塚が体験したまんがのキャラクターが総出演している。その顔ぶれを見ると、大正末から終戦直後までのまんがが網羅されていて、手塚のまんが体験が昭和まんがのカリカチュアライズであるという自負が決して大袈裟でないことが窺える。ここでは、記号的表現、ないしはリアリズムのあり方に照らし合わせた時、三種類の水準から成り立っていると、著者は言う。第一の水準は、田河ら戦前のまんがの中に手塚が見出してきた古典的な記号的キャラクターの作画方法。第二は、ひれとは対極にある精密なリアリズム。そして第三は、その矛盾する二つの手法を統合した特異な水準。この三つの異なる手法が、『勝利の日まで』には共存している。第一の水準では、あらゆる戦前、戦時下のキャラクターたちが登場する。彼らの登場する場面では、コマ運びも会話も古典的まんがの文法に従っている。これらのキャラクターたちは、実は決まった行動以外取り得ない存在であり、まんが記号説を前提とすれば、これらのキャラクターの表情だけでなく動きまでも、あらかじめ一定量の類型化された記号の集積として定められた枠内に収まらざるを得ない。これらのキャラクターが空襲という事態に対して、ただ類型的な対応をすることによってしか行動できないのは、彼らがまんがのキャラクターである以上、当然のことである。しかし、ここで特徴的なのは、星や汗、煙などのようなまんがの約束事の記号が多用されている点だ。先ほどの夏目の指摘もあるが、この『勝利の日まで』は悲劇的な作品ではない。したがって、記号の多用という事実をもって、手塚におけるストーリーまんがの導入とは、必ずしも関連があるとは言えない。とは言え、ここで手塚は記号を多く描くことに強い関心を示していたことは事実である。それが悲劇の導入には還元できない、より根源的な体験が齎したものであると著者は指摘する。多用される記号は、汗や驚きといった焦りや驚きといった感情の動きをしめすもので、動きを示す斜線も多く使用されている。これは、作中で空爆や空襲警報といった戦時下に否応なく置かれたキャラクターが描かれるからであると、著者は言う。動員された戦前のキャラクターは彼らが決して作中で体験してこなかった、いわばキャラクターとしての約束事の動きの範疇の枠外にある動きを作中の空襲によって強いられているのである。にも拘らず、かれらの動きも表情も既に記号化された約束事の中を決して逸脱できない。だからこそそれが感情や動きを示す記号の過剰につながっている。このように、キャラクターたちに約束事との軋轢を強いたものこそ、戦争であると著者は指摘する。手塚少年は戦前のまんがの記号をあらゆる水準で動員しながら、同時にその限界を実感していたはずであり、それが感情や動きをめぐる記号の多用となって表れている。こういった記号が用いられていないのは、日常がかろうじて維持されている場面と空爆される街や米軍機の描写で、とくに後者では平板な画面ではなく奥行きが与えられ、濃淡のある写実的な画風でえがかれ、まんが的な日常性の中に止まり得なくなっているために用いられた著者は指摘する。これらこそが、第二の水準である徹底した写実主義である。そして『勝利の日まで』の奇妙さとは、登場するキャラクターも風景も日常を構成する品々もすべてが旧来のまんが技法に忠実に記号的に表現されながら、ただ空爆する戦闘機とそれが描かれるコマだけが不気味なまでに写実的であり、かつ映画的なアングルで描かれている点にある。後半に行くに従って、日本のキャラクターたちはリアリズムの侵入に圧倒されていく。定められた記号の世界の中で安穏としていたキャラクターは、しかし米軍機という無機質な金属の塊の出現に対してただお約束の行動をとることしかできない。いわばリアリズムによって描かれた戦闘機は、古典まんが世界を根底から脅かす現実から侵入したものだと言える。そこには実際に空爆される側にあった手塚の体験が反映しており、自身を空爆する米軍機は当然のことながら記号や約束事によって、まんが的に表現のしようがないほどに現実的であったと言える。手塚は単に現実的なリアリズムで戦闘機という「モノ」を描写したのではなく、その向こうにある圧倒的な現実を描写してしまったのである。戦時下のまんがの中でも、代表的なものとして夢オチのような手法により、科学的なリアリズムと記号的な非リアリズムの棲み分けをさせている。手塚もまた夢による棲み分けを『勝利の日まで』で試みたが、同時に作中に侵入したリアリズムはそのような棲み分けを不可能にしていった。リアリズムによって描かれる戦闘機は平面的な世界の外部から現われ、まさに古典的まんが表現の記号的世界を破綻させてしまう存在であった。手塚は平面的なまんがのキャラクターと自分を同一化することで、まんがの記号的なキャラクターがその心においても身体においても傷つく生身の存在であるという新しい側面を発見してしまうことになる。

こういった手塚の発見は『勝利の日まで』における第三の技法、第三の文体として最終的に現われる。それは、次のような下りにおいて、まさに発見され、あるいは発生するのである。トン吉くんと名付けられた少年が空襲に遭い、地価の防空壕に避難している。彼は迫り来る戦闘機の爆音から「一体何機編隊か当ててみよ」という教師の質問に対し、「見た方が早いや」と防空壕の外に身を乗り出す。そして、彼方から飛来するB29の数を数える。B29はやがて、彼の頭上に来る。この数コマで特筆すべきなのは、記号的な作画技術で描かれた少年とリアリズムで描かれた戦闘機が同一のコマの中に描かれる、つまり、記号的な世界に現実が侵入してきたことにある。それは夢であることに担保された世界でリアルな戦闘機による空中戦が繰り広げられるのとは全く異質の事態だ。B29は彼の上めがけて爆弾を落とす。この下からB29を見上げるシーンは、手塚の体験に基づくリアリズムであり、戦前のまんがからの単なる引用に止まらないことに留意すべきだ。また、映像的手法を構成する一要素である遠近法が一連の空爆シーンで用いられているにも注意を喚起したい。手塚の映像的手法はただアニメーション的手法や、手塚以前にこの手法をまんがに導入していた何人かのまんが家たちからの引用ということにとどまらず、記号的非リアリズム表現が、それを超えるものを表現することを求められたとき、手塚の中で発生したのだと言える。『勝利の日まで』の直前に描かれた別の習作では、ストーリーまんがでありながら、このような遠近法的構図はほとんど用いられていない。つまり、ストーリーまんがと映像的手法とは実は異なるきっかけで手塚の中で発生しているのである。手塚まんがにおける技術革新は手塚が戦後まんがに導入したドラマツルギーとの関わりの中で論じられ、時に手塚さえもそのように自己言及してきたが、それは必ずしも正しくないのである。再び、このシークエンスに戻る。次のコマで爆発が起き少年は飛ばされるが無傷であり、「先生、今のは何キロ爆弾です」と、先生のセリフをふまえたギャグを口にさえする。衝撃を表わす星や、気が遠くなったことを示す渦巻といった約束事の記号が描かれている。この時点ではトン吉くんが受けた身体的ダメージはまんが表現の約束事の記号の中に回収することが可能である。リュティ的に形容すれば、トン吉くんは平面的で、傷付く身体を未だ持ってはいない。だが、防空壕の外に放り出された彼を、今度はグラマンの機銃掃射が襲う。グラマンは頭上から二度にわたって彼に迫る。トン吉くんは必死の形相で逃げる。注意すべきは、このくだりにおいて、対象物との遠近をまんがの構図の中に取り入れ、左右へのキャラクターの平板な移動ではなく、画面の奥から手前(あるいはその逆)に激しく移動させ、かつ、逃げまどうトン吉くんの数コマの中に一コマだけ機銃を発射するミッキーマウスのショットが挿入されるという、手塚の映像的手法がほぼ完成された形で突然、出現する点である。こまシークエンスこそが手塚まんがにおける映像的手法の発生の瞬間である。決して映像的手法はストーリーまんがの副産物ではないのだ。しかし、この『勝利の日まで』において、手塚が戦後まんがに持ち込む手法が発生するに至ったのは実は映像的手法と止まらない。映像的手法も、リアリズムと記号まんがの非表現の拮抗の上ら成立したものだが、記号的まんが表現は更に決定的な変化を遂げるのである。グラマンの機銃掃射を受けたトン吉くんは力尽き転倒し、そして十字砲火に襲われる。そして、次のコマで「アッ」と仰け反り、胸許を押さえるトン吉くんが描かれる。その胸許からは三筋の血が流れ落ちているのだ。こコマは極めて重要である。つまり、手塚はここで記号の集積に過ぎない、非リアリズム的手法で描かれたキャラクターに、撃たれれば血を流す肉体を与えているのである。著者は、この一コマに手塚まんがの、そして戦後まんがの発生の瞬間を見る。のらくろ的な、ミッキーマウス的な非リアリズムで描かれたキャラクターに、リアルに傷つき、死にゆく身体を与えた瞬間、手塚のまんがは、戦前・戦時下のまんがから決定的な変容を遂げたのである。

手塚がそれまで暮らしていた古典的なまんが世界を現実が外部から脅かした。ここでいう現実とは、戦争それ自体に留まるものではない。人間存在を圧倒的に超越してしまう不条理な何ものかであり、リアルに描写された戦闘機はその象徴に過ぎない。ただ、精緻で正確であることがリアリズムではないのである。その意味ではラストのむしろ淡々と落下する焼夷弾の方が手塚が直面した不条理さを正確に表現さえしている印象がある。人が死にゆく存在であるという発見は、手塚少年をもはや戦前、戦時下のまんが技法がカリカチュアライズされた世界に留まることを許さなかった。そのような不条理さに直面することで、「爆弾を落とされても顔が煤だらけ」になるだけの従来のまんが記号は限界を顕にする。つまり、圧倒的な不条理や暴力を作品世界に導入することによってキャラクターは、その不条理さを感じる心と、現実の前に無残に傷つき死んでいく生身の身体の二つを獲得してしまったのだと言える。多用された感情を示す記号は、キャラクターが心を獲得するためにもがいている姿にさえ思える。無論『勝利の日まで』の中では心のあり方は具体的には描かれない。それは戦後まんがを待たなくてはならないものだからだ。しかし、死にゆく身体を獲得したキャラクターは死という現実と直面する自我を持たざるを得ないのである。そのようにして、手塚は戦後まんが史へと踏み出していったのだと言える。このように記号的表現では描き得ない身体や自我を発見してしまった時、しかし、手塚はまんがという技法を放棄することは選択しなかった。あくまでも記号的なまんがを基調としながら、しかもそれによってリアリズムでなければ本来描き得ないものを描こうとし始めるのである。手塚が習作版『ロストワールド』の冒頭に、「これは漫画に非ず、小説に非ず」と記したことは有名だが、それは、まんがという形式で、まんがが描き得ないものを描こうとした手塚の自覚の表れである。この漫画では描き得ないものは決してストーリーや悲劇を直接は意味しない。むしろ、戦争体験を経て手塚の中に発生した強烈なリアリズムへの志向なのだと言える。ストーリーや悲劇は、その結果として選び取られていった方法だとさえ言える。夏目が指摘したように手塚治虫はリアリズムを表現する具体的な手段としては、彼が限界を感じたはずの古典まんが表現における記号をより細かに組み合わせ、修正することで、表現の幅を増やすことに求めた。また、映画的な構図やカット割りも、記号的な表現の限界を補う意味で戦後まんがに持ち込まれることになった。『新宝島』の冒頭の映像的手法は、そのような意味で、戦前と戦時下を経た歴史的所産なのである。

しかしそのことによって、手塚まんがの根本的な矛盾は戦後まんがに持ち込まれることになる。本来平面的でも、心も身体も奥行きも持たない。だからこそ、記号、符牒で充分であったキャラクター表現を用いて、本質的にはその技法では表現できないものを手塚は表現しようとしてしまったのである。戦後まんがが手塚以降諸外国のまんがと比して特殊な発展を遂げるのは、手塚がまんがに、表現すべきものとしてリアリズム的な心と身体を持ち込んだからである。しかも、本来それを語ることが不可能な記号的表現によってこれを追求するという根源的な困難さとともにである。その戦後まんがの始まりにおける決定的な矛盾が、そのまま、戦後まんがの表現技法を進化させる原動力にもなり、同時に、戦後まんがの主題そのものにもなっていくのである。

 

第4章 占領下のまんがと肉体を持った記号たち

手塚は昭和21年1月から73回にわたって連載された新聞四コマ『マアチャンの日記帳』でデビューする。手塚は、この作品の中で何度かタッチを変化させている。この時期の手塚が、映像的手法よりも絵そのものに試行錯誤の強い意志を持っていた。この時期の意識は、画風に向けられていた。戦後は手塚の持っていたディズニー的素養が一気に解放され、それが新しさとして受け入れられる基調になった。では、手塚はディズニーをどのように受容していったのか。戦後という時代は手塚がディズニーを受容する時期としてひとまず理解していい。しかし、その受容もまた屈託に満ちたものであった。何故なら手塚にとってディズニーの受容とはアメリカニズムの受容であり、占領軍文化の受容であったからだ。手塚は戦後のディズニーマンガの洪水をアメリカン・デモクラシーの先例と表裏一体の現象として受け止める。そして、アメリカ国民としてのディズニーを発見せざるを得なくなる。ディズニー的表現とは占領軍的な視線と表裏一体であることを手塚は感じ取っていた。こういったディズニーてきなものへの飢えと、まんがが否応なくプロパガンダのメディアであることの双方の葛藤の中で、手塚はディズニーを受容していったのである。

『マアチャンの日記帳』のキャラクターはそれ以前の手塚の習作と比して、等身が短くなり、タッチにも試行錯誤が為されている。すると、当時の手塚がノートに記した新しい画風への自負とは、実はディズニー的なアメリカまんがの記号の導入ということを結果として意味することになる。ディズニーにおける占領軍的なものへの反発とは裏腹に絵におけるディズニー的なものの受容が徹底していたことが『マアチャンの日記帳』からは窺える。このように『勝利の日まで』でディズニー的ぬいぐるみ表現から一歩逸脱した手塚は、商業的まんが家としてデビューする際に、ディズニー的なものを再度、意図的に受容した印象があると著者は言う。その後の『新宝島』冒頭のピートくんは、『マアチャンの日記帳』によって手塚が受容し直したディズニー的な記号が集約されたと言っていい。これは手塚の急速なディズニー的なものの受容の産物であると言え、冒頭のピート君の等身は動きを表現するのに都合のいいフォルムになっている。ここで、手塚は『新宝島』の定説である映像的手法について、映画から受容したことを自ら語っている。それによれば、映画から自身が映画からまんが表現に取り込んだものの一つには、俯瞰で群衆が配置されたスペクタル的な画面、もう一つは喜劇映画の人物の動きとリズムである、ということだ。『新宝島』では『勝利の日まで』で、一瞬表現された生身の身体性は、一度忘れ去られたように、過度にディズニー的、アメリカ的に揺れ戻しが起こる。手塚まんがとしては、このようなディスニー的なものの直接的な受容がキャラクターのあまりも身もふたもない類型性を含めて全体を規定してしまっている。

このようなディズニー的なものの受容が手塚の中で再構築されていくのが『魔法屋敷』という作品であると著者は指摘する。ヒゲオヤジ演じるゲタ博士の許に魔法屋敷なる魔王率いる魔物たちから魔法と科学ではどちらが優れているかの勝負をいどまれるという作品である。魔法の側のキャラクターはアメリカンコミック風の魔王で、魔物たちは「タマシーゲン破壊液」を浴びると死んでしまう。それは、相手が魔物ながらキャラクターに致命的に死を与える点で興味深い。象徴的なのは、魔女の火責めにあって魔法サイドのタヌキ火傷を負い、治療を受ける件で、ここで描かれるのは記号としての包帯ではなく、そこには肉体があることが窺える。キャラクターこそ記号的な約束事に従っているが、主人公の以下のようなセリフはこの死体のあるリアリズム的な世界像であることを示している。このような死体のある風景はディズニー的な非リアリズムでは不可能な表現である。物語は、最終的に科学の勝利の終わり、この物語そのものが実は、まんがの中の話であったという夢オチに似たオチで終わる。しかし、科学とファンタジーの直接的なぶつかりあいと軋轢が何より作品そのものの主題となっている点でユニークな作品になっている。このように、『魔法屋敷』は、手塚まんがが戦時下的ファンタジーとディズニー的ファンタジーの双方と決別し、新しい領域に踏み出していく意思表示ともとれる作品になっている。

この『魔法屋敷』と同日に刊行された『地底国の怪人』では、うさぎの耳男が登場する。まるでディズニーのアニメの動物のように人間臭い動きをするが、このディズニー的な二本足で人の言葉を話すキャラクターを手塚は科学によって作品世界に誕生させる。戦時下のまんがに求められた科学的リアリズムが写生的な精密画としてでなく、まんが的虚構が科学主義的に再定義していく形で手塚まんがが勝利したといえる。しかも、手塚はウサギの耳男に内面を与えている。つまり傷つく心が芽生えているのである。それが、耳男の犠牲的な献身にドラマとしてつながっていく。『勝利の日まで』で手塚が描いた、記号的表現によって描かれながら死にゆく身体を持ったキャラクターはこのように耳男として手塚まんがの中に明確な輪郭を結ぶのである。この耳男は『ロストワールド』のミイちゃんとして再登場する。ミイちゃんは心を与えられたが故に、ミッキーたちには決して訪れない死を繰り返し体験しなくてはならない。

 

第5章 日米講和と大人になれないアトムたち

手塚治虫の記号的表現は本来が非リアリズム的な表現手段であったディズニー的まんが表現の枠組みを大きく逸脱し、キャラクターたちに死にゆく身体、そして性的な身体を与えた。それはデッサンを基本とするリアリズム表現とは全く異質のリアリズム表現を手塚まんがの中に発生させることになる。著者は、『新宝島』において手塚の描くターザンを酒井七馬が書き直したエピソードについて、手塚が再構築しようとしていたまんが的な記号にリアルな裸体を描く記号がなかったからであって、手塚自身のデッサン力の問題とは必ずしも一致しないという。

手塚もまた『勝利の日まで』でほとんど奇跡のように萌芽した、記号的表現によるリアリズムという手法を意図的に用いだす『地底国の怪人』などの作品以前には、リアリズム的手法で身体性を表現しようと試行錯誤していた時期がある、例えば『幽霊男』などに手塚の写実的リアリズムキャラクターが見出される。『幽霊男』では人造人間という手塚が生涯追いかけることになるモチーフが現れる。手塚は『勝利の日まで』で、まんが的記号からなる人工的表現のキャラクターに死にゆく身体や心といった人間性を与えてしまっていた。そういった方法上の発見と生命の領域に科学が介入することの是非という手塚によって生涯意識された主題が発生している。手塚的主題は常に方法の進化と対になって発生している。人工的なキャラクターに声明を吹き込みたいという衝動は、記号的表現のキャラクターに身体や心を与える手塚まんがの方法、人工物に生命を与えよえとする科学者の欲望という手塚まんがの根幹を貫くモチーフとして多方面から手塚治虫の表現を規定している。『幽霊男』に出て来る人造人間は、ただ人造物が物理的に動き出すだけではなく、生命を得たということはモノゴコロがつくことに繋がる。モノゴコロのついた人造人間は生みの親である学者の行動を懐疑し、そこに自我の芽生えが見られる。つまり、生命を吹き込まれることはモノゴコロつまり自我を獲得することに繋がる。もう一人、学者の愛妾として作られたコプラ姫という人造人間には絵におけるリアリズム的表現が見られる。人工的な身体、記号的な身体が生命を与えられ、心を持つことは性を持つことでもある。手塚は自身の欲望として人工的身体・記号的身体に性を与えようとした学者の欲望を初期作品で繰り返し描いている。自身の肉体をミッキーに銃撃される少年を記号的キャラクターとして描くことで発見した手塚少年は、しかし、女性の身体性をこの時点では記号の中に落とし込めていないのである。手塚は自身が用いる記号は表現される対象を写実するものではないと主張してきたが、しかし少女のキャラクターに関して言えば、記号的な少女の起源にこの写実的に描かれたコプラ姫が存在するのである。とは言え、コプラ姫の性は無論、直接的に描かれるのではない。そして、何より彼女もまた心を持った存在であるという点で、手塚的主題に忠実である。『幽霊男』では、心がキーワードになっていて、心が自我である以上、そこには互いに理解し得ない他者が成立する。ここでは心があるから故のディスコミュニケーションという大きな葛藤が潜んでいる。

手塚は、この後、数度書き直される『ロストワールド』や『メトロポリス』、『ジャングル大帝』と書き進めて行くうちに、ディズニー的な外観のキャラクターであっても、死を意識した主体を持ち、血を肉といった生身を備えた人物たちというミッキーマウスから遠く離れたところに来しまったのだ。

昭和26年『アトム大使』の連載が始まる。この時代は、戦後の単独講和から日米同盟と進んでいく、一方で、朝鮮戦争に象徴的な東西対立が進む時代である。アトムはそのような歴史下で五百万ダインの力を持ちながら敵とその力で戦うので゛はなく平和の使節としての役割を担わされる。正義のヒーローとして悪と戦うアトムという後年のパブリックイメージ゛とは異質のアトムがそこにいる。手塚は、敵を悪人ではなく登場人物たちの鏡像として描いている。それは、アトムが敵を倒す正義のヒーローではないことと正確に対応している。宇宙人には宇宙人の事情があり、そして、何よりも彼らは自分たちと全く同じなのだ。正義は決して絶対化されていない。アトムは天馬博士の死んだ息子の身代わりとして作られた。しかし、ロボットという無機質の身体、人工の身体であるが故に成長できないのである。人間と同じ魂を持ちながら、アトムは成長できない。それがアトムの背負う運命なのだ。このようなアトムのキャラクターのあり方は人工的で非リアリズム的な記号をまといながら、その内面には心があるという手塚まんがの方法に対する極めて批評的な自己言及である。その自己言及がアトムというキャラクターを生んだと言ってもいい。手塚は記号をもって生命を描こうとした。しかし、ぬいぐるみ的キャラクターを描くために本来、考案されたディズニー的記号は、生身の肉体、成長する身体を描くのに不向きである。手塚まんがは戦時下、占領下のまんが表現においてその矛盾と格闘してきたのだが、記号=人工の身体であるが故に成長できないというアトムのキャラクター造形は、手塚が自覚した記号によるまんが表現方法の限界への自己言及であり、同時に戦後まんが史を通底する主題の成立を意味する。

それが著者のいうアトムの命題である。それは、成熟の不可能性を与えられたキャラクターは、しかし、いかにして成長しうるかという問いとして集約できる。

この問いに対し『アトム大使』はこう結論する。平和の使節として宇宙人の許を訪れたアトムは誠意の証しとして自分の首を差し出す。いささか奇妙な展開だが、これには理由がある。アトムの願いを宇宙人は聞き入れ、和平は成立する。そして去っていく宇宙人は、アトムに顔を返す。しかしそこにはもう一つ変な顔が入っている。それに添えられた手紙には「アトムくん 君の顔を参考にして大人の顔を作りました。君もいつまでも少年ではいけない。今度会うときは大人の顔で会おう」と書かれていた。つまり、平和大使としての役割を全うすることで、アトムは成長した、という結末である。

このようなアトムが自身の力で平和を達成し大人になるという『アトム大使』の結末を、著者は、当時の占領軍司令長官であるマッカーサーから12歳の子供だと言われた日本がアメリカとの単独講和によらない、もう一つの成長の寓話として読むこともできるとしている。

しかし、『アトム大使』は『鉄腕アトム』とタイトルを変え、アトムは少年のまま生きることになる。そして、アトムは成長できないまま、繰り返し死による結末を迎えることになるのである。このようなアトムの命題を手塚は様々な形で変奏し、時にはアトム自身をパロディー化さえしていく、成熟することを阻止され、あるいは受容できないキャラクターたちが手塚作品の中で異彩を放ち、そして我々の心を捉えるのは、彼らが「アトムの主題」を背負っているからである。

この「アトムの命題」は戦後まんが史の中で様々に変奏される。例えば、梶原一騎のキャラクターは、星飛雄馬、力石徹、矢吹丈たちは成長することを禁じられ悲劇的結末を招く。戦後まんが史における名作の多くが、自身の身体性への違和感を抱え、その上に彼らの心を萌芽し、そして、それがまんがという本来、非リアリズム的表現である手法によって描かれなければならなかったのは手塚の中で成立した「アトムの命題」故である。まんがが記号でありながら、しかしリアルな人間を表現しようとした時、否応なく成立した問いは映像的手法以上に戦後まんが史を本質から規定していると著者は指摘する。それか゜手塚の手を離れ、それぞれの描き手にいかに意識され、あるいはいかに無自覚に受容されていったかは、一つ一つの作品に当たって確かめてみればいい。

しかし忘れてならないのは、この戦後まんが史の基調を成す「アトムの命題」が、手塚の戦前、戦時下、占領下、そして戦後という歴史体験の中で蓄積され、変容し、そして主題化していったという事実である。しかもそれは、記号的表現というまんが表現を本質的に規定する方法論との格闘の過程としてあった。手塚の提唱した「まんが記号説」という言説は、まんがを、歴史や政治の文脈から切り離して解釈する手法として、まんが評論の一つの方向の主流を成すが、しかし、記号としてのまんがは、手塚を介して徹底して歴史や政治との軋轢の中にあったことを著者は指摘する。その軋轢こそ手塚の中に戦後まんがの方法と主題を発生せしめたと著者は言う。

 

 

最後の結論で、戦後日本の歴史がでてくるところは、面食らうというところで、飛躍しすぎの感はある。これは、この著者の戦後民主主義に対するこだわりという点から、差し引いて読む必要はあるとおもう。しかし、戦時下や占領下で手塚のまんがが具体的にその時代状況と密接なかかわりをもちながら形成されていったということは、説得力があった。しかし、アトムの命題と本書のタイトルとは裏腹に、アトムが題材として取り上げられた以降は駆け足になってしまったのは残念。もっと、この部分でキャラクターとしてのアトムの表現について、もっと突っ込んでほしかった。例えば、大人になることのできた『アトム大使』と成熟することを許されない『鉄腕アトム』が、記号的な身体としての違いはないのか、専ら筋立てだけで語られてしまっていて、それまで、手塚の絵が記号的表現とリアルな写生の間の微妙な兼ね合いで、生身の肉体や自我を獲得していった、結論として語られるほどアトムは完成し、成熟していたとは思えない。『アトム大使』から『鉄腕アトム』そしてアニメーションへと、その間、何度も書き換えられ、アトム像も変容して来ている。アトムを中心とした手塚のキャラクターは、成熟しないまま、変容していきます。これをどう捉えるか、位置づけるか。多分、「アトムという命題」は続いていたといえる。

 
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